備忘録

平成15年10月31日

残業拒否闘争に耐えられず、隠れ残業。やっぱりのんびり仕事する方が私には向いている……と思ったのだけれど、日付が変わってからの帰宅はやりすぎ。一週間のツケを結局それでも払いきれず、どっと疲れた。

平成15年10月30日

財布に小銭を溜め込む悪癖のためか、しばらく前から財布が半壊状態になっている。騙し騙しそれを使い続けて約1ヶ月、いい加減に新しいのを買うことにした。財布を新しくするのは約4年ぶりのことだ。

以前は実家にいたから、家中を探せば財布なんてのはいくつも余っていた。街祭の夜店でやった缶釣りの景品だったり、何かの記念品だったり、何とかセットのついでだったり……。財布なんてそうそう壊れるものではないから、何かとたまってしまうのだった。しかし私は社会人になってからというもの、財布をタダで手に入れる機会がなかった。そんなこんなで、財布を買うのは、じつはこれが初めてだったりする。

どこで買ったらいいだろう? 友人に相談すると、西武池袋駅を利用しているのだから、初心者としてはLoftを利用しない手はない、というアドバイスをもらった。Loftの文具売り場の近辺を探索すればいいらしい。で、行ってみた。

財布が、こんなに値の張るものだとは知らなかった、というのが正直な感想。たしかに頑張って探せば数百円のものもあるのだけれど、やっぱりそれはそれなりのものであって、私がちょっといいかなと思うものは、「え!?」と驚く価格。参った。(でも買いました/いつもなら、結局買わないのだけれど)

平成15年10月29日

  1. 閲覧者が啓蒙されたかもしれないシチュエーションを奪う
  2. 「IEでは文字サイズの固定を解除できない」という誤解を助長する。故に、
  3. 文字サイズ固定を禁止する行為と、閲覧者を啓蒙する行為は矛盾する

たくさん書き添えた補足事項を脇へおけば、たしかに要点はその通りです。

「本来、文字サイズを絶対指定しても閲覧者は困らないはずなのだが、現実問題としてユーザCSSの積極的な利用者も、IEのユーザ補助を知る閲覧者も少ないので」という但し書きを添えない文字サイズ固定禁止の言説は、よくないと思います。

平成15年10月28日

質問の一部には答えていただきました。

本当に啓蒙できると考えていますか?
できないでしょうね
どのような方法で啓蒙するのですか?
回答なし
「閲覧者に対する啓蒙」と「製作者に対して文字サイズ固定を禁止する」という二つの行為は、どういう理屈で矛盾しますか?
回答なし

最後の質問に回答いただけない理由はこれですか?

大衆への啓蒙など実際には不可能です。けれども、それは私の観点からすればまったく本質から外れた話です。(実際にどうできるかを話の本質とするならば、私の主張は取るに足らない観念論でしょう。しかし前提の相違を無視した批判は勘弁していただきたい。なぜなら、その前提のもとで語るなら、私も意見が変わるからです)

その手の反応を予期して私は「啓蒙できるできないに拘らず」と書いた筈ですが。それに、まだ批判はしていません。質問です。

例外的ケースを除いて啓蒙はできません。なぜなら、大衆を効果的に啓蒙する方法がないからです。

ここまでは簡単なのだけれども、第3の質問への回答には少々手間取ります。

CSSによる文字サイズの固定が問題となるのはIEの機能に精通していない閲覧者が多いからでしかなく、本質的な問題ではない。そもそも製作者CSSはユーザCSSで上書きでき、IEではユーザ補助の機能を用いればもっと簡単に問題を解消できます。WAI1.0が文字サイズの相対指定を優先度2としているのは、閲覧者の啓蒙を諦めているからに過ぎず、本来ならばCSSで文字サイズを固定しても問題ありません。(だからCSSに文字サイズを固定する方法が用意された)

現在よくある議論では現実論と原則論がごっちゃになっているため、IEのユーザ補助が大々的に取り上げられることが少ない。逆に「IEでは文字サイズの固定を解除できない」という誤解を助長する記事が多い。

「文字サイズは相対指定すべき」というのは現実論に基づく解でしかない。問答無用でそう主張することに、私は反対します。ユーザの不勉強を無批判に受け入れるのは、正しくないと考えるからです。(啓蒙されうる例外的ケースの芽をも摘むことになる)

逆に質問されているようなのでお答えします。

次の私の問いかけ:

製作者CSSを閲覧者に押し付けたい? まあ言葉を歪曲すればそうなるでしょうが、なるべくユーザースタイルシートなど使わせずに、自分の作ったスタイルで見てもらいたいと考えるのは、極自然なことではないですか?

これに対して、徳保さんはこう答えられました。

ここでそふぃあさんがおっしゃる極自然とは、単にわけもなくそう思っている人が多いという意味でしかないではありませんか。その理屈を通すなら、サイト内移動のためのリンクは大勢が望むものだから、認めるのが正しいということになりませんか。

その理屈を通すならと言われても、私は、極自然だから、という理由をもって、何かが正しいなどという主張はしていません。従って、その理屈の意味が分かりません。

私は「極自然だったらなんだというのか?」と疑問を感じ、「極自然だから正しい」とおっしゃりたいのだろう、と推察しました。そんな主張はしていない、との回答ですが、極自然だ、というだけでは意味がありません。単なる事実の指摘です。「この事実があるから**するのが正しい」という主張があるわけでしょう。もし主張がないのなら、今回の話題には無関係の指摘だったことになります。

自分の作ったスタイルで見てもらいたいと考えるのは、極自然なことではあっても、その欲求に従って行動するのは誤りだ、というのが私の主張です。なぜなら、製作者の用意するスタイルは、決してすべての閲覧者にとって望ましいものとはなりえないからです。

批判もあるようなのでお答えします。

次の私の意見:

より良いscreenメディア向けスタイルシートを追求したなら、解像度非依存、閲覧方法を邪魔しないといった方向に向かうはずです。例えば伝統的な方法による簡単な文字サイズの制御、これは可能な限り許す方向に向かうでしょう。

これについて、徳保さんはこう述べられました。

実際には、そうはなっていません。文字サイズを固定する製作者は、よかれと思ってそうするのだし、実際、少なからぬ閲覧者がそれで喜ぶのです。テーブルレイアウトなどされたら、ユーザCSSでレイアウトをいじる自由が大幅に制限されます。それでも、大半の閲覧者はそんなことを気にせず、リッチなレイアウト(?)を歓迎します。

私の主張に対する肯定でも否定でも、補足でも無いようですが、さて、実際には、そうはなっていません、の意味が分かりません。無駄な推量を取り払った形式でもう一度しっかり書きましょうか。

より良いscreenメディア向けのスタイルシートに接近する方法は、解像度に依存せず、そのメディア特有の閲覧方法を邪魔しないようにすることである。従って、その接近方法においては、伝統的な方法による簡単な文字サイズの制御は許容される。

「実際にどうなっているか」、「文字サイズを固定する製作者」「少なからぬ閲覧者が喜ぶかどうか」の話はしていないことを、理解していただけましたか?

より良いscreenメディア向けのスタイルシートに接近する方法は、解像度に依存せず、そのメディア特有の閲覧方法を邪魔しないようにすることである。という説には賛同しません。

たとえ製作者がどれほど配慮してもすべての閲覧者にとって望ましいスタイルにはならないので、閲覧者は製作者の用意するスタイルを基本的に無視し、自分好みのデザインでの閲覧を常態化すべきです(自分の理想とする表現が世の中の唯一絶対の理想的表現ではない以上、製作者に期待しても待ちぼうけを食うだけ/製作者は製作者の理想とする表現を追求するが、それは個々の閲覧者の理想と一致しない)。

製作者が自縄自縛に陥るのは、閲覧者がスタイルを上書きしないでよいように気を回しているからに過ぎません。本来、製作者は仕様の許す表現を自粛する必要はないのです。例えば製作者が表示領域の理想の横幅は800pxだと確信しているなら、そのようにスタイルを組めばよい。そのスタイルに不満を感じる閲覧者は、単にそのスタイルを無視すればよい。製作者の心配は無用です。

そふぃあさんの掲げる目標が現実には意味をもっているのは、閲覧者が怠惰で、発生した問題に対して製作者による改善を望んでいるからです。そして製作者も自分の用意したスタイルをそのまま利用してほしいと願っているからです。しかしそれはあくまでも現実論です。原則論としては、製作者は仕様の範囲内で自由にしてよい。でなければ、W3Cはそもそも文字サイズの絶対指定を仕様に含めなかったはずです。

平成15年10月28日

というか

「テキストサイトの中の人」は、人の主張論説から命題を抽出して論理的に検討するという作業をしないのですか。

することもあれば、しないこともあるでしょう。

この備忘録の基本的なスタンスは、不特定多数に聞こえることを前提とした独り言です。思いついたことをつらつらと書き留めているに過ぎません。しかし独り言を独り言風に書くのは、ときに不都合があります。そこで、野球中継を見ながら選手に声援を送る人のように、特定の誰かに向かって話すという形式を採用することがままあります。

平成15年10月28日

と、ここまで書いたところでそふぃあさんの返信を拝見。引用された部分の文章を少々書き換えてしまって、申し訳ない。

まず一点だけ。

で、徳保さんは、自由だからなんだと言いたいのですか? 批判を止めろと言いたいのですか?

ある意見への批判は、端的にいえば「その意見は間違っている→そんなこというな」という主張を内包しています。しかし、逆説的ですが、批判の自由は「何をいおうと相手を(その意思に反して)黙らせることはできない」ことを前提に許されています。つまり、私はそふぃあさんが批判を続けることを前提としつつ、「その批判は間違っている→やめろ」といっているわけです。

私は製作者の用意するCSSは無視できるものだからどんなものでもよく、したがって、その良し悪しをいうのはナンセンスだと考えています。批判にも価値の高低があり、価値が低いと判断した批判について、なぜそう考えるのかを述べるのは私の権利です。

HTMLによるマークアップ以上のことをHTML文書求めるのが根本的に無茶なのであって、見た目のあれこれなどに便利さとか機能とかを与えようとするのがそもそもの誤り、混乱の元です。HTML文書の分を超えたことを、とくに文書整形の分野において求めてやまない、その文化のありようがガンです。HTMLに用意された数十の要素以外に意味付けのしようはなく、CSSにできることはそれぞれの要素をそれらしく見せることだけです。だから、製作者のCSSを無視しても、何も失われるものはありません。私はそういう立場です。(備忘録 平成15年1月12日参照)

製作者も閲覧者もHTML文書とCSSに、本来それが持っている機能以上の何かを求めており、それが悲喜劇の出発点なのかもしれません。

以降、日付を変えます。

平成15年10月27日

adramineさん関連。続き。(前回は20日)

少なくとも私は、かすすたonはてなにおいて、登録基準を厳しくすることには一切、反対していませんよ。WAI1.0では文字サイズの相対指定を優先度2にしていますし、絞込みの基準としては現行の規定はおかしなものではありません。ただ、文字サイズ固定はCSSデザインではないと読めるような文を添えるのはおかしい、といっているだけです、私は。で、今回ようやく、肝心な部分について反論があったわけですけれども。

一番食い付いている所、何故、イケスタでもカスイケでもないという断りをはずさないかと言う点ですが、それらの名前の持つイメージを考慮に入れれば、至極当たり前と思える訳です。

いわゆるイケスレの荒れ方をはてなに持ち込むのは、得策では無い。はてなのシステムと言う物は、以前から私がいっている様に「善意のシステム」であり、人の悪意に非常に脆い。そこからの流入を防ぐ意味で、前述の文ははずすつもりは一切無い。

「イケてる」という言葉は定義が曖昧だから、「これはイケてる!」「どこがだよ!」と荒れるのであって、このリストは**という基準で機械的に選んだものです、と明言すれば荒れないのではありませんか。アンテナキーワードの方には問題の記述がありませんが、これまでのところ荒れていません。adramineさんの心配は杞憂に過ぎず、問題の記述は無用の長物だったのではないでしょうか。

一番いいたいことは、以上です。

平成15年10月27日

ある意味、当たり前の話なんだけれども、自分の日記に他人様への批判を書いたって、相手が読むかどうかなどわかったものではありません。それを承知で日記で批判を書いたということは、形式上はともあれ、事実上は読者向けに書いているわけであって、だからadramineさんが不戦宣言しても、それはあまり意味がないのではないかと思う。もちろん、その不戦宣言もそちらの読者向けなのでしょうが。(今回はたまたま私もその読者の一人なのですが)

平成15年10月27日

相手の名前を出さずに悪口を書くのはどうかと。これもいい加減しつこいですが。20日付の基本的にいちゃもんをつけるしか能がないヤツとは誰のことでしょう? そんなもの、自分で考えろ、ということなのかもしれませんが、その末路はたいてい、相手を明示しなかった側にとってつまらないことになりがちだと思いますが。何度かはうまくいっても、いつか意想外の方向から礫が飛んでくる原因となるわけです。20日に引用したPiroさんの発言は、じつに慧眼だと思います。

で、自分はこうして他人を「バカの典型」にあてはめておきながら、adramineさんはこういう。

ま、例えば、会った事も無い人間を「〜する典型的な人間だ」と、非難する。ちょいまて。典型と言うのはある母集団があり、その中に属するモノを指すことであり、今回の場合、その母集団と言うのは、徳保さんの知る範囲であり、会った事も無い人をそのような言説でカテゴライズするのは、非常に不愉快。正直、あんた、何様?という気分である。

ちょっと待ってほしい。あなたは経験則だけを頼りにして基本的にいちゃもんをつけるしか能がないヤツ相手に何を言っても同じやろ。からかって楽しむしか無いですがな。個人的には凄く楽しいですがね。なんて書いているではありませんか。私はまだしも、あなたよりは慎重に文章を書きました。

adramineさんは、矛盾を放置しつつ、そのメリットを解説しないという対応を取った。これは矛盾などないと主張する人に典型的な行動だ。そもそも矛盾などないのだから、改善する必要はないし、「矛盾を放置する理由」など存在するはずもない、というわけだ。

十分に情報が集まるまで「判断しない」のは、非現実的な理想論です。だから私は、あなたが個人的な経験を根拠に誰かさんを基本的にいちゃもんをつけるしか能がないヤツと決めつけ(おそらく過去に出会ったそういう方の行動と誰かさんの行動が概ね一致したんでしょう)、さらに憶測で悪口を書き連ねたこと自体を無碍に批判しない。けれども、先に引用した程度の推測に対して、あんた、何様?と書くのはどうかと。まあ、そう思っちゃったんだから、正直に書いたっていいといえばいいのでしょうけれども。

