そんなこと、私に限らず、皮肉屋の皆さんはみなわかっているんじゃないの。ようは気持ちの問題でしょ。客観的・物理的なメリットは何もなくたって、建設的な発言をするより、気に食わないものを批判することの方がよほど主観的に優先順位が高いから、そうするのだと思う。
所詮は気持ちの問題であるならば、気持ちさえ切り替えればよほど楽しく生きられるのは間違いない。頭の片隅に、この感情さえコントロールできたらどんなにいいか、というイメージは置いておきたい。
が、実際には、何もしない。報われる保証のない努力なんてしたくない。それに、ポジティブなことを話したり書いたりしてる人が、実際それほど幸せそうには見えない……今の自分よりはマシだとしても、頑張ってまでなりたい姿ではない。何も努力せずにああなれたらいいだろうな、でもそれは無理だというなら、このままでいいや、くらいでしかない。
「暑い、なんていうほど暑くなる」というのは他人様の理屈。本人にとっては、暑さへの怒りを発散させた方が、精神の健康上、よろしい。暑いのに黙っていたらストレスがたまるんだ。自然に対して怒っても客観的には無意味だが、主観的には有意義である。
他人が「暑い、暑い」といっているとイライラするけど、自分は「暑い」といいたい。立場の違いをゴッチャにしてはいけない。嫉妬も同じ。他人の嫉妬にはイライラするけど、自分は嫉妬したいの。嫉妬なんかしてないで、自分もそうなればいいじゃん、てのはひとつの正論だろうけど、無意味な言葉だね。「自分もそうなる」ための努力なんて、割に合わないんだもの。嫉妬してるだけの方が、よほど自分にとっては合理的なの。
「暑い、なんていっても涼しくならないだろ。黙ってろ」といった人が、ふと気を抜くと「暑い」とこぼす。聞き手の理屈に目を奪われて、話し手の理屈を忘れているから、自己矛盾するんだ。このあたりの問題に自覚的な人は、例えば「俺を不愉快にさせるのが損だってのはわかってるよな? 暑いといいたきゃ、俺に聞こえない場所でやれよ。それとも、俺をイライラさせてでも、俺に聞こえる場所で暑いっていいたいのか、お前は」みたいな言い方をするわけだ。
で、ウェブの場合、他人を怒らせるコストが低いので、聞き手の理屈を話し手の理屈がグイグイ押す。