跡地は、週末に簡単な考察のまとめを書いて、更新を停止します。言及サイトも、以降は拾いません。来週以降、みなさん安心して言及されたらよいと思います。
備忘録も、来週の平日は意図的にWebデザイン関連以外の話題は扱いません。
ところで最近、某所で叩かれているのは、意図したものではありません。ほとんどの物事は、私の意図しないところで、私のちんけな予想を吹き飛ばしながら進んでいます。
完結記念に再度ご紹介。興味深く読みました。
明日は更新できませんので、今日はとくにていねいに書くよう心がけます。
まず、私が批判したうりさん自身のご意見をとりあげます。
文章力の無さ、読解力の無さ、行為自体(文中リンク)の稚拙さについて考察されるのは一向にかまいません。その考察の結果、私に批判的な意見を投げかけるのも一向にかまいません。事実、私自身がそう思っています。勢いだけで文章を載せ、挙句文中リンクまでやらかし、しかも文章の内容がお粗末ときています。まったくもってお恥ずかしい限りで、穴があったら入りたいです。
しかし、私の地下鉄での行為まで考察するというのは、少々お門違いかと思います。私が考察・批判されるべき部分は、ちっとも似ていないのにこじつけたかのように文中リンクを張ったという部分。また似てもいないのに似ていると思ってしまった・取り違えをしてしまった私自身の稚拙さのみです。私が地下鉄でやらかしてしまったことについてはあくまでも私自身の問題であって、表現が悪いですが他人には関係ありません。(当たり前のことを当たり前にできなかった私への罰だと言われればそれまでですが)
叱られるようなことをした、それは事実であり、私も反省しております。二度と地下鉄・バス・JR・市電にて携帯電話でゲームをするということはないと断言します。逆ギレしたことについても、同様です。私の子供じみた行為を、恥じております。
私の意見を述べます。
リンクは、私がうりさんのサイトを知ったきっかけに過ぎません。リンクがあろうとなかろうと、私はうりさんの日記を読んだら備忘録の記事にしたでしょう。ただ、リンクの件がきっかけだったから、跡地の件とその教訓という視点から記事をまとめたのです。
私が最も疑問に感じ、批判したかったのは、「最終的に逆ギレを正当化している」ということでした。おばちゃんにひどいことをいわれてついつい逆ギレしてしまったけれども、それは誉められたことではなかった、という展開ならさもありなんと思います。ひどいことを言われて憤慨するのは理解できますし、ときにはぶち切れて行動の抑制が取れなくなることもありうるでしょう。しかし該当記事の後半は以下の通りです。
とうとう周りが止めに入りました。
おっちゃん「もういい加減にしなさい。アナタ(おばはん)少し言いすぎですよ。」
私「最初のきっかけを作ったのは私です。それは反省し、謝罪します。」
おばはん「悪かったわね!ふん!でもアンタが悪いのよ。」
私「それで謝ってるつもり?いいねぇ、それで今まで許してもらってきたんだ。幸せな人生だったね。」
待てよ。。。なんかコレにすげー似てない? と思ったのは私だけでしょうか?
ちなみに、キレるきっかけになったおばはんの一言は、「アンタみたいなロクでもない女が、ロクでもない事件とか起こしたりするのよ!!!」車内で携帯使ってたくらいで言われることじゃないですよね?
携帯電話の件は過ちを認めるけれども、おばちゃんの言葉が過ぎていることは明らか。だから逆ギレしたのは当然だといっているように読めます。私が疑問に感じたのは、この点です。
おじさんは確かに仲裁に入りました。おばちゃんの言葉が過ぎているのもわかっていたでしょう。けれども、うりさんが逆ギレなどせずに、我慢してくれたらどんなによかったか、と困惑した面持ちだったのではないかと想像します。少なくとも、うりさんの怒りを共有していたわけではないだろうと思います。周りが止めに入りました。
とあるので、おそらくおじさん以外にもおばちゃんをたしなめた方がいたのでしょうが、やはりその方々も、うりさんの怒りを共有してはいなかったでしょう。みんな、「二人ともいい加減にしてほしい」と思っていたのではないですか。
話の流れを勘案するに、ここはうりさんが我慢するのが一番穏当な方法だったと思います。憤懣やるかたない気持ちは、それこそ日記で吐き出せばよかったのではないでしょうか。今日、携帯電話のことで注意された。最初に注意したおじさんに続いて、横からおばちゃんが出てきてひどいことをいう。あんまりひどいことをいうので心中煮え繰り返る思いだったが、その場はどうにか我慢した。それにしても「アンタみたいなロクでもない女が、ロクでもない事件とか起こしたりするのよ!!!」
なんて車内で携帯使ってたくらいで言われることじゃないですよね?
……というように。こういう話なら、なるほど調子に乗って暴言を吐くおばちゃんはひどいね、と共感できるわけです。
えっと上手く纏められなかったのですが、ご理解いただけたでしょうか? 私の日記を読んで、私と同じ気持ちになれとはとても言えません。文章力の無さから、私の言いたいことを読み取ってくれとも言えません。しかし考察するべき部分・しなくていい部分というものをご理解いただきたいと思います。私の人間性が著しく欠如しているということについても、今回の失敗同様、私自身がそれを周囲の反応で認識していくだけのことです。
そう思うのは私だけでしょうか?
私は人間性が著しく欠如している
といった批判はしていないつもりです。うりさんの逆ギレについて、少なくとも賢いやり方ではない
とは書きました。しかし私は、うりさんにむしろ同情的でさえあると思っています。あんまりひどいことをいわれて怒るのも、逆ギレするのも自然なことです。ただ、結論だけが納得できないわけです。なぜ、「それでもやっぱり逆ギレしたのはよくなかった」とならないのか、ということです。(もちろん、私はおばちゃんにも同情的です。おばちゃんが激昂するのもわかるんですよ)
私にとっては、北朝鮮を語るのも、アメリカを語るのも、田中真紀子を語るのも、汚い手を使う某ライバルメーカを語るのも、うりさんを語るのも、家族を語るのも、基本的には同じです。おかしいと思えばおかしいといい、疑問を感じれば批判する、素晴らしいと感動すれば賞賛する。田中真紀子の逆ギレ正当化は批判してもよいが、うりさんの場合は批判してはならない、とは考えません。書きたいことは書きます。ご批判があれば拝聴します。
あらためて申し上げます。リンク云々は、私にとってはどうでもいいことです。私はうりさんの行動に疑問を感じたので、苦言を呈しました。うりさんは私自身がそれを周囲の反応で認識していく
とおっしゃっていますが、私の備忘録も周囲の反応
のひとつです。
その日あった出来事・そのことについて思ったことを書くというのが、私なりの日記におけるスタイルです。日記への意見・批判は有難くお聞きしたいと思っております。しかし、日記から読み取れる私の人となりについての意見・批判には対応できません。何卒、ご理解いただきたく思います。
私は、日記に記されたうりさんの行動、考え方を批判しました。日記から読み取れる私の人となりについての意見・批判には対応できません。
という一文は(どの記述をそうおっしゃっているのかわからないため)意味不明ですが、念のために書き添えるならば、私が備忘録として批判を書きとめていることにご注意ください。私は積極的にうりさんを考え方を変えようとしているわけではありません。世の中にはこういうことを日記に書いている人がいるが、私はこうした考え方には批判的に接していきたい、という私の意思表明として発表しているわけです。
ならばリンクは不要だという意見もありましょうが、私は意見を異にします。私は批判対象を明らかにすることで、読者の判断も仰いでいるのです。そして、備忘録は私の思索の軌跡であり、関連文書へのブックマーク集です。リンクを用意することは、理に適っていると私は考えます。
うりさんのご意見への、私からの回答(意見の再提出)は以上です。
続いて、これに関連する白夜の街角のご意見に回答いたします。
魚周「以前から親しくしているうりが徳保さんとやらに文中を受けた。」
白夜「そうです。」
魚周「深く考えずに文中したのはうりだな。」
白夜「そうなんですよ。だからその点についてはうりが悪い。」
魚周「その通りだ。だが、それ以外の事をとやかく言われる筋合いはないわな。」
今一度、言明しておきます。私は、うりさんからリンクされていなくても、もしうりさんの当該の日記を読んでいれば備忘録で取り上げたでしょう。
ところで、うりさんのリンクの何が悪かったのですか。だからその点についてはうりが悪い。
とおっしゃるわけですが、私にはその理屈が理解できません。リンクは好きときに好きなだけしたらよいと思います。
私はもともと、白夜さんのおっしゃるところのそれ以外の事
に疑問を感じ、批判したのです。なぜ、どうでもいい、本筋と何の関係もないリンクの話が最初に出てくるのですか。もしよろしければ説明していただきたいと思います。
白夜「こんな事を公にしても仕方ないのですが、うりは非常に責任のある仕事をしています。」
魚周「うむ。」
白夜「彼女には愚痴を言う人間すら居ません。TOPに立つ人間の宿命ですが。」
魚周「そうだな。」
白夜「そんな彼女の愚痴がサイトにちらほらと書いてあります。」
白夜「その愚痴に対してまで上から見下すように言及するのは筋違いだと思うんです。」
魚周「そうだ。何様のつもりなんだろうな。」
白夜「細々とやっている零細サイトまで言及しなくてもいいと思いました。」
白夜さんのご意見を、私の理解にしたがってまとめ直してみます。
一理あります。息抜きのサイトでちょっと書いた愚痴を、いちいち真剣に批判されてはたまらない、というのはひとつの正論でしょう。
私は白夜さんのご意見を理解しますが、しかし今後も構わず言及を繰り返すでしょう。これは白夜さんと私の価値観の違いです。私は他人の愚痴にも正当性を求めます。
個人の考えだからいいじゃないか、といって批判を恐れる人がどんどん増えることを、私は危惧します。社会常識が体に染み付いているので、当面はみんなそれなりにまっとうな生活を送るのでしょう。しかし上っ面だけ正常に装う危険な均衡は、いつか破綻します。例えば、学級崩壊のようにです。みなの隠してきた本音が抑制をはねのけ吹き出したとき、世の中はどうなってしまいますか。……という理屈はいま考えたものですが、私のような何でもかんでも批判するスタイルにも、正当化の方法はいくらでもありそうだ、ということです。(ちなみに掲示板に投稿されたご意見への返答においても、あれこれ思いつくままに正当化の理屈を並べていますので興味がおありでしたらどうぞ)
いずれにせよ私は意見を述べる自由を、意見されることを嫌がる個人の感情・状況よりも重視しています。
私はうりさんの愚痴に疑問を感じました。逆ギレを正当化しているのはおかしいと考えました。だから、その通りに備忘録を書きました。
うりさんはどこかの市井のおばちゃんを批判しています。本人がうりさんの日記を読めば、会話の記録からすぐに自分のことだとわかるでしょう。白夜さんはそうしたことについてはどうお考えなのでしょうか。どこかの誰かさんなら市井の人でも批判してよく、うりさんなら批判してはいけないのでしょうか。私は、誰が誰を批判するのもありだと考えます。
たまたまうりさんのサイトが小さかったとか、責任ある仕事でTOPの立場にあるとか、それらは(少なくとも私にとっては)どうでもいいことです。うりさんがおばちゃんを批判した際には、おばちゃんには言葉をエスカレートさせずにはいられなかった事情があったかもしれないという可能性を、少しでも考えていたのでしょうか。あるいは白夜さんが私を批判するにあたり、私の事情を何か斟酌されたのでしょうか。こうしてみると、周辺事情にとらわれるのは意味がないという私の意見も、少しはご理解いただけるかと思います。私は、うりさんにとって愚痴を書くことが大切だという意見は認めますが、だからうりさんの愚痴は批判してはならないという意見は相手にしません。
私の批判が的外れだ、事実誤認がある、書き方がまずい、そうしたご批判は歓迎します。しかし、批判自体をするなという意見は、たしかに一理あることは認めますけれども、私が納得することはまずないものとお考えください。
最後に、以下のご意見について。
徳保氏は自分のサイト発足の理由は自分自身の後学のためのテキストになる…みたいなことを言っていたはず。
それがいつの間にか「○○さんのため」という恩着せがましい動機になるのは変ではなかろうか。
要するに、なんでも良いから晒し上げる大義名分が欲しかったんじゃないのか?と疑われるんではないかい
痛いところを突かれました。もう少しよく考えを練ってから答えればよかったと思います。個人的な作業が公益を生み出すに至り、考察を書いたらそれきり消すことも考えていたサイトを延々と残すことになった過程については、数日前の備忘録に書きました。しかし掲示板に書いたような恩着せがましい理屈は、どうにも筆が走った感があります。
さて、私の持ち出す正当性の根拠は、たいてい後付けです。うりさんの日記を批判したのは、ようするに批判したかったからです。そうしたらいつものように、批判するな系の反応が返ってきました。で、こういうときに、「批判したいから批判したんだ、文句あるか」とやって納得してくれると思いますか。そんな展開はありえません。「自分勝手なことをいうな!」とふんぞりかえって、自由な批判の価値を一片も顧みてはくれないわけです。だから私は、あれこれ自説の正当性を保証する根拠を持ち出すわけです。
私を批判する人が持ち出す、「自由に批判してはいけない理由」というのも、私の持ち出す根拠と同じようなものだと思います。ようするに自由な批判は嫌いというのが先にあって、後から「なぜそう思うのか」について考えているのです。だからお互い様だと思います。ここで注意していただきたいのは、後付けの根拠は無意味ではない、ということです。もし「俺は批判したいから批判する、それだけだ」「俺はそれがむかつくからむかつくという、それだけだ」と言い争っていたら、お互い「こいつわけわかんねーよ!!」のままです。だからお互い、苦心惨憺しながらも根拠を繰り出しあう方がよいと思います。そうすれば、仮に議論がまったくの平行線を辿ったとしても、お互いの持ち出した無数の論拠から、せめて相手がどのような価値観を持っているのかだけは(ある程度)理解しあえるのではないでしょうか。
補記:私はこれまで、自由な批判に否定的な価値観に決定的に共感を覚えることがありませんでした。だから今でも、どんどん批判するぞ派です。ただ、個々のケースについては、相手の持ち出した根拠に納得して批判を取り下げたり、お詫びしたりすることもありました。最初に表明する立場というのはあくまでもスタート地点であって、ゴール地点は議論の過程から見えてくるものだ、とも思っています。
私がぽよさんを批判したのは、読んで自分の意見と違っても「そういう考えの人もいるな」って静観しててくださいね。
という書き方にカチンときたからでした。最後にご意見は教えてくださいって書いてある
とおっしゃいますが、静観しつつ意見する方法とは?
