備忘録

平成24年2月29日

冗談をいう自由があるように、冗談を真に受けて反発する自由もあるだろう。「自分が問題ないと思う行為を、誰からも批判されない自由」というのは、存在しない。とはいうものの……。

けっこう共感するところある。

私は「はてブコメント一覧の非表示」を言論封鎖とはいわないし、そう呼ぶことにも賛成しない。

単に「読書が好き」とだけいうと、この手の勘違いをされかねないので、ここ数年、私は「読まなくていい本を読むのが好きです。他人にお勧めしたい本はありません」と言い添えるようにしてる……。

私の回答は「線分の3等分」ページの3番。ただし、ていねいな説明を兼ねるのでなければ、長方形をきちんと描く必要はないんだよね。対角線を引くためには頂点だけ作図できればいい。パッと見には何をやっているのわからない図になりそう。

平成24年2月28日

私は、「捜査したからには何かが出なきゃいけない」なんてプレッシャーは、かけない方がいいと思う。楽しい時間を台無しにされた怒りはわかるし、権力の行使には慎重であってほしい。しかし「疑い」の段階で捜査をしてはいけないとしたら、およそ捜査など成り立たない。

全く根拠なしに捜査が行われたのではないかと疑い、情報収集を開始するのはいい。だが、結果だけ見て前提を決め付けるなら、「想定している悪と自分自身に何の差があるのか」という話になる。警察はいつも予算と人手が足りない役所。何らかの情報提供があって動いたと考える方が、私の感覚では自然だ。しかし、どんな組織にも無責任な人はいるから、理由なく捜査が実施された可能性もゼロではないと思う。それは否定しない。だが究極的には、捜査の空振りそのものは「許容すべき」というのが私のスタンス。

私の中ではこの問題、「逮捕されただけで人生オシマイ」といったあたりと関連している。私たちが「少ない情報で他人を決め付ける」ことをやめない限り、そうした状況は変えられない。そして、「安直に決め付けない」姿勢は、警察に対しても同様に適用されるべきだ。「疑う」が「決め付けない」ことが大切。

ともあれ、警察は捜査の過程で多くの人を傷つけ、また経済的な損害も生み出すことになる。現状は改善されるべきだが、将来的にもこうした問題がゼロになることはない。個人的には、少なくとも金銭に換算できる部分については、捜査による様々な損害について積極的に補償すべきだ(そのために必要なら増税を受け入れていい)と思っている。

平成24年2月27日

1.

はてブでは、手法はともかく主張そのものについては、高木さんの側に与する人が多いみたい。

高木さんの論理には多分、隙がないのだろう。でも私は、高木さんの前提に賛成しない。だから、高木さんの主張にも賛成しない。なお、現行法に照らしてどうなのか、といったことは脇に置く。それはいま、私の主要な関心事ではないからだ。

私は、とくにIT系の話題で、「問題が起きない仕組みを作れ」という主張が強く支持されるのが気に食わない。これはしばしば「できることはやっていい」という主張とセットになっていて(ちなみに高木さんはこの立場には否定的だと私は認識しています)、ますます気に食わない。

焦点は「たかがPASMOの利用履歴」であって、不正利用を社会的なルールによって縛れば十分だと私は思う。ようするに、利便性を犠牲にしてまで、プライバシーの侵害を「未然に完全に防ぐ」ことを要する問題ではないのではないか。ルールを踏みにじる少数の不正な利用者に対して、損害賠償請求なり何なりで対処していけばいいことだと、私には思える。

高木さんはPASMOの番号と氏名、電話番号を把握しているタイムズ社が、顧客のプライバシーを覗き見ることが「可能」な仕組みを批判されている。私は、「可能」であることを問題視しない。賃貸住宅に暮らしている人は、いつだってマスターキーを持つ大家に家の中を除き見られる可能性があるわけだが、そっちは多分、気にしないわけだろう。だったらどうしてIT系の話でばっかり「可能性すら許せない」となるのか。世の中、そういう方向にいくべきではないと思う。

「できる」けど「やってはいけない」ことは、世の中にたくさんあるではないか。私が昔から使っている例だが、万引きだってそうだ。カジュアルな万引きを完全に防ぎたければ、自動販売機方式を徹底すればいい。購入前の商品に消費者が手を触れられないようにしたらいい。「万引きできるのはおかしい」といって、そういう世の中になるのを望むのと、PASMOの利用履歴をネットで閲覧できる仕組みをやめろというのは、私にとっては同列である。

こう書くと、あれこれ「違い」をご説明してくださる方が出てくるのかもしれないが、ようするに私は「あなた方の仰る「違い」を「議論を左右するような本質的な違い」だと認めない」といっている。

賃貸住宅のマスターキーは、しばしば配電盤とかに無造作に「隠されて」いる。それは何故かといえば、不動産会社が見学者を案内する際、いちいち(10km以上離れた場所にいる)大家のところへ鍵を取りに行くと、限られた時間で多くの物件を内覧することなど不可能だからだ。近場の引越しならいいが、遠く離れた土地まで下見に出かけて、1日がかりで2〜3件しか内覧できないのでは疲弊する。逆にいえば、その程度の利便性のために、少なからぬ人々が、プライバシーその他の様々なリスクを甘受して生活を送っているわけだ。

ある人のPASMOの番号と、氏名と電話番号を知っている第三者が、PASMOの利用規約を無視して勝手に他者のPASMOの利用履歴を閲覧したとする。さて、悪いのはPASMOなのか。繰り返すが、現行法に照らしてどうなのか、といったことは脇に置く。私は、PASMOの仕組みは、悪用のリスクと利便性を天秤にかけて、社会的に許容できるものだと思う。私は、この仕組みを守って、悪用する人だけを批判したい。

2.

先日、ねんきん定期便が届いた。ねんきんネットの登録に使うアクセスキーというのが印刷されていたが、他に基礎年金番号がわからないと、ねんきんネットは利用できないのだそうだ。基礎年金番号は前年に届いた定期便に記載されているので、それを見てください、という。とっくに捨てたよ、あんなの。保存しておく価値のありそうな情報なんて、昨年の時点では何一つなかったんだから。

基礎年金番号は、勤務先に問い合わせてもわかるし、日本年金機構へ電話で依頼すれば郵送してくれるともいう。でも、説明を読む限り、そこまでして利用する価値のあるサービスじゃないんだよな、ねんきんネットなんて。ねんきん定期便を捨てても困らないようにするためのサービス、という感じ。

アクセスキーには有効期限があるそうなので、私は今年の定期便も捨てた。来年の定期便にも、きっとアクセスキーしか印刷してないんだろう。で、私はまたそれを捨てる。繰り返すけど、ねんきんネットなんて、基礎年金番号を調べる手間に見合わない情報しか提供してくれない。なので、日本年金機構が今年度と同等のプライバシー保護方針を堅持する限り私は、退職して(いったん会社に預けた)年金手帳を再び手にするまでずっと、ねんきんネットとは無縁であり続けるだろう。

なんかね、こういうのって、アホらしいと思うわけ。注力すべきは、ルール違反をする人を捕まえて(悪の程度に見合った何らかの)罰を与えることではないのか。悪いことを考える人がいても、プライバシーの侵害が絶対に起きないようにしようと頑張って、そのためにサービスの利用の敷居が高くなって、それで私が「だったら使わない」となるのって、力の入れどころが違うんじゃないか。

3.

自動車の衝突安全設計とかを全否定したいわけではない。事故を起こしたドライバーを厳罰に処していくだけでは交通事故の死者は(十分には)減らせなかった。でも、プライバシーの保護に関しては、「高木さんの設定している安全のハードルは高すぎる」と私は思う。

まあ、高木さんとしては「事前のリスクに関するアナウンスが足りないと指摘しているだけ」なのかな、とも思うけど(つまり、PASMOの仕組み自体を全否定しているわけじゃない)。ただ、そうだとしても、「(高木さんが納得できる水準での)リスクの広報など現実には不可能なのだからサービスを停止すべきだ」と(事実上)踏み込んでいるわけで、形式的にはどうあれ、やはり実質的には相当に考え方が違う。

自動車だってさ、「自動車の前を人が歩いて先導しなければならぬ」という赤旗法は、廃止されたわけじゃないか。赤旗法があれば、死亡につながるような交通事故の95%は排除できそうなのに、それでも廃止。安全は絶対ではなく、ある程度は利便性に譲る部分もあるわけ。命に関わる問題ですら、そうなんだから、「たかがPASMOの利用履歴」くらい、利便性の方に相当程度まで寄せていいと思うわけ。

やっぱりSUICAの利用履歴がネットで見れたら、便利だよ。いまさら、駅でSUICAを秘密のパスワードとセットで再発行してもらうとか、そこまでしたくない。そういう面倒なしに、利用履歴を見たい。

……ん? いや待てよ。たったそれだけの手間なら、やっぱりSUICAを再発行してもらってもいいかな。むー。

平成24年2月26日

1.

