更新されましたね。完結、のようです。非常におすすめできます。
紹介が遅れましたが、日々の泡にもたいへんいいまとめ記事があります。
あれれ〜? 更新されてないよ。今回こそは企画倒れなどありえないはずではなかったっけ? 4月1日まで、あと18時間。とっても期待しているので、よろしくお願いします、冬夜さん。
高校卒業おめでとうございます。進学も決まったんですね。いやー、よかった。おめでとうございます。
ゆっくり時間が流れているような、そんな感じがする。
当サイトはANOTHER系
だそうな。よくわかんないサイトで申し訳ない。
我ながら義理堅い。もともとは孤島状態のにゃごろう村のご近所さんを増やそうという発想でお邪魔したサイト。当時は管理人さんのHNもサイトの名前も雰囲気も内容も今とは違っていました。結局にゃごろう村のお客さんになってはくれなかったのだけれど、まあこれもひとつの縁だと私は思っていたりします。それで、いまだにたまに見にいくのですが、相手にとっては無気味な客かもしれないなあと思う。
鎖護城流れで足を伸ばしたサイトはたくさんあって、とくに真奇一店と天空の翼にはお世話になりました。真奇一店は更新頻度がそこそこ高いので、今でもちょくちょく見にいきます。天空の翼は更新頻度があまりにも低いので……。原付免許をとられたそうですね。まあ、よく気をつけてください。
鎖護城流れの補遺。Stray Tortoiseの掲示板には、かつて何度か書き込んでいたような気がします。KUKKUKKU平成なるHPや輩の溜まり場、俺ホームページ……久々におじゃましてみると、もうサイト名からして変わっていたりするわけですが、やっぱり懐かしい。
休眠状態のぬるい更新がはじまって数日、順当に読者が減少してとうとう先週の半分くらいになりました。たぶん、今の4分の1くらいまではずるずるいくと思います。もともとそれくらいだったので。まあその、しばらくはこんななので、何も期待しないでください。
というわけで、今朝も地味に更新。文章が無駄に長いのは無視の方向で。
15才の私が知りたかったことを、今、65才の私が ここに見せる
……いたってまじめな技術系サイト。どんな大人になるんだろうか?なんて話もあって、たいへん興味深く読みました。
すごくいいサイトなんだけど、早くも一通り完成してしまっているのが少し気になりました。まだ人生は先が長いというのに、自分史を描ききってしまったらそれはそれで寂しいだろうな、と。読む側としてはこれくらいの分量というのは非常にいいので、これでいいということなのかもしれません。微に入り細に入りというペースで書いていったら全体が膨大すぎていつまでも完成しないし、それでもしも寿命が先にきたら本気で後悔してしまいそうですからね。
お孫さんの紹介があって、なんだか非常に微笑ましくてよかったです。私はそういうのが好き。だからWWWでは個人サイトばかり見ているのでしょうね。玄人の発信する情報は基本的に書籍・雑誌で入手するのが私のやり方です。
以下は、理系サイトへのお決まりのつっこみとして。
WWWに文書を公開する際に、やはり技術者としては、単にこうすればそれっぽい見た目のHTML文書を作れます、ということで納得しないでほしいと思う。技術的基盤、たとえばHTMLの狙いと基底にある思想について、いくらかの留意があってもいいのではないでしょうか。ぱっと見はそれらしい感じなのですが、私のようにユーザスタイルシートを常用する者から見ると、ずいぶん無駄に苦労されていることが気になります。
図版の上にマウスをかざすと説明文が現れるという仕組みを実現するためにJavaScriptを利用されているのですが、それは例えばCSSを使う方法、title属性を使う方法などとちゃんと比較した結果の選択なのでしょうか。どうもそうは思われないのです。さらにいえば、そもそも図版の説明がかなり長い場合に、最初それを隠しておくというやり方がいいのかどうか。私ならむしろ、最初は説明が出ていて、何かするとそれを隠すことができる、といった仕組みを考えます。さらに隠した状態をCookieで記憶できたら便利かもしれませんね。
何はともあれ月1回更新のペースを維持されているようなので、今後の展開も楽しみにしたいと思います。
日記が復活してますね。安心しました。あー、ログが消えちゃったんですか。ん? てことは……えーとですね、例の日記は恥ずかしいので復活なしの方向でお願いします。(じつはちゃんと読んでました←うわー)
ところでゲームの話題。日月さんのRPGの嗜好は私と逆みたいですね。私はDQもFFも3が一番好きという没個性キャラRPG大好き派なんです。FF3はFFにあるまじき没個性キャラの物語……というか単にイベントをこなしていくだけという印象も無きにしも非ずの作品で、何の脈絡もない4人組が主人公ですからね。ちょっとあれはありえない、というか。DQ3もほんと、没個性キャラの物語。勇者はいきなり勇者で、仲間は酒場で適当に調達するという……。DQ5には意味のあるキャラがけっこうたくさん登場しますが、私はモンスターしか連れ歩きませんでした。妻子も部下も山猫も連れて行かず、大魔王との対決はスライム、スライム、スライムナイトというモンスターONLYのパーティーで挑みました。エスタークも同じメンバーで撃破。なんつーか、もうムチャクチャ。
たぶん、私にとって最も理想的なのは、最初からマップ上のどこにでもいくことができて、最終的に全部の町でひとつずつお仕事を済ませたら、順番関係なくクリアできる、みたいなRPGなんでしょうね。一応、乗り物GET系のイベントだけは最低限の順番指定があってもいいけれど、常に侵入できる洞窟や塔や魔族の城なんかが3つくらいはあるのがいいんじゃないかと思う。で、お仕事を頼まれる前に勝手に洞窟中の宝箱を開けてしまってもいい、とかね。それで大切そうなアイテム(ただしふだんは何の役にも立たない)はいざというときまで道具屋に預けておくという……。
私はRPGをやっているとき、なぜかいつも途中で物語がわかんなくなってしまうという悪癖があります。会話がかったるくて適当に読み飛ばしてしまうんですね。DQ4は船を手に入れたあたりで完全に物語を見失って、適当に未踏の洞窟やら何やらを行き当たりばったりで攻略して回ったものでした。今考えてみると、それってまるでただの海賊のような……。思い出して笑えるのはDQ1です。復活の呪文を間違えてしまって、なぜか冒険の序盤から虹の滴を持っていたんですね。それでもう完全に話がわからなくなりました。魔王の城へ物語の序盤で侵入できてしまったわけです。何の意味もなく。
とまあそういうわけで、超適当なRPG攻略(というか私は単にモンスターをぶちのめすとか、キャラをレベルアップさせて呪文を覚えさせるとか、小さなメダルを集めるとか、そういうことばっかりに興味があったんだと思う)ばっかりやってきたので、FF5・6にはなじめませんでしたね。「イベントうざー」というか。FFのイベントって会話が読み飛ばせなかったりするじゃないですか。まあそれでも私はイベント中は本を読んだりして余所見ばっかりしていたので、「あれ? それで一体何すればいいんだったっけか」と後で困ることになったものでした。
最近はネットゲームがそこそこ人気あるようですが、ああ、たぶんこういうのが私は好きなんだろうなあと思います。とはいっても小学校を出てからというもの、ほとんどゲームはやってきませんでしたからね……。魔法だのアイテムの名前だのを覚えるのさえ面(以下略)。
ちなみに、私はFF3・5・6とDQ1・3・4・5と聖剣伝説2以外にRPGをやったことがない。8つもやったのかと数え上げてみて驚いたなあ。まああれだな、弟がおねだりして買ってもらったのを、私もついでに手を出してみるとかそんな感じだったなあ、いつも。だからFF3・6とDQ1はじつは私自身はクリアしていないのだった。私はLEVEL上げとかをやっていて、実際に魔王をやっつけてエンディングを見たのは弟だけ。聖剣伝説2は最初のちょっとと最後のあたりだけやって、中盤は弟がひとりでいろいろやっていた。だからあれも全然わからん。
ううむ、読み返してみるとけっこうひどいことを書いているような気がするなあ。でも私みたいな人ってけっこういるんじゃないかな。物語はマジで忘れちゃってる(登場人物の名前も思い出せない)くらいなのに、FF5でアビリティーと青魔法をコンプリートとか。いないですか? 男性にはそこそこいると思うんだけどなあ。DQで主人公の名前を平気で「ああああ」にしちゃうとか。だって名前考えるのが面倒なんだもん。
そういえば、DQ3で「ああああ」「いいいい」「うううう」「ええええ」の4人パーティーを組んだことがあったなあ、懐かしい……。うわー、文章にしてみるとやっぱりひどいね。人間として何かが欠けているっぽい。つーか、小学生の頃の話だからいいんだけど、何となく今でも同じことをしそうな気がする。ゲームやるだけでも気を抜けない。(それ以前に私の部屋にはテレビがありません)
私は今ではソリティアもマンスイーパもやらないというほど徹底してゲームから離れた生活を送っているわけですが、他人のゲーム日記は楽しく読んでいたりします。ドラクエにっきは中でもとくにいい。
- 私の苦手な色の組み合わせ
No.06、No.08は、私はかなり読みにくいのに、「好ましい」と答えた人が沢山いることに驚いた。こういう感覚的なノリであの手の配色を考える人が多いのだから、恐ろしい。
ちょっと待った。私にはPersonnelに用意されたスタイルの方がずっと文字が読みにくい。見出しの文字色が薄過ぎて、自宅のノートパソコンの液晶画面ではじっと目を凝らさないと文字が読めるような状態で目に入ってこないのだ。他方、私は十分な明度差の確保されているNo.06やNo.08を読むにはまったく苦労しない。感覚的なノリ
で物を書いているのはそふぃあさんも同じじゃないか、と思う。私の場合は、そふぃあさんの用意されているスタイルの配色よりもNo.06とNo.08の方が「好ましい」と断言できる。というわけで、そふぃあさんのサイトは基本的にユーザスタイルシートをかぶせて閲覧している。Operaのユーザモードとか。
自サイト批評だそうですが、「批評」という言葉は「パクり」と似ていて、何かと小議論の種となりやすい。私が「アドバイス」を標榜し、決して「批評」といわないのはそのためでもあります。さて自サイト批評は、自虐ギャグに持ち込むか、当り障りのないことを書いてお茶を濁すか、思いっきり自画自賛するか、といったあたりが定番ですが、ぽよさんは大方の予想通り自虐系を選択。
それはいいとして、私がアレッと思ったのは、自己批評はタブー破りだと解説していること。そんなタブーは初耳ですし、何度読み返しても自己批評をタブーとする根拠が何も書かれていません。私はピーコが自分のファッションチェックをしたっていいと思うし、水野晴郎がシベリア超特急の解説をしたって何も問題ないような気がします。というか、ここしばらくのうちに読んだ水野さんのインタビュー記事は、みんなシベリア超特急関連でした。どのインタビューでも水野さんは上機嫌で、概ね謙遜しつつも自作品の見所やもう少しこうしたかったという心残りなどを語っていらっしゃったように思います。これは広義の自己批評といっていいのではないでしょうか。私はそうした記事を楽しく読んできたので、自己批評をタブーとする発想が理解できません。
何とか0点に持っていくためにタブー破りのペナルティーが必要だったという事情は理解できますが、自己批評をタブーだと思わない人への説得力が、いささか欠けていたように思います。ピーコと水野晴郎の例で「なるほど」と思う人はいいのだけれど、そこで全然ピンとこないと置いてけぼりになります。まあピンとくる人がたぶん多いのでしょうから、現状維持がスマートなのかもしれませんが。(でも、小説好きの私としては、書評家出身の作家が対談やインタビューなどで自作品を解説したり批評めいたことをしたりする面白い記事をいくつも目にしてきたので、どうしても納得いかないんですよね)
ところで、批評は公正中立になるべく主観を捨てて客観的になるようにやっています。
という一文も私としては気になるところ。私は「アドバイス」について「主観的な見地からご意見差し上げます」としばしば言明しています。自分のアドバイスは客観的だ、などといったことは(おそらく)一度もありません。で、別にそれで何も困ったことがないというか、依頼者だってそれでいいんじゃないのかな、と。ぽよさんが客観的であろうと努力されるのはかまわないのですが、実際には主観的なことばかり書いていらっしゃるわけで、私はむしろそうした羊頭狗肉(私は別に客観が優れているとは思いませんが言葉の綾ということで)の方が気になって仕方がないのです。
例えば毛字がへたくそ。
という評がありますが、上手下手の客観的基準はどこにあるのでしょうか? ごちゃごちゃし過ぎ。
との意見も書いていらっしゃいますが、それではごちゃごちゃしているかどうかを判断するボーダーラインはどのあたりにあるのでしょうか? 背景色が駄目、文字間も駄目。
とありますが、背景色と文字間隔の良し悪しはどのような要素で決まってくるのでしょうか? 雑記は0点、下手すぎ氏ね。
だそうですが、これをどう解釈すると閲覧者・管理者ともに何かを得てくれるような批評
となるのでしょうか? こうしてみると、ぽよさんが客観的であろうとするために何を努力されているのだか、私には全然理解できません。
