一般の音楽家に「素人さんじゃ自力で回収できないでしょう」と思わせ、 著作権利用に関する債権を安く買いたたき、 一次著作権者本人がそこまでしてほしいとは思っていないやり方で、 金の取立てを行うプロの債権回収代行業。 自分は音楽を作るわけでも聞くわけでもない中間寄生者。 巨額の政治資金で法律自体を捻じ曲げる力を持っているので、あなどれない。
みんな「日本音楽著作権協会(通称「JASRAC」)って知ってる?名前はよく聞くけど謎の会社だよね?1週間ぐらい前にその謎の会社「JASRAC」からなんと「著作権料200万円払え!」という通告書と契約用紙が来たんだ!僕からすると「?」って感じなのでとりあえずほっといたんだけど(場合によっては今流行りの「振り込ませ詐欺」かもしれないしね!)
そして昨日また「JASRAC」から通告書が来て「払わないと訴えるぞ!」みたいな文書が書かれていた!ちょっと待てよ!こんな文書を送りつけて200万円もの大金を素直にホイホイ支払うバカがこの世にいるのか?
僕は頭に来て「JASRAC」にすぐ電話して「とりあえず意味わかんないし説明して欲しいから来い!」と伝えた!すると「JASRAC」まで来店して欲しいと言われたが、あんたらね~!人様からお金もらおうと思ってるのにそんな横着してどうすんの~?
もうひとつ頭に来た理由というのが200万円の金額の出し方である!ライブハウス業は月に約¥28000(これはライブハウスの大きさにより異なるらしい!大きければ大きいほどもちろん高くなる!)を「JASRAC」に支払わなければいけないらしくDAYTRIPは1997年の1月から現在までの約 80ヶ月分の未納分が約200万円ということらしい!あのね~!1997年1月なんて開店してないぜ!スケジュールやチケットに「SINCE1997」って書いたるから「じゃあこの店は1997年1月からの金を取ろうぜ!」ってこと?
他のライブハウスに電話で聞いてみたらどうやら名古屋のハコ全部に同じ時期に「JASRAC」から同じ様な通告書が来たらしい!だから今、名古屋のライブハウスは大騒ぎである!今池のハコはもう20年以上やってるので単純計算したら800万円近い額だし車道のハコは15年ぐらいなので約600万円!そんな額払ったら店がつぶれちゃうよなあ! 「JASRAC」というのは「音楽の文化を守り、音楽を製作する環境を良くするための団体」なんじゃないの?それなのにライブハウスをつぶしてバンドマンが音楽ができない環境を作ってどうすんの?素直に「音楽の文化を食い物にして、音楽製作者を奴隷にして私腹を肥やしている会社です!」と言ってくれたほうがわかりやすいけどなあ!
なんでも「コピーをやった可能性があるから!」とか「JASRAC登録をしたバンドがやったから!」という理由で支払わなければいけないらしい!その「JASRAC」に登録していたバンドというのは「サーフ・コースターズ」のことだ!あのねえ!「サーフ・コースターズ」がライブやったのは何年前の話?なんでやったらすぐ来なかったの?「コピー」をやったという物的証拠とか僕に出してよ!
僕が明日から「酸素製造機」を作って酸素を出すから10年後にあなたのところに来て「酸素使用料500万円支払って下さい!」って行くよ!なんじゃそりゃ?って思うよねえ!僕等からしてみれば今回のこの件は同じ事だ!
又は君が駐車禁止をしたとしよう!警察署に行き罰金を支払い減点されるよね!その時、警察に「君は今回、駐車禁止をやったし車も持ってるから過去に証拠はないけど駐車禁止をやった可能性があるから罰金100万円と免許取り消しね!」って言われたらどうする!「?」って思うだろ!それと同じ事!
とにかく「JASRAC」の仕事の怠慢さに腹が立ったのだ!「音楽の文化を守る!」という大義名分にも腹立つねえ!そんなこと全然思ってないだろ?会社の私腹を肥やすことで頭がいっぱいなんじゃないの?
最近ライブハウス以外でも取り立てているそうだ!その対象が「クラブ」である!知り合いのクラブでも取り立てが来たらしく頭を悩ませていた!こんなんじゃクラブもつぶれちゃうぜ!まさに「JASRAC」は言ってる事とやってる事が逆だ!
