趣味Web 小説 2011-06-19

「心にもない真実」は存在しうる

1.

相手の年齢で態度を変える人は好きじゃない。10年ほど前にネットで何かを書き始めた頃、私はプロフィールに年齢がわかる情報を書かず、日常雑記の備忘録まできちんと目を通す常連読者さんだけに年齢がわかるようにしていた。その理由は、私が「若い」とわかった途端に態度を変える人が少なくなかったからだ。

ときどき揺れはあったものの、私は人生の大先輩も10歳代の方にも「さん」付けと水平目線を基本としてきたつもりだ。が、「つもり」と「現実」には落差があって、過去ログを読み返すと歳の差をいいことに嵩に懸かって書いていることがままあって、ガッカリする。→例:中間管理職(2003-05-24)

ともかく、10歳児にマジになってると嘲ったり、それを大人気ないと考えたり、10歳児なのに何故かネット議論を熟知しているなどと侮ったりする感覚には距離を置きたい。自分の中にもそうした感覚があるからこそ、よく自覚して、抵抗しなければならないと思っている。

2.

はるかぜちゃんは俳優やテレビタレントとして活躍されている春名風花さんの別名なのだそう。私には他人を「ちゃん」付けで呼ぶ習慣がないので、以下、はるかぜちゃんのことは春名さんと書きます。

3.

リンク先の議論については、正直なところ、よくわからなかった。

目の前にデモに押しつぶされそうになってるベビーカーや、あつくて顔真っ赤になってる赤ちゃんがいたから、かわいそうと思っただけの話(ω)そんなんで、どこかのジャンルにわけられたくないです(ω)ぷんすか
harukazechan 2011/06/11 22:43:54

社会が子どもに配慮すべきなのは当然。ところが現状では何かにつけて「母親の管理責任」を非常に重くみる社会的文脈が存在している。その上で(しかもデモに限って)「あんなところに連れて行くなんて」というDISを重ねることが何を意味するかくらい分かりそうなものだが。
deadletterjp 2011/06/12 18:21:10

数日経って、もう一度読み返してみて、「こういうことかな」と思ったことがあったので、簡単に書き留めておきたい。

春名さんは、赤ちゃんが疲れた様子だったから「かわいそうだ」と思ったので、それが反原発デモのひとコマだったことに特別な意味はない、という。だから、deadletterjpさんがいうようなデモに限って赤ちゃん連れの母親を批判するのは云々という意見は的外れだという。

私も、この手の批判は何度か受けてきた。自分が思ってもいないことで批判されるのはウンザリする。でも、私の場合は、1年、2年、5年という年月が経ってみると、意外に「あの批判は正しかった」と気付かされることが多かった。

4.

**にこだわりはない。批判の対象が**だったのは偶然だ。心底、そう思っていたし、今も自分自身の心に問えば、答えは同じ。ところが、自分の行動は、その心を裏切っていた。何年か経ち、同じような場面には何度も出くわしてきたのに、結局、私は**の事例でしか、そのことについて批判する文章を書かなかった。数年ぶりにまた書きたいと思った事例は、何と**の亜種だった。そんなことが、何度もあった。

今回の例にあてはめてそのカラクリを説明すると、こうなる。野球場でもデパートでも人ごみの中で疲れた赤ちゃんを見れば「かわいそうだ」と思うのだが、わざわざTwitterで批判を書くことはない。あるいは、書くとしても、10回見て1回書く、といったペースなのだ。一方、デモに参加中のお母さんが連れている赤ちゃんが疲れた顔をしているのを見ると、すぐにTwitterで批判を書いてしまう。

「かわいそう」と思う気持ちの程度に、差はあったか? 自分の心に問えば、「全く差はありませんでした」と答える。ところが、自分の行動には、明瞭な差があるのだった。春名さんも同じだ、とはいわない。春名さんのことはわからない。でも私の場合は、そういうことがよくあったし、きっとこれからもあるだろう。

これは、私が逆に他人の心と行動のズレを指摘した記事。実際の行動には明らかに温度差があって、そのことが否応なく意味を持ってくるのは、そう珍しいことではない。

5.

deadletterjpさんやamamakoさんの批判の妥当性は、現時点では、私には判断できない。ただ、自分の心に問うただけで「この批判は不当」と簡単に片付けてしまうのは危ないと思う。

上で「春名さんのことはわからない」と書いておきながらみっともない話だが、以下、何の根拠もなしに私の憶測を述べる。

春名さんはやっぱり、疲れた赤ちゃんを見かけたのが「デモ」だったから、批判を書いたのだと思う。「デモ」は「スポーツ観戦」や「買い物」や「海水浴」などと比較して価値や必要性が低い行動なので、赤ちゃん連れの母親が参加するべきではない、という価値判断が、無自覚のうちに行われているのではないか。

春名さんはおそらく「邪推です。海水浴場でも、赤ちゃんが熱中症になりそうな現場を見かけたら批判してました」と仰ると思う。実際、その通りかもしれない。

だけど、数年の月日が経ったときに、もしも、もしもですよ、自分の行動実績が「結局、赤ちゃんが人ごみの中で疲れた顔をしているのを見て母親を批判したのは、あのデモのときだけだったな」とか、「その後、海水浴場などで100回くらい疲れ顔の赤ちゃんを見たけど、批判したのは3回くらいだったな」といったものだったなら、心に問うても発見できなかった自分自身の姿に、光を当てるチャンスだと思う。

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