趣味Web 小説 2011-12-25

「基準を明確化しろ」は感情論のひとつ

著作権の侵害が明らかなゲームのプレイ動画を削除するのに「著作権侵害」以上の理由の説明は不要だろうが、「あっちはよくてこっちはダメな理由がわからん」という疑問は出るだろう。無視すればいい話だが、アリカ社は疑問に対し明瞭に答えられないことを苦にして、全ての動画を削除する道を選ぼうとした。

この件では、「きちんと説明できないとダメ」という価値観の根深さを、あらためて思い知らされた。結果的には角川グループのYouTube Q&A:MAD動画への対応と似た着地になってよかったけど、「恣意的な削除だ!」という声は消えないだろう。法的には「権利者の勝手」を押し通せるはずだが、現実にはどうか。世間の支持も無視できない要素だろうし、それに何より、「きちんと説明できないことに耐えられない」と感じた、自分自身と向き合っていかねばならない。

「基準を明確化しろ」なんてのは感情論のひとつなのだが、世間では「論理的な意見」「真っ当な意見」「筋道の通った意見」などとポジティブな評価を得やすい。この手の魔法の言葉には気を付けていきたい。逆に、私が自説を押し通したい場合には、魔法の効力を十全に活用させていただくつもり。

実際のところ、基準を明確化することにはメリットもデメリットもあって、利害対立が生じるのは自然なことだ。「所詮はそれだけの話」と双方が認識すれば、落ち着いて妥協点を探ることもできようが、そこに「曖昧は悪」という価値観が入り込むから、厄介な議論になる。

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