私は基本的には「悪いことをする人が悪い」と考えるので、Gumroadを悪用する人がいるなら、「その人が悪い」という。具体的には例えば、Gumroadが販売されている商品についていちいち「他者の著作権を侵害していないか」を審査するような仕組みが必要だとは考えない。

Gumroadは利用規約(2012年2月11日版)において、violate any laws, third party rights or our policiesを禁止している。Gumroadの利用者は、あらゆる法令、第三者の権利、Gumroadの規則に反することをしてはいけないわけだ。

ならば残る問題は、この利用規約が空文になっていないかどうか。現状、著作権侵害等の相談・通報フォームは整備されていないが、メールでの問い合わせには応じている。あとは著作権侵害事案への実際への対応を見て考えたい。

2.

実際問題、権利者に無断で作られた二次創作あたりは、当たり前のように流通するのだろう。他者の著作権に抵触するタイプの同人誌が大規模に委託販売されている状況、即売会のイベントに万単位の人が集まる状況などから類推すれば、Gumroadだけが潔癖であり続けられるとは考えにくい。

二次創作などであれば、ほぼ間違いなく権利者の許可を得ていないと考えられる商品も、第三者による通報だけでは基本的に消えないだろう。

それは問題といえば問題なんだが、私の感覚では、まずデッドコピーの根絶が課題だと思う。例えばニコニコ動画の場合、ジャンル別の日間トップ10にCD音源を丸ごとコピーした動画が顔を出すことがある。チェックコストが有限なのはわかるが、これほど目立っている動画は、自主的に権利関係のチェックをしてほしいと思う。それが蟻の一穴になって際限なくチェックコストが膨らみかねない……という懸念はわかるが、通報待ち限定というスタイルでよいとは、私は思わない。

Gumroadにおいても、デッドコピーを全てシャットアウトするのは無理だと思うが、デッドコピーがたくさん売れている状況が明らかになった場合、それを放置しないでほしいと思う。どこかに線を引いて、とくに問題になっているデータについては、権利者の通報を待たずに、権利処理の仕組みを動かしてほしい。

なお、私は「有料だからとくに悪質」とは考えていない。公式の有料配信だと錯覚させるようなら「とくに悪質」だが、そうでないなら、むしろ有料の方が大勢に広まらないだろうから、実質的には害が少ないと思う。無料で数万人にバラ撒く方が、多くの場合において、実質的な害は大きいのではないか。

3.

Gumroadの話題性を見て即座に日本で開発されたサービスがameroadだ。利用規約や多言語対応などは弱いが、商品の取り扱いと売買の仕組みは本家よりしっかりした作りになっているのがすごい。

いまameroadでいちばん売れているのが岩崎啓眞さんの『イースI・II製作メモ』だ。リンク先を見ればわかるが、その表紙や一部の挿絵には、ゲーム中に登場するキャラが描かれている。これは権利者の許可を得て公開された二次創作のイラストなのだろうか?

個人的には、これは無断で制作・公開されたイラストだと仮定した上で、「『イースI・II製作メモ』のameroadでの流通は黙認されてほしい」と考える。だが、「権利者が削除申請をしたならば、速やかに削除されるべき」とも考えている。

なお『イースI・II製作メモ』にはゲームの画面写真もいくつか入っているが、それらは引用の要件を満たしていると私は判断した。

平成24年2月25日

大阪維新の会が国政進出を目指すそうで、維新の会が中長期的に実現を目指す政策をまとめた「船中八策」が話題になっていた。私も読んでみようかと思ったのだが、原本が見当たらない。じつはいまマスコミや一部の評論家が目にしているのは草案の骨子であって、きちんと公表されるのは、しばらく先なのだそうだ。

それにしても、報道毎に「八策」の内容が異なっているのは、一体どうしたことだろう。だった8項目なのに、どうしてそんな食い違いが……。

こ、これは……。謎が解けた。坂本竜馬の「船中八策」にちなんで「維新八策」と呼んでいるだけで、その実態は「私たちの政策」とか「政権公約」「マニフェスト」みたいなものなんだね。

大阪維新の会「維新八策」の骨子(草案)
〈維新八策の目的〉
・決定でき、責任を負う民主主義
・決定でき、責任を負う統治機構
・自立する個人
・自立する地域
・自立する国家
・日本の一人勝ちの時代は終わった
・今の日本のレベルを維持するには国民総努力が必要
・国全体でのオペレーションから個々の創意工夫による活性化
・現役世代の活性化

(1)統治機構の作り直し
・国の仕事を絞り込む=国の政治力強化
・内政は地方に任せる=地方・都市の自律的経営に任せる
・被災地復興は、被災地によるマネジメントで→復興担当大臣などは被災地首長
・国家の面的全体運営から点と点を結ぶネットワーク運営
・中央集権型から地方分権型へ
・国と地方の融合型から分離型へ
・地方交付税の廃止
・自治体破綻制度
・税源の再配置
・国の仕事は国の財布で、地方の仕事は地方の財布で=権限と責任の一致
・地方間財政調整制度=地方共有税制度の創設
・地方間で調整がつかない場合に国が裁定
・都市間競争に対応できる多様な大都市制度=大阪都構想
・道州制
・首相公選制
・参議院改革→最終的には廃止も視野
 参議院議員と地方の首長の兼職=国と地方の協議の場の発展的昇華、衆議院の優越の強化

(2)財政・行政改革
・プライマリーバランス黒字化の目標設定
・国会議員の定数削減と歳費その他経費の削減
・国会改革=役人が普通のビジネス感覚で仕事ができる環境に
・首相が100日は海外へ行ける国会運営
・政党交付金の削減
・公務員人件費削減
・大阪方式の徹底した究極の行財政改革を断行

(3)公務員制度改革
・公務員を身分から職業へ
・価値観の転換
・安定を望むなら民間へ、厳しくとも公の仕事を望むなら公務員へ
・大阪式公務員制度改革を国に広げる
・外郭団体改革
・大阪職員基本条例をさらに発展、法制化

(4)教育改革
・格差を世代間で固定化させないために、最高の教育を限りなく無償で提供
・教育委員会制度の廃止論を含む抜本的改革
・首長に権限と責任を持たせ、第三者機関で監視
・教育行政制度について自治体の選択制
・学校を、校長を長とする普通の組織にする
・大学も含めた教育バウチャー(クーポン)制度の導入
・生徒・保護者による学校選択の保障
・大阪教育基本条例(教育関連条例)をさらに発展、法制化

(5)社会保障制度
・受益と負担の明確化(世代間格差の是正)
・年度毎のフローでの所得再分配だけでなく、一生を通じてのストックによる所得再分配
・一生涯使い切り型人生モデル
・現行の年金制度は一旦清算=リセット
・年金の積立方式への移行(最低ライン)
・さらに、資産のある人は、まずはその資産で老後の生活を賄ってもらう→掛け捨て方式(ストックでの所得再分配)
・何歳まで努力をしてもらうのか、老後いくらを保障するのかを設定=事前告知→それに合わせた保険料を設定
・保険料は強制徴収(税化)
・リバースモーケージ(所有不動産を担保に年金のような融資を受ける仕組み)の制度化
・持続可能な医療保険制度の確立=混合診療解禁による市場原理メカニズムの導入
・持続可能な生活保護制度の確立=就労義務の徹底
・ベーシックインカム(最低生活保障)制度の検討

(6)経済政策・雇用政策・税制
・新エネルギー、環境、医療、介護などの特定分野に補助金を入れて伸ばそうとするこれまでの成長戦略と一線を画する「既得権と闘う」成長戦略〜成長を阻害する要因を徹底して取り除く
・岩盤のように固まった既得権を崩す
・徹底した規制緩和による新規参入、イノペーション
・現在存在する社会インフラの徹底した選択と集中
・ストックの組み替え=高度成長時代に造られたストックを成熟した国家にふさわしい形へ
・経済活動コストを抑え、国際競争力を強化
・マーケットの拡大=自由貿易圏の拡大→TPP/FTA
・大きな流れ(円高、海外移転など)に沿った対策=大きな流れを人工的には変えられない
・労働集約型製造業の海外移転は止められない
・貿易収支から所得収支、サービス収支の黒字を狙う
・円高による輸入業の儲けを輸出業の損失へ=円高による為替差損益の調整制度(ソブリンデリバティブ)
・高付加価値製造業の国内拠点化
・サービス産業の拡大=ボリュームゾーンの雇用創出→IR型リゾートなど
・医療・介護・保育の分野では一方的な税投入による雇用創出をしない=ユーザーの選択に晒す
・産業の淘汰を邪魔しない=産業の過度な保護は禁物
・人は保護する=徹底した就労支援
・労働市場の流動化、自由化→衰退産業から成長産業へ、外国人人材の活用
・教育機関による人材養成=グローバル人材の養成
・女性労働力の徹底活用
・フローを制約しない税制=民間でお金を回す(使わせる)税制
・一生涯使い切り型人生モデル
・資産課税=固定資産税は現金化、死亡時に精算(フローを制約しない)
・使った分(設備投資、給料、消費)は消費税以外は非課税
・国民総背番号制によるフロー・ストックの完全把握
 (全商取引の把握=非課税となる要件)
・国民総確定申告制
・超簡素な税制=フラットタックス
・減免、特措法などは原則廃止
・夫婦、障害者、事業承継が課題(方策の一例〜一定規模の事業で雇用創出をしている場合のみ、事業承継を認める?それとも原則通り一代限り?資産の売却?)
・脱原発依存、新しいエネルギー供給革命

