このページは半年以上前に作ったもので、書き直したいと思ってますが、とりあえず、 「アフガニスタンの紹介」という感じです。
アフガニスタンと呼ばれる地域は、その4分の3が山地だ。最高地点の標高は約7500メートルにも及ぶ。山がちのため、寒暑の差が激しく、冬は寒く夏は暑い。一日のうちでも夜明けには氷点下だった気温が日中には摂氏40度近くにまであがるという。植生はヒマラヤ山脈のそれと似る。森林には、あんず、桃、梨、りんごなどの果樹も多い。南部ではナツメヤシがとれる。そして、最高級品とされるブドウやメロンが。
以前は仏教やゾロアスター教がちからを持っていたが、トルコ系イスラムの支配、それに続くイラン系イスラムの支配(1148-1215)のもとで、イスラム文化が栄えた。異民族による長い支配ののち、1747年、アフガン族は、みずからの国を建てた。1880年にはイギリスの保護下に入るが、1919年には再度、独立を達成。軍事クーデターによって1973年に王制から共和制に移行した。
1978年に再びクーデターが発生、共産主義政党が実権をとる。翌1979年、ソ連の軍事介入によりカルマル政権が成立。しかし、政権およびソ連軍に対する抵抗運動(ムジャヒディーン:英字では、Mujahideen などと写す。「イスラム聖戦士たち」の意)が起き、1988年、ソ連軍の撤退を定めたジュネーブ合意に至った。ソ連邦(ないし共産化)に対立するゲリラ組織を裏から支援していたのは、もちろんアメリカ合衆国であったろう。アフガニスタンは、米ソ両大国の軍事介入を受けた。
ソ連軍撤退が完了すると政権は支えを失い、1992年、ソ連の崩壊とともに崩壊。ムジャヒディーン各派による連立政権に移行し、ラバニ氏が大統領に指名された。そのご政権をめぐってムジャヒディーン各派の争いが激しくなり、アフガニスタンは内戦状態に入った。この経緯について、日本の外務省サイトでは「ラバニ氏が当初の任期を過ぎても政権に居座ったことから」争いになったとしているが、日本はアフガニスタンのどの政権も認めていない以上、このような論評ができる立場にないと言うべきだろう。ムジャヒディーン側では、いま現在もラバニ氏が大統領にあるとしている(Islamic State of Afghanistan の公式サイトでは、ラバニ氏を大統領としている。しかし、現在、実権を握っているのは、後述のタリバーン勢力であり、タリバーン側は1997年に新国家 Islamic Emirate of Afghanistan の成立を唱えている)。
ムジャヒディーンの内部抗争をしり目に、タリバーン(英字では、Taliban、Taleban などと写す:「求道者たち」ないし「神学生たち」)と呼ばれる新勢力が現れた。内戦に嫌気がさしていた国民の支持もあり、タリバーンは急速に支配地域を拡大。日本の外務省サイトによると「現在は国土の9割を掌握している」とのことだが、アフガン・オンライン・プレスの2000年4月22日の報道によれば「タリバーンは、首都カブールを含むアフガニスタンの約80%を支配している」。現在では、「タリバーンと対抗勢力の対立」という図式になっているようだが、タリバーンへの対抗勢力の実態はムジャヒディーン各派と考えられ、反タリバーンでは一致するものの、完全に結束しているとは思えない。また、「求道者たち」とか「聖戦士たち」とかいっても、やっていることは近代兵器を使った戦闘行為である。これについてはアフガニスタン・オンラインで、動画を見ることができる。
ソ連の侵攻とそれに続く内戦で600万人の難民が発生、パキスタンやイランに流出した。この数はアフガニスタン全国民の3分の1に相当し、一国から流出した難民数としては史上最大だという。内戦を通じて、推定1千万個もの対人地雷が設置された。地雷によって毎年8000人が命を落とすが、推定1千万個という地雷の数それ自体は、(驚くべきことに)決してきわだって多いとはいえない。エジプト(2300万)、イラン(1600万)、アンゴラ(1500万)国内それぞれの地雷敷設数より少ないからだ。
アフガニスタンの国旗は緑、白、黒の三色から成る。緑はイスラム教の聖なる色。白は平和を、黒は外国の侵略を受けた悲しみを、意味するという。(CIA情報、追記:タリバーンは全面白の旗を用いる。)アフガニスタンは、どこにあるか。 地図を見てほしい。日本の南西に、中国、台湾、フィリピンといった国々がある。さらに、ベトナム、カンボジア、タイといった東南アジア諸国を経て、インドがある。インドのむこうに、パキスタン、そしてアフガニスタンがある。アフガニスタンのさらに西はイランだ。子どものころ少し意外な気がしたものだが、アフガニスタンは一部、中国とも国境を接している。
