趣味Web 小説 2011-07-15

受身一辺倒のプレイヤーをゲーマーと呼びたくない

しかし、我々四人はゲーマーだから最適性や最大の効率を求めざるを得ない。それがゲーマーとしての性なのだ。我々四人には「ビアンカを道具のように利用して低レベルキャラのレベル上げをしなさい」とこのゲームを作った連中が我々に向けて推奨しているようにしか思えなかったのだ。

このように、ゲーマーたちがその心を亡くさないように、ゲームを作る方達は、くれぐれもNPCの女性を利用し、傷めつけることによって効率的にレベル上げができるようなシステムには絶対にしないでいただきたい。

やねうらおさんはようするに、「できる」ことは「やる」といっていて、自分で自分を律することを放棄しているわけだ。やねうらおさんは、それが「ゲーマー」という人種なのだ、と定義して開き直るのだが、そういう特殊な言葉の定義をするなら、言葉をカッコに入れてほしいと思う。

ゲームシステムが悪いから心をなくすのではなくて、もともと心ない振る舞いを自分に許しているから、ペナルティがないと我慢できないのだ。私はMMORPGには疎いが、『ドラクエ』などについては、許可なくNPCの財物を奪わないことを自らに課してプレイしている。当然、苦労するわけだが、それでいいのである。

『ピクミン』はピクミンをモンスターに投げつけて命からがら生き延びていくゲームなのだが、ピクミンを一体も犠牲にせずクリアしてのけた人がいる。私はこういう信念が前面に出た遊び方を好ましく思う。

もし、やねうらおさんが、「効率」のためなら俗世間の倫理など踏み躙る、という信念を持った「ゲーマー」ならば、文句はない。「NPCを痛めつければ効率的にレベル上げできることを発見した!」といって研究成果を誇り、一種の照れ隠しとして心を亡くした云々といっているなら、納得できる。

だが実際のやねうらおさんは、本当はNPCを痛めつけたくないのだけれど、それを自分たちは我慢できないから、ゲームシステムの方で残酷なプレイには適当なペナルティが与えられるようにしてほしい……という受身の姿勢に終始している。これが気に食わない。その上、「ゲーマー」を自称する。これまた気に食わない。

近年、コンシューマーゲームに対して「やりこみ要素」があるとかないとかいった評価がある。だが、「やりこみ」はプレイヤーが自分なりの価値基準を掲げてやることで、製作者から与えられて喜ぶようなものじゃないと私は思う。やねうらおさんの文章に対して抱いた感情は、この苛立ちと共通している。

一般論としてはやねうらおさんがゲーマーであることに疑いの余地はないのだろうが、私はゲームに対して自分の本能に従って「適応」するばかりで、自らルールを打ち立てる気概のないプレイヤーを「ゲーマー」と呼ぶ気にはなれないな。

追記:

iww 「許可なくNPCの財物を奪わないことを自らに課してプレイ」みたいなのはよくある縛りプレイの一種。やね氏のは効率を最優先する縛りプレイみたいなもの。 どれも遊び方としては対等だと思う 2011/08/18

私は効率優先の遊び方を否定していない。効率を優先したいならすればいい。ただ、その結果NPCを傷付けることも「自分の選択として引き受けるべきだ」と思う。

やねうらおさんが様々な遊び方のパターンを列挙して、「どのケースでも自分の提示する改善案の方がゲーム体験を改善する」と訴えたなら、印象は違っていた。でも実際のやねうらおさんは、製作者の意図を理解しながら、敢えてそれを無視して残念な思いをし、文句をいっている。これは受身一辺倒の消費者様の態度だ。ゲームと能動的に向き合う「ゲーマー」の態度ではない。私はそう思う。

それに、システム的に倫理的なプレイを強要されるようなゲームは息苦しい。『ドラクエ』にはNPCの財物を奪うことへのペナルティがないからこそ、私は泥棒禁止プレイを楽しんでいる。NPC盾戦術に誇りを持っている人だっていると思う。やねうらおさんの提案は、ゲームを貧しくするもののようにも思える。

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