(7)外交・防衛
・自主独立の軍事力を持たない限り日米同盟を基軸
・加えてオーストラリアとの関係強化
・日米豪で太平洋を守る=日米豪での戦略的軍事再配置
・2006年在日米軍再編ロードマップの履行
・同時に日本全体で沖縄負担の軽減を図る更なるロードマップの作成着手
・日米地位協定の改定=対等
・国際標準の国際貢献の推進
・国際貢献する際の必要最低限の防衛措置

(8)憲法改正
・憲法改正要件(96条)を3分の2から2分の1に緩和する
・首相公選制
・参議院の廃止をも視野に入れた抜本的改革
・衆議院の優越性の強化

目的が9項目あり、具体策として8分野90項目が列挙されている。個人的には、「維新八策」が「こういうもの」だったと知って衝撃を受けた。報道を見て私が想像していたのは、坂本竜馬の「船中八策」くらいのシンプルなメモだったので。

(1)統治機構の作り直し
(2)財政・行政改革
(3)公務員制度改革
(4)教育改革
(5)社会保障制度
(6)経済政策・雇用政策・税制
(7)外交・防衛
(8)憲法改正

気を取り直して眺めてみると、政策の分類の仕方が目を引いた。大阪維新の会がどんなジャンルに強い関心を持っているかがよくわかる。「枠組みを変えて内実に影響を及ぼす」発想が強い。

また維新の会が目指す社会像が「維新八策の目的」にまとめられているのも興味深い。これは「理念なきポピュリズム」といった批判への回答になっていると思う。公表前の草案とはいえ、今後は「橋下さんには理念がない」という批判は難しくなるだろう。

それにしても、骨子だけとはいえ、選挙でもないのに(私に)政策集を読ませてしまう維新の会の話題設定力はすごい。

平成24年2月24日

以下、リンク先とは、ほぼ無関係。

1.

私の母方の祖父は、脳内出血を起こした翌日に亡くなった。前の晩から祖父は無口だったそうだ。そうして駐車場の集金に出かけ、昏倒して亡くなった。死後に日記帳を開くと、前の晩から急に字が乱れていた。それで、脳内出血が起きたのは亡くなる前日だったことがハッキリした。

祖父の死について、祖母は「ピンピンコロリの夢を見事にかなえた大往生」と評した。祖父の実母が何年も寝たきりで家族の手を煩わせたのを見てきたので、「ああなるのは嫌だ」との思いを強く強く持っていたのである。

その祖母は、癌の手術と闘病を拒否して亡くなった。癌が再発した場所のひとつが耳であり、手術すれば片目と片耳を失うと知った祖母は、「これで手術を受けない理由ができた」といった。「痛いのとつらいのは嫌だ」とだけいい、癌の痛みを軽減する治療だけを受け、最後の1年半のほとんどを自宅で過ごした。

祖母の死亡診断書によると、死因はすい臓がんとなっていた。癌を放置したことであちこちに転移し、最終的に「すい臓がんが最後の一押しになった」のだそうだ。

2.

父方の祖父は入院生活が長引いている。その切っ掛けは脳溢血である。祖父が脳溢血を起こした日、たまたま孫の一人(私のいとこ)がきていた。

祖父のろれつが回らない様子に気づいて、孫は「病院へ行こう」といった。だが祖父は、「大丈夫だ」といって病院へ行くのを拒絶した。それで喧嘩になった。そして半日後、祖父は足腰が立たなくなった。祖父は「寝れば治る」といったが、もう抵抗できない状態だったので、孫が無理やり病院へと運んだ。

それで祖父は一命を取り留めたのだが、果たしてそれが良かったのか悪かったのか。もう闘病生活は2年を越えている。3回ほど「もうダメかも」と連絡がきたが、そのたび緊急手術などが成功し、助かった。

歩けない、喋れない、毎日毎日タンで息が苦しい。寝てるのか起きてるのかもよくわからない。タン吸引のときだけは、痛くて苦しくて悲鳴を上げる。「担当者が下手なんじゃないか」という声もあったが、入院先が変わってもその点に違いがなかったので、医療不信の方も「そういうものなのか」と諦めた。

祖父を助けた孫の前ではみな口をつぐむが、お見舞いに訪れた親族が顔を合わせると「自分のときは死なせてほしい」「幸運の女神には後ろ髪がない」という会話になる。ピンピンコロリのチャンスは絶対に逃してはいけない、という意味である。神様は、そう何度もチャンスをくれはしない。

3.

「あんなに健康に関心があって、名医名鑑みたいな本を眺めるのが大好きな人が、どうしてあのときに限って病院へ行くのを嫌がったんだろうか」
「虫の知らせでもあったんじゃないの」
「でも、足腰が立たないのを見てしまったら、いくら当人の希望でも放っておいたら犯罪になりそう」
「いくらピンピンコロリのためでも、家族が犯罪者になるのはダメだね」
「言葉が出せなくなると、手術を自分の意思で拒否できないのが困る」
「家族から見たら生き地獄だけど、本人はそれでも生きたいのかもしれないし、家族は手術に同意するしかない」
「これだけ苦労したんだから、先生は期待しないでほしいと仰ってたけど、また元気になってほしい」
「努力が報われないのが人生だよ」
「やっぱり自分は、倒れたらそのまま死にたいな」
「今日でもいいの?」
「……」

いい加減、こうした会話にも飽きた。

平成24年2月23日

Tumblrのリブログは、Twitterの公式RTのように、自分の作ったコンテンツを大勢に広めるための仕組みであるということを明確に説明しており、たいへん好感を持った。

米国では苦情があったり、著作権上問題があると指摘があったりする時点ですぐにそのコンテンツを削除している。また、Tumblrを使っている新進クリエイターたちは自分たちの作品、表現が広がることについて、迷惑というよりもビッグチャンスと捉えている。

外部から誰かの文章や、他人の写真を無断でコピーしてきて、Tumblrコミュニティにおけるコンテンツ拡散の発信源となるのは、開発者の想定する使い方ではないというわけだ。

もともとTumblrで作品を発表している人は、リブログの際にも自分のTumblrがオリジンとして表示されるのだし、「リブログされることもあるよ」という趣旨の規約にも賛同しているのだから、Tumblrを使っている新進クリエイターたちは自分たちの作品、表現が広がることについて、迷惑というよりもビッグチャンスと捉えているのは当然だろう。だから結局、問題は「他人の著作物を勝手に使うな」ということに尽きる。

「転載元を表示しているからいいじゃないか」という人々には虫唾が走る。しかもそういう人のTumblrをよく見ると、出典不明の写真がたくさんあったりする。なんで画像なら出典の表示が不要なのか、説明してほしいものだ。そして、そういうTumblrコミュニティ由来ではないコンテンツをリブログして拡散している人々も、みな同罪である。「リブログしただけ」って、それ明らかに無断転載だからね。

何年経っても「Tumblrユーザーの9割超が著作権にルーズ」という状況が全く変わらない。なぜなんだ。

平成24年2月22日

「正かなづかひ 理論と實踐」の特輯「正義と宗教」なる設定は失敗だつた。

依頼して原稿を書いて呉れた人がぜんぜんゐない。だから特輯「正義と宗教」は失敗。「何だつて書けるだらう」と内容的に幅廣いものにした積りだつたのが、みんな尻込みする。わけがわからないが、皆書きたくないと言ふのだから仕方がない。

「最近、気に食わないこと」だったら、みな日頃から存分に語っている。宗教だって、気楽に考えれば、生活の端々にからやわらかい話題を拾うのは容易だし、実際、話の種にもしているだろう。だから、野嵜さんが書きやすいだろうと思って「正義と宗教」を特集のテーマに設定したのは不可解ではない。

正かなの同人誌は、正かなで書かれていることだけが共通点という原稿を集めた雑誌だと思うので、他人事としていうなら、「気負うことないのに」と思う。でも、やっぱり身構えてしまう側の気持ち、わかるな。いや、本当はわからないんだけど、「わかるなぁ」という感じがする。

以下、私は正かなの使い手ではないが、もし自分が書くとしたら……と考えてみた。

まず、震災と土葬の話に思い至った。仏教も儒教も関係なく、慣れ親しんだ埋葬方法でないと「かわいそう」「火葬もできないなんて政府は何をやっているんだ」となる「直感的正義感」へのもやもや感。

それから、仏壇とか、お盆とか、(少なくとも形式的には)かなり廃れたよねー、とか。実家にも昔は神棚が(なぜか母の寝室に)あったんだけど、引越しの際に消えてしまった。仏壇は最初からない。いまだにドラマとかで「お線香を上げさせてください」みたいなシーンが出てくることがあるけど、そろそろナンセンスに片足突っ込んでいるような気がする。

お盆の墓参りで思い出したんだけど、子孫が絶えて無縁となった墓石の扱いとか、身近なところでちょっと話題になった。「それ自体はただの石でしょ」と思っている人ばかりなのに、数人集まると「そういうわけにも……」となる。あれって、何なんだろうな。

他には、コンソールゲームにおける「神」と「正義」かな。ゲームにはよく「神」が登場して、主人公らが「神」の提示する「正義」に抗うのだけれど、その「神」ってのはたいてい剣と魔法で「倒す」ことができてしまうような存在。とすると、その手のゲーム世界には、本当のところ宗教なんて存在していないんじゃないの? という疑問が出てくる。そのあたり、シナリオライターはどう考えているのだろう。別にこれって日本のゲームに限らない話で……いや、そう断言できるほど海外製のゲームを遊んではいないので、ここでやめとこう。

以上、パラパラっと断片を並べてみただけ。

平成24年2月21日

「私はEvernoteと無縁でいい」と納得させてくれた良記事2つ。

1.

