趣味Web 小説 2011-06-18

私立校である意味のない私立校

数年前、私の出身小学校を廃校にする話が持ち上がった。私立高校の付属小学校だったのだが、どうにもこうにも卒業生の「その後」が思わしくない。

付属中学校の出身者は大多数がそのまま高校へ内部進学して、有名大学などに大勢が合格していくのに、付属小学校の出身者はバラつきが大きかった。途中で脱落して、付属中学や高校への内部進学すら「しない方が本人のためではないか」という相談の対象となるケースが少なくなかった。逆に、ふつうに付属中学を受験した場合、余裕で合格して奨学金が貰えそうなトップ層は、たいてい近隣の私立中学へと転出していった。

つまり存在意義が問われる状況だった。私が在籍していた頃から状況は同じだったので、もう付属小学校はあきらめて、付属中学校を拡充することにリソースを割きたい、と新校長が考えたのは当然のことだ。ちょうど、高校と付属中の校舎の建替えが迫ってもいた。新校舎の設計が固まる前に判断する必要があった。

結論からいえば、卒業生と教員の大反対で廃校は撤回された。私は廃校反対の署名を拒否したし、廃校撤回運動のイベントと化した同窓会にも参加しなかった。私が在籍した当時から、あの学校は、少なくとも算数の授業に関して、私立校である意味がまるでない私立校だった。

卒業生はノスタルジーで母校を存続させたがったが、それなら自分たちのお金で運営すればいい。私は何人かにそういったが、「はぁ」「いや……まぁ」「その……」「う~ん」くらいの反応だった。

真言宗の大きなお寺が、寄付金で教育財団を作って運営している学校だ。授業料が安くて、浄財なしには存続し得ないのだ。授業料を値上げして完全独立採算としたら、生徒が集まらない。学校を存続させたい卒業生たちも寄付金を出さない。だけどお寺の信徒さんのお金で学校を潰さないでください……って、そんな学校、今すぐ潰れていいよ。いい加減にしろ。

小学校生活は、総じて楽しかった。でも、私立校である意味のない私立校を存続するなら、その不合理は、不合理を望む者が背負うべきである。

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