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花丸横丁デパート4F サービス
床屋
理想の老後
 自慢ではないが、僕はガラにもなく比較的「高級」な床屋に小学生の時から通っている。価格にして1回行くと5000円だ。パーマも洗髪も何もなし、ただ髪切って髭そって頭洗って5000円である。
 ならばそこは何か有名な床屋であるか? 答えはNOである。どこにでもある小さな床屋である。夫婦の経営する街の床屋で、オンボロな座席がふたつあった(これは一応電動昇降式だったが動く度にうるさい音がした)。カットもお世辞にも上手とは言えず、頭髪検査の時など前日に行ったにも関わらず、「山田、自分で切らずに床屋に行け」と云われる始末。
 またこの夫婦の客に対する対応も甚だしく悪く、常連客とくだらん話をしてばかり、頬を切られたことは数知れず、くわえタバコの灰が襟元に入って往生したこともある。
 そんな床屋にむざむざ5000円払っていたのは、一つは僕の世間の狭さ。なんせ中高6年間、行事でもなければ住んでいる街を出なかったくらいである。都会に行けば「カット1700円」なんて大書された看板が散見されるけど、当然そんなところも知らず、床屋相場とはそういう物だと思っていたのである。 二つ目の理由としてキャッシュバックがあったのである。
 中学生の頃は3500円くらいだったが、ここから500円を「おこづかい」としてくれたのだ。散髪料は親が出していたが、このバックは僕の金、という訳で赤貧学生としては非常に助かったのである。

 さて現在大学生の僕は安い床屋も知っているし、小金はあるのでキャッシュバックも必要なくなっている。にも関わらず未だにこの床屋に通っている。
 あの守銭夫婦、あんな粗悪なカットでお金を貯め、今は床屋自体を小綺麗に新築してしまった。ハサミを握るのは子供と思われる二〇代の男女で、確かに彼らはコツをわきまえている。
 そういうわけで、もう年に数度しか行かないが、ここの床屋に決めている。 現在、あの夫婦は店が混んだときや古くからの常連(大抵髪がなく、髭剃りと育毛マッサージで終わりである)が来た時以外はひがなラジオを聞きながら
待合席で雑誌を読んでいる。
 小学生の時からこの夫婦を見ているが、こういう老後って結構理想的かもね、
と思ったりもしている。 

写真屋
カメラマンのアイちゃん
 大学受験願書用の写真が、今手元にある。
 学生服を着た4×3センチの証明用写真。ピントがずれたのか人物が異常に小さく、上と左右がやたらと空いている。そのくせ詰め襟の胸ポケットが見えていると来れば大体のあらましは想像していただけるだろうか。
 僕はこの写真を某写真館で2000円だして買ったのだ。
 今回はその話をしよう。

 寒い冬、僕はその写真館を訪れた。そこを選んだことに理由はない。家からたまたま一番近かったからだ。
 店にはいると来意を伝える。受付の芸術家然とした服(前衛的な感じの高級ブティックにありそうな服)を着たオバサンは僕の話を聞くと裏に向かって、「アイちゃーん、お仕事よお」と叫んだ。
 ドタドタと足音を立ててきた「アイちゃん」を見て僕は吃驚した。
 当時、僕は高校三年生だったが、彼女はどう見ても中学生程度なのだ。背丈から顔から服の趣味からどう見ても高校生以上には見えなかった。
 彼女に誘われてスタジオの席に座る。と、アイちゃんは機械を操作しだし、程なくしてヒモのようなシャッターを握って云った。
 「とりまーす」
 僕は身を堅くしてじっとレンズを見た、が、いつまでたってもフラッシュが光らない。アイちゃんは懸命にシャッターを押したり機械を調整してやり直したが、光らない。
 彼女は業を煮やして母親とおぼしき受付の女に応援を求めた。
 彼女は気怠そうに、カメラを点検すると「フィルムが入ってないわよー」とのたまうと、またどこかにいってしまった。僕は大変不安になったが、「誰が撮っても同じだよ」と甘い願望に逃避した。
 すぐ出来る、というので僕は10分ほど椅子に腰掛けて待つことにした。
 アイちゃんが現像していたのか、時間が来ると彼女が受付で4×3センチに裁断を始めた。彼女はおばさんに「ちょっと小さかったかな?」と云った。と、おばさんは何をとち狂ったか、「あ、こりゃ失敗だね。次から気をつけなさい」と客である被写体の僕の前で云った。
 僕はたまらなくなって裁断中の写真を見た。あきらかに小さい僕がいた。
「これじゃダメじゃないですか、撮り直して下さい」
 そう僕が抗議したとしても不思議ではなかろう。彼女らは自らの失敗を認めているんだから。にもかかわらずアイちゃんの言葉は立派だったね。
「それですと二倍の料金がかかりますけど・・・」
 さあて、僕は頭に来たね。でも決して怒鳴らず冷静に僕は撮り直す必要があることを懇々と説いたさ。するとおばさんの顔は真っ青になったね。何かいっちゃいけないことでも云ったかな、と思ったくらい。
 わなわなとふるえた彼女は一言。「警察を呼びます」
 受験前に不祥事起こしたくないから払ったさ。ただこの2000円という額には明らかに報復の意味があっただろう。失敗写真に2000円。写真屋とは考えによってはいい商売だ。 

