備忘録

平成16年7月22日

「スタイルシート スタイルブック」は、初級解説書は読み飽きているのに未だに初級から抜け出せない万年初級者と、中級者にお勧めする CSS 解説書です。Strict な HTML による文書構造の明示と CSS による装飾という Web デザイン手法の利点と現状について、きちんと解説しているのが美点。結局のところ解説が見た目重視の(多少は理想を曲げることも厭わない)解説になっていますが、プロ向けと考えれば許せます。

以前、ヤスヒサさんが個人サイト COULD でお書きになった内容を批判したことがありました。ちょうど、ヤスヒサさんの初めての著書になる本書を拝読した直後のことでした。レビュー投稿を頑張ってみよう、と思い立って1ヶ月、なんとなく当初のやる気を失っていた時期でしたが、ガツンとやられて目が覚めた気分がしたものです。これは素晴らしいと思って Amazon にレビューを投稿しました。つけた評価は5つ星。今年2月のことです。

2月末から3月にかけて集中的に書いた専門家と情報発信に関する話題の中で、私は山本容子さんを批判しました。当時は間もなく刊行予定だった本書を私が読んだのは3月末のことです。美しく・機能的なWebページをデザインするためのテクニックを、実際にWebページを「リ・デザイン」しながら紹介していく、という内容。

たいへん素晴らしい解説書だと思ったので、早速5つ星をつけてレビューを投稿したのに、なぜか掲載拒否。おかしいなあと思って、文章を書き直して再トライ。ようやく掲載されたのは、5月末のことでした。

絵文録ことのはの松永さんには何度かご意見させていただいたものですが、なかなかその著書を拝見することがありませんでした。自己啓発本には興味がなくて、そのためジェームズ アレンの翻訳にも手が伸びなかったというわけです。その松永さんがウェブログ入門記事のライターとして第一人者と目される存在となり、こんな本もお出しになられたのも何かの縁だろう、と思って発売直後に買って読みました。

すぐにカスタマーレビューを書いたのに、なぜか掲載拒否が続きました。3度目の正直でこのたび、ようやくレビューが掲載されたので、ご紹介しておきます。これまた星5つのお勧め本。タイトルは間違っていないけれど、中級者にも読みどころの多い本です。

関係ないけれど、ちょっとびっくりしたのが、1ヶ月もレビューがつかなかったのに、今頃になって私のレビューを含めて3つもレビューが掲載されました。それぞれ7月17・18・19日付。立て続けに一体、どういうことでしょうね。

松永さんが特集記事を書いていらっしゃるムック本。これも星5つ。

というわけで、120冊以上をレビューして10数冊しかない5つ星本のうち、4冊までが備忘録で批判的に扱ったことのある方の著書だという事実は興味深いと思ったので、メモしておきます。

関連リソース

平成16年7月21日

  1. 不毛な議論を避けるために
  2. blogはネット上の不毛な議論を加速させる?
  3. 不毛な議論
  4. まあなんといふか

なるほど、と思いつつ、かざきり羽言及サイト一斉閉鎖問題 - 6 今後どうすべきなのか?[Log.Arch-Type.net]を読む。誤爆リファラ経由。

敢えて大上段に振りかぶっているのか、本気なのか。本気なんだろうな、と思ったら、とても気疲れした。いくら考えたって、同じような問題は何回だって起きるに決まっているわけです。それをわかっているなら、もう少し言葉が変わってくるものなんじゃないかと思うのだけれど、どうだろう。

以下、Log.Arch-Type.net からいくつかリンクを辿ってみた感想を少し。

今回の出来事(人権団体を騙った申し入れによりかざきり羽問題のまとめサイト群が一斉に消滅)は「やっぱりね」という感じでした。他人の発言には過分な責任を負わせる一方で、自分の発言には無責任なのです。

やばくなったら逃げる、それはそれでいい。ただ、自分だけにそれを認めるのだとすればどうか。あるいは、自分に理解できないケースは無条件に批判し、理解できるケースだけ同情的なのだとすればどうか。何をもって「やばい」と考えるかは人によって違うという認識は、あっていいのではないかと私は思う。

人を呪わば穴二つ。呪うな、とはいわない。ただ、今回の展開について意見している人の中に「やっぱりね」という感覚が全然ない方が何人もいます。それもまた「やっぱりね」ですけど、それでもなおがっかりしている自分がここにいる。期待することをやめられない。私こそ、こない未来を期待しているわけです。

