趣味Web 小説 2011-03-18

それでよい、と思う。(地震から一週間)

地震から一週間が経った。

1.

人々の買いだめによる食品と電池の品薄は、西日本へと波及した。連休中には、全国的な現象になるのだろうか。それとも、そろそろ落ち着きを取り戻す頃合なのだろうか。

私はというと、地震後、徒歩通勤がつらくて中古の自転車を1台買ってしまったが、他は何も買っていない。あれこれ食料を備蓄していた甲斐があった。うどん、そば、餅などを合計すれば、まだ15食分ほどある。幸い、私の暮らす街ではガスも水道も早期に復帰したから、乾パンや水の在庫は20食分以上も残っている。

2.

強い人は弱い人のために、賢い人は愚かな人のために、健康な人は病を抱えた人のために、力持ちの人は非力な人のために、冷静な人は動揺している人のために、用意のいい人は備えを怠った人のために、寛容な人は狭量な人のために、周囲に配慮できる人は自分しか見えていない人のために、いるのだと思う。

いま、食べ物、飲み物、電池などをたくさん買わないと不安に押し潰されてしまう人のために、私は何も買わない。慎ましい食事をし、日が暮れれば眠る。私の懐中電灯の点灯時間は、一週間の合計で10分に満たない。こうして私が節約した分の商品や電気が、誰かの心を僅かでも安らかにするなら、それでよいと思う。

大画面テレビ、エアコン、乾燥機、……いつも通りの生活を維持せずにはいられない人のために、私は計画停電の対象地域かどうかによらず、日が暮れれば電気を消して毛布を被って寝ることにしている。厳しい節電生活に耐えられる者が耐え、電気を浪費せずにはいられない者を助ける。それでよいと思う。

昨日、小山市内のガソリンスタンドを利用するための渋滞が、隣の結城市にまでのびているのを見た。私は運転免許を持っているが、自動車を持たず、運転もしない。徒歩、自転車、電車のいずれかで移動している。栃木県内で車なしの生活をするには、ある程度の割り切りが必要だ。しかし、私が何かを諦めたことで、ここに並ぶ車が1台減ったのなら、それでよいと思う。

写真 計画停電の街に日が沈む

3.

誰にも、できることとできないことがあるものだ。私は私にできることをしていく。こうありたいと願う生き方を、可能な限り実践していく。それが、弱く愚かな私を支えてくれた人々に対して私ができる、唯一の恩返しだと思う。

テレビなんか見るのをやめたらどうか。ラジオでいいだろう。エアコンがどうしても必要な人もいるだろうが、あなたがその「必要な人」なのか。みんなで我慢すれば、どこも停電せずにすむのに。……他人を見ると、そういうことを、いいたくなる。もちろん、いいたい人はいえばいい。でも、私は、いいたくない。少なくとも、今は。

視覚的にも情報漬けにならねば心の平穏を保てない人、非常時にもエアコンの快適さを手放せない人……長期的には、その弱さは克服されるべきだ。が、今いっても仕方ない。私が節電することで、少しでも停電地域が狭くなり、誰かの心が安らぐなら、それでよいと思う……いや、違うな……よいと思える、私でありたい。

追記:

19日と21日に歩いて見て回った限りでは、うちの近所のスーパーでは、店の売り方、客の買い方ともに、ほぼ平常に復帰していました。21日夕方、私は購買抑制体制を解くことにしました。午前に並べられた商品が、半日経っても十分に残っていたからです。

まず、野菜などを平常通りに購入。野菜を買うのは今月いっぱい無理かもしれないと思っていたので、とても嬉しい。保存食の類は、少しずつ買い増して、1ヶ月ほどかけて地震前の備蓄水準を回復させる予定。21日には、うずたかく積まれたまま午前からほとんど変化がないように見える缶詰を購入しました。

米、電池、水、麺類は人気が高いらしい。私がそういうものを買うのは、4月以降でいい。私は、お店の人が張り切って仕入れたけど、売れ行きがパッとしないものから、少しずつ買っていきたい。

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