趣味Web 小説 2011-07-28

「微炭酸」の存在意義を考えてみた

ペットボトルで買って冷蔵庫に入れておくなら、炭酸の強度は自分で調整するということでもよいけれども、自販機で買ってすぐに飲む場合、弱と強の違いは無視できない。手に持って時間調整していたら冷たさを維持できないし、結露もずいぶんついてしまう。

あと、やはり炭酸の強度は味覚に関わるので、それぞれの飲料に最適な炭酸の強度というものがあると思う。もちろん全員が満足することはないのだけれど、作り手として「これだ!」という炭酸強度はあって当然。消費者は炭酸強度の調整まで込みで商品の良し悪しを判断していることが多いと思う。

そもそも論として、消費者の選択肢は多い方がいい。私はマーボー豆腐の辛口くらいならおいしいと思えるけれども、世の中には「激辛」を謳った「こんなもの食べられん」と思うレベルのものがたくさんあって、しかもそんなのがスーパーで山積みになっていたりします。あんなの人が食べるものじゃないよ、と私が毒づいても、売れているんだから仕方ない。

自分と関係ない商品が棚を占拠していると、「これさえなければ自分好みの商品がもっと増えるんじゃないか?」と思ってしまう。でも実際には、棚が空いた隙間は、また自分と関係ない商品で埋まるのだと思う。「こんなもの食えるか」と私が思ったものを買っていた人が、いなくなったわけじゃないのだから。

炭酸が強すぎるとキツイから? だったら炭酸じゃない飲料を飲めばいいじゃないですか。それか、炭酸なんてあけてしばらくすると抜けてなくなっちゃうんだから、一口飲んで「強いな」と感じたら、ちょっと揺らしておいておけばすぐ弱まるでしょう。

それを最初から「弱」というのは、ただ単に消費者の選択肢を奪っているに過ぎない、と思うのです。コーヒーで言えば、「舌を火傷しないように」って最初からぬるいコーヒー出されるようなもんでしょう。大きなお世話ですよ。

微炭酸くらいのシュワシュワ感が好きだった人に「待たずに飲める」選択肢が増えた、ともいえそう。

あるいは、コーヒーでも自販機のはそんなに熱くない。やっぱり、すぐ飲む前提だと、喫茶店で飲むのとは話が違ってくるんじゃないかな。「待つことのコスト」の問題。

さらにいえば、最初からそこそこの温度で淹れたコーヒーと、熱々で淹れて冷めてきたコーヒーとでは味が違うし、強炭酸の飲料を放置しても最初から微炭酸の飲料とは風味が異なっているような感じがする。ブラインドテストでは消えるような違いかもしれないけど、気分の問題でしかないとしても、実際に主観的に味が違うなら、それはやっぱり「違う」わけであって。

ようするに何がいいたいのかというと、「微炭酸は生産者のゴリ押し商品」みたいな見立てには疑問があるわけです。次第にラインナップが増えているように見えるところからして、おそらく消費者の需要にマッチしているのではないかと。

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