プリンタやFAX等のカートリッジの型番や画像をまとめておいて、どこでも見れるようにしとく。情報の携帯性。

いきなり躓く。私は6年前にプリンタと一緒に買った2個の予備インクの片方を、いまだに開封していない。プリンタは、ないと困るけど、あってもほとんど使わないのだった。私がインクを買い足すことはなさそうだし、仮にあったとしても、必要が生じてから調べる方が合理的。先に調べて情報を携帯するのは無駄。

取説の類をPDFで入れとけば、いちいち現物を探す必要がない。むしろ捨てられる。

取扱説明書って、最終ページが保証書になっていることが多い。捨てない方がいいと思う。あと私の場合、購入直後以外に取説を必要とするのは年に2回くらい。しかもその過半は自宅にいるときだし、取説は取説ホルダ(文具店に売ってます)にまとめてあるから、探すのに手間取ることは皆無。だからEvernoteに入れる手間に見合うだけの需要がない。

KOKUYO 取扱説明書ファイル[かたづけファイル](固定式)12冊収容タイプ 青 ラ-YT520B キングジム 取扱説明書ファイル A4タテ 2632ライ

取説ホルダはAmazonでも買えるみたい。

有益な情報が載ってたWebページをまるごと保存しとく。Evernoteに必ずある、という安心感。

私にはそういう需要がない。記憶している有益な情報すら(面倒くさいとか本音ベースではやる気がしないとかいろいろあって)ロクに活用していないのだから、覚え切れない情報なんか、どうでもいい。

それに、Evernoteが使えるならネットにつながっているわけで、Google検索すれば足りるケースが大半だと思う。たかが安心感と手間が釣り合うか。あるいは、「保存したつもり」で「保存してなかった」とき、自分に怒りがわくのが嫌。ググって見つからないならGoogleに責任転嫁できるし、既に削除されていたなら作者に怒ればいい。「悪いのは他人」の方が、精神衛生によい。

PCの設定など、何をどうやったかをスクリーンショットとテキストで保存しとく。2度目最適化。

面倒くさすぎる……。私はPCの設定なんて、新しいPCを買ってきたときしかやらない。OSもハードウェアもプリインストールソフトも違うのに、前回の設定なんて役に立たないだろう。同じPCだって、しばらく使っていれば「こう設定したい」という要求は変化していくだろうし、私には全く不要な情報だと思う。

同梱物、組み立ての手順とか。状態保存。再現性。

全然、具体例が思い浮かばない。Evernoteを私用で使う話ですよね、これって。何を組み立てたり再現したりするのだろう。例えば食後に食器を片付けるとき、いちいちEvernoteで元の状態を確認して、ぴったり元通りにしないと気が済まないわけ? 私は基本的にテキトーが気持ちいいので……。

一度なんかやったら細かく手順や分量をメモしとけば、忘れても思い出せる。

「レシピ通りに料理を作らないと不安になる」系の人なのかな。ニンジンと玉ねぎくらい同時にフライパンに入れたって不都合ないし、完全に順番を間違ってニンジンやカボチャが加熱不足になっても最終手段で電子レンジがあるし、乱切りにすべきをみじん切りにしちゃってもそれはそれで食べられるし、ようするに細かいことは気にする方が損だと思うのが私なので、私には関係ない。

あらゆるSNSへの投稿をログとして保存しとく。後で読み返すと面白い、単なる娯楽目的の使い方。

これは半分共感。私もよそのコメント欄とか掲示板とかに書いた内容を保存したりしてたんだけど、結局、コピペすら面倒になってやめた。後で読み返すのは確かに面白いけど、意外と読み返さない。滅多にしないことのために、毎度毎度手間をかけるのは、やっぱり割に合わない。

名刺管理

仕事でEvernoteを使うの? そうじゃなくて私用ならば、「覚えられない相手はどうでもいい」「忘れたらそれが縁の切れ目」でよい、というのが私のスタンス。というか、私用だったら名刺交換とかしない相手の方が多くて、往々にしてそっちの方が人間関係的には重要なんじゃないかと思うんだけど、そっちはどうしているんだろう。

テレビや誰かが言った言葉を残しておく。

残さない方がいいと思う。

2.

i) サイズ、寸法

部屋の図面やサイズなどを測った時にEvernoteに入れておけば、インテリアを買う時などに役立ちます。お気に入りの洋服のサイズは特に通販などで今も役立ってます。

インテリアは引越し直後に少し買っただけで、以降の2年間で購入ゼロ。前の部屋では本棚を2回買っただけ。洋服は「Mサイズを買う」だけだし、靴のサイズはそのとき履いている靴を見ればわかる。

ii) アイデア

よいアイデアを何も思いつかない私には不要。強いていえば、このブログが私の記録帳かな。私が何も思いつかないことを示す記録帳。

iii) 行動記録

行動記録に関わるものを入れておけば、記憶を辿るのにとても役立ちます。レシートの写真や行った場所、会った人、など気が向いたら入れておくと日記がわりになります。

個人的には、Evernoteを選ぶ意義を感じない。バラバラの断片では一覧性に欠け、結局は役に立たない。なので私は、情報はExcelやテキストに整理して更新し、日々自動でバックアップを取り続けている。

いちばん手間がかかるのは情報を整理する部分。例えばレシートからデータを抜き出してExcelに入力するとき、写真より現物の方が作業はラク。そして入力を完了したらもう、写真とか要らない。

あと、整理したデータを出先で見たくなることは皆無。自宅のPCのExcelで開いて更新・閲覧できればいいので、ファイルをきちんと自動でバックアップし続けることだけが重要。Evernoteの利用には結びつかない。

iv) ネットバンキングなどの送金記録

送金先は3つくらいしかなく、いずれも既に簡単送金設定に登録済みなので、全く必要性を感じない。

v) 請求書(カード明細や公共料金)

これもiii)と同じ。生データをただ保管しておくだけで満足ならいいけど……。先月比、前年同月比、年間の支出額合計、増減の傾向などを知ろうとしたら、データを転記して整理する必要がある。そしてデータを転記したなら、個々の請求書を保管する意味はない。

vi) 契約書類や保証書

これらは処分できない書類。そして私は、出先でこれらを見たいと思ったことが全くない。

vii) IDやアカウント

忘れてしまう場合があるから、私もメモは作ってある。マイルールに基づいて伏字と置換字だらけ……。これはかつて母が通帳の表紙に暗証番号のヒントになる4桁の数字を油性ペンで大きく記載していたことにヒントを得たもの(詳細)。ただ、このファイルをEvernoteに置く理由が、私にはない。バックアップは取っているが。

viii) 名刺

どうでもいい……。

ix) 購入、予約控え

アマゾンや通販サイトの購入時のメールをそのまま転送します。

私はこの手の情報を滅多に見直さない。ゆえにメールサービスの方で検索できれば十分。Evernoteに送る手間が、割に合わない。

x) ショップカードやパンフレット、メニュー

「あの時行ったあの店の名前、なんだっけ?」という会話は結構あります。

私はそういう会話をしない。お互い記憶頼りで適当に緩く喋っているのがいいのであって、そこに検証可能性を持ち込みたくない。だからむしろ積極的に情報を曖昧にするのが私の作法。ときには多少の無理は承知で「行ったっけ?」「思い出せないな」まで駆使する。

xi) 取扱説明書

私もたくさんの機器を使っているけど、購入直後以外で説明書が必要になるのは年に2回くらい。その過半は在宅時なので、紙の説明書をすぐ手に取れる。そして外出先なら、必要になった時点でメーカーのウェブサイトからダウンロードすればいい。年に1回程度でしかないなら、その方が手間が少ない。

xii) 現状復帰が必要な物の写真

そういうものが思いつかない……。

3.結論

面倒なのでEvernote使わない。

平成24年2月20日

1.

私はFF14のプレーヤーではない。メカAGさんの記事に興味を持ち、FF14の公式フォーラムを読んだ。そして、原案でも新案でもプレーヤーに選択の自由があるのは同じなので、「自由の価値」が問われるような話題ではないと私は思った。

2.

FF14はオンラインRPGだ。オンラインRPGとは、サーバー上に構築された世界にプレーヤーがログインし、仲間になったり、お喋りをしたりしながら物語を進めていくゲームのこと。そしてFF14はワールド(≒サーバー)を自由に選択することができないタイプのオンラインRPGなので、ワールドの違うプレーヤー同志は交流できない。

このところFF14はプレーヤーが漸減傾向にあって、ワールドの人口密度が低下しているという。とくに危機的なのがEUタイムゾーンのプレーヤー。自分がログインできる時間帯には、広大なワールドに他のプレーヤーが少ない。誰とでも仲良くできるならいいだろうけど、そうではない。だから、一定以上の人口密度を全てのタイムゾーンで確保しないとゲームの存続にかかわる。

そこで吉田さんが示した解決策は2つ。

  1. ワールドを統合し、1ワールドあたりのプレーヤー数を増やす。
  2. EUタイムゾーンプレイヤー推奨ワールドを新設する。

日本とアメリカのプレーヤーは、ワールド統合によってコミュニティを十分に形成・存続できるようになるだろう。欧州のプレーヤーは、それだけでは足りないので、とくに新ワールドを設定して、そこに集まってもらうことにする。どちらも納得のいく話だと思う。

3.