結局、主観的な意見を書いてます、といってしまってOKなのではないでしょうか。少なくとも現在のぽよさんは、「客観的」な批評などまるでやっていないわけです。でも、それでいいと思うのですよ、私は。(念のため補記。私は前段落でぽよさんに投げかけた疑問文のすべてについて、ある程度まで自説を展開できます)
……上記文中では疑問文を多用していますが、このところ罰ゲーム続きでお忙しいぽよさんの回答を、私は求めていません。本当に回答がほしければメールを出すかメッセンジャーで話し掛けています。まあ、そういうことです。
今日の必ずトクする一言が休止予告を出しているので、掲示板以外のファイルを全部落としてみた。まさか単一フォルダに500以上のファイルを並列にぶち込んであるとは思ってもみなかった。しかもファイルの命名規則が謎。画像ファイルが収拾つかなくなっている。理系サイトならもう少しそれらしくしてほしいというか、こんな状態では他に理由がなくても私なら更新する気がなくなるなあと思ったりした。
かくいう私もフォルダ構成は適当だったりする。割と適当にあれこれきめてしまって、収拾がつかなくなってくると再整理する、というサイクルを繰り返している。正直、自分がこれほど大量に備忘録を書くとは予想していなかったし、アドバイスだって300件以上もやろうなどとは考えていなかった。趣味でやっていることだけに、興味の赴くまま書き散らしているから、なかなかあらかじめ計画を立てていくことは難しい。しかし計画を立てられないなら、後から再整理すればいいのではないか。
古い記事へのリンクが消滅することを避けるために、問題が放置されていたのかもしれない。しかしそれならば、新しい記事だけでもちゃんとファイルを整理していけばいいのに、とも思う。それにこのサイトはスタートした当時は独自ドメインをとっていなかったから、そもそもサイトのURIは最低でも一回は、大きく変化している。だったらそのときにファイルを整理してもよかったんじゃなかろうか。
とりあえず私のPCでは、Explorerでフォルダを開くだけでマシンが止まりそうになる(それもどうかと)。まあ私は基本的にExplorerを使わず、いつも2xExplorerを使っているから本当のところはどうってことないのだけれど。でもこの状態のままサイトを更新する気にだけはならない。
余談。山本智矢さんのようにHTML文書の見た目にさしたるこだわりのない方なら、それこそ正しいHTMLの記述を目指した方が何かと楽だろうにと思うのだった。しかし現実には、脈略のないHTMLの記述が全体を覆い尽くしている。わざわざ面倒くさい(しかも間違った)HTMLの記法を6年も維持し続ける必要もあるまいに……。このあたり、どうもよくわからない。正直、理系のサイトだけに。
私が正しいHTMLの記述とCSSによる装飾に取り組んだのは、HTMLの間違った使い方がいかに非効率かを実感し、どうにかならないかと考えていたからだった。理系のサイトが非効率を改善しないまま6年間もずるずるときてしまっていることに疑問を感じずにはいられない。テーブルレイアウトなど、ビジュアルや、ある種の現実的問題を重視した結果ならば理解できる。しかし山本さんのケースはそうではない。だから理解に苦しむ。
たぶん山本さんは事務処理能力が高く、私ならとっくに音を上げているような状況にも何ら苦痛を感じていなかったんだろうな。
当サイトを構成する各種のHTML文書は、たいていValidなHTML文書となっておりません。lintで100点を取れる文書はほとんど皆無です。その最大の原因となっている参照ファイルのURIの記述(a要素のhref属性の内容)の不正は、ほとんどの場合、折り込み済みの問題です。したがって、参照するURIの不正については基本的にご報告などを遠慮しております。
カウンター画像、CGIなどを利用してデータを切り出す動的生成文書などへの参照でよくエラーが生じます。困ったことに適切な記述に直すと参照が不能となってしまう場合がほとんどです。幸い参照が成功してもしなくても決定的には困らない場面で主に発生するエラーなので、私はこの問題を放置しています。
RYU's HOME P@GEというサイトがある。そのサブフォルダに福島中年探検隊があるのだが、さらに下位層のファイルとして別のサーバに用意された見え方の違い関連の記事が興味深い。とくに中年うぇぶ 栗えいたは中年初心者向けとしておすすめできる記事。
だいたい「ほーむぺーじ」作成の入門記事は子ども向け風になっている。中年初心者はそこでまずプライドを傷つけられる。しかもその内容がいい加減極まりなかったりするから、ますます始末におえない。なんだかんだいって「何はともあれこうするのだ」式のバカっぽい解説から逃れられないのが入門記事の常(だってそう書かないとたいていの初心者は読んでくれないのだから仕方ない)で、中年うぇぶ 栗えいたにもその欠点は厳然と存在する。しかしながら、凡百の解説よりはずっと志が高く、これは許せるレベル(少なくとも先へつながる解説)ではないか。
ところで、私が前々から思っていたことをズバリと指摘している箇所があって、感銘を受けたので以下、引用する。
- 正しいホームページを書くツール
こんなものはありません。 正しい HTML ソースを吐出するという意味で使われることが多いのですが、使う人次第です。 例えばある文章の内容が「著作者情報」であるにも関わらず、インデントのために <blockquote> を吐出するような操作を使用者が行なったとします。 作成ツールは文章の内容を読んで、使用者に警告を発しません。 言われる通りに処理してしまいます。
いや そうでなくて、使用者が正しい意図で操作しているにも関わらず誤った処理をする作成ツールはイカンということなら、たぶん自分で HTML ソースを書いた方が早いでしょう。 大雑把にページの骨組みを作成ツールで組んでおいて、詳細は自分で書く。
そうなのだ。ValidなHTMLとCSSによるサイト製作が常識となるには、ツールの進化が欠かせないなどとよくいわれるのだけれども、私はそのような考え方は誤りだと認識している。現在のハード/ソフトでは自然言語をそのまま解釈できないからHTMLが登場したのであって、HTMLを知らない人が正しいHTML文書を作成できるなどという時代がやってくるとしたら、そのときにはもはや(本質的には)HTMLなど必要なくなっているはずだ。文章を入力するだけでどこが見出しでどこが段落かを計算機の方で判別できるなら、わざわざマークアップなどしなくてもいいのである。
で、もしそうなれば、それこそ見栄えだけをいじるレイアウト用の言語が登場してもいいということになる。これはスタイルシートの概念とも矛盾しない。並立しうる。なぜなら、スタイルシートで見た目を指定する際に、もはやHTMLなどによる文書構造のマークアップは必要ないので、見栄えをいじるマークアップ言語があってもそれを無視して自動でスタイルを指定できるからだ。このときおそらく、現行のHTMLはCSSの仕様の中に吸収されていくことになるだろう。おそらくいつまでたっても訪れないこの未来世界において、HTMLで明示されるのはa要素とlink要素と一部のmeta要素だけになってしまうのではないか。ひょっとすると「はてなキーワード」のような仕組みがWebを支配してa要素さえ不要となるかもしれない。そうなれば、世界にはただテキストファイルさえあればいいということになりそうだ。
以上は夢想家の弁であって、実際には実現しえない。そもそもテキストファイルから適切な文書タイトルを一意に決めることは不可能である。見出しの階層だって、単純にこうだと決められるわけではない。定義リストなのか見出し+段落なのか、という問題は製作者の判断なしに解決できない。だからいつまでたってもマークアップは必要なのであって、そうである以上、HTML文書の製作者にはマークアップという概念への理解が必要とされるのである。
ホームページビルダーのどこでも配置モードは、、文法的には概ね妥当なHTML文書をCSSでレイアウトするシステムを実現しているが、この意欲的な試みが完全に失敗していることを認めない人は(HTMLをある程度理解している方なら)滅多にいないはずだ。マークアップの考え方を理解しない人は、どんなツールを使ってもろくな結果を生み出さないと断言していい。
計算機が絶対に対応できないことをマークアップにより実現しようというのが大元の話なのだから、「ツールの進化により人間は勉強しなくてよくなるだろう」と考えるのは根本的に矛盾した話なのである。
アフガンでは今日もヘクマティアル派による暫定政府軍への攻撃が続いている。タリバンの残党を追いつめる大規模作戦も継続中だ。
戦争を止める手段はただ1つ。真実をこれでもかと見せつけることだ。
ニュースでは爆撃などの派手な部分しか戦争を見ることができない。だけど、その裏では多くの人が怪我をし、そして、死んでいるのだ。
メディアの流す映像だけを見ていると、まるでテレビゲームだ。被害者の姿は目にできず、僕たちは戦況しか知ることができない。
本当に戦争を止めたいのなら、爆撃の映像だけでなく、戦死者や、血まみれの負傷者の映像も合わせて流せばいい。「これが戦争です」と、大きな声で主張すればいい。
不快な映像だから流しちゃいけない?そんなわけねえだろ。何を持って不快な映像なんだよ。戦争自体が不快なんだ。目を背けたくなるものなんだ。爆撃の映像は流して良くて、どうしてその爆撃の結果の映像を流してはいけないんだ。すべての事実を、どうして流さないんだ。
全世界の人間がすべての事実を映像で知れば、戦争を肯定することなどできなくなるだろう。爆弾、銃弾で強制的に終了させられた人の命など、見たい人はいないだろう。
メディアは、アメリカ大統領にこの戦争で死んだ人の映像を見せて、こう言ってやればいい。
「これが、あなたが私欲のために戦争を起こさなければ死なずに済んだ人たちです」と。
そんなことで戦争が止まるなら、前線の兵士はとっくに職場放棄しているはずだ。双方ともに。あるいは、イラクの市民はフセイン政権を支持するよりも、早急な国外への亡命を求めることだろう。イラクが無抵抗なら戦争はそもそも起きていない。
カタールに拠点を置く衛星放送局アルジャジーラは、アフガンやイラクで襤褸切れのようになって死んでいく人々の映像を連日放映してきた。Webサイトでも多くの遺体の画像が配信されている。しかし戦争は止まっていない。止まるわけがないのだ。
目先の悲劇を回避するためには大きな悲劇の予防を怠ってもよい、という発想に私は賛成しない。第一次世界大戦のために戦争を忌避するようになった欧米列強は、そのためにファシストの台頭に対し有効な手立てを打つことができず、ついに第二次世界大戦を防ぐことができなかった。
イラクはかつての日本やドイツのような現代の世界秩序に対する脅威とはなりえない、それ故に今回のイラク攻撃はアメリカの暴走だ、という意見なら話はわかる。しかし人が死ぬから戦争はだめだ、という近視眼ではお話にならない。第二次世界大戦では千万単位で人命が失われた。イラク攻撃で数千人死んだとしても、最悪の危機を予防できるなら、やはりイラク攻撃もやむなしと私は考える。
もちろん優しい日本人の少なからずが、今起きている悲劇を嘆き悲しみ、あるいは目の前の悲劇で頭がいっぱいになって戦争を非難することを、私は全否定しない。それはもう仕方ないことで、認めるしかないと思っている。だが、テレビを漫然と眺めているだけの人間が、被害者の姿は目にできず、僕たちは戦況しか知ることができない。
などと書いていることにはむかっ腹が立つ。犠牲者の姿を見たければ見るがいい。悲惨な現実を好きなだけ見るがいい。情報はそこにある。
コーイチさんにとって今回の戦争はまるでテレビゲーム
なのかもしれないが、その責任はコーイチさん自身にある。アイルランドへの留学を考えていらっしゃるそうだけれども、だったらなぜ北アイルランドの人々が悲惨な武力闘争を継続してきたのか、理解しようとする努力をなさってはどうか。テロ活動大好き! 人を殺したい! みたいな人もひょっとするといるのかもしれないが、ほとんどの人はそんな理由でテロ活動に参加しているわけではないだろう。
たいていのイラク攻撃支持者は、「世界中でどんどん戦争が起こってほしい」だなんて思っていない。「戦争→楽しいこと」だなんて考えてはいない。人命が失われること、その悲惨な現場を想像できない(しない)わけでもない。それでもイラク攻撃は支持せざるをえないと考える理由があって、支持しているのだ。イラク攻撃の支持者はたいてい、反戦平和の感情論を理解(しようと)するけれど、その逆のパターンはなぜか少ない。想像力のない人でなしどもが戦争を支持しているといってバカにする人が多すぎる(ような気がする)。
結局、22日に書いたことと同じなのだけれども、戦争はないに越したことはないというのは共通認識としてあるわけだ。で、少しでも戦争による悲劇を小さくするためにはどうしたらいいか。問題はそこなんだろうな。とにかく反戦平和だという方々は、ありとあらゆる軍事作戦を否定して、その結果、将来の大きな危険を予防することを考えない。反戦平和といっていれば相手もわかってくれると思っている。それはそれでいい。しかし私は、話の通じない相手は力で押さえ込むしかないと考えるので、将来の危険を予防するためにフセイン政権を戦争によって打倒するのは致し方ないと結論付ける。平和を維持するために、イラク攻撃はやむなき選択だと考えるわけだ。(なので私は統一地方選挙において菅さんの指導する民主党あたりには絶対に投票しない/野田さんが党首になっていたらちょっとは迷ったろうけれど)