一方、私はサイト上で意見することについて、例えば連邦の吉野さんが紹介するソフトウェアのバグを発見したとして、作者にフィードバックはしなくても、サイトの記事にはする、というような感じ。ソフトウェアのバグ改善には興味ないけど、バグ情報に感謝する読者は意識する、というスタンスは十分ありなんじゃないですか。
と書きました。私はぽよさんが反応されたことを意外に思いました。
かといって私は自分に向けられた討論はともかく、他人がweb上に書いている意見が自分と違っていても、納得出来なくても批判をする気はありません。何故なら、そこには「元々の考えの違い」や「物事に関する認識の違い」、そして「文章では言い切れていない何か」が存在すると思うからです。それに「完全に理解しあえること」などあり得ないですしね。そりゃ、なるべく色々と考えて理解しようとはしますが、分からなくても納得できなくても「批判をする行為」に有意義さを求めません。だって、ただでも誤解が起こりやすい世界なのに、時間のかかる討論なんてことをやっていたら時間が足りませんよ。というより忙しくてそこまでする時間は無いし、web上で討論を交わすよりも仕事やプライベートの時間を大事にします。まぁ、ここは人によって違いがあるので「私は有意義さを求めない」という程度の事で、全否定するつもりはありません。
さて、ぽよさんはこのようにお考えなので、自分への批判もなるべく回避したいわけですね。自分が有意義に感じないことに時間を取られるのは嫌だという考え方は理解できます。しかし常々思うのですが、読んで自分の意見と違っても「そういう考えの人もいるな」って静観しててくださいね。
といったことは、書かない方がマシだと思います。こうした文言がなかったなら、私はぽよさんを批判しませんでした。意見そのものはよく見かける内容で、ていねいに書かれている(と私は思った)ので腹も立ちません。
まず、私の中でネットバトルと言うのは「討論の域を超えて、感情的に汚い言葉(「氏ね」とか、「バカ」とか)で罵り合ったりすこと。泥沼の揚げ足取り合戦をしたりすること。許可無くメールを公開したりして無理矢理ネット上での個人のいざこざの決着を付けようとすること。などの行為」だという認識です。討論によって、お互いの考えを理解し合うのは大切で有意義なことだと思うのは、徳保さんの考えとそんなに相違は無いと思います。この点で誤解をさせてしまったのであったとしたらそれは私の文章力不足と「ネットッバトル」への認識の違いでしょう。
疑義あり。
24日の雑記「誤解」についても言及をしてくださっています。こちらはあからさまに特定の個人を誹謗中傷するような感じの事が書かれており、前述した「ネットバトルでの揚げ足取りや罵り」に近いモノがあると私には受け取れました。
特定の個人
と書いていらっしゃいますが、私はぽよさんを名指ししています。そして次の点が最も気になるのですが、誹謗中傷するような感じ
とは? 誹謗中傷はよくない、という意見は理解します。しかし誹謗中傷するような感じにも否定的なのですね。誹謗中傷するような感じの表現と、ぽよさんが認められる表現との線引きはどこにあるのですか。
私は、根拠の有無で批判と誹謗中傷を線引きしますが、それ以上の線引きは不可能と考え、厳しい表現も相当程度の皮肉も許容範囲としています。恣意的な基準でこの言葉はよし、この言葉はダメ、と線引きする(かのような)ぽよさんの考え方は、私には受け入れ難いものです。
相手に言われたことで少しでも「ああ、そうか」とか「なるほど、そういう考えもあるな」と思えば、それは自分の認識や考えを少しずつ変えていっている事だと思います。そして、それをお互いに行うことで起こる「意識の変革や認識の微調整」があるからこそ「議論」は有意義なことに成り得るのだと思います。そもそも、理解するってこと自体が自分の認識なり、何かが変わっていることです。徳保さんがどの辺に「変える」という言葉の意味を当てはめたのかは分かりませんが、これが私の「批判や議論で変えること」の意識です。そして、その作業はweb上でやることは時間がかかる場合が多いので、私は「時間も無いし、面倒臭い」ので人の意見に敢えて口は出さないということです。
議論を嫌がる人にはいくつかパターンがありますが、そのひとつが「議論を何かご大層なものだと考えている」というものです。ぽよさんは僅かな意識、思考の変化も「変わる」の範疇とされているようなのですが、私の定義はだいぶ違います。例えば、原発推進派が心底から原発嫌悪派に変わるとか、あるプランに入れ揚げていた人がまったくやる気をなくすとか、ある命題への認識をがらっと変えることを、考えを「変える」といっています。だから、議論が目指すのは、基本的に相手の考えを変えることではない、と申し上げているのです。
ディベート遊びをある程度やったことのある方なら、あえて自分の考えと逆の側に立つというルールも試したことがあるかと思います。お互いに本来の自分の考えを論破する資料を集めロジックを構築し、審判の前でギャーギャーやりあうわけです。勝負は真剣なので一生懸命やるわけですが、それでもディベートが終わった後、やっぱりたいていの人はもともとの考えを再び主張するようになります。自分で自分の考えを散々否定しておきながらです。
議論に負けたからといって相手に屈服しなくてはいけないとか、考えを変えなければいけないとか、そうやって思いつめる必要は全然ありません。たしかにあんたには反論できない。あんたのやり方に利点が多いことは理解した。でも俺はこのやり方を続けるよ。結果に拘束力のない議論では、こうした結末は十分にありえるわけです。では議論は無意味だったか。そうではないと思います。決定的に自分のやり方が行き詰まったとき、もうひとつのやり方を理解したことが必ず活きてきます。
多くの考え、様々な考えが世の中にはある、というだけなら、いちいち議論せずともわかりきっています。しかし、他の考えを理解するには、面倒でも議論が必要となる場合が多い。こうしたことを踏まえて、私は「議論の目的は相互理解にある」と申し上げているのです。
誤解を解くという事はリアルタイムで行った方が良いのは事実だと思います。実際に話をしていて誤解が生じた時に指摘されれば、すぐに「ああ、ごめん、そういう意味じゃないよ、俺が言いたかったのは・・・」と始まって、色々な意見の交換が行わた後に「ああ、そういうことか、違う意味だと思ってた」とか「そういう考え方もあるんだなー」って感じになると思うんですよ。そして最後に「誤解させてごめんなー」、「いやいや、こちらこそ」というような「認識の摺り合わせや妥協点でのある程度の解消」が速やかで円滑に出来ると思います。これは皆さん経験があることと思います。少なくても私は結構ありますよ、言葉足らずの傾向があるんで。
中略
「全ての誤解が無くなる訳では無い」とも書いてある通り、「会えば誤解が無くなる」なんて思っていないです。そもそも「誤解が完全に解消できるか?」なんて事は「人は完全に分かり合えるか?」と同じような話になってきますので、私の文章は「誤解の完全な解消は無理」ということを前提として書かれています。その上で「多少の誤解は解消できる」と書かれているのは「完全では無いが、上記の理由により、比較的速やかに、そして円滑に解消(勿論、納得するしないだけではなく、妥協点も含む)できる事が多い」という意味です。
ぽよさんが、どのようなレベルの誤解について語っていらっしゃるのか、ようやくわかりました。事実誤認があったとか、説明するべきことを省略してどうでもいいことばかり話していたとか、そういった原因に基づく誤解なら、なるほど直接会った方が話は誤解を解くには早いかもしれません。また、ぽよさんのおっしゃるような誤解は、無駄の多い長い文章からより多く生まれます。もしぽよさんが誤解を恐れるのであれば、むしろ十分に言葉を絞り込む方が得策でしょう。
一方、「朝まで生テレビ」や「ここが変だよ日本人」や「真剣10代喋り場」を見ての通り、価値観、世界観を乗り越えるための議論の方法としては、会話は無力とさえいえます。こうした議論には、お互いが一定の量がまとまった小論を、ある程度の時間を置いてやり取りする方が理に適っています。そして価値観の違いに発する根の深い誤解もまた、そのような方法でなければ、解くことは非常に難しいと考えます。
前回の批判は、議論と誤解の質を定義せずに一律に話を進めた私の手落ちだったかと思います。
出来たらテキスト企画へのゲスト参加もお願いします!!言及を見に行ったついでに、テキストを少し読ませて貰ったら、「ちょっと表現がきつめだけど、面白いなー。」と思ったんで。駄目っすか?・・・これは個人的なバカ意見ですけど、実際に会って酒でも飲んで語りゃ、ある程度の誤解も解消できて、それをネタにしながら楽しく飲めると思うんですよー。やっぱりおいらの経験上では、酒飲んでぶっちゃけ話をすりゃー、大体の人とは仲良くなれると思うんです。徳保さん!おいらは文章で語り合うより、酒でも飲んで語り合う方が性に合ってるんで、今度、機会があったら飲みに行きましょうよ!今回の一件をネタで日本酒とか良いなぁ。
割り勘ならば……あと、高いところはちょっと。と、真に受けてみたりして。ぽよさん、お疲れ様でした。回答をいただいたことに感謝します。
以上は原則論であって、実際にどうするかという話になりますと、さすがに今まで通りというわけにもいかないでしょう。小さなサイトの主張を批判すると、私の意見に正当性があろうとなかろうと、あたかもそれがいじめであるかのような言い方をされる方がいらっしゃいますしね。おかしいものはおかしいという自由もないのか(→追記)。というか、実態としては単に一時的にアクセス数が流入するだけですよ。何の実害もない。カウンターをつけず、アクセス解析もしていなかったなら、何もなかったかのような静けさなわけです。シャトル記事関連で当サイトが俺ニュースにリンクされたときも、サイト批評サイトリンク集がちゆメモで取り上げられたときもそうでした。
だから私としては、気にしないでください、といいたいのだけれども。ダメなんですか? どうしても気になってしまうのですか?
……なんて書いてみても無力なので、以後、自重します。
自由はもちろんある。徳保の場合は言及された相手に「なんで俺がここまで言われなきゃいかんのだ」という不快感を与えがちな記述になっているために、晒し罵倒と解釈される可能性が大きくなる。おまけに、徳保がたろたま関係でサイトを出せば、あまり考えずに徳保側に立って騒ぐ奴も出てくるだろ、今は。俺らにもおかしいものはおかしいと言う自由がある。それを受けて徳保は「おかしいものはおかしいという自由もないのか」などと自分の自由が束縛されたように感じているわけだろう? 徳保に言及されたサイトは今の徳保と同じように感じていたと思う。
納得。おっしゃる通りです。
以前にも書きましたが、斬鉄剣のアクセス解析にはパスワードなどによる閲覧制限がかかっていません。にもかかわらず、ナミさん以外には覗いている方がいないようですね。1日にユニークアクセスで1人以上きたことが一度もないのです。
という話が今回の斬鉄剣の更新、検証とかぬかして合法的に理屈こねるフリして罵倒してるヤツらはまとめて滅びてしまえと思った。
とどうつながるのかは読者の皆様の想像にお任せしますが、とりあえず私は検証とかぬかして
いないのでパス。斬鉄剣のナミさんは、どこか特定のサイトを見てカチンときたから更新しているのに、その相手を伏せるというやり方をしばしば使いますね。一般論にしてしまえば安全だと思っているらしい。
相手が特定されていれば、本当に検証とかぬかして
いるのかどうか、合法的に理屈こねるフリして
いるのかどうか、罵倒してる
のかどうか、私なりに調べて、なるほどその通りなら納得するし、そうでなければ反論もできます。けれども、相手が伏せられているのではどうしようもない。ずるいと思うわけです。
気分転換にテキコン地方予選に参加表明してみました。あれって、参加作品はノンフィクションでもいいんですよね? だめなのかな。いずれにせよ一生懸命書きますが、結果は期待しないことにします。
みすらぼ日記で紹介されていた記事。記事本文は私好みのコメントをつけていて好印象なんだけど、10ヶ条の方は、なんというか不思議な感じがした。
せっかくの機能のいくつかをわざわざOFFにしていることを随分と怒っているんだけど、blogツールを使わない場合には実現も困難な機能ばっかり。余計な機能はいらないや、っていう発想は認められないらしい。だったらHTMLも有効に(文書の構造化のために)使えばいいのになあ。それと、そんなにつまらないなら見なきゃいいじゃない、とありがちな反論をしたくなるようないちゃもんも多々ある。というか、この10ヶ条自体が他の人の言動にコメントするのは面白いんだけど、どう見ても持論がないって人にはいらいらする。
という批判に合致しているような……。
とはいえ、だからといってこの10ヶ条が意味がないってわけじゃない。一般的な意見だからこそ、むしろ信頼性が高く、多くの人にとって有用だったりする。それに、こうしてダメblogを無視せず批判してくれるのは、人気bloggerを目指す人にとってはありがたいんだろうな。
ところで、Bloggingに関することばっかり書いてて、他の記事より時間使ってる。
という記事には笑った。いや、たしかに多いよ、そういうの。でも、簡単々々といわれるblog運営もあれでなかなか技術的なあれこれ(Tipsとか)がいっぱいあるみたい。だから、そっちの話が本当に好きな方は、blog運営指南の方向に向かったらいいんだろうね。結局、自分の好きなことを書いて、それで需要もあるというのが一番幸せなんだと思う。こんな話、みんな興味ないだろうけど……なんてうつむき加減で言い訳してないでさ、堂々と好きな話を語ろうよ。(そして誰もいなくなった←なんてことは滅多にないから)
3番目の考察サイトが登場。今後に期待、ということで応援しています。このところ考察もたろたまふぁんくらぶも更新が止まっていますよね……。残念だなあ。次の週末、どうなのかな。
昨日、批判的に紹介したうりさんには、ちょっと悪いことをしたかな、と思った。
埴谷雄高は文庫化されない作家だと思っていました。ところが。
買いました。今週末はサイトの更新を休む可能性が……。ちなみに、金曜日は確実に更新がありません。日付けが変わる前に帰宅することはありえないので。
教訓を活かすのは難しい。たぶん、みんな自分に都合よく教訓を活かそうとするからだろうな。
おばさんだって、しじゅう誰かに怒っているとは限らない。たぶん、なにかが気に触って、どんどん激昂してしまったんだな。で、その何かを反省せずに、怒っているおばさんを逆ギレで圧倒するのは、少なくとも賢いやり方ではない。おばさんが最後に捨て台詞を残すくらいは、聞き流してやればいいのにと思った。やっちゃいました。あひーーー!!!
と思った感覚が正常だと思う。この精神を大切にしよう。
例えば私がアンタに蹴り入れるとするわな。で、アンタが腹立てて私を刺して殺したとする。アンタは無実か?
