「見知らぬ誰か」や「読者様」がご高説を垂れてくださるのは聞き流せても、身内意識のあった人に評論家的な物言いをされるとカチーンとくる、っていう感覚、私もわからないでもない。
私は高校時代、文藝部がとても楽しかった。私は創作活動には興味がない。だから小説も詩も、半強制の全員参加イベントのとき以外は、基本的に書かなかった。では何をしていたのかというと、「何を書いても読者の反響がない」と愚痴っていた部員のために、毎回長文の感想を書いていた。これは、たいへん喜ばれた。
他のいくつかの学校の文藝部の方とも淡い交流を持ったが、どこも「感想がもらえない」ことを悩みの種としていた。それで私は、「文藝部には、書くのが好きな人と、読んで感想を書くのが好きな人の、両方が存在するのがベストなのではないか?」と考えた。よその文藝部はみな「創作が好きな人」ばかりで、「仲間の作品を読んで感想を書くのが好きな人」はいないらしかった。
そんなわけで、大学に入って文藝部に仮入部してみて、先輩方が先の大学祭の際に作った冊子をもらった際も、いつも通りに作品の感想を書いて提出した。そうしたら、頭ごなしに怒られた。「失礼だ」とか、いろいろ。最後は、「創作に興味がないなら、よそのサークルに行ってください」でおしまい。
でも、私が「感想を書く」動機は、小説や詩の書き手が目の前で喜んでくれることだったので、ミス研とかでは、全然ピンとこなかった。私は書店に並んでいる本を読んでも感想とか書かないし、感想を誰かと共有したいとも思わないわけで……。
そういえば高校時代にも、他校の文藝部の冊子に、こちらの文藝部から本音の感想を送ったら絶縁されたことがあった。「交流には興味があったけど、そういう感想がほしかったわけじゃない」的な言い分に「バッカじゃねーの」と当時は毒づいたものだが、今にして思えば、そこで世間の常識というか、人情の機微を学んでおけば……と思わないでもない。
ま、どのみち「創作者の集まり」だった大学の文藝部に私の居場所はなかったわけだけど。