趣味Web 小説 2012-01-16

今夏の節電目標

なかなか、原発再稼動の目処が立たない。民主主義がキッチリ機能していて、背に腹は代えられない地元市町村は再稼動に賛成しても、府県のレベルでは容易には賛成しない。地方や国のレベルでは、なおさらだ。漠たる不安が。列島を覆っている。

私は、その不安を吹き飛ばす言葉を持たない。自分なりの考えはあったが、ふだん顔を合わすエンジニア仲間にさえ届かなかった言葉を、ここに書き連ねる気にはなれない。

もはや電力不足は不可避だ。大勢が節電に精を出し、だが結局は30年前と比較すればはるかに大きな電力を消費して、今年の夏も過ぎゆくのだろう。私が原発の再稼動を希望してきたのは、所詮、「30年前の電力消費水準では耐え難い」という私的な事情に過ぎまい。

昨夏、私の電力消費量は113~127kWh/月だった。正月、実家に顔を出したとき、私が生まれた頃の家計簿を見せてもらった。8月の電力消費量は、1家3人で118kWh、1人当たり約40kWhである。とても真似できぬ。「一人暮らしは贅沢」という持論が、ブーメランのように突き刺さった。

私が一人暮らしをしているのは、人間不信ゆえだ。原発不信より、よほど根拠のない話だと思う。とてもではないが、他人の不安を哂える自分ではない。それなのに「113kWh/月って、そこそこ節電してない?」と自慢げだったバカらしさ。

誰にも、できることとできないことがあるものだ。私は私にできることをしていく。こうありたいと願う生き方を、可能な限り実践していく。それが、弱く愚かな私を支えてくれた人々に対して私ができる、唯一の恩返しだと思う。

テレビなんか見るのをやめたらどうか。ラジオでいいだろう。エアコンがどうしても必要な人もいるだろうが、あなたがその「必要な人」なのか。みんなで我慢すれば、どこも停電せずにすむのに。……他人を見ると、そういうことを、いいたくなる。もちろん、いいたい人はいえばいい。でも、私は、いいたくない。少なくとも、今は。

視覚的にも情報漬けにならねば心の平穏を保てない人、非常時にもエアコンの快適さを手放せない人……長期的には、その弱さは克服されるべきだ。が、今いっても仕方ない。私が節電することで、少しでも停電地域が狭くなり、誰かの心が安らぐなら、それでよいと思う……いや、違うな……よいと思える、私でありたい。

震災から一週間後に書いた、私の所信表明。「こうありたい」という気持ちは、今も変わらない。かつて「他人のことより、まず自分のことを考えなさい」と母はいった。当時の母と同じくらいの年齢になってみて、あれは自分自身に言い聞かせる言葉でもあったのだろうと思う。

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