とかいったって、刺されて死んでからではどうしようもない。しかも自分がけりを入れて撒いた種だし。浮かばれないというか、誰からも同情されないような気がする。バカじゃないの、といわれるだけで。
というか、この方の得た教訓はなんだったのだろう。注意された人が逆切れしてもいい場合がある、とか? 跡地の件って、そういう読み方もありなのかなー。たいへん困った気分だ。
実際に会って話せば、多少の誤解も話し合いで解決出来ます。
これ、本気で書いているのかな。それとも何か裏の意味が? 本気で書いているのなら、私はたぶん、ぽよさんとは会わない方がいいと思う。お互い相手を宇宙人だとしか認識できなさそう。
仕事でもね、よくいるんですよ、会えばわかってくれるはずだといって押しかけてくる営業マン。実際に会ってみると、やっぱり相手の話すデータとか、製品の仕様とか、値段とか、採用実績とか、みんな書面でいただいた内容通り。もうね、アホかと、バカかと。会うだけ時間の無駄だったという話。自分の人間的魅力というやつに自信過剰になっているんだな。白も黒といい含められるつもりでいる。「たいへん残念ですが、今回はご縁がなかったということで。今日はこれから雪だそうですよ。お気をつけてお帰りください」
サイトで文章を出すことは双方向のコミュニケーションとはなりづらいので、誤解が生じた場合にきちんと訂正するのが難しいですよね。
会って話せば誤解がなくなると思っている人は、おめでたいと思う。会って話せば誤解を解くのは簡単だと思っている人もおめでたいと思う。そもそも誤解なんてものは、基本的に解けないものだというくらいの悲壮感を持っていた方がいいのではないか。
少し長くなってもなるべく誤解の少ない文章を書いていくのが私の目標なのです。
書けば書くほどどツボになるという可能性に思い至らない人は(以下略)。
なにをもってネットバトルといっているのかわからないけれども、単に他サイトの記事を批判するだけなら、それは当然サイト上でやる方が双方にとっていいのではないですか。文章書いて人に見せるのがテキストサイトなのだから、せっかく面白そうな記事を書けたならサイトで公開すればいいに決まっています。例えば連邦の吉野さんが紹介するソフトウェアのバグを発見したとして、作者にフィードバックはしなくても、サイトの記事にはする、というような感じ。ソフトウェアのバグ改善には興味ないけど、バグ情報に感謝する読者は意識する、というスタンスは十分ありなんじゃないですか。
私はよく他サイトの記事にいちゃもんをつけますけど、相手が読んでいてもいなくてもどうでもいいです。反応があれば面白いけど、スルーされても困らない。この備忘録の目的は、私が何をどう感じたかを記録することなので。だから読者がついてくるかどうかも、個々の記事についていえば興味ないです。サイト全体としてまあまあ期待にこたえていれば十分だと思う。だから先日は、唐突に中学理科の話題を扱ったりもしました。
跡地の件で私が騒動解消のために動いたのは、特別な動機があったからです。例外です。そしてもちろん、サイト上ではなくメールという手段を用いました。裏を返せばサイトでいろいろ書いているのは、火事場中継のレポーターをやっているようなものです。「消火活動を手伝ったら?」といわれても、それは私の仕事じゃない。私は視聴者のためにレポートしているのであって、騒動の解消は当事者が頑張ればいいのではないかと。むしろマスコミが事件解決に向けて動き出すのもどうかという感じがします。
ちょっと話は変わりますが、批判されるとすぐに「喧嘩売られた」と捉える人がいて、たいへん困ります。備忘録の最近のコンセプトが「怒りを素直に文章に落とす」なので、いかにもといった感じはしますが、批判はどこまでいっても批判です。意見交換の枠内の出来事をバトルといわれても、というか。あなたにとってはバトルなのですね、ふーん、熱くなるのもほどほどにね、みたいな。(もちろん私は怒りで頭が沸騰している)
困るといえば、読者にも「喧嘩はやめましょうよ」なんていいだす人が出てくることがあって、これまた困ります。たぶんこういう方は会社の会議が紛糾しだすと「喧嘩はやめてくださいー」っていいながら目をつぶって両耳を手でふさいだりするのでしょう。
ところで、批判や議論はふつう、相手の考えを変えるためにするものではありません。共通理解を導くための過程です。会社の会議でグループの方針が一本化されたとします。その案がぽしゃったときに、また0から案を出し合うバカ社員ばっかりだったら会社はつぶれます。一度は論破された案が、再び脚光を浴びることがあります。批判に屈した意見が、見直されることがあります。一度は敗れた腹案も、安易に捨ててはいけません。もちろん、あまりにダメな意見にこだわるのは(ほとんどの場合)バカです。けれども、議論に負けることと、他人の意見に染まり自分の意見を考えを変えることとは異なります。大切なのは、他人の意見を理解することなのです。
めけめけ@DCのぽよさんは、デリケートな話題なんで、最初に言っておきますけど、別に他サイト言及をして論戦を売ろうなんて思ってる訳じゃ無いですよ。基本的に私の意見も吉野氏と似通ってますし。それに他人と意見が違ってたって、変えさせようなんて気は無いですからね。読んで自分の意見と違っても「そういう考えの人もいるな」って静観しててください
とおっしゃる。あいにく、私はこうした議論封鎖の提案には煮え湯を飲まされてきたので、看過いたしかねます。ひょっとして「論戦=バトル=基本的によくないもの」という認識なのかと思いましたので、異論を示しました。
私は優しい人々にいらいらさせられることが多い。
だがしかし、書いたことに関してどこまで確信を持てるかという点では自信が無い。わかりやすく言うと2ヶ月前に「胡麻豆腐嫌い、胡麻豆腐ファック!」と書いた私が、現在は「胡麻豆腐大好き 胡麻豆腐ないと生きていけない」となる可能性がある、という感じか。
そこで、うっかり「胡麻豆腐ウマイ!」とか書いてしまって、知らない人に「しろくまさんが二ヶ月前に胡麻豆腐ファックと書いてくれて私は非常に救われた気がしました。なぜなら私は胡麻豆腐という文字を目にするだけでジンマシンが出るくらい胡麻豆腐を憎んでいるからです。それなのに、2ヶ月前の発言を平気で翻すような今回の胡麻豆腐大好き発言。私、傷つきました。とても傷つきました。どうして自分の言ったことに責任がもてないんですか?もう27歳ですよね?どうして公の場で書いたことを平気で裏切る発言が出来るんですか?」とか掲示板に書かれたとして、そこで何を反論できるか。
ああやべえと二ヶ月前の日記を削除したところで、グーグルはキャッシュを拾ってしまうし、その前に誰かが保存して勝手にミラーサイトを立ち上げていたらどうなんだろう。「人の味の好みなんて変わるんですよ」と書いたところで「それが解っているなら、最初から胡麻豆腐ファックとかそういうことなんて書かなければいい」「言論には責任を持て」「かねてからしろくま君の言動は矛盾が多すぎる。例えば・・・・・・・云々」とかいくらでも反論されるだろうしなあ。
何を反論できるか
、ですか? 私なら、あなたのような馬鹿にはつきあいきれません、と答えます。勝手に傷つけばいいんじゃないですか、と。もしも何か合理的な理由があって、理屈は一貫しているが結果としての好みが変わったという場合には、もう少しだけ誠意を見せて変節の理由を解説してもよいでしょう。けれども、ただなんとなくということであれば、自分が豆腐の好き嫌いに関しては一貫性のない人間だと認めてしまえばいい。
傷ついたとか何とかいって訴えてくる連中には、まともに取り合わない方が賢明です。もうちっとマシなことを訴えてくるまで、放置してよいのです。人を傷つけるのを必要以上に恐れる人は、しばしば、それでも自分が人を傷つけているということに気付かない。それならば、自分が人を傷つけながら生きていることを自覚し、罪を引き受けながら生きる方がずっとマシだと私は思っています。
例の事件の教訓として、やばいことはやっぱり書かないのが得策だね、みたいな感想を述べている方は結構いる。私の意見は逆だ。お互いに下手に手の内を隠すようなことをしたから、話がこじれたのだ。最初から、いいたいことをちゃんといえばよかった。とくにゆきさんは。けれども、掲示板で日記に書くのはルール違反
と述べているところを見ると、最初からそのような手があることは考えもしなかったのだろうな、と思う。
もう一度書く。
もし私がゆきさんなら、「夏の日に」と「桃」の両方にちゃんとリンクを用意して、3つの共通点を列挙する。そして、世の中には同じ発想をたどる人がいるものですね、と書く。まさか相手を名指しして「パクられたっと思われたらやだな」とまでは書くまい(じつは書いてもいい)。このようにすれば、それっきり、何も問題は起きない。
コロンブスの卵のような発想かもしれないけれど、実際そういうものなのだ。ネタ被りがありました。あーそうですね。うん、たしかにそうだ。でもネタが被っているだけだな。そうですねー。おしまい。それ以上、何事も起きようがない。争いごとを恐れるあまり、おどおどして挙動不審になって不良に目をつけられる……例えていうならば、そういった話。
この程度の書きようでも難癖をつけられ、サイトを閉鎖しても許しませんからといって追い込まれてしまう、WWWというのはなんと怖いところなのだ、というのはちょっとおかしい。間宮さんがおっしゃるのとは違った意味で、ゆきさんのやり方はあまり賢くなかった。悪意を持った閲覧者につけいられる隙があった。といっても、私にはゆきさんくらいの護身能力しかないし、これからもその方面を鍛えるつもりはありません、ということであれば別にいい。今後は口をつぐみます、というのも選択肢に入れたらいい。
けれども私は、そうやってWWWがいっていいこともいわないような世界になってしまうことを望まない。いいたいことは我慢せずに書いていきたい。臆せず、しかし注意深く意見を述べる、それが正しい身の守り方だ。……といっても、自分のミスに気付いても、適当な理屈で相手をやり込めてしまう最近の私は、さすがにどうなのかと思わないでもない。いったんは反論しつつ、後でこそこそ修正するとか。それでも、それなりの理があるから反論しているのだし、ある程度は譲歩しようということで修正もする。それは悪いこととはいい切れないと考える。
騒動を追っかけてこられた方にはもはや周知のことと思うけれども、私は結構間違いをやらかす。だから方々で批判される。注意される。そっと忠告される。ミスを指摘される。これまでとくに意識してはこなかったけれども、こうした様々なご意見を、私はこれまでのところおおよそ無難に裁いてきた。ひょっとすると、プリシラさんなどは私のやり方を参考になさるといいのかもしれないと思う。特設掲示板でのまずいまずい受け答えも、私の2ちゃんねるのスレッドでのやり取り後だったらもう少しうまくできたのだろうか。(スレは見てないらしいから、どのみち無理か/それ以前の問題という意見は以下略)
ついでに。毅然とした対応はいいことだが、わけもなくけんか腰の文章を書く必要はない。私も、私への批判も。わけがあればいいのか、というと難しいところだけれども。
私はクレジットカードを一枚きりしか持っていない。郵便局のカードと共通のセゾンカード。お金は郵便局だけに預けていて、銀行口座は学生時代にアルバイト報酬の振込用に作ったけれども、今はたしか100円くらいしか入っていなかったはずだ。通帳は持っていない。実家に置いてきた。印鑑も置いてきた。会社の給与は郵便貯金に振り込まれるが、当日の午後にはもう、母が大半を引き落としている。だからいつも貯金額は上限が30万円。入社以来、ちっとも増えていない。
とにかくそんなわけで私のクレジットカードは生活費を郵便局で下ろすのに必要だから、残念ながら山本さんのような楽しい体験はできそうにもない。まあ、最近では結構クレジットカードを利用しているということもあり……。いや、だって銀行振込って面倒ですからね。オンラインで「日経エレクトロニクス」の定期購読を申し込んだり、Amazonで本を注文などする場合に、クレジットカードを使わないのは馬鹿げていると思う。そういえば銀行の窓口って、数年来使ってない。郵便局でも機械ばっかり相手にしてる。年賀状は駅売りのを買ったし……。ううむ。
文明の進展は、分業社会の一層の細分化と、(半ば無条件に)大量の知識を受け入れることによる常識の蓄積なしには語れない。
ここでは、高度に発達した現代の文明社会において、あらゆる知識に体験的な裏づけを得ることの不可能について述べられている。人々はもはや、自らの体験と照らし合わせることなく、情報の取捨選択を行わざるを得ない。この状況下では、情報の信頼性は情報の内容だけから判断できるとは限らず、しばしば発言者の信頼性が重要になる。といった内容。
ご覧になればおわかりの通り、711さんの論考は常識的な結論へ到達する。けれども、私にはちょっと不満もあった。情報の価値判断が不可能な場合というのが、実際、この世の中では非常に多い。発言者への信頼度を自分の判断で調節しよう、という結論は穏当だけれども、調節の基準がいつも存在しているという保証はない。たとえ根拠はなくとも、信頼しない場合の拠り所がないから、消極的に全面的に信頼するしかない、ということはしばしばある。そのあたり、どうなのだろう、と思った。
いずれにせよ、今回の更新分は今後の議論の前提をここに置きますよ、という宣言のようだ。次回以降の議論の展開を楽しみにしたい。2ちゃんねると匿名の問題については「2ちゃんねる研究」が何度も取り上げていたような気がする。
たぶん、結論が先にふっと思い浮かんだんだろうな。で、なんで自分がそういう結論にいたったのかを考え考えしつつ文章を書いていった。最後にオチみたいなものをくっつけてできあがり。自分を探す旅っていうのかな、よくわからないけれども、こういう日記は書くのが疲れるんだよなーとか同情した。私はこういう、頑張って自分の考えを説明してくれる日記に好感を持つ。
たぶん、好きな人にはそれなりに面白いんだろうな。でも説明文を読むと初心者向けみたいですね。要注意、と。
たぶんあれだな、私は「こうありたい自分」と「現実の自分」をごっちゃにしがちなんだな。嘘っぽい診断結果が出た。
以下、結果を引用。
- 性格
- 性格的なバランスとしては、80点ぐらいは付けられる、比較的優良なタイプです。同情心や思い遣りの心が高いけれども、決して情には流されず、考え方の中心を合理主義が貫いて居て、仕事や人付き合いの面では、極く常識的な態度に終始します。想像力や表現力も人並で、結構、趣味や娯楽に人生の生きる喜びを見出して行けるタイプです。但し、これは貴方が極く普通の一般人で有った場合の評価で有って、貴方が事業家で有ったり、政治家で有ったり、芸能、芸術、文芸などで活躍している場合には、又別の話です。そう云う特殊な場合では、その職種によって、或る時は理想が低いと云われたり、創造力が足りないと云われたりする事を、覚悟しなければならないでしょう。
- 恋愛・結婚
- 仕事人間とか、マイホーム人間とか云う様に、余りどこかへ片寄った生き方をしないタイプです。恋愛や結婚についても周囲の人々が唖然とするような、突飛な行動に走る事は少ないでしょう。優しさの有る合理主義型人間なので、比較的平穏な家庭生活を送る可能性が高いでしょう。結婚生活と云う限られた問題に付いてだけの評価なら、中々優秀なグラフ型で有ると申し上げて宜しいでしょう。
- 職業適性
- 常識型タイプの人間として、なまじバランス良くこじんまりと纏まって居るだけに、一芸に秀でようとする様な場合には、予程の才能か努力が無ければ一寸難しいのかも知れません。その代り、一般的な仕事を人並にこなそうとする場合には、性格的に何の抵抗も無く、実現出来る強みが有りますので、性格構成の良否を問うとすれば、かなり上の部類に入るでしょう。性格から見た職業の適性範囲はかなり広く、治安関係公務員のような特殊な仕事を除けば、後は好みと才能次第という所でしょう。
- 対人関係
- 敵が五人位居ると仮定すれば、味方は確実に十人位は居るタイプです。味方が多いと云う事は、良い事には違いありませんが、それが手枷、足枷になる場合も少なく無い訳ですから、その得失を十分に計算し、冷静に行動する事です。
入力したデータは以下の通り。あらためて自分の入力したデータを見てみると、めちゃくちゃ恥ずかしいということに気がついた。私のような人間が、自分は本当は善人だと思っているというのは、まったくもって救い難い。自戒のために公開する。読者にとっては、ふつうの100の質問とかより面白いかもしれない。突っ込みどころ満載。
ところで。私の性格はBAABB型という診断結果でしたが、件のプリシラさんはABCAC型ではないか、という話がスレで出ていまして……。それにしても、どんな入力をしたらそういう結果になるんだろう。
一読、爆笑しました。で、ちょっと哀しくも思ったり。
ちなみに。
なんというか、ひどいデザインのサイトですよね。診断結果の信頼性を疑いたくなるような……。素人の仕事だなあと思います。
それはさておき、私はエゴグラムのような、ひとつの理想を掲げるタイプの性格診断は嫌いです。エゴグラムは、簡単にいえば5つの心をすべてAレベルまで高めることを目標としているわけです。性格診断はその手段であり、自分の欠点を見つめなおし、克服していこうというもの。なんだか息苦しい感じがします。
性格診断モノでは、私は岡田斗司夫の「人生テスト」が好きです。性格はそのままでいい。その性格を活かした賢い生き方をしようよ、という方向へ展開する、異色の性格診断本です。ただしこの本の説明にはひとつ大きな欠点がありますので、補足しておきます。
人生テストでは、人を性格によって4種に分類してしまいます。まず、XY座標系を想像してください。最初、回答者は原点に立っています。分類テストは2種類あります。それぞれ13問の2択問題です。どちらの選択肢を選ぶかによって、X座標、Y座標の値が増えたり減ったりします。全問回答し終わったとき、問題数が奇数なので、回答者は必ず原点以外のどこかの象限に位置しているはずです。
性格の分類は、この到達象限で一意に決まります。しかし、以降の解説を読む際には、自分の到達地点の座標をよく覚えておかなくてはなりません。王様に分類されたとしても、職人に近い王様なのか、学者に近い王様なのかによって解説の読み方が変わってきます。あるいは、原点付近に到達した人は、4分類のどれにも近く、そしてそれぞれの典型例のどれからも遠い人々ということになります。
本の中ではそうした微妙なバリエーションについては取り上げられていませんので、自分の立ち位置をよく把握した上で、解説の内容を取捨選択して取り入れていくことが大切です。(面倒くさくてそういう読み方をできない場合には、「人生テスト」は駄本といってもいいかもしれません)
岡田斗司夫さんはサブカル系の評論家で、どんなテーマで本を書いてもみんなサブカル系の書棚に入れられてしまう不幸な方です。一般書として非常に面白い評論も書いていらっしゃるので、以下、ご紹介しておきます。いずれも軽く、読みやすいです。それだけに値段が高いといって怒る方もいるかもしれませんが、私はそれだけの価値があると思っています。