お客さんが納得した商品とサービスによりお金を支払うというのが「経済」というものではないか!「JASRAC」がやっている事はヤクザの恐喝に等しい!そんな「JASRAC」の体制はこれからの音楽文化を守るために是非、変えて欲しいのだ!
春日井直樹の部屋から抜粋
私の敬愛する宮沢賢治は、『北ニ ケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイイ』と、雨ニモマケズで書き残しています。
だから、ケンカヤソショウをするつもりは、私には、ありません。
本当は、こんなこと、日記に書くのは、恥ずかしのですが・・・。もし、時間の許す方、興味のある方には、読んでいただきたいのです。
音楽著作権協会さんの、指導により、銀河のほとりでは、当面の間、
音楽活動が、できなくなりました。事の次第は、こうです。
まず、 著作権協会から、『音楽著作物利用許諾申込書』というのが数回に渡り、おくられてきました。料金規程など説明書は入ってきましたが、バーや、カラオケ基準のようで、どういうことか、わからないので、問いあわせの電話をいれたところ、(5月末)
「飲食店で、ライブや、歌声喫茶をやるためには、包括契約というのが必要で、音楽活動をはじめたときにさかのぼって支払わないと、法的手段に出る。」と、いきなりいわれました。
銀河のほとりでは、歌声喫茶は、月に一度、約一年間、飲み物代として¥500いただき、 5~25名で開催しました。このことについては、
http://newvoice.lucky-bits.com/iine/back/2003-2-6/2-6.htmlもごらんください。
また、ライブも、年数回で、ほとんどが、著作権に関らないオリジナルだと説明して、使用した曲については、支払したいと伝えたのですが、
『飲食店には、そのような扱いはできません。裁判で、立証することは、困難でしょう?裁判には、お金がかかるんですよ。そのような、ぜんれいもありますから。払う気がなっかったら、法的手段に出ます。1週間時間をあげますから、 契約書に印鑑を押して、返送するように』と電話を、切られました。
それで、びっくりして、いろいろ調べたのですが、
非営利組織等では、主意書や、パンフレット、プログラムなどですむそうですが、飲食店には、
一曲ごとの使用料として清算することは、と許されないそうなのです。包括契約しかない!
向こうの言い分だと、ウチの客単価¥850くらい、客席数20以下で生演奏をする店は、
使用料規程の表3 客席数20席以下、客単価¥2000以下、月額60時間までの生演奏にあてはまり、月額¥9000となり(それ以下の区分はなく)、一旦契約したら、何もやらない月の分まで払わなければならないことになります。たとえ、年に数回だとしても。それが、著作権にかからなくても。
これを、営業(音楽活動)開始まで さかのぼった分まではらい、かつ、現在の分まで払うとなると、大変です。
『月額¥9000でできますから、払えばいいんです。』と簡単に言われても、いまの、銀河には、そんな金も、力もない。店を止めるしかないの?著作権にかからない、オリジナルライブさえ、なぜ、規制されるの?(万が一、ライブなどをしたら、たいへんなことになりそうです。)
と、疑問が尽きません。『裁判で、著作権にかかる曲をやっていないことを立証できないでしょう?』といわれても、確かに裁判に、傾ける力も金もない。
それも、契約書には、客単価や、席数、何故かホステス数というのはあって、売上の欄がない?それに、計算の仕方には、ボトルキープとかテーブルチャージ、コース料理の金額が算定の基準になっているんです。ちょっと、銀河のほとりとずれすぎです。その中から選択しなければならないのですが、どうやって選べっていうんでしょう?70歳のばあちゃんと、障碍のあるスタッフをそこにいれろということでしょうか?
フリーのアーティストの活動で、公共の施設でも、営利目的などは制約があり、使用料が別料金だったりして、入場料もとれなっかったり、時間も融通が利かないことも多いので、お店を開放すれば、今度は、店に、著作権の契約料がかかる。
私には、理不尽に思えるのです。自由に歌えない!事前に届や契約が必要?お金がないと、こんなことまで、許されないの?これが、著作権法、法律なの?誰のための法律?何で、著作権のないものや、人まで規制されるの?
これは、あくまでも、担当者への非難ではありません。担当の方も、それが、仕事、マニュアルのようです。
一時は、ショックでホームページも続けられないぐらい体調をくずしましたが、(それに4~5キロやせました。食事がのどを通らなくって。おかげさんで、今までやせたことのない私が、だいえっとにせいこうしました?)
