……。
気持ちの問題というのは、結局のところ理屈じゃない。じゃあ理屈は無意味なのか。ところが、そうでもない。「形から入る」ことがしばしば技能向上のよい方法であるように、「理屈で攻める」ことが問題解決の突破口となることは少なくない。だから、私は理屈が好き。
備忘録の文章は、適当に書き飛ばしたものを少しだけ修正して更新しています。ここ数日、この修正作業がものすごく面倒に感じられるようになってしまって、これはどうしたことかと鬱々としているうちに、そもそも文章を書く意欲も減退してきました。眠い。
今日も仕事、明日も仕事。電車が空いていて、朝から席に座れるので嬉しい。
当サイトの記事で役に立つものがあれば引用か転載をしてください。そうすれば、当サイトの閉鎖やログの削除なども心配せずにすむでしょう。リンクによる参照は、当サイトの場合は非推奨です。備忘録に記事毎のアンカーがほしいとか、その手の要望に便宜をはかるつもりはまったくありません。私自身が必要としない限りはずっとこのままです。
なんでうちのサイトが紹介されているんだろう。何の追加情報もなかったんだけど……。まあいいか。
よくわからないといえば、みみむBBSでの紹介のされ方も謎。私は、サイトで勝手に音楽を鳴らしてもいい、という意見なのです。なんでそれをダメと説明しているサイトの仲間にされているのだろう。
基本的に、勝手に音楽が鳴るようなUAは、音楽を無視するようにも設定できます。世界中のすべてのサイトから音楽の自動演奏を排除するなんて不可能です。閲覧者が自分好みにUAを設定し、音楽を無視する方がよほど確実で理に適っています。「会社でいきなり大音量の音楽が鳴ったら困る」「深夜に音楽の鳴るサイトを訪問すると吃驚する」「私はCDを聞きながらネットサーフィンしているので、サイトでまた音楽が鳴ると音が重なると不愉快だ」などとよくいわれるわけですが、いずれも閲覧者が自らのバカさ加減をカミングアウトしているだけの話。サイトで音が鳴ったら困るとわかっているのだから、ボケっとしていないで、さっさとUAを設定すべきなのだ。
リンクターゲットの話との最大の違いは、それを無視できるかどうかという点です。音楽は、閲覧者の側でシャットアウトできます。しかしtarget="_blank"とされたら、絶対に新しくウィンドウ(あるいはタブなど)が開いてしまいます。(というか、そうでなかったらリンクターゲットなんてのは意味がないということになってしまう)
音楽を鳴らすとか、くだらないJavaScriptをたくさん使うとか、文字サイズを固定するとか、そんなのは管理人の自由でいい。どれもくだらないことだけれど、UAにはちゃんとそれらを無視する機能がついています。逆に、無視する機能がついていないUAはそもそもそれらの特殊効果に対応していないから、もっと安心です。閲覧者がもうちっとばかし賢くなって、管理人に自由にさせてやったらどうかと私は思う。
HTML文書というのはあらゆる環境で利用されることを想定しています。それゆえに、「ベストな表現形式」が存在しうるという発想を、そもそも否定しています。だから閲覧者の側で文書の表現を制御して、各人が自分の好きな表現形式で文書を利用しましょうね、という仕様になっているわけ。そこのところがわかっていない人が結局、くだらない自由の制限を押し付けた挙げ句に、視覚系UA以外では意味のないテーブルレイアウトなんかを平気な顔でやり始めるわけです。
自分のお望み通りの、ベストな表現形式を閲覧者に押し付けて、閲覧者様はそれをそのまま利用しろという製作者の不幸。閲覧者に文書の表現形式を勝手に変えられては困るという発想があるから、製作者の側であれこれ考えをめぐらして表現形式の最適解を見つけようと不毛な努力をくりかえす。それで音楽はダメ、JavaScriptはダメ、という話になる。自縄自縛に陥った挙げ句、じりじりと状況は悪化するばかり。
画像が多すぎるサイトは、画像オフで閲覧すればいい。音楽のうるさいサイトは音楽を切って閲覧すればいい。JavaScriptでエラーが生じるなら、JavaScriptなど使わずに閲覧すればいい。選択権は閲覧者にあります。だから製作者は足枷を外し、閲覧者に問題への対処を丸投げしたらいいのです。閲覧者が主体性を持つようになれば、逆に製作者も本当に賢くなっていくでしょう。画像オフでも情報が伝わるためにはどうしたらいいだろう? とかね。いまはまともに考えている人が非常に少ないアクセシビリティーの問題などについて、みんなが考えるようになります。
……とはいうものの、しょせんこれは夢物語。享楽的な大衆はいつまでたっても文書の表現形式の制御を主体的に行おうとせず、それゆえに今後もバカな製作者に悩まされ続け、文句たらたらの生活から逃れられないのです。文字が小さいといっては文句をいい、音楽が流れるといっては文句をいい……。誰もが納得するデザインなんて、ありはしないのですから。
えーと、私はようするに、政治の問題について書いているわけです。みんな死ぬまで「政治家はダメだ、官僚もバカばっかりだ」といい続けるといいと思います。そしてじわじわと不幸になっていくといいと思います。
このところよく読んでいるサイトを個人的リンク集に追加することにした。わざわざ2、3日前のアクセス解析結果から辿るのはバカバカしい。
神岡日記は正直いってxenoglossiaの頃よりずっと面白い、と私は思う。関係ないけど、Beltorchiccaは何度読みにいってもたいへん面白いのに、なぜか2日続けて見る気にならない。どこかで「Beltorchiccaで拾った記事です」という紹介があったときに、ふと気が向いたら見にいくだけ。何なんだろうな。私の場合、そういうサイトが山ほどある。そんなこんなで、私の巡回先もブックマークもちっとも増えない。
私のはまりサイトは個人的リンク集の後半部分なのだけれども、あらためて考えてみると、とくに他人様に勧めたいと思うサイトってのは皆無に等しい。ようするに何がいいたいのかというと、Beltorchiccaはお勧めだということなのです。私は月に一度くらいしか見ませんが。
「何々というサイトが好きだ」という記事はよく見かけるけれども、「何々というサイトが嫌いだ」という記事はあまり見かけない。サイトでさえなければ好き嫌いみんな書くのにね。おかしな話ですよ、これは。嫌いなら見なきゃいいのに、という屁理屈が通用するなら、芸能人の悪口やら、つまらないテレビドラマへの文句やらも書かなくたってよさそうなものだ。
というか、共産党嫌いの私は共産党万歳の記事を読むとムカムカするわけで、「好き」という記事が平和的なものとは限らないというか、「嫌い」といわなければ争いは起きないかのような勘違いはどうにかしてほしいとか時々思ったりする。ネットマナーとやらを説くサイトでときどき、笑顔の顔文字がかえって人を怒らせるという事例が出てきたりするのだけれども、これはなかなか示唆的な話だ。
私はcimさんのインタビュー記事を、毎回熱心に読んでいるのだけれども、どうにもこうにもcimさんの顔文字と文体には苛立ちを押さえきれない。まあこのムカつき具合も含めて私にとってはエンターテインメントなので、cimさんは今後もにこやかにインタビューを続けていってください。
怒りながら読むという楽しみを理解しない人は、たぶん好きなプロ野球チームがないんじゃなかろうか。バカなフロントと変な監督が無茶なことをやって、チームはいつまでも低空飛行。稀にやっている中継の際にはいつもムカムカするのだが、それでも何となく放送時間の最後まで付き合ってしまったりする。ところが今年は微妙に勝ちもせず負けもせずという状況。なんだかなあ、と興が削がれたような感じがする。(参考:千葉ロッテマリーンズ)
成田市長選挙は小林攻氏の辛勝。最有力候補と目された小泉一成氏、まさかの敗退。
小泉さんも悪くはないけれど、私としては小林氏の勝利に万歳といいたい。3回連続次点。4度目の正直。映画や小説では当選したところで大団円だろうが、現実は厳しい。不屈の闘志が虚しく潰えなかったこの珍しいドラマは、いよいよ肝心要の4年間を迎えることになる。
おはようございます。
アドバイスのログなどでちょくちょく書いているのですが、アドバイスを依頼されてサイトを見にいくと、なんでこんな馬鹿なことをするんだろう、と呆れることがしばしばあるわけです。それはもちろん、本当に何も考えていなくて、何となくそうしちゃっているというケースが大半です。でも、ときどきそうじゃないことがあるんです。私が、これはちょっとどうかと思うので、こういうふうに作り変えてみてはいかがですか、とお話すると、「じつはこういう理由がありまして」と返信のメールをいただくことがあるわけですよ。
最近ですと、SBさんの段落に対する考え方なんかがそうですね。私はHTMLの仕様にしたがって段落はp要素としてマークアップしてはどうか、そうすればリニューアルの際に云々とお話したわけですが、SBさんはさすがに考えなしにbr要素を使っていたわけではないのでした。(参考:HTML打ち直しについて)
というわけで、SITE×BLUEの更新には期待大なのです。あれ?
余談。ねむ猫太郎さんは会社では中堅といわれる世代の方なんですけれども、たぶんほとんど気付く人はいないんじゃないかな。テキストサイトが若い人中心の世界になっているから、という理由があるのだろうけれども、私の場合はとくにお断りがなければみんな20代前後の方が書いているような気になってしまいがち。ネット利用人口は10代より50代の方が多いという事実は知っていても、ついつい……。いけない、いけない。(参考:2003.2.15 超能力テレパシー)
迷ったけど、ついでに書いてしまおう。大学生や高校生のネタ系テキストサイトって、やっぱり多くの場合、子どもっぽい仕掛けにあふれているわけですよ。で、そんな彼らが学校を卒業してどんな日記を書くのかな、というとあんまり変わらないというか全然変わらないわけです。子どもっぽい感覚みたいなものが消えていくのって、どういうきっかけがあるとそうなるんだろう、と思う。
中略
というわけで、親父ギャグというのは中高年の方が口にするからそういわれるのであって、じつはそのセンスは若い連中と何も変わらないような気がします。蛙の子は蛙。おたまじゃくし、という答えもありますが。(意味不明)
ZDNNのブラウザ10周年」シリーズが完結したんですね。興味深い記事だと思いました。とくに最終話は必見かも。
本日の更新はここまでです。
テーブルレイアウトに可能なことは、全部CSSでも(仕様によれば)再現できます。だから、見栄えの指定はすべてCSSにわたして、HTMLはStrictなものにしていこうよ、という話をするわけです。しかしこれに対して、例えば角丸テーブルはStrict+CSSデザインでは真似できないじゃないか、という意見があるわけです。私はここで、ううむ、と悩んでしまいます。
テーブルレイアウトをわかりやすく使いやすいと思う方が多いのは、HTML文書としての妥当性について端っから問題としていないからです。その意味で、Strict+CSSデザインと比較して制約が非常に少ないといえます。CSSでもたしかにテーブルにできることのひとつひとつは真似できます。いざとなれば絶対配置などを駆使すればどうにかなるわけです。けれども、StrictなHTMLにこだわろうとすると、いささか話が面倒になります。はっきりいって、できないことだらけとなっていくのです。
見た目のためだけのimg要素も内容のないtd要素も使いまくる、HTMLの理念を無視して見た目ばかり追及するのがテーブルレイアウトの発想です。StrictなHTMLであれこれの利点を確保しつつ、見た目でも全面的に勝とうとするのは無理があります。9つのtd要素を駆使する角丸テーブルを、p要素一つをCSSで装飾するだけで再現できるほど甘くはないわけです。背景画像を複数指定できればよい、という意見もありますが、その場合、背景画像の順番を指定することも必要ですよね。これはなかなか難しいものがあると思います。
まあ、ひとつのHTML文書であらゆる環境に対応しようというそもそもの発想に問題があるのでしょう。それは夢のような話であり、現実には人々の欲求をうまく吸収できなかったわけです。目が見え、パソコンを使いこなせる人のほとんどは、結果としての見た目ばかりに注目します。だから、StrictなHTMLにこだわれば、基本的に角丸テーブルは再現できませんよといわれたら、じゃあテーブルレイアウトでいいや、と思います。
結局、企業サイトなどはサーバ上にXML文書をおき、リクエストしてきたUAで条件分岐して、それぞれに最適化したHTML文書を送信するのが標準的な形になっていくのだろうと思います。IEなら見た目だけを考えたテーブルレイアウトでいい、音声系UAにはStrictなHTMLで記述された文書を出そう、とかそういった発想。素人はなかなかそんなの真似できませんから、これまで通り自分の想定する読者層に特化したHTML文書を作成するのでしょうね。つまり今後も、見た目第一でおかしな記述がいっぱいのHTML文書は減らないでしょう。
この記事を読みつつ、ふと思ったことを書きました。CSSは既に普及しまくりですけれども、HTMLの理念を踏まえた正しい使い方ってのはいつまでたっても大して広まらないだろうなあと思います。
国立国語研究所が第1回「外来語」言い換え提案を発表しました。
言い換えの具体例は概ね納得のいくもので安心しましたが、私が面白いと思ったのは各外来語の定着率についてデータが示されたことでした。ちょっと言葉を知っている人は、あれもこれも常識じゃないのか、と思ってしまいがちなものですが、実際にはそうでもないわけです。みなさん、ご存じでしたか、インターンシップという言葉の意味するところを理解できる人は、4人に1人もいないのだそうですよ。
わかったような気になっている外来語を、独力で適切に言い換えられるかどうか。私もちょっと挑戦してみましたが、これがなかなか難しい。一度自分で悩んでみると言い換え例がよくできていることに気付かされます。アセスメント=影響評価、キャピタルゲイン=資産益とか、サーベイランス=調査監視など、我ながら基本的なところから既にわかっていないという事実を再認識させられガックリ。よく目にし、耳にする言葉であっても、じつは世間の一部の人しか意味がわかっていない(じつは自分もわかっていない)言葉ってのはこんなに多いぞ、ということで、皆さんも一度ご覧になることをお勧めします。
ただちょっと冷静になって考えてみると、外来語だから理解度が低いというよりも、言い換えてみても理解度の低そうな言葉がけっこうあるわけです。ちょっと学力レベルの高い高校へ入学すると高校卒業後に進学するのが当たり前だと錯覚してしまう、ちょっといい住宅街で育つとファミコンを買ってもらえない家は悲惨だと勘違いしてしまう、といった環境由来の状況認識の誤りはよくあります。言葉をいくらかよく知っている人に囲まれている方はとくに、この報告に注目されるべきです。言葉が通じないというか、そもそもある種の概念を理解していない人がどれほど世の中に多いか、その現実を知っておくことは重要ではないでしょうか。
ところで、さすがに国立国語研究所のHTML文書は、それなりにまっとうなものですね。
ギャラリーによる感想戦をお楽しみいただけます。当サイトのマニアックな読者は必見。
飲み過ぎた。体調悪。
ズームインやとくダネ以外の毎朝の楽しみがあるという事は嬉しい。
という一文に興味を持つ。とくダネを見られる社会人ってどんな感じなのかなー、と思う。工場勤務などならば遅番があるけれども、rougeさんは営業職だからなあ……。私の会社にはテレビもラジオもないのだけれど、それがむしろ珍しいことなのだろうか。とか何とか思ったりした。
今日のスカッとするニュース4/24
裁判なんて。
首輪いろいろ。過去ログも地味に面白いと思います。
また、「安打」と「ヒット」は同義語なのではないこともキモに銘じておきたい。[hit a hit] とは決して言わないのは「胃痛が痛い」「安打を打つ」ほどに奇妙な表現になってしまう。[hit] したら[a base hit]にも、あるいは[a foul]や[a home run] になることもあるワケだ。その意味では、日本の野球用語に「1塁打」という表現は作っておくべきだったと思うが、どうだろう。
ミキオ・Eさんは単打という言葉をご存じないらしい。この記事はベイスボール・マガジン社「月刊メジャー・リーグ」連載中
のものを転載しているのだそうだが、編集者がこの原稿をそのまま通したことが不思議でならない。
とはいうものの、Baseball English Jam 〜体験的英語語実況スタジアム〜は全体として、かなり面白い読み物だと私は思います。ただ、この記事の筆者は単打という言葉を知りませんよ、ということ。
以下は余談。
スポーツ競技を見るのは大好きだけれど、英語にゃそんなに関心はない、というのが平均的な日本人だとすれば、例のバレーボール の「バレー」とテニスやサッカーなどでよく耳にする「ボレー」がまったく同じ「volley」だと知って腰を抜かすのではないかいナ。
記事の中に解説がないので補足しておくと、volleyは一般に一斉射撃の意味で使われるけれども、「宙に浮いた状態を維持しつつ(つまりノーバウンドで)打ち返す」の意味がある。なるほど、バレーボールはまさしくvolleyballなのである。(ううむ、ということは蹴鞠の英訳もvolleyballなのかな→答え/おまけ)
このソフトの普及を心配している方がいらっしゃるわけだけれども、3400円を払う人だけが使うのだから、別にどうってことないんじゃないでしょうか。ほとんどのサイトは今後もずっと、ローカルで見られますよ。でまあ、これを使う人はよっぽど何か切迫した事情というか、思いつめたものがあるのでしょう。そういう方はきっと今でもあれこれトラブルを起こしているのだろうし、こんな方法である程度でも未然にトラブルを防ぐことができるのなら、世界の平和のためにもいいのではないかと思います。
みけさんが寝込んだのが19日。憲五さんは風邪治ったみたい。そしたら今度はしろくまぱんださんが風邪ひいたという。おーい。
まあしろくまぱんださんはこのところ食事控えめだったので、それで体力が落ちていたのではないかなあと思います。
興味深いリンク元など。
神岡さんの記事についてだけ補足。私は男爵芋の更新を読んで、こういうくだらない意見ってのは尽きないものだよなあと思いました。なので、神岡さんが感銘を受けているのを知って意外な感じがしたと、そういうことです。よくわかりませんが、神岡さんの巡回日記からは毎日数人、お客様がいらしてます。CSSに興味のある方が多いのかな。
「スタイルシートWebデザイン」のHTML文書化ですが、リファレンスである第5章と第7章で足踏み中です。この2章だけは作業がつまらないので……。もうひと踏ん張りなのですが。
今晩の更新も、これでおしまいです。
あれこれやっているサイトですが、私はテキストサイトの管理人さんへのインタビューだけ読んでいます。断られることが多いなんて書いているのだけれども、まあそうかもね、と思った。たいていの方は、インタビューされるほどの大物じゃありませんよ、という謙遜の気持ちから断るのだろうな。私の場合は、以下の条件が満たされればインタビューを断りません。
というわけで何か聞きたいことがある方は、インタビュー(というかチャット?)を申し込むといいと思います。もちろん、答えたくないことは答えませんのであしからず。