平成16年7月19日

Amazon のカスタマーレビューで「参考にならなかった」票を獲得しやすいのは、基本的には批判票です(私自身のレビューに限らず、多くのレビューを見てきた感想)。よい本を誉めると大いに喜ばれ、よい本をけなすと怒られ、悪い本をけなしても少し怒られ、悪い本を誉めると少し喜ばれます。

私が興味を引かれるのは、なぜダメな本をダメだというと人を怒らせるのか、ということです。

著者や編集者が不愉快になるのはわかります。私の書いたレビューの場合、「参考にならなかった」票はレビューひとつにつきせいぜい4票程度ですから、それでも説明はつきます。けれども、著者や編集者がいちいちそんなみみっちいことをするものでしょうか。私の予想は、その本を買った読者が面白くない気分になっているのではないか、というものです。

この仮説は、よい本を紹介すると「参考になった」票がたくさん入る事実とも対応しています。ポイントは、当該書籍を購入したかどうか。お金を出した人は投票の面倒をいとわない(ことが少なくない)のではないでしょうか。

未購入の人はどのレビューを読んでも「フーン」でお終い。投票なんてしない。ダメな本をダメだといっても「参考になった」票が入らないのは、ダメだといわれた本など購入せず、買わなかった本のレビューなどどうでもいいから……かもしれません。

HTML の解説書は、いい加減な内容であっても初心者はそれなりに満足してしまいます。だからますます、私の批判的レビューに「参考になった」票は入らない。今、先月末の絨毯爆撃のため全レビューに「参考にならなかった」票が入っています。一方、「参考になった」票は、いい本を誉めた一部のレビューに集中しています。その結果、多くのレビューにおいて「参考にならなかった」票が優勢になっています。

よい本を誉めるだけではよい本が売れるようにはならない現実に気付いたから、私は悪書に集まる方々を良書へ誘導する試みを始めました。これは見事に成功して、Amazon では良書が軒並み売上ランキングの上位に登場するようになりました。良書のレビューには「参考になった」票もたくさん入り、私はささやかな名誉に頬が緩みます。

しかしレビューの一覧を眺めるとき、「参考にならなかった」票に負け、討ち死にした無数のレビューの存在に気付かされます。それはそれでいい。予想していたことです。けれども、一将功成りて万骨枯る……という言葉が頭をよぎるとき、ちょっと寂しい気分になるのも事実です。まるで世界はチェスのよう。ポーン、ビショップ、ナイト、ルーク、そしてクイーンまで、みんなキングの捨て駒。

関連リソース

平成16年7月18日

Amazon のレビューは掲載までに1週間ほどかかる、と広報されていますが、実際には1〜3日で掲載されています(平日の場合)。稀に1週間以上経ってから掲載されるケースもあるけれど、あくまでも例外です。Amazon は意外にレビューの掲載拒否をしています。拒否通知が届かない(掲載待ちと掲載拒否の区別がつかない)のが汚いところですが、トラブル回避策としては賢明でしょうね。

ちなみに、一度は掲載を拒否されても、文言を書き換えれば掲載される場合があります。掲載の可否は Amazon のカスタマーレビュー審査担当者の判断に任されているので、線引きの詳細は怪しい感じがします。しかしながら、穏当な内容を心がけ、1日5つ以上レビューを送信せず、未審査のレビューを10件以下に抑制すれば、掲載拒否の確率は下がるようです。

注:個人的経験から述べると、どれほど多くのレビューを書き、送信しても、1日に5つ以上のレビューが新規登録を許可されたことはありません。6つ目以降は後日に審査・登録されますが、掲載拒否率が非常に高くなります。どこがまずいのかさっぱりわからないレビューが、いつまでも登録されないのは寂しいものがあります。

以下のリンク先に収録されているのは、2004年7月18日現在、Amazon に掲載を拒否されているレビューです。全てが掲載を拒否されたものとは断言できませんが、いずれも3週間以上も不掲載となっているので、掲載拒否と考えるのが妥当でしょう。

関連リソース

平成16年7月18日

先月末、Amazon カスタマーレビューに一夜にして 98 の「参考にならなかった」票が投じられてがっかりしました。「参考になった」票は1日に 3〜5 ずつしか増えませんから、人を怒らせるのはいかに簡単か、人を喜ばせるのはいかに大変か、ということを考えさせられました。

