歩きタバコによって周囲の人が火傷する事例が、全国では毎年数十件起きているのだそうだ。日本には喫煙者が2千万人ほどいる。その5%が歩きタバコをするとして、100万人。年間250日ほど外出し、歩きタバコをするとして、1日1回以上の歩きタバコを「1件」と数えると、2億5千万件。大雑把にいえば、確率は1千万分の1である。
タバコのポイ捨てが原因と思われる火事などと比較すれば、歩きタバコによる直接の火傷被害は、大きなテーマとは思えない。が、新聞記事で、直接の火傷被害の存在を理由として歩きタバコに罰金を課そうという話が載っていた。きわめて確率の低い事象は、ヒヤリハットの経験がないので、いくら注意喚起されても他人事と感じてしまう。自分は大丈夫、と思ってしまう。だから、罰金によって、「歩きタバコはダメ」を全員にとって「自分の問題」にしてもらおう、という発想だ。
理屈はわかるが、私には、実現したい利益と罰のバランスが取れていないように思える。功利主義は、主要先進国から「過剰な刑罰」を排除する倫理的支柱だったが、世間は功利主義を場当たり的に適用し、風紀の引き締めといったテーマになるとすぐ「罰の恐怖による統治」を志向する。これもまた「確率の低いことは他人事と感じる」の一例なのではないか。