はてなダイアリーへの批判、あるいは悪口は、CSSコミュニティー(の一部)がしばらく前に通過した道です。例えば、闇黒日記の過去ログにもちょっとその手の話題があったりします。はてなダイアリー批判を読みたい方は、そっち方面を探すと効率がよいでしょう。
朝から吃驚。(リファラに引っかかった)はるのネット一人旅→気分屋→堕天使と読み進めたところ、アレッと思う一文がありました。そこで気になるリンクの上へマウスカーソルを合わせてみたら。
テキコン地方予選で同組だったPAPERCUTのレンジさん(角刈りの人)が、あのレンジさんだったとは全然知りませんでした。いや、だって「その方面」で話題になっていなかったから……。レンジさんのサイト、背景が黒かった頃はよく拝見しておりました。
わたしにはPNG形式にしたあとのアウトラインのギザギザの方が気になるです。
なるほど。それは意外な観点からの指摘。思いもよりませんでした。
塗りは鮮やかに。しかし輪郭はギザギザしないように……。
画像処理にはまる。本日の更新はこれでおしまいです。続きは明朝か明晩になります。
いや、前回よりは軽くはなってるよ。そんな徳保氏にイジワルしてみたくなり・・・さらに2〜3k軽く、線画からイジッテみますた。
- ttp://takashi.keddy.ne.jp/uploader/source/up0320.zip
アドレナリンの人ゴメンナサイ。当然無断転用なのでPASS付”tokuho”にて。
JPEG圧縮してしまった画像を軽くするにはやっぱり線画からいじらなければダメか……。
メモ:低機能なソフトで輪郭線をカクカクさせないよう加工するには→画像を縮小・拡大(アンチエイリアスON)
改善案、ニューバージョン完成。(16日の続き)
物凄く単純な勘違いをしていた気がする。自分は千人祈のコンセプトの矛盾やその実益の薄さばかりに目がいっていた。でもそんなことはハナから問題ではなかったのだ。賛同者がどう考えていたかは知ったこっちゃ無い。ただ千人祈は“1000編の反戦に関する詩を集めるという目的に対し5倍近くの成果を得た”ということなのだ(そしてただそれだけのことなのだ)。
なるほど……。都知事選の話を枕に千人祈について書いていらっしゃいます。この話題に興味のある方には一読の価値あり。ものすごく当たり前みたいな落としどころへと収束するわけですが、考え疲れた頭には心地よい着地点です。もういいやー、みたいな。
うーむ。考え方が変わったというよりも考えるだけの価値を見出すことすら出来なくなったというべきか。
なお、4月14日付の記事もたいへん参考になりました。「戦争に反対すること」と「平和を祈願すること」は一見同一に見えるが同義ではない。
というお話です。
ネット上に発言したことが、多くの人に見られる可能性がゼロではないというのは意識させた方が良いな、と。
いや、身近な人が痛い目にあわないうちは、言葉でそれを教えられても真剣になれないと思います。問題意識の共有が先になければならない、と書いたのはそのあたりの諦めを含んだ発言です。教育実習で実際に取り組まれたら、問題意識の欠如した相手に大切なことを教える難しさを、あらためて実感されることでしょう。
という小難しい話はともかくとして、4月19日の日記がとても面白かったです。閲覧履歴の存在を初めて知ったときの父親と娘、二人がエロ求めてネットして、お互い知っているんだけど知らない振りをしていた
というエピソードには吹き出しました。
このところ、毎日のように5人以上も3P経由でお客様が。私はリンク元サイトはほぼ確実に見るので、毎日のように3Pを読みにいっています。そうこうするうちにプロジェクトFからも毎日のように数人のお客様がいらっしゃるようになりました。こうしてテキコン人脈に組み込まれていくのだなあ、と思ったり。いや、どちらも面白いサイトですよ。とくに3Pは、はしのえみの肌のくすみっぷり
とか、地味な悪口がたまらない。
ちょっと他に書くところもないのでここで書いておこうかな。JavaとJavaScriptは別物です。JavaScriptを切るにはふつう、「スクリプトを切る」などのチェックをオンにすることになります。「Javaを切る」のチェックをオンにしてもダメなんです。MacIEでどんな表記になっているのだか私にはわかりませんけれども。
最期に、ふじぽんさんの更新を受けてちょっとだけ皇帝シューマッハーの話。
ミヒャエル・シューマッハーは幼児期をキャンピングカー生活の中で過ごした。父が腕っこきのレンガ職人で、各地の工場へと呼ばれては所在を移動するという生活だったのだ。ミヒャエルは4歳でカートをはじめ、めきめきとその才能を示し出した。父はレンガ職人の誇りを胸にしまいこみ、カート場の管理人へと転職してケルペン(ケルン郊外の街)に定住した。
孟母三遷というが、親の努力のほとんどは平凡な結果にしかつながらない。だが、それでも親は子どもに何かを期待し、自分の夢や誇りさえもどこかへしまいこむ。そうして凡庸の波間へと消えていった多くの才能の死屍累々の上に、皇帝ミヒャエル・シューマッハーは君臨している。
本日の情報所得元
とは何ぞや? てな話はさておき、サイトの閉鎖に関する記事としてはサイトの死が白眉。とにかく、ログはなるべく消さないでくださいよ、ということ。
デマゴーグマイルドが旧デマゴーグのログを公開しない理由は、現在と考えが全然違うからだそうです。けれども、当サイトのログだって現在と考えの違う意見がいっぱいです。それで何がいけないの。理由にならない理由で、ログの公開をストップされるのは残念。一閲覧者には何ともしようがないけれども、納得のいかない話ではあります。
hina_*さんが過去ログを消されたので、安心して私のサイトへリンクを張る初さん。統合失調症の話題について、参考になる記事など紹介されています。んー、またあらためてコメントつけます。ちょっと保留。
正論。更新頻度とアクセス数に比例関係は存在しません。もちろん、更新頻度と文章の質が比例するはずもありません。ただ、更新頻度の低下とともに文章が荒れだすサイトも少なくないですね。たぶんそれは、やる気が抜けていっているということなのでしょう。ひとつの事象にいろんな要因が絡んでくるので、なかなかこう、スパッと説明するのは難しいものですね。
うわ、みなさんこんな話題にも興味津々ですか。約2日で2000だったカウンターが50000overへと急進してますね。あれ? 5万!? 早急に対処すべき問題点についてメールを送ったわけですが、管理者もこの異常事態にはちゃんと気付いたようで、応急処置が取られています。掲示板で指摘が上がってから一週間弱、いまさらという感はありますが、それでも処置するに越したことはありません。
私もあれから小泉氏の市議会における発言を全部読破したわけですが、こりゃ選挙民も困るなあ、というのが正直なところ。小林氏との間で決定的な争点がないのです。感情的には、新市街を根拠地とする小林氏と旧来の参道商店街を根拠地とする小泉氏の対決というのは非常に象徴的なのですが、実際そんなのは危急の問題ではないわけです。やはり重要なのは空港であったり、基本的に市政の柱を保守に置くか革新に置くか、そして合併問題に対するスタンスですね。肝腎な点で主張がほぼ同じ2候補から1人を選ぶ選挙、じつに有権者泣かせです。
私は小林氏を一応推しますけれども、小泉氏でもいいと思う。まあ、今回また落選したら小林氏の人生ってなんだったんだろうという感じがするのですが、それもまた人生、と諦めていただく他ないのかもしれません。でもなあ。小泉氏は私の高校の先輩でもありますが、あと4年間、市議を務めてもよかったんじゃないのかなあ。とはいえ小泉氏は今回の最有力候補。若くして時流をつかんだ小泉氏の才覚こそ、市長にふさわしいのかもしれません。でも小林市政を一度見てみたかったなあ。(もう負けた気分)
話を冒頭の話題に戻しますけれども、5万って何ですか。一体、何が起きたんでしょうね。
おはようございます。
あはは、日月(たちもり)さんは大袈裟だなあ。長い長い経緯説明を全部転載してくださいというお話なのですが、長いのは私の文章だけで十分だと思います。というわけで、話を端折ってご紹介。
痛管がわからなくて、人に訊いて探しまくってしまいましたよ。まだ見付かってないけどもう良いや。
(ばっさり中略)
何処で誰の対処が悪く、こんなことになったのかは明白です。
わたしが人に嫌われる性質であるという根本はともかく、2の時点でわたしが黙殺するか、せめてメールででも問い合わせればこのようなことにはなりませんでした。
(またもや中略)
様々な人の色々な思惑が絡んでこんなことになってしまいましたが、諸悪の根源まであなたが引き受ける必要なんて何処にもない。慣れているという風に諦められるのは不快です。言葉を貸してくれ、の一言で済む問題を、自分1人で背負おうとする態度には涙流してぶん殴りたくなります。わたしがあなたに好意を抱いているというのはもうおわかりでしょう。そういう相手をどうして利用しないんですか。もっと効率を考えてくださると、わたしとしても助かるのですが。これは非常に身勝手なお願いです。見ていて痛々しいです。お願いします。
うっひゃあ、怒られてしまいました。お言葉に甘えまして、みんな日月さんが悪いんです、と書かせていただきます。(←超最低)
ところで当該の痛管スレは既に新スレに移行しておりまして、前スレは明日にもdat落ちするでしょう。これにて一件落着。めでたし、めでたし。
まあ、誰が悪いとかいう話ではなくて、しいていえば無知は怖いというのが教訓なのかもしれません。しかしながら、先頃の更新で書いた通り、無知というのは予防するのがなかなか難しいのです。だからみんな、失敗を繰り返しつつ、一歩一歩前進するしかないんじゃないのかな。
ところで、問題となったのは練習用のお絵描き掲示板でした。けっこうかわいい絵がたくさん並んでいたのですが、ああいうの、みんなきれいさっぱりと消してしまったんでしょうか。若い人はいいよね、これからもたくさん、新しく絵を描く時間があると信じられるのだから。100枚以上もの絵をね、あっさりと消してしまうなんて、私にはもうできません。
昔はけっこうもったいないことをしたなあと思います。美術部で1ヶ月、2ヶ月かけて板の上に描いた油絵を、「大きくて邪魔だから」という理由で切り刻んで、好きな部分だけ持ち帰って残りは捨てちゃったりとか。でもそれっきり、そんなに大きな絵を描く機会はありませんでした。
……とか書いてたら! らぢかる。は閉鎖ですか。そりゃないよ。できることなら、パソコンの電源を切ったら舌をぺろっと出して、新しい名前をつけて同じメンバーでサークルを立ち上げるといいと思います。そしてほとぼりが冷めた頃(10日後とか)に新しいサイトを開いてください。もちろん秘密で。
何はともあれ、言葉が通じないというのは寂しいものです。コントの台本なら笑えるオチがつくところなのですが。誰かオチをください。(日月さんのいう「あなた」が私ではなく、じつはasuraさんである、というオチはどうか。私は泣き面に蜂なんだけど、読者はワハハハと笑えて一件落着。まったく私はろくなことを思いつかない)
ペリー・エドワード・スミスは悪党仲間と一緒に中西部のクラッター一家を襲ったが、現金がなかったことに腹を立ててこれを殺害。絞首刑となった。彼は最後にこういった。
こんなふうに生命を奪うとは、とんでもないことだぜ。死刑なんて道義的にも法律的にもいいとは思えんね。おれにだって、人さまの役にたつようなところがあったかも知れない、何かしら役に立つところがな。自分のしたことを詫びても意味がないだろう。でもおれは詫びるよ。すみませんでした。
投票率が低い場合は組織票が力を……いや、何でもありません。
テキストコンテスト地方予選、滑り込みセーフでしたので、また何か書きます。小説を書くのは今回限りということで、次回こそはノンフィクション系で挑戦しようと思います。先月もそんなことをいっていたような気がしますがー。
えーとですね、結果発表を見るついででもなんでもいいので、第5組の投票もよろしくお願いします。いや、ホントに。何度もくり返している通り、全作品を最後まで読む必要はないし、感想を書く必要もありません。題名、あるいは1画面分くらいだけ読んで、面白そうなら最後まで読む。で、点数をつける。結果を送信。全部読んでも1時間、一部読むだけなら30分の手間です。というわけで、よろしくお願いします。とくに、地方予選参加者はちゃんと投票しましょう。
個人的には、予選第5組の読みどころはbe shot a headの20分で書いたという作品がどんなものか、というあたり。サイト当て、今回も密かに楽しみます。第4組はしょっぱなから狙っていたSBさんの作品だったんで、ガクッときました。デザインがサイトと同じって、そりゃないよ。考える余地なし、じゃないか。で、私はSBさんのやり方に勇気づけられたので、次回は当サイトのCSSをそのまま適用しまーす(嘘)。
SBさんが本当の空で予選第4組を1位通過。順当。あまりにも順当。でまあ、私は次点でくるのはスターライトバンビーナのマメさんが書いた高校教師〜思い出編かと思っていたわけです。BlackMilkの武内さんが書いたLineも気に入ったけれども、2位以内はわからんなあと。あ、あれ!? うわああ、更新終了ですか、武内さん。他に印象が強いのはTexterの天倉さんが書いた明日を生きる僕への手紙ですが、あまり多くの作品を取り上げるのも節操ないような気もするのでこの辺で打ち止め。
しかしあれですね、最高点が1点ですか。初さん、厳しいなあ。期待外れでごめんなさい。ちなみに私は自作品は当然、評価不能にしましたけれども、他は3点3作、2点4作、1点2作という感じ。私はいつもそんな配分でやってます。いや、そういうやり方したらさ、本当に超絶いい作品には何点つけるのよ? って話になるわけなんだけれども、そういう作品はまあ他の人も点を入れるだろうから、私が心配しなくてもいいんじゃないですか、ということでひとつ。(そういう話じゃない、といわれそう)
そういや千人祈のログを見たら、なんかメッセージ同士でケンカみたいなことになってて笑いました。これはこれで盛り上がって面白いなぁ。みんなも楽しみながら書き込みをしているようですし、戦争をダシにして大いに盛り上がった千人祈の企画は大成功ってわけですね(笑)
ううむ、やりあってますね。これを避けるために、一行詩というぬるい形式を指定していたのでしょうが……。もはや末期症状ですね。そろそろ店仕舞いした方がいいと思います。
18日の記事を宮本さんがご覧になったようで、私が意見した16日付の記事に関して、18日付であらためて1項を設けて追記が行われている。
何とはなしにホッとした一方で、好きで読んでいるサイトなのに、こうした粗探しみたいな形でしか言及しないというのもどうなのか、と我が身を振り返って暗澹たる気分にもなった。ああ面白いなあ、という気持ちは私の場合はどうしても惰性へ流れやすく、なかなか記事を書くにはいたらないのだ。
なんでだろう。でもまあ、面白いなあと思うたびに紹介の更新をするとなると、毎日のように紹介しなければならないわけで、それが10サイト以上にもなるともうほんとにどうしようもない。だから仕方ないのかもしれないけれども。しかしなんかこう、釈然としない。(もにょる、という言葉ばかりが頭に浮かんできて困った)
余談。宮本さんのテキストへの真正面からの批判として、SBさんの意見も参考になる。精神分裂病を統合失調症と読み替えたのは正しいのだ、という主張。私はちょっと疑問に思う。統合失調症というのは、精神の統合の調子がよろしくないという意味だから、同じことをいっているに過ぎないような気がするのだ。むしろ総合的な失調症と勘違いする人が増えそうで、なんだか気になる。
ところでSBさんは14日付の記事でテキコン地方予選に応募したテキストにものすごく単純だけど結構やばい間違いを発見した
と書いている。そうかそうかと思って注意深く読みなおしてみたら、該当箇所を発見してしまった。わははは。
私が育った町、成田市の市長選挙が公示された。最有力候補者は小泉一成氏、46歳。成田山新勝寺の表参道で旅館を構える若旦那であり、有力な市議会議員でもある。対抗馬は小林攻氏で、なんと市長選4度目の挑戦となる。かつての連続トップ当選議員なのだが、いかんせん10年以上ものブランクは大きい。年齢も60歳になってしまった。
私は小林氏を推す。成田空港建設を体を張って推進し、成田市の発展の礎を築いた功績と、経済発展により減税と福祉の充実を両立させた手腕を高く評価しているからである。しかし小林氏が市議会を去って以降、小泉氏が活躍して実績を積んできたことは衆目の一致するところであり、最近の有力者(例えば前新東京国際空港公団総裁や現国会議員林幹雄氏ら)が小泉氏を推すのは当然かもしれない。だが、私は小泉氏には不信感をもっている。
1979年(昭和54年)同大学を卒業し家業(成毛屋旅館)を継ぐ。妻 由美子と松山千春コンサートに行き、松山千春が叫んだ言葉『おまえら、明日の飯を食う心配が無いのなら、少しは他人のこと、世の中のことを心配しろよ』に衝撃を受ける。以後、仲間を募り、まちずくりの勉強会を積み重ね、まちずくり実践運動を展開する。
政治を志した動機が松山千春のコンサートである、というのは百歩譲って許そうじゃないか。だが、まちずくり
とは何だ。しかも二度も書いている。
また小泉氏の公式Webサイトには重大な問題が多々あり、掲示板で指摘されているのだが、ちっとも修正する気配がない。たぶん、Webサイトを作ったことも忘れているのだろう。
以上は瑣末な話を取り上げたわけだけれども、じつをいえば小泉氏の市議会での発言には納得のいくものが多い(小泉氏は保守派)。間の抜けたところさえ気をつけていただければ、小泉氏の当選は成田市にとって悪いものとはなるまいと思う。元社会党国会議員の前市長と比べればずっといいだろう。
私の記事が一方的なネガティブキャンペーン風になってしまうのは、その実、小林氏がWWWに何ら情報を公開していないという事情も大きい。政治活動の記録を公開している小泉氏は、その一点において、なかなか良心的な議員だと思う。
余談。革新派の前市長が選挙に出ないため、今回の市長選は保守対決となる。朝日新聞がこの選挙戦自体をくさすのも道理である。
私のはてなアンテナはプライベートモードにしてあるのだけれど、中身は個人的リンク集の縮小版です。例えば、ろじっくぱらだいすは入っていません。毎日更新されるのに、アンテナで追っかける必要もないので。リアル知人のサイトは基本的に入っていません。更新されてもたぶん読まないので。同様に、村時代からお世話になっているサイトも……。とかなんとか、そういう話をわざわざ書いておく必要はないような気がする。でも半年くらい経つと、自分でも忘れてしまうんですよね。なんで個人的リンク集とアンテナ登録サイトが対応しないのか、という理由。
ページが見つかりません
えーと、これで私は将来、弱いものいじめだとか、初心者叩きだとか、サイト潰しだとか、リアルタイムで状況を追いかけていなかった人にいろいろいわれてしまうのでしょうね。この件については、それなりに配慮と節度を保った対応を心がけてきたつもりなのですが。それにしても、これほどありふれた(という感じがする)ネタが痛管スレまで出張して紹介されるほどの情報価値をもっていたとは知りませんでした。
でも、今回は色々と考えることがありました。マナーと知識、絶対に必要なのに、あまり重要視されていないような気がするんですよね。小学校とか、自由にネットできる環境を作るんだったら、教えるべきことがあるはずなのに…。うーん。
