趣味Web 小説 2011-07-19

ないものねだりだとは、わかっているが……。

読んでガッカリ。「人と交流したいと思っている人見知り」なら役に立つかもだけど。私が知りたいのは、人と双方向の交流をせずに、それでも不都合なく、得たい情報を得て生きていける方法なのだが。

こっちは一言も話をせず、ただ黙っているだけでも「その場に居座ることを許される」方法とか、ぜひ知りたい。電車で移動しているとき、他の乗客の会話に耳を澄ますのは、すごく楽しい。でも自分がお喋りしながら通勤・通学するのは苦痛。わかる人にはすごくよくわかる話だと思う。楽しいお喋りを近くで聞いていたいけど、話しかけられるのも、自分が何か話すのも嫌なんだよ。

合コンなんかも、できれば一度、見学してみたい。みんなホントにドラマでやってるような会話をしてるのかな、っていう単純な興味。でも、参加して、自己紹介も何もしないで、一切質問にも答えないで、というのは無理でしょ。「会費は支払うので、端っこで見物だけさせてください」って、通用しないじゃない。私は一緒に盛り上がりたいわけじゃないんだよね……。

そういう壁を突破する方法って、ないものねだりだから、誰も書いてくれないのかな。でも、ネットだと、たいていの人がROMでしょ。私はこういう「淡いコミュニケーション」が好きなんだよね。数千人が読んで、10人かそこらがはてブして、2人か3人がちょっとだけコメントする、というくらいの。

だから何とかして、日常生活もこんな感じにできないかと思っているわけ。99%を「聞き専」で処理したい。何のリアクションもせずに、情報を一方的に受信したい。顔も個性も見えない透明な存在でいたい。

対話のあるところに、愛が生まれる。
対話のないところに、愛はない。
愛がある人生が、やっぱりいい。

対話はね、いらないの……。そういう私みたいな人のために、誰かライフハックを考えてほしい。

もちろん私は考えない。どうせ、大したことを思いつかないもん。考えるだけ無駄。1500円くらいの本なら買ってもいいよ。代金なら支払うからさ、私の代わりに、頭のいい人に頑張ってもらいたい。

補記:

a)

「休みの日は何をしているんですか」という質問が、嫌い。話の取っ掛かりがほしいという事情は理解するが、やめてほしい。

他人の質問に答える形で自分自身について話すのは、たいてい楽しくない。だから就職活動の面接は苦痛で苦痛でたまらなかった。

世間や他人のあれこれについて自分の意見・感想をいうのは好き。それらに絡めて、自分の話したい部分だけ、自分のことを語るのは好き。

私が話したいことと、話したくないこととの間には、微妙な線引きがある。それなのに、他人は軽々にラインを踏み越えた質問をしてくる。だから、嫌。

b)

私の場合、たまにしか顔を合わさない人と、内面に踏み込まないお喋りをするのは好き。

実家にいた頃は両親との会話が苦痛だったが、年に1回か2回しか顔を合わさなくなったら、両親との会話が楽しくなった。

c)

いやさ、私も散々、「ないものねだりしても仕方ないので、コストを支払って果実を得るか、割に合わないと考えて諦めるか、選択するしかない」と書いてきたわけだ。で、この件については、「割に合わないので諦める」ことにしている。それで決着のついてる話。

だけど、「新説が出たよー」という案内が目に飛び込んでくると、やっぱり期待しちゃうんだよね。

d)

「やる気がない」原因として学習性の無力感を挙げる人が多いけど、個人的には、生まれ持った性質がいちばん大きいと思う。私は「やってみたら、できた」という体験がたくさんあって、「たいていのことは、頑張ればそれなりの結果が得られるだろう」と楽観的だ。それなのに、ほとんど何もやる気が起きない……。

「頑張ってまで、得たい結果じゃないな。ただ愚痴ってる方が、楽でいいや」っていう。現状は選択肢の中ではベターなだけで、満足しているわけじゃないので、「努力せずに良い結果が得られるなら大歓迎!」なのは当然。

例えば中学校の定期テストとかでさ、「前回の2倍くらい勉強して、それで10点だけ点数が上がって嬉しいか」という話。私は「だったら勉強時間が半分で、10点低い方が割に合う」と思う方。その10点に、勉強の苦痛に見合うだけの価値を見出せない。人生のたいていの物事について、私はそういう風に考える。

Information

注意書き