19世紀にはアフガニスタンをめぐるイギリス(英領インド)とロシアの勢力争いが展開され、「グレート・ゲーム」と称された。ソ連の崩壊と旧ソ連諸国の独立後、中央アジアの天然資源が注目されるようになり、トルクメニスタンの天然ガスをアフガニスタン経由でパキスタンへ供給するためのパイプライン敷設計画が米国の石油会社UNOCALによって描かれた。これがアフガニスタンをめぐる新たな「グレート・ゲーム」の幕開けとも言われている(米軍によるアフガニスタン国内への攻撃以降、UNOCAL社はこの計画を棚上げにしているとのこと)。 なにしろ、日本の外務省の公式サイトにさえ「ソ連軍駐留時代に米CIAによって建設されたゲリラ訓練施設が現在も存在すると言われ」などと、「CIAの陰謀」(笑)が公然と明記されているほどだから、裏の実態はうかがい知れない。世界最大級のケシ栽培地域で、ヨーロッパに流通するヘロインの80%以上がアフガニスタン原産とも言われる。こちらも、裏で大儲けしているのは、アフガン人自身ばかりでもないはずだ。(日本の外務省は、アフガニスタンを含む一帯を「世界最大のケシ栽培地域」としているが、CIAはアフガニスタンの「非合法のケシの栽培量」について「ビルマについで世界第二位」としている。全般にCIAの情報のほうが客観的な印象がある。なお、ヘロインは、ケシから作られるアヘンを原料にしたモルヒネから、合成される。)
インターネット上には、Afghanistan Online というサイトがある。インターネットによる情報のちからは、虐げられた者、弱者の知恵のちからとならねばならない。とりあえず、英文で発信されている情報の一部を抄訳してみたい。もちろん、「アフガニスタン・オンライン」というこのサイトに裏から手をまわしているのは、ほかならぬアメリカかもしれない。けれど、たとえそうだとしても、現地からの声(とされるもの)の行間には、ぬぐいされないなまなましい真実のかけらが、ちりばめられているものだ。そのほほえみが作り笑いだというのなら、作り笑いの不自然さをよく味わえばいい。(つづく)
関連リンク >> アフガン問題解決への取組み(外務省)|危険度5「退避勧告」(外務省安全情報 - アフガニスタン)|「燈台」NGOのホームページ|日亜友好会(NPO団体)|ペシャワール会(NGO)|CIAの「The World Factbook」のアフガニスタンの項(英文ですが、簡潔で分かりやすく、客観的で詳しい)
注: NPO … non-profit organization「(民間)非営利組織」。NGO … non-governmental organization「非政府組織」。
アフガニスタン・オンラインが「アメリカのサイト」であるのは、結果的に良かったと思われる。イスラム系のサイトだったら仏教遺跡のニュースが自由に出せたか分からないし、ムジャヒディーンないしタリバンのサイトだったら、どちらかにかたよった報道しかできなかっただろう。アメリカは、アフガニスタンがソ連の支配下にあったときの反政府勢力(ムジャヒディーン)を支援した。今でもアフガニスタン・オンラインのリンク集の筆頭には、ムジャヒディーン側の「アフガニスタン・イスラム共和国」公式サイトが挙げられているけれど、タリバーン側サイトへのリンクもちゃんと並んでいる(CIAサイトでも、同じく前者を正当とする建前だが、NOTEとして後者の名も挙げている)。チャットルームまであるのがいかにも西側的だが、チャットの内容までは厳密に取り締まれないだろう。
Afghan Online Press の報道も、アメリカへの配慮(アメリカ側からの事実上の検閲)がまったくないとはいえないかもしれないが、他方、アメリカが完全にコントロールしているわけでもないようだ。もっとも「共産主義者による乗っ取り」という歴史観、この点では、タリバーンもムジャヒディーンもアメリカも意見が一致しているようだ。いくら自由主義の国のサイトといっても、旧ソ連邦の立場に立った議論までは、そうないだろう。
2000.05.01 追記 アフガニスタン・オンラインのサイトでは、コミュニスト組織へのリンクも用意している。他方、ムジャヒディーンを「英雄」と呼んで写真を紹介している(ただし共産主義政権の影響が強かった時代の古いコンテンツかもしれない)。
タリバーンの「アフガニスタン・イスラム首長国」にせよムジャヒディーンの「アフガニスタン・イスラム共和国」にせよ、みずからの正当性をアピールしたいことは同じだろうが、どちらも実際にはアフガニスタンの ccTLD であるアフガニスタン・ドメイン .af からは情報を発信できず、gTLD の .com や .org を使っている。この何気ない事実が、じつはアフガニスタンの内戦の傷の深さを象徴しているようにも思われる。アフガニスタン国内には、.af ドメインを管理運用してゆくだけの秩序が、まだ回復していない。砲弾が飛び交っていて飲み水もない土地で、ドメイン管理だのネームサーバだのそんな優雅な話もできないだろう。CIA情報によれば、電話もほとんどなく、平均寿命は40台、幼児死亡率が14%という。
「アフガニスタン、数万人が飢えていると訴え」(BBC News):アフガニスタンは、南部のききんでの人命救助のための国際支援を訴えた。パキスタンの、Afghan Islamic Press の報道によれば、支配者タリバーンの代弁者は語っている。数万人が餓死の危険に直面している。カンダハル、ヘルムンド、およびウルズガン地方において。長引く干ばつの影響だ。タリバン側の代弁者は、「人々は飲む水さえない」と語った。他方、北部アフガニスタンを支配している対抗勢力は、同じく干ばつに苦しむバグラン地方で発生している蝗害(こうがい:いなごによる被害)対策への、国際支援を呼びかけた。