リファラ云々とか、そんなことまであらかじめ教えるというのは非現実的だと思います。そのあたりは、必要に応じて、その場その場で知っていくことなのではないでしょうか。教える立場になって考えてみますと、やはり何ら問題意識を共有できない相手にリファラの説明をしてもどれほどの効果があるか……。
正しいHTMLの記述法を最初から実践する人がなぜこれほど少ないのか、あるいは初心者がなぜまともな解説よりも、くだらない解説に飛びつくのかという問題を考えるとき、問題意識の共有の有無という決定的な要因が浮かび上がります。私がCSSの実践的解説をリニューアル講座という形式で書こうとしている(そしてサボっている)のは、このためです。CSSとかHTMLの正しい使い方に価値を認めてもらうためには、リニューアルに苦労するという体験が必要なのではないか、と思うのです。
初めての「ほーむぺーじ」作りの段階では、いくら説明したところで、たいていの初心者は正しいやり方に見向きもしません。そして、いい加減かつ不合理だけど目先の目的を達成するには都合がよく簡単そうに思われる方法に心奪われます。それでは後々困る、といわれても理解しようとしないのです。まして、そもそもHTMLは情報の共有化のために云々と話したところで、まったく相手にされないわけです。
ソースがきれいで何の意味があるんだ? とバカにした風にいう方が世の中にはけっこういらっしゃいますが、もちろん意味があります。実利がちゃんとあります。だから私はきれいにソースを書いているのです。けれども、私が実利をどんなに一生懸命説明したところで、そもそも私のもっている問題意識に共感してくれない方には話が通じません。「で、それの何がいいわけ?」と話がループします。私の話が下手だというのは重々承知のことですが、リニューアルに散々苦労した経験のある方にはかなり話が通じるという事実には考えさせられるものがあります。
XMLについては、あくまでも末端のユーザとしてギリギリ最小限度のことを知っている(のかなあ?)という素人同然のレベルではあるわけですが、こうした記事を読むにはまあ支障ないわけでありまして。簡単に感想など。積極的にスキーマの不必要性を訴えるボヘミアンの発想には不安を覚えます。とはいえ、仕様でスキーマへの適合を必ずチェックさせるよう縛ってしまおうという貴族も、現実的な様々な問題を捨象しすぎ。スキーマ自体は(本質的には)なければ困るのですが、例えばスキーマが脳内にしかなかったりする場合には、計算機で適合をチェックすることは不可能なわけです。
XMLは個人レベルでも利用できる柔軟性を持った技術だというところにひとつの利点があるので、貴族の提案が通ってしまうことには不安があります。けれども、スキーマは明示してもしなくてもいいという現状に、なぜ貴族が満足できないのかという問題に目をつぶるわけにはいかないでしょう。結局、ボヘミアンがあまりにもスキーマなしであれもこれも処理しようとするものだから、スキーマを使った方が都合がいい場面であってもおかしな無理が通ってしまうという状況があるのでしょう。それで貴族はぶちきれて、仕様でスキーマを必須にせよというわけだ。
脳内スキーマは、何となく処理ができればいいやというレベルでは非常に便利だけれども、とかく他人様とデータをやり取りする段になるとそう簡単な話でもなくなってくるわけで。
余談。XMLがもたらす夢と現実はインフォテリア株式会社の方の記事。私はこのインフォテリアという会社にちょっといい印象があります。というのは、XSLTとXPathの仕様を翻訳されているから。できればこの調子であれもこれも翻訳してくれないものかなあと思うのですが、なかなかそうもいかないのでしょうか。(参考:XMLノート)
ところで、ogata.comの掲示板、初めて拝見しました。本当に朝更新しねますね
……いやいや、早起きは得意なので大丈夫ですよ。これくらいで死にはしません。ところで、私はもちろんタツタ派です。緒方さんもアスパラさんもタツタ派。10代の若者に負けてなんかいられませんよ!(なぜか熱い) 3週間も前の話題に今頃乗ってみたり。
ところで、掲示板からゆきもさんの掲示板へと飛んでみたら、ありゃりゃ、職場をばらしてますね。しかもいきなり厳しいことをいわれていたりして、なんだかかわいそう。お仕事頑張ってください。まあ、トヨタのテレマティクス戦略の要になっているので、職場がなくなることはないと思いますよ。うちの会社と違って。一般向け携帯電話事業の方はどうなるかわかりませんけれども……。
結局あれだ、緒方さんとこの掲示板でははじけてるSBさんが見れて面白いと。
辻さんつながりということで、ここで紹介。最近リファラに残った辻さんのファンサイトで一番笑えたところ。
九十九式が妹ネタをやらなくなってしばらくになると思うのだけれど、九十九式のアンテナに登録されてからというもの、いまだにコンスタントに辻ファンサイトからリファラが残ります。うちへのリンクはないんですけどね。私はいちいちそれらを読むので、けっこう詳しくなりましたよ。辻ファンの方々の生態について。会社の同期で同じ職場に配属された院卒(26歳)の石田未来ファンがいるのですが、それと似た感じなのかな、と。頑張って下さい、としか。私は他人の悲劇を読んで楽しむだけです、はい。でもあれだ、双葉さんの奥様はとてもいい人のような気がする。
ふと思い出したのだけれども、同期の営業職に松浦亜弥(字はこれであってたっけ?)のファン(23歳)がいる。彼はしょっちゅう「あやや、あやや可愛い」といっているのだけれども、別に全然虐げられていないんだよな。で、何が石田未来ファンと違うのかと思ったら、簡単なことだった。営業の彼は、風俗大好きで女性関係も派手だった(過去形)のだ。芸能人の趣味はあくまでも趣味としてマジなのであって……というあたり、誰もが認めているというわけ。
この事実にヒントを得て、というわけではないのだろうけれども、石田未来ファン26歳は風俗マニアで、「じつは離婚した嫁さんとの間に可愛い子どもがいる」という設定がなされている。彼が早めに仕事を上がるというと、すかさず「そうだね、たまには子どものところへ顔も出さないとね」と声がかかる。給料日の直後なら当然、「今日は新宿? あっちは高いでしょー」みたいな声がかかる。いじめみたいだけれど、中学生だか高校生だかの水着カレンダーを、職場に回ってくる生協のカレンダー特売注文票で買う彼を守る方法は、どう考えても他にないのである。わははは。(俺も死んだら地獄に落ちそうだ)
閑話休題。
Macにはまっている呉エイジさんのワガツマも大好きなのだけれども、何か好きなものがある方というのは、見ていて楽しい。それにしても呉さんは段々洒落にならない状況になってきていて、マックピープルの連載が続いているのが不思議だ。そもそもMacにほとんど触れない状況なのに、どうやって原稿を書いているのだろう。どうでもいいけど、マックピープルの公式サイトはなんだかダサいと思った。編集部の誰かさん(素人)が適当に作っているっぽい。
ついでに書くと、私はお話としてはまあ、呉さんの奥様のような方を想像することもできる。ただ私の母は全然その、父の趣味を悪くいわない人だったので、「女ってこういうものだよね」という感想にはどうしても頷けない。父はパチンコにはまり、釣りにはまり、魚を飼うことにはまり、オートバイにはまり、囲碁にはまり、骨董にはまり、古銭にはまり、日曜大工にはまり……こう書き並べると節操がないようだけれども、それぞれ数年ずつ集中的に取り組むのが父の流儀。
母はときには無関心を貫き、ときには一緒に付き合っていた。つまらなそうな顔をしながら。でも父は、母が一緒に付き合ってくれると本当に幸せそうで、だから母も時々付き合っていたのだろうと思うけれども、本当のところはよくわからない。しかし母が昔は父につきあってオートバイに乗っていたことをふと思い出して、ありえないことってのは起きるものだよな、と思ったりした。両親が揃ってオートバイを捨てた(売り払ったのかな?)のは、幼い私が熱いエンジンに触ってやけどをしたからだった。奇跡の最後は、大方の予想通り呆気ないものだったわけだが、触るなといわれていたのにエンジンを触った私は、なんと罪作りなことをしたのかと思わないでもない。
うへー、この備忘録はメチャクチャだ。消す可能性、大。
ご結婚されてからというもの、しょっちゅう寝込んでいるような気がするみけさん。たまに体調を崩すくらいならご主人も張り切るわけですが、こう立て続けだと本当に心配しはじめますよ。健康にはどうかお気をつけて。ちょうどお仕事がまた始まるので、それがいい重石になることを期待しています。
アドレナリンショックの表紙画像はJPEG形式なのだけれども、私はどうしてもノイズが気になってしまう。そこで、一部塗りなおしてPNG形式にしてみた。ベタ塗りのイラストはPNG(あるいはGIF)の方が絶対にいいと私は思うのだけれど、そう思わない方も多いのだろうか。
おもしろい。とくにうどさんは愉快で素晴らしい。長生きしてほしい。
紙粘土の新作はキリンを希望。
朝帰り。そんなバカな。
昨日付けの記事を今朝になってから更新。
テキコン地方予選第4組の結果発表は、一日遅れて明日になるそうです。その事情説明を読んで、コーイチさんはしっかりした方だなと思いました。
いずれにせよ第4組の投票はルール上は本日でおしまいです。私の作品が参加するのはこれっきりでしょうけれども、どうかお願いですから、第5組と地方予選決勝の投票の方もよろしくお願いします。せめて第5組の投票だけはお願いします。
迎賓館裏口の柊さんから、興味深いご意見をいただきました。
あらためて、僕の4月15日の文章をもう少し丁寧に書くと、「閲覧者からのメールの返信に対する催促とか、掲示板のレスへの催促が煩雑で、これを回避する目的で文章を書くのならば、方便として「スパムメールが多いから強めにフィルタを掛けていて、そのときに本来捨てるべきでないメールが捨てられている場合があります」とでも書いておけばいいのではないかと思った」と云うことだ。
本来、読み手からのメールは捨てても構わないと考えている、なんて書いたらこれは角が立つのは明らかで、煩雑さを回避する目的だったらわざわざ角の立つ論を立てなくても他にやり方があるんじゃないのかなぁ、と。 (ちょっと話が逸れるけど、ここで僕は読み手からのメールは捨てても構わないかどうかの是非は扱っていない。これは個人の好き嫌いで、ここを議論しても恐らく平行線だ。互いの考え方を尊重して住み分けるしかない)端的に言うと、自分が思っていることと少しばかり違ったとしても、ちょっとした言い回しを変えれば八方丸く収まって望んだ結果になるのなら方便で書いておけばいいじゃん、と云う主旨なので、これはもしかしたら徳保さんのものの考え方や備忘録の主旨からして受け入れがたい考え方かもな、とも思うのだけど。(いや、でもちょっとした方便を用いるくらいのしたたかさは持ち合わせているようにも見える)
失礼しました。私の読みが浅かったと思います。
おっしゃる通り、現実的な成果の獲得を目的とするならば、私の文章は非効率が目立ちます。ですから、目先の問題を解決することが目的ならば、たしかに柊さんが提案されているような書き方がよいと思います。しかしながら柊さんが留保をつけている通り、私はしばしば、眼前の問題を解決することよりも問題の発生によって明確になった自説の公開を優先させます。今回もそうでした。
一見、これは本末転倒のように見えますが、じつはそうではありません。この備忘録は自説の記録を最大の目的としています。ですから私は、「その内容によらず、メールは捨ててもかまわない」という考え方を記録するためなら、煩わしいメールが(一時的に)増えても致し方ないと判断しました。これは目的の優先順位に関わる問題なのです。
とはいうものの、正直にいえば、現実の利益を優先して思ったことの一部または全部を書かないということを私はくり返しております。煩わしいメールなどは結局のところたいした問題ではないから、こうした形で話の種にしたのだ、ともいえます。ただ、こうした判断はじつのところ半ば無意識に行っておりまして、今回あらためて自分の発想を整理することができたのは有意義なことでした。柊さん、どうもありがとうございます。
プチ日記はとっても面白いと思うのだけれど、なぜか年に数回まとめ読みするだけで、日々の巡回経路には入っていない。これまで何度かそうしようと考えたことはあったのだけれど、その都度、なんとなくそうせずにきた。そういうサイトは非常に多い。その一方で、それほどでもないかなあという感じなのに、妙に気に入って巡回しているサイトが少しだけある。このあたり、自分でもよくわからない。
ところでぼくは、ガキのころ某進学塾に通っていた。そこで当時のクラスで成績良かった連中を検索してみたら、医者になってる奴や美術書を執筆してる奴が続出して驚いた。やっぱり頭のいい連中はネットでも賢げなのか。
今の自分と比べるとちょっとへこむが、ぼくだってこうしてホームページをやっている。検索のヒット数やランクに関しては真っ向から勝負できるんじゃないか。
「名倉」で検索しても全然ダメだったが(ネプチューン名倉ばかり)、「名倉 莫迦」「名倉 うんこ」の入力では検索エンジンの第1ページに引っかかりました。やったー。これで「○○大学医学部卒」とか「××美術全集著者」とかいった連中と対等である。
「名倉 莫迦」のGoogle検索結果を見ていて、ふと思うことがあったので「名倉」の検索をしてみた。予想通り、ネプチューン名倉ばかり
というのは全くの誤りである。個人名のみ抜き出すと、検索順1位は香川県の元・津田町議会議員、2位がお笑い芸人トリオ・ネプチューンのリーダー、3位は愛知県岡崎市寺岡クリニック看護婦、4位は横浜国立大学工学部助手、5位はNECの若手研究者といった具合。
飽きたのでこれくらいでやめにするけれども、いずれにせよ、プチ日記の名倉さんはなかなか出てこない。(ちっとも出てこないので私は匙を投げました)
これは別にテキストサイト管理人なんてのは社会的地位が低いんだ、という話ではなくて、単に検索エンジン最適化(SEO)の問題である。関係ないけれども、SEO Japanのドメイン移転に伴なうドタバタは、なまじSEOが行き過ぎてコンテンツの方が追いつかないという異常な状況(ジョークの世界)を体現していて興味深い。それはさておき、万が一、プチ日記の名倉さんが本気で「名倉」の検索結果で上位に登場したいのならば、簡単な手続きに従えばいい。
まず、HTML文書には、著作者情報を全ページに入れておくことが望ましい。そして、著作者情報はふつう、文書の冒頭付近に配される(なぜかHTML文書では末尾に付されることが多いが)ものだ。よって、プチ日記の大見出しの下に、address要素を用いて「著者:名倉」とでも書き添えることにする。そうすれば、ほぼ間違いなくGoogle検索でプチ日記が1位に踊り出るはずである。
検索エンジン最適化、というのは何も特別なことをするわけではない。あるべき場所にあるべき情報を書く、情報を整理する。HTML文書として順当なマークアップをし、あるいは文書の形式を整える。そうした正当な努力、自然な作業を行うだけで、実力相応の結果が得られる。難しく考える必要はない。SEO検索エンジン最適化というサイトはたいへん参考になるので、興味のある方は一読されることをお勧めします。
閑話休題。
名倉美登里さんは12人兄弟の末子として誕生。当時48歳だった父親は満61歳で亡くなった。最近では12人兄弟も滅多にいないし、48歳で子どもを作る親も珍しいのだけれど、日本でもつい最近まで、死ぬまで子育てが続く家庭は少なくなかった。意外に思われる方が多いかもしれないが、女性の第1子出産年齢はだんだん遅くなっていく傾向にある一方、末子出産年齢は明治生まれ以降、だんだん若くなってきている。1人産んでおしまいというケースが増えて、そういうことになってきているらしい。
私の祖父母などは大正末期〜昭和初期の産まれだ。母方の祖父以外は長命で、いまもまずまず元気に暮らしている。今秋、父がいよいよ定年退職を迎える。両親は末子同士だから、祖父母はこれでとうとう子どもたち全員がお勤めを果たすまでを見届けたことになる。さすがに子どもの将来に夢を託すなんて話はもう聞かないのだけれども、かつては子どもが社会で大きくはばたくことを夢見ていた祖父母が、いまどんな気持ちなのかは想像もつかない。
母からハガキが届いた。弟が大学で入ったテニスサークルにはまってしまい、GWはもちろんのこと、夏休みにも冬休みにも実家へ戻らないことを伝えてきたのだという。弟が進んでそんな話をしたわけではないだろう。母が「GWには帰ってくるのかい?」と電話で訊ねたのに答えて、そういうことをいったに違いない。とまあこういうわけで、私はGWに実家へ帰ることになった。3連休は実家で過ごすことになりそうだ。ううむ、今年のGWは3連休か……。
今週は何人かの先輩に辞令が下って悲喜こもごも。
係長待遇の研究員から、管理職待遇の主任研究員へと昇進した先輩は、傍目にも明らかなほどがっくりきていました。残業代がつかなくなり、給料一律10%OFF、夏季一時金も大幅カット、すずめの涙程度の管理職手当て。仕事はこれまでと同じ。我が社は、ヒラが一番稼げる(残業をきちんとつければ部長よりいい)という異常な給与体系になっています。
実際には年功序列型賃金制度が効くので、本当に部長より所得の多いヒラはいないと思いますが。残業される熱心な年配の方は、漏れなく管理職になっていますので。そんなわけで、職場の4割程度が管理職待遇となりました。
ありがちなネタの続き。サークルメンバー紹介によれば氷魚さんは黒幕兼姉御で、きのきのこさんはサークルリーダー、asuraさんは副リーダー兼管理人、とかいろいろ書かれていて、実際の発言と対照させたときにいろいろ思うこともあったのだけれど、面倒なので省略。以下、リーダーのお言葉をご紹介しつつ少々。
てーか、人を批判するのは悪いことデスカー?まぁ周囲の印象は悪くなるだろうけど、別にいいと思うのよね。ホラ、言われた方も笑って開き直ってるし?そんなに問題ではないのかと。誰かにココが見付かっているのが嫌ならば、ひ・・・引越しとか・・・。
「批判する→批判者の印象が悪化」という図式が成り立つのならば、批判が仕事の中心をなす評論家諸氏は評判最悪のはず。もちろん、そんなことはない。氷魚さんの発言は批判というにはあまりにも言葉足らずだったので、ふつうに読めば悪口に見えます。批判すること自体は悪くないけれども、批判の仕方が下手だという物言いはよくあります。今回もそうです。
ところで、日月さんが説明されている通り、リンク元の解析は簡単です。氷魚さんが掲示板に日月さんのサイトへのリンクを用意され、そのリンクを誰かが辿ったので、掲示板のURIが日月さんに伝わったのです。実際問題として、たしかに誰にもURIを教えないでいれば、そしてどこからもリンクされずにいれば、検索エンジンにもひっかからない秘密のサイトをパスワードなしで持つことは可能です。
けれども、例えば今回のようによそのサイトへのリンクを用意し、そのリンクを利用する人が一人でも現れたなら、秘密のサイトのURIはリンク先の方にばれます。そんなこんなで、URIの秘密を守るのは難しいものです。そこで仕方なく、URIがばれてもパスワードなしでは閲覧できないようにする工夫が求められてくるわけです。
それはともかくとして、ホラ、言われた方も笑って開き直ってるし?
