徳保氏の多分もっとも基本的な主張は「間違った情報発信をするな」というだけで(その理由が「業界の信用が落ちる」というものであるのはいかがなものかという問題は別にあるとして)、そのための具体的な方法の提案をしているということだと思います。「専門家は個人の責任で情報発信するな」というのは「方法」の提案なわけですね。
端的にはそういうことになろうかと思います。
「発信するな」というステートメントを離れてみよう。 その代わりに彼の主要な意見を 「ウェブ上で自分の(業務関連/専門分野)の情報を発信するときは、 会社か上司に必ず話を通せ」と言い換えてみよう。 これでも十分に一般的だと思う。
これは「質の監査」の方法論の提案である。氏の記事の中で「提案」と呼べるものは、 ここから一歩も動いていない…ように感じられる。
まさに仰る通りで、私は簡単な話をしているに過ぎません。こっそりやっていると自分の中で歯止めがきかない。だから、組織のプレッシャーを導入して歯止めにしましょう、と。
ウェブ・デザイナーの質の向上に関する提案を見てみたい
とのことですが、基本的には「時間が解決する問題」だと思っています。業界が立ち上がってから、まだ約10年なのです。業界全体が未熟なのも当然でしょう。
ただし、熟練工しかいない会社というのは、ありえないわけです。どこかで人間を育てなければいけない。では、どこで? 学校には期待できません。会社の中で育てるしかない。かといって、十分な技能を身につけるまで勉強ばかりさせておくというわけにもいきません。結局、技能未熟な人間がどんどん現場に投入されます。
組織は新陳代謝を続けますから、いつまでたっても未熟な人間が組織の中からいなくなることはありえません。どの業界にも未熟な人がいるということは、消費者が諦めなければならないことだと思います。「会社は人を育てなくていい」と主張なさるなら、話は別ですけれども。
ではなぜ、Web デザイン業界以外では「クライアントの実名批判などがポンと飛び出すこと(=ビジネスパースンとしての自覚に欠ける行為)」がほとんどないのでしょうか。それは、現実をそのまま見せたのでは商売にならないということを、組織のトップも末端の構成員もわかっているからです。だから、「業務に関連することを Web 日記などに書くべからず」というお達しにみな従うし、「会社のビジネスに悪影響を及ぼしかねないことを書くのはまずい」という不文律が強固な常識として形成されていたりするのです。
逆にいうと、Web デザイン業界というのは、いまどき珍しい供給者優位の世界なのでしょう。
会社の恥を社員が晒しても何ら滞りなく仕事が入ってくるというのは、どうかしていますよ。薄給で忙しくしているから自覚がないのでしょうけれども、プチバブルがずっと続いているんですね。あるいは、どの会社もダメだから消費者に選択肢がないのかもしれない。
まとめます。Web デザイン業界に未熟な人が多いとすれば、それは業界自体が若いからで、時間が解決する問題です。また、未熟なプロが存在すること自体は、いつまでも解決できない問題ですから、それを前提とした情報管理のあり方が求められるでしょう。Web デザイン業界のプチバブルは遠からず弾けるでしょうから、いつまでも今のままですむわけがないと思っています。
概ね同意できます。一連のやり取りのわかりやすいまとめになっているので、頭の整理にどうぞ。
このような考えに基づけば、およそすべての職業の人がウェブでの発言禁止の対象になる。医者も弁護士も大学教授も芸能人も政治家もクリーニング屋もトラック運転手も、それぞれの業界の一人として職業を営んでいる。クリーニング屋さんが自分のblogで業界の話を書いたりするのもダメということだ。ウェブだけでなく、印刷物や放送も対象になるだろう。
私の主張は、まさにその通りです。話していいこと、いけないことを、セルフチェックではきちんと峻別できない人が少なからずいますから。
例えば大学のように、クリーニング店がサーバを用意して(レンタルで構わない)、「個人的サイトを作るなら、このサーバを使うこと」とすればどうか。あるいはもう少し現実的な話として、クリーニング店の公式サイトから「当店店員の Web サイト」として各店員の個人サイトにリンクが張られていたならどうか。それも無理なら、職場のみんなが読んでいるサイトだとすればどうか。せめて1人でも、職場に自分のサイトを知っている人がいたとすればどうか。