ところで。
当然の事ながら私は戦争に反対だ。これは何時になっても変わることは無いだろう。現実を考えろ?甘いことを言うな?正論はまっぴらだ?ふざけんな。キリが無いだろうが。いちいち細かく考えすぎるな。簡単に考えれば良い。理想論で良い。戦争は忌むべき行為だ、この世から無くしたい。それで十分だ。
中略
今の日本や世界を「おかしい!」と思っている人が多いだろう。そして「おかしいのに何故変わらないのか?」といらつく人も多いだろう。変わらない理由は簡単。「どうせ、私1人が何を言っても変わらないから・・」と、多くの人間が変えるのを諦めているから変わらない。多くの人間が「個人は無力で何も出来ない」と思い込んでいる事が、「自分を無力で何も出来ない存在」にしているからだ。
後略
……ぽよさんらしいな、と思うのだった。平和を願うといいながら、わざわざ私(あるいは私に近い考え方の人間)を怒らせるような書き方をする。自説の正しさに一片の曇りもないと信じているかのようだ。それでいて自説の根拠は何も書いていない。産経新聞の精神主義に私はしばしば辟易するのだけれども、対抗勢力はそれに輪をかけて精神第一主義だったりするから、私はいよいよ困惑してしまう。
理想を掲げ、行動するのはいい。ただ、できることならスローガンをぶち上げてそれで終わりというのではなく、価値観の異なる人間(例えば私)に向かって説得を試みてほしい。平和を維持するために避けられない戦争があると主張する私を、ちゃんと論破してほしい。もし完璧に論破されれば、反戦平和主義の蔓延する日本で、私は今より少しだけ生きやすくなる。
昨晩の飲み会は非常に楽しかったのだけれども、正直、飲み過ぎ/食べ過ぎた。職場飲みだというのに、二次会では上司も同僚もバタバタ倒れる凄惨な状況になった。
半ば死んでる同僚とともに社員寮までどうにかたどり着き、倒れ込むように眠りについたのだけれど、なぜか夜中に何度も目が覚めて困った。朝になると、いつもの週末とは異なりばっちり目が冴えてしまう。なんだか苦しい感じなのだけれど、とにもかくにも起きあがってみたら喉がひどく痛いことに気付く。いったん気付くと、もう痛くて痛くて仕方がない。風邪をひいたのだろうけれど、なぜさっきまでこんなに痛いのに気付かなかったのだろう、と疑問に思った。
風邪薬を飲むと、午後になって少し楽になってきた。
当然のように寝過ごして、ろくろく更新されないという……。
新「個人情報保護法」はこんなに危ないの中に【報道の定義】「報道」とは、不特定多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること(これに基づいて意見又は見解を述べることを含む。)をいう。
との一節が。新法案では、このように報道という言葉が定義されているそうな。
現代日本では、中立を標榜しつつ主観を記事に織り込むことは矛盾とされない。これを辞書的解釈の見地からおかしいという声もあるだろうけれど、著作権法がらみの問題などを考えても、実際の商売を考えても、従来の解釈を維持するのが報道機関にとって最も利益が多いのではないか。
生活改革第一弾。早寝早起きは健康の基本。平日、午後10時以降の更新はなるべく控えようと思う。
にゃごろう村時代からお世話になっている(?)サイト。ネタ日記系というスタイルなのですが、私は素人考察の部分に関心を持って読んでいます。以前ご紹介したogata.comをそんな感じで読んでいて、しかも長文OKな方向け(なのかな?)。
休眠状態なりに、物を書くこともできるのだなあ、ということを発見。迫力に欠けた文章ですが、まあそれなりに読めるような気もしないでもない。
報道機関は公正中立を標榜する(ことが多い)ものですが、それはあくまでも「恣意的な情報の捏造はしない」「特定の党派に与せず、主義主張を言論の軸とする」という程度の意味だと私は考えています。客観報道にも記者(あるいは組織)の価値観は当然のように入り込みますし、それは悪いことだとも思いません。各社それぞれ特色ある報道をし、消費者は自分好みの言説を選ぶわけです。反戦平和主義なら朝日、日米同盟重視なら産経、好きな方の新聞を読めばいいのです。主観を排した報道などありえない(情報の切り取り方にも主観は関わってくる)のであって、むしろ各社がその意図を剥き出しにしている現状は、おおよそ理想的なのではないでしょうか。
辞書的な言葉の意味が、実際に流通している言葉の実相を表さないことはよくあります。それが悪いことだとは思いません。
ところで、報道機関は各々の価値観に基づいて情報を送信しますから、当然のようにそこには大衆を煽動する要素(特定の価値観の宣伝)が含まれます。このことについてナナコさんは、報道機関による煽動が社会に認められるかどうかは特定のコミュニティにおける、あるいはそのコミュニティの土台となっている価値=最大公約数的「快」「不快」を踏まえたものでなければならない
のではないか、とおっしゃっています。……なんだか話があさっての方向へ飛んでいっているような気がしますが、せっかくなので少々おつきあいしましょうか。
先に結論を書けば、概ね同意、ということです。
産経新聞が売れないのは、折り込みチラシが少ないとか、ページが少なめといった物理的問題以上に、その主張がマイノリティーの声を反映するものだからだということができます。イラク攻撃には以前より賛成であり、新たな国連決議は不要との主張を展開していましたが、これは大方の日本人の賛同を得られない考え方でしょう。産経新聞は自らマイノリティーであることを認めており、世論調査でイラク攻撃支持の声が3割あったことについて、意想外の支持の堅さとの評を付しています。自説が多数派の意思に反するものであることを、まったく隠そうとしていません。
呉智英が従軍慰安婦問題等と新聞報道について、産経が(日本政府/日本軍による)強制連行なし、経済的活動の延長だと主張し、朝日がまったくその逆スジを突くのは、単に読者層の違いによるのだと解説したのは、まさに卓見です。ただしここで注意すべきは、単に商売でそうやっているというわけではなくて、産経の記者にとっては「強制連行なし」が真実であり、朝日の記者にとってはその逆が真実だということです。お互いに本気で自説を信じているわけで、マジで犬猿の仲なのです。……どうも話が脱線気味でいけませんね。
産経はマイノリティーの主張を汲む新聞です。しかしそうはいっても毎朝200万部を売るわけですから、日本人の2%が概ね納得する(まあまあ許せる)ような主張しかできません。いくら産経といえど、それほどハチャメチャなことを書いたりはしないのは、そのためです。
個人サイトでナナコみたいにせんそー大好きっていっちゃう人もいれば○子妃をレイプしたいとかいっちゃう人もいるかもしれないし、それが認められてる
という状況があるとすれば、それは各サイトの読者層が非常に限定されているためです。現在の日本では、マイノリティーの主張も無闇に弾圧されないよう配慮されています。ですから、慎重に同好の士を集めて狭いコミュニティーを構築すれば、その中ではある種のひどい主張が歓迎される雰囲気を作りあげることができるわけです。
単純にせんそー大好き
と喜ぶ価値観に共感される方は、慎重に集めればそれなりの人数になるでしょう。地道にやっていっても、ナナコさんのサイトは毎日数百人〜数千人が見るような状態にまでなったかもしれません。○子妃をレイプしたいといった発言をネタとして楽しめる方も世の中には相当数いるわけで、やっぱり慎重に価値観を共有する読者を獲得していけばそれなりの人気サイトともなりえます。
しかしながら、こうした話はいずれも形成したコミュニティーの質を問うていることに注意しなければなりません。産経新聞の主張は産経新聞の読者にとってはまあまあ正論風に聞こえますが、そのまま例えば日テレやテレ朝のワイドショーに出したらボコボコに叩かれます。まともに話も聞いてもらえないことさえあります。個人サイトの場合も同様で、ナナコさんの主張はナナコさんファンには受けたのでしょうが、斬鉄剣やダークマターから流れた多くの読者には拒絶されました。そして掲示板はしっちゃかめっちゃかになり、閉鎖しろだの死ねだのといった誹謗中傷、あるいは頑迷かつ執拗な批判が絶えない状況に陥ったわけです。
私は個人サイトに特別な可能性があるようには思いません。テレビや新聞であんまりメチャクチャな意見が出ないのは、単に(視聴者/読者の)多数派の共感を得られないからに過ぎないわけです。どちらかというと新聞の方が個性がはっきりしているのは、テレビよりも消費者像を限定しやすいからです。雑誌がさらに特異な方向性を打ち出せるのは、さらに特定少数の読者を想定して商売できるからです。個人サイトが好き勝手書けるというのは、もっともっと読者を限定していった結果に過ぎません。
ここまでは概ねナナコさんのご意見に同意なのですが、どうもこうしてみると、結局のところ多数派の価値観は一部個人サイトの活躍などでは微動だにしそうもありません。現にナナコさんも、強烈な圧力の前にサイトの方向を(自発的に)転換するにいたりました。一部個人サイトがタブー破りの発言をするとしても、それは所詮、すでに友人同士のジョークというレベルでは口頭で散々語り尽くされてきたレベルのネタを(一応は)公開された場にさらけ出してみる、記録してみるということに過ぎず、単に表現の形式が変わっただけではないかと思われてなりません。
一般大衆の耳目を集めている場でタブー破りの発言をすれば、すぐさま咎められ、発言の撤回に加えて謝罪まで強要されます。その構図はじつのところ、Web上でも何ら変わりないのです。
……てなわけで、ナナコさんもゆっくり時間をかけてファンばかり数千人集めたなら、今回のような叩きにはあわなかったろうに、と思うのでした。まあ常識的な一般大衆を集めてガツンとぶちかます、というのがナナコさんの狙いだったようですから、その意味では「見事に成功してよかったね」という感じなのですけれども。
誤字の指摘に感謝します。>ナナコさん
なぜか我が社の株価が続伸している。戦争前から。おっかしいなあ、今期は壊滅的赤字なんだけどな。間もなく貯金も食いつぶすんだけどなあ。ひょっとして社員も知らない景気のいい情報が裏で流れているのだろうか。
昔のバイト仲間。久々に見てみたんだけれども、ものすごいリニューアルしたんだね。吃驚した。
日記がまた増えていたのも吃驚だ。ひとつのサイトで4人が日記を書いてる。でもみんな更新頻度が低いから、毎日見てもしょうがないという罠。
お宮さんは稲毛で働いていたはずなのに、今は東京? お疲れ様です。あと一人暮らしもお疲れ様です。ちゃんと食事作ってるんだ……偉いなー。
TAKさんの日記といえば、昔は毎日更新するぞと何度宣言してもいつも三日坊主(に近い惨状)だったのに、いつのまにか4人の中で一番更新頻度が高い日記になってる。かつてのエース、おこちゃまはどうしちゃったんだ? TAKさんに関係なくもない話ですが、私は3月にバイトをやめて就職活動をスタート、今の会社の内定をいただいたのは7月頭でした。3月はまだ焦ることないと思うな。この先、学校の推薦もあるだろうし。(ていうか、TAKさんはこの日記を絶対に読んでないと思う)
どうでもいいけど、あのバイト先はいまだに会議とか研修とかそういうのを夜中までやってるわけね。あれはひどいよな。他のあれこれは見習うことが多かったけど、あれだけはおかしいと今でも思っている。自主性に任せてちゃんと舵取りしないから適当にだらだらのびてしまう。庶民の思い付きを聞くのは大概にして、何でもいいからボスはチャッチャと仕切りやがれ、と。まあバイトの身分では主任講師の肩書きがあってもなかなかそうもいえないわけなんだが。
拙作の掲示板スキンを気に入ってくれた方。「make skin」というコーナがサイト内にあるのですが、私のリニューアル講座よりだいぶ進捗状況がいい。何となく私の講座の方が早く書き終わるような気がしていたのですが、どうやらそれは根拠のない自信に過ぎなかったようです。
静炉厳さんがリンクを直してくれてたことには驚いた。
この3月で会社の同期がまたひとり辞めるそうで、ここしばらく送別会名目の飲みが連発。1年目にしてもう2人目? 年末にはリストラのどさくさにまぎれて職場の同僚がひとり辞めているし、若くして辞める人がけっこう多いってのは本当なんだなー、と実感。しかしあれだ、美人とイケメンばっかり辞めていくというのは偶然なんですかね。おかげさまで送別会、また送別会。
卒業式は明日なんですか……。大学並に遅いんだなあ。私の高校では国立前期の発表より前でした。だからみんなの進路が全然わからないという……。まさに不安に満ちた巣立ちだったというかなんというか。あー、高校時代はよかったなあ、いろいろと。今がどうだという話ではなくて。
リファラに残っていたので、「アレッ?」と思って見にいくと、ダッダーンと更新されていました。だいたい年に2回くらいまとめ読みしているサイトなのですが、この機会にアンテナ登録。今年は更新するたびに読むぞー。(次回の更新は何ヵ月後ですか?)