最終的に
実際2004.6.13水カンリンバコンサートをやったということで、何もやらなかった月の分もビシーと、2003.1.16の1回の歌声喫茶をやった時から、18ヶ月分払うことになりました。
それにしても、月¥9000しか払えない、銀河も かなりなさけないです。
というわけで、この支払が終わる 来年の12月頃まで、音楽活動はできないことになりました。そのあとのことは、払い終わってから、考えようと思います。
BGMも、『著作権のないものに限る』という主張は、できないそうです。
ホームページでは、本名や、住所などを非公開にすることもできます。
でも、お店などをやっていると、逃げも隠れもできません。
このようなことは、自分のことだけの問題ではないとおもい、ここに、公開させていただくことにしました。
はじめに申し上げたように ツマラナイカラ ケンカヤソショウをしたくてかいているのではないことを どうぞご理解くださいね。
でも、銀河のほとりは、心と体と地球のための自然食レストランです。
さらに、自然や、宇宙と調和できるような、生き方を模索して行こうと思います。
「なんか、ヘンだぞ。著作権法」より
JASRAC賞: もっともよく働き儲けさせてくれた作品提供者に与える功労賞。音楽の良し悪しとかではなく、売り上げの多寡。彼らがうそぶく「価値ある音楽文化」の意味を象徴するような存在。
日本音楽著作権協会(JASRAC)は19日、新潟市内の飲食店が「著作権料を支払わずに、店内で生演奏やレコード演奏を行った」として、演奏中止などを求める仮処分を新潟地裁に申し立てた。
JASRACによると、同店は1994年11月から2003年10月の10年間、店内で生演奏やレコード演奏を行っていた。 未払いの著作権料は約550万円にあたるといい、和解に至らなければ、損害賠償請求を行う予定。 同店の経営者らが新潟市の繁華街で行ったジャズの生演奏イベントについても、損害賠償請求を行うという。
(後日談)JASRACの主張のうちかなりの部分は理由がないと退けられた。 → ジャズ喫茶スワン
学生「バンドやってるんで。いちおうミュージシャン目指しているんですけど……」
JASRAC「音楽家志望ですね。演奏権をお貸ししますので、持ち家のある連帯保証人2人を用意してください」
先生「新しい漢字ですよ! 書き取り100回」
生徒A「版権は大丈夫なんですか」
生徒B「活字のデザインにも知的所有権が…」
生徒C「百回コピーは私的使用の範囲を超えて多すぎると思います」
生徒D「このノート買ったとき、メディア代で私的使用補償金、払ってないし」
先生「平気、平気。先生、○条署のお偉いさんと知り合いなの」
攻撃者が特別に作ったBMPファイルをIEで読み込むとバッファオーバーランが発生し…→悪意あるBMPファイル
WMPで特別に作られたスキンファイルを読み込むと任意のコードが…→悪意あるスキン
特別に作られたCDを再生するとデバイスが侵害され…→悪意あるCD
アキレス: 「プレーヤーを破壊する音楽だと!」
カメ: 「音楽愛好家のカニくんへのプレゼントさ。題名は《わたしはこのプレーヤーでは再生できない》」
注: ホフスタッターの作品に文脈は全然違うが(ゲーデルの定理のたとえ)本当にこういう会話がある。 これはそのパロディーみたいなもの。
前衛・銀色アルバム
1997年までに、日本新聞協会は、記事の見出しにも著作権があると解釈可能だ、との見解を発表した。 「見出しにも新聞社としての創意・工夫がこめられており、著作物であるという解釈もあります」というのだ(ネットワーク上の著作権に関する新聞協会見解)。 しかし、より創作性が高いはずの小説の題名などでも、一般には著作物性は認められておらず、 日本新聞協会の主張にはやや無理があった。同協会自身、この問題が微妙であることを見解のなかで認めており、 単に「そういう解釈もある」と述べるにとどまっていた。
2001年には東京地裁の「本の題名侵害事件」で「本の題名が保護されるには、高度の独創性と公知性が必要」とされており、 雑誌に長期間連載されたような場合には公知性があると言えるが、 それでも表現に目新しさがない場合には保護されないと示されている。
まして、きのう・今日出たばかりで公知とは言えず、紋切り型が多い新聞記事題名は、 二重の観点のどちらからも、保護に値しない。
