趣味Web 小説 2011-07-29

memo:精神的コストの話題3つ

私の中では緩やかに関係する話をいくつか。

1.

告発する側にだって、権利やら自由やらが、あるんじゃないかと思う。自分に理のないことを知りながら、嫌がらせのつもりで訴えているというならともかく、大真面目に訴えているのだと思うし。まともに考えれば告発した側がオカシイのは明らか、であるならば、ドーンと構えていればいいんじゃないの。

あるいは、本当にこれで刑事裁判になって、しかも有罪判決が下るのであれば、もともと法律上、言論の自由の範囲はとても狭く、これまで告発する人が滅多にいなかっただけだということ。この場合、告発を自粛させるのは法治国家のやり方ではない。法律を改正す必要がある。

2.

何だろう、と思ったら、精神的コストの話だった。精神的コストは客観的な比較が難しいので、鈍感力を鍛えている人は、同性でもこういう意見に賛同してくれない。「ヒッチハイクで気ままに一人旅、したいんでしょ? 野宿ができない、って、それ、あなた自身が嫌なの? 周りの人が嫌がっているの? どっち? 家族? だったら、もう大人でしょ、自分で決めなさいよ!」という会話を聞いたことがある。

誤解を恐れずに書けば、池田さんが「きっと裁判にはならないし、仮になっても絶対に勝つ」とわかっていても刑事告発に対して「言論の自由の圧殺だ!」と怒るのと、似たような話なんだろうな。「野宿なんて無用心じゃない?」って心配する人の大半は優しい人なんだから、実際に何かの被害に遭えば「悪いのは犯人」というでしょ。そこで「自己責任」といって犯人側を免罪するような人は、男性が被害に遭っても同じことをいうと思う。「無用心じゃない?」は、ただ心配しているだけで、批判どころか忠告ですらない。

それでも、言われる側にとっては、言葉の一つ一つが重石になり、気軽になるためには、防犯対策で身を固めるしかない。「自分の心の問題なのだから、そこを変えたら、例えば鈍感力を鍛えたらいいんじゃないの」といいたくなるが、いうは易し、行なうは難し。ちょっと関連:原因と責任(2006-07-01)

3.

「非コミュでありたい」私には、あまり関係ない話だった。私が求めているのは「非コミュのまま、そのデメリットを緩和する方法」なんだよね。「非コミュじゃなくなる方法」じゃないんだよ……。デメリットをなくすのは無理だとしても、緩和するだけなら、テクニックで多少はどうにかなるんじゃないかと思うのだが。

あー、つまりこういうことか、結局そういうテクニックが存在するとしたら、それは「非コミュじゃない人を装う」他にないんだ、と。非コミュが非コミュのまま「ま、いっか」と許され、放っておかれる方法なんてのはないよ、と。つまらん。そんな結論は夢がない。

Information

注意書き