私がスタイルシートという言葉をはじめて知ったのが、このサイトでした。当時私が大学の端末で使用できたUAはMosaicのみで、スタイルシートの何たるかはさっぱりわからなかったわけですが……。というか、あの頃はフレームを使ったサイトに出くわすたびにむかついていたことを覚えています。UNIXでフレームが使えるUAといえば当時はNN4.Xがあったのでしょうけれども、私が大学2年だか3年だかになるまで、ずっとMosaicが現役で頑張っていたのでした。
ふと思ったのですが、あの時代でさえnoframes要素は存在をほとんど知られていなかったわけで、たまに知っている人も有効な使い方を知っていることは滅多にありませんでした。ましてやPC向けUAのフレーム対応は当然となった現在、noframes要素だなんてことをいっても、なかなか理解してもらうのは難しいですよね。
ところで、桑田さんの予想は「あたり」です。HNを眺めていると、「あーそういうことか」とおわかりいただけるのではないかと思います。えーと、ちなみにというか、友人知人からのアドバイス依頼は、たいへん申し訳ございませんがお断りさせていただいております。かといって頼まれたらそれはそれで断りづらいものが。桑田さんが自粛(?)してくださったことにはホッとしています。
駱駝mildの表紙を見ていてふと思ったことですが。左が北、右が南ならば、それを見ている人は西にいて、正面は東。とすると、朝になれば正面から太陽が昇ってくる……。ちょうど春分の季節ですからね。夏場は北側、冬は南側から日が昇ります。案外、このことを知らない方が多くて、夏の朝は南側に影ができるといっても信じてもらえなかったりする。
5浪中だそうな。(掲示板への投稿は削除いたしました)
内向きの更新を継続するにあたり、個人的リンク集を作成。ある程度登録数が増えたら整理します。
すみけんたろうさん、やってくれました。万歳! といっても現状ではコアな需要にしか対応できない。そこで私もすみけんたろうさんにできる範囲で協力したいのだけれども、誰がどの部分を担当するとかそういった役割分担ができないものかなあと思った。とはいっても、私ごときが特定部分を全面的に任されたりするのは非常にやばいので、みんなが泥縄式にやっていくというのが案外理に適っているのかもしれませんが。
池袋のジュンク堂書店では、今でも「スタイルシートWebデザイン」が置いてあることがあります。昨夏に私が買っていったん書棚から消えたというのに、その後間もなくどこかから新たに入荷してきたのには驚きました。しかも2冊。とっくに在庫切れになっていたはずなのですが……。
事実上、備忘録は休眠の方向。アドバイスなどは継続します。
ご結婚おめでとうございます。
高校合格おめでとうございます。
乳歯が抜けたそうですね! おめでとうございます。
ところで、塾講の理科ネタにもちょっと反応しておこうかと。私は「無職のおじさん席をちょっと立って夕食の運命を隠せ機関車の中に」と教えていました。無色鉱物と有色鉱物もセットで覚えようということで。鉱物の暗記語呂合わせは下品なのが多くて講師がみなして悪乗りするので、上位クラスの生徒には上品なのを教えてみたり。まあ上位クラスの連中は、下品なのも私が教えた上品なのも両方覚えてしまうほど余裕のよっちゃんだから、どうでもいいっちゃいいのだけれど。
あ、新指導要領では鉱物の名前はもう教えなくてよくなったんじゃなかったかな。それもつまんない話ですよね。
リニューアルお疲れ様です。
今年は大丈夫だと思っていたんだけど……。
加藤さんのエネルギーは凄いなあ……。3サイト(もっと多い?)同時運営とは。そういえばえどさんは5サイトを同時運営中でしたっけ!? ここまでいくと私には想像もつきません。
私的メモ。じんさん、以前の疑問ですが、どうやらサーバが文字コードを勝手に変換していたということのようです。サーバ側設定の不具合だったのではないか、ということです。トラブルの詳細は不明(HTTPヘッダと実際の文字コード、meta要素による指定、すべてが食い違っていたのではないかと私はにらんでいます)ですが、現在では加藤さんによる原本の記述通り、iso-2022-jpで読むことができます。ひとまず問題は解消したといえそうです。
長年の命題へ勢いだけで踏み込んだ結果、行き詰まりました。しばらく時間をください。
最初はVジャンプだったかな。
……週刊少年ジャンプ掲載の読切作品だったような記憶があるのは私だけですか。気のせいかな。「ZETMAN」という短編集に収録されています。あと、最初は全然コスチュームが違いました。うさぎの格好をしたヘッドギアをかぶった珍妙な姿……あれは月をイメージしていたのかな。手許に本がないので確認できないのですけれども。
「SHADOW LADY」は読切作品が週刊連載になったわけですが、昨年末になって「ZETMAN」も週刊連載になりましたね。(おそらく)桂正和さん自身がペン入れしている箇所にトーンをほとんど使わない、これまでになく硬質な絵柄に注目しています。(と書いてしまったけど、最近の作品は読んでいないから、本作品から突然変わったという保証はできません/適当ですみません)
どうでもいいけど、Amazonで売れてる桂正和作品は、「D.N.A2」なんですね。私は表紙しか見たことないのだけど、比較的最近の連載作品「I"s」は長く続いたし、そっちの方が売れているのかと思った。Amazonが浸透しだした時期から考えても……。やっぱり目先の売れ筋商品は書店で買う人が多いということなんだろうか。それで書店で見かけなくなった本をAmazonで買う、と。送料とか3日待ちとか面倒だからなあ、通販は。
問題は、新聞社等が「ウチの記事や見出しは、主観に影響されたり特定の主張に拠ってるから著作権があるのですよ」と言えるかどうかです。報道は建前としてでも中立でなければなりませんから、そんなことは絶対に言えないでしょう。
平成15年3月14日に紹介した記事には、直接の文章表現上は、客観的報道であっても、収集した素材の中から選択された素材の内容、量、構成等により、少なくともその記事の主題についての、著作者の好意、批判、情報価値に対する評価などの思想、感情が表現されている。
との一文があります。平成15年1月31日の備忘録で公正な報道について私見を述べているので、よろしければそちらも参照なさってください。
客観的であれとすることは主義主張をなるべく排除することではない。
というのが私の主張なのです。ただしこれは、客観的報道という言葉の実際の意味を考えた場合の話です。現実の報道機関は、主義主張の明示を消費者から求められていると私は考えています。
関係ないですが、話のオチには吹き出しました。
a_gentの3月20日付更新を読む。私は今回のイラク攻撃について安藤星彦さんとは異なる印象をもっているので、簡単に書きとめておく。(書き直しました)
注:地球と地球人は指導者次第では魔人ブウの味方にもなりうるので、ミスター・サタンだけを狙えばよい。
またもや闇黒日記のCSSが変わっている。今度は青と緑。ちなみに前回は赤。光の3原色を一通り試したので、次はまたモノクロに戻るのだろうか。以前の闇黒日記のCSS(モノクロの……)は私の好みにばっちり合致していて、今もちょこっとだけカスタマイズして当サイトのあちこちで利用させていただいている。以前のCSSは、多方面への影響力という意味ではoutsider reflexのCSSと双璧だったのではないかという気がする。
平成13年12月23日の記事によれば、当時の闇黒日記は1日1500ページビューくらいだそうだ。今はどうなのだろう。1日2000〜3000ページビューくらいなのだろうか。で、同じファイルに収録されている12月22〜25日の記事では、野嵜さんとPiroさんがCSSによる文書の整形結果について、画面の左右に取る余白をテーマに興味深いやり取りをしている。私は野嵜さんの意見にある程度まで賛成だったりする。
私は、音楽を鳴らすサイトも文字サイズを固定するサイトもOKだと思う。閲覧者はそれらの効果を無効にできるのだから。最終的な選択権は閲覧者の側にある。CSSデザインがテーブルレイアウトより優れているといえる最大のポイントは、閲覧者がそれを無効化できるということ。閲覧者はもう少し努力していい。できることをやらずに、製作者にばかり責任を負わせようとするのは身勝手に過ぎる。閲覧者に迷惑な初期設定をするのは製作者の勝手。閲覧者はそれをとことん無視すればいい。無闇に自由を制限する必要はない。
というわけで、左右の余白は少ない方がいいという野嵜さんの主張には賛成するけれど、製作者が特定のCSSを推奨する自由を奪うかのような意見には反対。というか、左右の余白が少ないデザインを読みにくいと考える人の方が多いのだから、最大多数の幸福を考えるならPiroさんの選択が正解になってしまうのではなかろうか。
久々にユーザスタイルシートを切ってみたら、このサイトの見た目がカッコいいことに気付く。WinIE6あたりのPC向け視覚系UAで閲覧した場合の表示結果をいっているわけですが……。(比較的シンプルな)CSSでデザインしてるサイト。幅固定なので、環境によってはCSSを外されたらよいかと。
1週間ぶりくらいに見たHAGAKURE理論がリニューアルされていたのだけれど、企業サイト並に複雑なテーブルの組み方をしているので苦笑してしまった。HPBを使っているから手間暇の方はOKなのかもしれないけれど、結果として得られている見た目がシンプルなだけに、お疲れ様というか何というか。パッと見の印象が凝った感じのxenoglossiaがかなりシンプルなソースなので、好対照だなあと思った。
お客様が急減したのでどうしたのかと思ったら、提言騒動の卒業式が無事に終ったのですね。お疲れ様でした。
倉庫が消えてしまったので、アドレナリンショックのまとめ記事を紹介しておきます。あらためて読み返してみて、なんというか要するにそれだけの話だったのね、と思った。
3月6日付の「ムチャなマイケルさん」も面白い。
読み込んでいないというより、逆に、難しく考えすぎる人なんじゃない? マイノリティな主張(提言)にだって、主張する権利くらいはあるだろうと言っていたから。「言及するな」と言われると言及したくなる王子だから、「主張するな」と口を封じられた(様に見える)提言側に感情移入したのかも。
今は多分、「ヲヴァ小学生のイジメを論理的に解釈しようとしたなんて漏れってアボカド(ry」と禿しく後悔しているのではないかと。
内省的方向へ話が展開した結果、血の気が引くような状況に……。読者サービスで終わらせておけばよかったものを、本気で怒ってしまった愚かさの報いがきました。提言騒動そのものに意見すればよかったものを、自分の心にバカ正直になって、スレを支配する空気と流れを関心の対象としたのが決定的に間違いでした。
本日のリンク元。どういう文脈で紹介されたのかと思ったら、ナナコさん関連だった。
本日のリンク元。どういう文脈で紹介されたのかと思ったら、ナウル問題関連だった。
ナナコさんに言及したのは、hina_*さんについて書こうかと思ったのが切欠。hina_*さんは先日、初さんの裏日記(URI を見失いました)相手に大人気ない怒り方をした。それをみて「うへー、こりゃ怒られる方もたまらんよな」と思ったのだけれど、どういうわけかhina_*さんが論争に勝ってしまった。その経過を眺めていて、話の通じない人は、気違いじみた(と世間でいわれるような)行動をとっていても裏で理性の働いている人よりよほど恐ろしいと思った次第。
私的メモ。レビューという「場」があったのだから、初さんはそこでダメ作品を叩けばよかった。不特定少数を想定した批判をやるから、無意味に話が大きくなる。批判は名指しでやるべし。名指しできないなら口を閉じていた方がいい、と思った。あるいは「あくまでも一般論」として意見を書くべきだったんじゃないかな。
サイトの宣伝方法として方々のサイトに喧嘩を売るという手法は以前より有名だけれども、いずれも一過性の活況に終わってしまうのが常でした。ナナコさんは才能なのか研究成果なのかわかりませんが、かなりうまくやっていますね。アクセス乞食といって批難するのは簡単ですが、たいていの人は真似をしようと頑張ってもナナコさんほどの成功(とりあえずこの言葉を使うことにします)を収めることは不可能だと思う。
今回の小衝突におけるナナコさんの切り返しは鋭く、まあ只者じゃないなと思いました。ひょっとすると、単なるビギナーズラックかもしれないけれど、それにしたってこれは凄いな。一週間でここまで業界を席巻する有名サイトへのし上がったわけで。擴緋さんは似非
だなんていっているけど、現実にやっていることは他サイト様言及
そのもの。危険なナナコさん相手に思いつくままに書いたよく考えていない言葉をぶつけてしまったのだから、きつい反応を喰らうのもしょうがないのかな、と。(実際問題として告訴とかそういった法的手段は取れないし、せいぜいメモライズから追い出す程度のことしかできないわけでしょう。やられ損なんですよ)
そもそも報道に客観があるのかという問題がありますよねー。報道は結局は主観の集積でしかなくて、そこに述べられる世界はやっぱり特定のパラダイムに依存していると考えたほうがいいのでは・・・たとえばイラク攻撃も賛否があって、賛成か否定かの思想が編集に影響を与えていることを目の当たりにすれば、当然「客観」なんていう幻想を抱く人なんていないと思うんだけどね。タイトルも含めて編集者の思想が影響しているわけだから、著作権の問題に戻すと当然創作物ということになるよね。
破竹ネットの主張への痛烈な批判。ろくでもないことに才能を使っているような気はするけれど、少なくとも頭は悪くない(むしろ私の会ってきた人々の中では賢い部類ではないか)と思う。ナナコさんは何がしたいのだろう、ネットアイドルって本気なのかな、という疑問はあるけれど、春だからなあ。何が起きても不思議じゃないか。
日付 | 得票数 | 順位 |
---|---|---|
2003-03-16 | 10 | 6254 |
2003-03-17 | 138 | 1232 |
2003-03-18 | 158 | 1098 |
2003-03-19 | 2992 | 76 |
2003-03-20 | 4454 | 54 |
2003-03-21 | 3485 | 63 |
2003-03-22 | 2940 | 75 |
Mozillaのcite属性の取り扱いには不満がある、ということは平成15年3月6日の備忘録に書きました。クリック二回(しかも1回目は右クリックから選択)というのは、たしかに面倒ですよね。
というか、私は多くの閲覧者がcite属性を利用できないUAを使っているという状況をむしろ利用しているので、引用元参照の利便を必要以上に図るつもりはありません。とりあえず(本来あまり必要性を感じない)title属性もいちいち記述している、という程度の配慮で勘弁してください。
一般読者置いてきぼり。
というご意見がありますが、私はそれで何も困りません。cite属性に引用元を示しているわけだから、興味があればスレの方も見たらいいと思います。というか、ここで想定されている一般読者って何者? 跡地の件の前は当サイトのお客様は1日150人くらいでした。今はその10倍近くて、しかも新規流入読者の大半はダークマター経由。他サイト言及を読みたい人が、当サイトの一般読者なのではないかと思いますよ。
また、現状ではあのサイトにWebデザインのアドバイスは依頼したくない