もっと話題になってもいいのに、と思いながら高校時代からずっと読んでいるのですがなかなかブレイクしませんね。いや、それなりにブレイクしたという見方もあるのだけれど。
「書き込み停止したら自分も書き込めなくなった」
めっちゃビビッた。なんでわかったんだろ・・・。
そりゃあまあ KENT WEB の Web Forum の説明に、管理者のみレスを付けられるという機能が紹介されていなかったから。それはふつうにありうるな、と。
リニューアル屋みたいのがあったら便利だなあ、といつも思ってしまう。批評屋やアドバイス屋とかがあるのだから、リニューアル屋もあってもいいじゃん。 CSSを配布しているところもあるけれど、根本的なサイトの手直しをしてくれるサイトは無いんだなあ。
アドバイスの一環として、私は何度かそういうのをやってます。ただ残念ながら、今はほとんどリンク切れになっていますけれども。最初の頃、適当にファイルをアップしていたので、とうとう収拾がつかなくなってほとんど消してしまったんです。もったいないことをしたなあと思わないでもありません。
……というわけで、とりあえずファイルだけアップしてみました。
ところで、私はTTTEditorでHTML文書を作成しています。ただしGUIによるタグ挿入はほとんどやりません。よく使う要素全部にショートカットキーを設定しているからです。Alt+1,2,3,4,5,6 で各レベルの見出し、Ctrl+P で段落といった感じです。全部手入力の Notepad ではかったるくて、私はもう使う気になれません。道具というのは、ある程度の不便は慣れがカバーしてくれるものです。けれども、決定的な利益があるとわかったときには、一歩踏み出す勇気があると人生を効率的に活用できます。
目下悩み中なのが、XML+XSLTによるHTML文書生成という方向へ踏み出すかどうか。私としては、アプリケーションがもう少し進化して、お勉強することが少なくなってからの方がよさそうかな、という認識なのですが、どうなんでしょうね。というか、備忘録にせよアドバイスにせよ、一度書いたらそれっきりという認識でやっておりますので……。とくに再利用したいとは思っていないんですね。備忘録の日付けにidを与えないのも、私が必要としないという理由によります。また当サイトはマークアップも単純です。見出しと段落と箇条書きのくり返し。そして私は、それで満足している。
とすると、XML+XSLTによるHTML文書生成の圧倒的な利点は理解しつつも、その利点に需要がないというところで足踏みせざるをえないのです。TTTEditorのときは、ショートカットキーのフルカスタマイズ+タブ式インターフェースという魅力に一発でノックアウトされたものです。CSSデザインには、にゃごろう村のリニューアルのため200以上のファイルを何度も何度も書き換えるという状況下で物理的にいっぱいいっぱいになっていたときに出会いました。これは天の助けだと思いました。
脱線ついでに。跡地の件言及サイトを探していると、Webデザイン指南サイトとして当サイトをご紹介いただいている方が何人かいらっしゃることに気付きました。ひどい場合には、お世話になりましたサイトのトップに紹介してくださっていたりもします。ありがたいことではあるのですが、私の意見を真に受けているとたぶん、かなり性格の悪い人だと思われるようになってしまうのではないかという懸念が……。とくに備忘録で散々書いた、CSSは仕様通りに書いていればそれでいい、各UAの実装ミス(あるいは未実装)など知ったことかという主張など、相当に過激です。今のところぶっ飛んだ方向へ向かっている例はないようですが、みなさん適当なところで、現実の問題と折り合いをつけていってください。煽動者である私自身、理屈は理屈、行動は行動というダメっぽい生き方をしておりますので、下を見て安心してください。
「たろたま」「プリシラ公園」通常更新再開へ。よかったよかった。他にいうことはありません。ゆきさんも予定通りに更新再開していますしね。2月22日をもって原状回復。完全に元通りにはなりませんが、それはまあ、仕方のないことです。
というわけで、本日の更新はここまで。平日は更新が滞ります。(といっても誰も信じないかな)
どっかんと更新。面白いと思います。これまで言及サイトを読んでいなかった方、この機会にどうぞ。
いったん追いつかなくなると途端に面倒になってしまうのが言及サイトの紹介。追いつかなくなった理由は簡単で、一度言及したサイトは二度言及するという法則を発見してしまったからだ。しかも二度目の言及は多くの場合、リンクなしなので、解析に引っかからない。となると雪だるま式にチェックするサイトが増えていってしまうというわけ。AirH"32Kの低速回線(ISDN未満)では、とてもじゃないけどやっとれーん。
興味深く読みました。「多数派」はメンバーの選択範囲によって変動する、というお話。たしかにその通り。ゆきさんのサイト内ではゆきさんが女王様。けれども、プリシラさんたちがそこにやってきて、人数で圧倒してみせた。間宮さんはプリシラさんにも非があることを認識していたけれど、ゆきさんの非は責めつつプリシラさんの非は責めなかったから、結局のところプリシラさんに同情的な立場だったのだろうと思う。その後もプリシラさんたちの暴走が続いているところへ、さらに外野から多数のウォッチャーがなだれ込んで、再び形勢が逆転した。ウォッチャーはゆきさんに同情的だったわけですね。
外から人がやってくることで場を支配する価値観が変動するという観点から、今回の件について私が持ち出した「社会的制裁」という考え方に疑問を呈していらっしゃる。つまり、ウォッチャーの輪の外側から、例えばプリシラさんたちに同情的な圧倒的多数の人々がなだれ込んできたらどうなるのか、ということでしょう。そうなると、社会的制裁の根拠が崩れてしまうわけです。私が先の更新で指摘したように、騒動に関心を持った人数はたろたま読者より少ないわけです。だから、ことによると戯言日記の心配は現実のものとなるかもしれません。
とはいうものの、今回の件では再逆転はないと思います。いちおう、現在もこれからも、社会の単位は国家または民族を上限とするのがひとつの現実的な落としどころでしょう。だからもはやこれ以上、常識の前提となるメンバーの選択範囲については悩む必要がないでしょう。とすると、言及サイトの様子を見る限り、再逆転はありえないと断言できます。(騒動が終わってしまったので、ウォッチャー側が暴走して逆に責められることになる、というシナリオも消えました)
可能性を過大視すると、何も語れなくなります。私はもう、見切りをつけていいと思う。今回はプリシラさんたちがマイノリティーということで決定、と。
ところで謝罪させたがったロジックがわからないとのこと
云々はちょっと違います。なぜそのような手順で謝罪を引き出せると考えたのかがわからない、ということです。ゆきさんが「桃」を疑っているとわかったときに、怒るという価値観は理解できるのです(私なら怒りませんが)。ただ、プリシラさんは謝罪させるために、ゆきさんに作品名をいわせようとしました。そのロジックがわからないのです。私がゆきさんなら、作品名をいっても謝りません(参考:[付録]追補1)。なぜそんな手で、相手が謝ると信じきっていたのか。結果的にゆきさんは謝ったので、まあそういう価値観があるんだね、と納得するわけですが。でも私が考えるに、どうしてもそれは理屈にあっていない。理屈にあわないことは承知でやっているのか、あるいは単にバカなのか、私にはまだ判断がつきません。
疑問におこたえしておきましょうか。私なりの回答、ということになりますが。
今回、大勢の人がプリシラさんたちに対して怒ったわけですが、それは単純に、プリシラさんたちのしたことがひどかったからです。ネットじゃ集団リンチくらい日常茶飯事
かもしれませんが、今回は通常なら見逃されるラインを大きく超えていたということです。ゆきさんの非があまりに小さく、プリシラさんたちの行った制裁があまりに度を越していたのです。それ以上の理由はありません。
2ちゃんねらが独特の言葉遣いをするのは、匿名性を保つためです。「藻前ら餅つけー(=お前ら落ち着け)」とか「スマソ(=すみません)」などと書くことで、日頃の文体を完全に隠し、性別も年齢も不詳の「2ちゃんねら」に変身できるわけです。
CSSの話などはまた追々。
段落ごとに話が飛んでいて、正直よくわからないのだけれど、箇条書きの部分ではムムムと考えさせられるものがあった。HTML文書はPCを使用できなくとも利用できるのだ。また、実社会の常識とWWWの常識は、私はじつは大いに被っていると考えている。そのように見えない場合が多々あるのは、単に利用者の知識不足が主因であることが多い。
WWWがどのような技術かについて無知なので、間違った例え話を当てはめてわかった気になっていることが多いので話が食い違う。Webサイトを「ほーむぺーじ」と呼び、転じて「ほーむぺーじは家なのだから玄関から入るのが礼儀」といってみたり。アホかーってなもんだ。
あるいは著作権とかね。あまりにも簡単にデータをコピーできてしまうから不安になるのだろうけれど、そもそもあなたのWebサイトに著作物はひとつもないかもしれないよ、なんて話をすると驚く人が結構いる。音楽CDのコピーは犯罪だ。でもある種のデータ集のコピーは犯罪にならない。単なる事実の羅列は著作物にあたらないからだ。なので、本製品は著作権法で保護されています、だなんてラベルに書いてあっても、実際には保護の対象となっていない場合がある。素人には判断しかねる場合が多いから、一律に「やめておけ」ということになるけど、ちゃんと突き詰めていくとボーダーラインにお宝がたくさん眠っている。
自分の常識に反する事例を見つけたときに、単純に「いろんな価値観があるものだなー」と片付けてしまうのはよろしくない。結局それが、例えばWWWへの無知を放置することになっている原因なのだ。私は私のやりたいことを、このやり方でやっているの。それでいいじゃないの。いや、それは錯覚で、本当は全然実現できていないんだよ。何よごちゃごちゃとうるさいわね。ね、もうちょっと話を聞いてよ。もういい、あっちいって。……えーと。みたいな。
知識というのは大切なもので、ある程度蓄積していくと、遠く離れて見えたものがじつは強固に関連していることが、突然見えてくることがある。常識の埒外と思われたものがいくつかの知識を得ることで常識の範囲内に位置付けられ、逆に今まで常識だと思っていたことこそ非常識だったと気付いて愕然とすることもある。「かんたーん」なこたえですとんと落ちてしまったときってのは、拍子抜けするほど時間が余っていることが多い。ちょっと、別ルートを探ってみるのもいいんじゃないかな、と思った。
といった話は実際のところ【覚書】跡地の件とはほとんど関係ないので、読者のみなさんは私の文章にとらわれずに、リンク先の文章をご覧になってください。
斬鉄剣のサイト論といえばアクセス至上主義みたいなことがよくいわれるが、侍魂経由で斬鉄剣を知った私には、少し違う印象がある。
私は当時、にゃごろう村でサイトのデザインのみを担当していた。といってもそこには大きな制約があって、根本的なデザイン変更には山田大佐の許可が必要だった。山田大佐は文章を書くことにしか興味がなくて、デザインについては「才能がないから」といって自分ではちっとも勉強しようとしなかった。私はこの怠惰を幾度も責めたけれども、暖簾に腕押しだったことを思い出す。それならデザインは自由にやらせてくれればいいと思うのだけれど、私がこうしようと提案するたびに、「いや、そこにはこだわりがあって……」とくる。サイトの扉ページをなくすだけでも、説得に1年近くかかった。
にゃごろう村は当初、テーマ別のエッセイ集が集まった万博会場のような構成になっていた。毎週、いくつかのエッセイ集が更新されるのだが、それがどこなのか事前に予想するのは不可能だ。それで仕方なく更新記録を見にいくのだけれど、そこにはどこが更新されたという情報だけしか書いてない。だから更新記録の内容を頭に叩き込むかメモするかして、あらためて目次を遡って各エッセイ集を見にいかなければならなかった。ようするに、とてつもなく閲覧の面倒なサイトだった。これはどうにかならないものかと思った。(ぜひ確かめてみてください)
でも山田大佐はこの構成に愛着があって、いかにも村らしくていいじゃないかという。村の村長がそういうのだから、別にそれでもいいのだけれど、村長はその一方でお客さんが増えないことを気にしたりもしていた。矛盾しているよなーと思う。二者択一なんだから、どっちかを選べというのだ。でも山田大佐の不安はわかる。デザインを変えたって、お客さんが増える保証は全然ないのだから、安易に私の口車に乗せられてしまうわけにもいかないのだ。
あ、これだ! と思ったことを覚えている。説得力のある言葉、しかも人気サイトの管理人さんが語っている。読者にムチャクチャ不親切なデザインのままじゃダメだよ、と。山田大佐を説得するために、斬鉄剣は何度か利用させていただいた。テキストサイトに特化したデザイン論というのはなかなかない。A to Z ホームページ作成体験はテキストのレイアウトについて詳しいのだけれど、これだってやっぱり、いわゆるテキストサイトとはかなり毛色の違うサイトを対象としているように思える。
結局、Webサイト作成の初心者であれ中級者であれ、多くの場合、「初めてのテキストサイト作成」ではデザインを誤る。表紙に最新のテキストをおかないのだ。別にそれならそれでもいい。どこかに日々の更新が必ず行われるページがあって、そこに読者がブックマークすることを推奨するならば。けれども、多くの人がブックマーク先は表紙を望む。だったら、最新の更新は表紙に置け、という話になる。ところが、なかなかたったそれだけのことに気がつかないものなのだ、本当に。
テキストサイトの初心者が斬鉄剣を読み、影響されることを苦々しく思う人は少なくないらしい。その言い分はわかる、わかるけれども、Webデザインのアドバイスをしていると、私はしばしば「テキストサイトやるなら斬鉄剣くらい読んでおけ!」といいたくなることがある。
ただまあ、人気は結局、デザインではなくて内容で決まるものなので、人気サイトにも面倒くさいデザインのところがたまにあるんですよね。それに初期のにゃごろう村はいわゆるテキストサイトとはだいぶ離れた地点に位置していたわけで、そもそも最新の更新を追っかけるというタイプの読者を想定していなかったのかもしれない。であれば、あれはあのままでもよかったのかな、と今になってそう思わないでもない。
私 ヤマタノオロチは首が九本だと思ってた。八股の大蛇(ヤマタノオロチ)股が八つ。じゃあ 首九つ。
じつは簡単な話なんです。正しく漢字表記すると八岐大蛇となりまして、8つ(=たくさん)に分岐している大蛇というわけ。8つの股じゃないんですね。でも、股だとしても首8本とは矛盾しません。なぜ? 制限時間、5秒。
答えは簡単、8つの首は輪になって生えていたと考えればいいわけです。
関係ないけど、http://www5d.biglobe.ne.jp/~shi-ba/htm/diaryin/15nen2gatu/15nen2gatu23hi.htm
という URI には目が点。毎日毎日、面倒くさくならないのかな。まあ私も変なファイル名をつけがちなんですけれども。
3日前にこの騒動を知った新参者です。やっと、ログを制覇できました。
さて、突然で申し訳ありませんが、各検証・考察サイトの管理者様、ならびにここの >>1 さんにお願いがあります。
事件の現状(結果)をサイトのトップに載せていただけないでしょうか?例えば、
「2003年1月後半から2月にかけてある事件が起こりました。とあるサイトの日記から端を発したこの事件は、関連した12のサイトのうち6つが閉鎖、残るサイトも謝罪文の掲載などの事態に発展しました。本サイト(スレ)ではこの事件の検証・考察をおこなっています」
という感じで。私は、このことを把握するのに丸一日費やしました。私がこの事件を知ったサイトでは、単に「ネット上である事件が発生、詳しくはこちらへ」といった感じにリンクが貼られていただけでした。実際に、その後に知ったその他言及サイトでもこのような対応が多いように見受けられました。
なぜこう書いた方が良いのかを3点ほど。
- 1.注意をよりひきつけるため
- 例えば、「韓国で事故が起こりました」と「韓国の地下鉄で火災が発生し、100人以上の死者がでました」では、後者の方がよりインパクトがあります。事件を良く知らない人に対して、意見を読んでもらいたいのであれば、より注意をひきつけたほうが良いと思います。
- 2.情報処理をスムーズにするため(1)
- 結果がわかっていた方が、情報の取捨選択が比較的楽にできます。私は、膨大なログの中からどれを読んだら良いものかわからず、右往左往していました。
- 3.情報処理をスムーズにするため(2)
- 物事の説明を行うときには一般に、大まかな説明から詳細な説明へ流れるのがよいとされています。新聞やテレビのニュースでも、この流れで事件の説明がされています。
ちなみに、過去このスレであった、「残鉄件事件ってなんですか?」の問いの返答で、「このサイトを見た方が良いよ」と事件の発端になったようなログを提示していたことがありましたが、あれでは、新参者のほとんどが理解できていないと思います。今後この事件を風化させないためにも、なるべく新参者にやさしいサイトにして頂けたらと思います。
訳のわからないイチャモンで申し訳ありませんが、ご一考いただけたらと思います。
長文失礼しました。
ある意味、正論でしょうけれども、当サイトの場合には前提からして違っているので、対応するつもりはありません。結果的に当サイトが最大のポータルというか、客寄せパンダの役割を担っているのは事実です。だから、読者に優しい構成について、考える価値については私も理解します。しかしながら、最初に考察または時系列を読んでいただく、という方針を変えるつもりはありません。
考察1は事件の発端、問題の原点に潜む闇に焦点を当て、時系列は問題となった事件の経過のみを追い、その後いろいろあって現在に至る
として騒動には触れていません。当サイトのコンセプトは、「考察が資料を読むポイントを、整理された一次資料が事件の実像を示す」なのです。
当初、私がやろうとしたのは、考察の前準備としての資料の整理でした。現在でこそ記録サイトは利用しやすくなりましたが、私がサイトを立ち上げた当時は……。考察は2月2日の晩には書きあがったのですが、整理した資料は多くの方が便利に使っていらっしゃるようでしたので、これを消さずに逆にサブサイトを立ち上げてしまうことにしました。
考察はもともと備忘録で公開したもので、そのときはサブサイトへカットアウトすることなど考えていませんでした。あくまで考察は自分自身が事件について納得のいく解釈を考えた結果でしかなく、基本的には私にしか意味のないものだという認識でいたからです。ところが、この考察が多勢の注目を集め、サブサイトへの転載を求める声があがりました。私は驚きましたが、そういうものかとも思って、サイトの下の方にリンクを用意しました。その後も考察が非常によく読まれたので、悩んだ挙げ句に考察をトップ下の目立つ位置に移動しました。現在のコンセプトは、このときに成立したものです。