平成15年10月27日

アクセス数を稼ぐこと自体が目的になると、どんどん堕落してゆく例を。

説明が少なすぎて、私には理解できませんでした。リンク先のどの文章が、いったいどのようにこの更新のないように関連しているのか、できればもう少し親切に書いていただけるとフラストレーションがたまらないでいいのですけれども。いや、わからないように書いているんだ、とか、読まなきゃいいじゃん、とかいわれそうですけれども。

でもイライラしながらも読むのは勝手で、それでイライラさせられたことに文句いうのも勝手なのですが。私は情報を求めていたわけですし。(CSSコミュニティの方だから、その辺の機微はご理解いただけるかと……FLASHサイトに文句いうようなものです)

平成15年10月27日

プロのサイトは、レガシーなHTMLを自律的に用いているので、汎用性を云々しなければ、製作者はあれで案外、視覚デザインだけのリニューアルには苦労しない。情報デザインのレベルで手を加えることが多いから、実際にはリニューアルの案件は新規と同程度の苦労をしがちだそうだけれど。

一方、素人がレガシーなHTMLであれこれやろうとすると、たいていはいい加減なことになる。素人がそれなりに自律的にマークアップするようになりだしたのはCSSの普及によるものですけれども、100万アクセス.comなどを見ると、一瞬言葉をなくしますね。たしかに、(ほとんどの)製作者はこれでいいんでしょう……。製作者CSSを適用するためだけなら、単にdiv要素をclass属性で分類すれば足りるわけですからね……。

平成15年10月27日

巷では(あるいは私も)、相手のいっていないことを適当に脳内で補って文章を読むことが常態化している。普段はそれで問題ないし、むしろ言葉どおりの解釈しかできないと無能呼ばわりされる。案外、便利なのだ。けれども、ちょっと変わった意見(常識に挑戦する意見)をいう場合には、そんな世間の状況が地獄となる。発言者の意図は聞き手によってどんどん歪められ、いっていないことをいったといわれ、非難される。

正面突破で苦境を乗り切った(といっちゃっていいのかな?)Yasさんには「お疲れ様でした」といいたい。

平成15年10月26日

珍しく、昨日の参加イベントを書き留めておきます。会社の同僚に引きずられてあちこち連れ回された話は基本的に書いてこなかったわけだけれども、今回は主にWeb系の知人のお誘いでどうこうって話なので、ここに書くのに向いているかな、と。

平成15年10月26日

まずFolio つながりで、サイキさん、ししまるさん、ことこさんに会いました。場所は大塚の喫茶店。集合時間は15時だったのですが……なぜか15時にはまだ私は睡眠中だったという……。ことこさんが、電話がかかってくるまで徳保は寝ていたと書いているのですが、じつは電話が鳴っても起きなかったんです。15時半頃に目が覚めたのは、単なる偶然でした。電話で起きられるなら、3時前の電話で起きていたはず。(だったら何なんだという話なんだけど)

零時半頃に寝たので、15時間近く眠り続けていたわけで、最近ではちょっと記憶にないくらいのだらけっぷり。まさか目覚まし時計は要らないと思っていたのに。いつもは12時間寝たら、目が覚めるのです。3時間も延長してしまうとは予想だにしませんでした。もう一回、お待たせしたみなさんに謝ります。ごめんなさい。

結局、打ち合わせとかいっても大して話すことがあるわけでもなく、「こんな人間が集まっていろいろやってますよ」といった確認(?)がメイン。私にとって Folio は〆切がある、明示的に原稿を依頼されているということが最大の存在意義なのですが、一方的に場を利用することしか考えていないと、あっという間に場が崩壊してしまうことは容易に想像できます。「書きたいことがあるなら書けばいいじゃない」というほど簡単ではなく、私は〆切と依頼を必要としていますから、少々の面倒は乗り越えていかねばなりません。

とはいえ、面倒なのは予定を組んで、そこへ行くまでのこと。その先はいつだって「きてみれば面白かった」なわけで、だったら最初から面倒とか思わなきゃいいのにって感じではあります。しかしそう都合よく自分の感情をコントロールできるなら、そもそも〆切と依頼を必要とするはずもなく、まあこれはこれでいいじゃん、とも思うわけで。たださすがに、大遅刻はよくないと思いました。心臓に悪い。(自己中)

平成15年10月26日

サイキさんたちと別れた後はwelcome back!!へ移動。くつしたしろくまさんから招待されたので、いい機会だから行ってみようかと。ライブを見にいくってのは私のイメージとずれてると思う方は多いと思う。私もそう思うし、実際、大学時代に友人の友人のやってるライブのさくらに毎度借り出されていた頃以来。でも、いつものことながら、今回もやっぱり「行ってみたらとてもよかった」です。

私が見たのはマルベリーズ(後半)、くつした、ゲノビズムnjop(前半)。MCによく反応するお客さんが集まっていたこともあり、楽しかったです。1時間ってこんなに短いんだなあ、と久々に実感したような気がしました。ええと、あんまりその、どうよかったとか書く能がなくて申し訳ない。welcome back!! のレポートが一番わかりやすいと思いますが、リンク先の掲示板などを見るともっといろいろ書いてあるんじゃないかと思うので、さらに興味のある方はそちらで。

じつはアンケートを書いたら帰るつもりでいたのですが、書いている途中で名前欄に気づいたしろくまさんに見つかってしまいました。一方的にこちらが相手を知っているシチュエーションというのはけっこう好きなんです。「今日、徳保さん来ているんだよね〜?」「たぶん、そうだと思うんだけど」なんて会話が目の前で行われるなんて、そうそう経験できないことですよね。でも、このネタばらしはこっちからするのがスジだよな、と反省。無駄にネタを引っ張らないで、ライブが終わったところで一声かけるべきでした。

ライブ後はくつしたとゲノビズム合同打ち上げに誘われ、緒方さんと一緒にご相伴にあずかることに。とくに話題もなくどうしたものかと思っていたのだけれど、基本的に聞き役でいられたので気楽に楽しめました。ゲノビズムのファンの方を中心に、メンバー以外の方も多くて、これも助かりました。ながたさんが注文した(らしい)料理が大量に運ばれてきて吃驚。3人前くらいいただきました。いやー、久々に食べ過ぎました。結局、最後までおつきあいして、0時発の電車で帰宅。

というわけで、みなさん、昨日はどうもありがとうございました。ほとんどの方の連絡先がわからないので、ここでお礼を申し上げる次第です。

平成15年10月26日

私の会社では労働組合が強いって話は以前から書いているのだけれど、来週以降は大変なことになりそう。労組の要求は年末一時金3ヶ月弱、会社の回答は2ヶ月強、その差、0.7ヶ月。この回答での無闘争妥結はありえず、今後半月は残業拒否闘争と出張拒否闘争が続くことが予想されます。私は組合員じゃないので、いい迷惑って感じなんですけれども、まあ労組幹部の目を盗んで適当に残業したいと思います。

しかしまあ、とりあえず2ヶ月強の年末一時金は確実にもらえるってことなので、いやー、ありがたい話ですね。

平成15年10月26日

では、前回の更新の続きを。まず、いただいたご意見をいくつかご紹介します。

先日、私はひとつの極論を述べました。もちろん、私は「そうなった方がよい」と考えているのですが、非現実的かつ大勢の支持を得られない理想論には違いありません。古紙再生の重要性が認識されながら、新パルプ製の肌触りのよいトイレットペーパはぐんぐんシェアを伸ばしました。500ミリリットル入りのペットボトルは、事前の懸念通りの事態を生み出しているのに、廃止される気配さえない。そういった不条理が、半ば必然的な展開過程を経て世の中で通用していくのは、決して故なきことではありません。(そもそも不条理だというのは私の見方に過ぎないわけですが)

けれども、理想はどこにあるのか、という議論はあっていいと思うし、私はそういう話もしたい、これからもしていこうと考えています。

落としどころは、やはり中途半端なものとなるでしょう。文字サイズを変えることさえ知らない、知っていてもやろうとしない閲覧者が少なくない状況ですから、ユーザCSSで製作者CSSを上書きしようなどと考える人が増えるはずもありません。多くの閲覧者は、デフォルト設定のままで自分にとって最適なデザインで表示されることを望み、その結果、多数派であるIE利用者が優遇されることとなっています。

テーブルレイアウトが隆盛を誇るのは、テーブルレイアウトが実現したデザインを歓迎する人が多く、テーブルでないものをテーブルとしてマークアップされて困る人が非常に少ないからでした。CSSによる文字サイズ指定も、サイズを固定しないことが最大多数の幸福につながるのでしょう。怠惰な閲覧者、閲覧者に怠惰でいてほしい製作者、そうした世の中の主流派が望む方向性に合致しているわけです。

でも、それがいいことだとは思えません。その理由は既にたくさん書きました。これからもたくさん書きますけれども。

製作者に少し我慢させることで、基本的に閲覧者が無知でいられる世界を作り上げようとする人々が多すぎます。そうしてインターネットを簡単簡単といい、閲覧するだけなら何も勉強しないでもいいといい、無知な人ばっかりの世界を作り上げてしまった。だから本当に障害のある人が困っていても、教え助けるスキルのある人が周りに一人もいない

例えばこれなど、ひとつの切実な問題です。無知を許すことは、多くの問題の元凶となります。それは、みな知っているはずです。

平成15年10月26日

HTML文書に内容と関係の薄いリンクはいらない、という意見は、説明を聞けばなるほど理が通っているのではありますが、では多くの閲覧者が歓迎するかといったら、そうではありませんよね。その理由は改めて説明するまでもないでしょう。余計な情報がたくさん用意されたHTML文書に需要があるのです。製作者も閲覧者も、その大多数が「Webサイト」というバーチャルな存在を意識することが常態化していて、サイト内移動のためだけのリンクは、じつはその文化において決して無駄なものではないのです。文書に無関係なリンクでもないのです。

(ついでに書くと、現実に閲覧者の求めているナビゲーションは、link要素では代替不可能だと考える。私自身、ナビゲーションツールバーを利用できるサイトをいくつか閲覧したけれども、結局のところ、ツールバーを非表示設定するに至った。あまりに不自由かつ不便なんである。あれを便利に思い、ナビゲーションは将来的にはこれだけで十分だなどと思う人は、決して多くないだろうと感じた)

それと同じことだと思います。私は、製作者がどれほどいいデザインを用意したところで、全員が素晴らしいというものにはなりようがないと考えていて、だからこそ、閲覧者の側で表示設定をパーソナライズするべきだと思います。だからあえて刺激的に書くならば、CSSなんてのは、閲覧者だけが使えるようにしたらいいのです。製作者はただ正確にマークアップすればよい。

それでは味気ないと思う方もいるのでしょうが、ではなぜRSSリーダが人気を博しつつあるのでしょう? 文庫の小説を想起すれば、デザインの多様性など不要ではないのですか。デザインに多様性がほしいというのは、じつは勘違いではないのでしょうか。メールやRSSのように、誰がいつどのような文脈で書いた文章なのかがわかっていさえすれば、デザインの多様性は失われても問題ないのではないですか。

などといってみたところで、もちろん、実際にはそのような方向へ向かうはずはありません。それは十分、わかっておりますとも。そふぃあさんだって、そうでしょう? リンクについての考え方の主流は、そふぃあさんが望むようなものとはならない、とお考えのはずです。現在の常識がたいへん間違っていて、ソフィアさんの意見に大いに理があるにもかかわらず。

平成15年10月26日

より良いscreenメディア向けスタイルシートを追求したなら、解像度非依存、閲覧方法を邪魔しないといった方向に向かうはずです。例えば伝統的な方法による簡単な文字サイズの制御、これは可能な限り許す方向に向かうでしょう。製作者CSSを閲覧者に押し付けたい? まあ言葉を歪曲すればそうなるでしょうが、なるべくユーザースタイルシートなど使わせずに、自分の作ったスタイルで見てもらいたいと考えるのは、極自然なことではないですか?

実際には、そうはなっていません。文字サイズを固定する製作者は、よかれと思ってそうするのだし、実際、少なからぬ閲覧者がそれで喜ぶのです。テーブルレイアウトなどされたら、ユーザCSSでレイアウトをいじる自由が大幅に制限されます。それでも、大半の閲覧者はそんなことを気にせず、リッチなレイアウト(?)を歓迎します。ここでそふぃあさんがおっしゃる極自然とは、単にわけもなくそう思っている人が多いという意味でしかないではありませんか。その理屈を通すなら、サイト内移動のためのリンクは大勢が望むものだから、認めるのが正しいということになりませんか。

私は、閲覧者はユーザスタイルシートの使用を常態化し、製作者はCSSなど用意すべきでないと思います。ホントにアクセシビリティに配慮したHTML文書がWWWの主流となり、全員がほしい情報を望ましい状態で利用できるような世界を実現する、ほとんど唯一の手がそれだからです。

製作者がデザインを用意しようなどとする限り、閲覧者がそれを望む限り、テーブルレイアウトの過ちは永遠に繰り返されます。ほとんどの閲覧者は文書の再利用などしませんから、ユーザCSSを適用しない限りはHTMLが正しく記述されていようといまいと問題になりません。いつまでたっても、ほとんどの製作者がHTMLをいい加減に記述し続けるでしょう。だからCSSが普及したって、マイナー環境におけるアクセシビリティはいつまでも向上しません。ほとんどの製作者は自分が利益を感じられなければ、わざわざHTMLをちゃんと理解しようなどとはしませんよ。

しかし、現実はその悪い状況をそのまま維持するでしょう。ほとんどの人が、今後も過ちを続けるのです。そふぃあさんがどれほど力説しようとも、文書に内容と関係のないリンクをたくさん詰め込みたがる製作者、閲覧者が消えてなくならないように、です。

啓蒙という意識はありませんが、私もユーザースタイルシートやCSSを無効に出来る手段を興味を持った人(何らかの事情や不満を持った人)に伝えたいと考えています。しかし閲覧者がCSSなど知らずとも簡単にCSSを無効に出来る手段がデフォルトで提供されていなければ、常識とはなりません。ですから、「閲覧者の啓蒙」というのは奇妙に見えます。本当に啓蒙できると考えますか?