という方がいてもいいだろうし、私はそれでも何も困りません。現状の月に数件というのは今の私にとってちょっと多いかな、というペースなので、もっと減ってもいい。私はこれまでに何度も長期にわたる受付停止をしてきたわけです。今後もまた、受付停止をやるかもしれません。依頼があふれて処理できなくなるよりは、害が少ないと思います。
この調子で所構わず言及しまくるよーなサイト運営続けてると、その内に誰も相手してくれなくなる
というご意見もありますね。この道には野嵜さんという先達がいらっしゃるので、私はとくに心配していません。野嵜さんと違って私には一本通すスジがない、という強烈な弱点がありますが、それが逆に強みともなりうるわけでありまして。というか、誰も相手してくれない状況には慣れっこです。つい先日まで、私が何を書こうと反応は滅多にありませんでした。今のように更新するたびにどなたかが反応してくださっている状況が異常なのです。
去るものを追うために、当面の関心事を脇へ追いやる必要を感じません。心配ご無用、ということでひとつよろしく。
テキストサイト界隈で国際情勢が話題になると、ご意見番としての存在感を発揮するのがこのサイト。今回の戦争では石油利権説を採用している。私は石油利権説には否定的だけど、まあテキストサイト界隈の需要を満たす記事としては順当なところではなかろうか。陰謀説は日記のネタに向いている。
ただ、米国でもワシントン・ポスト紙では石油利権疑惑を取り上げたコラムが載ったそうだから、石油利権の噂について米国では隠蔽されているというわけではない。米国民は騙されている、という書き方はどうかと思う。単なる不勉強は本人の勝手ではないのか。
ところでワシントン・ポストの記事を勝手に翻訳したり転載したりしているサイトがあるのだけれど、公益があるから著作権侵害もOKということになっているのだろうね。世の中そういうものなのだろうと思う。
なぜ、常識を構成する論理を探求するのか、探求したところで常識が変わるわけでもないだろうに、という問いへの回答。
私が社会で生きていくにあたり、常識に沿った行動を求められる場面が多々あります。無意識に常識的な行動を取れる方には何ら造作もないことでしょうが、私の無意識は非常識的なので、そうはいきません。様々な体験、知識から、「こうすれば常識的だろう」と思われるあたりを意識的に選択する必要があります。そのため、十分な体験と知識のない分野では途方に暮れることになるのです。失敗を繰り返しつつ公式を見つけていくのも悪くはありませんが、できることなら最初から公式を教えてほしいという思いがあります。
Aのときaせよ。ではBのとき、どうしたらいい? たった1例からでは判断つきかねるわけで、私は困ってしまいます。なぜAのときaするのか、と問うのはそのためです。公式さえわかっていれば、Bのときbすればいいのだな、とすぐにわかりますから。
公式を説明する手間を惜しんで、「常識だからこうなのだ」とだけ説明される方の気持ちはわからないでもないのですが、私はそうした姿勢を今後も批判していきたい。
日本に来たアメリカ人に「日本では家では靴を脱ぐものだから」と日本の「常識」を教えたのに、「なんで靴を脱がなきゃいけないんですか、どこからその常識は来たんですか、ボクの国では靴脱がないです」なんて聞かれたって困るべさ。そんな細かい所知りたきゃ、人に聞かずに自分で勉強してくれってもんだ。
高校時代の話ですが、ロータリー倶楽部の企画に応募して、短期交換留学という名目の相互ホームステイに参加したことがあります。相手方はサン・ブルーノ市の高校を卒業したばかりの方でした。夏休みの暑い暑い時期でした。
相手の方も一応、日本の家屋内では靴を脱ぐことを知っていました。けれども、その理由までは知らなかった。それで早速、やってくれちゃったことを覚えています。客人が泊まったのは、ふだん母が使っていた和室でした。客人は冷たい飲み物をグラスに注いで部屋に持っていき、無造作に畳の上へ置きました。我が家にはクーラがありませんから、グラスの周りにはすぐ結露がつき、しばらくすると大きな滴となって畳へと滴り落ちます。すぐに拭けばいいのですが、すっかり水が染み込んでしまった翌朝まで、誰も惨状に気づきませんでした。その間、客人は冷蔵庫から冷えた缶ジュースを持ってきたり、グラスの飲み物を注ぎ足したりして、一晩で5、6箇所にしみをつくってくれました。
Aのときaする、とだけ教えられても応用が効かないというのは、例えばこういうことなのです。
日本の気候は温暖湿潤、日本の大地はいつも湿っています。湿った地面に直接体を横たえて寝るのは毛皮を失った人間には不健康です。だから日本家屋は高床式で、湿った外界と乾燥した屋内を峻別するのです。外界を歩き大地の水分を吸って裏側が湿った靴を屋内にあげさせないのは、こうした背景によります。
乾燥した屋内空間を前提として設計される日本家屋では、紙と藺草を積極的に利用できるようになりました。障子と畳からなる和室はこうして誕生したのです。日本家屋を大切に住まうにあたり、気をつけなければならないのが湿気です。障子も畳も液体による汚れに非常に弱く、すぐに染みができ、カビが生えてしまいます。
さて、今あなたの目の前に、結露が畳の上に滴り落ちている状況があります。あなたは、これはまずい、と思わなければいけません。グラスの下にハンカチを敷く、あるいはティッシュペーパーでも良しとしましょうか。けれども、もし私たちに一言声をかけてくださったなら、お盆をお貸しすることができたのですが……。
な〜んてね。薀蓄は適当なでっち上げですが、「日本家屋の構成部品は濡らすべからず」という公式を教えていれば、客人は問題に自分で気付くことができたはずです。日本家屋に靴で上がってはいけません、畳の上に冷たい飲み物を置くときはお盆を使いなさい、そういったAのときaせよ式の事実を積み上げていくだけでは、なかなか常識の裏にある発想は見えてこないし、いつまでも「お前はなぜわからないんだ」という失敗を続けることでしょう。
靴で上がるなといわれたからといって、サンダルなら上がっていいのかな、と思うほど私はバカではありません。その程度の応用ならできますとも。けれども、靴の話から畳とお盆の関係を想像するのは難しいと思いませんか。けれども、靴の話の背景にある理屈を知ることで、一挙に応用範囲は広がっていくわけです。なぜ日本家屋に雨戸がついているのか、とかね。障子は濡らしちゃいけない。だから和室、障子、縁側、雨戸という構成がとられているわけです。それを知っていれば、雨が降り出したら客人も自ら進んで雨戸を閉めるのを手伝ってくれるでしょう。私たちが何をやっているのか、即座に理解ができるわけです。
日本人は無意識に床は濡らしちゃいけないとか、そういったことを考えているわけでしょう。けれども向こうの家へ行ったら、床がタイル張りなので、少々濡れたって全然平気なんですね。バスルームの前の廊下なんて、いつも濡れていました。そういう環境で育ったら、グラスの結露くらい気にしないのも当然だな、と思いました。で、文化の違う人にこちらの常識を伝えようと思ったら、相手に理解できるレベルまで噛み砕いて理屈を説明しなきゃいけない。ただ一言「常識は常識だ」というだけじゃ伝わりません。
私が批判したいのは、例えば「常識は常識だ」としか説明しないくせに、別な場面に常識を応用できないことを「なぜお前はわからないのだ」という方々です。その気持ちはわからないでもないのですが、なぜAのときaするのか、その理由(理屈)を説明してください、お願いしますとくり返し頼んでいるのに、まるで相手にしてくれない方は意地が悪い。大体そういう方だって、無知ゆえに非常識なことをやっている場面がしばしば見受けられるのだから、お互いに説明するひと手間を惜しまないようにしましょうよ、といっているだけなのだけれど。
少々補足。仕事の方では、滅多に常識の押付はありません。むしろ、もうわかったから説明を切り上げてください、といいたくなる場面の方がずっと多い。研究職だから、ということもあるかと思いますけれども。営業の同僚は、石頭の上司に頭ごなしに物言われて困惑することが少なくないようです。というわけで私が常識、常識とうるさい連中に閉口させられるのは、主に日常会話において。あとWWWでの議論でも、しょっちゅうそういった場面に出くわします。まあ、高校を卒業して以降は、いろいろ気楽になったものです。
中央アフリカで軍事クーデター発生。しばらく新聞記事をいい加減に読んでいたので、気付かなかったなあ。
この戦争がうまく行って政権がかわれば、これまでのつらい生活が改善するのかも、と理解したとしても、家族と防空壕に逃げ込もうとする途中で、目の前で息子がアメリカ軍の爆撃をくらったら、、、どうなっちゃうんだろう、、、誰を憎むんだろう、誰も憎まないで嘆くんだろうか、んん、、、。
影響力の大きい方だけに、最も単純な反戦平和主義を一歩脱した発言は歓迎したい。
イラク国民へのインタビューがこのところ盛んに行われているのですが、よりによってテレビ朝日の番組で空爆万歳の声が伝えられたのには吃驚。鳥越俊太郎さんはバカなスタッフのせいで赤っ恥をかいたが、視聴者にとってはいい報道だった。あのテレビ朝日が空爆賛成派の声を捏造したがる理由はない。空爆に賛成するイラク国民が本当に多いので、やむなく報道せざるをえなくなったということだ。まあテレビ朝日では、バスジャック事件でもゲストの凄い発言があった(「今回の警察の対応をどうお考えになりますか」「まったくダメです」「ではどうするべきだったのでしょうか」「狙撃です。危険な状況をいたずらに長引かせることなく、犯人を射殺するべきでした」「なるほど……」アナウンサー困惑/以上うろ覚え)から、朝日新聞と比較して社内統制がちゃんと取れていないんだろうな。
いずれにせよ宇多田さんの悩みは、こうしたイラク国民の声を踏まえているのかもしれない。個人の問題としては、空爆の犠牲者はまず米軍を恨むだろうし、次いでフセイン政権を恨むのではないか。あるいは、宇多田さんのあげた例でいえば、息子が逃げ遅れたことについて自分自身を責める可能性もある。米軍は、一定数の人間の恨みを買うことを引き受けている。全員が納得する空爆ではないと、認めている。人の命は地球より重い、という価値観の方はここで思考停止する他ない(それはまあそれでいいと思う)けれども、私はそれほど個人の命に絶対的な価値観を見出さないから、その先を考える。
イラク攻撃の空爆計画立案を担当しているのは、ゲリー・クラウダー空軍大佐である。彼の言葉は米軍の価値観をよく表しているものと思う。
もし核兵器や生物兵器を搭載したミサイルがクウェートやイスラエルに発射される可能性があるとして、その周囲にイラク市民の「人間の盾」があったらどうするか。ミサイルが発射された結果の重大さからは、米軍の攻撃によるイラク市民の犠牲も私は容認されると思う。
空爆支持のイラク国民も、この意見と同様の価値相対主義に基づいて状況を認識しているのだろう。空爆により市民にも犠牲が出るとしても、フセイン政権打倒による民主体制確立のためにはいたしかたない、と。個人レベルで米軍を恨み、フセイン政権を恨み、あらゆる戦争を恨む人々が生じることは、ここでは織り込み済みとなっている。宇多田さんは、その一部の犠牲者に感情移入していくから戦争反対となる。宇多田さんは、戦争によって救われる多勢の人々の幸せと戦争による人の死を比較しようとする発想自体を、おぞましいと思うのかもしれない。だからやっぱり宇多田さんと私とではまったく相容れない価値観を持っているのだろうな。それでも政治的な解決について考えずにはいられない私にとって、宇多田さんが最も単純な形の反戦平和主義から一歩踏み出してくれたのは、歓迎すべきことだ。
……という本題には関係ないけれど、きりが無くなっちゃうから
というのはヘン。きりがなくなっちゃうけど、とすべきじゃないのかな。
追記。宇多田さんの日本語はヘンじゃなくて、私の方が浅薄でした。
後に何を補うかで、どっちでもあり
- 「きりが無くなっちゃうけどもういっちょだけ」 言っておくね
- 「きりが無くなっちゃうからもういっちょだけ」 で終わりにするね
どっちも、日本語として変だと他人に指摘するほど変ではない。
- きり 【切り/▽限り】
- ――が無・い
- 際限がない。はてしがない。
大辞林より抜粋。
- 「際限がなくなる から もう一つだけ」
- 「際限がなくなる けど もう一つだけ」
漏れも「きりが無くなる*から*」がイイに一票。
納得。
各所で話題の……。
私は下記の通り、平和愛好家の意見には与しない。仏独は戦争は悲惨
だとか正しい戦争なんてない
とか戦争は悲しみしか生み出さない
といった発想から、イラク攻撃に反対したわけではない。にもかかわらず平和を望む世界の声を無視した米国、みたいな報道とか、有名人のコメントなどが無批判に垂れ流されるのはどうしたわけか。
……まあ、需要があるからなんだろうけど、さ。フランスだって、アフガン空爆には参加していたりするんだけどなあ。というか、米国版「Godzilla」にも登場するフランスの核実験などを忘れて、平和の大切さを知っているフランスみたいな声が出てくるのはどうなのか。フランスは平和の大切さを知っているから核実験をやり、米国も同じ理由でイラクを攻撃するのだから、平和愛好家の発想とはかなり言葉の根っこにあるものが違う。平和愛好家の方々は、その辺りわかって発言されているのだろうか。
ところで、軍事作戦に反対する言葉が平和につながるというならば、中露はここ数年、かなりの平和国家路線ということになるね。中国はどんどん軍備を増強しているし、ロシアは今でも世界第2位の核弾頭保有国だけれど。まあ民主党や社民党が中国大好きな理由は、こんなところにもあるんだろうな。でも日本では中露の反米路線はさして注目されず、フランスの反米路線ばかりが目立ち、支持された。
民主党はポピュリズムを党是としているようなところがあるのだけれど、今のようにセンスがずれたままでは人気政党にはなれそうもない。衆愚政治をOKとする(菅さんは「市民の声」が大好き)ならそれはそれでいいのだけれど、だったらちゃんと国民の嗜好を研究するべきなんだ。中国相手に土下座外交していないで、フランスと組むべきだ、と思ったりした。
昨日、米軍によるイラク攻撃がはじまった。サダム・フセイン政権の打倒が目的だ。
フセイン大統領はアルカーイダ指導者のウサマ・ビンラーディン氏や、タリバン指導者のオマル師と同様、命からがら逃げ延びるかもしれない。しかしながら、政権の座を追われることだけは確実だ。戦争が終われば日本と国連の出番になる。イラクの体制は民主化され、様々な人道的援助、経済援助によって国民生活がある程度向上するのだろう。
「イラクは放っておいてもいい。たしかに危険な独裁国家には違いなかろうが、慌てて戦争してまで政権を打倒する必要はない。大量破壊兵器廃棄を確認する国連査察を、もっとじっくり行ってもいいのではないか」というのが仏独の主張だったように思う。たしかにそうなのかもしれない。だが、いずれにせよ戦端は開かれてしまったわけだから、この条件下でよい結果を模索する他ない。コソボ空爆もアフガン空爆も、中露をはじめとする攻撃反対の声を押し切って行われた。そうして死屍累々の地獄絵図が描かれ、その上に民主体制の基盤が建設された。今では「あの戦争も悪いことばかりではなかった」という結論へと落ち着きつつある。イラクもこの道を辿るのだろう。
