現実論にこだわるなら、WinIEにはユーザ補助機能があるので、そこで「Webページで指定された文字サイズを使用しない」にチェックしておけば、絶対指定された文字サイズも「表示→文字サイズ」で変更できるようになります。現在は、その事実を知っている人があまりに少ないばかりでなく、知っている人がそれを他人に教えないという状況なんです。雑誌に書いているようなライターさんは当然、これくらいのことは知っているはずなのに、平気で「IEでは絶対指定された文字サイズを変更できない」と嘘を書くんですね。
電話サポートで質問すれば、ある程度デキル人を揃えている会社なら、IEでも絶対指定された文字サイズを変更する比較的簡単な方法があることを教えてくれます。だから、老人は身近な(じつは知識の足りない)「パソコンに詳しい人」だけに頼らずに、電話サポートを使い倒した方が幸せになれると思います。「できない」ことのいくつかがじつは可能だとわかるので。今、電話サポートの類はけっこう安いんですけれども、それは使わない人が多いからです。使った者勝ちです、これは。
そんなお年寄りに向かって、「文字サイズを大きくするためにはCSSを勉強しろ。無知は罪だ」なんて言えません。私はHTMLにしろCSSにしろ情報を相手に伝える為の仕組みであって閲覧する側がその仕組みを知らなきゃいけないというのは現実を無視した原則に思えるのです。
利用者が、一方的に利用者であるならば、そうかもしれませんね。Operaはアクセシビリティへの配慮ではかなり先進的なブラウザですけれども、これはいいですよ。最初から目立つところに文字サイズ変更メニューが用意されていますから。ユーザスタイルの適用も非常にカンタンで、最初からよくできたサンプルがたくさん用意されており、ユーザスタイル適用ボタンもデフォルトで表紙(?)に用意されています。
ユーザCSSという発想自体がダメだ、無理だ、とは思いません。ボタンひとつでブラウザの用意したユーザCSSが適用される、というOpera流のアプローチをもってすれば、現実的にもかなりいけるのではないでしょうか。
ただ、何も勉強せずに使える、というのは多くの場合、勘違いです。
例えば、何も知らない子どもは、ハサミを与えられても紙を切れません。なぜ紙が切れるのかを理解し、練習しないといけません。
例えば、テレビが電波を受信して信号を変換して映像を出していることを知らない人は、テレビを買ってきても使えるようになりません。コンセントにつなぐだけでテレビが見えるようになると勘違いしている人は、未だに生き残っているわけなんですが……。ホント勘弁してほしいです。
例えば、同じFAXが何枚も実家から送られてくるので驚いて電話してみたら、「何度送っても紙が戻ってきてしまって困るよ」と愚痴られた、という笑い話がありますけれども、これは某親戚の実話です。
全然わかっていない人は、幸せになれません。何を利用するにしても、一定の知識は必要です。そもそもテレビ感覚でWWWを利用する人は、文字サイズを変更できることさえ知りません。ブックマークという機能を知りません。ブラウザを開いたときに最初に表示されるページの変え方も知らない。私が出会った最強の例では、アドレスバーさえ理解していませんでした。その方、新聞や雑誌に載っているURIを、いつもYahooの検索窓に打ち込んでいたんです。彼いわく、「でね、見つからないって時は、適当に短くしていけばいいんだよ」……あー、そうですか。
そういえば、i-mode感覚でPCからWWWを利用し始めたある人は、Yahooディレクトリを辿ることしか知りませんでした。案外、この手の人は少なくないらしい。(じつは私も最初の1年はそうだったのでした)
辞書を引くために一定の勉強が必要なように、WWWを利用するのにも勉強が必要です。知識が増えていかないことには、有用な情報を効率よく利用できません。
たかが文字サイズくらい……たしかに、それはそうです。ただ、よく考えてみると、文字サイズを利用者が自由に変えられるのは、パソコンの世界に限られます。過去の経験がない、新しい世界のルールなのです。これまで私たちが、「何も勉強せずに使える」と勘違いしてこれたのは、それまでの人生経験が前提知識として利用できたからでした。
