趣味Web 小説 2011-07-16

memo:幽霊を捕まえるような話

メディアとしての新聞が、報道を通じて、裏側でどんなことを考えていて、世の中をどういう方向に持って行きたいのか、報道された記事だけを追っかけていても、なかなか見えてこない。

裏側の思惑みたいなものは、むしろ「報道されなかったこと」を通じると見えてくる。あらゆる事実がどこかで報道されている現在ならば、たとえば朝日新聞なら、「その日朝日新聞が報じた事件」と、「その日朝日新聞が報じなかった事件」とを併記して、それを通じた「朝日新聞的なものの考えかた」の理解を提供する、そんなサービスがあったらうれしいなと思う。

ありもしないものを探し求める試みだと思う。「心にもない真実」は存在しうる(2011-06-19)と私も書いたけれど……。

以下、少し話は変わりますが。

オウム真理教事件のときに、宗教家として麻原さんを評価するという吉本隆明さんのインタビュー記事を掲載したのは、よりによって産経新聞だったし、2003年のイラク戦争の際に「9.11はサウジアラビア発であってイラク発の事象ではない」という内容の特別寄稿記事を目立つところに掲載したのも産経新聞だった。(産経新聞の例ばかりなのは、他のは図書館でしか読まないから)

マスコミをひとつの人格のように扱うことは、現実的でない。また産経新聞の例を出すと、元論説副委員長は増税して財政再建を急げという論者で、現在も特別記者として寄稿を続けている。ところが、この方が現役の論説委員だったときに外部から招聘した編集委員は、積極財政派。産経にきてから数年経つけれど、相変わらず大規模な財政出動と一層の金融緩和を強く訴え続けている。社説は論説委員が書くので、産経新聞の社論は消費税増税なのだけれども、編集委員がやたら出稿するから、紙面では積極財政派の方が印象的だったりする。

北方領土について、社論は四島一括返還だが、二島先行返還論に与する記事も載った。佐藤勝さんや鈴木宗男さんへのバッシングがすごかったときにも、同情的な記事が載った。それも外部識者の寄稿ではなく、産経新聞の記者が書いていたから、「へぇーっ」と思った。

あるいはスポーツ面でも、勝利を称えたり、敗因を分析したりする記事の中に、敗者に寄り添った記事が登場する。マイナーな競技の場合、大会に出場が決まっただけでは事実を伝える程度の記事にしかならない。今期はずっと調子がよくて、それには理由もあって、だから心中期するところがあった……といったストーリーは、大会で勝てば記事になるが、負ければそのまま消えていく。ふつうはそう。ところが、ウェブではどうか知らないが、紙面の方には、ときどき「負けたけど記事にしました」というのが載っている。

他の新聞をよく知らないから、産経が特別に「いい加減」という可能性もあるが、ひとつの人格を仮定すると矛盾するのがマスメディアの実情ではないか。

補記:

地方新聞の場合、掲載されない記事がとても多いだろう。祖父母の家へ行って中京新聞を読むと、地方紙の地方紙たるゆえんがわかる。産経新聞は日本の一部地域でしか売れていないのだろうが、産経が全国紙を志向していることは、中日新聞と読み比べれば、すぐにわかる。

「新聞の裏側」が明らかにするのは、社論の違いではなく、単純に、紙面の面積の違いだろう。読売や朝日と比較して、単純にページの少ない産経や毎日に載らない話題は多い。日経は経済記事に紙面が圧迫されており、地方紙は地元の話題に紙面の過半を持っていかれるので、全国紙的な話題は絞り込む必要がある。

あと、リンク先の記事では現代のIT技術を駆使すれば簡単なこととして書いているが、実際には「新聞の裏側」なるサービスを実現するのは難しい。自動で項目を立てるのは不可能に近いし、単語の抽出では、同じことを伝えている記事なのかどうかを判別できないはずだ。

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