ところで、実際に原子炉を動かし武器を輸出しミサイル実験を繰り返している北朝鮮とイラクとでは、断然北朝鮮の方が悪ではないか、という意見がある。なるほどそうなのかもしれない。だが、フセイン政権がイランを攻撃したのは大統領就任から1年2ヵ月後(1980年)だった。この戦争は8年続き、イラクはクウェートに大量の債務を負った。これで財政が行き詰まって1990年にクウェートへ侵攻した。翌春、湾岸戦争に完敗し撤退して以降の12年間、イラクの国力は経済制裁により没落の一途を辿る。朝鮮戦争以降、韓国との小競り合いは絶えないものの全面戦争を回避してきた北朝鮮よりも、ぶち切れやすいフセイン政権の方が危険が多いという説には一理ある。
アルカーイダを公然と支援したのはアフガニスタンのタリバン政権だったが、フセイン政権による支援もまた長年疑われてきたところである。これに対し老獪な北朝鮮がアルカーイダを支援してきたという有力な情報はない。米国にとって重要なのは自国の安全であり、他国民の解放ではない。言葉は勇壮だが実際に暴発する危険性の少ない北朝鮮は、慌てて攻撃する必要がない。……という考え方もある。(国連決議に違反した不当な占領行為を続けているイスラエルに対し米国が攻撃するつもりがない理由もここにあるのだろう/ユーゴ紛争とコソボ問題への介入は別問題)
湾岸戦争による直接・間接のイラク国民の犠牲者は数十万人にものぼる、という説がある。米軍が認めている直接の犠牲者は3500人だが、それでも米国中枢テロの犠牲者数に匹敵する数字には違いない。今回もまた、とくにイラク国民に多くの犠牲者が出るのだろう。何はともあれ、哀悼の意を表したい。
余談。湾岸戦争の際、日本政府はクウェートからイラク軍を撤退させる多国籍軍の戦費を一部負担した。一部といっても90億ドルという大金だ。日本政府はこの出費を賄うため、酒税、タバコ税などを一時的に増税した。今回もまたイラクの戦後復興のために最低20億ドルの出費が予定されている。酒好き、タバコ好きのみなさんは資金計画に要注意だ。
先ほど(午前1時20分頃)帰宅。なぜ幸村さんの小説を無断で転載しているのか、というメールが届いていて、「しまった」と思った。
「ゆりさんの作品は果たして幸村作品の盗作だったのか」という問題について小論をものすつもりで、資料として転載したものをすっかり忘れていた。このところの忙しさにかまけて小論執筆の予定は流れてしまい、そのまま提言騒動への関心も薄くなりつつあるという状況。というわけで、転載資料は削除することに。
提言騒動についてこれまで私が集中的に言及しているテーマは、スレを支配する空気と流れへの批判。発端となった事件についてはほとんど何も考察していないに等しい。私から見ても、現時点において幸村さんの小説は当サイトに必要不可欠な資料とはいえないような気がする。
技術評論社のWeb Site Design Vol.7が発売されていた。特集3「そろそろスタイルシートで」が面白い。私がリニューアル講座でやりたかったことを、プロが書いてくれている。この記事の劣化コピーを無料で公開するのが、今年の私の目標ということ。うう、情けない。
他のサイトの陰口叩いてるだけじゃつづかないよね〜
というのだけれど、ナナコさんがやってきたことは陰口ではなくサイトの宣伝だよね。(例によってcite属性に引用元を記述)
新しい話題を振ってみたいのはやまやまですが、帰宅後はほとんどスレをチェックしているだけ(今ちょっと忙しい)なので、どうもすみません。ひめごと雑文祭で問題が発生していましたが、私には追っかける時間が……。ちょっと覗いた感じでは、これまた興味深いのではありますが、2正面作戦を展開する余裕がありません。
ちっとも書けないリニューアル講座の欠端みたいなもの。元ネタはNon PC ブラウザ対応 WWW コンテンツの制作です。2年ほど更新が止まっているので、現代風に内容を書き改めてみよう、というのが当初の発想でした。その試みが成功したかどうかは微妙なところですが、暫定版を公開。
ゆりさんと幸村さんの小説も読んだことだし、提言騒動について何か意見を書きたいのだけれど、何も書かずに終わってしまいそうな予感が……。そこで、現在の考えを5項目にまとめてみる。またもや軌道修正。
あらかじめ断っておきますが、これまで何度も何度も書いている通り、私は基本的に問題解決を目的に書いているわけではありません。私は記憶力に難があります。出来事はよく覚えているけれども、そのとき自分が考えていたことをすぐに忘れてしまいます。だから、こうして備忘録を残しているのです。
たまたま今は、私の考えに興味のある方がいくらかいらっしゃいます。しかし閲覧者が一日3人くらいだったとき(当時の備忘録は表紙においていなかった)からずっと、私のスタンスは変わっていません。ここで書いても意味ないだろう、ということを書き続けているのです。というか、跡地の件のときにそうしたように、本当に解決を望むならメールであれこれやりますよ。こんなところで書いてない。
要するに何がいいたいのかというと、スルースルーといいつつすぐに結束が崩れる提言スレは斬鉄剣の脳内会議を見ているようで興味深いということ。本当にスルーされ続ければ私もとっくに飽きていたような気が……。(←うわー/せこい自分ツッコミ/どれほどカッコ悪くとも自分ツッコミは入れるべきというのが私の結論だったりします)
とか何とか書いているうちに、騒動に動きが。また没原稿発生だよ。まあいいや。
提言騒動に興味を持っている方は少なくとも500人います。当サイトのアクセス解析の結果から判断すると、ということですけれども。この数字が大きいか小さいかということですが、微妙な感じがします。2ちゃんねる提言騒動スレの進み具合は凄く早いけれど、興味を持っている人数は跡地の件最盛期の5〜10分の1くらいのようです。
……と書いたら怒り出した人がいる。当サイトのアクセス解析の結果から判断すると
って留保をつけてるじゃないか。まあ、今回のことで怒っている方は以前からずっと怒ってるみたいなので、私がもっと気をつけて書いてもやっぱり怒ったんだろうね。そもそも私に口をつぐめといっているわけだから。
そんなSBさんにお勧めなのが、相互評価型Webサイトランキングです……って、もうずっと前から宣伝し続けているので、とっくにご存知でしょうけれども。私はこのランキングは企画倒れだと(今でも)思っています。ですが、もし何かが間違って登録サイトが100に達することがあれば、非常に面白いことになると考えているのです。それで、一生懸命に応援しているわけです。
現状、登録サイトが33です。最低ラインの目標は突破しました。あと67サイト……先は長いなあ。でもこれまでのところは非常に順調ですね。このままスイスイと登録サイトが増えて、軌道に乗りさえすれば、ひょっとするとひょっとします。参加者の飽きが勝ってしまうのか、それとも登録サイトの増加による新規読者の流入が勝ってくれるのか。さあ、どうなる?
それはともかく、SBさんはもうテキストコンテスト地方予選の原稿を書き上げたそうな。締め切りは約一ヵ月後ですよ。凄いなあ。ところでテキコン本戦の第20リーグは私にはたいへん面白く読めて満足だったのですが、集計結果を見ると総投票数が31ですね。50通以上になったら集計のTAKEXさん(主催者)が大変なのでしょうけれども、それにしても31ですか……。多いんだか少ないんだか。ROMはその10倍以上なんですよね。
10作品全部最後まで読まなくても、投票していいわけですよ。ちょっと読んで、「あーこれはダメだ」と思ったら放り出していい。そのための「評価不能,1点,2点,3点」という評価方式なんだと思う。私は3点つけた作品だけに1行程度コメントを付けるだけです。今のところ全作品最後まで読んでいるけれど、本当は律儀に読む必要なんてないと思う。みなさんも気楽に投票されるといいかと思います。と書いてみても、テキコンに興味のある方がそもそもあまりいそうにありませんが。
他人の解析を宣伝しするっつうコトとサイトのテキストそのものに関するコトって全然別問題じゃねえのとか思うんだけど。他人の解析を宣伝するなんてのはある意味セキュリティかかってないっつう理由のみで人のモノを覗き見してんのと一緒で、ある意味リアルでも通ずるモノ、ようするに普通の現実においても暗黙の了解として成り立ってるモノの変化形なんじゃないの? オレはリアルとネットは基本的に別モノ主義だから違和感感じるだけなのかも知れないけどね。まあこの辺はネットとその人の親和性とでも言うか、ネットがその人にとってどれだけ重要性を占めているのかとかで違ってくるんだろうし、一概には言えないのですがね。あと「なんでオレだけ」なんてカケラも思ってないです。勘違いはしないように。
ナミさんのご意見には、それもそうかと納得する面があります。今回の件について、私も意地を張るのは大概にします。今後、ナミさんの持っているような価値観では「ちょっと勘弁してほしい」となる種類の言及については、もう少し慎重に、臆病になろうと思います。
斬鉄剣の解析について言及することには、ナミさんが嫌がるとしても言及しなければならない、というだけの理がいささか乏しかったかもしれません。ひとつの理屈を持ち出せば、たしかにそれでも言及するのは勝手です。しかしそうしてひとつの理屈を押し通すだけでは、世の中なかなかうまく回りません。今回は私が折れるのが順当でしょうね。
清水さんにはせっかく長文のご批判をいただいたわけで、私からも少々、譲歩させていただきましょうか。
過去の記述は修正しませんが、今後は「著作権放棄」という言葉を単独で使わず、「観念的著作権放棄」と記述することにします。3文字増えて漢字8連続というヘビーな言葉になってしまいましたが、「著作権フリー」よりはマシでしょう。それではまるで最初から著作権がないかのようではありませんか。字句通りに考えると、「著作権放棄」以上に誤解を招きそうです。いやまあ、「これらの文章はそもそも著作物ではありません」という意思表示なら、たしかにそれでもいいのですが。
質問があったのでお答えしますけれども、私の文章を、自分の文章ですといって公開することですが、どうぞお構いなく。ですから、私の文章を転載しても、© Tokuho Takao All rights reserved. といった表記を書き換える必要はありません。また、私の文章を自分の文章として商売に利用してもかまいません。どれもこれも、私の書いた文章なら全部お好きにどうぞ。
なんでも勝手にしてください。ただし、よそで使われた文章について、私は責任を負いかねます。すべて利用者の責任でお願いします。とにかく「これやっていいですか?」などと私に質問しないこと。とくに悪用する場合には、絶対に質問しないこと。
互いの価値観の違いを認め、意見の理解を図るところまでは良いんだけどその後「価値観の歩み寄り」を放棄してしまっている気がする。これじゃ、議論なんてものがそもそも成り立たないような気がするんだが…
だったら間宮に対して一生懸命終戦工作を行ったのはなぜだったんだろう。どうせ間宮の意見なんて変わるわけないんだから(価値観が違う)放置して高見の見物してればいいのに。
議論の前に、まず共通見解を導くことが必要かどうかをチェックします。今回話題になっている掲示板でのやり取りでは、共通見解を導く必要はありませんでした。お互いの疑問を解消し、意見を理解し合えればよかったわけです。
相手の価値観を理解するためには意見交換が効率的です。だから、私はひろさんとしばらく議論しました。その結果、同じ事象について異なる見解を導くという状況が明らかとなりました。すれ違いの原点にたどり着いたわけです。私はここまでで満足しました。しかしひろさんは、私がひろさんの意見に同意するまで話を続けそうな気配。しかし私はひろさんの意見を理解するまでで目的を達しており、さらに意見をすり合わせるつもりはないので、これ以上議論を続ける意味がありません。そこで、打ち切り宣言を出したわけです。
なお、終戦工作の狙いは間宮さんの価値観を変えることではありません。むしろ、間宮さんの価値観を変えずに騒動をおさめるためにはどうしたらいいか、ということがテーマでした。だから私は事件そのものについての解釈については争わず、騒動をおさめるための心理的障害を取り除くことに専念したのです。まあ失敗しましたが。
ちょっと待った、いきなり閉鎖されちゃ困る。ログとってないんだって。Googleからファイルをひとつずつ拾うのは無理。あんなにファイルの多いサイトだったんだから。あーもう。とまあこのように、読者というのは身勝手なことを申すものでありまして。いやー、でもほんとにね、私はアイバさんの言説を批判的に見ていたけど、ほんとに興味深くて、最近でも定期的に巡回していたわけですよ。ったく……鬱々。
教訓:興味深いサイトのログはちゃんと取っておけ、と。エニグマのマリオネットとブルーゴーストップの連続閉鎖で懲りたはずなのに、またまたログの取り損ね。つーか、巡回サイトのログをみんな取るのは無理だって。だから3日、せめて3日前に予告してくれていればなあ……。
こういう話題が出たらいつもご紹介するのが野嵜さんのご意見。まあ、あれだ。更新する気がなくなったのは仕方ないとしても、ファイルを消すのだけは、どうか思いとどまってほしいのです。ただファイル消すにもひと手間いるでしょう。それを省略してくれたらいいといっているだけなんだけど、そんなに難しいことなのでしょうか。Yahooディレクトリは、更新が数年前から止まっているけど興味深い、役に立つというサイトの宝庫です。管理人が思っているよりずっと、ログファイルというのは読者にとって大切で有用なものだと思います。
しかしよりによってこのタイミングとは……。まるで私がサイトを潰したかのように見えるじゃないか。少しはそういう迷惑も考えて(自意識過剰の妄言につき以下略)。と、とにかくアイバさんのファイル削除には抗議したい。
そのうち「提言騒動に言及するなということは公表権の侵害ではないか」とかいいだす
そういうこと。物言うなという意見は、とことん嫌いなのです。
これは本当に個人的な備忘録。考察3、ちっとも書けないから、掲示板にレスで書いた文章をそのまま使おうかな。うん、そうしよう。アドバイスのログ、追加してもいいんだけど、単に面倒くさいんだな。やる気が起きない。時間はあるけど、読書とかあれこれにつかってしまうし。と、言い訳を書いておこう。言い訳になっていないが。
ミヤモト巡回日記で捕捉されているためか、モーニング娘。の辻さんファンの方のサイトからのリファラが毎日のように記録されています。別にそのサイトからリンクされているわけではありません。同時に開いている別のページをリンク元としてデータを渡してしまうWinIE5の有名なバグのせいです。でまあ、かれこれ両手で数え切れないほどの辻さんファンの方のサイトを読んできたわけですが……。
今日、リファラに引っかかったサイトです。いろいろと、いいことをいっているような気がします。さばけた性格の方のようで、それが私とって好印象となる理由なのかもしれません。
最近誤字が多いという声のある当サイトですが、誰か教えてくれたら直すと思うのだけど……と思っていました。ごめんなさい、ご指摘いただいていました。気付くのが遅れて、申し訳ありませんでした。
言い訳を書けば、2日に1度確認というルールが面倒なので、私は殺害現場にリンクしていませんでした。そして、リンクしていないサイトは指摘してもらえないものと、勝手に思っていたのです。
皆様、もしよろしければ、当サイトの誤字の指摘には殺害現場をご利用くださいませ。ときどきチェックしますから。
日々の凧あげ通信で寿司おりがみとして紹介されていた(3月3日付)のだけれど、折り紙というより紙工作のように見える。というか値段が高すぎないか?