オバサン情報の落とし穴
 一時期、腰痛を患っていた頃、母親の強いすすめで「効く」と称される整体師の下に通っていたことがある。オバサンネットワークというものは恐ろしいもんで、そういうネタは腐るほどはいってくるのである。
 それでもって、僕はその怪しげなところに通うことになった。
 大体健康関連という奴は胡散臭い物が多い。宗教にせよマルチにせよ或いはいかがわしい通販グッツにせよ、健康を謳い文句にするのはその常道だ。
 さて、やはり民間療法という奴のことだから、当然胡散臭いものであった。その整体所はどうみてもただの民家であり、そこの一室を解放して、整体所ににしているのである。整体師はどこにでもいるただのオバサンだ。
 いきなり紹介してくれた人の名を云えというのである。会員制だ。怪しさは120%である。そしてあっという間に初診費5000円もとられてしまった。
 そしてやったことといえば、とにかく関節を曲げることだけである。これはやってみないと解らないが、「人間の体ってこんなに音が鳴るんだ」と思う程ボキバキビキベキと凄まじい音がする。そしてこれが非常に気持ちがいいのだ。痛い筈なのだが痛みはない。これは不思議な体験だった。
 ただ、困ったことに肝心の腰痛は治らないのだ。
 整体師は「ま、あなたの年なら早いですよ。毎週来て戴ければ半年で大丈夫」と太鼓判を押した。同道していた母親は狂喜して予約を入れた。
 僕はだが妙に不安になり、病院に行った折りに医師にこの話をしてみた。と、かかりつけの先生は顔色を変え、「君だから云うけどね、そういうところには行かない方がいいよ」という。
 連中はレントゲンも見ずに適当なことを云うし、大体免許制じゃないから(別に柔道整復士の資格もなかった)、誰だってああいう診療所を開くことは出来るのだ。報酬に関しても規定はない。大金を取られても文句は言えないし、それで健康を害してしまった例もあるらしい。
 医師はプラシーボ効果のことなどを簡潔に説明した後、「お母さんがハマりこんでるなら私が説得しよう。連れてきなさい」と云ってくれた。権威に弱い母は説得され、僕は神経を痛めずにすんだ。
 この後、母親の健康ネットワークは宗教や健康食品代理店のマルチ商法などろくでもない勧誘ばかりしかけてきたが、以後すべて僕が目を通して、実印を押させないよう奮闘している。 

サラ金
美人は怖い?
 先日、青森でサラ金の店に強盗が入って放火し、五人を焼き殺すという事件があった。まあ犯人は死刑だな。五人殺しただけでも死刑です。強盗が加わればもう確実、ついでに放火と来ればこれはまあ悪鬼羅刹の態としか思えないね。まあ、ただ僕に云わせればサラ金などに就職すると云うことは、そういう危険も覚悟しろよ、といいたいね。
 金融業、といえば聞こえがいいが、銀行も証券屋もましてやサラ金も歴史的に見れば高利貸しに博打屋と、まあ明るい職種じゃないからね。非合法な仕事をやってるわけじゃないから攻めやしないけど、少なくとも人の恨みを買って当然な仕事ではある。警察官程度には受難を覚悟すべきだ。
 さて、ところで今の日本で所得の一位は武富士の会長だってね。斯様にサラ金業は儲かるわけで、殊に不景気になればなるほど儲かるという大した産業である。
 当然、今サラ金業界では新卒の応募者が増大していると云うが、ナニワ金融道の読み過ぎ君たちが相当数いることは想像に難くない。海千山千の猛者をかき分けて、金を稼ぐ自分のイメージにうっとりしてんだろうな。そういう奴
こそ焼き殺すべきだと思うけど。
 さて儲かる産業に優秀な人材。それが集まったにしては駅のポスター(これが業界の好況をあらわしてか本当に沢山ある)の趣味の悪さは何だろう。一頃の地蔵とかロボとかキャラも業種を反映してか胡散臭い。だが「女の質の悪さ」についてはどうだろう?
 これはTという大手サラ金会社のポスターに顕著なのだが、女は皆見れないほどではないが美人にはほど遠いブスである。これって不思議だよ、金あまりならいくらでも美人を調達できるんだから。まあ業種柄、広報に大金をつける必要はないのかも知れないけどにしてもあれだけ色々CMやらポスターを乱舞しといて毎回毎回ブスじゃあなあ。エロ本の素人者の方が遥かにマシである。
 ま、僕が勝手に推理するに、あんまり美人をのっけると「逆に怖い」というイメージを作っちゃうからなんじゃないかと思うんですが、どうでしょう? 