「文字サイズを変えられる」というのは新体験ですから、何も勉強せずに理解できるはずがない、と思います。
本なら、誰でも教えられないでも読み方がわかるでしょ、という人がいるのだけれど、実際にはそうでもない。日経エレクトロニクスという雑誌があるのだけれど、文中に参考文献一覧に対応する番号がよく登場するのだが、これがなんだか理解できないという同僚がいてひっくり返った。「ヘンな番号があるんだけど、何だろうね、これ?」……お前の頭のほうが心配だよ、俺は。たしかに文中に出てくる番号には、註の番号、図の番号、参考文献の番号と3種もあるから、とっさに理解できないということはあるだろうけれども。
ちなみに、小学生の何割かは目次と索引の使い方を知りません。本も、ちょっと機能が増えると、その使い方を知らない人が出てくるというわけでありまして……。
新潮文庫には栞紐がついているのですが、これの使い方を知らない人がいたことを思い出しました。「読書を中断するときに、紐をはさんでおくと便利でしょ」と教えてあげたら、とても感謝されたのですが、中学時代の話ですよ、これ。で、その人いわく「なんで他の文庫も栞紐を用意しないんでしょうね?」
私の回答はもちろん、「だって、せっかく用意しても使い方を知らない人が多いわけで……」
あと、文字サイトを運営してる人には理解され難いのですが、イラストサイト等を作っている人間にはサイトのデザインも伝えたい情報の一つなのです。意味や文章ではないからHTMLではマーキング出来ないのですが、意味は無くても感性に訴えかける情報を送信しているのです。デフォルトでユーザーCSSを使われてしまうと頭からこちらが伝えたい情報の一部をシャットダウンされてしまいます。それでは伝えたいメッセージは不完全にしか伝わらないのです。なので、なるべくユーザーCSSはデフォルトではオフにして、どうしても読み難い場合だけユーザーCSSを使うようにして欲しいと思ってしまいます。
でも、その感性に訴えかける情報
って、最大限見積もっても、視覚系ブラウザの利用者だけにしか伝わらないんですよね?
HTML文書に、過大な期待をしてはいけません。できないことをしようとするから、無理が始まるのです。たまたま視覚系ブラウザ(のいくつか)では、ある種の情報を付加できるかもしれません。しかし、それはあくまでも、オマケでしかありません。それを確実に伝える方法はありません。ありません、というところから議論をスタートしていただきたいのです。
0地点は、HTML文書そのものです。視覚系のデザイン情報は、一部の利用者に伝われば儲けモノ、伝わらなくてもOK、とは考えられませんか。
以下、昨日の備忘録より再掲。
ユーザスタイルの適用で失われる利益とは、すなわちHTMLで表現されていない何らかの情報なのですけれども、それはもともとごく一部の閲覧者層だけにしか享受できないものです。あってもなくてもいい情報だから、HTML文書自体に組み込まれていない(=あらゆる環境でその情報を得られるようにはしていない)わけであって、ユーザスタイルの適用による逸失利益は無視できます(できるようなものであるべき)。
ユーザスタイルの適用が面倒くさいといわれるのは、サイト毎に適用したりしなかったりするからで、常態化してしまえば面倒ではなくなります。そして、文字サイズ、配色、行間隔などの問題から、すべて解放されます。どのサイトも自分好みの文字サイズ、配色、行間隔などで表示されるようになるからです。
中略
なければないで困らない利益の逸失と、現に間違いなく存在する不利益の排除とを天秤にかけるなら、ユーザスタイルは適用を常態化すべきという結論が導かれる、と私は考えます。
製作者だけが手を加えられるのは、HTML文書自体のみ。それ以上の部分(スタイルもそのひとつ)には利用者が積極的に関与できます。利用者が利用者にとって最も望ましい利用形態を目指してあれこれするのを疎ましく思うのは、製作者の傲慢です。利用者にとってユーザCSSの適用が利益になるのなら、それをとがめだてするのはおかしいでしょう。(現実問題としては、逸失利益を気にしてユーザCSSを利用しない人が多いので、実際には心配無用です)