趣味Web 小説 2012-01-08

人事評価を給与に反映しない合理

1.

各所で話題になっていたんだが、これは本当に凄いな。労働組合の行動原理としては間違っていないんだろうけれども、世の中の標準的な勤務環境と比べるとあまりにも内容が美麗すぎて困る。

さすが労働組合。運動会で左翼系の教育者が「一位を決めない。速くても遅くてもみんな一等賞」とかいって、子供達が真面目に走らなくなる現象と一緒だな。まあ、首尾一貫しているといえばそうなんだが、じゃあなんで人事評価をするの? 昇進や給与に反映させるためなんじゃないの?

私の勤務先は純然たる民間企業だが、人事評価の給与への反映をしていない。

あと、山本一郎さんは相手が主張していないことまで勝手に議論に含めていて困るのだが、大阪労連だって人事評価と昇進の関連付けまでは否定していない。私の勤務先でも、昇進には歴然たる差があるし、希望するキャリアパスを歩めるかどうかだって、(運の要素も相当に大きいが)人事評価に負うところが大きい。

この手の話題で、あまり安直に「民間なら……」とはいってほしくない。山本さんもそこは慎重に世の中の標準的な勤務環境と仰っているが、民間こそ、いろいろな給与体系を自由に選択してほしい。

2.

この手の話題は、結局のところ、どんな気質の社員を集めて会社を回していこうとしているのか、という問題に帰着するのだと思う。

成果主義みたいなものにウンザリしている中にも、優秀な人材はたくさんいるのだろう。私の勤務先には、毎年のように非常に優秀な方が中途採用で入ってくる。「これほど優れた方なら、同業他社で2倍くらい給金がもらえるのでは?」と思う。だが、ノホホンとした職場の雰囲気に、減った給料に見合うだけの価値を感じて下さっているのだろう。

とはいえ、2006年、2007年頃の、就職氷河期が一時的に解消された時期には、有能な若手社員がボロボロ抜けていった。優秀な人がみな、会社を去ったわけではない。でも「平均点」は下がったと思う。たぶん傾向としては「優秀な人ほど、結果平等に不満を持ちやすい」のだろう。

それに加えて、会社に残った優秀な人の少なからずが、昇進に積極的でない。だからポスト争いがない。むしろポストの譲り合いばかり目立つ。ゆえに、昇進試験はない。試験でふるい落とすほど、手を挙げる人がいない。それで、「優秀なのに昇進に消極的な人を、いかに説得して昇進を承諾してもらうか」ということに、管理職は心を砕くことになる。

人余りの時代になって、多くの会社が結果平等(的)な給与システムをやめた理由は、中から見るとよくわかる。現代の企業は優秀な人の割合を増やすことに注力すればいい。かつての人手不足社会では、マンパワーの確保こそが最重要であり、企業は優秀ならざる多くの労働者に譲歩しなければ、存続できなかった。

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