趣味Web 小説 2011-08-09

memo:私のいう「絶対に許せない」とは

以下、最初はリンク先の話題について書いているのだけれども、だんだん関係ないところへズレていきますので悪しからず。

別に、有村さんが金持ちだろうと何だろうと、寄付を募るのは自由。日本人が日本人に対して優先的に所得を再分配する政策を支持しているように、「もっとお金に困っている誰か」より有村さんへの支援を優先する人がいてもいい。

私自身は、日本人への「えこひいき」を批判し、世界中のもっと貧しい人々への支援を訴える側に共感する部分が大きい。でも、多数派が、多数派の価値観を無条件に善悪の判断基準として少数派を排撃することへの憤りはもっと大きくて、自由と多様性が支持される社会であることが最重要。

無論、批判するのだって自由だ。しかし自由と多様性を認めるという前提は譲れない。たとえば「炎上」というのは、多数派の言葉の暴力で少数派を黙らせようとする営みであり、不自由と画一性の論理が底流にある。自由と多様性を基盤とする議論は、究極的には双方の立場を認めるものだと思う。

私もたびたび「絶対に許せない」などと書いてきたから、上記を読んで首を傾げる方も多そう。「絶対に許せない」とは「私は許さない」という意味で、説得の域を超えた主張撤回の強要にまで賛成するという意味ではない。権力の行使どころか、炎上すら不当と考えている。でも、伝わらない。誤解を招く表現だとは思う。

関連:

7月22日に起きた、計77人が亡くなった事件。おそらくノルウェーは、それでも死刑を復活させたりはしないだろう。一時的に世論は揺れるだろうが、最高刑の引き上げにも慎重な姿勢を保つと思う。事件を起こしそうな人物を予防的に逮捕するようなこともしないだろう。というか、そうであってほしい。

追記:

手記の書き手に同調する人が、書き手のいうほど多数派かどうかは疑問だ。でも、事件の衝撃が冷めやらぬ現時点においても、日本よりは、こういうことをいう人が多いのは確かだろうと思う。

Information

注意書き