花丸横丁デパート B1F

八百屋

仁義無き八百屋戦争

 私の育った街には一軒の八百屋があった。それはどこにでもある、昔ながらの由緒正しき八百屋である。
 観察力の鋭い人ならその八百屋の陳列棚の中央に壁のような境があることに気がつくはずだ。そしてその境が陳列棚のみならず、店の中も真っ二つに裂き、それぞれの八百屋に店番が一人ずついるということも。
 そう、傍目には店舗の規模から云っても一軒の八百屋。ところが真実は二軒の八百屋が1つの店の中に同居しているのだ。
 この特異な八百屋は学校の通学路に面しているのだが、生徒の中でこの異変に気がついた物は少数だった。店の規模も扱っている品も一軒分だし、二つの店が異なるのは店番とひさしの色だけ。それに子供は通学路に面した八百屋になど関心ないものだ。
 僕自身、この奇妙な八百屋の話は近くに住んでいたOBに話を聞いて初めて気がついたのだ。
 聞くところに寄れば、そのOBの父親の代から両者いがみ合っているらしい。年齢から計算すると、現在の店主が生まれる以前から延々と隣同士で喧嘩していることになる。この不景気な時局の中で共倒れしないかと心配になるのだが、半世紀以上の宿怨の仲のこと、簡単にめげることは出来ないだろう。
 ロミオとジュリエットのような一代では終わらない両家の因縁話というのは現在ではあまり聞かれなくなったが、この二軒の八百屋の構想はまさしくその記念碑的な遺物になるだろう。
 仲が悪いと云っても両者は殴りも罵ることもなく、ただお互いを無視して、平々凡々と野菜を売っている。僕は無責任な外野だし、事情も知らないので、どうか簡単に仲直りなどせず、冷戦のまま特異な店舗をさらして欲しいと思う。
 だって珍しいでしょ? そういうの。
魚屋

栄枯盛衰

 前述した八百屋の近くに魚屋、らしき物がある。
 とはいってもそこが魚屋かどうか、実は確証が持てない。と、いうのも僕はそこで魚を売っているところを見たことがないからだ。薄汚くて狭い店には、ガラスケースが一代あり、そこには豆腐や油揚げなど、あまり魚とは関係ないものばかり売っていた。
 この街には割とそういう店が多い。
 何故それでやっていけるかと云えば、近所に大口の需要があるからで、そういう大手の顧客に売るだけで、小口の地元住民はシカトしていても、十分生活できるのだ。近所の和菓子や然り、電気店然り、文房具店然り、とても一般の競争力はない弱い店である。その分、商店会の団結は強い。
 そんな店だが、土地の古老の話を聞いていると実はとんでもない巨大な会社だったことが解る。
 今でこそ、そこらのデパートの地下の魚屋の方がよほど大きいと思われる程、こじんまりとした店舗に甘んじているが、終戦直後は大規模倉庫を有する豪商だったらしい。現在、その倉庫跡は駐車場になっているが、数十台はとまると思われるその規模は今考えても恐るべきものがある。
 その店はしばしばマグロやカツオなどの大型魚を数匹丸ごと買うことがあり、その時は人夫やら復員やらが解体し、とにかく見物人など現れるほどの大騒ぎだったそうだ。

 そんな店も50年経った今では見るかげもない。
 今ではひっそりと店の奥に立つ老婆。前を通る若者は一顧だにしないような店だけど、彼女の心の中では今でも若かりし頃の活気に満ちた思い出が消えることはないだろう。そして最後の息を吐くその時まで彼女の瞼から消えることはないだろう、きっと。
肉屋

