小保方晴子さんのSTAP細胞についての論文等への疑義に関して、はてブに書いてきたことをまとめておきたい。
私には、小保方さんの研究の内容自体は、よくわからない。ただ、私は工学部出で、1年間卒業研究に取り組んだ。論文の作成について、いろいろ思うところはあって、今回の件ではトラウマ(みたいなもの)を刺激された。以下、ほぼ自分のことだけを書くことにする。
私は論文の作成が好きでない。とにかく面倒くさいのだ。とくに気に食わないのが、理系の論文では「写真で表現できることは写真でも示せ」という要求が強いことだ。
同窓生の卒業研究が「ラジコンヘリコプターの制御」だった。その卒論に、ヘリコプターを飛ばしている様子の写真って、意味ある? 私には、全く無意味としか思えない。ある一瞬の様子を写真に撮ったところで、制御がうまくいっているかどうかなど、わかるわけがない。しかし卒業研究概要集を見ると、A4の1ページしかスペースがないのに、空飛ぶヘリの写真が入っている。
工学系の学士論文は、研究室で何年も続けているテーマの年次報告みたいなものに過ぎない。ヘリを飛ばす様子など、何年前のものでも同じだ。それでも、同窓生は写真を律儀に撮り直していた。今にして思えば、古い写真を出典情報を添えて「イメージ写真」として引用すればよかったのだと思う。ともあれ「ヘリの写真」は、私にとって「論文を書く面倒くささ」の象徴となっている。
自身の研究では、電子顕微鏡やマイクロスコープによる観察写真の撮影が課題となった。
研究の過程では膨大な実験を行うのだが、無能な研究者のやる実験は、無駄の山である。場当たり的に実験の条件を変更してしまったりして、論文を書く段階になってみると、実験結果のほとんどは使えないことが判明する。まあ、それはいい。問題は、論文に採用する実験が、写真と対応しなくなってしまうことだ。
とくに電子顕微鏡というのは、試料の作成からして面倒なものだ。断面観察をするとなれば、試料の作成から観察まで最短2日を要する。大きなものの一部を切り取って試料にする場合はもっと大変で、一週間の成果報告が「写真を撮影した」になってしまったりすることさえあった。
となると、全部を撮影するわけにはいかないし、期末の論文作成の時期になってから慌てて写真を用意するのも無理がある。折々に、機材が空いているのを見て、適当な試料で写真を撮っていくしかない。が、その試料の出自となる実験が破棄されると、写真もパーだ。「また撮るのか……」と心底ゲンナリした。
最終的に卒業論文では、写真は全て参考図扱いとして、本題の実験から切り離した。研究の狙いと理屈を概説する章だけに写真を集め、研究の成果を示す章に写真は1枚も入れなかった。「写真は本題について何も証明していません」という私なりの主張だが、手抜きとの指摘もあった。
手抜きは否定しないが、写真は所詮ひとつの試料の様子を示すに過ぎないわけで、「むしろ写真など意味がない」という気持ちは変わらない。
研究室で10年以上もやっているテーマなんて、本題の部分が学士の1年で片付くわけがない。1年で何か成果が出そうな部分を、まずは探すことになる。
「まずは探す」と書いたが、私の卒論の方向性が決まったのは12月頃であり、4月から11月までの8ヶ月間、ずっと霧の中をさまよっていた。月次報告会で「この辺が気になる」「もっとこのあたりを追求しては」といわれる内容も二転三転していたし、最終的に論文で使わなかった実験の方がずっと多かった。
それでいて、論文を書く段になってから追加で実施すべき実験は数多い。論文の方向性が定まってから自分がどんな実験をしてきたかを表で整理してみると、パラメータをやたら多段階に振っている箇所がある一方、空欄になっている箇所のあまりの多さに天を仰ぐことになる。
思いつくままに実験をしているときは、「あれもこれも」という感覚だが、きちんと全パターンを網羅していこうとすると、実験計画法で最小限の実験量としても、振れるパラメータの種類は相当に絞らねば時間がいくらあっても足りない。最後はてんやわんやである。
「最初からきちんと実験計画を立てるべき」と第三者はいう。成果ゼロに終ってもよければ、計画を立てて淡々と実験を進めるだけでもいいんだろうけど……という思いはあった。
1年近く取り組んで、たった20数ページの論文(実質的にはレポート同然)にしかならない。それがどうにも悔しく、私は卒論の結言を書いた先に、6ページにわたって付記を行った。きれいにまとまったところだけ卒論にしたが、実際には研究に取り組んだが成果が出なかったことがこんなにたくさんあるんだという、論文としてはとくに意味のない、いわば愚痴のようなものだ。卒論には、こういう自由があるのがよい。
愚痴といえば、論文の「緒言」を書くのもつらかった。「この研究がいかに有意義か」を書くわけだが、研究中にそんなことを考える必要は感じなかった。研究のまとめで論文を書く段になってから悩むのは本末転倒である。物事の順番からして、先生が学生に研究テーマを紹介する際に話してくれたらよかったのに。
幸い私の場合は、10年以上続いているテーマだけに、先輩方の論文が残っていた。初期の緒言は無内容な文字の羅列だったが、途中で学士・修士の3年間を投じた先輩がおり、そこで劇的に内容が充実していた。私は先輩の書いた緒言を要約し、今年度のテーマにあわせて少し内容を足して、自分の論文の緒言にした。
先輩方の論文を見ると、参考文献の大半は緒言に関するものだった。私はそれらの参考文献を読まず、先輩の緒言だけ見てまとめたので、参考文献リストはとても貧弱なものとなった。