には苦笑しました。開き直るという言葉の意味を勘違いされているようです。おそらくリーダーは「批判された方が笑って受け流しているので、(今回の件については)深刻に捉える必要はありませんよ」とおっしゃりたかったのでしょう。
たまたま視界に入ってきたので話題にしましたが、このネタはここまでで打ち切りたいと思います。ひとりの失敗を切欠にみんなが様々の知識を得て、そうして少しずつ勉強していけばよいと思います。中高生なのか、あるいは中高年の方かわかりませんけれども、初心者はたいてい、そういうものです。ほんの僅かな知識を応用させて無理を続け、いよいよにっちもさっちもいかなくなったり、失敗を繰り返したりしながら泥縄式に知識を増やしていくわけです。だから、HTMLの理念を理解できる、しようとする初心者はほとんどいません。
余談。今回は意想外の反応があって驚きました。
えびで鯛を釣ったような気分で、私はたいへん満足。
おはようございます。
これはちょっと違うような気がした。問題となっているのは統合失調症という言葉を口にしたことではなく、さしたる根拠もなく連続通り魔事件を精神病患者の犯罪ではないかと発言したことだ。こうした発言がまかり通ると、実際には精神病患者以外による通り魔事件が少なくないにもかかわらず、精神病患者が不当に疑われることにつながっていく。
もちろん、警察はバカじゃない。けれども、無責任な立場の方々はしばしばこうした問題に対してバカになる。ふつうの人が通り魔事件なんか起こさないだろう→精神病患者の犯行に違いない、偉い先生もそうじゃないかっていってたぞ、ということになる。偉い先生はもう少し慎重なことをいうもの(いくつかの特殊な事情を根拠にあげていたりすることが少なくない)だけれども、ごちゃごちゃした部分をすっ飛ばして、結論だけいただく人がいるという事実は否定できない。そしてテレビ局は私とは違って、バカにはつきあいきれませんともいっていられないことに注意しなければならない。
したがって、犯人がつかまる前に、情報の少ない段階で精神病患者の犯行を疑う発言を行うことには、とかく慎重であるべきだ。宮本さんが更新のネタ元としているニュースはTBSが障害者団体に謝罪 名古屋の通り魔めぐる発言である。宮本さんがテキストで書きたかったことは従来からの持論である言葉狩り批判なのだが、これはそういう事件ではない。「京都精神しょうがい者の人権を守る会」という名前がいかにもという感じだったので判断を誤ったのだろうが……。
蛇足。ようするに今回の事件は、たまたまテキストサイト管理人による犯罪がクローズアップされる時代が訪れたときに、テキサイ専門家がワイドショーに登場して、「今回の連続通り魔事件は一連のテキサイ犯罪と共通点があります」とたいした根拠もなく断言するようなものだ。単に「(犯行の形態に)共通点がある」といっているだけであっても、テキストサイト管理人への差別を助長する効果があることは明白なので、抗議する人が現れるのは自然なことなのである。
とはいうものの、そんなことをいっているとあらゆる犯人像予測は内容を公開してはダメということになりそうだ。けれども、実際には何となく線引きが行われていく。ひとつには、現時点で差別されているグループか、ということ。もうひとつには、グループがあまりに小さすぎないか、ということ。両方満たすようなら、犯人像予測の結果は公開に際し慎重になった方がいい。ワイドショーの犯人像予測は犯人逮捕につながらないのだから、視聴者の興味を満たすためだけの根拠薄弱な予測の価値は、差別助長の弊害を補うにはあまりに貧弱だ。
いずれにせよ、宮本さんの指摘は的外れというか、ありもしない問題を「見ちゃった」結果書かれたテキストなのではないかと思った。
「メールで感想をください、お願いします」などと書いているサイトが多い。あまりにも多い。だから、みんなメール大歓迎だと思っている人がいる。たしかに私も、基本的には歓迎している。少なくとも読んだメールの8割以上には返信もしてきた。けれども、いくらかのメールは読まれもせずに捨てられているし、読んでも返信しないこともある。とくに相手に失礼があろうとなかろうと、そういうことはある。
私がメールアドレスを公開し、掲示板を置いているのは、苦情受付用というのが第一で、まあその他の用事にも使っていいですよ、ということにしている。感想とか、お褒めの言葉をいただくこともあるけれど、それは私の意図を超えた話だ。(意図に反する話ではないので注意)
メールを読まずに捨てたり、とくに問題のないメールにもかかわらず、返信しないこともある、と明言することについて、「礼儀に反する」との意見がある。そういう考え方もあるだろうが、私はそうした発想自体に異論を唱えている。だから、そのような批判は私に対し何らの効力も発揮しない。
「何で返事をくれないのですか」とか、「ごめんなさい、何か気に障ったならお詫びします。返事は無くてもけっこうです」とか、本気でいうのはよしてほしい。
と、15日に書いた。私がメールに返事を書かないだけで怒ったり、狼狽したり、悲しんだりするのはやめていただきたい。私は心やさしい人々の言葉に接すると疲れる。私は、ただなんとなくメールに返事をしないだけなのだから。
そんな私の行動にマジになる方がいるわけで、どうにもつきあいきれない。これまでも個別対応で私の思想的立場についてはご説明差し上げてきたわけですけれども、(私にとって)困った人がこのところ立て続けに現れたので、こうしてお客様全員に向けて当サイトのコンセプトを確認させていただくことにしたという次第。経験上、こういうことをするとしばらくは平和になるのです。そのうちにまた新しいお客様がやってきて……。
でも本当、どうやって此処を発見したのだろうね? 多分、そーゆーのが趣味の人がチクったんだろうけど。「誰が見てるか解らない」とはこの事か・・・。この言葉を作った人は凄いよ。。
リンク元解析をご存じないのかな。意図的にリンクしておきながら、それを発見されて驚くというのは新手のコントですか。
ところで氷魚さんという方は、自分が嫌うものは他人も嫌いに違いないという世界観に暮らしていらして、見ていて面白いです。
別にあんたの絵の動画なんて見たくないですよ?と言いたくなります。
いや、いってるし。ありがちなネタですがー。
当サイトの何を参考にされたのだろう。
いわゆるタグ屋形式の先達。そして最も信頼のおける解説記事のひとつ。
愛生会病院の公式サイトの凄さはつとに有名。ほんとに公式サイトなの? と疑う向きは、久喜市科目別一覧(埼玉医療検索)やFresheye - タウン情報/埼玉県/医療・病医院/診療科目別病医院/産科・婦人科をご覧いただきたい。
さて、ぼーそ〜日記のえびすさん、興味深いことを書いていらっしゃる。
トップページに重さのストレスはない 他人の著作権を含めた知的所有権を侵害していない 小さい画面を意識したレイアウトも考慮している いきなりbgmが流れるページになっていないというチェック項目がありますが、それらの項目をことごとく否定する豪快さ。まさにホームページ作りの反面教師と言わずして何というべきでしょうか。えびすなんて一生懸命レイアウトとか文章とか工夫してやっとこさ1日10ヒット……。
せっかくいい線突いているのですが、どうしても常識から逃れられないえびすさん。
アクセス向上大失敗の記事は見当違いの方向を向いています。これはアクセス向上大失敗に限らず、たいていのアクセス向上講座系サイトは、個人サイトのアクセス向上には、ほとんど何の役にも立ちません。
アクセス向上の秘訣は、ひとつしかありません。需要のある記事を書くことです。HTMLもアクセシビリティーもユーザビリティーもどうでもいいのです。それらは気休めです。需要のある記事のないサイトは、それ以外の何を頑張ってもダメです。私が100万アクセス.comを高く評価するのは、この一点を踏まえているからです。とはいえ、かのサイトの読者も余計な記事にばかり目を奪われる方が少なくないのでしょうが……。
なぜ、現実を見ずに適当な理屈にすがってしまうのでしょうか。例えば、アクセス向上大失敗よりも、愛生会病院の公式サイトの方が人気があるというのに。私は平成15年1月11日の備忘録でこう書きました。
浜崎が歌えばどんな曲でもヒットすると思っている人がいる。宇多田ヒカルだって日本人の95%がCDを買わなかった。誰もが価値を認める曲なんて、誰にだって書けない。浜崎の歌う曲をちっともいいと思わない人は多いだろう。そうした人の方が多いだろう。だが、それは他のどの歌手の歌う歌についても同様だ、ということに注意すべきだ。なぜあんな曲が? と問うても意味がない。
人気ゲームだというのでやってみたらつまらなかった、なんてことは珍しくもない。だがそれだって当然のことだ。売れても300万本、最高のゲームでさえ、日本人の98%が買う価値を見出さない。300万という数字は、その程度に過ぎない。
ベストセラーなのに面白くない小説、人気ドラマのはずなのに退屈、それはちっともおかしなことじゃない。むしろ当然のことなのだ。
浜崎あゆみは、ただ浜崎あゆみであるだけで売れているわけではない。200万人の心を捉える曲がそこにある。だから売れている。ただしその曲は、他の1億2000万人にとっては雑音かもしれない。それでも浜崎は日本一CDの売れる歌手の座を守ることができる。
……私は今、人気サイトを作ろうとする際の基本的な考え方について述べているのだが、おわかりだろうか?
1億人に嫌われても、1万人が支持すれば人気サイトとなります。たいていのアクセス向上系サイトが役に立たないのは、大衆に嫌われないサイトを作る方法を解説しているからです。嫌われないように努力するばかりでは、お客様が増えるはずもありません。
という話とはまったく関係なく、愛生会病院ホームページの怪のHTMLをいくらかまともにした改善案を以下に示します。
この備忘録は私のいまの考えを記録するためのものです。これまで日記を書こうという試みに幾度となく失敗してきた私は、指の間からこぼれ落ちる砂のように、かつての自分の思想が記憶から失われていくことを長年にわたって悲しく思ってきました。当サイトではじめて半年以上の長きにわって備忘録が続いているのは、閲覧者の皆様の存在によります。したがって、私は基本的には皆様に感謝の気持ちを持っております。
あくまでも基本的にはということなのですけれども、それでは不満であるという方もいらっしゃるようです。しかしながら、自分の思想を記録するサイトで意に添わない嘘を書いても仕方ないわけで、私はお客様のリアクションがどのようなものであれ、絶対に歓迎するという保証などないし、それでいいと思っていると申し上げざるをえません。
あらためて確認させていただきます。当サイトは、私的な文章をそのまま公開すること、お客様を神様扱いしないこと、「いい人」をやめること、以上3点をコンセプトに更新されています。
例えば、「スパムメールが多いから強めにフィルタを掛けていて、そのときに本来捨てるべきでないメールが捨てられている場合があります」とでも書けば角が立たないのに。本来、どこかで述べられた「論」が正しいかどうかと云うのはその表現方法(柔らかいか、ぶっきらぼうか)と云うことにはあまり関係がないのだけど、僕の拙い経験則から云うと、多くの人は表現方法に嫌悪を覚えると論そのものを見ずにその好き嫌いを判断してしまう。だから、読み手から嫌われないように書くことは重要だ。圧倒的に僕の言い分が正しいとは言わないけど、その方が文章を書いた目的を果たすのに無難なのは恐らく間違いないんじゃないだろうか。
残念ながら、私が書きたかったのは本来捨てるべきでない
という発想を否定する思想です。本来、お客様からのメールは捨ててもいいというのが私の主張なのです。だから、掲示板への書き込みも無視する(あるいは削除する)可能性がある、と明言しているのです。論そのものが角の立つものなので、どう取り繕っても自ずと限界がありそうです。
意図しないところで無駄に角を立てる必要はありませんが、角の立つ意見を主張すること自体は問題ではありません。「趣味のWebデザイン」は、「人間としてやってはいけないこと」があまりに多すぎる現代日本の優しい文化・常識に反旗を翻すサイトです。あれもこれも「いってはいけない」という言論の不自由に挑戦します。人が信じ奉っている考え方を批判しますから、どうしても角が立ちます。
現実の行動に妥協がつきものなのは当然ですが、言論・思想はもっと自由であっていいと私は考えます。(例えば、現在の日本の状況を勘案すれば、日米同盟の重要性からイラク攻撃を日本政府が支持するのは当然で、他に選択肢はありません。だからといって議論はすべて無意味でしょうか? さにあらず、言論は自由に思索の羽を伸ばし、様々な観点から相互に批判的検討を加え、より日本の決断を強いものとしていくことこそ公益に適います)
というわけで今回の場合、フィルター云々は話の枝葉に過ぎません。そもそもお客様からのメールは(その内容によらず)捨ててもいいというのが私の「論」なのです。その主張を通しつつ角を立てない妙案があったらお教えいただきたいと思います。
昨日付け産経新聞3面、高山正之の異見自在はイラク攻撃を考えるうえで必読の名コラム。私は甘かった。
産経はしばしば、こうした自社の主張をぶっ壊す意見を平気で載せるから面白い。イラクで発生した暴動は米軍の作戦の内だ、と書いたり、今回の略奪には博物館職員も関与している、と書いたり、いつも何人かの記者が反社説の記事を書く。高山さんは昔、土曜夕刊で毎週のように反社説の記事をぶっ飛ばしていた元編集員の方(現在は帝京大学教授)だけれども、今回の記事にもたまげた。
現在、高山さんは週刊新潮で「変見自在」という巻末コラムを執筆されている。軽妙な筆致は健在なので、興味のある方はぜひどうぞ。「異見自在」は2000年12月、PHPから抄録本が発刊されたが、既に絶版となった。じつはWeb上で(無断転載されたものではあるが)全記事を読める。
追記:「異見自在」は2004年11月に高木書店より全記事収録の完全版が発刊された。やはり書籍版の方が読みやすいと思う。お勧めしたい。
ナミさん、スルーしないし。はるさんの主張の正しさがこうして証明されたわけですがー。
なんだかはるさんって、デキない人っぽい。(参考:デキると言われる人になる)
江ノ島水族館だっけ、非常識なくらいの大きさのアザラシだかトドだかの剥製があって、ものすごく怖かったです。いや、北海道の開拓記念館だったかな?(えらい違いだ。っていうかどっちだ?)
江ノ島水族館の大吉くん(写真/紹介記事)ですね。1977年に亡くなったミナミゾウアザラシです。生前は体長5.4メートル、体重2トン超というモンスターでした。一日の餌が50kgだったそうですから、毎日人間一体分くらいの魚を食らっていたのですね。
関係ないですが、人間がこれまでに発見した最大の生物はシロナガスクジラ。恐竜より体積が大きい。水中で生活する生物には、寸胴で丸く大きくて重いものがたくさんいます。彼らの体重データには驚かされます。
いただいたメールより。ありがちな勘違い。
そりゃしかたないと思います。徳保さんが人通りの多い所で大きな声で独り言を言ってるからですよ。周りに聞かせるつもりが無いなら、家で叫ぶなりすればいいのに。
サイトは本や雑誌に近い存在。ネットにつないでつらつら読むのは、書店で出版物を立ち読みするようなもの。検索経由とか、どこかのサイトで紹介されたとか、経路はいろいろありましょうが、読者が自ら望んで目を通している(いい加減いちいち断るのも面倒くさいんだけど、もちろん例外はありますよ)という意味で、人通りの多い所で大きな声で独り言を言ってる
という例えはまったく不適切。私は人に読ませる気があるからこうして文章を公開しているのです。
私が平成15年4月10日の備忘録に書いたのは、感想を書いて送れば相手は必ず喜ぶだろうと単純に考えている人がいて、つきあいきれないという話。たしかに基本的には嬉しいけれども、いつもそうだというわけではない。失礼な言葉なんて一切なくたって、なんだかイライラさせられることはしばしばある。誉めれば喜んでくれるだろうと信じている人は単純すぎる。質問に答えたら長々と礼状が届くことがあるけれど、たいていそれは嬉しいものだが、ときにはそれを全部読まねばならんと思うだけで憂鬱になる。私はメールも掲示板への書きこみも、たとえそれがどんな内容であれ無条件に歓迎しているわけではありません。
メールについてはとくに、読みもせずに捨てているものが相当数にのぼるだろうという事実があります。また私は、そのことについてとくに謝るつもりもありません。広告メールが馬鹿みたいに多い現状下では、強力なフィルターを使うことは避けられないからです。謝ったところで何も改善できません。その代わり、このような問題があるという事実だけは公表することにしたわけです。
掲示板への書き込みに対しては、皆様もご存じの通り、これまでのところ概ね好意的に取り扱ってきました。しかしながら、私が常にそのようにふるまうことを今後も保証するものではありません。これまでも保証などされていなかったわけですが、ここであらためて「保証しない」ことを言明することにした次第です。そのきっかけとなった出来事については、ここでは述べません。
私はこれまでにも、誤字の訂正等によるはてなアンテナ等におけるいわゆる空更新問題には一切対応しないことを明言してきました。当サイトは週に1度くらい読めば十分である、と。慌てて最新の更新を追いかけたい読者は勝手にすればいいが、私はそうした方のいう「迷惑」など頓着しない、そういうことで文句をいわれるこちらこそいい迷惑である、と。文句をいうのもまあ勝手だが、無視するのも勝手であります。
同様に、ご利用になられているUAにおけるCSS実装の不具合のため閲覧に支障が出る方には、CSSを切るか、テキストブラウザなどのCSSと無縁のUAを用いるか、あるいはOperaのユーザモードでも利用されてはどうかと逆に提案して参りました。文字が小さくて読むのに困るサイト、配色がひどくてろくに読めないサイトは世の中に多いわけで、私の提案はそれらの問題を一挙に解決するものでもあるわけです。製作者が特定のCSS(それはしばしばいくつかの環境では閲覧に支障が生じる/ただしそれはUAの実装ミスが原因でありますが)をお勧めする自由、閲覧者がそれを無視する自由、お互いが自由を獲得すればいいのであります。
私は無邪気に「人間はこういうものだ」と決め付けて、その基準にあてはまらない行動を規制しようとすること、あるいは無邪気な決め付け以上の理屈なしに人を本気で批難される方にはつきあいきれません。「何で返事をくれないのですか」とか、「ごめんなさい、何か気に障ったならお詫びします。返事は無くてもけっこうです」とか、本気でいうのはよしてほしい。
気に障らなくたって、何となく返事しないことはあるわけです。それは私の勝手であって、それはとくに不満はなかったのにサイトを見るのをやめてしまう閲覧者の自由と同じです。それを本気で怒られても困るし、何か気に障ることをしたかといって本気で悩まれても困る。本気で怒ったり悩んだりするのは人の勝手だが、それを困るというのも勝手なわけで、私としてはようするに私がメールの返事を書かないことくらいでいちいちマジになるのはバカバカしいと気付く人が増えてくれたらいいと思うのです。
私みたいなひどい人間のすることにマジにならないでください。ほんとうざいです。うざいことするのはもちろん勝手です(まあ犯罪にならない範囲で)が、たいていうざいことしたがる方って「人の嫌がることはしないようにしましょう」とかそういう話が好きですよね。それから言行不一致が嫌い。だったら今こそ言行を一致させて、私の嫌がることはしないようにしてください。といってもマジになっちゃうのは心の問題だから仕方ないのでしょうけれども、「マジになってます」ということをわざわざ私に伝えないでください。これは私からのマジなお願い。
とまあこういうわけで、当サイトは私的な文章をそのまま公開すること、お客様を神様扱いしないこと、「いい人」をやめること、以上3点をコンセプトに更新されています。アクセスアップ講座系サイトへのアンチテーゼです。最低です。(というか、しょっちゅうこういうお断りの言葉を入れているというのに、この3項目いずれかの問題で「失望しました」とかマジでいってくる人が絶えない。それは仕様です、と何度もいっているのに、ほんと話のわかんない奴ってのは世の中に腐るほどいるものだと思う。「許せない」といって怒るならわかるけど、「失望しました」って……)
おはようございます。
はるさんがよくわからないことをしている。デキると言われる人になるというテキストをナミさんに捧げて失恋記念の八つ当たりネットバトル
とおっしゃっているのですが、理解不能。ネットバトルという言葉は語感が悪いので、あまり定義を広げられると私は迷惑です。批判からはじまる議論とネットバトルを分離したい、という線で頑張っているのに、こういうわけのわからないものまでネットバトルといわないでほしい。
ひょっとすると、悪意があることを根拠にネットバトルといっているのかな。とはいえ、問題のテキストはナミさんを批判するものではないので、どうもわけわかんないんですよね。でまあ、はるさんはナミさんからメールが届いて喜んでいらっしゃる。次はこの件についてホームページで熱く語っていただくことを目指します。
なんておっしゃってもいるので、そういうことなのかな、と。
ナミさんはきっとスルーされるでしょう。というわけで(意味不明)、何の脈絡もなく私が話題にしてみました。関係ないけど、今回あらためて思ったのは、ナミさんはまめだなあということ。
追記:あ、ダークマターも取り上げてる。なんだ、アホくさ。放っておけばよかった。(みんなスルーしそうだから話題にしたんです)
MacIEの古いバージョンで当サイトのリンクがクリックできないという問題があるという。アップデートすれば問題は解消されるそうだが、ことこさんの話を総合すると、なんだか妙な事態になっているようだ。気になるのでメモしておく。
なんといってもおかしいのは、CSSは切ってもリンクはクリックできないままでした。
ということ。だったらそれ、CSSの問題じゃないってことなんですよね。とすると残る可能性はJavaScriptなのですが、さくらどおりとQUIAという、けっこう有名どころのスクリプトをそのまま使っているので、こんなに目立つ問題があるならトラブル報告がよそでも上がっていていいはずじゃないか、と思う。
とすると、残る可能性としては、キャッシュが壊れていた、とかその辺? でも、いつもいつもリンクをクリックできなかったようですからね……。まさかIEの実行ファイル自体に破損が生じたとか? とりあえず、CSSとJavaScriptを両方切っても問題が解消しないとすれば、それはたぶん私のせいじゃないと思います。時々ひどいミスをやっていることもありますが、全ファイルに共通する致命的な大ポカっていうのは、HTMLの記述に限ってはありえませんから。
ところで、背景画像が170kもあってメンゴ☆
ということなのだけれども、nowar.gifは10KBしかない。でも私がちょっといじったら6KBになりました。もしよろしければ、ご自由にお使いください。
using CSS1 with HTMLのHTML文書化、第2章まで進展。今週中に完了することは確実。(と、自分にプレッシャーをかけておく)
ふじぽんさんのいうゲームセンターは不良のたまり場
だった時代の証言として、懐古回顧録がある。
テキストコンテスト地方予選第3組の結果が発表されているわけですが、投票総数21通とのこと。くり返すけれども、地方予選参加者の半数くらいは、投票してもいいのではないかと。投稿するだけの参加では片手落ちです。投票するにあたって、全作品を読む必要はありません。ちょっと見て気に入った作品だけを最後まで読み、そして点数をつけて投票する……たいした手間じゃない。1時間あれば足ります。それは投稿作品を書く数分の1の苦労でしかないはず。
