12月に書いたやむを得ず?という記事へのご意見をひとつご紹介。
一般的な公開手段のひとつになっている HTML がたとえスタイル指定言語であったとしても、おそらくは現状と同じように、文法を守る人は (たぶん) 少数派になるだろうと思います。
結局のところほーむぺーじ製作者の多くは「 (文法なんてどうでもよくて) 見れりゃーいいよ」と考えている人が多く、また、 HTML がスタイル指定言語であったとしても、現状と同じようにブラウザの方に強力なエラー補正機能が施され (つまりマークアップ言語だから強力なエラー補正機能が施されているわけではないような) 、律儀に記法なぞ守らなくともそれっぽく表示されてしまい、結果、記法を重要視しない人が出てくる。窮屈なルールを守らなくてもそれっぽく表示されるのならば、人によってはそれを守る必要のないものだと感じてしまう人もいるでしょう。
そして、ルールをきちんと勉強していないあるいはルールを知らない人の (「裏技」を駆使した) 怪しい楽しげなほーむぺーじ作成講座のようなものが横行し、書籍もまあ似たようなものが増え、そうするとやっぱり騙される人が増えつづけ、きちんとした記法の存在に気付いている人々は少数に留まり、現状と同じように啓発に疲れてくる人が出てくるだろうと予測。
私は文法違反の多寡にはあまり興味がありません。一段階前の、「HTML とは何か?」というレベルで誤解が多すぎることだけで頭がいっぱいだからです。「文書の論理構造を明示する」という HTML の存在意義を全然理解してくれない方が多いので、私は疲れてしまうのです。
blockquote 要素の内容にテキストをべた書きすることへの批判などは、一見、文法違反への批判のようですけれども、じつは違います。ブロックレベル要素を引用するから blockquote 要素なのであって、べた書きのテキストを引用するなら q 要素を用いるべきです。単なる文法的な決まりごとをいいたいのではなく、あなたの用いようとしているものが何であるかということを、理解してほしいと思っているのです。
HTML は多くの初心者に「スタイル指定言語」としてしか理解されないという現実があります。わかりやすい、と定評のある多くの解説を読ませても、ダメです。講師が目を離すと、すぐに魔法が解けてしまいます。font 要素をじゃんじゃん使い、p 要素を br 要素で代替しはじめます。表示結果さえ意図通りになれば、裏で何が起きていようと気にしない。講習会の最終日にできあがった「ほーむぺーじ」を見る頃、私はもはや刀折れ矢尽き、もうこんなボランティアなんか土下座して頼まれてもやるものか、と思う。でも頼まれたら断れないわけで(それにしても、私みたいなヘンな講師を頼む方もどうかしていると思う)。
もちろん、HTML がスタイル指定言語だったとしても悩みは尽きないでしょう。ただ、悩みのレベルが一段下がることは間違いないと思います。少なくとも「HTML はスタイル指定言語である」という共通認識は確保できるはずですから。