啓蒙はできないでしょうね。ただ、文字サイズ固定を解除する方法は、Windows版IEにデフォルトで用意されています。ユーザCSSの設定方法だって、IEはMozillaより親切です。そしてユーザCSSを適当に書けば、簡単に製作者CSSを無効化できることはそふぃあさんならご存知なのではありませんか。(「簡単」にもいろいろありますが)

啓蒙できるできないに拘わらず、啓蒙すべきだという主張を受け入れたとします。しかしどのような方法で「啓蒙」するのですか? また、その「閲覧者に対する啓蒙」と「製作者に対して文字サイズ固定を禁止する」という二つの行為は、どういう理屈で矛盾しますか?

仮に「製作者に対して文字サイズ固定を推奨する」という行為をもって、「閲覧者への啓蒙」の一つのアプローチとするのであれば、私の反論が待っています。しかしそうでないなら二つの行為の関連性が謎なので、こうして質問してみたわけです。

私は文字サイズ固定を推奨してはいません。やりたい人は勝手にやればいいといっているのです。製作者CSSはすべて閲覧者CSSで上書きできるのだから、文字サイズを固定されて困る人などいない(いるとすれば怠惰な閲覧者だけだ)といっているのです。とくにIEなら、Webページで指定された文字サイズをボタンひとつで無効化できるので、なおのこと問題ありません。

誰もが納得するデザインなどありえないので、閲覧者はみな自分好みの表示設定をするべきです。そして製作者はひとつのデザインで全閲覧者を納得させようとする無茶を諦めるべきです。したがって、HTMLで視覚デザインを云々しようなどとするのは誤りです。しかしCSSはうまい仕組みであって、製作者がエゴを通しても閲覧者がそれを排除できます。だから製作者はCSSの仕様の範囲内ではやりたいようにしてよいだろう、と私はいっているのです。それをダメだという本質的な理由は存在しません。

平成15年10月26日

閲覧者の面倒が増えるとか、そういったことは、現実には問題となりますよ。閲覧者は怠惰でありたい(製作者が自分好みのデザインを自動的に与えてくれることを望む)から、大衆への啓蒙など実際には不可能です。けれども、それは私の観点からすればまったく本質から外れた話です。(実際にどうできるかを話の本質とするならば、私の主張は取るに足らない観念論でしょう。しかし前提の相違を無視した批判は勘弁していただきたい。なぜなら、その前提のもとで語るなら、私も意見が変わるからです)

現実的には、閲覧者が自由を行使せず、製作者が少々自分の自由を制限する、という現在の方向性が落としどころでしょう。それは認めます。しかしそれでは、現実に問題が生じることは目に見えているし、実際にそうなりつつあります。CSSデザインが普及しても、音声系ブラウザやテキストブラウザを使うマイノリティは、ほとんど救われていないではありませんか。

ユーザCSSを使う人がいないなら、製作者が正しくHTMLを記述する意義も、現実問題としてほとんどないわけですよ。文法違反さえなければ事足ります。そしてCSSに不慣れな者にとって、div要素とspan要素ばかり使うのが楽だってことは、多くの人の実感するところではありませんか。だから現実的な落としどころは将来に禍根を残します。決して本来あるべき方向性ではない、と私は主張するのです。

みんなどんどん文字サイズを固定すればよくて、そうすれば怠惰な閲覧者もこれは困ったと思って少しは勉強するだろう、というのは冗談です。実際には、自分にとって不愉快なサイズに固定された閲覧者は、単に製作者に怒りを燃やすだけです。しかしだからといって、製作者は文字サイズを固定すべきでないというのはひとつの現実論でしかなく、本質的には製作者は文字サイズを固定していいはずなのです。せっかく自由を拡大する仕様があるのに、説法師が自粛を説いて回る世界はつまらないと思うのは私だけでしょうか。

平成15年10月26日

平成十五年十月二十六日

製作者CSSを閲覧者に押し付けたい人々はよく、閲覧者の立場を装って「文字サイズを固定するな、幅固定をするな、etc.」といいます。しかしそれらは閲覧者CSSでつぶせるのだから、問題ありません。本当の問題は怠惰な受動的精神に染まった閲覧者の啓蒙を、誰もする気がないことです。

啓蒙されなければ自分から「なぜ」と考へる事の出來ない閲覽者が制作者を駄目にしてゐると思ふが如何。
正直言つて、誰が何をどう言つてもウェブは一部を除いて全體的に良くなつたり等しない。「正しいHTML」を唱道する人の中には、自分逹が努力すればウェブは良くなる、と信じてゐる人もゐるし、それに疑問を呈すれば「野嵜は本氣なのか」と非難を始める人もゐるかと思ふが、「なぜ」と考へる事は「必要でない」と漠然と思つてゐる人がウェブの利用者の殆どなのであつて、ならば「本質的に考へろ」と幾ら言つても效果はないのである。
しかし、「幾ら言つても甲斐のない事を繰返し繰返し言ふのは空しい行爲なのだが、それでも大切な事だから言はねばならない」と信じて言ひ續けるのは、必要な事なのである。ただ「言ひ續ける」自分の行爲を正當化する爲に「自分の言葉には效果がある」と信ずるのは、欺瞞である。

なるほどその通りだと思いました。野嵜さんのおっしゃる通り、全体としては大して状況は改善しないと、私も予想しています。そして、ツールがいけない、初心者向けの解説がいけない、といった意見は見当違いで、問題は文化にあると書いてきました。今回の野嵜さんによる再整理は、私の発言よりも明快に問題の所在を指し示していると思います。引用箇所の前に、問題の要諦をより詳細に論じている文章があるので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

平成15年10月20日

私にとってはどうでもいいことではありません。

1月中旬下旬の備忘録で語り倒していることですが、製作者CSSを閲覧者に押し付けたい人々はよく、閲覧者の立場を装って「文字サイズを固定するな、幅固定をするな、etc.」といいます。しかしそれらは閲覧者CSSでつぶせるのだから、問題ありません。本当の問題は怠惰な受動的精神に染まった閲覧者の啓蒙を、誰もする気がないことです。

現時点で既に、アクセシビリティの問題はよくいわれるようなレベルにおいては概ね解決しています。配色に問題があるなら、自分で変えればよい。文字サイズも同様。これはWindows版IE(=シェア95%のブラウザ)で可能なことです。悲観的なことをいえば、多くのサイトは今後もろくに改善されません。しかし閲覧者が問題に対処するならば、現時点でも多くのダメサイトが概ね問題なく閲覧できるのです。

なのに、製作者に制限をかけることに熱心な人々は、閲覧者の啓蒙に乗り気でない。自分のデザインに自信を持っていて、それをそのまま見てほしいと思っているからです。文字サイズ固定など自由にやればいい。CSSによる指定である限り、多くのUAではそれを簡単に無視できます。こんな簡単な話を、なぜ最初にしないのか?

製作者に少し我慢させることで、基本的に閲覧者が無知でいられる世界を作り上げようとする人々が多すぎます。そうしてインターネットを簡単簡単といい、閲覧するだけなら何も勉強しないでもいいといい、無知な人ばっかりの世界を作り上げてしまった。だから本当に障害のある人が困っていても、教え助けるスキルのある人が周りに一人もいない

閲覧者がHTML文書の表現に着いて最終決定権を持っていることを意識させないままでは、いつまでたってもホームページリーダは screen メディアを解釈し続けるでしょう。これを怒る人がいますが、介助者の知的レベルを考えたらこうするしかない。横にいる介助者のパソコンの画面に出ている通りに読み上げなかったら、介助者は混乱します。そしてホームページリーダをひどい欠陥品だというでしょう。

CSSデザインをやる人の多くは、製作者の用意した通りに閲覧されることを期待しているという意味で、テーブルレイアウトをする人と発想が同じです。だから逆に、文字サイズ固定はまずいのであり、幅固定はまずい。そういうサイトが増えたら、閲覧者が賢くなって製作者CSSを切り、ユーザCSSだけ使うようになるからです。

けれども、本当に望ましい世界のあり方は、どちらですか? 製作者が用意したデザインなど、それが不特定多数向けである以上、決して最適解とはなりえない。だから、製作者がいろいろ配慮したデザインをみながそのまま利用するなんてのは、中途半端でダメな状況です。

そういうダメな状況を助長する主張が世間にははびこっていて、私はムカついています。過渡期の問題ならまだしも、違うのです、全然。IE7はばっちり標準準拠してほしいね、などという人の大半は、「そうなればみんなぼくのサイトを同じように閲覧できるはずだ」なんて思っている。個々の利用者が自分に最適な表現でHTML文書を閲覧する、という発想とは逆方向を夢見ているのです。製作者のエゴしかない。

誰のためのCSSなのか? 本当はCSSデザインは閲覧者にこそ利益がある。どんな利益? それは、製作者の用意したCSSは閲覧者の意思で無効化できるってことです。これが一番大事なこと。そうだから、CSSデザインはアクセシビリティを高める効果があるのです。

もし製作者のCSSをそのまま適用するのがこのまま常識として定着し、それが覆らないとすれば、CSSなんてのは閲覧者にとってはほとんど何の意味もないものだったってことになるでしょう。

私がadramineさんの嘘を咎めたのは、俺的イケスタ基準ではなくCSSデザインそのものに制限を加えようとすることが、現在のダメな状況を助長するものだからです。これは、少なくとも私にとって、どうでもいい話ではありません。

平成15年10月20日

で、こういうことを書くと、別にあなたのことをいっているんじゃありませんよ、みたいな反応があったりする。明言しなければ何もいわなかったのと同じことだと思っている人が世の中にはいる。というわけで、今回は先回りしてコメント。

今回は念のため、adramineさんのコメントがついたのを確認してから書いた。これでも「あなたのことじゃない」というなら、それはそれで結構。じゃあ誰なんだ、とお訊ねしたい。

……と書いたんだけど、どうも方向の違う話だったらしい。

特定個人向けの攻撃的なメッセージを、誰に向けたものか明文化せずに公開していると、たまたまその中で述べられている批判対象に該当した全く無関係の他人が、「これは俺のことを言っているのか」と噛み付いてくることがあります。「これは自分にも該当するから、今後は気をつけよう」と思える人はまだいいですが、「これは明らかに自分に向けられた言葉だ、こいつは俺を攻撃している、こいつは俺の敵だ」と短絡する人も珍しくありません。誰に宛てているのか分からないメッセージというのは、無用な敵を増やす可能性を高めるのです。

一度他人にと認識されたら、以後その人は自分のことを己個人と敵対する誰々としか見てくれませんから、誤解を解くのも一苦労です。

ということで、ひとつよろしく……。

平成15年10月20日

矛盾に気がつかないのか?と言われて、その後一度も否定も肯定もしていないのに何故そのような文章を書けるのですかね*1。真面目に受け止める気がないから、言質を取られるようなことをしないわけですけど。

*1:矛盾しているのは重々承知しているのですが。

私の場合、理解できる矛盾と理解できない矛盾がある。放置するメリットの有無、その程度が問題なのだ。世の中には多様な価値観があるので、ある程度の矛盾は許容した方が状況が丸く収まる。また、ある言説に矛盾があるかどうかは、前提条件次第で変化する。ある発想を認めることで、矛盾が解消されるケースもあるのだ。だから一概に、(ある見方において)矛盾しているからダメ、とはいわない。

私はadramineさんの発言に矛盾があることを指摘した。さらに修正まで求めた。それは、矛盾を放置するメリットを想像できなかったからだ。そして、CSSについて妙な誤解が広まるデメリットが気になった。

adramineさんは、矛盾を放置しつつ、そのメリットを解説しないという対応を取った。これは矛盾などないと主張する人に典型的な行動だ。そもそも矛盾などないのだから、改善する必要はないし、「矛盾を放置する理由」など存在するはずもない、というわけだ。

単に修正が面倒くさい、というのも放置の理由となりうる。人は過去を全て修正して回ることなどできないのだから、それはそれで重要な理由だ。矛盾を解消する手間とメリットを天秤にかけて、手間のほうが大きいと判断するのはありうる話だ。

adramineさんは面倒くさいという程度の説明もなさらず、ひたすら矛盾も放置したので、そもそも矛盾はないとお考えなのだろう、と私は判断した。たしかに、何もいっていないのだから、どちらなのかはわからない。だが、「矛盾などない」という人はしばしば、じつは矛盾の存在を認めている。「わかった、矛盾していると認めよう」という人はしばしば、じつは矛盾などないと信じている。言葉の有無は、判断材料のひとつに過ぎない。

平成15年10月20日

/* といって今、基準を見直すつもりは毛頭ありませんが。?Dの内外で、充分Communicationがとれる方々から様々な意見が上がれば、それを汲み取っていくつもりはありますが。 */

adramineさんが恣意的な基準で登録サイトを選定すること自体について、これまで私は一切批判していない。だから選定基準は変えなくていい。なぜここで、選定基準自体の見直しなどという話題が出てくるのか? 私はやはり、この話題についてadramineさんは相変わらずズレた捉え方をしている、としか思えない。

繰り返すが、私の主張は、基準としてデザイン的にどうこうというつもりは一切ありませんとかカススタであり、イケスタでも、カスイケでもありませんといった嘘を削除せよ、というものだ。これはCSSの仕様書を読んだ者が見れば明白な嘘だ。しかも無意味な嘘だ。そして修正の簡単な嘘だ。ただ、削除すればよい。これを放置する意義が、一体どこにあるのか? 私はそれが知りたい。

adramineさんは現に、基準としてデザイン的にどうこういっている。だからリストに登録されているのは、一定の基準をクリアしたイケスタのみだ。それ自体は何ら問題ない。ただ、それならそのように書くべきだ。非常に単純な話である。

adramineさんが修正を拒むのは、何か理由があるからだろう。

  1. 現状には瑕疵がない。よって修正すべきものは何もない。
  2. 問題の存在とデメリットを認めるが、現状維持にはそれ以上のメリットがあるので、修正しないほうが得策だ。

当初、私は1番目の理由だと考えた。批判があっさり却下される場合には最もありがちなパターンだからだ。しかしadramineさんは矛盾しているのは重々承知という。ならば、2番目の理由が、何かあるのだろう。

いいたくない理由なら、無理にいえとはいわない。もとよりいいたくないものをいわせることは不可能なのだが、これ以上それを望むこともしない、という意味だ。

ただ、私はいま、理由の存在を疑っている。理由があると思っているのは勘違いで、じつは何も理由などないのではないか? adramineさんはそのことに気付いていないだけではないのか? 仮に修正を拒否する理由がないのなら、修正すべきなのはいうまでもない。

平成15年10月20日

あれ? こちらでは問題の発言が削除されていますね。最初から書いていなかったのかもしれませんが。(私は今日初めて見たので以前のことはわかりません)

だったらなおさらのこと、gobbledygook 2003-01-03 カススタon はてな登録者リスト。の記述を修正するのをためらう理由はないと思いますけれども……。大勢の人が参照しそうなところではちゃんと書くけれども、私的なところでは矛盾をさらけ出す、という戦略(?)なのでしょうか。その意図がよくわかりませんが。

平成15年10月20日

産経の隣は朝日、朝日の隣は読売、読売の隣は朝日……アレ? ちなみに、毎日新聞の隣も朝日。

平成15年10月18日

なんだかなーと思いつつ反応してみるか…。FontSize固定排除という謳い文句を挙げている以上一度はあることだと思ってましたが、基本的に個人のすることという台詞が目に留まらなかったようなので。でも今回限りで終わりたいな。

基本的に個人のすることだから何だとおっしゃるのでしょう?