ただ、私がざっと読んだ感じ、原案には大きな問題があった。それは、ワールド統合のタイミングで、いったん全員のフレンドリストなどがクリアされることだ。

具体的には、コミュニティを完全に存続するためには、コミュニティ全員で特定のワールドを選択し、そこでコミュニティを再生しなければならなかった。これはたいへんな手間だと思う。

しかし原案発表時点では、技術的課題のためワールドの統合はコミュニティ情報の白紙化とセットだった。どんな統合の仕方をするにせよ、コミュニティをプレーヤーの意思で復元しなければならない。この手間をなくす妙案は存在しなかった。だからこそ、吉田さんたちは、大胆な提案に踏み切ったのだと私は思った。活動が停滞しているコミュニティは、どのみち滅びてしまう。そういう前提での決断だったのではないか。

ところがその後、技術的な進展があった。従来の所属ワールドに留まり、座して統合を待つ判断をしたプレーヤーのコミュニティ情報を、維持できるようになったのだ。こうなると、判断の前提がひっくり返る。ワールドの移動を希望する人以外は現在のワールドに留まってもらうのが、最小のコストで最大の幸福を実現する方法ということになるだろう。

なお、前述の通りFF14はワールドを移動できないオンラインRPGだから、ワールドをまたいだフレンド関係をシステムがフォローすることはない。ワールドの移動を選んだ人は、新しい世界で、白紙の状態から人間関係を構築していくことになる。

4.

つまり、私には「技術的課題がクリアでき、議論の前提が変わったので、判断を変更した」というシンプルな話のように読めた。

原案へのプレーヤーの反発に関するメカAGさんの見立ては考えすぎで、「コストとメリットのバランス」というありふれた議論ではなかったか。人口密度の低下はたしかに問題だが、全プレーヤーに既存のコミュニティを再構築するコストを支払わせるのは間違っている、と。他の作品ではコミュニティ情報を引き継いでのサーバー統合の例があったことから、「FF14でも同じことができないはずがない」という話にもなった。

補記:

ところで、吉田さんが「新設ワールドだけでなく、どのワールドにも移動できるようにする」というのは、システム構築の手間が変わらないなら、最大限プレーヤーの自由に任せたいということだと思う。

5.

こういうことって、よくあると思う。ペーペーの私が提出した実験報告書が、職位の高い人たちの議論をひっくり返してしまったときは、とても怖くなった。それまで「それは無理」という前提で話していたのが、「可能です」になったので、封印されてきたアイデアがなべの底が抜けたようにドカドカと降ってきた。「そうか、組織というのは、こうなっているのか」と私は思った。

職位の高い人たちは全知全能の神ではない。彼らの「できる」「できない」という議論の前提は、私みたいな末端の社員の報告書ひとつにかかっているんだな、と。私は「できるはず」といわれてダメ元で実験をしていたのだけれど、なかなか結果が出なかった。その間、上司は会議の場では「今のところ、できていない」と言い続けるしかなかった。私は「解決の目処が立ちません」と報告し続けたので、上司も「問題解決の目処が立たない」を公式発言とする他なかった。

「こうしてほしい」「**ではできていた」と声を上げるのは、客として間違っていない。だが、物事には個別の事情がある。「できそうでできないこと」はたくさんある。そして「できない」が「できる」に変わることも。「できるはず」といういいかたは、個人的には避けていきたい。

平成24年2月20日

はてブを見ると産める時に産みたいと思える社会がいいとの意見があり、なるほどそうだな、と思った。

以前にも書いたが、現代の日本人は、50年前の日本人より豊かである。なのに、「お金がなくて子どもを持てない」という。譲れない生活水準や、子どもに与えたい教育水準の上昇速度が、収入の上昇に追いつかない人が増えた結果だ。これが不可逆な変化なら、少子化は止まらないだろう。

子育ての経費でいちばん馬鹿馬鹿しいのが高等教育の費用。学歴インフレは壮大な無駄高校と大学の過半を通信制に切り替えることで、一挙に解決するのがよいと思う。またBIを導入し、義務教育を修了した者は自分でBIを受け取れるようにすれば、自ずと進学率は下がると考える。

平成24年2月19日

はいはい、君が言っていることは正しい。しかしそんな言い方では「普通の人」から引かれるって。もっとよく考えなよ。……と、そういった趣旨の「アドバイス」をしてくる人が毎回のように出てくる。(中略)

しかし、なぜその人たちは「普通の人」ではなく「左翼」(サヨク)の側にアドバイスをするのだろう。たとえば「普通の人」の側に向かって「左翼はいいことを言ってるんだよ。語り口にドン引きしたりせず、是々非々で判断しなきゃ」と、「左翼」の言葉に耳を貸すように働きかける人はなぜいないのだろうか。

私は過去に何度か、この指摘に当てはまる文章を書いてきたように思う。とりあえずすぐに思い出せたのが、この記事群。

読んでみると、私はトロープさんがされているような批判を予期して、あらかじめいろいろ説明していた。しかしながら、いろいろ書きすぎて要領を得ないな……。あえて1箇所だけ引用するなら、ここかな。

理屈はわかる、と、共感する、は違うんですよね。

「お話はわかりました。本題について、異論・反論はありません」なんだけど、胸の中にもやもやするものが残っている。理屈でもって抑圧されている何かがある。それをそのまま言葉にしても、いいことがない。ただの感情である。不快感である。反論の体をなしていない。それはわかるから、黙っている。

自分が説得されたとき、いつもそんな気持ちになるわけじゃない。パーッと光が差すような、「エウレカ!」と叫んで走り出したアルキメデスに「わかる、わかる!」といいたくなるような、そんな気持ちになることだってあるのだ。でも、いまはそういう気分ではない。

理性では納得した。だから反論はない。どう考えても反論はない。自分は完全に説得された。あるいは、最初から相手と同意見だったのである。ならばどうして、自分は不愉快なのか。これは謎である。居心地の悪い感覚である。どうにかしたい。何かうまい説明がつけば、スッキリするような気がするのである。

言い方の問題は、そうした煩悶への「答え」として、発見されやすい。「言葉の選択が悪い」「いちいち他人の感情を逆なでするような言葉を使うからいけないのだ」というわけだ。

おそらくそれは、本質的ではない。他の人はどうか知らないが、少なくとも私の場合は、そうだろう。やっぱり私は心情的に「悪」の側に与しているのだと思う。ズバリ指摘されればまず否定するし、そのときの気持ちとして、それもまた本当のことなのだが、残念ながら「決め付け」は当たっているといわざるを得ない。

理屈はわかるが、共感できない。その時点で、答えは出ている。私が共感できないのは、建前と本音が一致していないからだ。その先、私のすべきは、長い長い内省の旅路を歩むことだけなのだと思う。

まあね、私の人生なんか丸ごと無駄だともいえるし、やるべきことだけやって生きてるわけじゃないから。「そのいい方が気に食わない」という批判は、今後も何度でもやるんじゃないですか。「いや、わかってますよ」「わかってんならやるな」「そーですね(うるせーよ)」まで想像してセルフイライラ。

平成24年2月18日

数年前に私が妄想していたのは、「mixiも複アカウントを認めたらいいのに」ということだった。

んで、学校別のコミュニティを全て「公式」に立てる。それから日本中の学校に営業をかけて、過去の卒業生はもう仕方ないとして、在校生とこれからの卒業生全員にアカウントを作ってもらうわけ。それで、同窓会事務局の業務は全部、mixiに移行するの。同窓会名簿の更新が個人情報保護云々で止まってしまい、同窓会事務局はどうにもならなくなっている。mixiなら、そこに食い込んでいけるのではないか。

本名で趣味や生活の日記を書いたり、学校と無関係のコミュニティに参加したりするのは非推奨として、そうしたプライベートな活動はハンドルネームでやってもらうことにする。学校で作ったアカウントでは「先生に見られて不都合のないこと」だけやってもらう。

……出身小学校のコミュニティの参加者数が結局、99人で止まってしまった。同学年に2〜3人しかいない状況だから、みんな話すことがない。これでは、物珍しさの先に何もなくて、コミュニティが死ぬのは当然の帰結。卵が先か、鶏が先か。この場合、卵が先だろうと私は思った。

ただ、1人1アカウントだと、上記のアイデアは成り立たない。だから複アカウント制にする。一切の検索を拒否する設定も必要だろう。

補記:

高度情報化社会になったのに、リアルの人とのつながりがなかなかサービス化しない。個々人が管理するアドレス帳と、組織内のアドレス帳が電子化されただけ。そこのところがどうにかなったらいいのに……。

