趣味Web 小説 2011-10-20

図書館が本を廃棄する理由

1.

本の維持管理費が足りないので、利用頻度の低い本が大量に捨てられているという話。ざっと読んだ感じ、市民向けに雑多な本を買って棚に並べている街中の図書館ではなく、大学図書館とかの話のようだ。

a)

はてブで「本を売れない理由がわからない」という声が上がっていた。私も同感だった。が、じっくり読み直してみると、本を売れない理由がわかった気がした。

ようするに、必要な作業を粛々とこなすことが最優先になっているんだな。

図書館のやり方に文句をつける側は、たったひとつ「廃棄すべきでない本が廃棄されている」例を発見すればいい。だが、対処する側は、10万冊を相手にしなければならない。とにかく予算が足りないのだから、本を処分する必要がある。記事の後半にある通り、それをしなかったら、買うべき資料を買えなくなる。

ところが、「この資料なら手放していい」の基準が、人によって違う。金を出さずに「本を捨てるな」とばかりいう人が、やたら多い。だから、本の廃棄はこっそりやるしかない。痕跡を残してはいけない。

これが、本をシュレッダーにかけてしまう理由だ。廃棄された本の実物があると、それを見て「これを捨てるなんてとんでもない」と思う人が、必ず出てくる。しかし、シュレッダー済みの紙資源なら、誰も文句をいわない。「ある」ものが捨てられるのには抵抗する人も、「リストに本が見当たらない」ことは気にしない。全ての本を揃えている図書館は存在しないので、「最初からなかったのかな?」と思うだけ。

b)

  1. 現状以上には金を払わない
  2. 新しい資料を買ってほしい
  3. 古い資料を捨てないでほしい

これら3つの要望は矛盾しているが、優先順位は上に並べた通りだろう。利用頻度の低い古い資料は、基本的に捨てるのが妥当なのだ。新しい資料は大勢が利用するから、1冊しかないのでは困る。だが黙っていれば捨てられたことに誰も気付かないような資料は、観念的には貴重であっても、「世界のどこかにあればいい」。

さらに踏み込むなら、たとえ世界に1冊しか残存していない本だとしても、同種の本が他にあって、それで調査・研究の用は9割方足りるなら、100年に1回の利用に備えて保管し続けるのはメリットよりコストの方が大きいだろう。ごく稀に、そこで失われた1割が極めて大きな社会的損失を招くことがないとも言い切れないが、そんなことを恐れて継続的なコスト負担をしてくれる人はいない。

c)

というわけで、だいたい私は納得したのだ。でも、グーグルブックスで電子化されている本の廃棄すら反発しながらやっぱり金は出さない人の存在と、アメリカでボーダーズという大きな書店が閉店したとき商品をゴミ箱に捨てた話には首を傾げる。とくにボーダーズの話が謎。アメリカにはブックオフのような巨大な古書チェーンは存在しないのだろうか……。(調べるのは面倒なのでパス)

2.

私が好んで利用する市町村や区が運営している市民向けの図書館では、古い本や雑誌の無料配布を、しょっちゅうやっている。高額な資料や郷土史などを例外として、「この本を廃棄するなんてとんでもない」という声が上がるような本を最初から蔵書していないので、予算の都合で自由に放出できるわけだ。

中央図書館と分館でダブっている本は、分館の棚から消えるとき、市民に無料で配布される。廃棄印を押して「ご自由にお持ちください」の札が下がっている「廃棄図書コーナー」に並べられる。1ヶ月置いておいても誰も引き取らなかった図書は、新聞などと一緒に廃品回収に出される。

本館の棚から書庫へ移動した本は、利用頻度のチェックと、県内の他の図書館にどれだけ蔵書があるかのチェックが、年1回行われている。利用頻度が低く、県内にたくさん蔵書がある本は、予算の都合で手放さざるを得ない分だけ、無料配布の対象となる。新聞は保管したりしなかったり。判断が分かれるところらしい。

私が知人に聞いた話では、ざっとそんな感じ。「その資料は近隣図書館からの取り寄せになります」といわれて怒る市民はいないそうだ。たぶんゼロではないと思うけど、「増税します」といったときとは比較にならないだろう。

3.

私の出身大学の図書館では、私が在籍していた頃は、書庫を閉架にするか開架のまま頑張るかが議論されていた。理念的には開架式の方が資料へのアクセス性の観点で優れているのだが、ほとんど利用されない資料のために机や椅子を減らし、通路を狭くしてまで開架を維持するだけの価値はあるのか、みたいな話。

もともと「書庫」は半開架で、薄暗くて天井も低く、学部生が近付くことは稀だった。が、この「書庫」の満杯が近付いており、一般書架から「書庫」への移動が滞っていたわけだ。そこで「書庫」を閉架にして密度を上げ、一般書架を現状維持とするか、「書庫」への移動を凍結して一般書架の密度を上げていくのか、という話だったと記憶している。

本を捨てるとかいう話を思えば、呑気な議論だったな。それに雑誌とか、電子化しても誰も文句をいわなさそうな図書が大量にあったし、たぶん今でも資料を捨ててはいないと思う。あ、縮刷版のない新聞は、当時から捨てていたっけか。まあ、捨てるよな……。邪魔だもの。

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