考察2は騒動が始まって(=事件が終わって)から1週間後に書き上げました。ここでは騒動の顛末と、事件の変奏曲としての「謝っても赦されない状況」について意見をまとめており、サイト別にまとめられた各資料の読み方を示唆しています。
付録は後日談。妙な形で終った騒動について納得のいかない方にとって参考になるかと思います。また、付録には種明かしの意味もあります。ひとつのロジックを構築してプリシラさんと間宮さんを追及してきた私ではありますが、実際問題としての騒動解消の方策には、まったく異なるアプローチを用いました。物事の多面性を考えることは、今回の事件・騒動を教訓に各々が現実の問題に取り組む際に必ず役に立つはずです。また、誰某は悪党、悪いやつは叩け、という単純な世界観では安心できない方にも興味深い内容かもしれません。資料をあらためて読み直す際に新しい視点を与えるのが、付録のひとつの狙いです。
いずれにせよ、私は資料を読んでいただきたいと思っています。考察・付録は私なりの読み方を示したものですが、同時に資料への興味を喚起するものでもあります。
などと書くと、資料への注意をひきつけるためにも事件の要約が必要だ、との意見が出てまいりましょうが、私があえてこれまでそのような方法をとらずにきた理由をお察しください。私は、安易に事件をまとめてしまうことを避けてきました。ゆいちゃんのりぼんへのリンクを目立たない場所に配置しているのもそのためです。情報の取捨選択など、手伝うつもりはありません。右往左往すればいいではありませんか。興味深そうなログを、手当たり次第に読めばいいと思います。
事件そのものは、さして複雑なものでも巨大なものでもありません。そのことは時系列をご覧になればすぐ分かります。全部読んでもせいぜい1〜2時間で足ります。問題は騒動のログが物凄いということです。2ちゃんねるのログだけでも、1日では無理かもしれませんね。けれども、そうした膨大なログ自体が、騒動の大きさを物語っているわけです。私は情報を整理するところまではお手伝いしますが、取捨選択まではいたしません。私は事件・騒動を読み解くポイントは示しますが、要約はしません。
それでいいのではありませんか。事件のログ程度も面倒がって読まない方は、どのみちその程度の関心しか持たない方です。今回、本気で問題に取り組まれた方は、多くの場合、ちゃんとログに目を通されたようです。事件・騒動のあらましを書けば、それだけ読んでわかった気になる方が増えます。かえってろくなことにならないと思うのは私だけでしょうか。
新聞のように、事件に興味のない読者にまで記事を読む気にさせなくてはならない理由は、私にはありません。それなりに関心のある方だけが読んでくださればいいと思っています。そのかわり、関心のある方には役に立つサイトではありたいですね。……まあ、私の希望を書けば、171さんの希望は、考察サイトがかなえてくれることになるはずです。考察サイトはその性質上、必ずしも多くの情報を紹介する必要がありません。ひとつの物語を紹介することが目的となりますから。考察犬さんに頑張っていただいて、YOU IS A BIG FOOL MEN > 鯛やヒールというかフールのように、楽しく読めて初心者にもわかりやすいサイトが完成することを、大いに期待しています。
(考察犬さん、読んでますかー? 資料を全部叩き込む必要はないんです。お話に必要な部分だけ切り貼りされたらいいんですよ。そう割り切れば、きっと今よりずっと書きやすくなるはずです。そういう意味では、「日々平安」はよくできていますね)
事件・騒動の要約は、各自の責任で補完していただきたいのです。多くの言及サイトが、それぞれの言葉で要約をなさっています。要約には、各々の事件・騒動の読み方、理解が端的に現れていて面白いですよね。
現スレが跡地の件関連の第18番目のスレになるわけですが、これって脳止スレ(現在第22番目)に追いつく勢いなんですよね。それほどの事件・騒動だったのかという印象は正直拭えないのですが……。やっぱり、定点観測できるサイト、テキストサイト以外からも紹介しやすいサイトを作ってしまった私がいけないのかな。こういう事件を知って、いろいろ考えるのは決して悪いことではないと思いますけれども。
あと、やっぱりたろたまはもっと早くに更新再開するべきだったと思う。ゆきさんが更新再開を予告した2月22日まではどうしても動きたくなかったのでしょうが、当サイトへ検索ワード「たろたま」で到達される方が急増したのは2月9日の「震えてませんから」以降のことです。一体どういうことなんだ、と思った方が大勢いらしたのでしょう。ユニークアクセスで1335人にのぼります。ちなみに「跡地の件」でこられた方は190人に過ぎません。「検証」151人とか「跡地」138人などを合計しても、「たろたま」の半分にもなりません。2月2日の「お詫び」発表後にはキーワード「プリシラ公園」で多くのアクセスがあり、合計813人が訪問されています。
ちなみに、たろたまの表紙は騒動以前一日5000〜8000PV(ページビュー)でした。約4000〜6000人が毎日訪問していたわけです。一方、当サイトはReadMe!JAPANによれば最大で4000人の訪問客を集めたに過ぎません。昨日のたろたまが6704PVですが、これは騒動前の2月1日(6815PV)と比較して、むしろ減っています。いわゆるウォッチャーはそれほど人数が多くないのでしょう。そして、多勢の固定客はそう簡単には離れません。とくにたろたまは、もともと更新頻度がそれほど高くありませんでしたから、2月に入ってこれで5回目の更新というのは、メチャクチャ少ない数字というわけではなかったりします。
こうしてみると、このまま「たろたま」を普通に続けていくとして、純粋な信者の数はかなり減ったと思う
というのは、だいぶ実情とずれているように思います。信者
という言葉遣いもそうですけれども。
今回の騒動への言及サイトの傾向を見るに、これまでたろたまと接点のなかったサイトが大半です。とくに当サイトへ多くの訪問客を流した大手さんはそうです。とすると、たろたまファンの多くはこれまで通りに今後の通常更新を楽しむのでしょう。そして今頃、間宮さんのもとには本当に「復活おめでとうございます」とか「楽しみにしてます、でも無理はしないでくださいね」みたいなメールがいくつも届いているのでしょう。当サイトに大勢の方がいらっしゃるようになって初めて知ったことですが、お客様が増えると本当にメールって届くものなんです。驚きました。よく、メールは掲示板より敷居が高いなんていいますけれども、場合によりけりのようです。
斬鉄剣だって、読者の大半は自分をウォッチャーと認識していない方々なのではないでしょうか。斬鉄剣へのリンクコメントを拾っていくと、どうもそうとしか考えられないのです。ただまあ、気合いの入った更新の中心がネット言及なので、ウォッチャーに片足突っ込んでいる人は決して少なくないはずだと思うのですが、それでもまあスレに書き込むような方は滅多にいなさそう。
ちょっと他に書く機会もないのでここで。続・ルミ姉さんと一緒に(;´Д`)ハァハァ はつきません。旧ルミ姉さんと一緒のタイトルとごっちゃにしてはいけません。斬鉄剣のナミさんはいつまでもリンクするサイト名を間違え続けているわけですが、ここで指摘したいのはその話ではなく。
斬鉄剣が続・ルミ姉さんと一緒へリンクを用意し続けていることについて、続・ルミ姉さんと一緒から流れてくるアクセスが馬鹿にならないから、という意見がちょい昔のどこかのスレで出ていました。これは間違いです。当サイトへのリンクも斬鉄剣のすぐそばにありますが、そちらからいらっしゃるお客様は1日1〜7人です。0ってことはまずないのですが、10人以上というのも経験ありません。斬鉄剣の場合はきっともっと多いかと思いますが、それはつまり当サイトよりも斬鉄剣の方が面白いからであって、続・ルミ姉さんと一緒のアクセスを流す力というのはそれほど大したものではないということです。
ちなみに、当サイトへ最も多くのお客様を紹介してくださっているのがダークマターですが、訪問客数は取り上げられ方次第で大きく変わります。騒動関連で紹介されればコンスタントに1000人を突破しますが、以前はそのようなことは1度もありませんでした。最高でも900程度、最低では200程度でした。1日4500人が見ているという噂を目にしたことがありますが、それを信じれば、最低では5%の方しかリンク先を参照しなかったということになります。ニュースサイトとしても致命的な話ですよね、これは。まあ、そういうものなんじゃないですか。
それで結局何がいいたいのかというと、馴れあいでアクセスアップなんて不可能だと。だから、馴れあいの好きな管理人さんをアクセス厨
などと呼ぶのはおかしいし、可哀相なことだと思います。ほっといてやればいいのではないですか。誰も困らないわけですから。
あるサイトの人気を考える場合に、自分にとって面白いかつまらないか、ということは関係ないのです。とにかくそのサイトの閲覧者数くらいの人数が面白いと思いさえすれば、そのアクセス数は成立するのですから。何であんなつまらないサイトが、と思っても仕方ありません。面白いとかつまらないなんてのは、基準の軸をひとつに取ることができないのです。サイトの内容と比較して不当に訪問客の少ないサイトはありえても、不当に訪問客の多いサイトはありえないのではないかと思います。少なくとも、私はそのような例を知りません。
昨日発表した間宮さんへの返信は、たしかに苦しい言い訳でありまして……。[付録]ボクの終戦工作を全面的に修正しました。間宮さんのメールの要約を排除しました。BBSでご意見をくださったじん氏に感謝します。
引用とレスを繰り返す形式は非常に便利ですが、もし最初から公開を考えているならば、最後の間宮さん宛てのメールのように引用なしで意味が通るようにしておくべきなのでしょうね。終戦工作のメールは、もともと公開を考えていなかったので、後で困ったわけです。けれどもやっぱり、それは自分の問題だから、それなりの配慮のある対応をすべきだったということになりましょうか。
考えてみれば、鯛さんの事件も、ヒマワリさんの事件も、なかなかすっきりと終わりませんでしたね。もう終わったと思う頃に、次の小騒動が発生するという感じで。いや、そんなところで頑張ってくれなくてもいいんですよ、本当に。
さて、昨日はサイト始まって以来最大の訪問客数を記録しました。「湘南から元気倶楽部」と「ダークマター」のダブルパンチ。パンチってことはないか。しかしこのタイミングで最大の訪問客数って。ありえない。
湘からの人気が物凄いということは、本当によくわかりました。騒動への注目度はいまだに下がらずといったところなので、静炉厳さんの考察はこれからの発表でも決して遅くはないと思います。時期外れだから公開しないというのは非常に残念です。間宮さんたちをたしなめるような文章なら意味がないかもしれませんが、今回の件を教訓にする内容なら、いつまでも古びない問題ではないかと。
必見。大変興味深い記事です。これも騒動関連。
中学理科の話題。
仕事の定義をよく読めば、道具を使っても仕事の量を減らせない理屈はすぐにわかります。仕事の量は b-a だけで決まってしまうので、どんな方法で物体の状態を A から B へ変化させたかはまったく関係ないのです。
中学校の理科では、ここで話が終わってしまいます。なんだか変な感じがしますよね。例えば A 地点から B 地点まで移動する場合を考えてみます。歩く場合と、自転車に乗っていく場合では、人間の疲れ方が全然違います。同じ仕事しかしていないというのは妙です。私はかつて塾で理科を教えていましたが、やはり理科の好きな子は、この問題に気付きます。
例えばA地点からB地点までの移動を考えた場合、歩いていこうが自転車で行こうが自分の身体を同じ距離だけ運ぶわけですから力学的に必要なエネルギーは同値になるんじゃないですかね(あ、でも自転車分の重みがあるから実はもっと大変か?)。
とは言うものの、実際には自転車を使ったほうが早いし、楽なわけで。移動に要するエネルギーが同じなのに『楽に感じる』のには何か僕が想像もし得ないような事実が隠されているに違いありません(←表現が大げさすぎです)。
ていねいに考えていきましょう。移動するのは「私」とします。さて、移動の前後で、私の持っているエネルギーは増加、減少、変化なしのいずれが正解でしょうか? 中学理科では「同じ」が正解とされることが多いようです。なるほど、運動エネルギーも位置エネルギーも変化しませんからね。( A 地点と B 地点は高さが同じとします)
しかしじつは、移動後に私が持っているエネルギーは、移動前と比較して「減って」います。これは、移動のために体内に蓄えられていたエネルギーを消費してしまったからです。エネルギーが減ったので、b-a はマイナスの値になります。された仕事がマイナス……つまり、仕事をしたという話になることに、まず注意してください。
ここで問題となるのは、どんな仕事をしたのか、そしてエネルギーはどこに移動したのか、です。……みなさん、ここまでの話、ついてこれてます?
なんで疲れちゃったのかということを考えてみます。移動する人は私ということにしましょうか。
私は最初 A 地点に止まっています。そしておもむろに動き出す。動いている私には、運動エネルギーが生じます。このとき、私は体内に蓄えられていたエネルギーを使います。さて、B 地点で私は再び止まります。さてこのとき、運動エネルギーは私に返ってくるでしょうか?
もちろん、ちいとも返ってきません。じゃあエネルギーはどこいっちゃったの?
人が歩くとき、例えば靴底のゴムがぐにゃっと曲がったり、地面が押されて少し凹んでまた元に戻ったり、ということが繰り返されます。人の周囲の空気が動いたり、あちこちから音が出たり、服がこすれたりもします。体内では、筋肉が伸縮したりしますね。こうした様々な出来事の結果、最終的に熱が生じます。そして、生じた熱はたいてい、周囲の少し温度の低い空気を暖めることにつかわれてしまいます。
つまり、私のエネルギーは、A地点からB地点へ移動する途中の空気をちょっと暖めることに、みんな使われてしまうのです。
自転車で移動する場合にも、基本的には同じです。消費したエネルギーは、結局は空気を暖めることに使われてしまいます。
え〜!? って感じですか? でも、このいい加減な説明で納得してください。当たらずとも遠からずの答えではあるので。
話をまとめましょう。
ここからが本題。なぜ自転車で移動すると楽なのか、という話。じつはもう答えが出ているわけなのですが……。
たしかに自転車の質量がある分、自転車に乗っている方が、ある速度に達するまでに消費する必要があるエネルギーは大きくなるはずです。はい、私はいま、必要と書きました。理屈の上での必要最小限、という意味です。
……そうなんです。実際には、必要最小限のエネルギーを消費しただけでは、目標の速度に達しないのです。
私が歩くとき、一歩踏み出して、二歩目を踏み出さなかったらどうなるでしょうか? ひょっとすると前のめりになって転ぶかもしれませんけれども、少なくともそのまま前進し続けることは、まず不可能です。これはどういうことかといいますと、一歩踏み出すのに使ったエネルギーは、すぐその場でほとんどが熱とかに変化して使い果たされてしまうわけです。
私が自転車をこぐときはどうでしょう? 一歩こぎ出して、それっきりにしても数メートルは前進するのではないでしょうか。エネルギーを使い果たすまでの間に、数メートル前進できるわけですね。
これはどういうことなのでしょうか。先ほどのまとめを見ますと、消費したエネルギーは一部だけが私自身の運動エネルギーとなるわけです。自転車を使うと、この効率がたいへん向上します。つまり、消費したエネルギーと、その結果生じる私自身の運動エネルギーの大きさが近くなるのです。歩くのはダメですね。たくさんエネルギーを消費しても、少ししか自分自身の運動エネルギーにはなりません。
さらに重要なのが、運動エネルギーのその後です。自転車を使うと、運動エネルギーが熱エネルギーに変化しにくくなります。だから運動エネルギーの減少が抑えられ、いったん加速したら、そう簡単には止まりません。
結論。自転車の方が効率がいい。だから移動するなら自転車の方が楽。
というか、「体内に蓄えられているエネルギー」というのを中学理科では定義できないからなあ。結局は、そこが問題なんですよ。運動エネルギーと位置エネルギーだけ考えていると、絶対にこの謎は解けないのです。
力学の話ってあんまりネット上に情報がないですよね。以下、私がちょっと興味を持って読んだサイトをご紹介しておきますけれども、どちらを読んでも体内に蓄えられているエネルギーの話は出てきませんのであしからず。
騒動への反応の補遺。目新しい知見はないけれども、いろんな人がいろんなことを思ったんだな、と。ふだんネット上の騒動に関心を持たなさそうな方まで言及されている、という状況の記録。
しょっちゅうバトルに突入する日記。私はこういうのがかなり好き。いや、道理に勝る少数派が敢然と闘って、野次にもひるまずちゃんと勝つ場面を見られることってなかなかないものですから。情が優先されがちな世の中で、理が勝つ様子を見るのは楽しい。TACTさん、今週も活躍中。
とか思ったら! 2ちゃんの某スレ、なんではてなダイアリーがきっかけでテキストサイト界の灯台サイトのひとつ「九十九式」とCSSコミュニティーの遭遇とかいう話題の中でうちが出てきてるわけ? スルーしてくれてありがとうございます。うへー。こういうのは心臓に悪い。CSSでイケてるリンク集に登録されたなんて話も、リンク集の更新が止まってからようやく知ったくらいで。いや、CSSコミュニティーとうちは関係ないです、たぶん。
春めいた新スタイル(気に入りました)導入とあわせて注目したいのがOperaのユーザモードに絡めたCSS関連の話題。紹介されているスクリーンショットを見ながら、ブルーゴーストップの松田さんといえばOpera利用者だったなあ、なんて思い出す。Windows版Opera7の日本語版が3月20日にリリースされますが、Operaってこの先、どうなってしまうのだろう。
CSSを駆使してユーザ側の努力でサイトの見栄えを調節する方法については、以前からお世話になっている次のサイトの記事が参考になるかと思います。
SSさんの新スタイル、いいですね! ただ日記だけ文字が小さいのが、以前からとはいえよくわからないのですが……。
前スレ695さん、回答を追加しました。スルーしてしまって申し訳ありませんでした。前スレのログ、上げました。
ご存知の方はご存知の通り、当サイトは平日は基本的に更新されません。あしからず。
前スレのログは明日、上げます。
CSSを書き換えてみました。これでもあかんですかね……。MacIEをご利用の皆様?