なぜ文字サイズの固定を禁止するのですか? 基準としてデザイン的にどうこうというつもりは一切ありませんというのは嘘ですね。CSSの仕様には、文字サイズ固定の方法がきちんと定義されています。にもかかわらず、文字サイズ固定や配色を理由に登録したりしなかったりする。矛盾を認識されているならともかく、何もおかしなことはいっていないような顔をしているから、私には理解できません。

まず、文字サイズ固定についてですが、?DはデフォルトとしてtDiaryのThemeを用意しています。更にカスタマイズについては、はてなダイアリーテーマ作成時の注意や、tDiary テーマの作り方を熟読の上、以下の文を読んでください。つか、これを読んでいないんだろうなと想定して書いてますが。

div.section(日記本文)で使われる文字サイズ(font-size)は、「100%」を強く推奨する。*という表現がありますが、この縛りを少し緩めて、読む部分のFontSize固定を排除と言う縛りになったわけです。更に言うと、私の登録基準にCSSの仕様という文句は一切、出てきません。上の?Dtableにある検索窓から検索して貰えれば、この記事しかHitしないはずです。

/* 確かに、登録時文法的に少し手直しした方が良いモノに関しては、一言二言Commentをつけていますが、それ以外に干渉することはありません。 */

私が何を批判しているのか、どうもよく伝わっていないようなので、わかりやすく書きます。

  1. CSSでデザインすればカススタサイトである。
  2. CSSでは文字サイズ固定が許されている。
  3. CSSの仕様にある通りの方法で文字サイズ固定をしても、カススタの要件には外れないはずだ。
  4. はてなダイアリーとtDiaryでは、標準の文字サイズを100%に指定することを強く推奨しているが、それは文字サイズ固定したらCSSの仕様に反するからではない
  5. 文字サイズ固定を忌避するのは、そのデザインがよいものかどうかを判断する材料にはなるが、カススタかどうかの判断基準にはなりえない。
  6. よって、基準としてデザイン的にどうこうというつもりは一切ありませんとかカススタであり、イケスタでも、カスイケでもありませんなどといいつつ、文字サイズ固定を理由にしてリストから排除するのは言行不一致だ。
  7. 文字サイズを固定するのはカススタではない、との誤解を招きかねない発言は訂正すべき。
  8. つまり、「私の考える最小限のイケスタ基準でふるいにかけています」といった文言を添え、先に引用した現状にそぐわない発言は削除した方がよい。

端的にいえば、CSSでは文字サイズの固定が許されているのに、「文字サイズを固定したらカススタではない」などという嘘を書くなということ。文字サイズ固定を嫌うのはあくまでもデザイン的見地によるもので、CSSとしては文字サイズ固定はまったく正当な技法なのです。中坊さんが不良債権の取立てで詐欺をやって強く批判されたけれども、アクセシビリティ向上を説くためなら嘘をいってもよいというのではいけない

また、「基本的に個人のすること」である以上、完全に客観で出来るわけもなく、10000以上にも及ぶ?D全てをいつも監視しているわけでもない。つまり、見つける作業そのものに恣意的な所が存在する以上、個人の主観が入るのは当然の事だと思いますが。確かに、?Dのカスタマイズ例としてガイドの資料に入っていることを良いことに、?D全体からFontSize固定を少なくしたいという個人的希望も否定はしません。でも、それを強要したことはありません。

私はあなたが主観的な基準でサイトを選ぶことを批判しているのではない。それは前回も書いています。

私が批判しているのは、デザインで選ばないといいつつ、実際には「文字サイズを固定していない」というデザイン上の問題で絞込みをかけているから。あなたの書き方では、文字サイズを固定するのはCSSデザインではないという誤解が生じかねない。

もちろん、よく読めば、カススタなら何でもいいといった舌の根も乾かないうちに追加基準を持ち出しているのは明白で、前言は予告なく撤回されている。しかし今回の反応を見ての通り、じつは言っている当人に前言を撤回したという意識がない。カススタであり、イケスタでも、カスイケでもありませんという言葉に矛盾はない、と考えているわけです。なぜ、この嘘、矛盾に気がつかないのか?

前回の結論を引用しましょう。

文字サイズ固定はイケてない、という判断はアリです。しかしそれはCSSデザインかどうかという判断とは異なる地平に立った主張です。adramineさんのやっていることは、明らかにadramineの判断におけるイケスタ、カスイケサイトのリスト作りです。それなのに基準としてデザイン的にどうこうというつもりは一切ありませんとは、いったいどんな顔していっているのかと疑問に感じずにはいられません。

いかがです。今度は私の申し上げたいことが伝わりましたでしょうか?

ということで、多分それ以下の文章に至っては完全に平行線を辿ると思われるので、多分議論にならない議論する時間が惜しいのでパス。が、基準としてデザイン的にどうこうというつもりは一切ありませんというのは嘘ですね。私には理解できません。が、食い違うと思ったので反応してしまいました。理解できないモノを嘘と呼べる根拠は何処に?それこそ矛盾を認識されているならともかくと聞きたいぐらいですが。

これ以上の解説は不要かとも思いますが、念のため。

あからさまな嘘をついているのに、当人にその自覚がない。じつに奇妙な光景ですね、理解できませんね、といっているのです。なぜ、自分の嘘に気がつかないのか、と。

はてなダイアリーやtDiaryの推奨事項に反するカススタは「イケてない」かもしれませんが、カススタとしては正当なのです。だから、推奨事項に反するからといってリストから除外するのは、「カススタでないサイトを除外する行為」ではなく「カスイケでないサイトを除外する行為」です。これをごっちゃにしてはいけません。それはカススタ、つまりCSSへの誤解を招くからです。

平成15年10月18日

なんというかすごいタイトルのサイトなんですが、以前から当サイトをひいきにしていただいてます。

じつはこのサイトの管理人は今年のネットランナーの表彰で見事に銅賞を獲得した謎の巨大生物UMAのさくだいおうさんです。さくさく読めて楽しいコラム集なので、この機会にご紹介させていただくことにしました。かなりの分量があるわけですけれども、これでも読み足りない方は掲示板の過去ログを読み漁るとよいでしょう。

必ずしも全面的に支持するわけではないけれども、面白い記事が読めるサイトとしてお勧めする第2弾。やたらめったら代替スタイルが多いのがほほえましいというか、一種のギャグとしてパンチが効いているというか……。お勉強のテキストにするには向かないと思いますが、他人の苦闘の記録を読むことは、いろいろ参考になるものです。

平成15年10月18日

追記:2005年2月、海月屋は全面改装され、真っ当なマークアップに変更されました。お疲れ様です。2003年には失礼なことを書いて申し訳ありませんでした。

仕様書の邦訳を読み、かなりまともな解説をしているサイトなのですが……なぜこんなマークアップをしているのですか? 仕様書を読んでも、わからない人にはわからないという一例。ちゃんと勉強すれば、みな正しくHTMLを使うようになるだろう、という意見は非現実的、空想的、と以前から述べてきたわけだけれども、いやはや。

こんなに立派なコンテンツを組み上げられる努力家が仕様書の邦訳を読んでも、正しくHTMLを使うことはできない。文化の障壁は、かくも高いということ。

いつも私は悲観的になるのだけれども、結局、正しいやり方は、それを求める人にしか理解できないものなのかもしれない。人は新しい概念を理解するために、過去の経験と何らかの形で結び付けようとしがちで、そうである以上、「正しくマークアップする」のはたいへん難しいといわざるをえない。

人の目は、しばしば見たいものしか見ない。ことに初めて学ぶもの、予備知識の足りないものに対しては、その傾向が強い。関連の薄い経験を無理やり引っ張り出して、強引に新しい概念と結び付けようとする。「段落の区切りは改行」という連想がある限り、p要素の解説はアタマを素通りしてbr要素だけ覚える。h1〜h6要素の解説を忘れて、b要素とfont要素で整形しようと考える。正しい解説を、そのまま素直に読み、理解できるのは、一部のエリートだけだ。

たとえ世の中のすべての参考書がまともな解説をしたとしても、おかしなHTML文書はさして減るはずがない。ただ、少なくともまともなプロは、みなちゃんとしだすのではなかろうか。だから、ダメな参考書を批判するのが無駄とはいわない。しかし、ツール批判もそうだけれども、「これぞ諸悪の根源」などと考えるのは思い上がりに過ぎない。いわゆる「諸悪の根源」は、文化の問題なのだ。

だから、これは底なしの悲劇なんである。(一定以上の層を除けば根治策は皆無に等しい)

平成15年10月18日

最近は町工場レベルの中小企業でも独自ドメインでWebサイトをもっているケースが増えてきた。私は研究部門にいるので、試作品などをそうしたところから探すわけだけれども……。いやー、我が社のサイトもほめられものではありませんが、商用サイトといってもレベルの低すぎるサイトが実に多いですよね。1日くれたら、バッチリ修正して差し上げますよ、という。

別に私にたいしたスキルがあるわけではないけれども、そんじょそこらの個人サイトと同レベルだから、さすがにどうかといいたくもなるというわけです。で、そういうサイトがみんな社員の手作りというわけじゃあない。我が社のサイトだって、外注なのにあんなにひどい。昔に登録しちゃっただけで現状では売上も業績も全然水準に到達していないとはいえども、仮にも一部上場企業なのに。そんな目で見ていくと、一部上場企業の末席、二部上場、店頭公開あたりの企業のサイトには案外、ひどいものがたくさんある。

ようするに、ダメサイトしか作れない「プロ」が世の中にたくさんいるということなんだ。で、WebCreators誌のWebサイト製作会社一覧から順次製作会社自身のサイトを見ていくと、ああ、こんな会社の存在なんて知らない方がよかったという感じのサイトにたどり着いたりするわけで。いささかマイッタ。

平成15年10月18日

基本だの初心者向けだのというレビューが散見されるけれども、ちゃんとSEOをやって、HTMLをきちんと効果的に記述しているサイトなんてほとんどないのが現状。アクセスアップとかアクセス向上といったキーワードで、アドワーズ広告を出しているサイトが全然上位にこないってのはどういうことだろう? で、それらのサイトの見出しを見てみても、やっぱり画像でそれらしくしているだけだったりする。その道のプロさえ実践し切れていない内容を、初心者向けといってしまえるノンキさは、やはりどこかおかしい。

アドワーズ広告「アクセスアップ」出稿社のWebサイト短評(SEO的見地からHTMLの記述だけを見る)
検索エンジン登録ドットコム
優秀。テーブルレイアウトを使っているものの、テキストの構造化、重要語句の強調をきちんと行っている。(惜しむらくはキーワードを連呼しすぎていること。検索エンジンスパムと判断されている可能性大)
ミリオンヒッツJapan
のっけからフレーム使用。当然のように、フレーム内文書もまるでダメ。文書の構造化をせずテーブルレイアウトしか考えていない上に、見出しを画像化した挙句に代替文字を指定し忘れるポカミスまで。
検索エンジン登録 おまかせWeb
h1要素のみ効果的に配置。他に見出し要素はない。何から何までテーブルレイアウトに依存して文書を構造化していない。
Response contents serve
見出しなし。重要な箇所に画像を用いてしまう大失敗。構造化しないならせめて画像にb要素やfont要素で「隠れ装飾による強調」をすれば検索エンジンはその代替文字を少しは重視するはずなんですが。
アクセスアップはおまかせ
見出しはh1要素がひとつだけ。単純素朴、素人然としたサイト。レイアウトも簡単なので、テキストの構造化は非常に簡単なはずなのに……。
君のHP宣伝法は間違いだ
このレイアウト、この内容にもかかわらず文書をまるで構造化していないのはなぜ? じつにもったいない話。
PRJAPAN
見出しはh1要素がひとつだけ。冒頭に延々と代替文字列なしで画像ばかりのナビゲーションを書いているなど、SEOへの配慮はほとんどない。

飽きたのでこれで終わりにしますけれども、ギョーカイの惨憺たる状況が明らかになりましたね。SEO 検索エンジン最適化は良サイトですから、「アクセスアップ」でアドワーズ広告を出す余裕があるなら一読した方がいいと思うよ、マジで。

念のため書き添えておくと、SEOというのは、基本的にはそのサイトが表示されうる最高の検索順位を実現する試み。ダメサイトを上位表示しようとしても限界があるのは当然のこと。Googleも正しいSEOは「検索結果の精度を上げる役に立つ」として歓迎している。よい内容のあるサイトは、ちゃんとSEOを頑張って上位に表示されるべき。

平成15年10月18日

良サイトかどうかの判断には外部からのリンクが重視されるという仕組みの都合上、お互いにリンクしまくっているテキストサイト界隈は、無意味に検索順位が上がってしまいがち。サイト内リンクも重要だから、その異様な充実に支えられでblogツールを用いたサイトはさらによい結果となっている。

とはいえ、Googleでもよそでもそうなんだけど、一応は、ある種の公共機関・学会などには無条件でいいランクが与えられているフシがあって、しょぼサイトでもGoogleランクが異様に高い(4〜5)というケースはしばしばある。だから、学術的な話題でしょうもない個人サイトが上位表示されることはあまりない。個人のテキストサイトなどが上位表示されやすいキーワードは、基本的にはそれなりの言葉でしかない。だからテキストサイト界隈は、様々な対策がなされた現状ではそれほど検索エンジンにとって脅威になるような存在ではないのかもしれない。

とはいえ、「小説」の検索結果などを見ると、ホントにこれでいいのかな、と思う。商用サイトって、こういった漠然とした広いテーマに弱いことが多いですよね。

平成15年10月18日

なるほどー、と思って試してみたら、予想以上の惨状。

ちなみに。2ちゃんねらーもわからぬ厨用語のソースは表紙に限れば非常にきれい。標準仕様推進派の多いWeb製作板の面目躍如というところ、といいたいのだけれど、用語集本文のマークアップがひどい。そりゃないよー。いや、たしかにdiv要素の直下にb要素を置いちゃいかんという法はないけれど、文法エラーが出なければいいというものでは……。

