趣味Web 小説 2011-08-08

memo:法廷で法律はどう解釈されるか

北沢義博弁護士の話が面白かった。裁判では、立法者の意思は重視されず、裁判官が法律の文章から素直に読み取った解釈が、判決における解釈になる、という。なるほど、そうでなければ法律が違憲だとかいう裁判は成立しないわけで、いわれてみれば当然か。

弁:立法者が全部決めたら裁判官要らないじゃないですか。(中略)立法者がこう言ったからそれでもう決まりでというのは、リスクを忘れてると思いますね。(中略)
私:私は、この法案で何も問題ない、皆、気をつけることなど何もありません、てことが言いたいんですよ。それが確認されたと言いたいんです。だけども、北沢先生おっしゃることは、ようするに、この法案はやっぱり欠陥がある法律で、通すべきではなかったということを
弁:法律というのはすべてそういうリスクがあるんですよ。これは何の問題もないなんてことにはなりませんよ。だったら我々弁護士とか法律家要らないんですよ、だったら。
私:何でもそうなんじゃないですか。どれもそうなんでしょ。どの法律もそうなんでしょ。だから、ことさらこの法律についてとくに何か言うことがあるんですか。
弁:この法律にはこういうところに問題がありますよとお話ししてるんです。それはどの法律でも、これこれの問題がありますねと、必ず。それはもちろん、大小があってね、大きいものとほとんどない法律があるけども、これはどの変になりますかね。中間くらいじゃないでしょうかね。

引用部でとあるのは高木さんの発言。

高木さんは北沢さんがことさらにコンピュータウィルス作成罪の法律に問題があると煽っているといいたいようだけれども、それは高木さんの思い込みのように思えた。衆目の一致する「悪」だけを正確に撃つ法律は存在しない。この点を勘違いされては困ると考える北沢さんが、高木さんのような「こういうわけだから何も気をつけることはありません、安心してください」という説明を看過できないのは当然だろう。

結果的に、高木さんの主張を北沢さんが繰り返し否定するわけだが、北沢さんが「ことさらに否定している」というわけではない。むしろ高木さんがことさらに安全を謳おうとするから、同じ反論が繰り返される。まず安心と考えてよいだろうが、リスクがないというわけではない、というくらいにしておけば収まる話。実際に裁判の場で立法府での議論が参照される(また裁判官がその議論に賛同する)とは限らない、という北沢さんの解説を否定する根拠が、高木さんにはないようなので。

また、ウイルス作成罪がないがゆえの問題が社会に蔓延してきた状況で、新しい法律のリスクをゼロにしようと頑張るのは不毛。北沢さんが、どんな法律にも何らかのリスクは潜んでいる、という話をしているのは、言葉の解釈がひとつに定まらない以上は、当然のことだと思う。法の解釈は立法者が自在に詳細を詰められるという立場を採用するなら、司法は立法の傘下に入ってしまう。その害はきわめて大きいので、その仕組みを認められず、しかしそれゆえに法はすべてリスクを孕む。このリスクは甘受するしかない。

リスクを下げていけば、どこかで立法の利益が弊害を上回る。リスクの予想には幅があるから、相当の安全率は掛けてよい。あれこれの議論の末、メリットと比較したリスクが十分に下がったと考えられるなら、なおリスクが残っている、ゼロではない、という理由で法案に絶対反対の姿勢を貫くことには賛成し難い。

あと、北沢さんがいっているのは裁判の話で、高木さんが法務省の方に質問するなどして調べてきたのは、現在、法務省が想定している法律の運用の話。法務省の説明は法務省を縛るはずであり(そうでなければ意味がない)、実際に裁判になって、裁判官が「意外な判決」を出さない限りは、だいたい高木さんが調べてきた通りに法律は運用されていくのだろうと思う。

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