若い業界ではベテランが足りないので、30代くらいで多くの人にマネージャーへ転向してもらう必要がある。「プログラマ35歳定年説」は、いわば後付の理屈。IT業界は、もはや平均年齢が若い業界ではなくなってきている。「プログラマ35歳定年説」は、多くの会社では、もはや本来の存在意義を失っていると思う。
製造業にはかつて、「技術者40代定年説」があった。本来「技術者40代定年説」とは、会社が発展して若い従業員が増えていく中で、心ならずも技術者として一線を退いて管理職になることを受け入れるための、自分自身を納得させるための方便だった。それがいつしか、「40代になったらもう技術者としては終わってる。その先、進歩はない。退化するだけ」という偏見の温床になってしまった。
1990年代、「技術者40代定年説」の悪は極大化した。日本の労働人口の増加が止まり、横這いから減少へと転ずる時代、50代の一般社員が珍しくなくなっていった。ところが、「技術者40代定年説」は健在だった。その結果、エース級の技術者を例外として、多くを占める「若手を少し上回る程度の実力」のベテラン技術者たちは、実力に見合った尊敬を得られなかった。多くの技術者が、失意の内にサラリーマン生活を終えていった。
ちょうどいま、「プログラマ35歳定年説」は、こうした状況にあるように見える。実際には35歳を過ぎてもプログラマであり続ける人が増えており、その実力は若いプログラマより少し上だ。にもかかわらず、35歳を過ぎたプログラマは、偏見ゆえに、一部のエース以外は(とくに若い世代から)不当に低く評価されている。
たぶん、いま35歳のプログラマの大半は、65歳までプログラマであり続けると思う。そして、プログラマとしての実力は、総合的には僅かずつ上がっていく。
「中高年のプログラマはたいてい無能」などと無邪気に発言する人々の口をふさぐことはできない。でも、プログラマ自身が「プログラマ35歳定年説」を内面化することだけはしないでほしい。「35歳を過ぎたらもうプログラマとしての成長はない」と思ってしまったら、本当に成長は止まる。誇りと自信を持ってプログラマを続けてほしい。
いま60代後半の私の先輩技術者の方々は、自分が50代に差し掛かると「技術者40代定年説」に対して「ふざけるな!」と奮起した。90年代の前半には苦戦が続いたが、次第に戦況は好転していった。そして21世紀になる頃には、「技術者40代定年説」はついに「愚論」「謬論」とされるようになった。偏見に屈せず、愚直に結果を出し続けた成果だった。
私は先達方が偏見を振り払った道を歩むので楽だが、同世代のプログラマは、これから苦難の道を行くことになる。どうか、実力で偏見を吹き飛ばし、「プログラマ35歳定年説」を過去のものにしてほしいと願う。
残念ながら今のままの業界では一生プログラマでいれるのは、特別な能力のあるほんの一握りの人しかいないと思います。
そうではないことが、最大の問題。35歳定年説は、そもそも三角形の人口ピラミッドから生まれたもの。だから、人口ピラミッドが少子高齢化を反映して逆三角形へと変貌していけば、ふつうの人が65歳までプログラマを続ける社会になっていく。つまり、35歳定年説という偏見に苦しめられる人が、どんどん増えていく。
35歳定年説で最悪なのは、35歳を過ぎると「能力が落ちる」と思われていることだ。これは事実に反するだろう。私の勤務先は製造業だが、平均するとベテラン技術者の方が少し生産性が高かった。この事実はかつて、労働者の自己評価とは合致していたが、同僚へのイメージとは乖離していた。個人としての先輩は尊敬しても、世代論になると「ベテランは無能」と決め付ける、そんな矛盾があった。
総合的には能力が落ちていないのに、他者からの評価がどんどん落ちていくのは理不尽だ。許せない。この怒りが諦めに変わったら、偏見は自己成就してしまう。そうなる前に、35歳定年説なんてバカな偏見はぶっとばさなければならない。