というわけで、地方予選参加者は何とかして毎週1時間を用意し、ちゃんと投票しましょう。
ふむふむ、わかった。ところで、過去ログ復活していただけませんかね。あるいはメールくれたら過去ログ配布しますよ、というのでもいいのですが。
テキコン決勝戦、本命はエスパーさん。対抗はadoriさん。大型新人あかねさんも侮れない。穴狙いで北村ヂンさん。
競馬のGTレースなどと同じで、そもそもエントリーできただけで凄いわけで、穴狙いとか書いてしまった北村さんもたいへんな実力者だったりする。こうなるとホントに予想が楽しい。
迎賓館裏口の柊さんが外部サイトへのリンクは別窓って云うのに慣れちゃってるから微妙に不便
とおっしゃっているわけですが、たしかに右クリックからどうこうというやり方してる方だとそうなのかも。私はショートカットキーを設定して1手順で新窓を開くようカスタマイズしているから、自分で選べる方が好みなんです。
私は同じサイト内のページでもどんどん新窓で開くことが多いんですよね。二重身を読んだわけですが、まず最初に目次から一気に6窓開きました。回線が細いので、その1を読み終わってからその2のリンクをクリックしていると、30秒くらい待たされたりしてたるいんですよ。だから、まず一気に6窓開いてしまって、よそのサイトを読みながら読み込み待ちをするわけです。でまあ、二重身読了後にまた待たされるのは嫌なので、二重身を読む直前にまたいくつか新窓を開いておきます。
こうしてひとつの文章を読み始める直前にいくつかそのあとで読みたい文書を開いておくということを延々とくりかえしていけば、とろい回線でも待ち時間なしでどんどん読んでいけるという按配。
じゃあ最初はどうなのかという話ですが、じつは私は寝る直前に、その日ピックアップした面白そうなサイトを、サイトごとダウンロードにかけるようにしています。なので、常時数十サイト分の過去ログがHDに入っているわけで、いつも最初はその辺を読むことからはじめます。テキコンに参加している88サイトにさらっと目を通したりとか、そういったことが可能なのは、この寝ている間にダウンロードという裏技があるから。
AirH"32KというのはISDNより遅いんですけど、一応は常時接続可能だから、ちょこっと工夫すればADSLを適当に使っている人と同等の閲覧環境となりうるというか、まあそんな話です。
気ままな更新スタイルのいいところは、興味を持っていることをそのまま書けるということだ。
ぞうはなのぼささんは、ここしばらく千人祈という運動が組織だって運営されなければならないことを指摘し、それゆえに平和運動の空想的理念と運動の実態がかけ離れてしまう、というジレンマについて思索を続けている。私はその議論はさっぱりとスルーして、話の枝葉である選挙(ちょうど本日は統一地方選挙の投票日)の話題を読みつつ、ふと思ったことを書いた。いつまでたっても政治に民意が反映されないのは何故か、と。
はっきりいって、ここでは議論が成立していない。私の注目点がぼささんの関心とずれており、お互いの意見はすれ違っている。でも、別にそれでいい。何ら問題はない。
……といってこのまま気ままな更新を続けたかったのだけれども、ぼささんが徳保さんの政治の話に引きずられたようだ
とぼやいていらっしゃるので、申し訳ないことをしたかと思う。そこで今回は、少し言葉を補ってぼささんの本題につながる話をしてみたい。
不可分のものを各々分離して語ることができるという仮定にそもそもの誤りがあるので、ぼささんの議論が行き詰まるのは当然だ。とりあえず答えが出ているのは今回のイラク攻撃の問題では僕も含めてこれだけ様々な場所で様々な意見が飛び交った、ということは、それはとても意味がある、と思う。
といった段階の話なのだが、これでは毒にも薬にもならない。結論が割れて意見が対立しているときに、考えることは大切ですね、という基礎的な確認をしても無意味だ。けれども、他に成果がないのだから、そうしたことを書いてお茶を濁すしかない。
ぼささんは、不可能を可能にする方策を求めて彷徨っている。政治に関与しない千人祈は、具体的成果を達成できない。それは構造的な問題なので、永遠に解決されない。千人祈への賛同者が世界を覆い尽くしても世の中平和にならない。自由な個人の意思を千人祈という形にまとめるには組織が必要だ。組織ができれば内部論争とヒエラルキーの形成は避けられない。空想論を現実に当てはめるのは、もうやめた方がいいのではないか。無理なものは無理なのだ。
ただし、具体的成果はなくとも、空虚な言葉に意味があることには注意しなければならない。反戦平和主義への賛同を表明することで、いい気分になれる人は少なくない。祈ることで心安んじるならそれもいいだろう、と私は思う。具体的な成果だけを評価基準とする必要はない、そういい切ってしまえば、千人祈への批判はほとんど力を失う。
参加者自身の精神的充足がほとんど唯一の成果であるという自覚があれば、千人祈は強くなれる。そして、私にとって無害な存在となる。理屈抜きの幻想に酔ったまま千人祈に賛同する人(少数だとを信じたい)だけが、私の敵なのだ。
はてなダイアリーが無料サービスだということも驚きなのだが、このサービスが無料なのも驚きだ。どういう収益構造になっているのだろう。
こんなに愛くるしいのに、何故「みにくいアヒルの子」とかいう話になるんでしょう。アヒル。まあ、カモもそうですけどね。
みにくいアヒルの子は、じつは白鳥の子だったのでした。白鳥の雛は灰色の羽毛に覆われていて、アヒルの子は鮮やかな黄色。アヒルの子の方がかわいく見える人は多いと思います。でも、白鳥の子も十分かわいいものです。
それにしても、Googleでアヒルの子について検索すると、鬱になるような話がけっこう多かったり……。イメージ検索するとなぜか森前総理が上位に登場。(当該記事)
ドクラマグラというのは、探してみるとどこの古本屋にもあったりする。案外、みんな読んでいる(そして挫折している)作品なのかもしれない。私は斜め読みしました。←最低
- 443 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :03/04/12 17:11 ID:8d7tjET/
募金の効率面については漏れの認識不足だったが、千人祈についてはやっぱり見方がそれほど変わらないなあ。チャリティーコンサートはそこに出演するミュージシャンに価値があり、寄付を集める人寄せパンダになりうるという意味で効率という観点からみていい評価ができるんだけど。国労支援物販にしたって、干物をつくった労働に対する報酬と寄付の両方が支援したい対象に直接いくのであって、効率は悪くない。批判派は効率が悪いことを批判しているのであって、裏を返せば効率がよければ賛成するわけ。web上で読める状態にあるコンテンツを本にすることへの疑問というのもあるけれど、千人祈の人たちは単価を下げるなり、コンテンツを魅力あるものにしていくなりの努力を通じてその批判に応えるべきだと思う。
徳保タンは長々書いているけど、ちょっとズレてるYO! お金がめぐりめぐって福祉などにも使われているというのは、資本主義社会をお金という側面から見たときの当たり前の話であって、それは批判しているすべての人の前提となっていると思う。それを前提とした上で本というのはどうよ? と言っているのであって、その批判は千人祈は甘んじて受けるべきだと思う。正直な話、コンサートなら行きたいが、素人の書いた詩の本なんて欲しくない。買うくらいなら、直接寄付したい。批判派もいろいろ言っているけど、根っこの感情はそんなもんだと思う。
ついでに言うと、徳保タンの理屈を推し進めると、すべての商品は巡り巡って福祉などにも使われているのだから、社会の構成員は一生懸命働いて消費しろという当たり前のことを言っているに過ぎない。ナガナガトスマソ
- 444 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :03/04/12 19:32 ID:yoalGrbv
徳保タン、千人祈の出版にもチャリティーコンサートに対しても、どうも金勘定にばかり気をとられすぎに見えたけどなあ。>>443もwあと、反戦メッセージとか反戦運動とかいったものを、そのまま「反戦」としてだけ捉えてるのかなあ。
あれらの根底にあるのは「命は尊い」とか「人はみな平等」とかいう意識で、もちろんそんな綺麗事だけじゃ世の中まわるわけないんだけど、綺麗事がまったく通用しなくなったら究極的には弱肉強食の恐ろしい社会になるから、教育で「安全弁」を作ろうとして、そのわかりやすい結果をマスコミも煽るのでは。「戦争=人殺し=悪いこと」って刷り込みしておいた方が、まず社会としては安心だし。
まあこういう「〜な人間に育てようとする」っての、徳保タンは嫌いなんだろうけど。それに千人祈のような、やりすぎ信じ込みすぎ無知すぎは、たしかに痛いけど。あいつらの中には、純真な思いだけで全人類が通じ合えると本気で思ってるのもいそう。「正しく理解すれば誰だって私達と同じ結論に辿り着くはず」って感じのやつも。いくらか読んでみたら、そういう文章がけっこうあったんだよな。
- 445 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :03/04/12 20:35 ID:cShcZ/1/
>>444
同感だねえ。今の日本は何でも金勘定ばかりだ。敬宮愛子様誕生時も「ベビーブームで経済効果が何百億」とか、景気の話題を絡めないとお祝いも言えないのかと唖然とした。それも、素直に皇室を持ち上げるための文脈として使うんだよな。本当に辟易する。
俺は日本の戦後民主主義をとりあえず肯定する。キリスト教やイスラム教のような厳格な宗教がない日本で、「平和思想」は、他者に対する優しさとか差別を憎む心など、日本人の道徳の根幹を形成してきたと思うから。今はそれだけでは通用せず痛みを伴う選択が必要なんだけれど、そんな世相を嘆くのではなく平和を憎むようなそぶりの人が増えたのは、あまりにも悲しすぎることだな。
なるほど。勉強になります。
母から宅急便が届く。そろそろワイシャツの袖が擦り切れているだろうから、といって送ってきたのだった。
実家まで電車で2時間半。でも私は、正月とGWと盆前にそれぞれ3日くらい顔を出すだけ。弟にいたっては、GWにすら帰ってこない。
私も弟も国公立大学へ進学し、私は実家から通い、弟は寮にいて奨学金+バイトで自活。いま、私は給料の過半を実家に入れているわけで、世間的には、親孝行だということになるらしい。けれども、「うちの息子は二人とも冷たい」という母が一番正しいと思う。
議論に強くなるにはどうしたらいいか。それを教えてくれたのは父だった。
父は議論に負けそうになると、「わかった」という。納得したところは素直に受け入れる。全部納得したら、そこで議論を終わりにする。もちろん、相手はいろいろ捨て台詞をいう。けれども、勝ったはずなのに捨て台詞になってしまう、ということに注意しなければならない。父はたいてい母に言い負かされていたけれども、それでも母は町内会の会合に自分が出ることは一度もなかった。その母もPTAの会合には仕方なく出ていたが、いつも何一つ発言せずに帰ってきたというのは、いまにして思えば凄い話だ。
いい考えを思いつく人が、議論に向いているというわけではない。私はしばしば、そう思う。詳述はしないが、父は愚かな人だ。「にちじょうちゃめしごと」と50年近くいい続けてきて、誰にもダメ出しされなかったほどだ。交通事故にあったとき、父は自宅の電話番号をいえなかった。病院の先生が母に問う。「ご主人は、ふだんから記憶力が弱いのですか」「そうなんです」「じゃあ問題ありません」実際、退院後も父はしばしば自宅の電話番号を忘れていた。けれども、ただ愚かだったわけではない。
思い出になってしまえばみないい人、とはよくいわれるけれども、私は実家にいた20年余り、あまりに父をバカにしてい過ぎた。毎日顔を合わせていると、なんでこうも愚かなのかと思わずにはいられないのだ。だが、実家を離れて、ようやく父の立派なところがはっきり見えてきたように思う。それとも、これも幻想なのか。
テキストコンテスト地方予選の投稿作品を書き終えたので、ホッとする。誤字脱字はチェックできていない。なんともはや。
罪と罰(抜け殻)が更新されていますね。
「主義主張を超えて」個人サイトの反戦運動に賛同している方々は「政治思想」を分離している(と思っている)わけだからそれが選挙に反映されるとは考えづらい。
なるほど。そうか、そういうことか。
興味深く読む。
政治に民意が反映されないのは、民意に従ったら国が潰れるからです。以前にも書いた通り、なぜ社会党が政権をとるにあたって自殺行為(日米安保と自衛隊と消費税にOKを出す)に打って出たのか、その悲壮な決意を推察するとき、政治家ってのは難儀な職業だよなあ、と思う。直接民主制(地方の住民投票)に私がいい顔しないのは、非現実的な理想論が好きな庶民に、諦めに近い感情を抱いているからです。
政治に民意を反映せよと本気でいっている方々が世の中にはけっこういます。でも庶民もやっぱり無意識に、何でもかんでも多数派の意見に従います、という政党はヤバイと思っているのではないかな。そうでなかったら、本当に私利私欲で政治家が動いているのならば、さっさとそういう政党(民意反映党)が誕生してもおかしくない。民意を政治にそのまま反映させることが正義ならば、民意反映党の候補者は絶対に当選できそうですよね。
結局、庶民は自分勝手なことをいっているだけだから、無体な要求ばっかり突きつけてきます。そのまま実行したら、国家がすぐに破綻してしまう。衆愚は恐ろしいということは田中真紀子さんが外務大臣を務めたときに、つくづく感じたものでした。ああ、これぞヒトラーへの道である、と。反戦平和主義的の彼方に待つのも、やはりカタストロフィーでしかないと思います。国家体制の破綻がいかに悲惨かということは、最近もマケドニアで実験済みです。直近の極端な事例では、警察組織が崩壊して暴徒が放火、殺人、強盗を繰り返したイラク各地の状況など。
日本でもこの夏、ことによると大規模な停電災害が吹き荒れ、理想を追うことの困難さ、現実との妥協の必要性を実感させられることになるかもしれません。さて、東京電力の原子力発電所、予定通りに稼働を再開できますかどうか。
実際問題として、韓国がイラク派兵を決めたように、政治家はバカじゃない(庶民にはバカに見えたとしても)から危急の事態には民意を無視します。無視できなきゃ困る。庶民が怒ったからといって、いちいち配慮していては困る。で、民主党も、あるいは共産党だって、たぶん政権をとったらそれなりに現実的な政策をとるはずです。ブッシュ政権からクリントン政権にバトンタッチしたときくらいの変化にとどまるのではないでしょうか。最悪でも美濃部都政くらいでしょうから、次の選挙で政権を追われるまで国は持つでしょう。
ディレクターズカット版、とか出ないのでしょうか。様式美にこだわった最終回。あー、でも尺が短くなってしまうのでは商売にならないかな。たいてい再編集版とかいうのは、未公開映像を追加して長くしたものばっかりです。よくわかりませんが、本編が長い方がお得感があるというケチな消費者が多いのでしょうね。私とか。
こういうことを書いてくれる人が定期的に現れるのはいいこと。
募金の話。補足しておきます。私がムッとするのはずらっと並んで運動をはじめること。10人とか、15人とか、一列になって駅の出口あたりに待っているわけです。金を払わなきゃ通しませんよ、という感じで。高校生にもなって、10人も15人も束になってこういうことをやってるというのは情けないと思う。
私的な基準ですが、3人までは許せます。しかしそれ以上は、多すぎるのではないか。広報としての募金活動はけっこうなことだけれども、大勢で壁を作ってサラリーマンに圧力をかけるのはよしてほしいよなあ、と。遠めに眺めつつ。聞いた話ですが、募金活動は1人より2人の方が効率がいいとか。2人でやると、1人でやる場合の3倍以上の額が集まるらしい。だいたい分岐点が3人くらいで、その後は人数の増加と募金額の増加が対応しなくなってくるそうです。
ところで、中高生の募金活動は、うまくやればバイトするよりずっと多くのお金を集められます。コンビニ募金と違って、1000円札を入れる人がけっこういるので。ただしこれは、年に一度しかその場所での募金活動はやっていません、といった条件付です。持続力がないという欠点はありますが、短期間でお金を集めようとした場合に、募金活動はかなり効率がいいのは確かです。一ヶ月分のバイト代を1日で集めてしまうわけですから。
まあそんなこんなで、募金活動するのは3人までにして、残りの連中はバイトでもやれ、と思う。高校生はバイトできるわけですから。高校時代、インターアクト部の連中が募金額の大小で人をケチとか何とか評していながら、そのくせ自分たちは募金活動をやっただけで満足してろくすっぽ懐を痛めないという様子を見ていたので、高校生の募金活動は素直に見れません。ようするに偏見ですか、そうですか。
千人祈の出版について、効率の面から否定的な意見が多数。私は必ずしも出版化をバカバカしいとは思いません。物販による寄付金集めはたしかに効率が悪いのですが、それだけ見て切り捨てるのはどうかと。
たとえば国労問題はいまだに決着しておらず、解雇された元職員たちはいまも裁判などで戦っています。とはいえ彼らも生活しなければならないわけです。北海道のあるグループは、漁村で干物を作っています。私の会社の労組はこのグループと親交があり、国労支援物販が毎月のようにあります。労組の方々が昼休みに北海道から届いた干物を売るのです。スーパーで売っている値段の3割増しくらいの札がついています。なぜ物販という方法をとるのか。それは、闘争資金と生活資金をセットで寄付していただこうということなのです。
前述の例は構図が非常にわかりやすいわけですが、もちろんいつもそうわかりやすいわけではありません。千人祈の出版など、たしかにすっきりと説明がつきません。けれども、こうはいえるのではないでしょうか。寄付金の源泉は、各人の収入です。ではその収入はどこからやってきているのでしょうか? たしかに書籍売上の9割は誰かさんの給料になります。寄付に回るのは1割に過ぎません。けれども、それは直接の寄付だって同じようなものです。収入のごく一部だけを寄付に回しているわけですから。
寄付金だけを直接的にやり取りするのも、書籍代に上乗せという形でやり取りするのも、結局は同じことだと思います。千人祈の本も、チャリティーコンサートも、まず本として、コンサートとしての値段があり、そこにいくらかを上乗せするという形式です。千人祈の本が1000円だとして、1000円も出して実際に寄付金に回るのは100円でしかない、というのはちょっと話が違う。900円の本を買い、ついでに100円の寄付をした、と考えるべきです。
900円の本を買うことを無駄と決め付ける論法には、落とし穴があります。みな生活必需品だけ買って、残りは直接的に寄付すればいいということになっていくじゃありませんか。理屈で効率的な福祉社会を求めていくと、共産主義的な方向へと流れていくのです。そして社会が閉塞してしまう。金は天下の回りモノです。千人祈の本を買って、編集者や印刷所や書店などで働く人の収入を増やす……それは一見、寄付という観点からいえば無駄なようだけれど、そうして資本主義経済を回していくことが、結局は社会全体の余裕につながり、世のため人のために使われるお金の増大へと帰着していくわけです。
また運動としての千人祈を考えた場合に、書籍の出版というトピックは、再びマスコミに大きく取り上げられる好機を作り出す最高の仕掛けのひとつといえます。当面の戦争は終結しても、反戦のメッセージがその意義を失うことはありません。反戦平和主義の方々にとって、本が出るのは重要なことです。本自体はさして売れないかもしれませんが、テレビなどに取り上げられれば、千人祈の心を数百万人(運がよければ数千万人)に伝えることができるのですから。
私は食と住を会社から提供されている社畜です。光熱費もみんな会社から出ています。この一年間に服を一着も買っていない(靴は買いました)ので、衣の出費は無視できます。家具調度品には不自由ないので、これも1年間でひとつも買ってません。だから、手取り給与はほぼ全額お小遣いです。月平均8万円を実家へ入れていて、月給から年間96万円が消えます。冬のボーナスを全額入れたので、合計120万円を突破します。
自由になるお金は月に6万数千円。飲み会は月平均3回(実際には特定の時期の集中)、1回につき3000〜5000円かかるので1万5千円を抜いて残り4万5千円。本は1冊100円だから月に5000円くらいしか買わないので、残り4万円。通信関係にあれやこれやで1万円使っても残り3万円。医者にかかって残り2万円。週末の食費を引いても残り1万円。そのうえ夏のボーナス(20万円くらい)があります。てなわけで年に30万円ほど余裕があるということに。あとは新社会人のお祝いとやらで、親類縁者から大金(合計20万円くらい)をいただいたので、昨年度に限っては50万円の余裕がありました。
というわけで、1年を通してみると、明らかな黒字という状況。大学卒業時の貯金、30万円あまりは手付かず。
参加者が22名いるそうだけれど、ほとんど名前貸しになっている。同盟を組んで、一体何のメリットがあるのだかよくわからないからだろうな。というわけで、実質的にはサキさんの個人的な企画サイトという趣。
で、サキさんの本サイトは閉鎖するそうですね。テキオンはいよいよ風前の灯。
連載ものは完結してから読むようにしています。「二重身」が完結したので、明日にでも読んでみようかと。
ところで、花粉症は症状が出てから対策しても遅いのです。正月頃に医者へ行って、予防的対策をやってしまうのが正解。来年は気持ちよく春を迎えましょう。西洋医学はそれなりに進歩しているので、ちゃんと医者にかかればたいていの病気はそれなりに症状が軽くなります。
今度の配色はdt要素の文字がたいへん見難いので、とうとう我慢ならず闇黒日記をOperaのユーザモードで閲覧するサイトのリストへと移動しました。まさか闇黒日記にユーザスタイルシートを適用する日がくるとは……。ちなみにOperaで使っているユーザスタイルシートは、@NetHome第四版「言葉 言葉 言葉」標準スタイルシートに、CSSによる段組を解除するよう、ちょっと記述を加えたものです。
今日はどういうわけだか7時台に帰宅できました。というわけで、今日も更新します。
迎賓館裏口の柊さんが日々見て回っているWebサイトの総数は200と少し
だそうな。私の場合は15と少し。そのときどきの興味次第であちらこちらのサイトにお邪魔するわけですが、定期的に読むサイトは非常に少ないのです。個人的リンク集には約50サイトしか登録されていません。ところが、これでも私のブックマークより3割ほど多かったりします。
私がいかに同じサイトを2度見ないか、ということをよく表しているような気がします。というか、正直いって九十九式ひとつリンクしておけば、そこを経由して面白いテキストサイトはいくらでも読めますよね。先日の備忘録を探して何とか図書館(忘れた)のリンクを辿れば、これまた何日かけても読み終わらないだけの情報へたどり着けます。Yahooディレクトリも情報の宝庫。とかいっている時点でなんというかもう(以下略)
平気であちらこちらを批判したり、オフ会とかに出る気がなかったりするのも、ようするに特定の誰かさんとの関係を維持しようという気持ちが私の中にないからでしょう。ブックマークに追加したって別に誰に見られるわけでもないのですが、どうもその程度のことさえ煩わしいのです。ブックマークを整理するとき、なんだか哀しい気分になります。こんなことなら、最初から登録しなけりゃよかった、なんて思う。(サウザー?)