2004年3月24日、このことを裏付ける判決が再び東京地裁で出された。 記事の「見出し」をウェブ上で「無断で使用された」と主張していた新聞社が敗訴したのだ。これまでにも既に「松本清張の作品の題名のリストに著作物性が認められない」と判断された例もある。 見出しや題名だけを抜き出して並べても作品を「盗用」したことにはならないし、 さらに、多少ユニークな作品名などを、他の用途に利用しても問題ないということだ(題名に、 俳句のような極めて高度な創作性がある場合は例外となる可能性があるが、新聞記事の見出しではその可能性は少ない)。
同新聞社では「見出しはそれ自体にも商品価値があり、無断使用はただ乗りビジネスの容認で承服できない」という意味のことを述べているという。 見出しを商品として利用できるのは確かだが、それは著作物性の有無とは関係ない。 著作権法によって保護されない「木材」や「水」や「マグネシウム」にも商品価値はある。 全体の趣旨は分からないでもないが、争うなら著作権法ではなく不競法あたりで訴えるのが筋ではないか (大手新聞社の提携企業であるかのごとき虚偽の印象を顧客に与えて信用させ…などと)。 実体ではなく実体への参照(ポインタ)にすぎない見出し(題名)の利用に制限など認められようものなら、 制約はあまりに多方面に及び、不便で非現実なことになってしまう。 原理的にはURLを並べたリンク集も違法になってしまうのだ。
「見出しにも、時間をかけて創意工夫を凝らした創造性がある」ということと、 「著作物として著作権法の対象になる著作物性がある」ということとを、混同しないようにしよう。 料理のちょっとしたコツ、スポーツ選手の工夫を凝らしたユニークな練習メニュー、あるいは親などがつけた子どもの名前などにも創造性があり、 しばしば長い時間をかけて熟考された結果であるが、だからといって、料理のコツや、練習メニューや、子どもの名前は著作権法の対象となる「著作物」ではない。 時間をかけて工夫を凝らしたもの、オリジナリティーのあるものだからといって、すべてが著作物という訳ではないのだ。
この事例が示しているのは、見出しがどうとか、新聞社がどうとかいった特定のことというより、 「著作権者」であるからといって、無制限にいろいろな権利を主張し、著作物についてみだりに制限を課すことはできない、ということである。 著作権法に定められている「著作権が制限される場合」とは、逆に言えば、利用者側にその著作物を使う権利が認められるケースだ。 教育機関における利用とか、引用など、利用者側に利用の権利があるケースも多い。 その場合には、著作権者が「許可するしない」ではなく、利用者の側に法律で保護された権利があって、著作権者たりとも原則として干渉できない。 干渉しようとしても、このように争えば、著作権者側が敗訴する。
そもそも公開された著作物は――読む・鑑賞する・参考にする・論評するなど――利用されるべきものである。 公開されていても誰も利用できない著作物は実効上、公開されているとは言えず、存在しないに等しい。 したがって、利用に関するあらゆる制限を著作者側にゆだねることは原理的にできず、 「利用できる」ということがむしろ正常な状態であり、通則であると考えるべきだ。 その通則を前提に、例外規定として、著作権者の特権を一部に限って認めているのである。 「原則としては、つまり理想論としては、自由に誰もが作品を利用できるのが文化と幸福のためだが、それだけだと著作者が生活などで困るから、 原則一本槍でなく、利用に制限をつけている」というのが自然な解釈だ。
音楽業界のなかには、「私的複製は権利ではなく、お目こぼしだ」などと、正しくない理解に基づく誤った知識を広めようとしている者もいるようだが、 これも同じ問題だろう。認められた利用はどこまでも消費者の権利なのであり、たとえ原作者といえども、それを制限することはできない。 著作権全般について否定的なことを言うつもりはさらさらないが、最近、多くの方面でますますゆがんだ「権利」の主張が行われているように思う。 文化を守る著作権法ではなく流通業者保護法に成り下がってしまったとさえ言われるゆえんだ。
このような「暴走」に歯止めがかからなければ、 究極的には「会話の中で本の題名を口にした」「道を歩きながら気分が良かったので流行歌のリフレインを口ずさんだ」 「電車内で不特定の第三者にも見えるように新聞を広げて読んでいた」といったことまでが問題になってしまい、 非常識きわまる状態になる。冗談を言っているのではない。最近審議されている「アクセスコントロール」(コピーコントロールよりもっと強く、 購入しただけでは自由に見たり聴いたりできないという考え方)は、そうした不条理をはらんでいる。 こうしたことの背景には理解できる面もないわけではないのだが、 行き過ぎれば文化的・創作的な活動はもとより、そもそも人間の自然な精神活動が損なわれる可能性さえある。
