花丸横丁デパート 2F

オモチャ屋

オモチャ屋の仁義

 先日、大学生の身空ながらデパートの玩具屋に行って来た。
 ここで読者は僕のことを「幼児趣味のあるヘンタイ」とか「ただのオモチャオタク」などと解釈してはいけない。「ああ、それほど暇だったのね」という解釈でも単位は付与するが、模範解答は「ネタに困って実地見学にきた」というものだ。
 さて、オモチャ屋だが当然のことながら僕は随分久しく行っていない。
 プレステなどのゲームはもう殆どやらなくなったが、買う必要のあるときは廉価で知られる中古屋でソフトをゲットしているし、元々あんまりオモチャに興味を示すような子供ではなかった。オモチャよりは絵本、という変わった子でだから当然「大人のおもちゃ屋につれってってー!」などと無知を盾に親を困らせるような愚行もしたことがない。
 話が脱線したが、僕が唯一オモチャ屋に足繁く通ったのは小学校5年生の頃だった。当時僕は悪友と一緒に毎日自転車に30分も乗ってデパートの地下のゲーセンまで通っていた。彼は毎回、メダルを大量に生産し、即日僕とtかいきることを日課としていた。
 僕は彼がメダルを作っている間に、オモチャ屋に行ってスーファミのゲームの体験版をプレイするのだ。今でもこれはハードを変えてあるようだが、要はただで新製品が出来るのである。
 砂糖に蟻が群がるのが道理であるように、ここにはいつも有象無象のガキが跳梁跋扈しており、順番を巡って対立関係になることもしばしばだった。何といっても順番ひとつでゲームができるか否かが変わってしまうのだからみんな必死である。殴り合いになたケースはなかったが、店員を交えた怒鳴りあいも何度か遠目で見た。
 さてここで僕ではあるが、腕っ節も弱く戦闘向きとはいえない僕は何らかの偶然で人がいないときを除けば、他人がやっているのを傍観するのみだった。これはこれで楽しいのだが、やはり自分でやることとは比較にならない。
 ある日、僕は友人にその旨を雑談の中でポツリといった。
 彼は「なんだよそれ。情けなくないのかヨ」と僕を軽侮した。僕は「痛い目見るのは嫌だからね」と逃げた。彼は「それで俺の仲間て云うから情けない」と天を仰いで、メダルをはじいた。
 忘れもしないその翌日、いつものようにメダル作りを彼に任せて、僕はオモチャ屋で他人のプレイをボーっと見ていた。確かスーファミ黎明期で、マリオワールドの体験版が出ていたと思う。
 僕がぼーっと見ていると向こう側から、比較的よく見かけるやばそうな中学生が友人を伴ってやってきた。中学生はゲームに夢中な小学生に向かって一言「おめえら独り占めしてんじゃねえよ」とかなんとか云って脅した。哀れなるかな小学生、訳もわからず脅されて、頭は混乱したまま退散した。
 そして、中学生は友人に何かを言うと去っていった。
 「山ち、やってもいいんだぜ」友人が言った。
 「メダル100枚で話つけたから、ゲームやりたかったんだろ?」

 本当、悪の世界は恐ろしい。
ホビーショップ

アルティメット・ウエポン

 高校の頃の話。進学校の真面目少年だった僕は、付近の不良学生にカツアゲされたことを根に持ち、当時吹き荒れていた「*高狩り」(*には僕の高校名が入る)の嵐に対処するため、武装することにした。
 お目当ては学校の近くにあるホビーショップ。
 ここは「玩具屋」というにはあまりにヘビーな商品を沢山扱っていた。まあ商品は多岐にわたっていたが、一番多いのは広義の「凶器」であった。実用非実用は関係なく、その手の物品が充実していたのだ。
 まずエアガンやガス銃が沢山あった。もちろん免許のいらない方の物であるが。銃自体は玩具屋でも売っているが、ホルスターやマガジンやBB弾の大量売却をしていたのは、市内で知る限りここだけだった。かつては僕もこの店で何丁か買ったが、それは本論とはあまり関係ない。
 この店は物騒なことにそういう子供だましのみならず、ガラスケースの中には護身用ですらないメリケンサックや今や非合法になったバタフライナイフも扱っていた。
 店主は年輩の夫婦だったがなかなか侮れない奴らだ。
 気弱な僕はそれらの凶器を見ても到底つかいこなせるとは思えず、はったりの効く武器を探していた。そして店主のオバサンにワケと予算を話して相談をしたのだ。思えば間抜けだが、まだナイフ事件が頻発する前の話だったので、比較的武装に対しては寛容な世情だったことは幸いした。
 オバサンは裏から二段伸縮式特殊警棒を撮ってきた。ベルトにぶら下げる皮のホルスター付きで三千円。僕は買うことにした。オバサンは手慣れた手つきで伸ばし方と縮め方、戦闘上の注意を僕にした。
 とんでもないババアだ、と思いつつ僕はガラスケースに目を落とし、そこに究極の武器があることを発見した。
 「手裏剣・1つ1000円」
 別の意味で恐ろしい武器だ。確かに不良が手裏剣を抜いて追っかけてきたら抵抗せずに財布を渡してしまうだろう。しかし手裏剣の練習をしている人間がどこかにいるとなると、それはそれで楽しそうな光景だ。
本屋