そういえば、返信していないメールがいくつもたまっていたりします。でもたぶん、いま返信していないメールには、この先も返信しないだろうと思います。同じ人から、また別のメールがくれば話は違いますけれども。私は届いたメールにいちいち返信しなきゃいけないとも思わないし、した方がいいとも思いません。
というか、そもそも届いたメールを全部読んでいるわけでもありません。強烈なフィルターにかけて、9割方のメールを捨てています。実際、捨てられているメールのほとんどは広告ですが、たまにそうでないのもあります。ときどき確認するだけでも見つかるくらいなので、たぶん、ふだんからいくつものメールが私に読まれもせずに捨てられているのではないかと思います。
基本的に、御用の方は掲示板へどうぞ。ただし、レスをつける保証はありません。私が書き込みを読む保証もありません。気まぐれに書き込みを削除することもございます。ようするに、私はとんでもない人間なのです。ふつうの人と同じような優しさみたいなものを、求めてくれるなということ。メールも書き込みも、その内容が平凡でとくに問題のないものだからといって、私が喜ぶと思ったら大間違いです。
例えていうならば、いつもの通勤電車に乗って新聞を読んでいたら、「おはようございます。私、あなたの文章をいつも読んでます」と話し掛けられるようなものなんですよ、私にとっては。たいていの場合は悪い気はしないので、「サインください」みたいな申し出にも快くこたえたりします。けれども、いつもいつもそういう気分になるわけじゃない。うるっさいなあ、と思うこともあり、そもそも話し掛けられていることに気付かない場合もあります。
私は当サイトを商売でやっているわけじゃないので、お客様は神様ではありません。勝手に期待して勝手にがっかりされるのは個人の自由ですけれども、それを私にぶつけられてもね……。といっても私に必要なのは、メーラーの設定で「送信者を禁止する」手間だけなのですが。
テキストコンテスト地方予選の参加原稿、せっかく全部書き上げていたのに破棄してしまいました。誤字脱字のチェックをやっていて、あんまりつまらないのでイライラが爆発。もちろん、新しく書いたお話が面白いというわけではないのですが、なんというか早めに書きすぎたんですね。締め切り直前に書いていればこんなことには……。
新たに全然違う話を0から書き始めたんですが、今度のはけっこう多くの方が、文章を読んだだけで徳保が書いたな、とわかってしまうものになりそう。破棄した作品はもう絶対に使わないと決めてネタばらしすると、破棄作品では地の文をひとつも使わなかったんです。ハガキと手紙だけを順に並べるというやり方。文体から作者ばれするのが嫌だったので。でも、もういいです。地の文、使います。使いますとも。ただし、「たいへん困る」は使いません。「**さんが黙りますように」とか、そういったあからさまなのは、校正段階で徹底して排除します。でも、私が書く以上、どうしても私の文章になってしまうわけで、そればっかりはご勘弁いただきたく……。
でもテキコンのルールを見ても、作者がわからないようにしなければならない、というルールはないんですよね。作者を伏せた状態で投票が行われる、とされているだけ。だから、ルール上は誰が読んでもああこの人が書いたな、とバレバレでもいいということになるのだろうと思う。ただそうなると、人気サイトの管理人が有利になってしまう可能性がある(採点競技というのは往々にして過去の実績がモノをいうものです)から、不文律としてなるべく作者を隠すように、ということになっているのでしょう。
締め切りは2日後。うわー。(超ヤバイ)
興味深く読む。あかのさん関連の話題に興味のある方にはとくにお勧め。ところでテキオン掲示板によると、小林のウェブサイトは迎賓館裏口と並べ紹介されるようなサイト読みサイト(私はテキストサイト系テキストサイトとかその手の言葉が好きじゃない)であるらしい。知らなかったなあ。
メモ:ネットバトル/当該記事の削除/感情論/経験論/アクセス解析・アクセスカウンタ/自由/謝罪の要求
回答に感謝します。全般に「そうですかー(いろいろな意味で)」といった感じなのですが、僕とおはら氏は確に一定の信頼関係がありました(ぶっちゃけ今からも継続したいと思っています)。
と書いていらっしゃることには苦笑しました。まあ、頑張ってください。
あと、言葉がインフレ気味なのがちょっと心配です。
特定の事象について言及しているのに、その対象を明らかにしない人は嫌い。よほど特別な事情があるのならばともかくとして。このことは平成15年1月30日の備忘録でも書きました。
ところで、私はマサムネさんとは違い、祈ることも、それを公言することも、そんなに恥ずかしいことだとは思っていません。だから私も祈ってみせたわけでありまして。(注:平成15年4月4日備忘録「おはらさんが黙りますように」)
いろいろな方が、さまざまなことをおっしゃっている。(小学生並みの感想)
戦争に対して起こす何らかのアクションはイコール政治的活動になる。そのため、その目指されるべき成果は当然国政に対して果たさないといけないことになる。それは、個人や個人サイトではどうにもならないものであると言えるのではないか。
異見あり。目前に統一地方選があるわけで、イラク攻撃を支持した自民党に対してネガティブキャンペーンを張ることには意味があると思いますよ。私は逆に、「民主党は嫌いだ」ということを既に備忘録で書きました。マスコミは表向きそうしたことはできないことになっていますが、事実上、どのマスコミがどの党の政策を推しているか(あるいはどこも推していないか)といったことは、ボーっとしていてもちゃんとわかるようにやっています。ただ、一部の例外を除き、ほとんどのマスコミはケースバイケースで支持政党を変えます。イラク攻撃に関して民主党の意見に賛成したマスコミが、その他の政策についても民主党に賛成とは限りません。
とりあえず、今回のイラク攻撃について反対の意思を表明したければ、民主党あるいは民主党に近い意見を持っている候補に投票することですね。東京都知事選なら樋口さんに一票入れたらいい。石原さんがこの状況下で圧勝するようだと、まあなんというかあれです。私は石原さんでいいのですが、千人祈参加者はそれじゃまずいでしょう。樋口さん応援キャンペーンでもやったらいい。選挙というのは案外、現場は個人の活動に支えられているのが実情です。票固めというのはまず家族からはじまり、続いて親戚縁者、友人、知人と進みます。選挙カーの声しか聞いていない人というのが多いのでしょうが、その辺はじつのところ適当に票が割れてしまってお話になりません。
というわけで、政治を左右する選挙戦において、個人サイトが及ぼす影響力はないとも言い切れません。たぶん、神奈川知事選挙で田嶋さんが当選することはありえないでしょう。ただまあ、個人サイトをやっている人、見ている人には選挙とかいかない人が多そうな気がしますね。マスコミ関係者も、じつは投票とかいかなさそうな感じがします。
ところで、罪と罰は過去ログを残さないサイトなのかな。
関係ないのだけれど、赤い羽根募金の季節になると、駅前に中高生がずらっと並んで運動をはじめるわけです。中学生はともかく、高校生にもなってああいうことをやっている連中はバカだと思う。インターアクト部なんかがよくやっているわけだけれども。夏休みにバイトでもやって、それを全額寄付でもしたらどうか。昨年度、あちこちに寄付した額を合計したら、一ヶ月分の手取り給与=14万円を超えていたので驚いた。給与の過半を実家に入れている(1年で120万円ほど入れた)のに、それでもお金が余っている。
技術関係の書籍は値段が高いとこぼす人が多いのだけれど、正直、車を買うことを考えたら安いものだと思う。まあ、車を必要としない人間だからそういうことをいうのでしょうが。運転免許証は単なる身分証代わりにしかなってません。
例によって例のごとく、更新できません、といいつつ更新してしまいます。
ああいう運動は、周囲に美談として捉えられてこそ得られる効力があって、そのためには「がんばっているうちに、その姿が*自然と*人の目を集めた」っつう過程を経たように見えなくちゃいけないんだと思う。
なるほど。たしかに千人祈参加者の主力をなす層は、売名行為が嫌いでしょうからね。彼らにとっては、「千人祈の成功のためには、千人祈の売名に成功しなければいけない」というロジックさえ受け入れ難いかもしれません。自然と人の目を集めた
などというのは空虚な物語に過ぎないわけですが、それなしにはついてこられない人が少なくないという現実にも、主催者は配慮しなければならないのかもしれません。奇特な千人祈参加者をさらに啓蒙し選別する余裕は、たしかになさそうです。
とすると、「千人祈は売名行為」という批判にならない批判があったときに、否定もできなければ肯定もできないということになります。進むも地獄、戻るも地獄。こんなとき、虎穴に入らずんば虎子を得ず、なんていいますけれども、今回は虎穴に入っても中は空っぽ。沈黙は金、といって何もしないのが無難だったということでしょうか。
追伸:掲示板のCSSについてのご意見にも感謝。
おはようございます。今週の平日は、これきり更新しません(できません)のであしからず。
えーと。参加者の半数(23人)くらいは投票してもいいんじゃないのかと思った。ちなみに拙文は13日より公開されるようです。誰がどの文章を書いたのかはわからないように配慮する、というのが不文律(明文化されてないんだよなあ)なので、私もテーブルレイアウトでも使おうかと思ってます。投票が終われば自サイトで公開できるので、適切なマークアップはそっちでやればいいか、と。そんなわけで、テキコン地方予選、よろしくお願いします。
全作品を最後まで読む必要はないんです。ちょっと読んでこりゃつまらんと思ったら投げ出してOKなので、さらっと見渡して気に入った作品だけに投票すればいいんじゃないかと思います。得点は低くても問題ないと思うのだけれど、投票総数が少ないのは本当に残念。第三組が投票受付中なので、皆さんぜひ投票に参加してみてください。
ところで、地方予選のサイトはどうも使いにくいというか、本家と比較してこなれていないように思う。本家のサイト構成をそのまま真似ればいいと思うのだけれど、独自路線に走って裏目裏目に出ています。メニューフレームがどんどん縦長になってきていますね。
過去ログの置き方も、組ごとにフォルダを分けていないので、遠からず破綻するような気が……。ファイル名に規則性があればいいのですが、yakusoku3.html,yakusoku.htm,yubikiri2.htm,h-1.htm,usozyanai.html,yakusoku2.html,tekikon01.htmという具合でてんでバラバラの名前のファイルが全部同じフォルダに入っているわけです。私なら発狂しますね。自分でつけたファイル名ならいいけれど、貰ったファイルをそのまま使っているわけだから、コーイチさんはこれをよく記憶していられるものだなあと思います。
今からでも遅くないので、サイト構造を整理し直された方がよいのではないでしょうか。
さっき見てみたら、メニューフレームなど改善されてました。
よくわかりませんが、あかのさんにとっては何かが終わったそうですね。
ここにあった書き込みはすべて削除させていただきました(終わりましたので)。noiさんありがとうございました。
たしかに管理者の自由なんだろうけれども、こうやって都合の悪い書き込み、気に入らない書き込みをどんどん消していく人は、自分の信用もどんどん消していっているということになぜ気付かないのでしょうか。相手の意見よりも、自分の意見の方がより説得力があったと信じるならば、両者の意見を消さずに残しておくことで自説の補強とすることができます。逆に自分が相手の意見に感服したならば、自説は取り下げても相手の意見はそのまま残して今後の向上に役立てることが自分のためになるのです。
もちろん、単なる宣伝広告とか、まったくどうしようもないものは消してもいいでしょう。しかし、今回の件は果たしてそういった性質のものだったのでしょうか。まがりなりにも意見交換の形をとりつつ、議論めいたことをやっていたのではありませんか。
あかのさんが終わりました
と思うのはいいのですが、こうやっていらざることをするものだから、私はメモを残しておきたくなるわけです。また消されてしまうといけないので、ひとつの意見を引用します。
kou 『トトロ氏がリークしたという一文は、私の目から見ても「悪意がある」という印象を受けました。赤ではないにしろ、ボールドにして強調してるんですから。なぜそんなことをわざわざ強調しなくてはいけないんでしょうか?「千人祈」がマスコミによって世間に広く知られるならば、それこそこの企画の趣旨に叶うことになると思います。マスコミに知られるのが悪いと思われてるのでしょうか?その理由を考えるに、赤野氏が嫉妬しているという意見にも頷けますし、今回のおはら氏の言動も理解できるものがあります。』
私はこのkouさんの意見に同意したい。あかのさんの主張を読むと、結局のところおはらさんを謝らせる根拠は、赤字問題にまつわる事実誤認のようです。「見間違えた」ことの謝罪はいただきましたが、「見間違えたことによって生まれた曲解に対する誹謗中傷、罵倒」の謝罪は一切受け取っておりません。
というのですが、そんな大げさな話なのかどうか。こうした言動は必ず自分自身に跳ね返ります。事実誤認の訂正だけで我慢すればいいものを、その影響まで責任を取らせようとするのはやり過ぎです。あかのさんには十分な反論機会が用意されていたではありませんか。
そもそもあかのさんがリーク
などという言葉を使ったことに問題があるのです。事実誤認を抜きにしても、いわれのない悪意を先に放ったのはあかのさんなのです。おはらさんはそれに対してカチンときました。そして反撃する際に勇み足をやったのです。
掲示板にも書きましたが、おはらさんの反撃が質の低いものだったことは事実です。しかし、備忘録4月4日付の補記に書いた通り、そもそもあかのさんは情報戦略に対する認識を誤っています。それゆえあかのさんはリーク
などという言葉遣いをして千人祈の関係者を怒らせ、頭に血がのぼったトトロさんとおはらさんからズレた反論を引き出してしまいました。こうした流れを見失ってはいけません。
売名行為が必要以上に嫌われる昨今ですが、無名の一般人の意見を広く世に伝えようとするということは、すなわち無名の一般人を精一杯広報して千人祈の名を売るということに他なりません。売名行為をやろうとしている集団に対して、「あんたたちのやっていることは売名行為だ」といっても虚しいのです。相手は平和な世界を作りたいという目的のために、あえて売名行為の成功を望んでいるのであって、対案を示すことのできない人間が売名行為自体を批判しても意味がありません。もし私がトトロさんが毎日新聞社に千人祈の情報を提供したと確信したのなら、「さすがマスコミを知っているトトロさんは凄い!」と賞賛したでしょう。
あかのさんがリーク
などというから、トトロさんは見境なく「そんなことはしていない」といった反応を返しました。本来なら、「それをやらなかったのは手落ちだった」とでもいうべきところです。もしトトロさんが落ち着いてそう発言していれば、あかのさんもその段階で我に返ったのかもしれません。おはらさんもその点は同じで、リークという言葉に惑わされず、落ち着いて意見していればよかったのです。だから、トトロさんとおはらさんを全面的に擁護することはできません。とはいえ相手を非難することにばかり熱心なあかのさんの言説は、どうかと思います。
たしかにあかのさんは反省の弁を述べています。しかしそれらは何ら具体性を伴なわない、おはら氏は僕のことを「脳内で言葉遊びをしている子供」だとおっしゃいました。それは同意します。
といったものばかりです。私の意見を紹介するのはけっこうですが、自説への批判についてはどう考えているのでしょうか。
ひょっとすると、千人祈の関係者も、「千人祈の成功=売名行為の成功」という構図に無自覚で、あかのさんと同じ「売名行為→唾棄すべきこと」という発想でしかなかったのかもしれません。もしそうだったのならば(というか、実際そうだったのでしょうが)、今後は自分たちのやっていることが何なのか、もっとよく自覚された方がよいのではないかと思います。今後も「所詮は売名行為」といった批判は出るでしょう。そのときもちろん、「売名行為でーす!」などと答えてはならない。それが難しいところなのだけれども、躍起になってそれを否定して回れば自らの首を締めることになります。
売名行為という言葉の語感が悪すぎるので、堂々とそれを認めることはできず、さりとて売名行為ではないといっては大嘘になります。それは千人祈の成功を願っていないということと同義だからです。となれば、批判を受け流し、ときに黙殺することが必要となります。これはなかなかガキには真似のできないことです。だからこそ批判の矢面に立つのは、リアル社会を知
る大人のおはらさん、トトロさんなのです。
今回はとんだポカミスをやりましたが、この先は大丈夫でしょう。間もなく本も出るそうですね。インタビューも含め、取材がまた増えるかと思います。と同時に批判も激増するのかもしれません。この先の正念場で、おはらさんたちが見事に難局を切り抜けられることを期待しております。
私は千人祈のような運動(千人祈が広義の運動であることは明白)には賛同しません。だから、「私は賛同しない、その理由はこうこうである」という批判はします。参加者は頭が悪い、とまで書くかもしれません。けれども、「何が何でもやめろ」「絶対にするべきでない」というほどはっきり反対する理由は、ありません。私から見て苦々しいものであっても、悪事ではないからです。
あと興味のない方、本当にごめんなさい。
騒動が終わってしまえばもう、私はあかのさんのサイトを見にいく理由がなくなります。それでも私はおそらく今後もあかのさんのサイトを見にいって、「なんだ今日も芸術情報ばっかりなのか」とがっかりするのでしょう。そういう読者には本当にごめんなさい
といわないわけですね。でも、製作者が想定しているような読者は案外少なかったりする罠。
いや、個人サイトは自分の好きなようにやればいいんですけどね。それでも閲覧者もまた自分勝手だから、作者に無視されている読者としてぶつぶついってみるのもまた自由だったりするわけで。わははは。
先日、「おはらさんが黙りますように」と祈るのは自由
と私は書きましたが、自由主義というのはじつにシニカルなものだと思います。正直いって、あまり人に優しいとは思えません。それなのに、人に優しくといった信条を掲げる人に自由自由とうるさい人が多いのは、いったいどういうわけなのでしょう。おそらく、自分たちは自由を要求するだけの立場だと勘違いしているのでしょう。
話がずれまくっているのでこの辺で。
Personnelの配色が変わっていて驚いた。見やすくなっている。今後はユーザCSSを適用していないMozillaで閲覧しようかと思う。
伊良部と阪神がイメージ的にまだつながりません。
千葉県育ちとして、これだけはいっておきたい。伊良部といえばロッテ。ヤンキースじゃないよ。
昨日のデザイン変更についてメモなど。
<div id="contents"> ←ここが間違ってんじゃないかとオモタ。
JavaScriptとCSSがともに有効となっているMacIEには../../CSStnstyle.cssが適用されるはず。CSS振り分けにはQUIAのスクリプトを利用しています。../../z-qstyle.jsがそれです。
じつは今回のデザイン変更で、/design/index.html以外の文書からdiv#contentsを排除しています。同時にdiv#addは完全に排除したのですが、CSSの書き換えを忘れていました。そこで気付いた箇所は修正してみたのですが、いかがなものでしょう?
