趣味Web 小説 2011-09-05

日本の金持ちが寄付に消極的な理由

何なのかと思ったら寄付(=自発的な富の再分配)の話だった。なぜ日本の金持ちは社会貢献に積極的ではないのか、という。『ハーバード白熱教室ノート』に用語解説をゆだねて端的に記せば、「日本では自由主義が有力で、次に共同体主義が力を持っているから」が私の回答。

平等主義が自分の中で大きな存在となっていれば、家族や子孫を過剰に優遇することに後ろめたさを感じるものだ。より多くの貧しい者に手を差し伸べず、我が子の幸せの最大化にのみ関心を向けるのはエゴだと、自分自身に問い詰められることになる。逆に、共同体主義に染まっている人は、身近な者への特別扱いを当然視する。ずっと慈善事業への寄付を続けてきた人が、子どもが生まれた途端、さしあたり経済的な不安はないにもかかわらず「念のため」程度の理由で寄付をやめて教育資金の貯蓄を増やす……とかね、実際には、2つの善のどちらをより重視するか、という形で「私にとって真に重要なこと」は顕現する。

寄付は「高貴」な者の義務、というのは、巧妙な切断操作。不平等に目を向けず、「寄付とは**な者がすることである」という概念を持ち出して、「だから自分は寄付をしない」というエゴをエゴとも思わない。こうした「みんながそう思っているからそうなんだ」式の発想を他のあれこれより重視するのは、共同体主義の系譜。この手の共同体主義と自由主義が組み合わさっているから、日本では寄付が少ない。

かくいう私は功利主義に賛同するところ大で、社会全体でみて幸福が増大する限り富の再分配に賛成する。金持ちイジメで不景気になって全員が損をする……ということにならないギリギリまで再分配を強化するのがよい。逆にいえば、再分配をもっと抑制した方が結果的に幸福の総量が増えるなら、それでもいい。

余談:

かつての日本では金持ちがいろいろな寄付をしていた。でもその動機は平等主義ではなく共同体主義。だから、地元とか、母校とか、何かしら自分と関わりのあるところだけに寄付をしていた。だんだん共同体主義が弱まってきて、強固な共同体が家族にまで縮小されつつあるのが現代の日本。

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