以前、知人と会ったとき、そんな話をした。彼は「だからさ、みんな、そういうのは嫌だったんだよ、本音のところではね」という。「あー、そうですか……」と私。卒業生が、学校のことなんかきれいサッパリ忘れて、ネットでつながらないローカルの書類でしか卒業生だとわからないのを基本とするのが、人々の選んだ自由だったということ。

つながりたい人だけが、あえてmixiとかで出身校を登録する。当然、そんなことをするのは1980年生まれの世代でさえ高校で10%、小中学校では5%にも満たない。デフォ登録で、自由意志で削除としたら、この数字は全然違っていたかもしれないけど、そういうやり方に直感的に嫌悪感を抱くのが多数派か……。

というわけで、これはそこで終った話なんだけど、思い出したついでに書いた。

平成24年2月17日

mixiのユーザーが減ってきて、あちこちでリアルの過疎と同じ問題が起きている。具体的には、細分化したコミュニティが、合併などすることなく先細りになって滅びていくという……。

私は小中高一貫校の出身なんだけれども、当初は高校のコミュニティがあって、そのトピックとして付属中や付属小の話題を細々とやっていた。そのうちにmixiユーザーが急速に増えたので、付属中と付属小のコミュニティが作られた。はじめのうちは書き込みがたくさんあったからそれでよかったんだけど、この2〜3年は書き込みがほとんどない。

書き込みが減ると、コミュニティを見る頻度が落ちていく。週1チェックのラインを突破されると、「ふと気付いたら1年以上見てなかった」まではすぐ。そうして見る人が減れば、書く人はますます減っていく。「1週間に1つも新しい書き込みがない」のが珍しくなくなると、ネガティブなスパイラルが止まらなくなる。

こうなったらもうダメなので、コミュニティを再統合したらいいのに……なんて思ったりもするのだが、私の見てきた限りでは、どのコミュニティも座して死を待つばかりなのだった。

政治家は責任感で合併をするけれど、市民は我を通す。行政は合併できても、集落は合併できない。もう歳を取って畑仕事なんかしないのに、それでも移住しない。その非効率のコストは誰が支払うと思っているんだ……と個人的には思うが、彼らの側に同情するのが有権者の多数派のようだから仕方ない。

そんな連想をした。

追記:

私の出身小学校のコミュニティ、最後の書き込みが2年前だった……。その後、校舎の建て替えとか、話題自体はいろいろあったはずなんだけどね。ともあれ、私にしては珍しく、初心貫徹してROMを通したことになる。なんとなく達成感。

平成24年2月16日

1.

私の狭い観測範囲の中だけの話と断るけれど、mixiでも、友人との交流ではなくて、その時々の興味関心に合わせて「読むコミュニティ」を乗り換えてきた方は、まずまず続いてる気がする。日記も同じで、交流の起点としてではなく、零細ブログ的に日々の雑感や生活の記録を綴ってきた方は、割と続いてる感じ。

7年前、こんな記事を書いた。mixiをSNSとして使ってきた人にとっては、いろいろ残念な感じになりつつあるのだと思う。でも「コミュニティのトピックを読む」「淡々と日記を書く」というように、mixiを交流の場ではなく小さなインターネットとして利用してきた方であれば、状況は大して変わっていない。アクティブユーザーの減少は、もちろんそれ自体、残念なことではあるのだけれど。

ところで、Facebookはロクに使ってない(閲覧者としてさえ利用していないという意味)のでよくわからないけれど、TwitterってSNSを代替するようなものなんだろうか。同時に複数のアカウントを動かしている人が私の周りにも数人いるし、アカウントを取り直してリセットした人も数人。この身軽さはブログっぽい。

アカウントの乗り換えが簡単にできるのはTwitterの強み。実名と結びついているFacebookや、使い慣れたメールアドレスと一蓮托生になりがちなGoogle+と異なり、「人間関係に飽きた」からといってサービス自体に距離を置く必要はないようになっていると思う。まあ、必要はなくても距離を置く人は置くのだろうけど。

2.

kanose 人間関係の変化を「使うSNSの変更」でするしかないという現状

Twitterのアンフォロー程度でも「気が重い」という方がいる。アカウントの自殺がいちばん気楽……となったときに、同じサービスに戻りやすいか否か。

かつて私の知人で、最初はリアルのあだ名でmixiに登録していたのに、何かあって不意に削除し、再登録後はいわれなきゃわからない名前になっていた方がいた。その方は、リアル知人はごく数名しか友人登録せず、新規の友人を目くらまし的に増やして、他のリアル知人(のうち再登録を教える相手)にはメールで連絡して「友人の友人まで公開」設定で対応……などとしていた。たいへんな手間である。

逆にいえば、当事のmixiには、そこまでしてでも戻りたいと思わせるだけの魅力があったわけだ。その彼も、今では「mixiは登録しているだけ」になって久しい。

平成24年2月15日

そんなこと相手が求めていないのはわかっているはずなのに、なぜか「原因」と「対処法」に言及したくてたまらなくなるという話。たぶん、これはどうしようもない。

なので逆に、自分が「話しだけ聞いてもらいたい」と思うときにも、「そうはいっても無理だよな」と、あらかじめ無意味な言葉を聞き流す精神的なコストを織り込んでおくのがいいんじゃないかな。

自分にできる範囲内で、いつも自分が、気をつけていくしかないと思う。

平成24年2月14日

1.

全員が全てのマンガを読める必要はないと思う。その上で、いま低年齢層向けのマンガ雑誌にも高度なマンガ表現が入り込み、それが声の大きい層の支持を得やすいがゆえに読者の切捨てにつながっているのだとすれば、「そこには商機がある」と考えたい。

しかし、対象読者を低年齢層だけに絞ったマンガ雑誌はもはや成り立たない時代なのだとすると、各雑誌が生き残りを図って合理的に行動した結果、「マンガの文法についていけない読者層」がどんどん増え、マンガの未来が先細りになってしまうのかもしれない。だがそうだとしても、いずれ「高度なマンガ文法を理解できない人々」の絶対数が閾値を越え、初歩的な表現しか使わないマンガがペイするようになるはずだ。

あるいは、マンガが歌舞伎のようにハイカルチャーな人々の嗜好品に落ち着くなら、それはそれでいいんじゃないかな。庶民はそのとき、また別の楽しみを見つけてるはずだから。

2.

私の場合、少年マンガはだいたいすんなり読めるのだけれど、少女マンガや青年マンガには、一読では内容が理解できず、少し戻って読み返す作品がしばしば。「オシャレ」「スタイリッシュ」なマンガは、とくに苦手。パラ見派の私には、間や空白を使った表現がつらい。セリフや絵作りのわかりやすい作品が、私は好き。

1990年代以降の大作アクション映画も、私が苦手なもののひとつ。画面の動きが激しすぎて、「何が起きているのかよくわからない」です。もっと地味なカメラワークでゆったりと映してほしい。私の好みは1960年代の特撮映画かな。カメラが俯瞰で、音楽も動きもゆったりとしているのがいい。

コンソールゲームのRPGも、1990年代中頃のスーパーファミコン用ソフトくらいの表現が、私にはちょうどよかった。その後、見た目はどんどんリアルに近付いていった。その意義は否定しないが、作りこまれた画面ではなくミニマップを見てキャラクターを操作している自分に気づくと、「これって進化なの?」とも思う。

平成24年2月13日

6年経ってみて、TwitterFacebookはてなブックマークくらいかな、いまは。

Twitter:
Facebook:

こんな方法しかないのだろうか……。

はてブ:

Twitterについては無理やり。抜けもあるみたい。「deztec」という文字列は、私以外にバリバリ使ってる人や団体がないので、力技でも、ほぼノイズなしの検索結果が得られている。

ちなみにハンドルネームでの検索結果はイマイチ。「徳保」が一色徳保さん(人名)、徳保の千本椿(観光名所)、徳保県(中国の地名)、徳保(特保の打ち間違い)と被ってしまう。「徳保隆夫」なら固有だけど、フルネームで書いてくれる方は少ない……。いまさらだけど、もう少しきちんと調査しておけばよかった。

平成24年2月12日

任天堂が使っていたフリーフォントを調査したのかと思いきや、全然違う話だった。私の理解では、これって「任天堂の家庭用ゲーム機に使われているフォントを(勝手に)真似て作った無料フォントの一覧」なんじゃなかろうか。

無料で使える、よく似たフォントを紹介している部分はいい。でも「任天堂のロゴなどを真似て一部のフォントを修正する」なんて話が当たり前のように出てくるので、クラクラする……。それって単なるフォントの盗作じゃないか。無料とかいってないで、ちゃんと権利者に著作権料を支払うべき。でなきゃ諦めたらいい。

これで心おきなく創作活動に励める……とかいう感覚が、私にはサッパリわからない。

平成24年2月11日

1つ目のまとめにおいて、ニコニコ動画の運営を批判している側の主張がよくわからない。とくに途中から登場するアニメ監督の北久保さんが何を求めているのかが、私にはわからなかった。

他の人もいろいろ反応しているけど、たとえ他者が複製権や公衆送信権を持っていたとしても、その権利物に関する著作者人格権を持つ人が申し立てたら削除申請できます。という運営側の発言って、何もおかしくないと思うよ。申請ができるだけで、削除の約束をしているわけじゃないことに注意。

2つ目のまとめの方で川上会長が述べている私見が、その補完になっていると思う。

まず、コストの問題がある。全ての権利者に「この動画は削除した方がいいですか?」と意向を聞いて回るのは不可能だし、「黙認」という立ち位置だってあるだろう。なので、完璧な権利処理は不可能。しかしながら、ニコニコ動画には著作権侵害に対処するチームが存在し、何らかの優先順位に従って仕事をしている。

いま、著作者人格権の保持者から「これは違法な公衆送信だ」といった指摘があった場合、そのチームが動くわけだ。そして例えば、財産権の保持者を調べ、問い合わせをし、「たしかに違法にアップロードされたものです」と回答が得られたら、削除することになる。ただし、全く権利を持たない第三者の通報では動かない。それをやったら通報が多過ぎてコスト面でパンクするからだ。

つまり、ニコニコ動画が自らパトロールして違法動画を削除して回るのは無理だが、財産権に加えて人格権の保有者からの申請も、対処プロセスを起動するトリガーとするということ。私はこれ、おかしな話だとは思わないな。

平成24年2月10日

1.

