ウェブだと対面では考えられないような態度をとる人が増えるのは、どうしたわけか。
ふと思い出したのが、10年ほど前、学生時代に体験したこと。ゼミで教授にナメた口をきく学生は珍しかったですが、私以外はみな、教授が席を外した途端に尊敬語が消えてしまうのでした。例えば、ゼミ中は「先生が示された仮説は……」といっていたのに、学生同士の会話になると「先生がいってた仮説ってさぁ……」になってしまう。
こうした学生たちにとって、先生に対する「尊敬」は、処世術や礼儀の領域にしか存在しない。自分自身は先生に対して尊敬の念を持っていないから、先生がその場にいなければ、もう尊敬語を使わない。
あるとき「徳保くん、さっきからずっと尊敬語を使ってるけど、もう先生いないよ(だから尊敬語は使わなくていいんだよ)」と素で忠告してくれた親切な人がいて、私はのけぞりました。後日、「先生を心の中では尊敬していない学生の集まりの中に、本当に先生を尊敬している学生が混じっていると不都合なので、排除される。だから話を合わせておいた方がいいよ」という解説(私の理解と要約なので注意)までいただき、感謝しました。私はしばらく考えて、ゼミ生同士でつるむことを避け、尊敬語の方を守る道を選びました。
話を戻すと、こうした人々は学校や組織の中での権力関係に着目してアドホックに尊敬語を使うかどうかの判断をしているので、利害関係のない相手には尊敬語を使わない。ブログのコメント欄などにやたら高飛車な態度で書き込む人がいるのだけれど、「デメリットがないor小さい」と思えば、感情を素直に発露してスッキリすることが最優先になるわけです。
でも対面の場合、いろいろ不都合もあったりしますのでね。殴られたりしたら痛いし。無用のリスクは取りたくない。それで、「会って話したら態度が全然違っていて驚いた」なんてことが起きます。でも、会って話しているときは相手を立てていても、もう二度と会わない(から殴られる心配もない)と思えば、別れた直後からネット上の態度は感情の垂れ流しに戻ってしまいます。
で、ウェブに飛び交う言葉を観察するに、まず政治家は尊敬されていない。作家先生も、尊敬しているのはファンだけ。いや、ファンですら、とくに尊敬していないように見える人が珍しくない。弁護士さんもお医者さんも(当人のいない場所であっても尊敬語が使われるほどには)尊敬されていない。スポーツ選手もそう。
しばらく興味を持って周囲を観察していましたが、結論としては、「ふつうの人」に尊敬されている人は存在しないようですね。皇室関連の話題ですら、庶民の日常会話においては、尊敬語が使われていない。私の周囲では、天皇陛下の東日本大震災へのメッセージについて語る人の大多数が「天皇がいってたこと」「テレビで話してた言葉」といった表現を選択し、「陛下が仰っていたこと」「陛下のお言葉」とはいいませんでした。