善処しますと書いたからには、善処いたします。どこかの政治家とは違うのだー。
ちなみに私は以下のブラウザを使っています。
あー、今日だったんだなあ。いや、知ってたんですけどね。知ってて行き損ねたというか、えーとその……。
斬鉄剣のアクセス解析って、結果を参照するページの閲覧に、制限がかかっていないんですね。びっくりしましたよ。リンク元をたどったら、まさか解析結果の参照ページだったなんて。いいのかなあ、そういうのって。というわけで、斬鉄剣へリンクを張った方は、たぶん、注意しているとナミさんの足跡がアクセス解析に引っかかるので、注意しておくといいと思います。(私が見つけたのが巧妙に作られた偽者って可能性もあるのでご注意を)
お礼リンクを狙っている方のためにひとつ重要な情報を記しておきましょうか。
お礼リンクをしてもらうためにはリンク元として自分のサイトのアドレスを残さなければならないわけですが、ナミさんの利用されている解析サービスでは、最新20リファラーしか表示されません。いちおう、アクセス解析経由とローカルからの閲覧は除外されるのですが、それでもたった20です。少ないですよね。2002年10月27日以降の総合ランキングはありますが、ここに滑り込むのは相当難しいと思う。最下位でも、そこからやってきたユニークアクセスの合計が232だそうですから。
結局、短時間に何回もリロードしても駄目で、ナミさんが見ていそうな時間帯(それもよくわかんないですよね)に地道にアクセスを繰り返すことですかね。いちおう、一番確実なのは、リンク報告をすることだと思います。結局は。考えてみると「たろたま」もリンク報告が発掘のきっかけだったわけです。
「たろたま」ついでに「たろたまー」について。この言葉は、発掘前から使われています。また、「跡地」は、掲示板があまりに大賑わいなので、掲示板だけでも複数用意した方がよさそうだということになって、掲示板だけのサイトを作ったわけです。名目上はファンサイトだったわけですが、リアルタイムで「跡地」の立ち上げを見ていた者からすると、別にそれは気持ち悪い話じゃありませんでした。むしろスマートなやり方だと思えました。
「たろたま」は長らく発掘した「斬鉄剣」よりもアクセス数が多かったわけですが、当時の掲示板の賑わいをときどき眺めた印象を書くと、うまくやっているなあという印象でした。人気をうまく制御しているように見えました。「跡地」の末期などは知りません。その頃にはもう、「たろたま」を見なくなっていたからです。
素直に面白い。意見を読むというよりは、オチへの持っていき方というか、読み物として笑えます。あ、でももうオチを知ってる方が多いのが難点か。ニュースサイトで散々取り上げられていたし。(でも私は幸運にもこの記事で初めて知ったので、爆笑しました)
2月10日付も面白いです。こちらは興味深いという意味で。
先日書いた、プリシラさんによるアクセス解析のデータ悪用の話について、こちらのサイトでもご意見いただいてます。
私の意見よりも、ふつうの方の感覚がよくわかる感じがします。怒りどころというか、何に不安を感じるのか、というか。プリシラさんのやり方はあくどいということを書くにしても、理屈付けは人によってけっこう違うんですよね。同じアクセス解析のデータの使い方にしても。2月15日付で事件の概要についても述べているので、興味のある方はそちらもどうぞ。
しっかし文章の読みにくいデザインだなあ……。というわけで、ユーザスタイルシートを使って行間を広げてやって快適。こういうのは作者に文句をいうよりも、自分で何とかしてしまったほうが早いと思う。いや、ほんとに。
事件をきれいに整理されていますね。少し長めのまとめ記事としてよくできているような感じがします。今回の騒動に対しては、自分が間宮さんやプリシラさんのような立場になりかねない、という不安と、ゆきさんのような立場になりかねない、という不安の両方がありました。加害者になる可能性、被害者になる可能性。この記事は、被害者になる可能性に主眼を置いています。遥かな道しるべの場合はそうなのかな。たしかに、プリシラさんのようにネットバトルを好みそうな感じはしないですね。
ただ、私はやっぱり、両方の可能性を疑った方がいいと思います。今回はかなり極端な例でしたが、自分が正義の側にいると確信しているとき、人はけっこうえげつないことをしてしまうものです。そして自分ではそのえげつなさに気がつきにくい。私は、今回の件で間宮さんたちが責められているとき、絶対にこの間違った考えを正すのだ、みたいな感じで燃えている人はどうかと思っていました。そこまで自分の正義に自信がありますか、と。
オウム真理教が崩壊したときに、信者の社会復帰ということが散々いわれました。けれども、あれもけっこうヤバイ面を含んでいたと思います。この社会、世の中の常識が絶対に正しいと思い込んでいる人は困るんですよ。とりあえず社会復帰はいいことだと思いましたが、「常識の植え付け」とか「真人間への改造」といった言葉遣いは微妙な問題を堂々と踏み越えていて、うへぇーという感じでした。心の中までそうやって、力づくでどうにかしようってのはどうなのでしょうか。
というわけで、怖い怖いといっている加害者側に自分も立ってしまわないように、相手を赦す条件について、今一度考え直すべきじゃないかと思います。私は、間宮さんもプリシラさんも、心の問題をいうならば、またすぐに何かヤバイことをしでかしそうに思えます。けれども、拳を振り上げるところまではいったとしても、そこで思いとどまる知恵は身につけてくれたのではないか、そう期待するのです。最初から見当違い(と私たちが思うようなこと)で拳を振り上げないでほしいというのはやまやまですが、そこまでもとめても仕方ないだろう、と思うのです。
いずれにせよ、要注意人物として今後も観察処分の状態ですから、当面は何か起きても大事になる前に鎮圧されると思います。問題はその後、なのですが、あんまり心配しても仕方ないというか……。
備忘録でも反応しておきましょうか。
今回の事件に第3者がなぜ関係してくるか,という説明のために殺人事件の例を持ち出したのは、おっしゃる通りやりすぎですね。私もそう思います。むしろ芸能人の「不倫」
という方が正鵠を突いている、というご意見にも納得。けれども、結論は違います。
井戸端会議のサカナでしょ、結局は。
とおっしゃるわけですが、どうやらakkeyimgさんは井戸端会議の正当性について否定的なようですが、私の意見は逆です。井戸端会議でも誰かをくさしてばかりいるわけじゃありません。いいニュースは褒め称え、ひどいニュースには顔をしかめる、それが井戸端会議です。ときどきおかしな偏りも生じることでしょうが、日本全国の井戸端会議を総合すれば、それは日本の常識、この世間で通用している正義の公約数を反映したものとなっているはずです。
芸能人の不倫が庶民に攻撃されるとき、個々の事象は私刑と変わらないのでしょうが、総体としては社会的制裁を形成しているといえます。庶民は第3者でありながら、なぜ他人の問題に口を出すのでしょうか? その答えこそがつまり、あるべき社会、望ましい社会に反する事象への制裁が、必要悪として存在する理由なのです。
非があるから叩いても許されるのですか、自分は無関係なのに? そんな快感を得るために、叩いているのですか? 大多数は正義ですか?
北朝鮮がどんなに叩かれても、こういうことを言い出す人は滅多にいませんよね。なんでどこかの個人サイトが叩かれると途端にこういうことを言い出す方が増えるんですか。いつも私は、こうした遠い立場の人のことには無頓着で、近い立場の人がどうにかなると急に慌てだす人を見るとむかむかします。
こういう想像力の足りない方というのは、結局、間宮さんやプリシラさん達と同じで、自分の理解の範疇を超えたところにいる人々のことがよく見えていないんだと思います。見えないなりに、そこに人がいるとわかっていればいいと思いますけれども、どうもアンテナが弱いみたいなんですよね。今回の件くらい自分に近しいレベルまで話の次元を落とさないとダメというのは、いろいろな意味でまずいような気がします。
ナビゲーションというかサイトの構成がよくわかんないんだけど、表紙のビジュアルがかっこいいサイト。名前だけは聞いたことがあったけど、今回の件で言及されてから初めて読みました。
前回の言及とは異なり、私にもよくわかる書き方になっていますね。途中、いろいろ微妙に引っかからないでもないけど、全体的にはそうですおっしゃる通り、という感じ。1日遅れの言及という印象なのがもったいないような。15日付ならなあ。でもとにかく、読んでくださってどうもありがとうございました。(たぶん、それでご意見が少し変わったのだろうと思いました)
スレでもこちらが紹介されていることでもあり、騒動関連の更新はそろそろ小休止とさせていただこうかと思います。
言及サイトについては、こちらでちょこちょこ取り上げていきます。
一日中、腹痛で苦しむ。
予定より18時間くらい遅れました。どうもすみません。体調はもう、回復しております。
ここしばらく回答し損ねていたいろいろなご意見について、もう少し書きたかったのですが、どうも頭が冴えないので、通常更新は今日はここまでにします。悔しい。
さて、懸案を脇にやってしまったので、いよいよメールのやり取りのまとめに入ります。間宮さんのメールは示すことができず、また少々の解説を書き下ろすので、更新時刻はかなり遅くなるかと思います。もしよろしければ一眠りして、土曜の朝に期待して下さい。それでは。
プリシラさん、ある意味、逃げ切れませんでしたね。でも、騒動自体は概ね解消の方向です。状況と比較してもう、スレの伸びが……。
社会的制裁というのは無法ですから、その実態は残酷で苛烈なものです。ただし、適当なところで飽きて終わりになるというリミッターがついています。だから必要悪として許されるわけですよね。プリシラさんは間違ったことをして、相変わらず肝心な部分について反省していません。それでも、まあこんなものだろうという空気なんだと思います。社会的制裁は、峠を越してしまいました。それはどうしようもなく事実だと思います。許せない、といって頑張れる方は今後もずっとウォッチャーであり続けるのでしょうが、これまでのような祭りはさすがに難しいでしょうね。
今朝、書いたプリシラさん論破の一文、後々跡地へアップしますが、実際問題としては用無しなのかな、という気がします。本件ではプリシラさんが最初からクローズアップされていて、プリシラさんの反省が一番の山場と見られていたわけですが、後味の悪い結末ですね。逃げ切りですからね。珍しいケースだと思いました。これほど頑固な方には、滅多に出会うことができませんよね。
さて、これでプリシラさんは「斬鉄剣」の道を歩むことを決めたわけです。バカだなあ、と思いますが、何でこんな結末にしかならなかったのかと無力感さえ覚えておりますが、力ない第2のスタートです。
燃料無限、といってはみても、プリシラさんの非が上積みされることがない以上、どこかで社会的制裁のエネルギーが尽きてしまうのは当然です。だから、その制限時間内に勝利条件に達しなかった以上、ウォッチャーが歯噛みしても割とどうしようもないのだと思います。今後は、それでも頑張る少数精鋭の、長い長いゲリラ戦が続くのでしょう。私も協力できる範囲で協力させていただきますけれども、今は敗北感でいっぱいです。
それから、現在まとめているメールのやり取りは、正直いって私にとってヤバイ内容です。最後に自爆するつもりというか、人生投げ槍モードに入っています。(などと期待感を煽るのはよくないと思います/ごめんなさい)
何がいいたいのか、よくわからない。面白そうな雰囲気はあるのだけれど……。
あのー、できれば、感想だけではなくて、どの段落がどの出来事への感想なのかが分かるように書いていただければなあと願う次第です。特異なセンスをお持ちなので、私はJUNKさんのご意見に興味があります。(という話は、だから、メールで書けと)
じつは折り紙は私の数少ない趣味のひとつでして、まさか「節足動物園」でこの話題に触れるとは思いませんでした。ただ、麻草さんは本に埋もれる生活をされているようですから、ちょっと折紙にはまると大変だろうなと思います。
正直、本はそれほどありません。折紙の本はほとんどが幼児教育の流れを汲んだものばかりで、麻草さんが目を奪われたような複雑な作品(complexといいます)を扱った本はほとんどありません。すぐに絶版になり、まず古書店にも出回りませんから、捜し求めれば1ヶ月で一通りは揃います。それで揃わないものは諦めなさい、という話になります。ふつうの努力の範囲では。
では何が大変か。まず時間ですね。難しそうな作品でも、最近は折り図がいいので、けっこう折れます。少し慣れれば、たいていのものはへろへろなりに完成するようになります。ただし、時間はべらぼうにかかります。あー、ある意味、他の趣味を忘れたいときにはいいかもしれません。
次に大変なのが紙ですね。complexを折ろうとすると、紙で躓きます。それでいろんな紙がほしくなってしまうのですが、紙は奥が深い世界で、しかも簡単に大量の種類の紙が手に入ってしまいます。折紙は、本の方は蒐集するのもたかが知れていますが、紙はどうしようもないです。しかも紙は馬鹿でかいという大問題が……。
折り紙やるなら、紙にだけははまらないようにして下さい。それさえ気を付けていれば、(人畜無害という意味では)割といい趣味のような気がします。でも、やっぱり紙にははまってしまうんですよね、どうしても……。いや、私だけではないと思います、おそらく。
あ、それはそうと闇黒日記が復活しましたね。
野嵜さんに議論を吹っかけてはこてんぱんにのされてきた私としては、不合理な攻撃の方が野嵜さんの主張を変えるのに効果的だという現実をどうしても受け入れがたくて、備忘録で不快感を述べました。軽率だったかとは思いますが、やはり不愉快な話ではあります。私はいい加減な人間なので、野嵜さんが参ってしまったような相手はさっさとアクセス禁止にして無視するだけで気にもとめません。それだけに、どうにも割り切れないものがありました。
その件はそれでも納得することにいたしましても、これだけはどうかと思うのが掲示板での閉鎖宣言。これは備忘録にも書いておこう。
と言ふか、うちのサイトがただ餘所に不快感を與へてゐるだけの、それだけのサイトだと言ふのなら、やめますよ。ええ。もうやめますよ。もう嫌です。
……やっぱり私はまだ怒っているようですね。むかむか。麻草さん、中途半端なところで話が終ってしまってすみません。(私信ならメールを出せばいいだろうに/でもこれは閲覧者向け+自分自身向けの備忘録でもあるのだなあ/投げ槍/というか麻草さんのお話の最後に斬鉄剣が出てきたのには吹き出してしまいました)
そうそう、これは反論というよりも明るい話と受け取っていただければ幸いなのですが、手段のためには目的を選ばない
人々の愉快な姿が見られるイベントに「鳥人間コンテスト」とか「仮装大賞」なんてのがありますよね。それから、私はロボコン(とくに高専部門)が好きなんですけれども、この大会にも毎回、馬鹿げた手段を実行するためだけに全知全能を費やす方々が登場して、私を悔しがらせます。正直、羨ましいのです。(というかGoogleのI'm Feeling Luckyって本当に利用者いるんですか? どんぴしゃできたら幸運ですねって意味なのかな? という使い古されたネタ/ダメだ、いいたいことがまとまらないや)
まとめは今日中に終わらないかもしれません。だから、というわけでもありませんが、言及サイトをご紹介。
いずれも読み応えがあります。とくに「日々平安」はかなり長大な連載になっていて、ある傍観者から見た騒動の解釈を、ていねいにまとめています。跡地でも、こうした記事を望む声があるにはあったのですが、私はあまりこうした作業には面白みを見出せず、ずっと手をつけずにきました。もっと早い段階で発見してリンクしていればなあとも思いましたが、リンクされたのが2月10日になってからでしたからね……。
けれども、私のサイトが考察で事件を見るポイントを示し、顛末そのものについては厳選した一次資料で説明するという方針を貫いたのは、結果的には成功したのかもしれません。週末や祭日を費やして全部の資料に目を通された方が多くいらしたそうなので……。「日々平安」のように顛末をすべて解説してしまうと、やはり資料に目を通す方が減ると思います。そうなっていたら、最後の段階での間宮さんとのメールのやり取りがもっとこじれてしまったでしょう。
これまで騒動に付き合ってこられた皆様には、こうしたまとめ風の記事は面白いと思います。わかっているからこそ楽しめるというか。ただ、著者の方には申し訳ないのですが、こうして私が大々的に紹介したことで、ひょっとすると間宮さんから事実誤認の指摘があるかもしれません。まあその辺りは、発言に責任を取って対処していただきたく……(リンクの張り逃げ/最低)。
「日々雑記」は「アドレナリンショック死。」のコンテンツなのですが、とても読み応えがありました。個人主義まっしぐらの間宮さんは、この意見にどんな感想を持つのだろう。べつに「責任回避だ」と咎めたいわけじゃなくて、わたしがCさんの立場だったら、こんなことが起これば自分のために慌てて鎮火に回ると思う
として、間宮さんが「いろは中毒」共同管理人たちの暴走を傍観していたことを不思議がっているのだけれども。
私はこのナツさんの意見に共感します。論拠がムチャクチャだから見ていてどうしようもなく恥ずかしいので、いくら自分の作品の擁護だろうとやめてくれと泣いて懇願する
のがふつうなんじゃなかろうか、と思う。私の場合は、自分の作品の擁護だからこそ、といなるのが少し違いますが、大筋は同意。