科学より情緒のオバサン論法
 新聞などの投書欄に時々「室内での運動は不健康だ」という投書が載る。ここでいう「室内での運動」とは、卓球やバレーボールなどの室内競技ではない。ダイエッターに人気のあるエアロバイクやルームランナー、それを提供するフィットネスクラブのことである。
 かいつまんでいえば「街を歩けば気持ちもいいし、季節の移り変わりを知ったり近所の人と挨拶したりできる。室内での運動はお金がかかる上に不健康、ろくな物じゃありませんわ」という意見。投稿者にはオバサンが多いように思う。
 なぜ、かくもこの不景気な世の中にフィットネスクラブがはやるのか。現代人は忙しいのである。大体昼間はそんな動き回る気はないし、夜にふらふら出歩くのは大変に危険なのである。また、外に出るとどうしても何かが買いたくなるし、食べたくなる。
 それに比べるとフィットネスクラブでは、機械を使っていろいろ測定するので、なかなか楽しい。目で見てすぐに消費カロリーや平均速度が出るのは癖になる。それに科学の匂いのするものは、感覚的に効きそうなのだ。わざわざ排気ガスの臭う、危険な街を徘徊する必要はないのだ。
 歩きたい方は歩けばいい。誰も何も云わない。だがなぜそれを不健康と決めつけるのか。現在のスポーツ界では科学的測定を元にしたトレーニングは常識である。短時間で効果を上げようと、楽しんで室内で自転車をこぐことのどこが悪いのだ。
 街を走るジョガーを見てみたまえ、ことごとく馬鹿面だ。 

クリーニング
VIVA,クリーニング!
 クリーニング屋って実は凄いと思う。
 僕の着ている程度のカジュアルウエアなら300円も出せば何もかもキレイにしてくれる。まあ致命的に汚れた物を出さないせいかもしれないが、今までクリーニングに服を出して、汚れが落ちなかったことなど一度もない。
 料理洗濯掃除に縫物と主婦の素養を万全に備えた母が「これは廃棄しなさい」と匙を投げた物まで完全に消してしまう。これは凄いものだ。
 カレーやソースやケチャップや墨汁やインクや血痕や固まった米やら泥跳ねやらとにかく何でも消してしまう。消したからと云って服が変色したり色落ちするわけでも何でもない。何をクリーニング屋如きに今更感嘆しているのか、と人は云うかもしれないけど、とにかく僕は今現在クリーニング屋を深く尊敬・敬愛している。僕の行きつけのKの如き、納品がいつも30分遅れるという店であってもね。
 こういうことがあった。
 高校生の頃、つきあっていた女の子から白のニットのセーターを贈られたことがあった。勿論手縫いではなく既製品である。彼女が作ったらどうなるのか恐ろしくて想像できない。
 ともかく僕はその割と高級な白ニットを大いに気に入り、その冬はいつもそれを着て過ごしていた。
 と、その年のある寒い日。僕はおじやの鍋をひっくり返してしまい。見事に胸に熱したおじやを浴びてしまった。僕はセーターのことなどかまわず悲鳴を上げ、急いで服を乱暴に脱ぐとシャワーで冷やしに風呂に走った。
 幸い胸はやけどしなかったが、パニくった僕は大切な服をほったらかしにしてしまったのだ。気づいたときにはもうニット一面に茶色い染みが付き、あまつさえ固形化した飯粒がしっかりと繊維に食いついていた。
 家事のプロたる母にお伺いを立てたが一笑に付され、説教されてしまった。
 僕は大いに嘆き、見るのもイヤだが捨てるのも癪とばかりに自室に封印した。2年間、僕の部屋の中でそのセーターは眠っていたことになる。彼女とはその後自然消滅の形で分かれてしまった。
 大学生になって、僕はふとあのセーターのことを思い出した。
 思い出したのは実は今年(2001年)の3月である。ファッションに興味を持ち始めた僕が「そういやあれっていいかも」と思って、苦労して封印先から引っぱり出してみた。
 幸い虫食いやカビなどはなかったが、染みや飯粒は相当酷かった。
 僕は「まあどうせ300円だし、駄目もとの賭捨て覚悟で行ってみるかあ」とクリーニング屋に持ち込んだ。店員は一目見て「これは難しいですねえ、まあ完全に落ちるとは思えませんがいいですか?」と訊いた。頷くときっかり1週間後引き取りの伝票を切ってくれる。
 さて、一週間後、僕はおっかなびっくりクリーニング屋に行った。
 店員が手に取ったのは真っ白な、彼女にプレゼントされたばかりのセーター、そのものだった。どんあに目を凝らしてもあの頃の汚れは微塵もない。多少は繊維が粗くなっただけだ。
 追加料金はいっさいなし。
 彼女の愛の詰まっていたセーターはこうして復活し、今でも僕の服飾戸棚に大切にしまわれている。 

百貨店 花丸横丁デパート 店舗エッセイ

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