趣味Web 小説 2007-06-18

記事の改訂について

私はこれからも事後的に記事を改変し続けます。私の記事に反論したい人が、そういうことを気にするなら、今後は「私」を相手にしない方がいいのでは。「記事」を転載して、文章自体を相手にすればいいと思う。転載すれば勝手に書き換えられたりしませんよ。

対話の手段としてブログは極めて非効率です。左近さんとのやり取りも、対面での話し合いなら1時間にもなりはしない内容でしょう。だから、左近さんとの対話自体が私の主な意図ならば、電話という手段を使ってます。そうせずにこうしてブログで書いているのは、もっと他のところに意義を見出しているからです。

私は何より私自身の考えを記録するために備忘録を書いているわけですが、それならテープレコーダーを持ち歩いてもいい。でも音声記録は冗長となりやすく、検索も整理も難しい。毎日ブツブツ独り言を吹き込んでいた時期もあるのですが、一度も聞き返すことがありませんでした。聞くのが面倒だったのです。

やっぱり、文章じゃなければダメだと思いました。文章なら、検索もしやすいし、無駄を削ったり順番を入れ替えたりも簡単。後で利用しやすい記録にできます。

でも文章を書くのは面倒くさいことで、自分ひとりではモチベーションが続かなかった。私の文章を楽しみにしてくれる他人が必要なんです。いろいろ試してみましたが、月に50ページビューくらいあると、文章を書き続けられるようです。

ともかく最終的に作りたいのは自分の日記帳なんです。経験的に、続き物は読む気にならない。なるべくひとつの話題はひとつの記事に全部まとまっているのがいい。となれば、ひとつの記事を、反応を見ながらブラッシュアップしていくのが一番いい(文章を書く面倒も最小限で足りるし)。

続き物は自分が読まないので、書くモチベーションがない。基本的に応答は1回まで。左近さんとの最初の対話もそうでしたよね? 左近さんには例外的に複数回の応答をし、毎回新しく(大きな=400字超の)記事を立てましたが、これは2006年2月の真名垣さんとの対話以来のことです。その前は2005年8月に bewaad さんと。

ちなみに、リンク先を後でまた見ることも、まずないです。だから記事中に引用しなかった言葉は、もう読まないわけです。本も読み返さないし、映画も二度観ることは滅多にない。そんな感じでやってます。

以下、公開後に書き換えた記事をいくつか紹介。じつは新しい記事を投稿するより、古い記事を書き直す方が多いくらい。

公開後、10回くらい書き直したと思う。

何度か書き直して記事の印象が大きく変わり、その変化についても言及を受けたケース。

「補記」を付しながら、じつは「本文」にも手を入れています。

こうしたことを、私は日常茶飯事のようにやってます。でも基本的に変化するのは枝葉の部分。根幹の主張にはふつう、変化がない。過去、改訂に文句をつけた言及者が少ないのは、さして不都合がなかったからかも。「どうせ徳保だし」って諦めかもしれませんけど。

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