該当の記事以外にも、興味深い主張がいくつも。空腹を覚えて夕食を取るまで、しばし読み耽った。
斬鉄剣の今回の更新について、感想を書きとめておきます。私はナミさんの意見に興味があります。毎回、これが最後かな、と思っているのですが、今回またご意見いただけてありがたく思っています。「失せろ」というタイトルのインパクトも、いつものことということで。
徳保氏の掲示板か何かでウチの解析の「URLをちゃんとリンクしてWEB上にあるモノは全てリンクで公開されても文句は言えないということを思い知らせてやればよかった」みたいな彼の発言を見たハズだったんですが、削除されたのか、それとも気のせいだったのかしら。確かに間違ってはいないとは思うけど、個人的にはあまり好きになれない考え方だね。完璧な理屈も結構だけど、理屈以前の暗黙の了解みたいなモノってあるとオレは思うんだけども。少なくとも2ちゃん以外でウチの解析が見れるって公に宣伝したのは彼が初だったしね。だいたい足跡があったからと言うけどそれってホントにオレの足跡なんでしょうかね。時々ウチの解析からウチの本体に飛んでくる人もいるくらいだし、オレもウチの解析が見ようと思えば見れるつうのは知ってるワケでわざわざ足跡残すようなコトはしてないんですが。ぶっちゃけ解析ページから直接リンクでは飛ばないで、URLコピペしてやってたんで簡単には足跡なんか残らないはずなんですけどね。まあどうでもいいことなんですが。
私の発言は今でも掲示板で読めます。No.162 です。
さて、私は暗黙の了解
に配慮したので、実際にはリンクしませんでした。掲示板でも、です。配慮するなら、公開されているという事実も伏せるべきだ、という考えもあるでしょう。私はそう考えませんでしたが、これがふつうだとは思っていません。たしかにふつうは、そうした事実も指摘しないのでしょうね。
ところで、アクセス解析からの足跡を、ナミさんによるものと決めつけたのは私の早とちりでした。お詫び申し上げます。
正直、今の流れの中でオレが過去の失敗をうんぬん言われることに対して、いまいちピンとこなくなってきている。あれほど忌むべき行為だったハズのことが今ではその辺で日常茶飯事のように起こっている。そんな中でオレに対して「お前が言うな」と言いながらやってるコトは批判リンク晒し行為だったりするサイト群を見ていると、複雑な気分になる。果たしてオレはこいつらにそんなコト言われる筋合いあるんだろうかと思うようになってきた。だからってランク制リンクとかが最低な行為である事には変わりはないし、アレがオレの冒した最大の失敗だったという自覚も変わらない。だからってこの流れを否定する気にもならない。携帯電話が当たり前のように普及したのと同じように、こういう事が当たり前になっただけなのかも知れない。
暗黙の了解が、次第に変容してきたのでしょうね。批判するならむしろリンクを添えた方がいいという考え方が広まってきたのではないか、と私は肯定的に考えているのですが……。
さて、私が思うに、ナミさんのランク制リンク事件も、理屈は通っていたと思います。駄目サイトは晒し上げると宣言されていて、実際その通りにしたわけです。ところがこれは、当時の暗黙の了解を破った出来事だった。程度の問題、というのはまさに暗黙の了解に任されている分野です。
ナミさんは、やり過ぎました。景気のようなもので、いったん行き過ぎると強烈な反動を食います。そのためナミさんは、通常よりずっと厳しい制約を遵守することを求められました。これはいっときの空気の流れの問題ですから、しばらく自重されたらよかったのです。ところが、糞はひどかった、反省して今度から直腸とする、とやってしまった。もう少し我慢すればよかったのにと思いますが、こうなってしまうともう、何をやっても後の祭りです。
空気を読み誤ることは、誰にも起こりうるでしょう。しかしそのとき、注意されてもなお悪い方向へと突進してしまう人は、あまりいません。慎重になるからです。ナミさんは、かつて決定的に空気を読み誤り続け、その悲惨な状況があまりに印象的なので、みな忘れたくても忘れられないのです。もともとの出来事は冷静に見直せばそれほど凄まじい失敗ではなかったのですが、対応がまずかったわけです。
当時も今も、批判者は当然のようにランク制リンクという発想自体を攻撃します。しかしそれは批判につきものの、「踏み込み」に過ぎず、本当のところはやり過ぎを批判しているだけです。それは当然のことなんです。斬鉄剣を手厳しく批判するサイトがやっていることも、他者を貶める評価をするという意味ではランク制リンクと同根だからです。
でもそれをナミさん自身が指摘してはいけない。ナミさんはそうした暗黙の了解を、次々と破ってきました。最近のウォッチャー批判のいくつかもそうです。言論の自由があるから、ナミさんにはそれを言う権利があります。けれども、暗黙の了解を踏まえて、いわずに黙るのが常識的な対応なのです。それができないから、あれこれいわれるのでしょうし、いつまでも2ちゃんねるで話題になり続けるのです。
はるのネット一人旅が当サイトへWebデザインアドバイスを申し込んで話題となったとき、懐かしいという声が聞かれました。はるさんはずっと更新し続けているのですが、脳止騒動に関わっていった一時期を除き、常識的な更新しかしなかったので、ウォッチャーの関心を失っていったのでした。無情な日常や塾憂など、こうした例はいくらでもあるというのに、なぜナミさんは見習おうとされないのでしょうか。あるいはたろたまだって、長年辛口更新を続けてきましたが、それが大問題となったのは今回が初めてでした。
私は、ナミさんが暗黙の了解ということを言い出すのを、少々意外に感じました。と同時に、これだからいつまでも叩かれるのだな、とも思いました。ランク制リンク事件の何が一番まずかったのか、わかっていらっしゃらないのだな、と。やり過ぎたことと暗黙の了解を無視した更新をし続けたこと、反省し今後に活かすべきはそのことだったというのに、ランク制リンク自体がまずかったと思ってしまったから、「あいつもこいつも同じようなことをしているのに、なぜ俺だけ」という出口のない迷路に陥るのです。
マダファカのアイバさんといえば、斬鉄剣批判で有名。でも私は、アイバさんの意見にはたいてい、批判的。自説の正しさを確信してる文章が多いから、たぶん、それだけで嫌な感じがするんだと思う。それにしても私がよく読んでいたのはSPEEDY-DANの頃だから、しばらく前ってことになるのかな。
そのアイバさんが3月8日付の更新で興味深いことをおっしゃっている。リンク先をご覧いただくことをお勧めしますが、備忘録では手っ取り早く結論を引用。
色々考えた結果改めて思ったよ。現実の人とのやり取りは『ディベート』じゃないってこと。理論で勝れば良いってもんじゃない。理論で上を行くことで、人として『イヤなヤツ』になってしまったら何の意味も無いんだよな、俺にとっては。筋さえ通せれば『イヤなヤツだ』と言われても構わないなんていうのは絶対にイヤだしな。
私が跡地の件の終戦工作で、あっさり考察での主張を取り下げているのは、イヤなヤツ
になりたくないからではありません。理屈で勝っても、それだけでは問題は解決しないと考えているからです。しかしそうした違いはあっても、現実の人とのやり取りは『ディベート』じゃない
という結論には同意。
……これでアイバさんの批判の対象が私だったら苦笑するしかないのですが、でもやっぱり私なんだろうな、と思った(自意識過剰だから)。
評価者の評価ログを見ていると、よくわからない記述がちらほら。
文字サイズ指定は好ましくないが、問題にならない使い方なので可。
自サイトでないstood anntenaは、目次の一番最後に持って来るべき。
<a href=”#top”>に対応する<a name=”top”>この場合、nameではなく、id。
divを段落と考え、pを意味段落とした方が良い。行を変える時は<br />。左揃えの為にpを使用しているなら、<br />に変えても問題ないはず。
日記サイトであるならば、文章の読みやすさが大切だ。(中略)文字サイズ指定、書体指定をしない方が好ましい。
背景色を#ffffffにしているが、環境によっては、白地が眩しく感じられる場合もある。#fefefeなどがお勧めだ。
bodyタグにクラス指定するのは好ましくない。bodyタグの後に、divタグを挿入し、それにクラス指定した方が良い。
URLに書いてあるindexは、目次という意味がある。他のページに使わない方が良い。
違和感を覚えた記述を列挙。というか、全角アルファベットは、なんだか変。
段落については、はっきり別意見。p要素を形式段落に、div要素を意味段落にするべき。また、評価者のように形式段落の冒頭に全角空白を入れるのは、あまり賢くないと思っている。形式段落をふつうにp要素にしていれば、CSSのtext-indentでそうした効果は実現できる。プレゼンテーション情報はなるべく排除した方が、後でいろいろ見た目をいじるのには楽。いじらないならいいけれど……。
その他の疑問点については、評価者への批判としてではなくて、自分の覚え書きとして考えをまとめてみたい。今は違和感の源泉をちゃんと言葉にできないでいるのが悔しい。
評価者がMacのブラウザで見れない理由……シフトJISで書かれているのに、meta要素で指定されている文字コードがiso-2022-jpなんですね。うん、これは見れないな。わははは。(というか、今時このオチはないだろう、と思った)
某氏へ。見当違いのことを書いてしまって、本当に申し訳ありません。
追記:シフトJISじゃなくてUnicodeが正解のようなんだけど、不明な点があるのでちょっとこの問題は保留。
先日ご紹介した評価者が Mac の WWW ブラウザ各種でうまく見えないことが一部で話題となっています。しかし評価者は CSS でデザインされたサイトです。CSS を無効化してしまえばいいのです。
サイトの見た目は閲覧者が決めるべき、というのが私の意見です。製作者のいいなりになっている閲覧者は情けないです。文字サイズ固定は許せない、とかね。そんなの CSS でやっているに決まっているんだから、CSS を切ってしまうか、ユーザスタイルシートで上書きすればいいのです。CSSデザインのいいところは、閲覧者さえ賢ければ、製作者の用意したスタイルを全部なしにできること。だから逆に、CSS でデザインする人は、UA の対応状況なんて考えなくていい。それが本来の CSS デザインの利点です。
製作者の用意した CSS を、閲覧者が絶対に利用しなきゃいけないなら、CSS デザインは時期尚早です。それなら、テーブルレイアウトの方がまだしも、そのHTML文書を閲覧できる人が多いはずです。だからテーブルレイアウトの方がアクセシビリティーが相対的に高い。CSS デザインがなぜ、アクセシビリティーが高いといわれるのか。その本当のところをきちんと学ばねばなりません。CSS デザインを云々するなら、何よりも閲覧者教育が大切だと思います。
そんなことより何よりも一番に言いたいことは、「サイト評価を行う」という立場なら、思想はどうあれせめてトップページくらいはどんな環境でも見られるようにすべきということ。
こうした勘違いを、ひとつひとつ正していくのです。「CSS を外せば、HTML4.01 以降に対応した UA なら問題なく表示されます」とうろたえずに答えましょう。私は NN4.7 とか、全然悪くないと思います。CSS 外せば、軽くて使いやすいウェブブラウザです。現状、CSS2 に完全対応している UA はひとつもありません。だから、どの UA も CSS を簡単に無効化できるようにしておくべきなのです。そして閲覧者も、そのことを知っておいた方がいいと思う。
W3C信者にとってはMacIEやNN4.xは消えてもらいたい存在だからね。
などとうそぶく人は、バカです。何のために CSS デザインをしているのでしょう? テーブルレイアウトより表現力が高い、という理由ならご勝手にどうぞ。けれども、アクセシビリティーとか言い出したらぶっ飛ばす。MacIE や NN4.x での閲覧を拒否しておいて、よくいうな、と。CSS 切ってください、と答えればいいのに。
ちなみに当サイトでは、CSS を OFF にできない欠陥 UA の WinIE ユーザの方にも簡単に CSS を OFF にしていただけるよう、JavaScript を切れば CSS が適用されない仕組みを採用しています。Sleipnir などでは目立つ位置にあるボタンひとつで JS を ON/OFF できるので、IE コンポーネントのタブブラウザなどをご利用の方はご参考までに。
アナタにそんなコトを指図される筋合いはありません。
そりゃまあ、そうですよね。まあ私は指図じゃなくて要望をしたのですが……って、そういうのもどうでもいい突っ込みですね。今日はこれで寝ます。それにしても、私の更新を待っていらしたとは! すみません、遅くなってしまって。(自意識過剰)
以前にもご紹介しましたが、先日、始動したようです。私はけっこう期待しておりまして、今後の展開に興味があります。ぜひ、皆さん、参加してみてください。今のところ、度重なるスクリプトのエラーも順調に乗り越え、いい雰囲気で推移しているように見えます。参加サイトが増えたら私も一度登録してみようかと思っています。
デザインアドバイスなんかやっているくせに、「見にくいです」とか、「重いです」とか、サイトを批評してくださいっていうといつもデザインを突っ込まれるんですよね。よっぽどセンスないんだな、わははは。それでも人様にアドバイスすると喜ばれることが多いんですよね。まあ、そういうものなんだろうと思います。
小説を書いている方なんですけれども、このたびサイト批評をはじめられたとのこと。この機会に小説を読破してみようかな。「死霊」を読んでからというもの、いろんな小説を読みたい気持ちが昂進してます。
いま、テキコンにはまってます。迎賓館裏口の柊さんがよく参加されていて楽しそうなので、興味を持って地方予選に参加表明してみたのですが……。参考のためにと第1回から順に全作品と全批評を読んでいっているのですが、これが面白いんです。私はWeb創作は読むのも書くのも苦手なのですが、評価を読んでから作品を読むと、不思議と楽しめます。あー、そう読むと面白いのか、と目から鱗。
とりあえず、私は善戦するのも難しそう。まあいいや、惨敗でも。今はテキコン、読む方で十分に楽しませていただいているから、そのお楽しみ料ということで。
それにしても、テキコンって読者は多いのに、投票者がすごく少ないのがとっても残念。いちいちコメントを書くのが面倒くさいのかな。私は、3点つけた作品だけにコメントをつけることにしました。あるいはコメントなんて、一切付けなくてもいいんじゃないかと思います。テキコン読んでるみなさんはぜひ、投票しましょう! ……誤解されないように、私の参加する地方予選のリーグの投票時期が半月以内に迫ったら、こういうことは書きません。いちおう、安心してください。
音声ブラウザを利用する場合、ナビゲーションはとことん簡単な方がいいと思った。長大なナビゲーションは聞いているうちに短期記憶の容量を越えてしまう。当サイトのナビゲーションが結果的にいいものに仕上がっているかどうかは別として、まずまずシンプルにまとまってはいると思う。これなら link 要素へとナビゲーションを移行する際にも悩みが少なくてすむかもしれない。
斬鉄剣への反応も遅れました。
真っ先に反応した理由は簡単、ナミさんが件の更新の当日に当サイトに足跡を残されていたからです。アクセス解析は、公開するならちゃんと公開してしまってほしい。当サイトには毎日相当のアクセスがあるので、本来なら個々の閲覧者の動向はわからないんです。ところがナミさんの動きだけはわかるのです。たいへん気持ち悪い。ナミさんの更新を変に勘繰ってしまうのは私の弱さですが、心当たりでもあるんですか?