Amazon ではサインインしないと投票できません。そして1人が1つのレビューに投票できるのは1票だけです。98 票も投じた方は、その時点で公開されていた私の全レビューを開き、投票して回ったのです。このエネルギーには圧倒されました。

私は意気消沈してしばらくレビューを休みましたが、最近、再開しました。また、レビューが100件を超えたので、過去ログを当サイト内にまとめました。参考にしていただければと思います。

平成16年7月11日

「全然」は現在でこそ「全然〜ない」と結ばねばならないことになっているが、もともとは肯定文で使う言葉であった。それが一時の流行で妙な使い方が本流となり、かつての正用を誤用へと貶めたのだ。こうした悲しいことが、言葉の世界ではまま起きる。

注:この「的を得た」という表現をあげつらって、“「的を得た」なんていう子供なみの日本語の間違いを堂々とHPに載せているくせに、よく他人の非難ができる”などと書いている掲示板があります。これはよく流布している無知からきています。射撃の場面を想像して「的を得る」はずがない、「的を射る」ものだ、という誤解です。これは漢語に由来する表現であることを知らず、日本語として「的を得る」はずがない、と思ってしまうのです。語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく)を失う」という表現からきています。この場合の正鵠は「正も鵠も、弓の的のまん中の黒星(『角川漢和中辞典』)」のことで、射てど真ん中の黒星に当てることができたかどうか、当たったら「得た」といい、はずれたら「失う」と表現していたのです。矢で的を射るのは当り前としても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です。たとえば、“[中庸、十四]子曰く、射は君子に似たる有り。諸(こ)れ正鵠を失するときは、反って諸れを其の身に求む。(平凡社『字通』白川静著)”と「失する」という表現をしています。「失」の反対は「得」であり、「射」ナはないのです。そうでなくても、もともと「得」という字には「あたる」という意味があります(白川静の前掲書)。いつのまにか「正鵠」という分かりにくいことばを使わず「的」に省略し、「的を射る」という悪貨が「的を得る」という良貨を駆逐していて、日本の国語辞典にも浸透しています。「的を得る」という表現は、日中出版『論語の散歩道』重沢俊郎著(p.188「それが的をえていればいるほど」)や、大修館書店『日本語大シソーラス』山口翼編の「要点をつかむ」という項目にもあります。また小学館の『日本国語大辞典(12)』にも「まとを得る」があり、中国文学の京大助教授・高橋和巳の小説から「よし子の質問は実は的をえていた」を引用しています。

また読者から教示していただいて分かったのは、現代の中国でも「正鵠を得る」という表現があることです。王鳳賢著の中国語論文「毛澤東的倫理思想及其傳統文化背景」に、人人皆得其正鵠矣(じんじんみなそのせいこくをえたり)と(ちなみに、明治書院の漢文大系『中庸』には正鵠に(まと)という読み仮名をあてています。)。

教示に刺激されて調べたら、幸田露伴の『武田信玄』の中の一説に「無事(ぶじ)の世(よ)に於(おい)てさへ正鵠(せいこく)を得(え)ぬ勝(がち)である……」とありました。

わたしは「正鵠を射る」や「的を射る」という表現を誤っていると言っているのではなく、たんに「的を得る」という表現がまちがいである、ということに抗議しているだけです。ことばは生き物です。時代によって変化するものであることは承知しているつもりです。それと「的を射る」という表現は即物的でつまらないなあ、と思うのです。

中谷臣先生はこのように主張されているが、「正鵠」が「的」に変化したことを示す文献がないのが大きな弱点である。また一般向けの国語辞典がこぞって「的を得る」を誤用としている事実は無視しがたいものがある。中谷先生が示した、専門家の著書・編纂書に存在する「的を得る」の例は、誤用の実例に他ならない可能性があるのだ。……しかしこれらの批判は、中谷先生の主張の弱点を示しているに過ぎない。中谷説の誤りを立証するものではないので注意されたい。

とりあえず、常識問題の試験などで「的を得た」を正しく書き直せと求められたら、「的を射た」とすればよい。オフィシャルな文書で「的を得た」を書きたくなったときも、グッと抑えて「正鵠を得た」と言い換えておこう。「鵠」という字は一見難しいが、よく見れば「告」と「鳥」の組み合わせだから恐れる必要はない。