とりあえず、出典が知りたい。創作なら創作でもいいと思う。

内容については、ひとつの判断基準として、いいんじゃないかな、と。でも、一介の技術者である私には、あまり関係ないな。「使いやすいのがいいよね」「そうですね(って、具体的にどうすりゃいいの? 思いつかない……)」これで胃痛になってるのが私。

追記:

ふーん。人間には不可能なことを求めるタイプの言説だと思った。どうせ自分自身も絶対に逃れられないので、自戒の言葉にするくらいが精一杯じゃないだろうか。

2.

前も書いた気がするけど、ちきりんさんのブログって、どんな人がどんなつもりで読んでいるんだろう。個人的には「意識が高い人々」と「意識が高い人々にイライラしてる人々」に上手に話題を提供しているのがちきりんさんだと思っている。なので、その方面の流行をチェックするような感じで、はてブで話題になった記事だけ読んでいる。

私はポジティブな人を見るともやもやする方なんだけど、ネガティブな言論が増えたら増えたで不愉快になっている。私はそういうことがずいぶん多い……。

昔、テキストサイト界隈は「ほめるorネタにする」が主流で「批判する」が弱いのが不満だったのだけれど、批判がものすごく増えたいま、「私がちょうどいいと思う批判の割合ってもっとずっと少なかったんだけどな……」なんて思っている。勝手なものだ。

意識が高い人とか、個人的には「自分とは根っこのところが違う人」だと思うし、必要以上に係わり合いになりたくはないのだけれど、「彼らがあからさまに疎まれる世の中ってのは嫌だ」とも思っている。でも、ちきりんさんの記事を読んでムズムズする人がいるのはわかる。私もしばしば誘惑に負けてるし……。

あ、念のため書き添えておくと、私がちきりんさんよりアタマのいいことを書けるわけじゃない。私のいうムズムズ感というのは、「自分にはうまくいえないけどこの意見は間違ってるので誰か反論してください」みたいな感覚。自分で書くと頭の悪い反論にしかならないので……。ただ、「たとえ書けたとしても、書きたくない」というのが、本稿の趣旨。

3.

意識界は話題に事欠かない。ハマると、それらを読んでるだけで日が暮れてしまうから怖い。共感できなくても、読み物としてけっこう面白いので……。

平成24年2月9日

1.

変化を訴える前に、目指すべき社会像を語るべきと香山さんは仰る。でも、それを語って選挙で得をすることはない。一定の支持を得ればポジションを獲得できる評論家なら旗幟鮮明にする意味のある事柄も、選挙で1番にならなければ当選しない知事や市長の立場では、口をつぐむのが得策かもしれない。

というか、挑発されてもそこでは口をつぐむ慎重さがないと、地方の首長になるのは難しいんじゃないかな。総理大臣というのもそう……。価値観の多様化が進んだ現在、攻撃の糸口がほしい側にとって一方的に好都合なのが理念の話題だと思う。しかも「理念が見えない」といえば、万能の批判にもなる。ずるい。

個別具体的な話題になれば、選択肢が限られているから、どっちに与したら多数派の支持を得られるかがわかりやすい。私が思うのは、劇場型の政治家がやっているのは、多数意見と自分の意見が一致する話題を探すことではないか、ということ。

2.

なんとなくリンクしたけど、以下の文章にはほぼ関係ない。

私は、橋下さんというのは、「民意を反映しない政治」への有権者の不満の象徴だと思っている。大雑把にいえば、これまで長らく賢くて善意にあふれた人々が、荒ぶる庶民感情を受け流して善政を敷いてきたのだけれど、人々は「俺たちのいうことを聞いてくれたらもっと世の中よくなるはずだ」と思ってやまない。それで、橋下さんが当選した。

でも「橋下さんが倒れたら、また次の人が……」とはならなくて、たぶん、もう少しふつうの政治家が当選するのだろう。なので、橋下さんを倒すために必死になる側の努力が、空しいものだとは思わない。

小泉純一郎さんが総理大臣を勇退したあと、あれほど民意を汲み取るのが上手な政治家は、国政の場に現れていない。みんな最初だけちょっと期待を集めるけれど、すぐに支持率が落ちていく。たぶん、話題の選び方がうまくないのだと思う。小泉さんが最初から郵政民営化の実現に突き進んだらこうなってたのかも……というような感じ。いきなりTPPとかいいだしてはダメなのだと思う。

みんなの心を掴むようなことをいくつもやり続けて支持を固めつつ、だんだん人々の耳に痛い話や、大勢が不安に感じる政策にも手をつけていく。年金・医療改革の実現は小泉政権の真骨頂だったと思う。

小泉さんがやりたがっていた郵政民営化は、客観的には小さな話。橋下さんが市長になってまで実現しようとしている大阪都構想というのも、割とどうでもいいことに見える。が、とにかくやりたいのはそれなんだろう。当人の割とどうでもいい願いを実現するための支持固めとして、多くの人の政治への不満が解消されていく。結果、世の中のあちこちで悲鳴と快哉が上がる。

3.

平成24年2月8日

この1年、いろんなページが突発的に人気を集めてきました。だけど、そもそもみなさん、市町村から防災マニュアルをもらってませんか? 私の場合、以前いたところでも、いま住んでるところでも、まず転入時にしっかりした防災マニュアルが配布されました。その後、数年ごとに更新版が配布されています。

たいていのことはそこに書かれているのに、どうしてネット上の記事が人気を集めるのか、いまいちよくわからない。でもって、これ。さすが東京消防庁。一般的な地震対策については、もうこれで十分でしょう。あとは地元の避難所とかをチェックしておけばOKじゃないですかね?

平成24年2月7日

私はスマートフォン自体を必要としていないこともあって、「何だかんだいって宝の持ち腐れになってます」というタイプの記事が好き。そういうのを読むと安心するし、楽しい気分になる。もっともっとそういう記事が増えたらいいのになー。(自分では書かない)

私も積みゲーのリストとか書いてみようかと思ったんだけど、どうも楽しい文章にならない。悪口を書きたいわけでは全くないので、挫折。こういうジャンルで楽しい記事を書ける人ってすごいな、と思う。

平成24年2月6日

松本さんの記事を参考に、大阪府と大阪市の『財政のあらまし』を眺めた。(眺めただけです)

1.大阪府

府税収入の推移

2009年以降、府税収入が低落している。減ったのは、ほとんど法人税。ともかく、税収が減った分、歳出を減らさないと借金が増える。

一般会計歳出予算の推移

景気対策として中小企業向けの融資制度を拡充した結果(オレンジ色の部分)、2009年以降とくに支出が増えている。また市町村向けの補助費が増え続けている。その用途は主に社会福祉なので、高齢者が増加するにつれ自然増が続く。

一般会計歳入予算の推移

府の融資は長期ではないので、企業融資が増えれば元利収入などで「諸収入」も増える。見比べると企業融資の増加は諸収入で埋め合わせされており、予算規模の増大自体は財政悪化の原因とはなっていない。

性質別歳出額の推移

税収が減ったのに補助費は自然増が続く。貸付金の増加は諸収入の増加で相殺されるが、税収減に対応できるほど、他の予算が減っていない。というか、補助費と貸付金を除外すると予算規模はだいたい横這い。えっ、横這いなの!?

公債残高の推移

というわけで、公債は増えました。

2.大阪市

市税収入の推移

不景気による税収減の痛みが、大阪府よりは小さい。税目からしてこれは当然の結果。

歳出の推移

これがよくわからない。なぜこんなグラフになっているんだ……。それでも、人件費の抑制については、かなり頑張ってきたような感じ。

市債残高の推移

何はともあれ、市債残高は減っている。理由は正直、よくわからない。

3.

橋下徹前府知事は結局、財政再建を最優先にはしなかった。あれこれ話題になったのだけれど、結局、歳出はそんなに減ってない。で、橋下さんが公債残高を増やしたのは事実なんだけど、じゃあ橋下さんが何をどうしていたらみんな満足なんだろう?

