趣味Web 小説 2011-06-13

徳保的「イメージ」算数の世界 (3×5≠5×3問題)

さらが5まいあります。1さらにりんごが3こずつのっています。りんごはぜんぶで何こあるでしょう。

1.

算数が得意だった人にもいろいろあって、ひとつは先生や教科書のガイダンスに従って考えていく人なんだけど、私はそうじゃありませんでした。私が「わかった!」と感じるのは自分の中に「イメージ」ができたときで、先生の説明は、その言葉にし難いイメージを生徒に伝えるための道具に過ぎない、という風に考えていました。だから、基本問題の段階で「イメージ」ができてしまえば、応用問題を説明するために先生が奮闘する姿に「お疲れ様」と心の中でつぶやいて、話を聞かず勝手に先の問題を解いていました。

で、まあ、掛け算の「イメージ」とは何か、ということなんだけれども。うーん、こういう言葉で伝わるかどうかわかりませんが、「掛け算的状況」というのがあるわけです。説明しろっていわれたら、私も「1あたり量」がどうのこうのというしかないのかもしれませんが、私自身は直感的に「あ、これは掛け算だな」と、わかるわけです。「1あたり量」云々というのは、それがわからないときの取っ掛かりであって、それによって掛け算を定義付けてしまうと、分数の掛け算・割り算あたりで躓く。まあ、一番最悪なのは掛け算を足し算で定義付けることなんだけど、その害は大昔から専門書にいくらでも書かれているので略。

5枚の皿があります、各皿に3個ずつリンゴが乗っているようです、ではリンゴは全部で何個ですか、といったら、これは「掛け算的状況」です。「なんで?」といわれても困る。どうしてもといわれれば私も学校の先生と同じような説明をするしかないかもしれない。

が、私はそんなことをいちいち考えて「これは掛け算だな」と判断したのではない。問題文を読めば情景が浮かび、それを見た途端に5×3の行列のような「イメージ」が沸いてくる。でもって、私自身は皿が5枚であることを先に認識したのだから、私自身の思考を素直に式に表せば、5×3というように、5がまず出てくる。単純な話なのです。

2.

私のように掛け算の「イメージ」から直感的かつ自然に5×3と立式する場合、私は「リンゴを皿の上にどう置くか」は全く考えていない。「既に皿の上にリンゴがある情景」を想起しています。

だからこそ、私は行列のような「イメージ」を感得し、皿の枚数と1皿の上にあるリンゴの個数のどちらが先でも「同じこと」だと直感的に理解するから、単純に「先に確定した皿の枚数を被乗数とする」のが自然だと思うわけです。(誤解する人がいそうだから補記すると、個人的には、「より自然なのはこっち」というのは、そう説明すれば十分な話だと思っていて、マルバツの採点基準にすることを支持するわけではない)

takehikomさんはリンゴの配り方に焦点を当てたり、順列で全てのケースを数え上げたりといった考察をされているのだけれども、個人的には、そもそも静的な状況を扱っている問題なのだから、配り方とかどうでもいいんじゃないかな、と今は思います。(当初は多くの方が配り方を云々していた雰囲気に流されてしまった)

誰がどういう風にリンゴを皿の上に並べたにせよ、結果として5枚の皿に3個ずつリンゴが乗っている状況を見て、リンゴの個数を掛け算で求めれば、それでいいわけでしょ。まあ件の問題は、問題文中に「掛け算で解け」と書いてないから、絵を描いてリンゴを数え上げても、足し算してもいいじゃん、とかもいいたくなるけど……実際、年度末の実力テストでは何でもアリなので、力技でも何でも正解に辿り着いた者が勝ちなわけで。

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