原発事故調の中間報告:雑感
昨年末に出たんだけど、非常に分厚くて、まだ一部しか読んでない。以下は、この中間報告に関するマスコミ報道を見聞しての感想。ただし報道の内容を私が正しく理解しているとも思えない。
さて、三流技術者の感覚としては、福島第一原発の事故は、最も単純には、非常用のディーゼル発電機がひとつの部屋にまとめて置かれていたことが原因。原発の背後の台地に予備の非常電源小屋を建てておけば、事故は起きなかった。非常用電源自体を増やすわけじゃないから、費用は100億円以内で足りたと思う。
あるいは、非常電源車に、冷却装置に電源供給するための変換プラグを積んでおけばよかった。せっかく海嘯後に電源車をかき集めたのに、電線をつなぐことができなくて使えなかったというのは、悲しすぎる話だった。これなんか、きっと対策コストは10億円スケールだと思う。
非常用電源を一箇所にまとめて置いておいたら、ひとつの要因でいっせいに壊れることがありうる。それは三流技術者にもわかる理屈。ランダム故障だけを想定して、非常用電源をひとつの部屋に複数並べて「冗長化を実現しました」というのは、おかしい。うん、それはそうだ。……というくらいの話なら、私でもついていける。でも、事故後の報道や、識者の発言には、ついていけない部分が多々ある。
- 炉の設計が古いとか新しいとか、私の感覚だと、「どうでもいい話じゃね?」となる。どんな原子炉だって、冷却機構がいつまでも止まっていたら、そりゃ壊れる。何冊か読んだけど、「今回の事故と同じだけの時間、冷却機構が停止したままでも壊れない原子炉」は存在しない、と私は理解した。
- 「原子力ムラ」とか、何だか話が迂遠すぎると思う。「非常用発電機はまとめてここにおいてあります」という説明に「えー!?」という人がいなかったのは、ボーンヘッドで十分に説明がつく。海外からターンキー契約で買ってきたものをそのまま設置したから海嘯対策が抜けていたというのだけれど、「人の想像力には限りがあるので、とりあえず非常用の設備は分散しておこうぜ」が基本なので、問題は海嘯が想定外だったことじゃなくて、安全対策の基本に忠実でなかったこと。
- 「事故が明らかにした原子力発電の真のコスト」とかいうのも、ピンとこない。非常電源車が到着後すぐに機能すればこんな事故にはならなかったとするなら、おそらく調査とかの人件費込みでも10数億円で防げた事故である。数十年に1回の割合で事故が起きる前提で賠償金の積み立てをしなければ云々てのは、納得がいかぬ。核のゴミとかは、事故と関係ないじゃないか。
- 安全基準の見直しが向かってる方向も、よくわからない。とくに浜岡の海嘯対策。別に、海嘯がきたっていいじゃないの。「海嘯は敷地内に浸入したけど、原子炉建屋の屋上(地上30m)にも非常用発電機があって、そっちは被害ゼロでした」で問題ない。海嘯の遡上高は35mもありえるけど、海嘯の高さ自体は15m程度なわけで、地上30mなら安全だろう。不安なら熱心に防水したら万全。でも浜岡では、年単位の時間がかかる大工事をするのだそうだ。いま必要なのは、安全基準の見直しよりも、高専生や大学生向けの教科書に書いてあるくらいの「安全設計の基本」を総点検することなのではないだろうか。だってさ、基準だけ厳しくしたのでは、「基準を満たしたつもり」のボーンヘッドを見逃しそうじゃない。
まあね、「問題が発覚したときには、当該の問題を解決するだけではモグラ叩きになるので、問題が発生した原因を追求しなければならない」ということもまた、教科書には書かれていて、理由の理由の理由を探っていくこと自体は正しい。でも、深掘りの方向性に、私は疑問を感じるんだよね……。
デカい社会問題に突撃したって、実りがなさそう。問題の根本に迫ったようでいて、「対策したつもり」の領域に片足突っ込んでしまっていると思う。それよか、もっと形式的に、例えば「バックアップシステムの冗長化が実現できている」という判断の基準を正しく設定し直して、全国で再点検をするというような、そんな方向で頭を使ってくれたらいいのに。
一人の三流技術者としては、そう思います。
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注意書き
- 筆者は徳保隆夫(とくほたかお)です。1980年愛知県生まれ。千葉県成田市育ち。メーカーに技術者として就職後、関東各地を転々としています。……という設定です。
- 私の文章は全て実記ではなく小説なので、客観的事実と異なる記述を多々含みます。
- 著作権は主張しません。詳細はInfoで、過去ログなどはNoteでご案内します。