税収が3000億円減ったので、全部の予算をもっと激しくカットしたらよかったんだろうか。それとも、中小企業融資の拡充よりもっとすごい景気対策があって、それに成功しさえすれば大阪府の税収は急激に回復していたはず……なのかな。あるいは、増税支持?

んで、地元・栃木県の財政状況も調べたのだけれど(以下略)。

平成24年2月5日

リンク先の本題については、既にいろんな人がいろんなことをいっており、とくにいま私が書きたいことはない。とりあえず2つリンクしたが、とくに鴨の雑煮を作った話は大きな注目を集めたようで、コメントが多く書き込まれていた。その中にVEGANを自称する方がいて、「VEGANって何?」と。

VEGANというのはベジタリアンの分類のひとつなんだな。畜産物も食べないという……。個人的に興味を持ったのがフルータリアンかな。植物殺を否定し、植物を殺さない範囲内で植物を食べるという立場。ニンジンや大根は食べないけど、リンゴの果肉部分などは食べる、と。

動物・植物の殺生だけでなく、無生物の破壊も含めて、できるだけ回避するように努めるジャイナ教が代表的である。(中略)ジャイナ教は、たとえば農業においても、耕作すれば土中の生物の殺生を避けることができないため、信者は農業に従事することが禁止されていた。この世に存在する限り、間接殺は避けられないものであるため、ジャイナ教の僧は、最終行として食を断ち、餓死する。

埴谷雄高さんの『死霊』にもこの手の議論があって、高校生の頃だったと思うけど、興味深く読んだことを覚えている。いずれ読み返そうと思って文庫版を買ったのに、2回の引越しで、とうとう読まないままどっかへいってしまった。どうしたものかなあ……。

それでも『死霊』は1回は読んだんだからまだいい。中村元さんの『思想の自由とジャイナ教』は、いずれ読もうと思ったまま17年が経つ。読もうと思ってからの方が長く生きているわけで、人生は短いと思う。たぶん死ぬまで読まなくて、後悔するんだろうなあ。

平成24年2月4日

個人の人権を最大限に重視する立場の人々は、徴税を権力による個人の財産権の侵害と捉える。とはいえ、現実問題として国家が自発的な寄付だけで成り立つとは思えない。しかしながら、漸進的な改革案としては、納税者による使途の指定が考えられる。

私も、税金の徴収は強制でいいけど、その1割だけでもいいから、使途を指定したいと思うよ。

  1. 直接税の納税額の1割について、納税者自身が使途を指定できる。
  2. 使途は予算に定められた事業に限られる。
  3. 予算枠がいっぱいになった、その事業はクローズ。
  4. 将来的には、使途指定の多寡によって±2%程度まで予算枠が増減したら楽しい。
  5. 将来的には、使途指定できる割合が増えたら楽しい。

たった1割でも、すぐに予算の枠が埋まる事業もあれば、誰もお金を出したがらない事業もあるだろう。現在の大雑把すぎる選挙より、よほどきめ細かく民意を把握できるのではないか。参考資料としては、面白いものになると思う。

理想的には、納税額は法的に強制されるが、使途は(早い者勝ちの範囲内で)全部自分の好みで決められたらいいのにな、と思う。ITの発展による直接民主制の部分的な実現。あと、納税が遅くなると不人気事業しか空き枠が残っていなくて不愉快だから、多くの人が早め早めに納税するようにもなると思う。

以上、予算を決めるのが政府と(従来通りの普通選挙で選ばれた議員からなる)国会である限りは、破滅的なことにはならないと考えているのだが、どうか。

平成24年2月3日

1.

人口密度の低い岩手県や、あるいは私が育った千葉県でさえ、一部の都市圏以外では、片道2時間とか珍しくもなく……。公立小学校ですら片道1時間とかあるわけで、通学時間を重視するなら、公立高校は学力別をやめて地域別にするしかないと思う。『ごくせん』みたいに、ひとつの学校に様々な学力水準の子を集める。

ただ『ごくせん』は失敗例に見えるので、そのまま真似するのは疑問。例えば、授業だけ習熟度別にするのはどうか。いわゆる「クラス」は学業成績とは無関係に編成し、習熟度別クラスは学科別に編成するならば、校内分断を緩和できるのではないか。技術・家庭科や体育など、習熟度別にしなくてもいい学科も、かなり多いだろうし。

もうひとつは高校の立地かな。駅前に高校があれば、かなりラクになる。広い校庭の確保より、駅前に学校を作ることを優先できないだろうか。必要なら文部科学省の基準を変えたっていい。

2.

一部の優秀な生徒の救済策は、1県1公立高校だけ全寮制にするとか……。1県1校ですら寮の無償化が困難なら、苦学生受け入れキャンペーンを行って下宿のボランティアを募るのはどう?

私の出身高校は海外からの交換留学生を受け入れていたんだけど、単身来日した留学生は、ロータリークラブとライオンズクラブが受け入れ体制を作っていた。病院の院長、銀行の支店長、大企業の部長といった方々が下宿先として立候補していたわけ。日本でも一昔前までは教師や親族が友人・知人のツテを辿って下宿先を探し、優秀な生徒を進学させていた。

かつては一般の家庭でも「お互い様」の精神で下宿を受け入れていた。下宿の受け入れは都市部に暮らす者の責務だよ。日本は再び貧しくなったのだから、そういう文化を復活させていくのがよいと思う。

3.

私は基本的に増税反対。徴税というのは強制的な財産の没収であり、権力による個人の財産権の侵害。国家は寄付で成り立つのが理想だが、そうもいかないので最小限度の徴税のみ私は許容する。学校の統廃合は、私にとっては「増税する前に、もっと積極的にやってほしいこと」のひとつ。

というか、高校も半分は通信制でいいんじゃなかろうか。でなきゃ、高校卒業程度認定試験と同等の試験を全高校生に義務付けるのはどうか。そうすれば「高校を卒業できない」という人が激増する。そうなれば企業が高卒を要件にしたら人手不足になるから、中卒に就職の門戸が開かれるだろう。

企業は別に高校でお勉強した内容を求めているんじゃない。足切り基準として便利だから高卒を要件にしているだけだからだ。

平成24年2月2日

私の中では緩やかに関連する話題をいくつか。

1.

その後、どうなったんだろうか。

2.

a)

私の感覚だと「バカらしい」。「できない」「できるはずだ。何とかしろ」「わかりました」というのはイレギュラーな対応を相手に強要することで、私は是としない。通常の対応の範囲内で対応できないことは「できない」で引き取って、翌日あたり、お客様相談室などに改善要求を送付する。それでいい。

裏方の仕組みなんか、聞いたってしょうがない。岡目八目で「そこをこうすればできるじゃないか」とか思い付きを話したって、意味ないと思う。現場で運用をパパッと変えるとか、ありえない話。(近視眼的にはそれで改善できることは多いだろうが、それを許せば長期的には大事故や不正が横行する土壌となる)

客商売には最初からイレギュラーな対応による問題の「解決」も織り込まれているが、それを発動させたところで問題は解決されない。要望が多ければ仕組みは変わる。淡々と報告していくのが大切だと思う。

b)

……。炎上から始まったブログだけど、今も続いていて、よかった。初期の記事のコメント欄に並ぶ罵言は、見るに堪えない。

3.

80年代、中学では暴力事件が頻発しており、それで私の通った幼稚園では「公立小学校へ行くのは仕方ない。しかし公立中学への進学を、いかにして回避するか!」というテーマで園長先生が熱弁を振るっていた。当事、園長先生は中学受験の支援や、あるいは自ら私立中学・高校を立ち上げる夢も持っていたと聞く。

幸いにも、その後、荒れる中学は次第に改善へと向かう。その原動力となったのは「金八先生」的な世界観だったと思う。少なくとも、私が中学時代に学校図書館で読んだ「校内暴力との戦い」に関する様々な本を貫いていたのは、「弱い者からカツアゲしてケロリとしている感性の鈍いヤンキー、DQNこそ、自分探しで悩む子どもたちである」という信念だった。個人的な体験からも、oribeさんがいうのは偏見で、「悪行三昧の連中の少なからずは悩める若者でもある」と思う。

それはそれとして、ネットで声が大きい層の偏りもあるにせよ、往時は声なき中学生、高校生だった人々が、今では「尾崎豊ふざけんな」の大合唱を形成しているのは、小学校2年生のとき因縁つけられて中学生に蹴られた経験がある者として、楽しい。ただ、そうであればこそ、自分たちの側の暴力性には敏感でありたい。

平成24年2月1日

1.

2.

a)

b)

3.

2.b)はともかく、a)の方は身につまされた。1.で「そうだ、そうだ」と思った直後だけに、なおさら……。他人事じゃない。

私もずいぶんいろいろなことを書きとばしてきた。もっぺん調べなおしたら訂正した方がいいと判明する箇所は、たくさんあるだろう。が、自分一人でそういう作業をするのは、モチベーションの点で難がある……。そういって自分の言葉に対して無責任な態度を取っているのだから、私もまた批判されるべき一人である。

とりあえず、ご指摘があれば随時検討し、必要に応じて訂正致しますので、気になる点があれば、Twitterやはてブでご連絡くださいませ。なお例によって私は、「問題箇所の削除・改訂」と「記事を大きく再編集した日付の付記」という対応を選択しますので、悪しからず。