IEでdeceiver使うと、「目次」が無駄に横幅あって文章やコンテンツを隠しやがるそうですが、たしかにそれはありえますね。目次の幅はフォント依存です。一方、目次用に余白を16emとっているのですが、なぜかこれ、フォントの種類が変わっても変化しない値なんですよね。
NNでは比較的まともだけど、「目次」内の文が長いと本文をチョトだけ隠す……これもフォント次第だと思います。Winユーザの私は、そうなったことが一度もありません。(Adviceのリストは例外です)
前あったflowerは、マクーIEだと崩れてた。知っててやめたのかな?というのは違います。div#contents依存のCSSだったので、div#contents排除とセットで退役させました。
NNで2003を選ぶと、デザインの選択肢が現れなくなるとのことですが、Win98+Mozilla1.2.1では私の意図通り表示されます。また「表示→スタイル」の順でメニューからもスタイルを選択できると思います。
勘違いがあったら教えてください。
半可通な知識を誇る者は、チェンバレンの宥和政策を批判するが、イギリスがナチスドイツに抵抗できるだけの軍事力を整備したのは彼といふことを失念してゐるか意図的に無視してゐるのは何故だらうと私は訝しく思ふ。
たしかにチェンバレンが首相となった当時、イギリス軍はナチスドイツに十分対抗できるだけの軍事力を有しておらず、宥和政策は時間稼ぎの側面もあったといえます。しかしそうすると、チェンバレン以前のイギリス内閣がなぜドイツの軍備増強を許してきたのか、イギリス軍の強化を怠ってきたのか、という問題(注:いずれも最大の要因は世界恐慌です)が浮かび上がります。結局、宥和政策とその後の悲劇から得られる教訓は、「理性的な国家が世界最強であるべきだ」ということです。例えていうならば、暴力団と警察の実力が拮抗してしまったら世の中ヤバイぞ、と。それは一昔前の南米暗黒史を見ての通りです。
問題は、「どのような国家が力を持っているのが理想的か」ということなのですが、理想と現実を両睨みの民主主義国家アメリカは、まずまず悪くないと思います。フランスは伝統的に独立独歩の気風がひどい国です。国連重視を唱えるのは、大国が超大国に対抗するのに都合がいいからに過ぎません。また議会が大統領の足をひっぱるアメリカと異なり、ことあるごとに国内の意見をガッチリ統一するのがかの国の特徴であり、無視はできないが強大でもないという現在の状況は、決して悪くありません。共産党独裁の中国は論外、いまだ共産党時代の影を引きずるロシアも論外、というように考えていくと、アメリカという選択肢は順当ではないかという気がしてきます。
いずれにせよ、チェンバレンが自ら望んで宥和政策をとったわけではなく、他に選択肢がなかったので致し方なく宥和政策をとったということはもっと注目されていいでしょう。今、アメリカには力があるわけで、ならば当然イラクを叩かないわけにはいかないのかもしれません。かもといっているのは、イラクが果たしてナチスドイツのような危険な国家なのかどうか、いささか怪しい感じもあるからです。しかし歴史を振り返れば、フセイン政権は何かというと戦争をはじめる傾向があり、アルカーイダとのつながりを噂する声も絶えませんでした。中枢同時テロ事件で危険に敏感になったアメリカにとっては、どうしても叩かねばならない敵となったのでしょう。
さて、それではなぜ大量破壊兵器が本当に存在するのかどうかさえ怪しいイラクが、現に原子炉を堂々と稼動し、核兵器開発に向けて動き始めた北朝鮮よりも先に攻撃されるのでしょうか。私が思うに、重要なのは大量破壊兵器云々ではなく、暴発の危険性なのではないでしょうか。なぜアメリカの持つ大量破壊兵器は問題とされないか、という問題と同じです。この20年余り戦争ばかりしてきたイラクと、50年間なりを潜めている北朝鮮では危険度が全然違うわけです。北朝鮮が核開発を停止すれば、おそらく北朝鮮への軍事作戦はないだろうと思います。
これもまあ、半可通
の予想に過ぎませんけれども。
どうでもいいのだが、はまぐりが可哀想
という表現につっこむ人はいないのか。この一言で、発端の投稿者レイさんの思想的立場は相当程度推測できるし、それに対する反論もかなりのところまで予想がついてしまうのだけれど。まあ私のいいたいことはいろんな人が分担して書いてくださっているので、これ以上付け足すようなことはない。以下は蛇足。
常識は自然と身についていくものだなんて考えている親の子どもは、たいてい非常識に育つのではなかろうか。私の両親は、魚料理を出すたびに私に魚の名前をいわせた。私は中学生になっても、しばしば答えを間違えた。予想もつかないことさえあった。何度も何度も食べてきた魚なのに、である。それでも両親、とくに母親は、諦めることなく私に魚の名前を教え続けた。ここ数年はさすがに毎回問うことはなくなったが、たまに実家に帰ったときにも、母はときどき思い出したように魚の名前を問うた。私はそのたびに頭を悩ました。教育とは、そうした途方もない努力の上に成り立つものではないのか。
自分の子育てに口を出されると、烈火のごとく怒る人が多い。私物化された子ども(そりゃまあ私物なんだろうが)はいい迷惑だ。親が誇り高い人間なのは悪いことではないが、根拠のない自信を振りかざされても困ってしまう。蛮勇ではいけない。素人の思い付きなど、たいていは失敗するのだ。過去の成功例、失敗例を数多く研究した方々が、様々な成果を発表されている。そうした中からよさそうなものを選んでいく方が、よほど現実的だろう。もちろん、選択にあたってはちゃんと自分で責任を持たねばならない。信じてバカを見たといって、信じさせた人を責めて思考停止に陥る人がいる。本当に、そういうのは子どもにとって迷惑な話だ。
……といったことを、以前、塾で仕事していたときにはよく考えたものだった。
掲示板へ寄せられたご意見に、すべて回答させていただきました。
危急存亡の危機だというのに、定期昇給をばっちり確保、夏季の一時金は2ヶ月弱。今年の春闘でもまた、労組は無茶な成果を達成してしまいました。こうやって危機感を煽って、仕事を頑張るエネルギーにしようということなのでしょうか。それにしても、労組の方にはもうちょっと手加減してほしいと思います。
もうすぐ定年の方々は会社が数年後にどうなろうと関係ないのかもしれませんが、私は少なくとも10年間はお世話になるつもりで入社したわけです。3年目くらいで潰れてしまうのでは困りますよ。ぶつぶついっていても仕方ないので、とにかく売れるものをつくらないとなあ。
友人知人に話を聞くと、けっこう残業しまくっている方は少なくない様子。私の会社では、労組との残業協定で月60時間、3ヶ月100時間までと決まっています。それ以上残業をつけると、上司が処分されます。これを聞くと「ええーっ!!」と驚かれる方が少なくないのですが、そこそこ大きな企業では、だいたいこれくらいの規定になっているはずです。(ちなみに私の会社は従業員が900人弱です/リストラで15%減りました)
さて私の会社は、一昨年度より経営が危うい状況です。今年度はまだ大丈夫ですが、このまま進むと最悪の場合、来年度にも経営が破綻します。そんなわけで、みなサービス残業ばかりやっているというのが実情です。私もサービス残業しかしないので、毎月どれくらい残業してるのか、じつは一度も数えたことがありません。「サービス残業などありえないので調査不要」という建前のもと、こうした事実は闇に葬られています。しかし、それで困る人もとくにいません。
じつは、定時で帰る方もそれなりにいます。別にそれで昇進に影響があるというわけでもなく、給料が減るわけでもなく、いじめられるわけでもなく……。つまり私の会社では、サービス残業はしたい奴がやる、たまたま今はサービス残業したい奴が結構多いというだけに過ぎない、という認識が社員一同に浸透しているのです。労働組合が非常に強い会社ならではのことでしょうけれども、非常にさばけた素晴らしい考え方だと思っています。
たしかに、サービス残業したからといって偉いわけじゃないですよ。私のように昼食後にうつらうつらしていて、それで予定した実験がちゃんと時間内に終わらないというだけのケースもあるわけです。またサービス残業に下手に慣れてしまうと、仕事を効率よくこなす方法を考えずに、時間をかけてごり押ししてしまうようになりがちです。それでは次回また同様の仕事に取り組む場合にも同じ苦労を必要とするわけで、そんな仕事のやり方ではまずいといえます。
忙しい現実に酔ってしまうことなく、定時に帰れるよう工夫し続けること、その工夫を周囲にも伝えていくことが、結局は社の経営の好転にもつながっていくのではないかと思います。
おはらさんよりメール。以下は私の返信。
おはら 様
お電話の件ですが、当方の姿勢は以下の通りです。
- /design/info.html#tel
サイト内各ページ最下部に、電話番号を記しておりますので、御用の場合はどうぞ。ただし私は電話嫌いです。
なお今回の件については、私一人の誤解を解こうとされたところで問題そのものの解決にはつながらないということに留意されるべきだと思います。
また、私は秘密の押付を嫌う人間です。サイトに書けない情報を教えられても何ら利益がなく、むしろつらいばかりです。できる限り要件はサイト上で発表してください。
メールも、公開を制限されるような内容であれば迷惑です。
つまり、公にできないような内容ならば連絡無用であり、公にできる内容ならばおはらさんのサイトで公表していただきたい。それが私の希望です。
------------------------------ 徳保隆夫 ***@hotmail.com ../../
早速、おはらさんから徳保さんのスタンスも理解出来ました
との返信あり。遠からずサイト上で、おはらさん視点の状況説明があるでしょう。ひょっとするとこれきり何もないかもしれませんが、可能性は低いのではないかと。
おはようございます。今朝は5時台に更新。いつもより1時間早く出社しなければならないわけで……。正直、仕事が佳境にはいっているということです。(注:はてなアンテナの取得する更新時刻はたいてい実際よりも遅れています)
私が社員寮で生活していることは既にくり返し述べてきた通りですけれども、このほど新入社員が隣の部屋へやってきました。入社式が1日ですから、引っ越してきたのはもう少し前のことでしょう。しかし昨日、洗面所で彼に鉢合わせするまで、私は隣室に人がきたことに気付きませんでした。テレビをつけたり携帯電話で喋ったりするくらいの音でさえ貫通する(何を喋っているかはわからないが、話し声と笑い声の区別くらいはできる)薄い壁だというのに、彼の部屋からは物音がしないのです。おっそろしく静かに生活しているようなのです。
そういえば目覚し時計の音が聞こえてきたことがない、ってことに気付いて驚愕。今年の新人はすごいなあ。ひょっとして、学生時代から規則正しい生活をしていたのでしょうか……。
今年も入社式に桜が満開、本社前に流れる川の両側には桜並木。春はよきかな。それにしても昼食後の眠さはただごとではない。少なくとも最近は毎晩6〜7時間寝ているはずなのですが。
今は後書きが公開されているわけですが……。いやー、両方とも更新が丸一日途絶えましたので、まさかマジネタだったのか? と思ってびくびくしてました。そのときはなんといってお詫びしようかと。
正直、今からでも読む価値あります。楽しめます。というか、お二人とも最近の更新を何気なく絡めてきていて、最初に読んだときはぞくぞくしました。SBさんの2週間で別れちゃった彼女の話、ニィナさんの一言ダイアリィ、リンクページ、さらに100の質問の一部の回答など。サイトを読み込むとどんどん話に符合する点が出てきて、心臓に悪かったです。リンクするんじゃなかったと大後悔。ホント、勘弁してください。
というわけで来年もよろしく。
本多勝一批判。価値相対主義がなぜ私を苛立たせるか、ズバリ書いて下さっていて溜飲が下がる思い。
ところが私は不徹底な人間で、実質的には価値相対主義を離れられないというダメっぷり。野嵜さんも現実にはいろいろ妥協されているそうですが、言論では筋を通されている。私は言論でも筋を通さない。やっぱり価値相対主義にはそれなりの魅力があって、私はどうしてもそのぬるま湯を捨て切れないのです。そもそも私が一貫性に重きをおかない以上、もとより絶對なる觀念
を受け入れようもないわけですが。
翌4月3日の更新に対するコメントで、トトロさんは別に僕は怒ってませんし
とおっしゃっている。もちろんこれは、「怒っています」という意味です。しかしながら、自分では本当に怒ってなどいないつもりなのでしょう。「怒り」という感情への嫌悪感、忌避感が、現実を見る目を曇らせているのです。
トトロさんはまた、批判の応酬についてサイト上での喧嘩ってとっても無益だと思う
ともおっしゃっています。意見交換は、批判中心の方向へ流れるととっても無益
なものとなる、という珍説。批判=喧嘩というのもどうかと思いますが。けれども、トトロさんのような発想の方はけっこう多い。これだから、人と人との対話は難しい。
有名人のコメントと違って一般人の意見は誰にも注目されない……だなんて、いまだにそんなことを本気で思っている人々がこんなに多勢いるとは驚きです(嘘)。理性的な意見よりも多数派の意見に添った報道が中立公平かつ客観的などとされている昨今、一般人の適当な思いつきの集合体こそが世の中を覆い尽くしていることはあまりに明らかではないでしょうか。有名人の意見は、多くの場合、単に庶民代表として適当に選ばれているに過ぎません。中東問題専門家の意見よりも藤原紀香の意見の方が大きく取り上げられているのはなぜでしょうか? すべては商売のための大衆迎合なのです。もちろんテレビ記者も新聞記者も庶民の一角だから、迎合しているという自覚さえないのかもしれません。本気で官僚どもはみんなバカだと思っている記者も少なくないのでしょう。
いずれにせよ1億人の声をいちいち拾い上げることは不可能です。しかし新聞でもテレビでもことあるごとに街角から声を拾い、素人代表と目されるコメンテータを表舞台に召還して躍らせるなど、取りうる策は(商売に支障ない範囲で)できる限り実行しています。これだけ配慮されていながら、なお庶民の声の掬い上げが足りないというのは贅沢です。どうせ投書欄ばかりの新聞なんて買う気ないくせに、勝手なことばかりいうものです。
ここで私はふと、政治家について思う。旧社会党は、政権を担うと同時に自衛隊を合憲と認めました。このとき党の滅亡を覚悟しない議員はいなかったことでしょう。そしてその予想は、間もなく現実のものとなりました。あるいは、消費税のために倒れた内閣は竹下内閣、細川内閣、橋本内閣……と枚挙に暇がありません。今後も税率アップのたびに内閣が倒れることでしょう。とくに橋本内閣は、選挙前に増税を施行するという信じられないことをやりました。そして増税案に賛成した自民党議員は、各地でバタバタ討ち死にしていくことになるのです。
私利私欲だけで政治家をやっているのなら、それこそ庶民に媚びた政治をやればいい。何でもかんでも世論調査のとおりに施策を進めればいい。まあ庶民の要求は矛盾しまくっているので話はそうそう簡単ではないわけですが、それでも、もう少し大衆に迎合したっていいように思う。なぜ政治家は悪名を背負い、議員バッジさえ失うことを覚悟して自分の信じる道を進む(ことがある)のか。
みな(それなりに)まじめに頑張っていて、本当に頑張っていて、それなのに先に待っているのは不幸だったりするのです。世の中そういう風にできている、私はそう思います。
おはらさんの書いていることも、正直いってよくある意見の一典型に過ぎない。実際そうであるからこそ、千人祈という企画には賛同者が多勢いるのでしょう。
ゴーマニズム宣言からそのまま文章をコピペしてきたみたいなテキストをさも自分の意見かのように発表して悦に浸るのって恥ずかしいよ? いや、おせっかいでゴメンね? もしかしたら君は羞恥の概念が僕とは違うのかも。
似てもいない意見を似ていると断言するのは無知ゆえでしょうが、意見の受け売り自体を批判するにいたっては唖然とする他ない。独自の意見なるものが存在しうるか、という問題はこれまでに散々哲学者の議論してきたところですけれども、素人にもいえることがひとつ。人の意見はみな、過去に発表された様々な価値観や情報のつぎはぎからできています。新しい科学理論も含め、みんなそうです。また、そうであるからこそ、言葉が意味を持つわけです。
千人祈という言葉の力を信じた運動もどき(私には千人祈というイベントは事実上、運動の一種だとしか考えられない/当人が運動だと思わなくても、やっぱりそれは運動なのだ)をやっている人が、言葉の存在理由を打ち消すような発言を自身満々で繰り出している。こうした矛盾はよくあるものですが、今回はどうしても気になったので指摘しました。
さらに、おはらさんは自分は推測で暴言を吐くくせに、他人に推測されると(暴言ではない単なる推測であるにもかかわらず)それがたまたま間違いだったことに気を大きくし、批判とごたまぜにして中傷の言葉を書き連ねます。こんなことをしていながら、自分を子どもの悪を懲らしめる正義の味方(大人)の立場に擬しているのだから、恥を知らない人は困ったものだといいたくもなります。
運動もどきをやりたがる方々はなぜ、往々にして批判に大人気ない反応を返すのでしょうか。それほど自分の正義に自信がないのなら、黙っていてほしい。もちろん、私におはらさんを黙らせる力はありません。けれども、「おはらさんが黙りますように」と祈るのは自由でしょう。
あかのさんはトトロさんが毎日にリークしたのではないか。
と書いたことについて、4/3 追記 このような事実はない、とこのと。失礼な更新をしてしまいすみませんでした。