「パキスタン、インド、アフガニスタンで干ばつの恐れ」(Business Recorder):深刻な干ばつが、パキスタン、アフガニスタンおよびインド西部の広範囲を苦しめている。夏が来て気温があがることで、いっそう事態は悪くなるだろう。専門家の推定では、パキスタンではかんがいに必要な水の3分の1が足りていない。季節的な雨が遅れている。政府関係者も、もしモンスーンの雨が降らなければ、いくつかの重要作物がだめになると言っている。干ばつに苦しむアフガニスタン南部について、国連では、「赤痢、下痢などの病気の危険が増加する」と懸念を表明した。首都カブールの農民たちも、同じく打撃を受けている。かんがいの用水は、カブール川からの運河の水しかないのだ。
「タリバンが26名を処刑したと告発」:反タリバン北部同盟が告発したところでは、タリバンは、少なくとも26名を処刑した。これは、グスファンディ地方がタリバンの手に落ちたあとのことである。以上をラジオ・テヘランがレポートした。反対勢力の代弁者は、グスファンディ地方が現在タリバン勢力下にあることを認めた。しかし、反対勢力は今なお近くの山地に潜んでいるという。この代弁者は、Darra-e-Souf でのタリバンと北部同盟の戦闘というレポートについては、否定した。
「OICがアフガン和平会談を5月17日から開く」:アフガニスタンの武装勢力諸派は、和平会談のためにサウディ・アラビアに集まる予定だ。これは5月17日からのことで、Organisation of the Islamic Conference (OIC) が中心となっている。以上を金曜日に新聞が報道した。「サウディ・アラビアのジェッダで5月17日から、タリバンと反タリバン同盟のあいだで、いくつかの会談が行われるだろう。」OICの担当者は、新聞社にそう語った。「これらの会談は四日間の日程で、会談の第一ラウンド(3月に始まった)をうけるものだ。」この担当者によると、タリバンと反タリバン同盟は、3月の会談のときにOIC関連団体が出した提案に回答することになっている。「我々はまだ正常化のプロセスの第一段階にいる。第二段階としては、双方が話しあいを進めるための共通の基盤を探さなければならない。」タリバンは、首都カブールを含むアフガニスタンの80%ほどを掌握している。3月にタリバンは、反タリバン同盟の代理人と、OICの立ち会いのもとで三日に渡って会談したが、進展は見られなかった。タリバン民兵によるアフガニスタン統治については、これを承認しているのは、パキスタン、サウディ・アラビア、アラブ首長国連邦だけだ。国際社会のそのほかの国々は、依然として、追放されたラバニ大統領の政権を認めている。ラバニ大統領の軍は、タリバンの民兵に公然と反抗している。これはカブールの北方および北東の山岳地帯でのことである。
訳注:この報道では、「パキスタン、サウディ・アラビア、アラブ首長国連邦を除く諸国はラバニ政権を公認している」ように書かれているが、日本はどちらの政権も認めていない(ただし国家としてのアフガニスタンは承認している:外務省サイトの 「アフガニスタンQ&A」の「日本とアフガニスタンの関係はどうなっているのですか?」の項を参照)。また、この報道では、タリバンの軍事組織を一貫して militia 「民兵」と呼び、一国の正規軍とは認めない立場だが、他方において、ラバニ大統領を「追放された」と認定。正当な統治者なきアフガニスタンの実態を浮き彫りにしている。
そもそもムジャヒディーンというのは、共産主義政党の統治下での民兵(ゲリラ組織)で、それを応援していたのがアメリカ。そして、「めでたく」ムジャヒディーンが共産政権を打倒してうち立てたのがラバニ政権だったはず。そのラバニ大統領が追放されてしまったということは、要するに、アメリカが支持していた政権が崩壊してしまったことを意味する。ソ連も崩壊したが、アメリカ側も崩壊した。共産主義政権はソ連邦の崩壊で支えを失い崩壊したが、ラバニ政権はアメリカの支えを失っていないのに崩壊してしまった。傀儡政権の崩壊という意味では、いっそうひどい状況だ。アフガニスタン問題が混迷を深める背景には、アメリカが、現在アフガニスタンを実効的には支配していない政権を支持してきた、という事実がある(今も支持するような態度を見せている)。あくまで結果論だが、放っておけばどうせ本家本元のソ連邦が自己崩壊したのに、ソ連のアフガニスタン軍事介入に対してアメリカが余計な手出しをしラバニ政権まで作ったお節介がもとで、話がこんがらかっている。けれど、単に「ソ連邦による世界支配」というアメリカが少なくとも建前としては口にしたかもしれない懸念だけでは、なかった;アメリカは(ソ連がいなくても)アフガニスタンに介入したくなるような、複数の利害関係にかかわっていたのだろう。ソ連は、それに適切な口実を与えてしまった。
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