平成15年10月18日

このところ毎夕、

「まとりくす りろーでっと りろーでっと 3980円! 3980円!」

と騒がしい。今日はその隣で、

「民主党 マニフェスト マニフェスト 無料! 無料!」

とやっていた。昔から「世も末だ」といい続けてきたけれども、とうとうくるところまできたなあ、と思った。まだ公示前だというのに、夕方にガーガーやろうなんて考えるから、こういうことになる。それはともかくとして、本当に政権公約を基準に選挙が行われるなら興味深い。そんなことはありえない、と思うけれども。何はさておき、民主党はもう少しボランティア教育をしっかりやった方がいいんじゃないか。たった一人のバカ発言でも、ときには強烈な印象を残すわけで。

ところで、民主党の公約はたしかに自民党のそれよりも明確に書かれている箇所が多い、といえば多い。ただ、自民党の公約も、これで案外、重要なところで期限を明示していたり、目標値を明確にしていたりするので、じつはいい勝負のような……。とりあえず、小泉政権が続く場合には数年以内に憲法の改正案が国会審議にかけられるようだから、楽しみにしておこうと思う。

平成15年10月18日

一番厄介なのが欠けているのは当然でしょう。高林さんが書いている内容を見れば、明らかに反戦平和主義的のらりくらりであって、しかもそれを無条件によいこととしているのだから、高林さんこそその……。

高林さんは一応、自分も変人としているけれども、本当はそう思っていないことは明白。そうだからこそ、自分の常識においてこう対応するのが当然、という発想を疑いなく一般化できるわけです。

平成15年10月18日

超厳密な部分において定義を明確にすることで、受け手も高い精度で理解することは可能だと思います。思考のベースが日本語であり、感情のベースが人間である間は。多分。

自分の常識・感覚を安易に拡張するべきではない。「人間ならこう思うのが当たり前」式の意見は、たいてい例外が多すぎる。それどころか、人類全体を母数にとる場合、多くのケースにおいてあらゆる結論が少数派となる。もちろん、問題を単純化して二者択一式とすれば、いずれかの結論が過半数となるけれども、もちろんその場合、派内派閥が無数にあり同床異夢の情況を呈する。

感情のベースが人間というその「人間」の定義を、ある種の価値観に基づいて厳しく限定してしまえば話はまた別だけれども。でもその場合、人間という言葉には「括弧」をつけておくべき。

平成15年10月13日

今日は圏外からのひとことを読みました。興味深い記事がたくさんあった中から、いくつか感想と意見を述べてみようと思います。

平成15年10月13日

そうなんだろうか? essaさんの記事がなぜこれほど話題になったのかと考えたら、やはりGoogle八分の刑は怖い、嫌だ、あってはならないことだ、と考える人が多かったということなのではないか。

私は、人々は基本的には、言論の自由の保障を望んでいると思う。特定の意見の排除を、必ずしも希望しないと思う。もしそれがあるとすれば、パナウェーブとか、鈴木宗男とか、そういったレベルの嫌われ者の意見、社会の敵とされた者の意見に限定されるだろう。だからもちろん、ほとんどの人々は、例えば自分の意見がネット上で抹殺されるようなことはありえないし、あってはならないと考えているはずだ。それで、Google八分の刑という反実仮想のシミュレーションには恐怖を感じた。

けれども面白いのは、例えばその人があらゆる場合に特定の言論への弾圧に反対するかといえばそうではないだろうな、ということだ。例えば、掲示板で無体な批判を始めるものが現れたとする。それはそれでひとつの言論だから、自由には違いない。もちろん、そんなことはするなというのも自由だから、みんなでよってたかって反論を浴びせて撃退すればよいだろう。けれども、時には驚くほどしぶとい人もいる。この場でそういう批判をするべきでない、という意見に耳を貸さない者がいる。で、掲示板の運営者はしばしば、アクセスを禁止する。

これは掲示板だからいいのだろうか? と考えてみる。さて? 現に、テレビ・新聞などの超マスコミはある種の意見を流さない。雑誌はかなり自由で、だいたい何でも書いてしまうけれども、「ナチスのガス室はなかった」と書くと廃刊になる。売れなくなって採算が取れなくなって……というのではなく、「責任を取って」廃刊してしまう、というのがこの国の現状だ。でもそれは、よいことだと思う人が多いだろう。

結局、そういうレベルの話になると、Google八部の刑はたしかに人々の待ちわびていることなのかもしれない。最近のことでいうなら、ゲーム脳とかね。あのトンでも本を鵜呑みにした言説は全部Google八分の刑にしたいと思っている人が少なくないと思う。ところが世間はゲーム脳に飛びついているのだから、じつはGoogle八分の刑を望んでいる側が少数派だったりするのが面白い。

平成15年10月13日

言論で他人を叩き潰すなんてのはなかなかできることではなくて、ゲーム脳批判さえ人口に膾炙しない現状を見るに、どうにもこうにも実力行使に出たくてうずうずするのは人間のサガってやつなんだろうなあ。で、もしお互いにGoogle八分の刑のような攻撃をしあったなら、理不尽にも正義が負けて(?)、反ゲーム脳派が沈黙させられるのだろう。暴力ってのはそういうものなんだが、しかしまあそうはいっても、話し合いをしていればいいってものでもないとは思うのだった。

政治家ってのはしばしば、国民の支持がない政策でも押し切るわけで、あれはやっぱり正しいことだと私は思う。自民党は消費税で2回も大幅に議席を減らしたのだけれど、それでもあれをやった。偉かった。もし将来、GoogleなどのWWWのトラフィックを左右する技術に人間が恣意的に介入できるような社会状況になったとき、責任者にはどうか、ポピュリズムに堕さないことを望みたい。

もちろん、Googleが「ゲーム脳の恐怖」批判者の言説を弾圧するようなことになれば、対抗言論としてInktomiあたりは逆を行くだろう。そうして将来、朝日と産経のように、検索エンジンが個性的になったら楽しいよな、なんて思う。

平成15年10月13日

うわ、セコイなー、これは。

みなさんは酒鬼薔薇と長崎の事件の加害少年の本名を知っていますか? もし、知らなかったら近くのネットに詳しい人に聞いてみてください。何も廃人クラスの人じゃなくても大丈夫です。ちょっと2ちゃんねるが好きな人で充分です。たぶん彼は暗記してます。検索したりしないで即答するでしょう。「見たことがある」と答える人は、おそらくその見た名前を覚えてしまっていると思います。

では、最近、福島で55才の中年が小学生の少女を誘拐して捕まりましたが(記事)、この事件の犯人を知っていますか?こちらは、事件のことは記憶していても犯人の名前は知らない人の方が多いと思います。

もし私が偉くなったら、こういう悪質な中年犯罪者の名前を隠蔽するようにマスコミに圧力をかけます。少年犯罪の方は情報を公開します。そうすれば、きっと結果が逆になります。少年犯罪者の名前は忘れられて、中年犯罪の方をみんな必死になって調べて暗記します。おそらく、中年犯罪の方に注目が集まるのではないかと思います。私は、もしできるなら、こうやって中年犯罪に注目を集めたいと思います。

ちなみに私は、どちらの少年の名前も知りません。見たことはあるんだけど……。でもパナウェーブ代表とか、オウム真理教の幹部とか、小泉内閣の閣僚とか、その辺りはバッチリわかりますよ。芸能人の名前は、あんまりわかんない。

何はともあれ、酒鬼薔薇と長崎の事件に比較して、福島の誘拐はあまりにも事件そのものがマイナーです。「たくさんおきた誘拐事件のひとつ」になってしまったということもあるけれど、1件だけ単独で起きていたって、やっぱりみんな犯人の名前を覚えなかったろうと思う。少なくとも酒鬼薔薇を比較に持ち出すのは反則であって、「名前が伏せられていたからみんな名前を覚えたんだ」という結論をここから導くのは強引過ぎる。

バスジャック事件の犯人の名前、essaさんは覚えていらっしゃるのでしょうか? ネオ麦茶というハンドルネームしか思い浮かばないのではありませんか。けれども、池田小事件の犯人の名前はもちろん覚えていますよね? ここから、やっぱり犯人の名前は公開されている方が覚えている人が多くなる、といったらどうです? だから、そういうことじゃないと思うんですよね。

平成15年10月13日

ここまでに書いたり書かなかったりしたことの結論。平均値を取ることができるとすれば、圏外からのひとことはこの備忘録よりはだいぶ面白いな、と思った。

平成15年10月13日

1.

『カトゆー家断絶』が更新され、昨日の祭りのようなアクセス数増加が沈静化した。過去ログとはいえ、一日で1000アクセスを超えるなんて、弱小個人サイトにとっては大事件なのである。

しかし、今日の夕方にアクセス数を確認してみると、なんと1時間で1000アクセスを超えていた。約3秒に1アクセスのペースである。サーバへの攻撃か?と思ったほどだ。

リンク元は、動画情報をあつかったアダルト情報サイトだった。リンクしてあるのは、昨日と同じ、9月28日の日記。

で、結局そのアダルト情報サイトの正体は明かされないのだけれども、じつはテキストサイトに平気でリンクするアダルト情報サイトといえばひとつしかない。アダルト情報サイトとして最も有名なサイトのひとつである動画ファイルナビゲーター内の1コンテンツ、見つけてきたNEWSがそれだ。あ、NEWSのログページに直リンしたのだけれども、それでも18禁かもしれないので要注意、といっておく。

このエッセイの趣旨は、ReadMeで10位以内に入る超人気サイトであるところのカトゆー家断絶からのアクセスに驚いていたら、アダルトサイトからのアクセスはさらにその10倍だったのでおったまげた、というものだ。そして、以下のように結論付けている。

ある調査によると、海外でネット上を流れるデータの半分は、アダルト関連のものだと言う。もっともこれは、エロ画像やエロ動画のデータサイズが大きいことが理由だと思われる。しかしそれを差し引いて考えたとしても、アダルトサイトの利用者は多い。

今回、アダルトサイトの巨大な影響力を、身をもって感じた。この「憂鬱なプログラマによる〜」も、アダルト情報サイトからリンクを張られたという十字架を背負って、これからも更新していきたい。

アダルトサイト利用者は、超人気ニュースサイト利用者の数よりもずっと多い。

そう、それはたしかにそうなのだけれども……。テキストサイトの頂点はほぼ日刊イトイ新聞で、1日50万PV。この数字は、日本トップクラスのアダルトサイトと比較して遜色ないのではないか。

ASCII刊「100万ヒットホームページを作った人々」に東京トップレスが1日200万ヒットという数字が出てくる。念のため。ヒットはPVとは異なる概念だ。画像を4枚貼ったHTML文書を読み込むと5ヒットになる。さらにJavaScriptやCSSを読み込み、CSSから画像をさらに3枚読み込むと、文書ひとつで10ヒットとなる。サーバにとってはPVよりもヒット数と転送量が重要だから、ベッコアメサーバから工藤さんに出た苦情はヒット数が基準となっている。1999年の東京トップレスは1日20万PV程度だったのではないか。WWW利用者人口が現在の4分の1以下だった頃の話だ。

もう1点、カトゆー家断絶は取り上げる情報量が異常に多いことでも知られる。閲覧者がそのすべてのリンクをたどるわけではない。ネタ次第では、カトゆーからのリンクをきっかけとして、閲覧者数が1万を超える。PVはもちろんそれ以上の数字を叩き出す。1時間に1000PVを超えるという経験は、瞬間風速(半日)ながら私も経験した。しかしそのリンク元はテキストサイトだった。単純に、動画ファイルナビゲーターがカトゆーの10倍の閲覧者数を誇るとは言い切れない。(でもたぶん、本当に10倍いるような気がするけれども)

2.

先の話題に関連して。以下、インターネット白書2003より数字を引く。

まず、WWWで映像コンテンツを利用する者の割合は51%に過ぎない。ブロードバンド利用者に限定しても61%に過ぎないことには注意すべきだ。では、どのような映像が多く視聴されているのだろうか。

最も人気を集めているのはミュージシャンのプロモーションビデオのクリップで、映像視聴者の48.7%が視聴している。次は映画・テレビの広告(ダイジェストや予告編か?)で40.1%、3位がニュース・天気予報の28.9%、4位が映画・ドラマ・お笑い番組(ネット放送?)の21.3%、そしてようやく5位にアダルト18.5%とくるから、つまりネット人口全体の1割弱しかアダルト映像を視聴していない。さらに下位には生活情報、オンラインラジオ、定点ライブカメラ、スポーツ中継などが続く。

たしかに、頂点を比較すればテキストサイトよりもアダルト情報サイトの方が高い。だが、全国紙のニュースサイトなどと比較すれば、結局それも比較にならない程度でしかない。具体的に数字を挙げれば、夕刊フジのWebサイトZAKZAKは1日1000万PVを優に超えている。サンケイスポーツのWebサイトsanspo.comでも1日900万PVだ。

新聞社は例外だというなら、例えばSONYのWebサイトは1日100万PVで、グループサイト(通販の SONY STYLE とか)を除いた SONY Japan のみでも月間1000万PVだし、井上雄彦の公式サイトは週に100万PVだったりする。読売巨人のサイトは1日30万PVで、倒産したハウステンボスのサイトだって1日5万PV弱、私が聞いたこともなかった日本旅行のサイトが1日19万PV、紀伊国屋書店は月間3000万PV……。(ASCII刊 WebDesign2003、WebDesign2002)

で、極めつけはやっぱりYahooで、これは2002年3月の数字だけれども、月間51億3861万PVだった。重複を省いた利用者数は1585万人。ちなみに当時の2chは2億2444万PVで、利用者は257万人。2ch.netは利用者数ランキングで37番目のドメインとなっている。(インターネット白書2002)

それで何がいいたいのかというと、アダルトがWWWの需要を引っ張っているというのは伝説に過ぎないということだ。ビデオデッキの需要の中核をなしたのは、決してアダルトコンテンツではなかった。ほんの一時期、躍進の原動力となった時期があったのかもしれないが、それだけでは結局、マイナーな裏文化で終わってしまう。WWWの利用拡大を真に牽引しているのは、やはり表文化の力なのだ。

もちろん、海外でという留保がついているのに日本国内のデータを示しても説得力に乏しいかもしれない。しかし、国内でこれほどシェアが小さい(動画の総量と比較すると1割に満たない)ことを考えると、海外で一気にトラフィックの半分も占めるものだろうか、という疑問がわく、と指摘しておきたい。

全体と比較すれば小さな勢力も、全体があまりに巨大であるためにそれ単独で見れば十分に大きな勢力だ、という話。しかしYahooは凄いなあ。2001年と比較して、WWW利用者人口はほぼ倍増しているので、今頃は……。

3.