うーさーぎーおーいし、かーのー山

 何をトチ狂ったのか、先日大規模な肉屋まで行って来た。
 最近は僕も立派に更正しつつあり、大抵の肉は食えるようになった。だが、それでもまだまだ抵抗感は強く食えないものも多々あるので、まだまだ生肉を見たり触ったりなどは出来そうもない。
 さて、その大規模肉屋は全体として見ればとりあえず一通りの食材は揃っているのでスーパーマーケットといってもいい。が、その売場の半分が各種の肉でしめられているとなれば、これは肉屋といわねばなるまい。スーパーの面積の半分が食肉売場と来れば一体どれくらいの量であるかは想像戴けるだろう。
 値段はあまり相場をよく知らないが安いとは推定されるだろう。この肉屋の2階は焼肉食べ放題の店であり、焼肉の他に各種の食物も食べられる。それで、その食材はいずれも階下で売っているのだが、よほどの大食漢でもない限り、一度下に来ると上で食べようとは思わなくなる。別に上が高いわけでなく、昼なら1000円である。それほど下は安いのである。
 ともあれ店内をおっかなびっくり散策していると、なかなか人間はいろんな物を食うなあ、と感心させられる。
 牛豚鶏はいうまでもなく、羊や鴨なんてのも売ってる。七面鳥があったり、スープにするのか亀肉があったり、鳥なんだか動物なんだか名前すら知らない動物もある。まあ仮にも一般向けのスーパーだからそんな突飛な肉はないが、その日は一つ吃驚する物にお目にかかった。
 「うさぎ」である。
 日本ではもっぱら幼稚園や小学校などの愛玩動物としか認知されていない兎、それが肉となって陳列されているのだ。
 いや、吃驚したね。
 スーパーでたくさん置いてあると云うことは、やっぱり一定数は買う奴がいると云うことで、いやはや人間の業の深さには頭を垂れる思いがする。いや、牛は良くて兎はダメなんて云う気は毛頭ないが、でもあの兎をねえ。
 朝鮮料理の名物たる犬肉は置いてなかったが、探せば出てくるかも知れないぞ、と僕は思っている。
駄菓子屋

下町桃源郷

 気まぐれを起こして、乗換駅を降りてみた。
 次の電車まで20分もあったため、ホームでただ黙然と待っているのは馬鹿らしいと思ったのだ。
 その駅は大学に入って2年間、毎日乗換のためにホームから降りてはいたのだが駅舎から出たことは一度もなかった。駅名はジャンクションとしては有名だが、街自体はあまり知られていない所だった。
 駅を降りると、どこにでもある都会の駅前風景があった。マックに吉野屋、松屋にコンビニ、銀行に語学学校、あるものはすべてあった。この街は下町だと聞いていたのだが、駅前を見るからにその片鱗は汚い立食そば屋がガード下にあるだけだった。
 僕は大いに幻滅し、ここからすぐの所にあると噂されるコリアタウンにでも行ってみようかと思った。別に僕は猥雑な街を好むのではない、折角途中下車したからには、特徴的な街の風景を見てみたいと思ったのだ。
 線路沿いの道を歩く、高架の下に家が沢山並んでいる。駅から離れるに従いここが下町であると云うことはよく解った。材木店やら町工場が出現し、地元商店が幅を利かせ始めた。オバサンが自転車に乗って僕を追い抜いていった。住民の質は高級住宅地にある大学のそれとは異なり、生まれ育った街に近い雰囲気を醸し出していた。
 なるほど、ここなら犬を食わせる店があってもおかしくない、そう思った。
 と、突然ユートピアが開けてきた。
 突然、何の前触れもなく汚い木造の家が狭い路地を向かい合って並んでいる。その店、合計6軒もあっただろうか、それが全部駄菓子屋なのだ。おそらく駄菓子の卸しを専門にしているのだろう。いくら下町だからってそんなに裕福な子供が沢山いるわけでもない。問屋街なのだ。
 まるでドラマの一齣に紛れ込んでしまったような感覚に襲われた。
 戦時中からあるような真っ黒になった木造長屋、色とりどりの駄菓子や模型や紙風船、最近めっきり見なくなったブロマイドもちゃんと常備されていた。
「モーニング娘。」のブロマイドがメイン商品であることには吃驚した。まだ発行されているのだ。
 僕は懐かしい気分と共にその地を散策した。そして童心に帰って300円分も駄菓子を買うと、公園のベンチに座って食べた。
 僕はこんな魅力的な街を2年間も通り過ごしていたのだ。
 それ以来度々僕はこの異空間に寄り、時間旅行の感覚を味わっている。
パン屋