常連はなぜ火に油を注いで、Cさんのサイトを結果的に荒らすことに荷担したのか、というのも不思議
というのは、これは私はわかる気がします。「いろは中毒」で起きた暴挙ではプリシラさんが旗を振っていたわけですが、あの場で騒いでいた人々には、リーダーの向いている方をみないっせいに向いてしまう傾向があるようでした。単に似た者同士なのかもしれませんし、あるいは無意識に盲従の対象を求めるタイプなのかもしれません。いずれにせよ、マリタナ小説祭をウタガエを見てもわかる通り、昔から歩調の揃った方々だったように見えます。(謝罪文も似ていたような……)
なお、単に自説を展開したい人は、自分のサイトで書けばいい
という意見には異論あり。自分が発言した、とアピールすることよりも、この問題に興味のある方々に対して、自説を伝えたいという思いの方が強いのと違いますか。私のサイトから言及サイトとしてリンクされれば50〜300PVほどのアクセスが流入しますが、それは私のサイトのPVの20分の1あるいは50分の1に過ぎません。2ちゃんねるのスレッドは、私のサイトよりさらにPVが多いのですが、残念ながら長文を書き込めません。
とすると、一番自分の発言に興味を持ってくれそうな方々に、もっともよく目に触れる長文投稿所はプリシラさんの特設掲示板だということになります。だから長文書くヒマがあったらサイト更新すればいいじゃん。匿名で持論をぶって楽しいものかなあ。
というのは、だいぶ感覚がずれているような気がしました。
たぶん、自サイトの更新の方が魅力的だと思う人は、迷わずそうしていると思います。私のように。だから、匿名で書き込みしている方々は、目的とか狙いが私たちとは違うということではないでしょうか。
帰宅後、2月10日に始まった間宮さんとのメールのやり取り(疲れました)の内容をまとめます。私がいかに信用できない人間かよくおわかりいただける内容になりますよ。と、予告しておきます。
ところで、私が跡地を放り出すとすれば、その際には「ネットワーカー研究所」にデータを渡そうかと思っています。消すことは考えていません。
「たろたま」が更新されましたね。騒動はこれでお終いだと思います。
というか、終わって下さい。
いや、完全に納得することはできないってのは、私だってそうです。でも、世の中みんなが同じ一つの考え方に統一されてしまうなんてことはないわけです。私は今回の間宮さんの発言をもって、騒動が終息することを望みます。
プリシラさん? まあ、私が望む方向とはずれた反省をなさっていらっしゃいますが、これ以上を求めても……。本音です、これは。
掲示板で一生懸命にレスを付けていたじゃないですか。これで騒動から脱出してほしい、もしこれでも逃げ切れないのなら、説得されてしまって下さい、というのが私の願いでした。それで以下の文章を書きました。
異論があるのですが、まとまらないのでとりあえず参考リンクのみ。
スレでいろいろ分析してくださった方に感謝。お陰様で、もやもやが晴れました。
前スレを読んでいたら、考察2と時系列の修正について、表紙で告知がないのはおかしいとのご意見が。なるほど、たしかにそれはせこいですね。
今更ですが、修正しました、ということだけは、とりあえず書き添えました。いや、じつをいえば、これまでも大きな修正をたくさんやっているんですよ。とくに時系列は、初期バージョンと現在のものでは全然違ってしまっている箇所がいくつもあります。考察1も文章の修正は何回もやっています。こちらについては、事実として述べている内容の修正は、おそらくないんじゃないかと思いますけれども。面倒なのでいちいちその変遷について告知してこなかったわけなのですが、さすがに閲覧者の多い最近では、こっそりというわけにもいかなくなったということかもしれませんね。
「ネコの陽だまり」の休止時期に関しては、ちょっと話が複雑なので、こちらで解説しておきます。
私は最初、間宮さんの掲示板への書き込みがあって、その後に「ネコの陽だまり」は休止したと考察2の中で書きました。そして間宮さんの書き込みが本館休止の原因である、ということを言外ににおわせました。この記述が拠っているのはゆきさんの書いた「経緯について」です。
これについて、間宮さんが書き込んだとき、サーバのメンテナンスのため、すでに本館にアクセスはできなくなっていた、とのご指摘がありました。そしてゆきさんは、サーバのメンテが終了し次第、本館を休止するつもりだと述べています。この辺りの経緯は「ハジメテのオフィシャルネットバトル」に記述があります。
つまり、休止は先に決まっていたわけです。サーバのメンテがなければ、間宮さんの書き込みの前に休止は行われていたはずで、間宮さんの書き込みは本館の休止とは無関係だという話。
ところが、プリシラさんと間宮さんは、サーバのメンテは嘘だったと断言されています。その証拠として、「ハジメテのオフィシャルネットバトル」では同じサーバー上の他のサイトは正常稼動してます
とおっしゃっています。私は、このご意見には疑問があるわけです。以下は私の書いた間宮さん宛てのメールより。
jcomは多数のサーバを抱えておりまして、全社一斉のメンテナンス以外にも、個別のサーバマシンについてメンテナンスを行う場合がございます。そして、jcomはURI から個別のサーバマシンを推測できないようにURI を割り振っております。したがいまして、jcomのサイトのいくつかが閲覧可能だったとしても、「猫の陽だまり」の存在するサーバがメンテナンス中でなかったという証明にはなりません。本当に同一サーバ内にある他のサイトが閲覧可能だったという証明が可能であるとすれば、私はその方法に興味があります。
しかしサーバのメンテが嘘だったことをゆきさん自身が掲示板で認めていました。「キスを下さいBBS」のNo.76です。2月1日に投稿されています。ただ私はこの発言を証拠として採用したくありませんでした。次も間宮さん宛てのメールです。
結局それが証拠ということになるわけでしょうか。「経緯について」をもとに私は書いたのですが……。ここでも結局、当たりをつけて厳しく追及したら当人が認めましたという構図ですよね。自白があるんだから、事実そうなのでしょうけれども、あまり私はその、掲示板で何かいわされた言葉を重視したくないという気持ちがあります。結局その後も、「経緯について」は修正されなかったわけでしょう。
裁判所に弁護側が提出する資料と、検察側調書が食い違うことはよくあるわけで、まあこのあたりが私の不公平なところだといわれればその通りです。
これに対して間宮さんは、jcomでサーバメンテの情報があがっていないという決定的な証拠を挙げてきたので、私はもうギブアップです。例え1台のサーバだけにせよ、長時間止まっていたのなら障害情報が出るはずですね、たしかに。jcomが良心的な業者ならば。
というわけで、13日付で考察2を再修正するにいたりました。問題の記述はフォローなしの完全削除です。ただ、サーバのメンテが嘘だった、とも書きません。状況証拠しかないことですし、また、それは問題となっている部分の文脈とは関係ない話でもあるからです。
登録サイトが30に達したら稼動するそうです。こうした試みがうまくいくものかどうか、非常に興味があるのだけれども、はたして登録サイトが30に達するのかどうか不安でなりません。かといって、まずそうなることはないとしても、数千ものサイトが登録するようになると、それはそれで機能しなくなりそうな……。
とりあえず今は30サイトの登録も危ないような感じなので、サイト持ちの皆さん、参加してみませんか? 私のサイトも、アクセスが落ち着いてきたら参加してみようかな、と思っています。アクセス数に左右されない評価を目指しているようなのですが、とび抜けてアクセスの多いサイトが参加すると、結局はそのサイトが有利になってしまうように思うのです。当サイトはふだんは1日150人くらいのお客様がおいでになるという状況なので、それならまあ大丈夫かな、と。
奇啓示のご指摘について。
しかし上記検証サイト管理者 徳保氏も人が悪い。彼の検証能力、冷静な状況描写能力は非常に秀逸で、今後も争いがあれば、第三者からの目として検証を依頼したい程だが、今回の出来事を教訓にする作業の傍ら、騒動を明らかに楽しんでいる。だが、別にそれは悪い事でも無い。
己が楽しくなければ、作業のエネルギーは生まれない。
おっしゃる通り。もうそろそろ書いてしまってもいいんじゃないかと思うのですが、たしかに面白いわけです。楽しいという表現はどんぴしゃりです。スレでは批判も出ていましたが、私はむしろ、こうした当たり前のこと(というとまたヤバイのかもしれませんが)を誰かが指摘してくれないとおさまりが悪い感じがします。中立で、まじめで、徹底して事実に基づいた言論を展開している、などというように、現実を美化した賞賛の言葉が並んでしまいますと、私は身動きがとれなくなってしまいますから。
私は慎重であろうと努力して、自分で自分を中立、まじめ、客観的などと称しないようにしてきました。といってもどこかで口を滑らせているのかも知れず、失言を発見された方はそっとメールなどで知らせてください。そうした注意を払ってきたのは、中立・客観的などというものはそもそもフィクションだと考えているということ、本当にそうあろうとしたら超人的な努力、能力が必要だろうと思われることによります。
考察2を書くのにひどく苦労したのは、中立・客観的であってほしいという期待が大きかったからです。それでどうしても書けず、結局は縛りを半ば放り出して、主観を大いにまじえて書いてしまいました。発表直後にはそれでも絶賛の声が多くてひっくり返ってしまいましたが、その後だんだん冷静な批判も増えてきて、ホッとしました。最初に書いた考察1が妙にできがよかったので、私自身、自縄自縛になっていたのですが、ようやく解放の糸口ができたかな、と。
rougeさんに騒動を明らかに楽しんでいる
とのご指摘をいただいたことを機会に、今後はもう少し、書きたいことを書きたいように書こうかな、と。ただ、「考察」は期待が大きいから、「余話」に適当に記事を追加していこうか、というように考えています。そうした気軽なスタンスの記事でも需要があるのであれば、rougeさんのおっしゃるように、今後おきる他の出来事について私見を述べてみるのも面白いかな、と思いますけれども、そうしたことをやっていると遠からず大失敗するんでしょうね。それはそれで読者の方には面白いのでしょうけれども。
インフルエンザより復帰された管理人氏、ついに動きました。今まで存在感が薄かったわけですが、とうとう最前線に登場しましたね。ゆきさんの名前を伏せる件について、関連スレッドではしばらく批判が絶えなかったわけですが、そのこだわりが、ついに報われるときがきたのです。プリシラさんは、果たして考察サイトにリンクを用意されるのでしょうか? そうなったら、ひとつ大きな一歩になると思います。
よい結果につながることを期待しております。本件については関連サイトが「記録」「考察」「跡地」と3つも立ち上がってしまったわけですが、結果的にはそれぞれに役割分担ができて、非常によかったと思います。純粋に一次情報を得たい方には「記録」が素晴らしく役に立ちますし、初心者にもとっつきやすく、事件が大衆の耳目を集めることに一役買ったのが(その是非は別として)「華麗に〜」でした。そして今回、「考察」が事件解決において大きな役割を果たそうとしているわけです。
2月6日には厳しいことを書いてしまってすみませんでした。ここで、こんな形で登場されるとは! カッコいい!
小林のウェブサイトで転載についてご意見いただいています。
そういえば、華麗に〜の方の関連資料の殆どが転載と言う形で補われていて、後から問題に興味を持った人でも当該文書に目を通す事が出来、非常に助かっているのですが、徳保さんは転載するにあたり、タグを殆ど書き換えていたのには、大変そうだなあと思った。でも、転載と言う形を取る時にタグを改変するのはどうなんだろう、と思ってしまった。これは別に非難とか異見をしているわけではなく、純粋に興味として。
HTMLは、文章中に潜在的に存在する要素を明示的にマークアップするものです。なので、段落をbr要素で表現するといったやり方は、マークアップがおかしいのであって、本来ならp要素としてマークアップされるか、あるいはマークアップしないのが正しいということになります。私が転載したいのは見た目ではなくて文章です。そして転載後の形式として、私はテキストファイルではなくてHTML文書を選択しているわけですね。以上を総合した結果、まずテキストのみいただいてきて、それを改めてマークアップするという手順を、私は踏むことにしました。
小林よしのりが「脱・ゴーマニズム宣言」の裁判に関連して、「わしの意見に対して批評しているのだから、絵を引用する必要はないはずだ」という意味のことをいっていました。私はこの意見にはなるほどと思いました。今回の件も同様です。おかしなマークアップは、結局、何らかの見た目のために行われているわけですけれども、私はその見た目には興味がない。文章に書かれている内容だけに興味があるわけです。だから、見た目のために行われている各種のマークアップは無視するわけです。
あるいは、こう説明したらわかりいいでしょうか。A4版の研究紀要から引用する場合に、1行60字とかそういった版組までそのまま持ってこなければならないという法がありますか、と。文章だけ引用したいのだから、フォントだとか、レイアウトだとか、そういったものは無視してよいと思うわけです。
とまあこういいつつも、私もいくつかの文書についてはpre要素を使って原文の改行を残すようにしています。br要素を乱発しすぎている文章の場合、正直いって段落の区切りがよくわからないんですよね。また小説などは、微妙な改行のリズムが作品の内容と大いに関係しているのかも知れず、改行位置を無視してよいのかどうか非常に迷ったので、ええいままよ、ということでpre要素を使いました。
あちこちでいただいたご意見に少しずつお答えしていければと思うのですが、今日はまだ無理なようです。なんだか疲れて、ほぼ一日、寝てました。申し訳ないのですが、今日はもう寝てしまって、明日の仕事に備えたいと思います。
プリシラさんが間宮さんに責任はないといっている件ですが、プリシラさんはわかっていないのです、おそらく。そのようなことはいわないほうが間宮さんのためにいいということを。私にはなんとも申し上げかねますといえばいいのに、どうしても、間宮さんには責任がないといいたくて仕方がないのです。プリシラさんは、自分の責任でないことも自分の責任に帰そうとして、失敗しているわけです。自分ひとりで、そうやってなんでも責任を取れるものではないのですが、もう少し頭が冷えるまでは、なかなかそれも難しいのかもしれませんね。
とにかく、プリシラさんは、よく考えて掲示板の対応をして下さい。仲間を守ろうとしてうまくいかなかった、その経験からもう少し学ばなければなりません。どうしたらウォッチャー(世間様)を納得させられるのか。それは結局、ふつうに問題を反省することだと悟ったのではありませんか? この期に及んで、誰かを守ろうとしても無駄なんです。みな、それぞれに責任を取るしかありません。自分にできることを、精一杯やりましょう。そして苦境を脱出するのです。まず自分が。
間宮さんだって、それを望んでいるのではないですか。間宮さんがまだ叩かれている状態で、それが気になるのかもしれませんが、むしろプリシラさんは間宮さんの好意を無にしてはなりません。トリは間宮さんが務めます。こうなったらもう、間宮さんに任せるしかないんです。プリシラさん、そろそろ覚悟を決めて下さい。
それから、最初の一歩の間違いについては、私は、これでよしとするしかないのかな、と思いました。プリシラさんの文章を読んでいて、どうしてもゆきさんに作品名を問わずにはいられなかった気持ちというのも、理解できるような気がしたからです。そういうことってあるよなあ、と。現在の状況認識を見失わずにいけば、今後、プリシラさんは無用の騒動を引き起こさずにすむのかもしれません。
最後に、今回の件で私を持ち上げてくださった方が多勢いらっしゃるわけですが、私は眼鏡を持ち歩いておりますが、それはともかく、私はこれでけっこういっぱいいっぱいです。考察2をなかなか書けなかったのも、つまりは考察1の望外の高評価にびびってしまったからです。アルヲさんは偉大だったなあと、今更ながらに思っている次第です。
零時43分、帰宅。明日が祭日でなければ……と恨めしくも思うが、仕事を溜め込んだ自分が全部悪い。
あ、新スレが立ってる。ううむ、誉め殺しですか。たいへん、困る。
何はともあれ夕飯だ、夕飯。前スレのログアップはもう少しだけ待って下さい。まだDAT落ちしていないようなので。
- 484 名前: 豊満雨傘と阿部一族(WeSADaWo) 投稿日: 2003/02/08(土) 10:03
ねえ、すごいこと言っていいですか?
マッチ売りの少女のコスプレで新聞売るんですよ。どうよ。
どんなのかわかんねえけど。>マッチ売り少女のコスチューム- 485 名前: 初夏 投稿日: 2003/02/08(土) 11:36
それが家に来たの?
- 486 名前: 豊満雨傘と阿部一族(WeSADaWo) 投稿日: 2003/02/08(土) 14:24
いや、そうじゃなくて新しい新聞勧誘のかたちを提案してみたつもりでした。
- 487 名前: (’∇ ’ @) 投稿日: 2003/02/08(土) 21:07
>>484 あのさ、2行目読んだら3行目のつっこみが頭に浮かんだわけさ。 でも>>484の3行目で既出だから今更突っ込むにつっこめないわけさ。 どう責任取ってくれるわけさ?
