趣味Web 小説 2013-09-25

にぎり寿司「11個で満腹」の衝撃

1.話の要点

今日の夕飯は生まれて初めての一人回転寿司だった。

にぎり寿司をいくつ食べたら、自分は満腹になるか? 私は、このトシになってようやく、その答えを知った。たった11個、である。回転寿司なら5~6皿ということになる。

漫然とすし種を選んでいき、唐突に訪れる満腹感で後続を断たれる「心残り感」も、寿司の楽しみではあった。「またいつか、お寿司を食べたいな」と思う、ひとつの原動力になっていた。しかし、ひとたび5~6皿で自分は満腹になると知ってしまえば、これまでと同じではいられない。

最初の3皿は、これまで通り、心の赴くままに選ぶ楽しみを満喫するだろう。だが4皿目以降は、「あと2皿」を意識するに違いない。「4皿目で盛り上げて、5皿目で渋く着地する」か、「最後まで押せ押せで攻める」か。まだ想像の世界だが、なんだかとても楽しそうだ。

2.

カウンター形式の寿司屋は気詰まりである。こちらが何をどんな順番で注文するか、どのように食べるか、客が値踏みされているような感じがして、落ち着かない。

だからお寿司を食べるなら、テーブル席でセット注文する形式か、回転寿司がいい。いずれにせよ、私が寿司を食べる機会は年に一度もない。だったら「きちんとしたお寿司」を食べる方がいいのだろうか? しかし実際のところ、この10年ほど、私が心惹かれているのは回転寿司だ。

回転寿司がいいのは、まだ食べたことのない創作寿司が流れてくるところだ。「なんだこれは!?」という新鮮な驚きがある。それらの多くは「先人が思いついたが、あえてやらなかったもの」かもしれないが、私はその挑戦を受けて立ちたい。

とはいうものの、誰かと一緒に回転寿司にいくと、やっぱりなんとなく気後れしてしまい、ふつうのお寿司ばかり注文してしまうのだった。そうなる理由は、よくわからない。

3.

私は滅多に外食をしない。ずっと自炊を続けている。しかし料理の腕は全く上がらない。

日本語を使い続けていても、日本語の能力は向上しない。日本で10年暮らしてもカタコトのままの渡来者を見ても明らかだろう。炊事も同じで、向上心がなければ上達しない。私の場合、包丁も、料理の知識も、レパートリーも、自炊を始めた頃と変わりない。

私は卵をコンコンパカッと手際よく割ることもできないから、私が料理している様子を見ると、「本当に自炊してるの?」という疑問を表情に出す方が多い。私はそうした様子を逆に観察するのが楽しく、ますます「料理の腕は現状維持でいいな」という思いを強くする。

話を戻す。今日の夕飯は回転寿司だった、という話だ。

私は寿司を食べるのも回転寿司も2年半ぶりで、一人回転寿司は初めてだった。私が外食するのは、出張、職場の親睦会、親戚宅を訪問したときの「外で食べよう」くらい。職場では昼に仕出し弁当が出る。そもそも外食の機会があまりなく、「一人回転寿司したい」と思うようになってから約7年越しの実現となった。

それにしても7年……幼稚園児が小学校を卒業するだけの時間が、過ぎ去ったのか。振り返れば、人生は短いものである。

ちなみに10数年にわたって「いつかまた食べたい」と思っているのが紫蘇の天ぷら。大好物なのだが、長らく食べる機会がない。いつの間にか、最後に紫蘇の天ぷらを食べた年齢の2倍を越えてしまった。これってたぶん、実際に食べたら「こんなものだったっけ」と拍子抜けするパターンだと思う。そう予想するからなおさら、紫蘇の天ぷらを食べるための積極的な行動を避けるようになっている。

ちなみに自炊で揚げ物はしない。油がもったいないから。

4.

一人回転寿司が実現した経緯は略す。

これまで寿司はいつも誰かと食べていたので、自分がいくつ食べたのか、意識したことがなかった。しかし一人で食べれば、嫌でも食べた量はわかる。たったの6皿、11個で満腹になったのは、衝撃だった。どうしてもあと2皿食べたくて、8皿までいって終えたけれど、15個で「これ以上はもう無理」まで追い込まれた。

私は「飲み会」では「料理を片付ける担当」を自任しており、いつも飲兵衛にかわって皿をきれいにしてきたつもりだった。日常では小食だが、それは腹八分目をわきまえているからだと思ってきた。しかし現実はどうだ。寿司11個で満腹、15個食べたら限界。なんてこった。

よく思い起こしてみれば、サラダとか、フワフワの揚げ物とか、見た目にはボリュームがあっても質量は大したことのない料理なら一人でどんどん片付けられたけれど、あんかけとかピザとか、ずっしりとした料理はあまり食が進まなかった。それは好みの問題というより、物理的な問題だったのかもしれない。

ともあれ、自分は自分のことをわかっているようで、わかっていない。そんなことを、あらためて認識させられた。

私の組み立て案

もし「次」があれば、素直に6皿までとし気持ちよく食べ終えたい。とすると、私は僅か6皿でフルコースを組み立てなければならない。これはたいへんである。同時に、楽しそうでもある。

今回、私が食べに行ったのは『魚べい』だった。ここの創作寿司と変り種で組み立てるなら、まず「タコわさ」「海鮮サラダ」、そして「青さ汁」を注文し、メインは「いわしカルパッチョ」「とろサーモン ペッパー炙り」「チキン南蛮ロール」、しめは「いかおくら」……なんてのはどうだろう。

5.

にぎり寿司をどう数えるか。現代では助数詞「貫」を使うのが一般的かもしれない。が、人によって「1貫」の解釈が「1個」だったり「2個(1皿)」だったりするのが困る。そもそも「貫」という助数詞は歴史が非常に浅い。寿司が庶民の食べ物になっていく過程で、全国に謎知識がバラまかれたらしい。

私は「すしネタ」ではなく「すし種」、「むらさき」ではなく「しょうゆ」、「ガリ」ではなく「しょうが」という。高二病だか大二病だか知らないが、私は意識して「通ぶる」ことを避けている。「おあいそ」ともいわない。「ごちそうさまでした。会計をお願いします」という。この記事で「1貫」といわず、「1つ」「1個」といった伝統的な助数詞を採用したのも、同じ感覚からだ。

私がどんな場面でも「通ぶる」ことをしないのかといえば、決してそうではない。しかし、「だから通ぶることを肯定する」のではなく、「自分自身も、批判の対象とする」のが私の選択だ。

というわけで私は「貫」という助数詞を使わないが、「徳保は貫という助数詞を知らない」と思われるのも不愉快なので、補足してみた。

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