趣味Web 小説 2011-06-14

テクニックより「イメージ」が大切 (3×5≠5×3問題)

1.

小学校の算数の授業ではいろいろなテクニックを学びますが、私はそれらにまともに付き合おうとはしませんでした。暗記を苦手としていたことも大きいですが、核心的な「イメージ」さえ持っていれば、自ずと正解への道筋は「見える」のだから、場当たり的な工夫なんか必要ないじゃん……という感覚が大きかったです。黒板での発表や小テストでは仕方なく先生の意図に沿って問題を解いていましたが、授業中、手を上げることはほとんどしませんでした。「授業の流れに沿った答え」を発表する作業が、とても虚しく思えたからです。

「いろいろな解き方を探してみましょう」という問いも、くだらないと感じていました。要は知りたいことがわかればいいのであって。ときどきビックリするような解き方もあるのだけれど、どうせそんなの自分では思いつかないし、所詮、自分で思いつく解き方なら「どれでも根っこは一緒じゃん」っていう。

先生の期待している解き方がなかなか出ないと、「徳保くん、どうですか、他にアイデアはありませんか?」と振られるので、仕方なく黒板に「こういう解き方があります」と「正解」を書いてあげたりしていました。でもそんなのは教科書を予習していればわかることなので、「今日は教科書を机にしまって勉強しましょう」とかいう教師はさっさと辞めろ、時間の無駄じゃないか、と思っていたものです。ていうか、ふだん予習・復習をしっかりやりなさいといっていたのは何だったんだ、アホか、と。

2.

よくわからない例え話をすると、山は山なのであって、「こういう登山道があるのが山だ」と定義付けたら、「見慣れた登山道が見つからないから山を山だと認識できない」なんてことになってしまう。初心者向きの登山道を歩くのは、山の「イメージ」を掴むのが目的であるべきで、登山道そのものよりも、そこから見えるものの方が重要なんです。

テスト問題に取り組むのは、目隠しされて知らない土地に置き去りにされるようなもの。「はい、目を開けていいよ」といわれたら、サッと周囲を見回して、「ああ、ここは山の裾野だな、山頂はあっちか。さて尾根はどこだろう。あっちの沢は危険そうだな」と当たりをつけて山を登っていく……そういう能力を養成することが学校には期待されているんじゃない?

速度も面積も水の量もみんな、この掛け算の「イメージ」があれば、少しも難しくない。逆に、「イメージ」のないクラスメートは、いちいちゼロから学んで、最初はバツをたくさんもらって、それからだんだん正答率を上げていくという手順を踏んでいました。

最後には90点、100点をみんな取るので、一見、到達点は一緒なのですが、じつはそうでもない。単元テストではクラス平均90点を実現しても、年度末の実力テストで「こんなの見たことない」という問題が出てくると、クラスで数人しか解けない。そして解けなかった人は、「登山道が見つからなかった」という意味の敗戦の弁を述べます。「ほら見ろ、登山道の説明ばかりしているからこうなるんだ」と私は思ったのだけれど、じゃあ具体的にどんな指導をしたらいいのかといえば、それはわからない。

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