趣味Web 小説 2011-12-24

著作権切れの意義って、そういうことじゃないでしょ。

1.

原本は著作権が切れているので、新たに訳して無料で公開しているというウェブサイト。はてブでは大歓迎されているが、「読みにくいから青空文庫に入れてほしい」みたいな意見も散見される。青空文庫の難点は、新訳を敢行した訳者への名誉の分配が期待できない点にあると思う。「Toko&Tonさんすごい」ではなく、「青空文庫すごい」になってしまうことが、容易に想像できる。

青空文庫で大長編をテキスト入力されている方がたくさんいらっしゃるが、ほぼ無名。かくいう私も、青空文庫のボランティアの方々の名前を覚えていない。関心が薄いためか、何度目にしても、覚えられない。冷たい話である。

2.

所詮、一部の理論家以外は、単にコンテンツの値段を下げたいだけなのだろう。死蔵されているような駄作には関心がない。名作を、権利者に金を払わずに楽しみたい、そういう身勝手な気持ちがあるだけなんだ。

5年経っても、何も変わっていないと感じる。

ホームズシリーズは、今も売れ続けている。無料で読みたければ図書館へ行けばいい。売れ続けている本編それ自体を権利切れで無料公開することに、私は積極的な意義を見出せない。

21世紀になってトーキー映画の権利がどんどん切れ、1枚500円とかで激安DVDが出回った。結果、(画質、字幕、吹替えの質などが)まともな名作DVDシリーズが立ち行かなくなった。『ローマの休日』クラスの名作中の名作は大丈夫だが、ちょっとマイナーな作品になると……。いずれ字幕や吹替えの著作権も切れて、「まともな名作DVD」のコピーが出回るのだろうが、心ある権利者が安売りを避けて丁寧な売り方をしていた頃の方が、マシだったような気がする。

絶版・死蔵されてきたようなコンテンツの場合、「無料です」「ネットで読めます・視聴できます」ということで、状況はよくなるだろう。だが、毎年、きちんと売れ続けているコンテンツは、ちゃんと稼ぎ続けてほしい。「本編の無料化」で文化が豊かになるとは思えない、というのが実感である。

映画のDVDと比較すれば、書籍の世界は、よほど状況がいい。『星の王子さま』の新訳は、旧訳より価格が高く設定されているものが多く、それでも売れた。そうした経緯・背景があって、まさかの西原理恵子訳が出た。ポジティブな連鎖だったと思う。ホームズシリーズに無料の翻訳があっても、それはそれでいいのだが、はてブの反応には違和感がある。

「あのホームズシリーズが無料で読める」ことへの快哉に、私は乗れない。ホームズシリーズにすらお金を払いたくない、図書館へ通ってまで読みたくない、という人らは、所詮、ケチで面倒くさがりなだけに思える。

3.

コナン・ドイルさんが亡くなったのは1930年のことで、1980年には原作の著作権が(日本では)切れた。もともと複数の翻訳があったため、『星の王子さま』のように新訳がドッと出ることはなかったが、小学生向けに簡略化したものが散発的に各社から刊行され、私はその恩恵を受けて育った。

小学校中学年向け高学年向け中学生向け……と揃っており、私は同じ物語を異なるバージョンで繰り返し読んだ。そんなわけで、私のミステリー小説体験の基礎は、ホームズシリーズである。江戸川乱歩さんの少年探偵団シリーズも好きだったが、私は同じ本をあまり再読しないので、いまひとつ印象に残っていない。(小説とマンガ、翻訳が違う、など、作品自体に何らかの違いがあれば、物語は同じでも再読は苦にならないが……)

時代を超えて売れ続けている作品の「著作権切れ」が、「有料のものを無料にする」ことで浪費されるのは、じつにつまらない。新訳、小中学生向けのリライト、自由闊達な翻案など、様々な横展開を行うきっかけになるのが一番いい。

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