jo_30 さん、お久しぶりです、と書いてもわからないと思いますが……。id:deztec は某IDのサブアカウントです。
のまネコ問題は価値観対立なので、じつのところ、何が妥当かという判断は、各人の拠って立つ文化に依存します。地球儀の螺旋(2005-09-14,30)のような異論は理解しますが、賛同はしない。
私は法運用の実態と経済的利益を重視します。多様な価値観を認める社会において、価値対立を裁き秩序を実現するためには、立法機関で多数派を構成して法を定め、多数派の常識に沿って運用する他ない。現状では「のまネコ」の商標登録に法的な問題はなく、誰も損をしない。商慣習と庶民感覚のズレが今回図らずも浮き彫りになりましたが、私は高々300万人のコミュニティの感情論よりも社会全体の利益増大を目指すべきだと思う。
法外の判断には原則として反対。法がおかしいなら、法を改正するべきです。声の大きなグループだけが法外の利益を手に入れる不合理は認め難い。とはいえ、双方が少し融通を利かせれば円満に解決できるトラブルは多い。では、のまネコ問題は?
徳保氏の主張は「ではフォークロアであるモナーを、どのように独占的に販売していけばよいのか。」という所から始まっている。しかし、そもそも反発している住民の多くは「フォークロアに対してオリジナルを主張するのが冒涜だ」と主張しているわけで、そもそもそこから話が噛み合っていない。つまり徳保氏は「フォークロアを『若干改変してオリジナル主張』するのは冒涜ではない」という主張から、まず話を始めるべきである。
端的には、その説得は不可能です。考え方の違いという他はない。
ただ、法は avex の行為を認めています。社会には「のまネコ」「米酒」同様、フォークロアをベースとしつつ独占的権利の保有者を持つデザインがあふれています。water bouget の図案を愛するコミュニティが浜崎あゆみのロゴマークに「独占反対!」と声を上げるのが当然の正義なら、デザイン業界は存続できない。デザイナーの少なからずは、小さな差異にオリジナリティを見出す制度に依拠して生きているのです。「この程度の差異でオリジナル?」という感覚は理解しますが、私は現行の法運用を支持します。
手塚治虫の「ジャングル大帝」にそっくりなディズニー映画「ライオン・キング」(1994年)について、「訴えれば勝てた」との声があります。けれども、本当に勝訴確実だったなら訴訟を起こしていたろう。人情話で決着したのは、リスク回避の方弁ではなかったか。そして厳格な著作権管理で有名なディズニーもまた「ジャングル大帝」(1997年)を黙認しました。この事例は示唆的です。
「空耳FLASH(2ch 住人)」「のまネコ(avex)」「のまタコ(西村博之)」三方一両得の話をフイにして、三方一両損で決着したのは残念な話。
jo_30 さんは、フォークロア派生物の独占利用は倫理に反すると断じ、2ch 住人の意向を汲めば商品の売上も増えると主張されました。私は、同意しません。
ネット発ブームの成長過程において、ネットの寄与度は決して大きくない。「恋のマイアヒ」は80万枚以上売れています。80万という数字はブログ全読者数の約5%……のまネコ問題に関心を寄せている人より多いのでは? ウェブは過大評価されがちです。
「みんなのもの」の一部に独占権を付与することで、コミュニティ外の巨大市場で活躍する商品が生まれることがあります。特許制度と同様、文化・社会全体の振興のためには、知的財産の一部独占は認めるべき。そして独占の可否を判断する基準として、現行の商慣習と法運用は妥当だと思います。