趣味Web 小説 2006-04-05

私の独断と偏見を守るために

id:rinrin_pickup さんがとくにどうだといいたいわけじゃなく、あくまでも一例として。

独断と偏見はよくない、といいつつ、次の一文で某氏がろくでもないのは事実と書いてしまうあたりに、集団的な迫害の芽があるのだ、といいたい。「ろくでもない」とは価値判断であり、そのような「事実」があるわけがない。「ろくでもない」と思っている人の存在は「事実」なのですが。

もちろん、いちいち面倒な書き方をするのは現実的でないので、私だって省略して書くことが多い。ただ、私は id:rinrin_pickup さんの短い文章から、これは省略表現ではないと読み取りました。

id:rinrin_pickup さんが某氏の価値観に賛同できないのはいい。問題は、某氏の正義を却下する自分の主張は独断でも偏見でもないとお考えになっているらしいことです。独断と偏見による集団的な迫害が可能になると心配されているので、多数派の価値観に反するものが独断や偏見だ、というわけでもない様子。とすると……自分が納得できるかどうかが判断基準? もしそうだとすれば、id:rinrin_pickup さんと某氏のどこに差があるというのでしょうか。

ある「場」で少数派になっても自説の正しさを確信できることはしばしばあって、そこで頑張ると「ろくでもない」なんていわれてしまう。それでいいのか。自分が少数派になることもあるのだから、他人様の正義を安直に却下するのは危ないのに。大勢を不快感を与えているユーザにも某社が慎重に対処しているのは、単なる不作為ではないと私は思っています。

2005年8月、mixi はコミュニティの和を乱す人物として Kusakabe さんを排除しました。賛否両論あったけど、概ね賛成の方が多かったと認識しています。某氏が某サービスから排除されて怒ったり悲しんだりしてくれる人が Kusakabe さんより多いか少ないかというと、おそらく少ないと予想しますが、だからいいんだ、GoGo! だ、と私はいいたくない。

私は某氏の言動を支持しない。しかし「某氏を今すぐ強制退会処分とせよ」と気勢を上げている人々は許し難い。異端者の排除はコミュニティ防衛のため必要悪と認識し、努めて抑制的に行うべきです。「正義」の執行に酔う者は、自らもまた異端審問の場に引きずり出され、火あぶりの憂き目にあう可能性を考えるべき。私は間違ったことをしていない、法も犯していない……某氏だって、そう思っているのです。

補記:私が「某氏」のことを「某氏」と書いているのは、「某氏」と書きたいからです。

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