何はともあれ、憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記はこの備忘録よりは平均的に面白いように思った。転載してよいということなので、気が向いたら転載しようかと思う。

じつは私は、未整理の状態ながら転載OKのサイトをけっこうサーバにおいている。無節操にファイルをあげていったので、とうとう300MBの容量を食いつぶしてしまった。これにはいささか参った。やむなく、最近になっていくつか消した。最近、このサイトからリンクした転載記事に妖精現実があるけれども、私にとって重要な記事はほんの一部に過ぎないので、これはいつか整理しなくてはなるまいなあ、と思っている。けれどもこの3連休に何もしなかったから、この先もやっぱり何もしないままなのかもしれない。しかしサーバの容量がなあ……。

平成15年10月13日

リンクのタグ講座の整理も終了。検索すれば万と言う数のタグ講座があるわけですが、ここでは、

s

といった様なサイトに出来るだけリンクしたいと思います。次回更新時にはその辺の篩い分けもしたいです。

笑った。いや、そんなのキリがないでしょう。あっはっは。

ところで私はTTTEditorを愛用しているのだけれども、TTTは明らかにez-HTMLやHTML Project2と比較すると機能が遅れている。けれども、随所に突き抜けた機能があり、そして何より私のフィーリングにあった動きをするのがいい。単に慣れてしまった、というわけではないと思う。いくつかのソフトを平行して使っていて、明らかにこれがいいと思って選んだのだから。

とはいうものの、これから人にお勧めするのならez-HTMLだろうな、と思った。文法違反をこれほど簡単確実に禁止するHTMLエディタは珍しい。私もすべてのソフトを知っているわけではないから、「他にない」とまではいわないけれども。

HTML Project2もたいへんお勧めできるHTMLエディタ。じつをいうと、機能的にはez-HTMLの方が心惹かれるのだけれども、私が乗り換えるならこっちなんじゃないかと思った。ez-HTMLの人が繰り返し述べている通り、結局は機能よりもインターフェースが新規利用者の開拓には重要だというのは、まさにその通りだと思う。だから私はテーブルを作らないのにTTTを使っているわけで。(テーブルの作成と再編集はTTTが唯一、現在でも最先端に近い実装である分野。ん〜、唯一、とかいうとやっぱり語弊があるかなあ)

私がez-HTMLかHTML Project2に乗り換えるとすれば、標準の挿入タグをカスタマイズできるようになったとき、だろう。登録タグ機能を使えば、現在でも何だってできるのだけれども、そうではなくて、デフォルトで用意されているタグについて編集できると嬉しい。登録タグといわれると途端に面倒くさくなるけれど、例えばショートカットキーひとつでcite属性とtitle属性のダイアログだけが開いてblockquote要素をパパッと挿入できたらいいな、と思う。

TTTで気になるのが、a要素のマークアップ。href属性以外は指定しないことがほとんどなので、href属性を入力したらEnterキー一発でタグが挿入されるのがよい。ところが、OKをクリックしないとダイアログが閉じない。これはイライラの元だ。逆に、img要素でalt属性を記述しないでもダイアログが閉じてしまうのはどうなのか? とまあ、そんなことを思いながらカチャカチャとキーボードを叩いている。いつか、カタカタと入力できるようになりたいと思う。

逆リンク!

平成15年10月11日

登録基準

で、これ以降付け足してゆく基準として。

なぜ文字サイズの固定を禁止するのですか? 基準としてデザイン的にどうこうというつもりは一切ありませんというのは嘘ですね。CSSの仕様には、文字サイズ固定の方法がきちんと定義されています。にもかかわらず、文字サイズ固定や配色を理由に登録したりしなかったりする。矛盾を認識されているならともかく、何もおかしなことはいっていないような顔をしているから、私には理解できません。

画像のサイズを%で指定すると、たいてい表示が汚くなります。ですから、ある種の画像を中心にデザインを考えるとき、ボックスの幅固定、特定の余白の幅固定、そして文字サイズの固定は避けがたいことになります。CSSの仕様書は、装飾のための画像に引きずられてあちこちの長さを固定してはいけない、とは書いていません。むしろその逆です。テーブル以外の要素の幅固定、余白の幅固定、文字サイズの固定、これらはすべてCSSが初めて実現したものです。

つまり、CSSはデザイン上の都合により各部の長さを固定してよいといっているのであって、カススタであり、イケスタでも、カスイケでもありませんとおっしゃるならば、文字サイズ固定禁止の規定はどうかといわざるをえません。

なぜCSSでは文字サイズが固定できるのですか? それはアクセシビリティ向上とは逆方向ではないか、というのは誤りです。CSSは閲覧者が上書きできます。だから逆に、製作者は以前よりも自由にあれこれやってよいのです。製作者の固定した文字サイズで不都合の生じた方は、自分で好みの文字サイズに設定しなおせばよいのです。最終的なデザインの決定権が閲覧者にあるから、製作者は自分のセンスをそのまま持ち込んでよいのです。

配色も同様です。製作者の用意した配色に不満があれば、閲覧者はそれを上書きして、閲覧者好みの配色にすることができます。

誰もが納得するデザインなどありはしないのだから、製作者の用意したデザインをそのまま受け取らねばならないのだとしたら、必ず誰かが文句をいいます。多様な需要を満たす唯一の解は、閲覧者が自分の好きなデザインを設定できるようにすることです。

文字サイズ固定はイケてない、という判断はアリです。しかしそれはCSSデザインかどうかという判断とは異なる地平に立った主張です。adramineさんのやっていることは、明らかにadramineの判断におけるイケスタ、カスイケサイトのリスト作りです。それなのに基準としてデザイン的にどうこうというつもりは一切ありませんとは、いったいどんな顔していっているのかと疑問に感じずにはいられません。

平成15年10月11日

WinIEのユーザ補助は、なかなかよくできた機能です。私は、IEを使うときにはいつでも、全項目にチェックを入れています。

固定された文字サイズは、たいてい私にとっては大きすぎます。

Mozillaは配色をあまりいじれないのがつまらないですね。IEのユーザ補助では文字色と背景色、背景画像の指定を一括で全部無効化できるのですが、Mozillaはリンク色しかいじれない。その代わり、文字サイズの指定は非常に便利。標準の文字サイズを自分好みの小さな文字にできる一方で、最小の文字サイズを指定できるのが素晴らしい。

私は最小の文字サイズ=標準の文字サイズとしています。私にとって一番読みやすい文字サイズは12pxですが、それより1pxでも小さな文字は読みにくいと感じるからです。

平成15年10月11日

ところで、私はいつもJavaScriptをOFFにしているので、私は自分のサイトを製作者CSSなしで見ています。当サイトの用意しているCSSはオマケであって、必要としない人にはファイルを読み込ませる必要がないものです。JavaScriptなしには製作者CSSが適用されないようにしているのは、そういった理由です。

とくに当サイトが名指しされているわけではありませんが、「JavaScriptなしではCSSが適用されないサイトを見るのは面倒くさい」といった意見をしばしば見かけます。私はそうした意見には賛同しません。製作者CSSなんてJavaScriptと同じくらいどーだっていいから、そのような扱いになっているのではないですか。私の意図はHTMLに表現されているので、製作者CSSなど見なくとも話は通じます。

製作者CSSを適用して見たくて仕方がないなら、JavaScriptを許可すればよいでしょう。Sleipnirなどでは、お気に入りに登録した各サイトについて、JavaScriptの許可を設定できます。あるいは、ツールバーのボタンひとつで許可の如何を選択できるソフトもいくつかあります。目的と手段のバランスは取れていると思います(異常に面倒だというほどのことじゃない)。

平成15年10月11日

テキストサイト批評やらせてください。一番下のフォームから お名前、url、メールアドレスを書いて送ってください!

上質なサイトが応募するといいと思う。自分でもダメサイトだと思っているようなサイトはたいてい、本当にダメサイトなので、適当に自粛するべき。こんなことを書くと森下さんには怒られそうだけれど、やっぱりこれは書いておきたいことなのだった。

申し込みにメールアドレスも必須のようだから、ひょっとすると純粋に依頼者の方だけを向いた批評なのかもしれない。それならば、申し込みサイトの質は何だって構わない。けれども、そうではなくて、批評がサイトで公開され、クマのプーさんのコンテンツとなっていくのであれば、やはり申し込むのはそれなりのサイトであってほしい。

テキコンの麻草さんの批評は傑作だったけれども、場の作り方からしても、ああいう風にはいかないだろう。過去の森下さんの他サイト言及から類推するに、被批評サイトがどーでもいいようなサイトだと、誰もがエネルギーを浪費する結果となるのは想像に難くない。

平成15年10月10日

folio vol.02が公開されました。私の連載記事もあるので、興味のある方はぜひ。

次回は11月末に出る予定ですが、どうもハッキリしないので、folioをアンテナ登録しておくとよいかもしれません。

平成15年10月10日

当サイトでは不定期にサイトの軌跡を記録しています。本日、8ヶ月ぶりに軌跡を更新しました。ついでにサーバ移転時に不具合を起こした軌跡をあれこれ修正しました。Noteからどうぞ。

平成15年10月9日

会社の健康診断で、体重が4kgも減っていることを教えられた。そんなにやつれてしまったのか。標準体重の範囲内、だとは思うのだけれど。

平成15年10月6日

最近1年ほどの間に大手の企業サイトのマークアップはだんだんまともなものが増えてきている。

アクセシビリティなんてことはとっくの昔からいわれていた。それでも結局は多数派の健常者にアピールする方がサイトの人気が出るものだから、HTMLをまともに記述する原動力とはならなかった。ユーザビリティも昔から話題の的だった。だけれども、テキストブラウザなどのシェアは無視できるほどしかないので、HTMLから離れたところで議論が行われることが多かった。

では現在、長い不幸な時代を脱し、状況を大きく変えようとするその原動力は何か?

そう、検索エンジン対策なのである。やはり、明確な現世利益がないと、人はなかなか動かない。しかし動機は何だっていい。まともなHTML文書を作成するのが当然という状況が、ようやくやってきたのだ。大手Web製作会社の試みは中小の製作会社に波及し、大いに劣化しつつも個人サイトの世界にも影響を及ぼす。

現在、個人サイト向けのアクセスアップ支援サイトは、「検索エンジンに登録しよう」という段階までしか解説していない。その無意味さは、いい加減、多くの人の知るところとなりつつあるのではないか。登録したら、その次には上位表示を目指すべきで、とすればHTMLを正しく使うよう心がけねばならない。個人サイト向けの解説で、そこまで説明するのが常識となってくれば、山が動く。

平成15年10月6日

テキスタイルポップからたくさん人がきていて、いったい何なのかと思ったんだけれども、まさかこういう流れとは。意表をつかれた。ifさんはテキスポで陵辱されたよ!なんて暢気なことを書いているけれども、それは私の科白だと思った。(笑えました)

というか、そういうキャラなんですか、私は。

平成15年10月6日

前回と異なり、途中の経緯がどうもあやふやで……。状況としては「ネタにマジレスされた先生が困惑の挙句に逆切れ」ということのように思われます。意想外の展開に戸惑い、話をサラッと流すことができなかった先生の器量不足という見方がひとつ、ネタに気づかないまま先生を追い詰めた加藤さんも察しが悪いという見方がもうひとつ。

お前は演劇を甘く見ているのか」という発言だけ抜き出せば、たしかに失言です。ただ、そこに至る前に問題が解消されなかったことに、不幸があるように思いました。

平成15年10月6日

MdNから出た本で、岡崎久美さんの著書。従来型のアクセス向上指南書で、SEOなどの新しい潮流には乗っていません。つまり、あまり実効性のない、「万人に嫌われないサイトを作ろう」系の本なのですが、今頃になって発売されるなりに洗練はされています。

で、この本の中でも当サイトのサイト批評サイト リンク集が紹介されています。これまでに何度もいろいろな雑誌や書籍、メールマガジンなどに紹介されてきたのだけれど、いちいち連絡もないので、書店で立ち読みしていたりするときに「あ、」と思うだけでそれっきり忘却の彼方。今回は運良く、書店で見かけた直後にこの本の紹介記事に出会ったので、ちょっと記録しておこうという試み。(いつも通り、ほんの1〜2行の紹介でしかありませんが)

サイト批評サイトは女子中高生が最大勢力で、驚異的なサイクルで顔ぶれが入れ替わっている、追いかけるのにつかれたので最近は女子中高生のサイト批評サイトは開拓していない、といったことを以前書きました。そんなこともあってか、未だに私のリンク集以上に多くのサイト批評サイトを集めたリンク集を見たことがありません。事前に調査した上で、はっきり狙って「他にないコンテンツ」を目指した結果なのですが、未だに公共性の高い(?)メディア向けには当サイトの看板として機能しているということに、少々驚かされます。

頭がくらくらしてくるリンク集ばかりなのですが、そうはいっても私のペラ一枚のリンク集とは情報量が違う。サイト批評サイトリンク集のおかげで私はずいぶん感謝もされたし、凄い凄いと感心もされたけれど、労力ということではこれらの比ではないよなあ、と思います。

平成15年10月6日

WWW利用者人口が爆発的に増えているから、いわゆる定番サイトはどんどんアクセスを増やしている。頂点ははるか高くなり、以前の頂点の辺りは戦国時代の様相を呈しているわけです。というわけでとほほのWWW入門へのアクセスも激増していて、一昔前には600万くらいだったはずが、知らぬ間に1700万を超えていたのにはさすがに驚いた。

けれども、もっと驚いたのは、私が全然知らなかったサイト、love cherryのカウンターの数字が600万を超えていたことだった。とほほの3分の1のアクセス!?