ウェブ上の掲示板に著作物の一部を転載された出版社が、 掲示板管理者に削除を要求したのに削除してもらえなかったとして管理者を訴えていた裁判で、 2004年3月11日、東京地裁で出版社側の主張を全面的に退ける判決が出された。 現在、 知的財産権判決速報 の東京地方裁判所「H16. 3.11 東京地裁 平成15(ワ)15526 著作権 民事訴訟事件」の項または、 知的財産権裁判例集で概要を検索できる。
興味深いのは、掲示板の管理者は権利侵害の主体ではないのはもとより、 著作権の侵害を幇助・教唆などしているとしても、 それに対する差し止め請求はできない、という判示だ。 具体例でくだいていうと、例えばコピープロテクト解除が「悪」だとしても、そのやり方を教唆することは問題ない、ということなのである。 もっと言うと、版権もののファイル交換にも使えるP2Pネットを運営していても、その運営自体は「悪」ではない、ということなのである。 一見、奇異なようかもしれないが、既にオランダでは同様の判例があり、 それは「悪いのはファイル交換者であり、交換ネット自体の運営は悪とは言えない」という内容だった。 冷静に考えれば、確かにそうなのだが、日本でこういう判決が出たのはおもしろい。 ファイルローグがあっさりやられたのがほんの数年前であることを思えば、じつに印象深い。
判決によると、 「著作者には権利侵害の教唆・幇助・手段提供に対して原則として差止請求権はない」。 理由は
の二点で、原告の主張は「到底、採用できない」と一蹴されている。
一言にして覆えば「著作権侵害の温床」は「著作権侵害」ではない。 温床はいろいろなものの温床であって、権利侵害だけの温床ではないからだ。 いろいろぐしゃまらな中で問題も起きるが、同時にそのぐしゃまらのなかで新しいものが創造されるのだ。 ぐしゃまらを一掃すれば、創造の世界全般が寂れてしまう。
まあ、それはともかく、この判決に対する評価はさておき、 一般的なネットユーザに関係ありそうな問題に置き換えると、例えば、次のようなことが言えるのではないか。
例1: 「DVDのリッピングは違法である」としても(実はDVDのリッピングが日本国内でも合法であることは、ほとんど確定的だが)、 そのやり方を説明することは何ら問題ない。もし万が一リッピングが権利侵害なら、リッピングをする人に差し止めを請求できるが、 教唆した人にはできない。
例2: XviDのバイナリを国内で再配布することは権利の侵害であるとしても、再配布者に差し止めを請求できても、 どこで再配布されているかの情報を提供する者には差し止め請求できない。
例3: ファンサブの配布が厳密には違法であるとしても、ファンサブの配布者に差し止め請求はできるが、 ファンサブについての情報提供者には差し止め請求できない。
例4: 版権モノの同人誌が微妙だとしても、 コミケ自体を中止させることはできない(オリジナルのJune系とかもある以上)。
例5: BTが良いことにも悪いことにも使われているとしても、悪いことに使っているユーザには差し止め請求できるが、 BT自体をつぶすことはできない。
何というか一般ユーザにとっては「都合のいい話」だ。 しかし、ある意味当たり前のことなのかもしれない。これからいろいろな議論が起きるのだろうし、起きるべきだが、 ひとつだけ確かなのは、時代は中間流通業者の一方的・無制限な権利主張に歯止めをかける方向に動いているらしいということだ。
そしてまた「問題はCCCDじゃない」。 「見なきゃいけないのは、腐りかけている側じゃなくて、生まれようとしている側」なのだ。
それはそれとして……。偉そうな裁判官が「判決を言い渡す。主文。うんたら」とか言って、 本件各発言は,「ファンブックの対談とかうぷしてほしいという人が多ければうぷしますよ~」「うpきぼん」などという書き込みの後に掲載されたものであることが認められる。などと大まじめな顔で事実認定やら判決理由やらを朗読したのだろうか。想像すると、なんというかほほえましくも、こっけいだ。
産業革命に取り残される運命の人々が不安を感じて騒いだのはある意味当然だ。しかし、その運動は産業革命そのものを止めることはできなかった。 100年以上たった今、産業革命は定着し、ラッダイト運動は存在しない。