エロ本小学生と僕

 これは本屋と云うよりコンビニの方が多いのだが、日本で一番書籍を扱っているのは紀伊国屋ではなくセブンイレブンらしいので本屋の項に書いても問題あるまい。
 初めに云うと最近猥談ばかり書いていて恐縮だが、今回もその話題である。品位は勿論落とさないし、話題自体は教育問題にも連なる真面目な物なのだが、嫌いな人はこのデパートの他の店舗にいってみて下さい。
 さて、何を語りたいかというと夜のコンビニや本屋で見かける「エロ本立ち読み小学生」のことである。
 小学生のことだからエロ本を買う金もなく、レジに持っても売ってくれるとは思わず、(レジに立ってるのがバイト員だったら大抵売るんだけどね)仕方なしにビクビクしながら読んでいるのであろう。可愛いことに後ろを通ったりするといきなりページをグラビアから文字ばっかりの記事面に変えてしまうところが面白い。
 ここで観察結果をのべると堂々とエロ本を読んでいる小学生はあまりいない。グラビア比率の高い週刊大衆やアサヒ芸能、またフラッシュやフライデーを読む奴もいる。おそらく「週刊誌を読んでいる」といういいわけが出来るからだろう。もっともそんなものを熟読している小学生もないもんだが。
 昨今子供に対するポルノ規制を厳しくしろという声があがっているが、僕はもう小学生ではないのでどうでもいい。ただそうやって出版物の隔離をするのはどうかね? どんなに厳しくしてもイスラム圏みたいに非合法にしない限り子供は手に入れるよ。小学生の頃、まったく同い年の子供がエロ本の万引きをばれて老店主を石で殴り殺すという事件が函館であった。かくも激しい性欲という魔物のこと。本屋やコンビニからエロ本を駆逐しても、絶対どこからか手に入れるはずだ。
 ま、僕も小学生の頃はあの手この手でそういう雑誌を入手しては高値で転売していた過去があるからあまり大きなことは云えませんが、ドキドキしながらコンビニでエロ本を繰るってのはいい体験だと思うよ。
 規制を厳しくして、それで子供のガッツをつけるという教育方針ならいいと思うけどね。巧妙な犯罪が増えそうなことは、流石に警察も許容しないと思うなあ。
ディスカウントショップ

瀕死のコルレオーネ

 今でも近くに寄ったときには寄るのだが、「***・**」という名前のディスカウントストアがある。名前を仮名にしたのは当然つらい言葉をかけるからである。理由は営業妨害で告訴されたくないからだ。まあ営業妨害などをしなくったってあの店に客なんて来やしないのだ。
 ちなみに店名のヒントを云えば、マフィアのドンの通称である。もう解ったでしょ? 店の前には葉巻をくゆらすコルレオーネみたいな男の肖像があって、ディスカウント店といういかがわしいイメージと相まって、非常にデンジャーな感覚を味あわせてくれる。ここは食品がメインだが、貴金属やハンドバッグも扱っているのである。盗品じゃないだろうな?
 ともあれそういういかついイメージを抱いて店内にはいると裏切られる。
 入口にはセンサーで稼働するレコーダーがあって、入店と同時に軽薄な男の録音された声が流れてくる。

「ハイハイ、いらっしゃいませいらっしゃいませ。今日は++がお買い得」

 とてもじゃないが「***・**」であるマフィアのドンがこんな情けない声を出すとは思えない。これではドンどころか最低のチンピラにも劣るピンクサロンのポン引きだ。妙なハッピにハチマキしめて「おにーさん、5000円ポッキリだよ」とかいっているあの手合いの声である。
 店にはいると、確かに食品は安い。僕が買うのはカップラーメンとジュースくらいだが。
 ところが問題なのはその客のなさである。
 僕は僕の連れ以外の客をこの店で見たことがない。いるのはレジに二人いる無気力なバイトと店長とおぼしき神経質そうな男だけである。店長御自ら商品を袋に入れてくれるとは光栄な店もあったもんである。
 さて、よほど悪どい裏ビジネスに手を染めていなければ、この店は近日中に潰れるはずである。それが資本主義の道理とはいえ、かりそめにも「**」と名乗る店がポン引きみたいな声で命乞いはして欲しくない。
 そう思う。
陶磁器屋