- 491 名前: 豊満雨傘と阿部一族(WeSADaWo) 投稿日: 2003/02/09(日) 07:59
>>487
頭巾率高し。(と思う) というか頭巾を着用すると赤頭巾ちゃんとキャラがかぶる。 まあマッチの入ったカゴを持っていればマッチ売り少女っぽいんだけど、 赤頭巾ちゃんもおばあちゃんのお見舞いの手みやげにぶどう酒とか入ってるカゴを 持っていたりすることがたびたびあるのでまたもかぶる。
それでマッチ売りの少女がうっかり「真似したと思われたらやだなあ」などと 言ってしまうと赤頭巾一派から「私が真似したと因縁をつけてきた」と 猛攻撃される。跡地。ゆいちゃんのリボン。
うまい。
闇黒日記がまたもや閉鎖を口走って更新休止してる。なんで野嵜さんは掲示板での叩きにはこうも弱いのかね。サイト同士の論争なら、いつも強気で人を気狂いだの馬鹿だのいいたい放題なのに。じつにふざけた話だ。とりあえず、閉鎖するにしても自説を守ってファイルを消さないでください。それだけはお願いしたい。
世界最大の自動車メーカGMで副社長まで登りつめたジョン・デローリアンには、ひとつの夢があった。錆びないクルマ、すなわちステンレススチールの車体を持ったクルマを作りたい。しかしステンレスは重い。重すぎる。彼のアイデアは、GM社内では一顧だにされなかった。デローリアンはGMを飛びだし、半生かけて築き上げた地位も名誉もかなぐり捨ててDMC社を設立した。DMC社は英国の誘いに乗って大西洋を渡り、工場を建設した。そして世に問うたのがデローリアンだった。
エンジンはルノーのV6、3リットルだが、重たい車体というハンデを克服するには、それでも非力だった。ブレーキが厳しく、十分な制動が取れず、スポーツカーとして十分な性能は得られなかった。そしてDMC社の財政は進退窮まった。ジョン・デローリアンは、ついに数千万ドルの麻薬仲介業に手を出した。自分のクルマを作り続けるため、最後の賭けに出たのだ。しかし、あっさりとおとり捜査の手に落ちた。こうして彼は、世界の表舞台を去った。
デローリアンがタイムマシーンとなって大活躍する映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開されたのはデローリアン発売から4年後の、1985年だった。すでに、デローリアンは幻のクルマとなっていた……。本日の金曜ロードショーは「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」、私はこのシリーズが大好きだ。物語の終幕近く、バラバラに砕け散ったデローリアンの姿を見ると、夢破れたジョン・デローリアンをついつい想起せずにはいられない。
斜め読み職人には吃驚。すごい! 騒動が一段楽したら職人の書き込みだけ抜き出してみようかな。……何の話かわからない方も多いでしょうが、それはそれとして。
今晩の跡地更新はこれでおしまいです。リンクのミスや、ご要望などはBBSへどうぞ。メールですと、おそらく返事が遅れます。それにしても昨日は新スレが立つのが早くてよかったです。某スレの皆様、お休みなさいませ。(でも、一晩で1スレ終ってたら泣きますよ)
記録サイトの中の人はすごく頑張ってるから次のテンプレでは徳保の代わりに入れる事きぼーん。見やすいよな。
いや、入ってますよ。ようやく。2月5日の備忘録でもそうすべきだって私は書いていたんですが、なぜか前スレではそうならなくって、なんでかなーと思ってました。うちは、記録サイトからデータを貰ってるだけなんで、基本的にせこいんです。
記録サイトの方には頭が上がりません。人間的にも、私みたいに愚痴を書かないし。
あんま目くじら立てちゃだめだぞ〜:( ´ー`)σ)Д`) プニ
すみません。お陰様で、なごみました。深呼吸。
跡地の件を追っかけるエネルギー源は何かと問われたら、たろたま周辺に対する公憤という方も相当いらっしゃるのだろうと思いますが、私の場合はちょっと違っていたりします。
私は考察サイトってYOU IS A BIG FOOL MEN > 鯛のような形でうまく情報を整理してくれるものだと思っていたんです。だから、生っ粋の2ちゃんねらが考察サイトを作ってくださるというので、これで肩の荷がおりるというか、情報収集から開放されて考察に集中できそうだと思ったんです。ところが、私よりはよほど仕事が速いのですが……結局、自分であれこれすることに。仕事から帰ってきて、やたら伸びてるスレを読む(やっぱり面白いから)と、いつもの就寝時刻。ありゃ?
記録の方が非常に頑張ってくださっているので、基本的には情報収集の方は安心なのですが、たろたまのログをGoogleから拾おうなんて話題がスレで挙がっていて愕然。そんな事態になる前に誰かがログを取っておいてくれるだろうと思っていた私が甘かった。それ以降、なんだか心配性になっていたりします。関係ないですが、「プリシラ公園」は2月2日正午頃の状態を全部転載してます。昔の日記など読めますので、ご参考まで。
そんなわけで、ちょっと平日は考察を書けそうにもなくって、このところはぼんやりと資料集めと資料読みばっかりやってます。
考察サイトの方も私のような社会人なのでしょうか。それとも国立大の学生? 私立大の学生さんかと思っていましたが、なかなかお忙しい様子。社会人の方だと今のペースについていくのは荷が重いと思うのです。私などはとろいものですから、たった1ページのサイトを更新していくだけで手一杯。あの長大なサイトを作るのはたいへんだと思います。ひとりでつらいようでしたら、どなたか(なるべく試験が終わって春休みに突入している私大生)と共同作業をはじめられてはいかがでしょうか。
てなわけで、だいぶ書き直しました。
贖罪と赦免について考えるのアップロードに1時間以上かかるようになってしまった。AirH"32Kでは連日の全面リニューアルはきつい……。今日の更新でだいたいもうよしとしていいんじゃないかと思います。
明日あたりから、考察をまた書き始めようかと。謝っても許してもらえない状況、パート2が展開中でもありますし。
「俺ニュース」で当サイトで紹介した記事が紹介されてます。スペースシャトルの事故には思うところがたくさんあって、とくに爆発したコロンビア号には多くのエピソードがあって、そのひとつを2月2日の備忘録で取り上げていたんです。
けど、その後についつい手を出した「跡地の件」関連の大量更新にうずもれちゃってたんですよね。あー、誰もスペースシャトルの事故関連の記事なんか読んでくれやしないんだろうな、と思ってたんです。でも……読んでくれている人がいた。「俺ニュース」の管理人さんが、読んでくれてた。嬉しかったです。本当に嬉しかった。たぶん、他にも読んでくれた方はいらっしゃるのだろうと思う。みなさん、どうもありがとうございます。
コロンビア号関連の情報は、今、「俺ニュース」で大量に紹介されています。関心のある方は、どうぞそちらへ。私の紹介した記事もそちらからどうぞ。たぶん、2月2日の備忘録を探すより効率がいいと思います。
大勢の方に読んでいただいた2月2日の備忘録は、備忘録archiveの03.02.01-02に収録されています。興味のある方は、そちらをご覧ください。
ところで、2ちゃんねるでくりかえし贖罪と赦免について考えるをご紹介くださっている方がいらっしゃいますが……。たいへんありがたいのですが、私は最近の動向にはあまり興味がなく、したがって資料もろくに取り揃えていないことを心苦しく思っております。紹介するならば記録になさった方がよいかと思います。昨日まではそっけない状態でしたが、今日の昼頃にリニューアルされて非常に利用しやすくなりました。今晩中にも立てられるだろう次スレの冒頭では、考察と並べて紹介されるべきだと思います。
全面的に書き直しました。ただ、2ちゃんねら謹製の考察サイトが既にスタートしております。ヲチのセンスを押さえた記事をお望みであれば、そちらに期待されたほうがずっと賢いかと思います。なお、私がやりたいのは別にノンフィクションを書くことじゃないので、とくに記憶の薄れないうちに書こうとか、そういったことは考えていません。今後、何事かが起きたときなどに、そういえばこういうことがあって、みたいな形で更新を重ねていこうかと思っているわけです。ようするに、あまり更新されません。
サイト名を変えようかと。「'02初級Webサイトデザインアドバイス」から「初級Webデザインアドバイス」まで短くしたけど、もっと短くしたい。というわけで。
たぶん、「趣味のWebデザイン」になると思います。どうせそのうちにまた変えるでしょうから、リンクの書き換えなどは不要です。あ、でも、リンクやブックマークをするURI について、サーバ名がwww2 になっていることをご確認ください。この機会に、それだけは確認してほしいです。サーバ名がwww やinfo でもつながってしまうのは、サーバの設定を業者がミスしているためです。予告なく、この設定ミスは修正される可能性があります。
騒動について書いた小論は、2003年の主要記事へカットアウトしました。
まあ、徳保をこの界隈の一員としてヲチするのも一興か。せいぜい粋がって自滅しな。
とっくに何度も自滅しておりますので……。遠からず、この界隈の一員として
あらためて自滅すると思います。私はいささか学習能力に欠けているんです。ビギナーズラックがいつまでも続くと思ってしまうわけです。
というか、私の記憶が正しければ、「愉快な神父さん」に言及して自滅してからまだ2ヶ月も経っていません。デビュー戦が敗戦なのです。それなのにビギナーズラック(テキストサイト風の運営はやってて楽しいという錯覚)を信じているのが私です。どうしようもないバカなのです。でも、たまに面白い文章が書けたら(そのときはたぶんどこかのサイトが取り上げてくれるので)みてやって下さい。たまたま最近は毎日更新ですが、基本的に不定期更新なのでよろしく。
私は自分自身が怒りっぽいことにも最近気付いたくらいの鈍感さなので、他人が怒っている理由もよくわからないことが多い。ダークマターの取り上げない系統のサイトで、ちょっとした騒ぎが起きているのだけれど、どうなんだろう、これ。というわけでメモ。ログを取って、後でゆっくり考えることにする。
私はかつて宇宙開発にかかわる技術者になりたいと思っていた。チャレンジャー号の爆発以降、宇宙開発は長い停滞期に入っていたのだけれど、高校時代まで私は他の進路をまじめに考えたこともなかった。科学技術が人間を滅亡へと加速度的に追いやっていることは十分にわかっていた。しかし人間はそれでも科学技術から逃れられない。ならば私はむしろ科学技術を極めて最も人間らしく生きてみたいと思った。科学技術の頂点は何か。それは宇宙開発だ! だから、宇宙開発に憧れた。
スペースシャトル1号機、それがコロンビア号だ。世界をリードする米国による現代の宇宙開発の象徴。向井千秋さんが1994年に、土井隆雄さんが1997年に搭乗した機体。
スペースシャトル・コロンビア号は18世紀のアメリカ人、ロバート・クレイの帆船(はんせん)にちなんで名づけられました。帆船コロンビア号は現在のカナダ南西部やオレゴン州周辺を航海し、1600キロメートルもある川を発見しました。これが現在のコロンビア川です。また、アポロ11号の司令船も帆船コロンビア号にちなんで同じ名前がつけられています。「コロンビア」とはアメリカ合衆国そのものをさす名前で、それは15世紀の探検家クリストファー・コロンブスに由来しています。
そのコロンビア号が、大気圏突入に失敗した。機体の破片はテキサス州および他州に飛散したという。なぜだ? 初のイスラエル人宇宙飛行士が搭乗しているので従来になく周到な準備が進められたミッションだったのに。誰も油断などしていなかったはずなのに。
コロンビア号は20年以上もミッションをくり返してきた機体なので、数え切れないほどのエピソードを持っている。その機体が、もうなくなってしまった。7名の命とともに。宇宙開発に、また冬の時代が訪れる。
大寒を過ぎて冬眠から覚めたようです。たった数文字でも重みが違うぜ!!
と早速盛り上がっています。さすがとしか。(関連スレ,獄スレ,脳死スレ)
……うちは別にニュースサイトやってるけじゃないけど、せっかくなのでダークマターの先を越してみた。(5:13)
このサイト、なんと転載OKだそうだ。雑学のページがすごく気に入ったので、ぜひ当サイトに転載したいと思った。でもよく考えてみると、今後もどんどん更新されていくわけだから、やっぱり更新が止まるかサイトが閉鎖するかしないうちは転載してもあまり意味がない。とりあえずメモ。ブックマークにも入れておくけど、ブックマークは何かっていうとすぐ整理してしまうからなあ。
ちなみにこのサイトが面白いよ、という情報はモンモン→かーずSP→エロチック街道→迎賓館裏口という流れで私まで伝わってきた。所要時間2日ほど。
ロジックを武器にエンターテインメントを構築するテキストサイトというと、私はブルーゴーストップを思い浮かべる。しょっちゅう閉鎖と移転再開を繰り返している印象があったけれど、あらためて調べてみると、どうもそれほどでもなかったような感じ。
先月23日にスタートしたばかりのサイト読みサイト。精力的に更新されていて、今後の持続次第では化けるかも。速報性よりもていねいな情報収集を目指しているように見えることに注目したい。ただせっかくならろじぱらがYahooディレクトリに登録された件については、ちゃんとオンラインエッセイ > 日記ディレクトリを紹介してくれたらよかった(探す手間が省けた)のに。でもまあ見事に一番最後に追加されてて、なんだか笑えたのでよしとするか。
という話とは関係ないのですが、親サイト(?)の「昨日とは違う今日に戸惑いながら僕は歩いていた」の表紙デザインは面白いのだけれど、開いたNewsをまた閉じられるともっといいのに、なんて思いました。広げたものはしまいたい性格なので。
これは「t_time」の内容とはまったく関係ない話ですが、テキストサイト系テキストサイトって言葉は長々しくて私は好きじゃなかったりします。サイト読みサイトと呼べば文字数半減で効率いいと思うのですが。ダサいからダメ、なんですかね。
アクセス解析の結果をどう更新に活かすか、という話。今回は一般論ではなく、当サイトの場合について。
利用者のUAが圧倒的にIE6だったのには苦笑。StrictなHTMLで書いているサイトはふつう、もっとMozillaの利用者が多いものなんだけど、Mozilla利用者が新しいバージョンを好むという事実を知らなかったのが痛かった。私はずっと和じら1.1を常用ブラウザとしていたので、新しいMozillaではデフォルトのCSSが致命的な問題を起こしていると知らなかった。Mozillaは大丈夫だとたかをくくっていたわけ。もったいないことをしたと思う。道理で、先般のCSS談義もほとんどのサイトでスルーされたわけだ。まあ、CSS切ってまで読んでくれないということなんだな。
私もそろそろ和じら1.1からMozilla1.2.1あたりに乗り換えようと思っていたところだったので、応急処置として固定メニューを廃止。でも私は固定メニューが好きなんですよね。IE6でもMozilla1.2.1でもほぼ問題ない形で固定メニューを実現する方法の実現に頭を悩ませたけど、やっぱりCSSを振り分けるしかないか、ということに。あれほど批判していたのに、とうとうやってしまった。我ながら無茶苦茶だなあ。いくらなんでもそれはないだろう、と自分でも思います、ハイ。というか、IE6を私が使っていなきゃいいんだけど、Sleipnirというタブブラウザがなかなか便利で、結局手放せない。すると、自分の環境では一番自分好みのCSSを適用させておきたいな、という欲が出てくるわけで。逆に自分の使わない環境では固定メニューにする必要がないから、OperaもMac環境もみんなまとめて堅実な闇黒日記のCSSを適用させた。
さて、Macからのアクセスが少ないのも残念。アクセシビリティー云々といっているからには、せめてMacのシェアと同等まで回復させたい。安定版以外のMozillaで見られない時期が長かったから、現状は当然の帰結。地道に信用回復を目指すしか……。音声読み上げブラウザへの一層の対策として、ナビゲーションリストにtitle属性を記述。これは単なる作業のついでというか、おまけ。
検索ワードも面白い。「Web」と「デザイン」に集中し、「サイト」がそれに続くという状況。「初級」と「アドバイス」でくる客はほとんどいない。「'02初級Webサイトデザインアドバイス」で半年くらいやっていたけど、これは長すぎると思って短くしたのが現在のタイトル。でも「Webサイトデザイン」にするべきだったなあと思う(さすがに恥ずかしくてできなかったというのが真相なんだけど)。これを今から変えるのはまた面倒だなあ。いや、私の手間は少しだけど、リンク先への迷惑が……。ううむ。それにしても、HTMLやCSSの記事に比べてデザイン講座が圧倒的に多く読まれている理由がよくわかった。タイトル中にある単語はデザインだけだもんな。でも、アドバイスの記事はたくさんあるけど、デザイン講座の記事は3つしかないんだから、当面、タイトル変更はしない方がいい(その方が訪問者に誠実だ)と思った。
最後にリンク元なんですが、案外当サイトをリンクしてくれてるサイトは多いんだな、と思いました。それは本当に嬉しいのですが、URIを間違ってるサイトが非常に多いのは残念無念。http://www2.loops.jp/~hkt/design/が正しいのですが……。wwwやinfoでも表示できてしまうのですが、これは本来は不正なURIなので、サーバーの運営会社が管理をきちっとするようになったら、そのURIでは当サイトへアクセスできなくなります。ご注意ください。それに、CSS切替のCookieもwwwだと効きません。なのでリンクはなるべくwww2でお願いします。あと、ブックマークも。
初級Webデザインアドバイスの徳保氏が、かおなしと迎賓館裏口の論争に対して言及。「かおなし」ナカムラ氏が主張するテキスト系ニュースサイトへの捉え方に対し、手厳しい批判を展開しています。ただ、ナカムラ氏は当該文章を削除している事もあり、新たな論争に発展するのかどうか、微妙なところです。(02/01/04:00)
誤解があるようなので、念のため。
たしかに30日の「検証」と題された長文は削除されました。私はそれも保存していますが、そちらにはあえて言及しませんでした。私が意見したのは、すべてログページで現在も公開中の記事に対してです。