テキストサイト界隈と異なり、ついこの間まで、サイト作成支援系サイトでカウンターの数字が100万を上回っているサイトはたいへん珍しかったものだけれども、このところちょくちょく見かけるようになってきた。みんなのタグ辞書のように安定して1日5000超のアクセス(表紙のPV)を誇るサイトがその後ろにはいくつも控えていて、遠からずサイト作成支援系サイトで大手といったら延べ100万アクセス超を指す、という時代になりそうだ。

最近のダメ解説サイトは、みなちゃんとCSSを重視している。もちろんその使い方はアレなので、CSSが普及すれば状況が変わると思っていた方々は残念でした。ツールが進化すれば……というのも、結局は単に文法違反が減ることにしかつながらず、HTMLを仕様書の意図を無視した解説をするサイトはちっとも減らない。今になってみれば、壁を乗り越え小難しい話をきちんと勉強したのは主にプロだったということができる。これからも、アクセシビリティに配慮するのは一流のプロが中心なのだろうと思う。

今後もこんな感じで、素人さんのやることは悪い方へ悪い方へと予想を裏切っていくのだろう。3流のプロもまた、(Web標準の普及という観点から見れば)それと大差ない道を歩むのだろう。というわけで、あるべきWWWの姿を追い求めるW3Cとその支持者の戦いは永遠に(少なくとも永遠に思われるほどの長い期間ずっと)続く。

平成15年10月5日

それで、そうやって、いろんなWebサイトのデザインを見てたら、、、いろいろ、わかってきたんですっ!

葉月のデザインは、ぐんぐんよくなるし、うれしかった。。。そんな簡単なことで、成果があがるんだから。

成果が上がった、と思ってもプロとの間には大きな壁が……といいたいところなんですが、プロのサイトにも「それはないでしょう」というデザインのが少なくないので唖然、呆然。でもやっぱり素人よりは平均値がずっと高いと思います。

ところで葉月さんが参考にしているサイトなんですが、それはそのへんの個人サイトとは違うのですか? と思って調べてみたら、ううむ、なるほど只者ではないサイトばかり。軒並み1000PV/day以上のアクセスを誇ると同時に、お互いが逆リンクランキングを通じてリンクしあっているという関係。しかしまあ、各サイトの解説はたいていアレです。勘弁してください、という。この手のサイトは多すぎて、ホント、批判するのも疲れました。

私自身、初心者にサイト作成の講義をする機会などあったわけですが、初心者がアレな解説しか受け付けないのは、文化的背景のある話です。最初から正しい方法を習えば、正しいやり方をすんなり身につけられるだろう、というのは誤りです。大半の初心者は、正しく解説しても、自分で勝手に誤解します。あるいは、確信犯で説明に反する行動をとります。その誤解の仕方、説明通りの行動を拒否するポイントは、驚くほどダメ解説のそれと重なります。

ダメ解説がみんな似たり寄ったりなのは、ダメの方向性に理由があることを示しています。そして、これほどダメ解説が多いという事実、ダメ解説を喜ぶ人が多いという事実、よい解説が大半の初心者に拒否される事実、これらを無視した理想論に、実効性はありません。

「正しいHTMLは簡単です。レガシーなHTMLの手法、例えばテーブルレイアウトなどの方がよほど難しい」「CSSを使えば、こんなに文書の装飾は簡単になるんですよ」といった巧言は、一面の真実を素直に描写してはいますが、実態にあっていません。現実には、Strict HTML + CSS という手法を逸脱することを禁じられた人は、非常に苦しい思いをします。脳がオーバーヒートするほどの悩みを抱えます。乗り越えがたい高い高い壁が、そこにはあるのです。だから、レガシーな手法でそれ以上の苦しみを味わった経験のない人は、挫折します。

正しくHTMLを使うのは、初心者には困難です。恐ろしく困難です。CSSを正しく使うのは、初心者には困難です。恐ろしく困難です。講師がガッチリ行動を制約しない限り、初心者は必ずといってよいほど、制約を破壊します。いうことを聞こうとしない。まるでじゃじゃ馬です。野獣だ。それが理性ある人間のすることか? でも、初心者は、ルールを守ろうとしません。

「それはなぜか?」というのが、Folioの連載記事「"いろは"の先のCSS」第2回のメインテーマです。

平成15年10月5日

なーんて宣伝記事を書いたのですが、Folioの発行は遅れに遅れて、10日になるらしい。え〜(泣)

締め切りすぎちゃってヤバイなあと思いつつ、頑張って28日に原稿を出したのに。ちなみに第3回は11月30日だそうで……。私はたしかに〆切は破りますけれども、どんどん〆切があればどんどん記事を書けるわけでありまして。逆に、〆切がないと何も書けないわけで。ズルズルと発行が遅れていくのは嫌だなあと思う。

たぶんね、月間じゃなくて季刊にしたって、やっぱりみんな〆切を破るんですよ。そして、予定よりちょっと遅れて製作が進行していく。絶対みんな、間の空白期間にはろくなことしていないはずで、だから、第3回は11月1日発行でもいいんじゃないのか。私の連載記事は約10日(週末2回)で書き上げているのだけれども、他の執筆者もそれくらいだと思う。違うのかなー。

平成15年10月5日

仕方ないので、「葉月さんのリンク先」まで話を戻しましょう。

ダメ解説をしているサイトが並んでいるわけですが、逆リンク集でつながったサイト群の中に、例外的に真っ当なサイトがあるのを発見しました。AWCSです。

正しい解説を必要とする人は、自力でそこまで辿りつくだろう、という発想は間違っていないと思います。Strict HTML + CSS という手法を本当に必要とする人は、頑張って、例えば野嵜さんの記事などに出会うことでしょう。しかし、AWCSのようなアプローチもまた、興味深いと思います。敵の本拠地へ乗り込んでいき、正しい手法へ移行する案内の道筋をつけるサイトがあるというのは、心強いことです。

平成15年10月5日

ぐんぐん伸びているサイト、HTML小技集について少々。たまには出る杭を打つ人がいても罰は当たらないでしょう。

いわゆる「div厨」の典型例。せっかく外部CSSを勉強しても、こういう理解の程度で使うとろくなことにならない。

こちらはテーブルレイアウトが残っている例。ソースを見比べると、CSSの勉強は進めたけれども、HTMLはもうすっかりわかっているつもりになって、あまり勉強しなかったことがうかがえます。でもそれは結局、CSSをちゃんと勉強しなかったということを意味しているわけです。私自身、CSSの勉強がきっかけでHTMLを見直していったクチですけれども、CSSの理解はHTMLの理解と密接に関連しています。

という話をFolioの連載では書いているので、10日になったら、興味のある方は読んでやってください。(あ、話が戻ってしまった)

平成15年10月5日

10月になったので、リニューアル講座を更新して、Folioの連載第1回を転載しました。コメントアウトしていた部分もBonusTrackとして表へ出してありますので、興味のある方はぜひご覧になってください。

平成15年10月5日

巨大なアクセスを誇るサイトの場合、いくつかの無料サーバと同程度のサービスを有料サーバで実現しようとすると、たいへんな出費が必要になる。なぜ無料サーバが巨大な転送量に強いケースがままあるのか? 以下、問題を単純化して説明する。

無料サーバは広告費で運営されている。広告を出している業者は、いくつのサイトに広告が載るかではなく、広告の載ったサイトのPVの合計に対して、あるいは広告のクリック数に対してお金を払う。これはテレビのコマーシャルが、何回放送されるかではなく、どれだけの視聴率があったかを重視するのと同じ理屈である。したがって無料サーバの運営業者は、特定のサイトにアクセスが集中してもまったく困らないことになる。転送量が増えた分だけ、広告収入も増えるからだ。

有料サーバの場合は、そうはいかない。転送量などに関係なく、定額制で個々のサイトの管理者と契約しているのだから、特定のサイトが回線を圧迫したら困ってしまう。収入は変わらないのに出費ばかり増えてしまうからだ。逆にいって、有料サーバでも、転送量に応じて課金できるのなら、特定のサイトが大人気となっても問題にならない。

たいていの有料サーバは格安の料金設定となっている。不人気サイトが多いことを見越して、サーバに入れる客の数を決めているのだ。だから人気サイトの管理者が転送量に応じた課金プランを採用すると、悲惨なことになる。

平成15年10月4日

宣伝は宣伝対象に手法を合わせるものであって、その逆ではないのが「一般的」だ。「テキストサイト界」とかいうコミュニティに属する人たちがどれほどマイナーな存在で、心の狭い人たちの集団であっても、その人たちを対象に宣伝をうつのであれば、その対象に合わせて宣伝すべきではないのか。自分の宣伝戦略は悪くない、宣伝する相手がおかしいのだ、という論法は、同日の日記にある「自称デザイナー」のコメントと同じだ。

Satoshi Saitouさんは私の文章を読み違えていると思う。テキストサイト界隈の文化を知らずに、界隈の住人を怒らせるような宣伝をするのはバカだ。それは私も賛同する。

問題はそこにあるのではなくて、テキストサイト界隈の住人が「アクセス厨」を侮蔑する言葉を吐くとき、「アクセス厨を軽蔑するのは人間として当然のコト」と信じているフシがあるということだ。対象に合わせて宣伝するべき、というのは宣伝する側の話。では、宣伝される側は自分の価値観を無条件に絶対視していてよいのか? それが私の問題提起なのだ。

テキストサイト界隈では、アクセス厨の言動は「信じがたい非常識」とみなされる。その傲慢さ、夜郎自大は指摘されないままでよいのか? 視野の狭さは、自分たちの価値観を「常識」とか「当然」とか言い出したときに最もまずい結果を生む。たまたま界隈のしきたりに疎い者に遭遇したとき、「生意気な野郎だ。やっちまえ!」と問答無用で叩きのめすのが正しいとは、私は思わない。

「よそ様ではどうだか知りませんが、うちの界隈では、そういうことになっているんですよ」という謙虚な認識があれば、過去のいくつかの騒動は、もっと違った展開になっていたはずだ。

平成15年10月4日

正直、なんとなく微妙。「アクセス厨は侮蔑される」文化であることがわかっているのなら、あからさまな宣伝をしなければ良かったはず(例えば、結果として「趣味のWebデザイン」からのリンクを誘発した、先のわたしの書き込みは宣伝として機能している(こんなこと書くのは釈迦に説法ですが))。猛犬であることが解っていて、なおうかうかと近づいて咬まれたのなら、それは近づいた方にも非があるでしょう。

ただ、もちろんテキストサイト界の住人は犬じゃないわけで、「謙虚さがあってもいいんじゃない?」、という指摘について個人的にはそう思います。思うのですが、テキストサイト界の住人にしてみれば、それ(「宣伝は唾棄される行為」)は譲れない一線だったのだろうと思うと、極端な反応に振れてしまったというのも解らないではないのです。(面白がってやったというなら論外(それは個人的には極端に反応しかねない、譲れない一線)ですが)

そして「極端に反応するのってどうよ」という話であれば、それは「テキストサイト界の外では一般的」云々という話ではなくて、「フレーミングを避けるために」とかいったエチケット(「反論をアップする前に半日から一日ぐらい間を置きましょう」とかいった類)の話になるのでは。

私の説明が悪いのかな。私の発言意図とかなりずれた反応に困惑。もう一度書きますね。

犬についてちゃんと調べていれば、犬が人を噛むことがあるってことはわかります。ただ、ちょっと調べただけではわかりません。試しに、犬は人を噛むことがある、という記述のある文書を探してみればわかります。たいていの犬の説明にはそんなことは書いてありません。(註:犬が人を噛むという事実を知らないと仮定して探すこと)

しかしそうはいっても、無知の罪は糾弾されてよいでしょう。ただ、私がいいたいことは、テキストサイト界隈の常識を人類の常識と勘違いしている人が少なくないので、現状では無知の罪が糾弾されているのではないということです。「そんなことをするのは人間としておかしい」「いちいちいわれないとそんなこともわからないのか?」そういう非難が行われている。界隈の住人には、自分の常識が、世界の常識になってしまっている人が多いのです。

テキストサイト界隈なんてのは世界の辺境に過ぎないという認識が、一番肝心な場面でスコーンと抜けてしまう。フナニチにあるように、界隈の住人は「俺たちって変だよね!」といって笑いあっているけれど、本音では「俺は常識人」と思っているらしい。もちろん、総体としては常識人なのでしょう。けれども、ことに界隈のしきたりに関しては、「世の中の常識をふつうに当てはめればこうなるでしょ」と思うのは危険なのです。その危険に無頓着な人が多過ぎませんか?

「説明されなくても、界隈のしきたりに精通しているのが当然」という傲慢さは、界隈の常識が人間の常識とイコールであるという勘違い抜きには成立しません。界隈の常識に反する行動をとる人に対して、「人間がなってない!」と批判するのではなく、「この世界についての勉強が足りない!」と批判していたら、いくつかの騒動は、かなり違った展開を迎えていただろうと思うわけです。

平成15年10月4日

私が問題にしているのは、極端な反応ではなく、批判者の根拠のとり方です。すぐに「人間として当然」とか言い出す人は、テキストサイト界隈のマイナーなことを思い出すべきなんです。自分の常識は、本当に世の中の常識なのか、疑うべきなんです。そうすれば、狭い界隈のしきたりを「知らなかった」人への対応も自ずと変わってくるでしょう。

例えば、「非常識! いい大人がよくそんな恥ずかしいことをできるものだ!」と怒るのではなく、「この界隈で成功したければ、もっとちゃんと勉強しなきゃダメだよ」と教え諭す……というように。

「そんなことくらい、なぜ説明されなきゃわからないんだ?」という怒りはたいてい、理不尽です。俺世界を一般化し過ぎている。世の中にはいろいろな思想的立場があり、常識も多様化しています。同じ価値観を共有していない人が世の中にはたくさんいるのだから、説明なしで意図が伝わる方が珍しい現象なのです。

平成15年10月4日

テキストサイトがマイノリティであることを忘れてしまいがちになるのはすごく危険なことなのではないかと思われ。私も時々忘れてて、仲の良い同僚とかとネットの話をしていたりしているとき、その子がインターネットをよくする子なのにも拘らずテキストサイトのことは一切知らなかったりで、はたと気付いたり。

フナニチで問題とされているのは、あくまでも知識レベルの話。けれども、実際にはテキストサイト界隈のマイノリティであることは、その文化・しきたり(=常識)においてこそ問題なのです。知識が共有されていないことなんてのは、お互いにすぐ認識できるのだからたいした問題ではありません。価値観が共有されていないことは、なぜかお互いになかなか気づかない。そして、深刻な摩擦へと発展していくのです。

平成15年10月4日

平素は、弊社サーバーをご利用いただきましてありがとうございます。intro.swfの転送量が1日で450MBと、ネットワークに多大な負荷をかけております。至急ご対策の上お問い合わせフォームよりご連絡ください。なお、3日以内にご連絡をいただけない場合はアカウント停止等の措置をおこないますのでご了承ください。

とサーバー様より連絡が来てしまった。ありゃ???えっ??