マグカップ7割引

 僕の記憶が正しければ小学校時代の小遣いは月に一律500円だったはずだ。500円、今なら学食でカレー食ってコーラでも干せばそれで消えてしまう額だ。まったくよく一月も持ったものだと我ながら呆れる。
 この500円は、日曜日になる度に100円分の駄菓子と交換され、友人の家にめいめい持ち寄って平らげていたのだ。5人も集まれば結構な量になり、それはそれはささやかな幸せだった。
 ところがこの幸せも、年に1回中断されるのだ。
 母親の誕生日である。
 父親の誕生日には母からやはり500円の追加金があるのだが、母の誕生日には1円もくれない。かといってプレゼントを買わないと報復として僕の誕生日に新しい服を買って貰えないのである。
 とんでもない理不尽な話だが、大人はそういうことを平気でやるものである。
 さていつも駄菓子を買っている店は2階に本業として陶磁器屋をやっていた。当時住んでいた街は近隣に店などろくになく、ここで買う他に道はなかった。そして、その店はいわゆる高級店だったのだ。
 500の下に0がいくつか並ぶものがぞろぞろ置いてある。
 僕は泣きそうになったが、それでも店の主人らしき店員に訳を話して、一番安いものを探して貰った。半ベソの500円玉握りしめた小学生に哀れを催したのか、主人は「1000円」の値札を「300円」に書き換えてくれた。
 ちゃんとした南国のプリントがされたマグカップ。
 僕は大変誇らしい気分で何度も頭を下げると、店を飛び出した。

 母親は結局、このマグカップを受け取ったが、難癖を使って結局使おうとはしなかった。僕は大いに憤慨して講義したが、怒鳴られて泣かされるのが関の山だった。どうせ感情にまかせて叩き割ったか、金を使わせるのが目的なんだろう、そう思っていた。
 なんと理不尽なものかと今にまで恨みに思っていたが、ところが最近その気分が変わりつつある。先日、緊急の用で保険証を捜しに母の部屋を見ていたら誇りにまみれた小箱が出て生きたのだ。裏には88年の母の誕生日と僕の名前が書かれていた。
 大事な書類と一緒に、マグカップは12年間眠っていたのだ。

 また母の誕生日が巡ってくる。
 今年は久方ぶりになんか安物でも買ってやるかな。
文房具屋

 昔はよくあったけど、今や激減の極みにある物と云えば、やっぱり文房具店だろう。所狭しとペンやらノートやらが高密度に置いてあって、カウンターを探すのが一苦労な店が殆どだった。大抵は由緒正しき木造で、いつも文房具屋特有の古くさい匂いがしたものだ。
 あれは今、コンビニにとって変わられたんだろうなあ。場所によってはコンビニで半紙と墨汁まで売っているからね。そこまでやられちゃあ勝てないよ。それに最近は百円ショップなんてものの隆盛で、どうあがいても勝てないねえ。尤も百円ショップの文具の品質たるや総じて酷く、ボールペンとノリは使い物にならない場合が甚だ多いのだが。
 とにかくコンビニの影響力は大したもので個人経営の文房具屋は僕の近辺では全滅、個人経営の本屋も随分減った。その本屋だって文房具屋の衰退の一端を担っている。個人経営の本屋だとカウンターには大抵ペンと消しゴム、それにノートくらいは売っているからね。
 僕は、あのえもいわれぬ駄菓子屋のような高密度の雰囲気、そして小学校の時から感じた「懐かしい」ような古い空気。優しそうなオバサン(どういう訳か文房具屋に怖い顔した奴にあったことがない)と古ぼけたレジ。
 そういうものはいつまでも残って欲しいとは思うが、これも時代の趨勢ならば仕方がない。
 文房具屋に関しては以下の余談で閉めよう。
 僕が子供の頃は小学生の寄り道は絶対禁止で、補導員なんて奴らが四つ辻に立っていた。だから登校中に文具を買う必要が出てきた場合、学校には購買部があって、そこで廉価に買うことが指示されていた。
 ところが最近はこの購買も廃止が殆どらしいね。
 民業圧迫とか生徒のトラブルを防止するとか云っているけど、どうせ本心のところは「神聖なる教育の場に不浄な金銭などもってのほか」とかいう「子供は天使」論の信奉者の献策だと、僕は思うけどね。



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