わたしたち配達・流通産業に従事する者は、消費者のみなさんがラブレターや脅迫状を全国どこからどこへでも素早く、安全確実に送れるように、 大きな設備投資を行い、これを維持してきています。ラブレターや果たし状、ファンレターなどは、 わたしたちが幸福で健全な社会生活をいとなむうえで、欠かせないものです。 決闘状や召集令状、税金の督促状、最後通告、絶縁状なども秩序ある社会生活のために必要不可欠です。
このような通信文は取り扱いに慎重を要することから、法律上、認可された配達業者のみが配達を行うことができるようになっています。 それ以外の方法による無許可な情報の伝達は違法です。
しかるに、最近、電気的信号を利用した TelePhone というソフトウェアが不正に流通し、人々は、このP2Pソフトを使って、 配達業者に無断で通信を行っています。このような行為は配達業者の配達権を侵害するばかりか、 ほとんど無料に近いコストで従来のラブレターをそのまま送れてしまうなど、 不正競争防止法にも違反している行為であると言わざるを得ません。 このようなことが許されれば配達文化が衰退し、いざというときに、ラブレターや小切手を郵送できなくなってしまうのです。 数百年の歴史を持つ郵便文化の破壊であり、消費者のみなさん自身にとって不利益となってくることであることをご理解ください。
電話は違法です。もし電話がこのまま使われると、わたしたち郵便配達産業はやっていけなくなり、 配達文化はすたれてしまいます。 貴重な文化を守るため、正当な許可を得ない情報の伝達は、たとえ情報を購入した消費者本人による場合であっても違法とされるよう、 配達権法を改正することが急務となっております。 みなさんがこのまま電話の利用を続けるようであれば、大変残念ですが、 わたしたちの権利を守り、健全な産業を保護・育成するために、さらなる配達権法の改正も必要になります。 電話をしようとすると自動的に雑音が混入して通話ができなくなるような装置を、すべての電話線に設置し、 配達事業を保護する目的の改正です。(もちろん、「電話回線に雑音を混入し、通話を妨害する技術的保護手段」を回避しようとする行為も違法となります。 また、そのような回避の方法についての情報を提供することも違法です。)
いくら電話のほうがコストが安く便利だからといって、郵便配達業者の既得権を侵害する行為が許されて良いのでしょうか。 そんなことが許されれば、わたしたちの業界のものはみな失業してしまいます。 わたしたちとて、皆様と同じく、夫や妻・子どものある平凡な人間なのです。 同じ人間なのです。みなさんの不正行為のため職を失うことを甘んじて受けるわけにはいきません。
TelePhone を設置しているユーザのみなさん。お願いします。今すぐソフトを削除して、不正行為をやめてください。 通信は、法律に従って正しく紙と筆記具を使い、正規の郵便配達業者を利用してください。 電話行為は違法です。「誰もがやっているからいい」というものではありません。 それは文化の破壊、文明の破壊、産業の破壊なのです。
2004年7月5日 「華氏911度」ムーア監督、自作の違法コピーを歓迎 「わたしは著作権法に同意しない。わたしの映画を人々がダウンロードし、共有することは問題ない」
slashdot が Moore Approves Fahrenheit 9/11 Downloads として引用しているのは、sundayherald の記事 「Moore: pirate my film, no problem」
この会見は、じつは MichealMooreOnCopyright.avi などのファイル名(約5MB=画像)でだいぶ前から出回っているものだ。
「わたしの映画をダウンロードして、共有するのは問題ない」ムーアは質問に答えて断言する。 「それで儲けようというのでない限り。海賊版で利益を上げることには反対ですよ。 でもわたしは既に十分に裕福な生活を送っているし、 この映画を作ったのは、世界が変わってほしいと願ってのことだから。 より多くの人が見てくれた方がいい訳で。 だから、こうしたことが起きて、ハッピーですよ、わたしは」
「自分が買ったDVDの映画を、友人に見せてあげるのは悪いことですか。 その友人は、わたしには一銭も払わずにわたしの映画を見ているわけですが?」 ムーアは逆に問いかける。 「ちっとも構わないでしょ。ね。 それが違法とされたことはないし、これからもあってはならない」
「情報というものは……」監督はそこで言葉を切って少し考え、 おもむろに続けた。「……芸術、アイデアは、共有されるべきだと思う」
作品を商品として扱う立場の人々と、 作品を純粋に(あるいはかなり純粋に)メッセージないし表現として創作する立場の人々の間には、 温度差がある。