そのような環境があれば、ふつうの店員は、「店の迷惑になるようなことを書く」のを自粛するでしょう。「ついつい気が緩んでしまう」ことも減るでしょう。仮に問題が生じても、大事になる前に身近な人が注意してくれるでしょう。更新のたびに許可の判子をもらいなさいといいたいのではなくて、「上手に他律的な環境を構築して、きちんと自律しましょう」という提案なんです。職場の誰にも知らせずにこっそりやっていると、「これくらいは書いてもいいかな?」と安易にガードを下げてしまいがちなのです。
私は悲観的な立場から、セルフチェックなんか信用できないといいました。しかし確かに、世の中のほとんどの人は大失敗をしません。だから、みんな「自分は大丈夫」と思っているかもしれない。けれども、何人もの人がそうして失敗していったということを、忘れてはいけません。
わき道だが、徳保さんが挙げた例の中で「いじりようのないサービス」については、私はむしろ好感を持った。昔から「医者の不養生」「紺屋の白袴」という言葉がある。プロだからこそ、自分のための仕事には色を出したくないとか、手間をかけたくないといった心意気があるような気がする。そのサイトを見ていないし、勝手な解釈かもしれませんが。
補足します。問題なのは、現場が公式サイト(表の窓口)だったということ。サイトの主眼は著書の紹介なのですが、その著書の内容が「素人の作ったダサいサイトを、プロがカッコよく使いやすくリ・デザインする」というものなのです。プライベートな裏サイトなら津村さんの解釈もアリですが……。
既に書いている通り、大学の先生の Web サイトなどはたいてい大学からサーバを提供されており、大学の公式サイトからリンクされているわけです。一般企業の感覚でいうと、これは公認サイトということになります。内容のチェックなんか誰もやっていないわけですが、それはこの場合に関係ないことです。入念なチェックの動機付けとして「組織のプレッシャー」を導入せよ、というのが私の主張であって、つまり結局、チェックするのは自分なのです。
こっそりやっているサイトで気が緩むのは、自分の発言が組織に迷惑をかける可能性を小さく見積もってしまうから(というのが一つの大きな原因)です。公認サイトになれば、自分のバカな発言はすぐに組織の信用を傷つけます。だから、ミスをしないよう必死になることが期待できるわけです。(したがってこれは組織に迷惑をかけることに頓着しない人には無意味な提案です。逆に、自分がバカにされるのは平気だけど、仲間がバカにされるのは許せない、というタイプの人には劇的に効きます)
津村さんは個人ページは本人だけの責任で作るものだ。組織または他人にちょっとでも責任の一端をなすりつけられると考えるのは甘い
と仰います。そのこと自体には同意しますが、サラリーマンには「自分が頭を下げるくらいは大したこと無いけれども、組織の看板には傷をつけたくない」という人が多い、というのが私の話の前提なんですね。だからこそ、自分のリスクを組織のリスクの距離を近付けることで、チェック機能を強化しようという発想が出てくるのです。しかしまあ、最近は自分第一の人も増えてきましたから、津村さんの心配もあながち外れてはいないのかもしれません。
一巡りしてみて思ったんですけど、「公式情報の充実を望みたい」という意見はみなさんスルーですか。そうですか。
現段階の分析化学の分野では、活字になっていることをネットに載せるだけで検索に拾われ、リピーターも訪れるサイトになる。なにしろ、ほとんど書き手がいない(しかも読み手はけっこういる)状態だから。
全てがそうだとはいいませんけれども、本来、公式情報として出てくるべき内容が少なくないはずなんですよ。学会誌などについていうと HTML 文書版は(手間の問題で)無理としても、活字になって3年経ったら原版の PDF を公開する、とかですね。実際、そういうことをしているところもあります。まあ、学会誌は無理としてもですね、JIS の規格票などは、いまだに WWW で公開されていないことについて、もっと批判されていいのではないでしょうか。
専門家と情報発信の話題に関連して、リンク元からいくつかご紹介。