趣味Web 小説 2006-01-05

2005年の論壇系ブログ界を振り返る

……こうしてリンクを並べてはみたけれど、とくにきっこのブログを批判したいというわけではありません。

この2つのブログを単純に並べてしまうのもまたどうかとは思うのだけれど、とりあえず。

2ちゃんねるをはじめとして、20世紀末から21世紀はじめの数年間にかけてウェブ世論は、どちらかというと反マスコミを基調として、一般世論と比較して右ブレする傾向にありました。そして「これが国民の真の声だ」といった上滑りが、よく観察されたわけです。そんな馬鹿な話はない、と私は思っていて、インターネット接続環境が十分に普及していけば、いつしか状況は変化していくに違いないと考えていました。

ネットも「現実」の世界と同じで、右の人は右で固まり、左の人は左で固まりまり、無関心の大会をぷかぷかと浮かんで、日常的にはお互いに接触しない。ときどき大事件(と多くの国民がみなす出来事)が生じると、無関心の海から陸地が生まれます。浮島には足が生えていて、陸地の端から端へと駆け回っては異見を持つ島とチャンバラをやります。にわか浮島もポコポコ出現して、他流試合をしはじめます。しかしやはり、無関心の大陸は広く、そして脆い。陸地は風化して浸食され、海中に没していく。

ブログ界の一般化はかなり進んだとはいえ、「現実」世界と同様、右の人は相変わらず「ウェブには左翼マスコミの報道に惑わされない人々がたくさんいる」と期待を持ち続け、そしてますますその印象を強固にしていくのでしょうし、左の人もまた同様の感想を持つでしょう。

2005年が論壇系ブログ界においてどんな年だったかといえば、保守系の情報ハブ Irregular Expression に対抗できるだけの読者数を誇る革新系の情報ハブきっこのブログが登場し、これでようやく「ウェブ利用者の思想的偏り」が「現実」世界とほぼ同等となった、そういう一年間だったといえそうです。

もちろん、思想を単純に2分することはできないわけだから、保守系だからといって Irregular Expression に賛同するとは限らないし、革新系だからといってきっこのブログを素晴らしいと思うわけでもないでしょう。ただ、新聞界に産経新聞と朝日新聞があるように、ブロゴスフィアにも左右両極の代表的なブログが存在していいはずです。そして産経と朝日のシェア比率程度に、あるいはテレビ報道の「偏り」程度に、サヨク的言説に与する側が多数派となるのが「自然」だと思います。

ところで、きっこのブログは明確にマスコミ陰謀論を唱えますし、Irregular Expression もいわずと知れたマスコミ批判の急先鋒、マスコミ不信だけはウェブ利用者の特徴として最後まで残った……というのもちょっと危うい面があるので要注意。情報フロンティア研究会最終報告書をめぐる騒動を思い起こしていただきたいのですが、基調としてのマスコミ妄信、一次情報ないがしろの知的怠惰の蔓延があり、その反省が八つ当たり的なマスコミ批判として噴き出しているという解釈もできそうなのです。実際にはマスコミが報道していることまで「報道していない」と早合点したり、自分の関心のある話題についてばかり「報道が足りない」と言い募ったり、全体を見ずに都合のいい責任転嫁の対象としてマスコミを引っ張り出す言説は枚挙に暇がない。

Irregular Expression はマスコミに取り上げられなかったがきっこのブログはマスコミに登場、というあたりは、「なるほど」という印象。大手マスコミ批判は中小マスコミ、例えばジャンルトップクラスでも数十万部を売るだけの週刊誌の得意とするところ。ゲンダイなどの夕刊紙だって部数は高が知れていて、しかし反(大手)マスコミ+反権力で商売になるのは基本的には左側。右側は雑誌の種類も部数も一段落ちる(傾向がある)。ともかくも、だんだん、「現実」社会のありようとウェブ論壇の様相はリンクしてきたので、ネットに夢を見てきた人はそろそろ目を覚ますといいと思うけれど、先に述べた通り、そういうことにはなるまいな。

……公職選挙法が改正されるそうですがね、仮に次回の参院選が「ネット選挙」と呼ばれるようなものとなったとして、その結果はネットの有無とは関係ないんじゃないですか、と。韓国の先の大統領選挙だって、たまたま彼を支持した若い世代がネット好きだっただけの話で、ようは若者の投票率が高ければネットと関係なく盧武鉉さんは当選したに違いない、ということ。

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