企業にとって、音楽も映画も、基本的には先物取引のエンドウ豆やプラチナ、 あるいはゴルフの会員権、地上げ屋にとっての土地と同列だ。 それだけ、という訳ではないのだが、煎じ詰めれば要するに金儲けの手段だ。 資本主義社会におけるビジネスだから、当たり前のことだ。
クリエーターにとっては、 食っていけなくなっては困るという気持ちがある一方、 より多くの人々に見てもらいたい、あまり作品を縛られたくない、 という自然な気持ちもあり、事情は複雑だ。 この映画のような因縁のある作品ではなおさらだろう。
創造は、生きていくための手段というより、第一義的にはその人の生きざまであり、 大げさに言えば人生の目的だからだ。 食っていくために創造しているのではなく、創造するために食っている。 常に単純にそう割り切れる訳ではないにせよ、 意識のなかでのこの基本的な順序の違いは重大だ。
曽我部恵一も「音楽のこれから」で似たことを言っている。いわく「おれは、全然コピーでいいじゃんと思ってるの。ぶっちゃけ」「コピーしてでも聴いて感動したらいいと思う」
そして作品が過剰に縛られることをよしとしない。 「そういう状況になるくらいなら、コピーでも何でもいいわ。誰にでも届いて欲しいな、おれ。積極的に『でも買って欲しいけど…』とも思わないぐらい」
そして、こうも言っている――「『どうやって食ってくんだ?』っていうことは、あとで考えようよっていう。単純に。いままでとは違うんだから、それに合わせた食い方っていうのは、もう、ちょっとあとで考えていいじゃんっていう」
ADVからの警告など、最近、既存の制度と新しいシステムとの間の摩擦がますます高まっている。 なかにはこうした「著作者」側からの“反乱”も少なくなく、過渡期特有の混乱した様相を呈している。(16:15)
「自分でレコード会社を立ち上げて以降、日々とても大きな問題にぶつかり続けている。いくつかの問題、それは日本の音楽業界が抱えているトラブルのひな形であったりする。…明日の朝もぼくらはオフィスに集まって、働くだろう。ぼくらの新しいやり方で。それが正しいかどうかは、まだ分からないけど、少なくともけっこうビューティフルな日々である。」(薔薇糖の日々 (09.Jun.2004) より)
Microsoft Office XPに付属して常駐するCtfmon.exeは、 複数のキーボードレイアウトの切り替えや、 音声認識・手書き入力などの代替ユーザ入力を制御します。 OSの起動時に自動起動され常駐します。 例えば英語とドイツ語の両方の文書を扱い、 ウムラウト付きの文字をキーボードから入力したい場合、 キーボードレイアウトの変更は便利です。 そうした機能を使わない場合、Ctfmonの常駐を解除することができますが、 レジストリの自動実行から削除しても、Office系を起動したときなどに自動実行が回復してしまいます。 以下のメモは、 Microsoft Knowledge Base Article - 282599 OFFXP: What Is CTFMON and What Does It Do? によるCtfmonの「正式」な無効化手順です。
このメモは、上記 KB の手順をそのまま翻訳しただけであり、 該当する以外の環境(例 Office XPをインストールしていない Windows XP)に適応できる保証はありません。 以下の説明は英語版に基づいています。同じ KB の日本語版は、 「[OFFXP] CTFMON プログラムの概要と機能」。
1. プログラムの追加と削除から、 Microsoft Office XP product を選択し、 Add or Remove Featuresでインストール内容の変更を行う。
2. Alternative User Input を Not Available (×印)にする。
3. コントロールパネルの Text Services で、利用したい一つのキーボードレイアウトだけを残して、 あとはすべて削除する。
Windows XPでは地域のオプション内にあります。
4. 「スタート→ファイル名を指定して実行」(またはDOS窓)で次のコマンドを実行します。
regsvr32.exe /u msimtf.dll
さらに、次のコマンドを実行します。
regsvr32.exe /u msctf.dll
参考: Windows XPでは、Trun off advanced text services にて、 明示的に言語バーを消すことができます。(この項はKBの手順外)