趣味Web 小説 2012-01-07

どうでもいい話を長々と

1.

何度書いても誰も答えてくれないのでまた書くのですが:
『「○○(=歌手または演奏者)のファンなんです」と公言しながら、(ほぼまちがいなく)著作権侵害でアップされたそのアーティストの動画サムネイルを嬉々としてブログなんかに貼り付ける』というよくある行為、あれはいったいどういう心情なんですか??

私自身はそういうことをしない人なのだけれど、過去にあちこちで見かけた主張の断片をつなぎ合わせると、「PVの無償配布によって価値が毀損されるような商品で食べていこうと考えるのは時代遅れ。アーティストは、楽曲そのものや映像ではなく、コピー不可能な体験(だけ)を商品とすべき」ということらしい。

この手の「べき論」は、アーティストの意向より上位に位置づけられている。

  1. アーティストが望むと望まざるとにかかわらず、ユーザーに可能なことは全て「やってよい」とするのが正しい。ルールでユーザーを縛って我慢を強いるのは権利の濫用である。
  2. コピー可能なものから利益を得ようとすれば、ユーザーの自由と衝突する。それは悪である。コピーが「できない」時代においては、事実上、権利者によるコピー制限は消費者の自由と衝突しなかったから、コピー制限が問題にならなかったに過ぎない。
  3. 文化の発展こそ善である。文化の発展とは、より多くの人々が、素敵な音楽や絵画や映像や言葉でいっぱいの生活を送れるようになることである。文化の発展を実現するためには、権利者の要望に沿ってコピーを制限するより、コピーできるものは全てコピーしてよいというルールの方がよい。
  4. もしコピー自由の世界がアーティストの収入を減らしたとしても、問題ない。芸術は、お金ではなく、衝動が生み出す。「売れるから制作される」芸術はニセモノである。私たちはホンモノにしか興味がない。よって、「市場が縮小するとアーティストがいなくなる」などという脅しはナンセンスだ。「自称アーティスト」の化けの皮が剥がれ、本物と区別がつくようになるのは、よいことである。
  5. アーティストが値段をつけるのはコピー不可能な体験に限るべきであり、コピー可能なものは無料とするのが正しい。コピー可能なものは全て体験を売るための広告と割り切るべきだ。そもそもコピー可能なものを売ろうとするのが間違いなので、無断転載動画によって動画の売上が下がったとしても、我々は関知しない。

以上が、私の理解だ。各個人が、全項目に賛同しているわけではない。だが、無断転載された動画のサムネイルをブログに貼ることに抵抗ない人々の感覚を総合すると、だいたいこんな感じではないか……。

2.

私自身は、次のように考えている。

日本の現行の著作権法は、社会全体の利益に依拠して著作権を認めるという論理構造となっている。私はこの立場に与しない。まず権利がある。基本的には、権利は社会の利益より上位にある。そこから考え始めて、社会の都合と折り合いをつけていく。

個人の著作物の場合、権利者が亡くなったら、「もういいだろう」と思う。法人の著作物の場合は、売上が一定額を下回る状態が一定の年数を超えたら、「もういいだろう」と思う。また創作性は狭く捉えるべきだ。多少の類似を、著作権の侵害とみなすべきでない。

注:例え話をひとつ

人を中傷する言葉が存在しなかった世界で、あるとき、人を中傷する言葉が発明されたとしよう。人を中傷することが、ついに可能になったわけだ。

従来は、不可能なことを規制するルールを作るのはナンセンスだから、「人を中傷してはいけません」というルールは存在しなかった。「人を中傷してはいけません」というルールは、人を中傷する言葉が登場してから制定される。しかし「人を中傷するのは悪いことだ」という倫理は、社会に内在していたのではないか。

つまり、人を中傷するのは、もともとやってはいけないことだった。人を中傷する言葉が発明されたとき、その使用を禁ずるルールが明文化されていなかったのは歴史的事情でしかない。ゆえに、「いったん拡大した自由が後発のルールによって制限された」とみなすのは間違いだ。

3.

もう少し話を続ける。

だれかの故意であれ過失であれ、その電子書籍が、あるいは“自炊”したファイルが、ネットに出てくることを織り込み済みなんじゃないの?

“ネットに落ちてるものを拾う”時代が来ることを期待していないと言い切れるの?

私はこの件、「著作権侵害を抑制するための司法関連予算の増額(のための増税)なら受け入れる」と考えている。

「悪いことをする人をゼロにするため物理的に消費者の自由を奪って、利便性をすっかり犠牲にする」よりも、「相応のコスト負担をしてでもルールによる規制を貫き、9割の悪事を抑制する」方が、バランスが取れていると思うのだ。

国際的な著作権侵害抑圧体制を組んで、せめてこれほどあからさまな著作権の侵害は、一般人が容易にアクセスできる世界から消し去るべき。この手のブログがリンクした動画は(権利者に許可を得た配信でない限り)30分以内に消える……となれば、一般人は動画へのアクセスルートを失う。

「日本人の1%しか著作権を無視した動画を視聴しない」あたりを防衛ラインとすればいいと思う。

4.

もともとの話題である、書籍のスキャン代行と訴訟の件だけど、原告は損害賠償を求めていない。代行業者がスキャンしたデータが無断転載された事例を発見できていないのだと思う。悪いことをする人は、ほとんどいないのではないか。そのごく僅かな人のために、全員の利便性が犠牲になるのは不満だ。

以下、2.で書いたことと矛盾していると思われるかもしれないが、書く。

スキャンの代行自体は、権利者にとって経済的な損失がない。とくに私の利用しているBOOKSCANはスキャン後に紙束を廃棄するので、読み終わった本を古書店に売るより、経済面では権利者に優しいはず。「権利者に無断で本を裁断するのが許せない」というなら、古書の回収業者が本を溶かすのも許せないのか? 「スキャン代行の場合に限って裁断が許せない」というのも、権利者の自由だとは思うが……。

ともかく、BOOKSCANのやっていることは実質的には複製というよりメディアの変換であって、原本は消えてしまうわけだ。それを、無断複製禁止のルールで縛られるのは残念だ、という感覚が私にはある。しかも縛る本当の理由が犯罪抑止のためだとするなら、なおさら残念だ。犯罪に対処する司法のコストって、全員の我慢と釣り合うほど大きいのだろうか?

究極的には権利者の側に立つことを表明した上で、私の希望を申し添えるなら、まずスキャンの代行は認めてほしい。そして不届き者には警察力で対抗したい。その経費を捻出するための増税なら、私は同意する。

補記:

BOOKSCANの利用規約によれば、スキャン依頼者は、事前に著者や出版社にスキャンの許可を得ておかねばならない。なので、本当のことをいえば、真の問題は、私の怠惰でしかない。いちいち許可を取りたくない、面倒くさい。本質的にはそういう話なのに、ごちゃごちゃ関係ないことをいっぱい書いて、自分の問題から目を背けているわけである。

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