趣味Web 小説 2011-06-16

心を育てる (3×5≠5×3問題)

1.

パパが,3人の子どもに言いました.
「おやつの時間だな.みんなで,おいしいのを食べるか」
「わーい!」
「ちょうどチョコレートをもらったところで,仏様のところにお供えしているから,取ってこよう」
「いくつ?」
「そうだなあ…ひとり5個でどうだ.あ,ちょうどいい,かけ算の問題だぞ.5個ずつ3人で,ぜんぶでいくつだ?」
「(声を揃えて)ごさん,じゅうご!!」
「そのとおりだ.だから15個持って来るよ.たしか15個入りだったんだよな…」
パパが,チョコレートを持って,そしてママといっしょに,3人のところに戻りました.
「ほらやるぞ」
「わーい!」
「そら.1個目は,いち,にい,さん,パパ,ママ.2個目は,いち,にい,さん,パパ,ママ.そして3個目は,いち,にい,さん,パパ,ママ」
「あれ…?」
「みんな3個ずつあるよな」
「パパ,おかしいよ!」
「どうした」
「さっき,ひとり5個って言ったじゃない!」
「言ってないよ.かけ算の問題だぞ.5人いてて3個ずつで,ぜんぶでいくつだ?」
「(声を揃えて)ごさん,じゅうご!! あれ!?」
「な.うちは5人家族なんだから,5人に3個ずつで,チョコレートはちょうど15個だ.めでたしめでたし.はい,パパの分はごちそうさま.お前らも早く食べろよ」
「パパ,ぜったいおかしいよ~!!」

これは国語の問題であって、掛け算の問題ではない。

徳保的算数では、先に確定した数を被乗数にするのだから、3人が先に確定しているなら3×5、5個が先に確定しているなら5×3になる。3が「人数」なのか「1人あたりの個数」なのかという話であって、つとめて国語の問題。

よく読めばわかりますが、「パパ」が嘘をついていることが問題なのであって、掛け算云々は全く関係がない。私なら「ちがうよ! ひとり5こで、3人いて、ごさんじゅうご、でしょ。うそつきはドロボウのはじまり! ぼくたちのチョコレートをうそついてとらないで!」と怒ります。

「5×3=15」という計算をしたことだけ覚えていても、5と3の意味を忘れてしまったら意味がないという話でしかない。

たぶんtakehikomさんが仰りたいのは、1人あたりの個数を被乗数にする、というルールがもっと絶対的なものだったとしたら、そのルールから「5×3=15」の5の意味が、この場合においては確定するじゃないか、だからこんな詐欺は起こりえず、いったいわないの水掛け論に陥らずに済む、ということでしょう。

でも、正直、そんなつまらないルールで掛け算を縛るのはデメリットの方が大きいと私は思いますね。

2.

  1. 子どもたちを喜ばせ,自身がチョコレートを取りに行こうとする時点では,パパは「5個ずつ3人」にしようと思っていました.
  2. ところが途中でママと出くわしました.事情を言うと,「ママも,ほしい」となりました.
  3. しかし15個のチョコレートを4人でとなると,割り切れません.さらに,「ごさん,じゅうご!!」と言わせたのが反故になります.
  4. そこで「5人いてて3個ずつ」と方針転換して,トランプ配りの要領でチョコレートを配りました.強弁というよりは,ママに責任を負わせないための言動なのでした.

takehikomさんは、こんなのが「嘘をついていい理由」になると思っているのか……。私とは価値観が相当に違うんだな。

「ママも、ほしい」なら、そういえばいい。子どもたちが「嫌だ、ママにはあげない」というなら、「そうか」と諦める。それから、子どもたちがチョコレートを食べ終わるまで、何かお喋りなどしながら、ずっとそばにいること。ただし、子どもたちが話題にしない限り、チョコレートの話はしない。絶対にせっつかない。

その後、子どもたちが「わたしも、ほしい」という場面があれば、「じゃあ、パパのを分けてあげるよ」と笑顔で答える。新しい袋を開けて総量を増やすこと(=大人にしか真似できない解決策)は、絶対にしない。同じことを、数年かけて幾度も繰り返す。そうすれば、伝わる子には伝わる。これで伝わらない子には、お説教をしたって伝わらない。

ではお説教は常に無意味か。そうではない。子どもが完璧超人に育つことはないから、いずれ「優しい心の持ち主と同じように振舞う方が、長い目で見れば得なので、そうする」ことを教えねばならない。これは相当に込み入った話なので、言葉による解説が欠かせないと思う。

なお、「他人にあげていいものといけないものの区別」の指導は、また別に行うこと。この指導を怠ると実害が生じるが、それでも優先順位は低いと思う。

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