40円のプレーンパン

 小学校の時、僕は塾通いをしていた。
 まあ塾自体はとやかく云われているけど、僕としては楽しかったな。まあ、進学塾にいたせいもあるけどね。学費が少々張ったから講師もプロでね。最近の個別塾って聞こえはいいけど教師は大学生のバイトでしょ? やっぱ面白さが違うと思うけどね。
 ま、塾の話ではないから置いておこう。
 冬の寒い日、雪が降り続ける零下の街で、僕は母の迎えを待っていた。冬期講習の頃で、空は正午というのにまるで夜のような暗さ。その寒さは立ってるだけでも肌を刺すような痛覚に襲われる。僕は時計を眺め眺めしながら駅前で母が車で迎えに来るのを待っていた。
 本来ならば30分で来るはず、なのにいつまで立っても車が来ない。
 寒い。
 なんだか凄い惨めな気分だった。今ならそこらの店にぶらっと入って暇をつぶすのだが、何故かそのときはそういう機転が効かなかった。いつもそこで待っていたせいか、コンビニに駆け込むこともせずにぼーっと立っていた。これはコンビニにいて迎えを発見し損なうと大変なことになる、という憂慮があったからだ。
 それでもやはり寒さには違いがない。
 僕は財布をあさり、ポケットをあさり、なんとか40円を手に入れた。
 そして僕はコンビニには行かず、隣のパン屋に入った。パン屋の暖かい灯が、とても魅力的に見えたためだ。灰色の空の下、冷たい蛍光灯のコンビニよりも、暖かい橙のパン屋の灯に惹き付けられるのは仕方のないことである。
 そこで僕は40円の四角いプレーンなパンを買い、また店を出て待ち合わせの場所でパンを食べた。
 食事にカロリーがあるのを実感として知ったのは、これが始めてである。
ミルクショップ

生乳片手の高校生

 ミルクショップ、とはなかなか聞きなれない言葉だが、ようするに牛乳からチーズからバターからアイスクリームまで、ありとあらゆる乳製品を扱う店のことである。大抵は牧場かなんかが経営していて、そういう店が僕の母校の近くにもあった。
 さて、ここに一人の級友が登場する。
 彼は今では口の端に上らせるのもはばかる超高級大学にいってしまい。最早住む世界の違う雲上人になってしまった。が、そんなことは高校時代では何の関係もないことであり、オレ・オマエの仲で随分と色々バカなことをやった。
 さて、彼は一応文芸部員であった。ただしろくに原稿を書かないへっぽこ部員であったが。そして僕は部長であるとくれば、職務怠慢の部員を遠慮なくこき使うことができるのはお分かりだろう。
 時は高校2年の年度末。
 僕は恒例である先輩方の卒業記念文集のチェックを編集長とともにし、最後まで残っためんどい作業。部員住所の打ち込みを彼に命令した。
 ところが、当然のように彼はやってこない。部員名簿が巻末に載らなければ文集は印刷できないので、僕は彼を手伝い放課後にまで残って完成させた。やあこれで帰れると安堵のため息をついたところ、彼はボソッと云った。
 「ああ山田、ミルクショップ行くからつきあってよ」
 「はあ?」と僕は聞き返す。「なんだってそんなところに用があるんだ」
 「生乳を買ってこいと親から言われたからだよ」
 僕のまっとうな質問に彼は堂々と返した。
 「馬鹿野郎、お前のせいで居残りして、生乳を買いにつきあえだと? どこにそんなお人好しの高校生がいるんだ!」
 と、僕は怒ったもののなんとはなしに秀才の彼の弁舌の前に沈黙し(頭がいいだけあって狡猾なんだ、こいつ)、結局生乳を買いにつき合わされ、更には夕飯までつき合わされた。その日は随分引っ張りまわされたが、彼は1円も奢ってくれなかった。奴の飯代を払わせられなかっただけ感謝すべきかもしれない。
 だがこの日はこれだけでは終わらなかった。
 なんとこの帰りに僕らは恐喝団からカツ上げされたのだ。ガンを飛ばしたのは彼のほうだが、殴られたのは俺の方というこの不条理。ミルクショップになんぞ行かなきゃこういうことにはならなかったと、彼に苦情を言っても馬耳東風だ。
 しかし高校生が学校帰りに生乳を買いに行くなんて理解しかねる感性だ。
 やはり東大は違う。



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