趣味Web 小説 2011-10-28

「怒ったからやっていいこと」なんて、何もない。

1.

「店が注文を忘れていて1時間も待たされたので、皿をひっくり返してやった」という話。

「怒る」のは問題ないが、「怒ったからやっていい」ことなんて、何もない。暴力は論外として、例えば「怒ったから大声を出していい」のか? 私はNoという。大本の原因はお店にあったとしても、大声を出すという選択をしているのは自分。怒り方を選ばなかった責任は、誰にも転嫁できない。

怒った人がやっていいのは、怒っていない人でもやっていいことだけ。

2.

あと、個人的には、お互い様の精神でいきたい。「注文が忘れられているのかな?」と思ったら、「いつ頃できそうですか?」と訊ねるようにしたい。完璧な店員も、完璧なお店も、現実には存在しない。私が仕事でミスをするように、お店にもミスはある。ミスを咎めるより、お互いにミスをフォローできる方がいい。

これはひとつの理想であって、現在の私が実際にいつもそのようにできているというわけではないが、とにかく私が目指すのは、そういう世の中。

お節介は無用だ。ダメな店は自然と潰れる。市場による淘汰に任せるべき。全てのお店が、全てのお客さんを満足させる必要はない。ときどきオーダー抜けする店員と、「別にいいよ」という客の組み合わせで成り立つ店だって、あっていいはずだ。お互い緩くやっていきたい人たちにも居場所は必要なんだよ。

私のような間抜けにだって、就職先はあった方がいい。システムでフォローしきれない領域は、常にある。有能ならざる店員と、お互い様の精神を持った客の相互フォローで、底辺の社会を回していきたい。行きつけの店に、ある日優秀な人がやってきて、「何だこの店は!」と怒って皿をひっくり返したら、悲しくなる。

「皿をひっくり返さない」「大声を出さない」という前提があるなら、私は「怒る」ことまでとやかくいわない。ただ、なるべくなら、お節介はやめて、次からは他の店を選ぶという方法を採って、棲み分けに協力してほしい。現状維持でOKな「その店に通い続けている客」にとって、無用の変化を持ち込む人は迷惑。

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