としているのですが、これには異論があります。もし私が千人祈を主催するならば、絶対に毎日新聞と朝日新聞に一報を入れます。この2紙は、こうした運動もどきを取り上げてくれる可能性がかなり高いからです。無名の人々の言葉を広く社会に伝えることを考えるならば、マスメディアの利用を狙うのは当然です。それをトトロさんがやっていなかったことは、「所詮、本気で言葉を伝えようという気概なんかなかったということだね」と批判の対象にこそなれ、決して誉められたことではありません。
トトロさんは覚悟と責任
だなんてことをいって、偉そうにしている場合ではありません。たくさんの「声・想い」が集まれば注目してもらうこともできるのではないか?そしてその通りにメディアの方にも注目していただいてるわけです。
などという外部(=賛同者以外)に向けた自発的な広報活動を放棄したやる気の足りない姿をさらけ出していながら、よくそれで人に説教する余裕があるものだと思います。
マルチ(みたいなもの)にはまっている人との付き合い方……う〜ん、「君子危うきに近寄らず」が正解なのかも。問題なのは、危ういことに気づいたときには敵陣深くに取り込まれてしまっているということ。ただし物理的に囲まれているだけならまだどうにかなるので、まずは落ち着きましょう。焦らずに、ゆるりゆるりと言葉をかわして笑顔で退散することを目指します。なかなかそれが難しいわけですが。
宗教も保険もマルチも、末端の勧誘員はみんな親類縁者、ご近所さんと友人に触手を伸ばしますよね。たいていは冷たくされて寂しい思いをするだけに終わるわけですが、たまに一族郎党がシステムに組み込まれてしまうケースがあります。こうなってしまうともう、精神的に逃げ場がなくなってしまうわけで、こういうのが一番ヤバイ。多くの場合、予防も不可能だったりしますし。
他者を信じすぎてもろくなことがないとよく言われるが、信じて馬鹿を見る、と、信じないで相手を軽んじるでは、私は前者を取りたい。誰も信じない人間は、きっと寂しすぎると思う・・・。
他者を信じすぎるとよくない
という話は、必ずしも誰も信じない
ことにはつながらない。自分で話を飛躍させておいて、きっと寂しすぎると思う
と嘆いてみせるマッチポンプ。私もついついやってしまいがちなことなので、自戒しておきたい。
ところでマッチポンプとは、マッチで火をつけ消火ポンプでその火を消すという比喩で、いわゆる自作自演のこと。goo国語辞典はさらに一歩踏み込んで自分で起こしたもめごとを鎮めてやると関係者にもちかけて、金品を脅し取ったり利益を得たりすること。
と解説していますが、必ずしもそれほど限定された意味で使われているわけではないと思います。なお、マッチポンプは和製語なので、日本人語圏以外では通じませんから、注意が必要です。
余談。他山の石とは見てくれが良くなくとも、そのものの大成には欠くことのできない好材料。(俗に、模範の意に解するのは誤り)
ということなのだそうです。先ほど辞書を引くまで、ずっと誤解し続けていました。いやー、驚いたなあ。
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に頬が緩む。私は何がしかのファンの方のサイトが好きです。幸せそうな人を見ていると、私の心も明るくなるような気がする。(気がするだけ)
今年も阪神は開幕ダッシュ。同僚に阪神ファンが多いので、今年こそこのまま最後までいってほしい。営業マンがやる気を出してくれると会社のすべてがうまく回るのだ。(いや、そうでもないか……)
おはようございます。
アンテナ経由のお客様がこのところ100人を越えております。はてなアンテナ、大人気ですね。
当サイトでは、いったん文章をアップしてから、何度も何度も修正をかけます。誤字、脱字の修正はもちろん、文章もあちこち書き換えることが少なくありません。最近ですと、4月1日のゲティスバーグ演説の翻訳に関する一文は、全文を書き直し、最終的に3倍の長さまで加筆しました。その間、アップロードを10回ほど行っております。もちろん、空更新をしたくてそんなことをしているというわけではありません。理由はよくわかりませんが、「よし、これでもういいだろう」と思ってアップロードをはじめた瞬間に、おかしな文章に気付くのです。
というわけで、当サイトはやたらと空更新(のようなこと)を繰り返しております。また更新されたのか、と思ってアクセスしたのに新しい文章がないのでがっかりした、という方も少なくないかもしれませんが、私は一切この問題に対応いたしません。
当サイトの記事は週に1度くらい見れば十分だと思います。1日に何度も何度もアクセスするのは皆様の自由ですが、転送量が多すぎると警告されている当サイトとしては、あまり歓迎できません。最新の更新分をすぐに読もうとしないでください。よろしくお願い申し上げます。
効率的な情報収集のためだけにWWWを利用している人だけを閲覧者として想定するならウェブサイトを否定するのも悪くない。けれども多くの趣味の個人サイトは、サイト単位で楽しみたいお客さんを主なターゲットとしていることには注意するべきだろう。
現実問題として、検索エンジンからの来訪が毎日のアクセスのほとんどを占める、というサイトは滅多にないのではなかろうか。当サイトの場合は1割にもならない。新規流入は検索エンジンからかもしれないが、その後のアクセスの柱はやはり、第一にブックマーク、あるいは個人の持つアンテナやリンク集なのである。サイト構造を構築し、本の目次(あるいは表紙)に見立てたような文書を用意することには、現実問題としては需要があるわけであって、ある程度の意味があるといってよい。
以前より当サイトをちょくちょくご紹介してくださるサイト。当サイトはリンクの分類において、テキストサイトという扱いになっています。ちなみにシンカイウェブでは、当サイトはサブカル系に分類されています。ううむ、そうだったのか。
サイトの扱うジャンルは絞り込むべきだ、というのはたしかに定石ではあるわけですが、唯一無二の正解ではありません。多方面に興味のある方は、あれもこれもサイトにぶち込んでみてもよいのです。多くの方の失敗原因は、多くのことに手をつけるということよりも、そもそもWebサイト作りに対する興味関心の総量が不足していることにあるように思われます。
satooくん、残業しすぎ。月に76時間って労働基準法違反にはならないのかな。
ちなみに私はサービス残業しすぎ。でも昼食後とか眠くってうつらうつらしてるダメ社員だからなあ。そもそもノルマ(だいたいは実験結果の取得)を時間内にこなすことができないという種類の居残りだから、追加業としての残業は基本的にはやってないわけです。これで追加の給与を貰おうとは思いません。
みけさん家の引っ越しは無事に済んだようですね。日記が更新されて一安心。それにしてもこういうときに腰痛とは……。間が悪い。けれども病気というのは往々にしてそういうもの。いったん痛みが引いたとしても、腰痛は大物なので気を抜いてはいけません。引っ越し先でもときどき医者にかかってください。
4月2日の落書きの感想を少々。親にとって、自分が必要とされていない現実はあまり認めたくないもののようです。だから子どもの一人暮らしにも、しばしば強硬に反対したりします。いったんはこれで楽になると思って喜んで送り出した親も、その後はどんどん不安が募って「元気にやっていますか」みたいな手紙を書いたりする。「元気です」という返事があれば安心するけれど、それはそれで寂しかったりします。
親に必要とされたがる子ども、というテーマを扱ったドラマは多いのだけれど、その逆のパターンも決して無視できません。子どもから見た場合の対策は、好きなだけ世話を焼かせるか、徹底してなんでも自分でやるか、ということになるのでしょう。現実的には両者の中間を取っていけばいいわけで、ふだんはちゃんと独立していて、ときどき親がやってきたときには好きなだけ世話を焼かせる、というのは悪くない考えだと思います。
私の母親は、なんでも自分でやりました。親(私の祖父母)が我が家にきても、何一つやらせませんでした。たまに里帰りしたときも、炊事洗濯、掃除と何でもやって家事の主導権を半ば乗っ取っていたものです。これは父方の祖父母の家に行ってさえそうでした。しっかりしているといえばそうですが、祖父母にとってはいささか寂しい思いもあったろうとも思います。
境界線を危うい綱渡り。いやー、最初読んだときはホントに吃驚した。読んだのが今日だったものだから。中堅サイトだからこそ可能だったのかもしれない、こういう企画。
おはようございます。
マルチ商法について集中連載中。ごく単純な判断基準として。「これはマルチ商法とは違います」「合法的です」などと相手が言い出したらダウト。語るに落ちている。
ところで、参考サイトとしてネットワークビジネスアカデミーが紹介されていたのが目をひいた。かつて私が酷評したサイトだからだ。相変わらず素人の仕事にしか見えないが、趣味のサイトとしては一級に属する部類だと思う。けれどもプロ並という自負なしには更新意欲がわかないのかどうか、ここしばらく更新されていない様子なのが残念。
仕事始めですね。まずは初日から遅刻しないように。それだけは気をつけましょう。
昨日付けで、私の意見に対する端的かつ有効な反論が。
自分、または自分の親しい人がイラク国民だったとして、同じように攻撃を容認できるのか
徳保さんが、反戦平和を叫ぶことを奇麗事だと言うならば、徳保さんの意見もまた、平和な国に暮らす国民ならではの奇麗事と言わねばなりません。
これはこれとして筋が通っている批判ではないかと思う。たしかにそのとき、私は理屈抜きでイラク攻撃に反対するのかもしれない。あるいは、フセイン政権を放置してもさしたる危険はないことを示唆する資料を、必死に探すのかもしれない。
けれども、私の考えはやっぱり変わらないので、以下、簡単に感想を述べる。
まず、私は(少なくとも表面的な言動の)一貫性を重んじない人間である。ある場面でしゃにむに反戦平和論を唱えるようになるとしても、今回のイラク攻撃について賛成することに問題があるとは感じない。もちろん、この点を問題にする意見もあっていいし、なるほどとは思う。けれども、そうした意見は私の心にあまり響かない。
次に、私はエゴを肯定する人間である。私がイラク攻撃に賛成する理由は、露悪的に書けば「遠い国の小さな(注:あえてこう書く)戦争により将来の大きな悲劇(そのときは日本もただではすまないかもしれない)を予防できる(かもしれない)以上、私には今回のイラク攻撃に反対する理由がない」ということになる。究極的には私も単に我が身の安全を祈っているだけであり、そのために何が最も有効な方法かを考えた場合に、イラク攻撃賛成という結論に至ったということだ。あらゆる戦争に反対する、という試みには展望を見出せない(それはあたかも警察廃止論と同様に見える)のである。
最後に、私は奇麗事を決して過小評価しない。世の中のたいていの問題は、当事者ではなく第3者が解決の中心的役割を担う。当事者だけで解決できる問題など、まずありえないといっていい。念のため、第3者の関与を排除した場合、とくに弱者or被害者にとって厳しい結果を招く可能性が高いことを指摘しておきたい。さて、第3者を動かすものは何か。それは必ずしも現実的な生の声ではない。新聞の見出し、ワイドショーの論調に明らかなように、第3者は(あるいは第3者であるが故に)奇麗事に敏感に反応する。奇麗事は、その名の通り美しい言葉である。美しく麗しい言葉には、人を動かす力がある。
余談。反戦平和論にも、イラク攻撃賛成の意見にも、それぞれもっともらしい理由があり、論を支えるロジックがある。世の多くの論者が一貫性を重んじ、論理的整合性を尊ぶのは、論理の美しさに(半ば無意識的に)価値を見出しているからなのかもしれない。
申し訳ありませんが、取り敢えず語れ!
といった発想に批判的なのが当サイトにおける私のスタンスなのでありまして、残念ながら私は参加見送りとさせていただきたいと思います。けれども、この切り返しにはぽよさんの個性が凝縮されていて、にもかかわらず私は予想もしておらず、これは一本とられました。ある意味、完敗。
こうしてみると、どうやら私はいつまでたってもオフ会に縁がなさそう。誰が招待してまで(注:参加費はふつうに払います)私を呼びたがるというのか。とりあえず、私の方から参加希望の手をあげることはないです。少なくとも当面は。
ここ数日、読んでいるところ。まじめにモノを調べて文章を書いている人というのは、案外多かったりする。でも同じ人がまた別のときには思いつきで暴論を述べたりもする。ログはちゃんと読んでおきたいものだとは思うけれど、暇も興味も無限には続かない。今回は運がよかった。
3月の日記が消えてしまったということでキャッシュを募集されていたしろくまぱんださんですが、無事サルベージに成功したそうで一安心。ちなみに私のところにキャッシュは残っていませんでした。
ちょっと不安になったので、自分自身の対策状況を点検してみます。
アップロードに失敗してサーバ上でファイルが消えることはあるとしても、このとき手許のPCからもファイルが消えてしまうというのが、私には正直よくわかりません。ひょっとして、オンラインで編集されていたのでしょうか。しろくまぱんださんは以前、フォルダ内に800(……)もファイルを並べていたそうですし。Win98あたりだとホント、800もファイルがあったらExplorerでフォルダを開くだけで一苦労なんですよ。私がにゃごろう村を手伝ったときには、ファイル数が200を越えるとイライラのもとになりました。当サイトのフォルダ構成見直しは、並列配置されたファイル数の150到達を目安に行っています。どのフォルダにあるどの分野のファイルが激増するか、先にわかれば苦労もいらないのですが。
私はおっちょこちょいなので、しばしば手許の操作ミスでファイルを失うことがあります。そのたびにサーバからファイルをダウンロードして事なきをえてきました。ファイルの保管所と更新作業所は、しっかり分けておかねばならないと思う。3点保存が重要書類管理の基本だそうだけれど、サイトのデータ程度のものでも最低限2点保存が私の場合は必須。今まで何度この用心に救われてきたか。だからオンライン編集は怖くて怖くて、私はようやりません。
ちなみに、掲示板は消えても困らない用事に使っています。書き込み内容はメールで届くようにしてあるので、たとえ掲示板が壊れても、最近の書き込みはちゃんとチェックできます。なので掲示板のログとりには神経質にならずにすんでいます。
長い間、日記の方のURIしかわかりませんでした。ようやく親サイトのURIがわかったので、メモ。いいソフトを買ったという日記が書かれた日から更新が止まっているという不思議。いや、案外そういうものかなとは思うのですが、ちょっと心配。いや、なんとなく。
4月4日に追記:いつの間にか更新されてる……しかも1日付で。ツボにはまって笑ってしまった。親切もお節介も飛び越した、ぶっ飛んだ話。
おはようございます。
やった! ついに本公開だ! 内容は玉石混交ですが、サイト製作関連の記事は平均的にいいと思う。3月20日のちゃちゃいれボードが紹介されているなど、妙にマニアックなところが面白い。リンク集だけのサイトというのはけっこう世の中にたくさんあって、うまくすればかなりのアクセスを集めることになるのだけれども、テキストサイト界隈のセンスを汲んだ巨大リンク集はこれまで(おそらく成功例が)なかったと思います。電脳製作図書館はいい線を突いていると思う。今後のブラッシュアップに期待。
ところで、いきなりリンク切れの山なのがたいへん残念。基本的には、こういう資料集は転載を基本とした方がいいと思う。WWW上に公開された情報は、じつにじつに呆気なく削除されていき、そうなってしまうともう、誰にも読むことができなくなってしまう。
掲示板運営に関する記事など、興味深い。ただし、黒木さんのHTML解説は信用しないこと。
黒木さんの記事で紹介されていたもの。参考になる。
私なら「人民に対する、人民による、人民のための政治」とでも訳すところ。「人民の」という訳文はやはり不適切だと思う。
もし「人民に対する」の意味でないとしたら、言葉通りに訳してはいけないということになる。しかしそれはアメリカ人にとってわかりにくい表現ということにならないだろうか。一つ目の演説の「of the people」にあたると思われる「The people’s government」で人民を統治の対象とみなすのは少し無理がある
というのは詭弁。あたると思われる
という仮定が間違っているのではないか。リンカーンが念頭においていたであろう先行の演説は、「人民による」と「人民のための」という2項目についてのみ言及しているように読める。リンカーンは先行演説を参考にしつつ、「人民に対する」の1項目を追加したのだ、と考えた方が無理がない。
統治する権利をもっているのは誰?
の答えは「人民による」で十分であり、「人民の」では意味が近すぎる。「人民に対する」とした方が、3項目のバランスが取れている。
以上は素人考えですが、katokt説よりは通説(私がこの件についてお話を伺ったことのある英語教師3人はみな「人民に対する」説でした/詳細は伺ったことがありません/いずれも日本人に多い「ofの訳し方への誤解」というテーマの中で触れられました)を採用したいところ。
引用は元より恣意的なものだが、自説の補強のための引用があまりに行き過ぎると、当然こうした批判が出てくる。人の目は見たいものを見るので、村上さんはおそらく、適切な引用をしたつもりでいるのだろう。
ところで藤永さんは、原典に後から当たることができたから、村上さんを批判することができた。引用元が印刷物だったからよかった。サーバから削除されてしまえば原典を参照することがほぼ不可能となるWWWにおいては、引用の不適切の指摘は困難を極めることになろう。