理系の研究指導は、高度な環境ではまあ、いろいろあるのだろうけれど、私のところでは「写真がほしい」「図を入れろ」が主だった。毎月、指摘は同じである。「わかりました」といって翌月の報告資料に写真と図を入れると、今度は写真と図しか見ていないかのような指摘ばかり降り注ぐ。「バカか……」
小保方さんの論文に欠陥が見つかったのは、まず写真であり、次に研究の意義やら言葉の説明やらをする箇所だった。「ああ、いちばん面倒くさくてかったるい部分だよね」というのが私の感想。
小保方さんのやった画像や文章の無断使用は、もちろん悪い。問題の箇所があまりに多く、もう「ミス」という説明は通りそうにない。ただ、「論文のための作業」への憤りは、かつて私の中にも明確に存在した。小保方疑惑は、私にとって、そのトラウマ(みたいなもの)が刺激される話題だった。
小保方疑惑を見て、「他人事じゃないぞ」と私は思った。それで自分の卒論を読み返してみると、「我ながら、意を払っていたのだ」と気付かされた。それでも、所詮それは最後に体裁を取り繕ったか否かの違いでしかなく、小保方さんと私とを隔てる壁は不明確ではないか、とも思った。
私は最終的に、卒業論文の本論では、頑なに写真を使わなかった。使えば嘘になったからだ。写真は論文で使わないことにした実験の試料を撮影したものだった。「ならば撮り直せ」と指導教官はいったが、私はデータ表の空欄を埋めることに集中し、それでタイムアップとなった。やりたい実験はいくらでもあった。おそらく、もう半年の猶予があっても、積極的に写真を撮影する気になどならなかったろう。
仮に指導教官が「本論の実験結果に絶対に写真を添付しろ。さもなくば研究室としてこの論文を承認しない」と迫ったら、私はどうしただろうか? そこまででなくとも、最後の報告会から論文提出までの1ヶ月余りの間に、顔を合わせるたび「写真は撮ったか?」と問われ続けたら、どうしたろう。(実際には何もいわれなかったし提出された論文についても論評はなかった)
所詮はたった一例の、しかもごく一部分を撮影したに過ぎない写真に、何かを証明する力はない。私は強くそう確信すればこそ、「添えものの写真を撮るためなんかに貴重な時間を割けるか!」と教官に反発した。だがそこには、「たかが写真じゃないか」と、実験と対応しない写真を「実験結果」として論文に貼り付ける軽挙に至る危険性も、潜んでいたと思う。
緒言については、やはり「引用にしたかった」という後悔がある。私の書いた緒言は、先輩の論文の緒言を要約し、そこに僅かな更新情報を付け足したに過ぎないものだった。単に言葉を削ぎ落としただけで、フレーズのひとつひとつは原文のまま。参考文献として先輩の論文を挙げてはいたものの、著作権の問題を解決できていない。「自分なりに咀嚼して書け」が教官の指示だったが、私は失敗したのだ。ならば、最初に「先輩の文章をそのまま使いたい」と申し出た初心に帰るべきだった。だが、そうしなかった。
写真を引用して「イメージ図」とキャプションをつけたり、緒言を他の論文からの引用だけで済ませたり、というのが通用する世の中に、早くなってほしい。私は今でも、そう思っている。
写真や緒言は「自分にとってはどうでもいい」から、もっと他のことに時間を割きたい。だが「世間ではそれらが重視されている」から、「イメージ図」や「丸ごと引用」が許されない。世間が変わらないなら、面倒でも写真を撮影するか、何日もかけて車輪の再発明みたいな文案を練る他ない。しかし理想は、世間の方が変わることだ。
小保方さんの論文に問題があるのはたしかだが、研究の内容自体は本物であってほしいと、私は切望している。写真や緒言の不備から研究の内容の間違いが発見できるのだとすると、私の理想はますます実現から遠ざかる。「写真のない論文はダメ」という風潮は、いっそう強化されるだろう。
ちまちま断面試料を作成し、延々と研磨し、ようやく撮影して……という作業の虚しさは、思い起こすだけで胸が詰まる。断面写真があれば素人にもイメージはしやすかったが、別に写真があろうとなかろうと研究の成果を左右するものではなかった。本質的でないことばかり手間を食う、という印象が強く、私は論文の作成がすっかり嫌になった。
緒言もそうだ。毎年、結局のところほぼ同内容の緒言が書かれてきた。なんでまたイチから書かねばならんの、という疑問は、今も変わらない。堂々と引用だけで済ませてよければ、どんなにいいか。大きな目的と先行研究の検討の上に自分の研究を位置づける作業を抜きにして、現実的かつ新規性に富んだ研究などできるわけもなく……というお題目にはウンザリだ。
現実を見ろ。本気で緒言の重要性をいうなら、教官が学生に研究テーマを選ばせるときに、きちんと説明すべきではないのか。それをサボって、学生をいきなり実験生活の只中に放り込んでいるのは誰なのか。それでいて、最後に論文をまとめる段階になってから「緒言を書け」というのがおかしいのだ。
研究室の指導教官というのは、自分では実験をせず、テーマの決定と進捗管理だけを担当するマネージャーだ。教官は、緒言に書くような事柄が背景にあってテーマを決めているのだろう。ならば緒言は、教官が書くのが自然である。学生の動機など、「単位がほしい」「実験を始めてみたら面白かった」くらいのものだ。頭のいい動機をでっち上げる作業は、教官がやればいい。こっちはそれを読んで「ふーん、そうだったんだ」とでもいわせてもらいたい。
ま、私が再び大学の研究室に戻ることはないだろうし、論文を書くこともないだろう。今後の私の人生に影響するような話題ではない。それでも、かつて私が抱いた怒りは、いまだ消えていなかった。