問題のファイルはSIZEが265KBなんですが、単純に450MBで割ると約1700回読み出されてる事になります。しかも一日の転送量で。。ちなみに公開してから一番多い一日のアクセス数はもろもろ加味しても600人。倍にしても1200人。ファイルそのものへの直リンクは本当勘弁してください(;´д⊂)このような事態の予測がしずらい。んまぁネット上でのことなんである程度は仕方が無いし追求する気もないですが。。

予測なんてしていないで、単にサーバでログをとればいいのでは? というか、予測できたら何かいいことがあるのだろうか。それと、HTML文書もファイルの一種なのに、なぜHTML文書へのリンクはOKなのか。

WWWに公開される情報はHTML文書形式に限定されない。WordやExelのファイルだって公開できるし、画像やフラッシュも公開できる。そして公開された情報にはすべて一意のURIが与えられるから、それぞれを単独に参照することができる。WWWはそのように作られた仕組みなので、HTML文書は参照していいが、その他のファイルは参照してはいけないというのは、奇妙な意見だ。HTML文書以外を差別するべきではない。

リンクというのは単なる参照であって、フラッシュにしか用がないのに、それ以外のものをリンクするのは無駄なことではないか。WWWに無駄を増やそうをするのは、私はよいことだと思わない。

そんな事よりこのサーバーこれ程度でこんな状況になってしまうのですね。。プロバイダよりはいいだろうと思いレンタルサーバーにしたのですけど。。安いからしょうがないのかなぁ。。これからの事を考えるとちょっと不安です。。

句点を2つ並べているのは3点リーダを2つ並べるようなものなのだろうか……。

いずれにせよ、月額250円で容量が200MB、CGIもSSIも使えるというのに、転送量まで余裕があっていいはずがない。安いということは、ひとつのサーバにたくさんのサイトが入っているということです。計算機の資源には限界があるので、みな分相応にサーバを使わなければなりません。人気サイトと不人気サイトでは100倍以上の転送量の差があります。それなのに同じ値段しか払わないというのは、そもそもおかしいと思うべきです。

ロリポップは特別に安いサーバのひとつであり、いうなれば最もサーバを活用しない人向けのサービスなのです。私が以前利用していたLoopsは月額1000円でしたが、1日1GB以上の突発的なアクセスにも耐えました。これだって、値段から考えたらかなりよいサービスです。Loopsでは1台のサーバを100人くらいで共用していたのですが、もし全員が1日1GB以上もの転送を要求したら回線がパンクします。Loopsは転送量無制限を謳っていますが、本当は制限があるのです。もしひとつのサイトが他の全員の合計くらいに回線を占拠していたら、サーバから追い出されても仕方ありません。

趣味というのは、はまればお金がかかるのが当たり前。なぜかWebサイト製作となるとお金をかけないのが当たり前、みたいなことになっているのだけれど、おかしな話だと思う。

平成15年10月4日

Satoshi Saitouさんとのやり取りの続き。

宣伝を忌避する界隈に宣伝したのだからああなってしまって、その勉強不足だった点について宣伝した側の非難は免れ得ないけど、それはそれとして、もうちょっと指摘の仕方というか、ものの言い方というものがあるよね、と。そういうことですか? (誤解してるかな)

概ねその通りです。

ただ、界隈の常識を人類普遍の常識と勘違いしている限り、半ば必然的に指摘の仕方を誤るだろう、というのが私の主張のキモです。自分の常識は界隈の常識でしかないのではないか? その疑いを忘れるべきではないということ。少なくとも、「界隈の人がみんなそういっているから、これが世の中の常識だ」なんて短絡することだけは絶対に避けたほうがよい、って話。

平成15年10月1日

テキストサイトがマイノリティであることを忘れてしまいがちになるのはすごく危険なことなのではないかと思われ。私も時々忘れてて、仲の良い同僚とかとネットの話をしていたりしているとき、その子がインターネットをよくする子なのにも拘らずテキストサイトのことは一切知らなかったりで、はたと気付いたり。

将棋も囲碁も野球もサッカーも、趣味でやっている人は少数派。ADSLをひいてまでインターネットを利用しているのも世の中の少数派なら、関東人も少数派。日本人というくくりの中で考えるなら、たいていのグループは過半数を占めない。

ちなみに。「テキストサイト」は、趣味の個人サイトの中では最大派閥の一角であることに注意すべき。これほど頂点が高く裾野の広いジャンルはない。スポーツファンの中で野球ファンは最大派閥。でも、世の中みんな野球ファンだと思ったら大間違い。その一方で、野球ファンが多いということも認識していないと、ときに困ったことになる。

少数派はしばしば、少数で無力であるがゆえに無責任かつ自由な立場ともなりうる。与党の不自由、野党の自由を見れば、それは理解できよう。テキストサイトが個人サイトの総数に対して少数派なのは当たり前だ。だがしかし、見方次第では多数派であることもまた、見過ごすべきではない。

平成15年10月1日

テキストサイトがマイノリティであることを忘れてしまいがちになるのはすごく危険なことなのではないかと思われ。私も時々忘れてて、仲の良い同僚とかとネットの話をしていたりしているとき、その子がインターネットをよくする子なのにも拘らずテキストサイトのことは一切知らなかったりで、はたと気付いたり。

将棋も囲碁も野球もサッカーも、趣味でやっている人は少数派。ADSLをひいてまでインターネットを利用しているのも世の中の少数派なら、関東人も少数派。日本人というくくりの中で考えるなら、たいていのグループは過半数を占めない。

ちなみに。「テキストサイト」は、趣味の個人サイトの中では最大派閥の一角であることに注意すべき。これほど頂点が高く裾野の広いジャンルはない。スポーツファンの中で野球ファンは最大派閥。でも、世の中みんな野球ファンだと思ったら大間違い。その一方で、野球ファンが多いということも認識していないと、ときに困ったことになる。

少数派はしばしば、少数で無力であるがゆえに無責任かつ自由な立場ともなりうる。与党の不自由、野党の自由を見れば、それは理解できよう。テキストサイトが個人サイトの総数に対して少数派なのは当たり前だ。だがしかし、見方次第では多数派であることもまた、見過ごすべきではない。

平成15年10月1日

一般向けのアクセスアップ支援サイトに行くと、宣伝書き込みが推奨されてたりするし

そう、その通り。テキストサイト界隈では、よそではたいした問題ではないとされている行為が、ひどく攻撃される原因となる。アクセスアップを目指すことには好意的は捉え方をするのが一般的だというのに、テキストサイト界隈では、そもそもそれ自体が恥ずべきことだとされている。一般向けのアクセス向上指南サイトでは、「相手に(あまり)失礼にならない宣伝書き込みの仕方」などがレクチャーされているのだけれど、テキストサイト界隈では、宣伝書き込みは一切ダメだったりするようで、みんな心が狭い。

この問題についてはかつてMMRの掲示板で指摘したのだけれども、MMRのみなさんには私のいいたいことが伝わらなかったようで残念だった。塾憂が叩かれたのは、テキストサイト界隈ならではのことで、よその業界ならあんなことにはならなかった。テキストサイト界隈は、そういう一般的でない常識がたくさんある世界で、それなのにみな口々に「常識」なんてことをいう。

「常識」なんて言葉を持ち出すときこそ、テキストサイトがマイノリティーであることを思い出すべきなのではないのか。それを認識していさえすれば、「常識」という言葉の意味も微妙に変化してくるはずだ。それはあくまでもテキストサイト界隈の常識なのであって、世の中の常識、人間なら当然云々、といった話ではない、という前提があれば、物語の展開はもう少し違ったものになったろうと思う。

平成15年10月1日

気負ってコラムを書くとき、ついついひねった結論にとびつきたくなるものだけれど、たいていそうした試みは失敗に終わる。今回は全文を引用する。

モデルのプロフィールを公開しているサイト。モデルの写真は雑誌や書籍をスキャンしたままのものを使用しており必ずしも綺麗ではないが、注目点はコンテンツへ導いたり切り替えたりするインターフェイスにある。

やや大きめのスクエアに小さく記されたメニュー項目。それをL字型、縦一列や横一列に配置しているシンプルな構成である。次の階層へ移るとメニュー配列ががらりと変化するが直感的に理解できる。それは構成自体がシンプルであること、移動過程を見ていること、の2つの要因のおかげであると言えるのではないだろうか。

ページごとに違うレイアウトで、ページごとに違うメニュー配置をデザインする。 これはユーザーに操作させる必要があるwebサイトの特性上、困難な制作ではあるが同サイトのコンセプトではそれを可能としている。シンプルだから、メニューがスクエアだから、できるデザインなのだ。と安易に結論をつけるのは勿体ないだろう。見た目のビジュアルに捕らわれず、インターフェイスの本質を考えていけば、どのようなビジュアルであっても同サイトのようなデザインを実現できるだろう。

メニューに使うディテールは共通でなければならない、なんて観念の奴隷になってはいないだろうか。インターフェイスの可能性を感じさられるサイトである。

modelplus
http://www.modelplus.com.pl/

第1段落に補足すると、ここで取り上げられているサイトは非常にシンプルで、なんとなればたったひとつのHTML文書で代替可能である。フラッシュを使って画面を細かく分けているのだけれど、要はモデルのプロフィールをたくさん紹介しているに過ぎない。閲覧者にとっては、ある意味で単調な作業を強いられかねないところ、面白い画面の動きで興味をひきつけようという発想のように思われる。もちろん一覧性が大幅に損なわれている欠点は否めないのだけれど、おそらく単純に機能性を追うよりも、このデザインの方が評判はいいだろうと思う。(このサイトの情報に興味を持つ人の大半はフラッシュコンテンツをうまく利用できることが予想できる)

それはともかくとして、なぜ話題にしているサイトへのリンクが登場するのは文章の最後なのか? 最初に紹介するべきではないのか。

さて本題。コラムの要旨は最終段落にある。メニューに使うディテールは共通でなければならない、なんて観念の奴隷になってはいないだろうか。というわけだ。もちろん、大間違いである。このコラムは結論に引きずられて失敗した典型例だ。

第2段落では、レイアウトの遷移するデザインが成功している要因について、2点挙げられている。

  1. 構成自体がシンプルだから
  2. 変化の過程が目に見えるから

ところが第3段落で、シンプルだから、メニューがスクエアだから、できるデザインなのだ。と安易に結論をつけるのは勿体ないだろう。という。ならば、構成の単純さを理由に挙げるべきではない。単純でなくともよいのなら、変化の過程が目に見えること以外に、成功の理由はないということだ。だったらそう書けばいいのだが、苦し紛れの要因水増しが行われたのは結論が先に決まっていたからだ。

そう、modelplusがコーナ毎にレイアウトを変えても問題を生じない最大の理由は、レイアウト以外のディテールが徹底的に統一されているからなのだ。配色もスクエアの大きさもフォントも禁欲的に整えられている。そしてじつは一見自由に変化しているように見えるレイアウトさえ、厳しいルールに従っている。一番重要なポイントを思いつきで否定しているから、無意味な記事になっている。

なお、変化の過程が眼に見えていることは、重要でないわけではないが、必須項目ではない。だから、modelplusのような試みは、フラッシュを用いずとも実現不可能ではない。もちろん、そうはいってもこの試みがフラッシュ向きであることは否定しない。

おそらくこのコラムの筆者はMr.Qだろう。プロともあろう者が、無邪気に常識を疑って陥穽にはまるようでは、依頼者としては困ってしまうのだが……このサイトに寄稿している他の方々の文章を読んで、次第に私は脱力していったのだった。Mr.Qは大半の記事が「読める内容」だから、かなりマシな方だったのである。

平成15年10月1日

デザイナーというのは、自信家でなければ続けられない仕事なのだろうか。

だけどつらい事もある。 「グレードダウン校正」だ。文字通り、原稿をグレードダウンさせるのだ。チラシでも、ポスターでも誰がどうみても「前の方が良かったなぁ…」と言われるような校正なのだ。これはつらい。自分にとっては作品でもあるのにその作品を劣化させなくては行けない。思わず、自分の作品である事を否定したくなる。

私は自称デザイナーの感性を、もはや素直に信じる気にはなれないから、実例を確認してみることにする。

化粧品ポスター(校正前) → 化粧品ポスター(校正後)

化粧品ポスターです。遠目で見るとちょっとわかりにくいですねぇ…。グレートダウン校正の一例だったり。校正だけで10回くらい言ってます。化粧品ひとつひとつから花から背景の水まで合成しております。もらった写真と会社の素材集だけでやるので合成も一苦労。都内にも貼られるそうなので田舎者のミライはビクビクです。

やっぱりね、といいたくなる。遠目で見るとちょっとわかりにくいとはいいもいったりだ。ポスターを最初から間近にしげしげと眺める人がどれだけいるだろう? まずぼんやりと眺め、興味があればきちんと見る、というのが流れではないか。ぼんやりと見る段階で、どれだけ訴求力を持つかが、ポスターの肝心要の部分であるはずだ。

ミライさんの作例を見ると、校正前のポスターはキャッチコピーが読めない。商品もはっきり見えない。ブランド名もハッキリしない。まるでダメじゃないか。これはダメ出しした依頼人が正しい。デザイナーは30センチ先の液晶画面で作っているから、校正前のものでもなんとなくきれいに見えていたのだろう。せっかく依頼人が眠りから覚めるきっかけをくれたのに、傲慢なデザイナーは誰がどうみても「前の方が良かったなぁ…」と言われるような校正だという。

ちなみにポスターの依頼者はセグロラ化粧品である。誰が作ったんだか知らないが、このサイトもまたトンデモである。社員が自分で作ったのかもしれないけれど、会社から給料を貰って仕事で作るサイトがこんなものでいいというのは、なんというか、その……。

おそらくセグロラのブランドマークはプロの作品だろう。天然素材の高級化粧品だから、緑色のマーク。ベタだけど、意味のないピンクよりはずっとマシだ。天然と自然を売りにしたマイナーな商品なのだから、地味でも、ありがちでも、とにかく緑色を使うことは真っ先に検討されるべきだ。例えば日立ほどの超大企業が赤にこだわっていることをどう考えるのか? コレという色があるなら、まずその方向で考えるのが定石というものだろう。

平成15年10月1日

今後しばらくのネタ元、になる予定。興味のある方はどうぞ。若手デザイナーの個人サイトを見たい人もどうぞ。本音を隠さず書いてしまっている方が少なくないので、依頼人のみなさんはムカムカするが吉。そうか、ヤツらはこういうことを考えていやがるのか、と。予習しておけば、当日になってつかみ合いすることもなくなる……のかなあ。