とは白々しい。心当たりがあるのはナミさんでしょう。
相手が特定されていれば、本当に
検証とかぬかしているのかどうか、合法的に理屈こねるフリしているのかどうか、罵倒してるのかどうか、私なりに調べて、なるほどその通りなら納得するし、そうでなければ反論もできます。けれども、相手が伏せられているのではどうしようもない。ずるいと思うわけです。
これは私の怨嗟の声です。私を名指しであれば徹底的に反論できるのだが……という。
ところで、私はマスコミの役割を担っているだけで、当事者間の問題の解決には役立っていないというのはまさにその通りです。読んでいらっしゃらないのでご存知ないかと思いますが、じつはもともとの事件そのものは、2月2日に当事者間で解決しています。私のサイトがスタートしたのも2月2日です。跡地の件は、事件が解決してから大きく育ったという経緯があります。
ナミさんは当事者主義というか、当人たちが納得したならまあいいじゃないかというお考えのようなので、私が何をやろうとして頑張っていたのかも、ご理解いただけないのだろうと思います。
まずは彼があれだけの量のテキスト書かなければ、例のスレが一気に15も16も進むコトは絶対になかったでしょうね。自分が率先して騒ぎをどんどん大きくしてるのにも関わらず「終戦工作」ってのがオレにはしっくり来ません。終戦工作もクソも黙ってれば勝手に集束してたと思うんですけど。
黙ってれば勝手に終息してた
……それはそうでしょう。当事者同士が納得してしまったのですから。しかしナミさんの読んでいない考察の中で、私ははっきり書いています。「世の中には、当事者の意向より優先されるものがある」ということを。今回の件についていえば、ゆきさんの呑んだ手打ちの条件はあまりに不当だと大勢が感じました。そして、プリシラ許すまじ、間宮許すまじ、これですんだと思ったら大間違いだ! というわけでたいへんな騒動になったのです。
私はもちろん、騒動の旗振り役のひとりでした。きっかけこそ「贖罪と赦しについて考える」ことでしたが、資料を整理し一通り読んで考察1を書いた頃にはもう、実質的な目的は大きくずれ始めていました。
ではなぜ、「終戦工作」なのか。ちゃんと世間様に通用する落とし前をつけろ、ということを私は書いてきたわけですが、みなが早々に非を認め騒動の渦中を離れていく中、プリシラさんと間宮さんだけはむしろ騒動を煽るような愚行を繰り返すことになります。肝心なポイントを外した謝罪では意味がないのに、どうしても気付こうとしないのです。間宮さんの「震えてませんから」発表にいたり、私はようやく騒動の構図をはっきりと認識していくことになります。
プリシラさんも間宮さんも「確信犯」でした。そして「確信犯」の価値観を揺るがす言葉を、騒動に関わる誰もが持ちえないことが明白になったとき、騒動は膠着状態に陥ったのです。
終戦工作は騒動に疲れた私の逃避行動ですが、しかし間宮さんの説得による騒動解消という正面突破を狙った作戦でもあります。私は、間宮さんたちを(みなが納得できる)反省へと導くことは不可能と判断しました。これ以上の騒動の継続は不毛だと悟ったのです。既に一定の効果はあったわけで、このあたりが潮時だと思いました。とはいえ怒れるウォッチャーを説得するのは無謀な試みです。私は、冷静な間宮さんの現実的な判断に賭けようとしました。
間宮さんは私の考察に少しも心を動かされなかったようでしたから、私は当初から考察のロジックは捨ててかかりました。形式的謝罪の必要性を説くことに専心したのです。結局、私の終戦工作は無駄に終わり、間宮さんは私の提案を蹴って独自路線を貫く「本音」を発表されました。しかしこの「本音」は微妙な線を突いており、騒動はここにはっきりと終息の兆候を見せたのでした。
事件が終わってから立ち上がった騒動の「当事者」は誰か。一方はプリシラさん、間宮さんたちです。ではもう一方は? それはウォッチャー(世間様)です。
どんなに完璧な内容でも、結局マスコミである以上は書いた内容が一般に広がっていく作用を示してしまう。それは戦火が拡大するのを助長する効果はあっても決して終戦に向かうコトはないでしょう。だからオレには「終戦工作」だの「この事件をおさめようとする」だのが滑稽に見えてしょうがないのですよ。関係ないヤツが「まあまあ、ここはひとつほにゃららうんぬん」言ったって、当事者から見りゃ「関係ねぇだろ、すっこんでろ」つうことになるワケで。確かにテキストそのものの質は高いと思うし、それに関して何も言うコトはないのですが、問題はもっと根本的なところにあるのだというコトがわかっているのかわかっていないのか、それは闇の中なんですけどね。
これは騒動の構図を読み誤った意見です。私は事件については第3者でしたが、騒動では当事者の一端に属していました。
ところで、私は騒動に関連して、何度も斬鉄剣を引き合いに出しました。思いっきり世間様の意見を吹っ飛ばしては叩かれる、個人主義のひとつの典型だからです。
私が数多く転載した言及サイトのログを見てください。スレだけ追いかけていれば、一部の性格悪い集団が水に落ちた犬を嬉々として叩いているようにも見えます。しかしスレが伸びる影には、書き込んでいるヲチャ
に10倍、100倍する一般人のROMが存在しています。ナミさんにはそれが見えないから、平気で喧嘩両成敗などというのです。ナミさんがそう思うのはいい。けれども、それを何ら危険を感じずに口にするのはどういうわけか。あまりにも多数派の意見に鈍感なのですよ。
ナミさんは、ウォッチャーはどこまでいっても第3者という考え方を、ある程度まで修正された方がよいと思います。言及サイトを読めば、どれほど多くの方が、今回の事件・騒動を自分の問題として捉え、悩み、考え、憤慨したかよくわかります。
私の終戦工作が滑稽だというのは、ある意味まったくおっしゃるとおりだと思います。けれども、ナミさんの解釈はあまりにもあんまりです。基本的なところで、話があさっての方向へ向いているのです。(ことによると「ボクの終戦工作」が、いわゆるひとつの「終戦後」に公開されたことを知らないのかな?)
あと、小規模な趣味でやってるサイトを抜き打ちで批判的紹介するのって旧斬の「例のアレ」とどっか違うんですか? リンク食ったから、つう理由だったのならまだわかるんですけど、文中リンクされてなくても目に止まればあのテのテキストを書いたでしょう、と言うからには抜き打ち批判文中リンクを肯定してるっつうコトなんでしょうか。
質問への回答は「YES」です。
ただし、私は批判するに足ることをしている相手だから批判するのであって、批判しているおまえの方がバカ、という意見に説得力を感じれば批判を取り下げます。旧斬の「例のアレ」
はナミさんの俺基準が絶対だったでしょう。私が感情優先の行動にいちいち理屈付けするのは、逆にいえば、「感情はどうあれ理屈の方が崩れれば涙を飲む」という立場を表明しているということでもあります。
やられる側にとっては同じようなものかもしれませんが、私にとってはそれなりに違うものという認識です。
やられた方は一時的なアクセスよりも、批判したサイトの規模が大きければ大きいほど、変な「レッテル」を貼られる危険性が高いというコトを忘れてはいないでしょうか? 閲覧者にフィルターをかぶせる効果を抜きにして実害なし、と言うのなら「批判したいから批判してるだけ、たいした実害ないんだから気にしないで」なんつうのは単なる辻斬りです。
私がこうだ、といえばみなそう思うと考えるのは大間違いです。私が批判してきた相手は数多にのぼりますが、私の見たところ、レッテルは概ね実態に沿って貼られていっているように思われます。私の批判が的外れならスルーされますし、ズバリであれば相応のレッテルが貼られます。まず、それが何か問題なのか、ということがいえます。次に、たとえ問題があるとしても、やはりしばらくすればアクセス数は元に戻ります。結局、実害はないわけです。
掲示板に突撃、といった話は、もう相当にひどいことをしていない限りはありえないといっていいでしょう。そうでないのに突撃が起きたときは、突撃した人間は手厳しく批判されます。
閲覧者は、ナミさんが考えていらっしゃるようなバカではありません。批判記事にそうそう簡単に騙されることなく、リンク先を読んで自分なりの判断を下します。リンク先も読まないような人がいるのは事実ですが、しかし彼らはリンク先を訪問しないわけですから、実際問題として無害だといえましょう。
私が批判の対象を明らかにするのは、読者を騙さないため、私自身の言説の信頼性を読者に判断していただくためでもあります。私は少なくとも、ナミさんのよくやるような相手を伏せた批判よりは、よほどマシだと思っています。
常に隕石が落ちるかもしれない恐怖にさらされてるようなモンです。その辺は是非再検討して頂きたいモノですね。
それの何がいけないのか? 弱小サイトだから何を書いたって平気だと思って、ひどいことを書いているのを放置するのがよいことなのでしょうか? というのが私の発想ですが、あまりそういう危ないことをいっていると世間様の風当たりが強いので、今後は自重して適当に相手を選ぶことにします。ということは数日前に備忘録で書いた通りです。
あと、おっしゃる通りウチの解析にはパスワードもなんもないので見ようと思えば見れますよ。でもね、他人の解析なんぞをサイト上でデカデカと紹介するのってかなり、つうよりものすごく悪趣味、つうか普通はやらねぇと思う。正直ちっとばかし狂ってんじゃねぇのと思った。
わかりやすく、私の希望を書きましょうか。パスワードなしなら公開してください。たとえば麻草さんのように。そしてもし非公開のつもりなら、ちゃんとパスワードつきのサービスを利用してください。
もう一点。斬鉄剣のアクセス解析の結果表示画面にパスワードがかかっていないというのは、単なる事実です。私はその画面の URI を示したわけでもなし、デカデカと紹介
というのは誤解を招く表現だと思いました。
ちなみにアナタと「論戦」する気は全くありません。
この点だけは確実に、お互いの利害が一致しているといえましょう。私もナミさんと「論戦」するのはお断りです。
ダブルスタンダードを認める私がなぜ、1月31日付の備忘録でナカムラさんのダブルスタンダードを批判したのか、という突っ込みに回答しておきます。
私はダブルスタンダード自体ではなく、それを成立させるロジックの不在を問うています。相反するふたつの価値観を、なぜ並立させなければならないのか、その説明がない。ナカムラさんは、一般常識ですというような書き方で、説明抜きにダブルスタンダードを持ち出しています。それはないだろう、といっているのです。ちなみに私は、感情の問題ですよ、というなら
わかるとも書いております。
いずれにせよスルーされた話題なので、読み返してみて寂しいわけですが。
白夜の街角の2月28日付の日記について、遅くなりましたが少々反応しておきます。
私はうりさんを批判しました。ですから、うりを貶めた
というのはある意味その通りではないですか。ただうりさんは、直後には混乱されたようですが、時間を置いてからの対応(掲示板での発言/通常更新への復帰の早さ)は見事でした。結果オーライですが、うりさんの立派さを示すことになったのではないでしょうか。
今後は当サイトのお客様が(一時的ながら)多いことを考えて自重しますが、当方に理があれば批判することは厭わないというのが私の基本姿勢です。その位置から譲歩、譲歩を繰り返すわけです。
何ら代わり映えしませんが、新装開店です。SSI 使うのをやめました。備忘録のログページがちょい寂しく見えますね。