あ
い
各Webブラウザが、どれくらい古いHTMLの仕様までサポートしているのか調べようと思った。でも、全く情報が見つからない……。私の探し方が悪いのか、それとも本当にサポート情報を公にしていないのか。
私が知りたかったのは、HTML3.2にはあって、HTML4で廃止されたLISTING要素、PLAINTEXT要素、XMP要素に、最新のブラウザが対応しているかどうか。もし非対応なら、既にHTML3.2はサポートを打ち切られていることになり、「HTML文書の(現実的な)耐用年数は20年にも満たない」と(一応は)いえるのかな、と。
いやまあ、これら3つの要素はHTML3.2の時点でいずれも非推奨だったわけで、「HTML3.2対応ブラウザ」が絶対に対応していなければいけない要素ではないとは思うのだけれど。
関係ないけど、14年前、情報処理室のUNIXのMosaicでは、HTML文書のデフォルトの背景色はグレーだった。その後、図書館に入ったIEでは、デフォルトの背景色が白。おかげで、あちこちのウェブサイトがIEではえらくきれいに見えて、「うわー、すごいなぁ」と感動したことを覚えている。それが「HTML文書の見た目なんてWebブラウザ次第なんだな」という感覚の出発点。
<!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 3.2//EN">
<html>
<head>
<title>HTML3.2 test</title>
<meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS">
<META HTTP-EQUIV="Content-language" CONTENT="ja-JP">
</head>
<body bgcolor="#ffffee">
<h1>HTML3.2 テスト</h1>
<h2>XMP要素</h2>
<xmp>ABCDEFG
&
</xmp>
<p>「ABCDEFG」で改行され、2行目が「&amp;」と表示されたら、XMP要素の解釈に成功しているとみなします。「&amp;」が「&」になっていたら、XMP要素の重要な特徴が失われていることになります。</p>
<h2>LISTING要素</h2>
<listing>ABCDEFG
&
</listing>
<p>「ABCDEFG」で改行され、2行目が「&amp;」と表示されたら、LISTING要素の解釈に成功しているとみなします。「&amp;」が「&」になっていたら、LISTING要素の重要な特徴が失われていることになります。</p>
<h2>PLAINTEXT要素</h2>
<p>PLAINTEXT要素には、html要素の直下(つまりbody要素の外)に配置できる要素という特徴があります。以下のサンプルはbody要素終了後に記述します。「ABCDEFG」で改行され、2行目が「&amp;」と表示されたら、PLAINTEXT要素の解釈に成功しているとみなします。「&amp;」が「&」になっていたら、PLAINTEXT要素の重要な特徴が失われていることになります。</p>
</body>
<plaintext>ABCDEFG
&
</plaintext>
</html>
XMP | LISTING | PLAINTEXT | |
---|---|---|---|
IE9 | |||
Google Chrome | |||
Firefox | |||
Opera |
PLAINTEXTが全滅。具体的には、</plaintext>までブラウザに表示されてしまうというパターン。これはドラフト
すぎやまこういち先生の80歳を祝う某誌に掲載予定だった原稿が、雑誌の方向性がコラム中心→インタビュー中心に変わったために宙に浮いてしまいました……。で、先方の了解も得られましたので、ここに公開しておきます。
『WiLL (マンスリーウィル) 増刊 すぎやまこういちワンダーランド』と読み比べてみると、8割超の内容が本人と関係者へのインタビューと重複。リンク先の長文コラムもいいが、冗長ではあってもインタビューの方がさらに面白く、編集者の判断は正しかったと思う。でも、原稿料はちゃんと出たのだろうか。
ところで、雑誌のインタビューで感動したのが、すぎやまこういちさんと
しばらく前に、私がよく読んでいたブログの書き手がブラウザゲームを作って公開した。そのゲームの公開ページには意見・要望掲示板があった。そこに書かれていたプレーヤーの要求は、ザックリまとめると「便利にしろ」「**を簡単にしろ」の2つだった。
単純には、「それが本音というものだろう……」とは思った。しかし何でもかんでも「便利」「簡単」にしてしまうと、「ゲームって何?」ってことになる。コンピュータゲームは、「わざわざ苦労して、客観的には無意味な報酬を得る」という娯楽。苦労や手間を否定して報酬だけ得られるようにしたらどうなるかといえば、「報酬の無意味さ」が浮き彫りになってゲームの根本が崩壊するだろう。
数日もやもや感があったのだが、ふと気付いた。人それぞれ「進んで苦労したいこと」「パスしたいこと」があるものだ。自分が楽しく苦労できる要素だけからなるゲームを欲し、「ここでは苦労したくない」という要素を指摘しているだけ……と考えれば、だいたい理解できる。
わかってしまえば当たり前の話で、長い間もやもやしていたのがバカらしい感じもする。
「自分が面白いと思わない部分は、他の人にとっても面白くないに決まっている」と決め付ける人が多いのにはウンザリ。これはゲームに限ったことではないが、ゲームというのは必要から遊離しているだけに、全ての要素が攻撃の対象となりうるのが面白いところだと思う。「エッ!? それも無駄だっていうの?」と。
私は「自分がどれほど携帯電話を使っていないか」を数字で確認したいと思ってきた。2007年には「年度始めの4月から記録をつけよう」と思い、ブログにもそう書いた。が、これは挫折した。通話時間まで記録しようとして、あまりの面倒くささに匙を投げたのだった。
その後もずっと「いつかは……」の思いを抱き続けてきたが、ようやく昨年から記録をつけ始めた。今度こそ重い腰を上げられるよう、シンプルに発着信の件数のみの記録とした。そのデータをグラフにすると、次の図のようになる。
2011年1月から2012年2月までの合計で、発信35回、着信30回。これは予想を大きく上回る数字で、率直にいって驚いた。東北地方太平洋沖地震のときに実家へ何度も電話をかけたのが数字としては大きいが、それを抜きにしても、発着信ともにゼロ回だったのは2011年5月しかない。
なるほど、かつて社員寮の管理人さんに「電話の取次ぎは手間だから自分で電話を用意してほしい」とお願いされたのも頷ける。たった一人の社員のために、年に30回も電話の取次ぎなんてやっていられない。
私が参考にするには知的水準が高すぎるブログなんだけど、「人目を引くタイトルのつけ方」に忠実なのが、個人的には好印象。そこはカッコつけずに泥臭くいきます、みたいな。「いいもの」をきちんと大勢に届けるのって、やっぱり大変なんだな。ま、大勢に届けたい情報を持っていない私には、関係ない話だけど。
Evernoteとか使ってる人は、きっとこういうページとかを入れてるんだろうな。私はというと、こういうのは読んだそばから忘れていくのを「よし」としているので……。ザッと読んでみて、「こういうチートシートをことあるごとに参照したら役には立つだろうけど、人生、上を見てもキリないし、どうでもいいな」と。
テレビの生活情報番組なんかを見れば役に立つ情報はいろいろ得られるが、私はメモを取ったりしない。せっかく番組を見たのだから、ちゃんと先人の知恵を吸収して、イザというときに活用したら……って、結局さ、そうやって頑張って生活を改善する意義を感じていないんだよね。
だったらどうして読書猿さんの記事を読むのかといったら、やっぱり漠然とした不安があるからなんじゃないかな。あるいは、何か夢を見てる。で、読んでみて、「あー、この内容なら今日も読み捨てで十分だな」って安心するわけ。
たぶん、どんなに立派なことやすごいことが書かれていても、結論は同じなんだと思う。中身を確認しないと不安、というだけ。不安には根拠がないので、中身を見たら、それだけでホッとする。