今回の提訴に先立つ公開質問状の後、私が利用しているBOOKSCANでは、東野圭吾さんをはじめスキャン代行を拒否する著者の本をスキャンしてくれなくなった。個人的には、大沢在昌さんの新刊がスキャンできなくなるのと、五木寛之さんの本が未スキャンのまま残っているのが痛い。
もともとBOOKSCANの利用規約によれば、スキャン依頼者が著者に個別にスキャン代行の許可を取らねばならないことになっている。スキャン代行拒否を明言されている作家さんの本をスキャン依頼するのは、明らかに規約違反の不正利用者であろう。作家さんらの問題提起によってBOOKSCANのサービスが悪くなったのではなく、私の利用規約違反がバレたという話でしかない。
私の場合、学生時代に作った自分の手書きのノートとかもけっこうスキャン依頼してきたので、商業出版ばかりスキャン依頼してきた人よりちょっとだけマシだとは思うが、五十歩百歩には違いない。私はBOOKSCANで作成したPDFを悪用(私的利用の範囲を超えて他人にコピーを譲渡するとか)しないと誓うが、長らく著者の許可を得ずにBOOKSCANを不正利用をしてきた私のような人間の「誓い」など、誰も信用すまい。
私の場合、「最初から電子版を売ってくれたらスキャン代行業者を利用しない」ということはない。正直、電子版はあまり読む気がしない。読むなら断然、紙がいい。
でも、「もう、全体を再読することは金輪際あるまいな」という本は多々ある。そういう、「一部だけ再読するかも」という本が、どんどん部屋を埋めていく。本が占拠する空間も、本の質量も、維持にはコストがかかる。だが私は、「増える蔵書を保持し続けられるだけの収入」を稼ぐ意欲を欠いている。
だから……というのが、私がスキャン代行業者を利用する理由。基本的にネガティブな動機でスキャン代行を依頼している。
ポジティブな動機を強いて挙げるなら、BOOKSCANプレミアムではデフォルトでOCRにかけてくれるので、テキストの検索が可能になる。意外と認識精度はいい。おかげで「このフレーズ、どこかで目にしたんだよな……」というのが、けっこう簡単に探せるようになった。愛読書はスキャンせずに紙のまま持っているが、愛読書ならPCでテキストを検索する必要など、そもそもない。1・2回読んで満足したような本でこそ、スキャンは有効だと感じている。とはいえ、その程度の利便性のために1冊200円のスキャンコストをかけているのではない。所詮はオマケである。
ちなみに、なぜ自分でスキャンしないのかといえば、5年ほど前に何冊かやってみたところ、あまりにも面倒だったからだ。「これなら涙を呑んで蔵書を手放す方が私にとってはリーズナブルだ」と思った。せっかくスキャナを買ったのに、全部で5日間くらいしか使っていない。もったいなかったな。
裁断済みの本を返却してくれるスキャン代行サービスを私が利用しないのは、それではスキャン代行を依頼した最大の理由が解決できていないからだ。返却された紙束を廃品回収に出すだけ、無駄な手間だと思う。
私が東野圭吾さんのファンで、たくさん著作を読んできた……ということとは関係なく、電子書籍が普及しても、こうした違法スキャン業者はなくならない
という東野さんの予想は正しいと思う。私のように「紙で読んで、PDFでストックする」ことを希望する読者がいる限り、スキャン代行の需要はなくならない。
将来的に「紙の本と電子版の両方を買って、読み終えた紙の本を手放す」という解決策はある。ネイティブの電子版は、きっとスキャンして作ったPDFより読みやすいだろうし、OCRのミスなんてのも原理的に存在しないだろう。悪い話ではない。
しかし、スキャン代行業者で作ってもらったPDFには、DRMがかかっていない。ファイル閲覧の継続性を考える際、これは大きなポイントになる。
そして価格。BOOKSCANプレミアムの1冊200円という価格は、高いといえば高い(自分でスキャンする手間を思えばタダみたいなものではある)が、たぶん電子版を買うよりは安い。質の差で価格差には納得できるとしても、体積と質量を圧縮したいと考えた本について、私はそれほど高い品質を求めていないように思う。検索して拾い読みするだけで、もう二度と通読しない本なのである(もし通読するなら買い直す/実際、買い直した本が何冊かある)。
最初から電子版を売ってくれれば……という人も、実際それなりにいるのだろうけど、私のスキャン代行需要には全く影響しそうにない。そして、私のようなユーザーがいる以上、電子書籍が普及してもスキャン代行業者は滅びない。