趣味Web 小説 2014-01-28

この手の処世術指南は不愉快

この手の主張は肯定し難い。

いや、単なる「炎上を避けるための処世術」としてなら、同意できる。「今回は災難でしたね……」というような共感とともに発せられた言葉なら、話も違ってくる。しかし多くの場合、こうしたことをいいだすのは燃やしている側に親和的な人だから、不愉快だ。

相手の話を聞くのを面倒くさがって、「なるほど。詳しくないんで勉強になりました」という話に押し込めようとしているだけではないか。大勢が誤解して叩いたなら、誤解はもはや誤解ではなく、相手の真意などあってもないのと同じであるという姿勢は、数の暴力に胡坐をかいた人格の圧殺である。

たしかに、ひとたび大勢に誤解されたなら、「真意はこうだ」と説明しても聞く耳など持たれない。自分(たち)の解釈が正しく、当事者の釈明など後付けの嘘っぱちだから無視してよい、とでもいいたげな態度の人があまりにも多いのが現実である。

仮説をひとつ否定しただけで後に続く主張を丸ごと否定するのは論理的とはいえないが、これも世の中では珍しくない。直感的に結論が間違っていると感じた人々は、何かひとつでもケチをつけられるところを探して、それでもって全部を否定しようとする。

知っていることの全てを書くなど不可能なのに、「書いていないことは知らないことだ」と決め付ける輩も後を絶たない。

最初に居丈高に振舞ったのが叩かれている側だとしても、だから叩く側も上から踏みつけるような態度をとっていいという理屈は、受け入れられない。むしろ、ひとたび炎上の構図ができあがったならば、多数派こそ数の暴力や衆を恃んで気が大きくなる自分自身の意識をよく自覚して、よくよく自制に努めるべきだ。

リンク先の事例についていえば、私が読んでも「考えの足りない発言に多くのツッコミが入り、継いだ言葉でますます見識の乏しさをさらけ出した」という話に見える。見えるがしかし、「真意が伝わっていない」のだとすれば、私には、その真意を理解しようと努める用意がある。

「自尊心の損切り」は、ままならない世の中を生き抜くために有効な知恵だろう。だが、炎上の構図に乗っかって面白がっているような人が、敗者の人格を踏みつけにしようとする側の人が、それをいうのは不愉快だ。一緒に涙を流せる人だけが、口にしていいことだと思う。

補記:

相手の主張の前提をひとつ否定しただけで結論までまとめて否定するとか、書いてないことは知らないこととみなすとか、そのあたりは私もよくやるあやまちである。しかし、「だから肯定する」ということにはならない。自分自身の言動を含めて、批判していく。

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